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2014年2月13日 (木)

百田尚樹著「海賊と呼ばれた男」(下巻)を読むⅠ

第三章    白秋(昭和22年~昭和28年)

昭和22年11月、戦争が終わって2年後、国岡商店はついに石油販売業務を再開し、生死不明だった末弟の正明が満州から帰国した。昭和23年(1948)3月、鐵造の夢を打ち砕くような出来事が起こる。アメリカ陸軍が派遣したストライク対日賠償使節団が「日本の製油所施設はスクラップすべき」とする報告書を発表したのだ。これには日本の石油産業を破壊してしまおうという意図が込められていた。

しかし、2カ月後の5月、同じ米陸軍が派遣したジョンストン調査団は「日本の復興に必要な工場は存続させるべき。製油所の撤去は必要ない」と180度異なる内容の報告書を発表した。その背景には世界情勢が影響していた。ドイツと朝鮮半島における米ソの意見対立である。これが日本の工業と石油産業を救うことになる。

8月に外油のカルテックス(スタンダード・オイルとテキサコの合弁会社)の日本支社が国岡商店に提携話を持ち込んできた。「石油輸入はいずれ自由化され、石油配給公団もまもなく解散になる」との情報をもたらしたことで鐵造は提携に乗り気になるが、その条件が株式の譲渡と役員の派遣であることを鐵造が知ったことで交渉は決裂した。

しかし、その交渉時の情報通りにカルテックスは長年国岡商店の親会社であった日邦石油と提携し、株式の50%を取得した。そして9月、GHQは石油輸入基地の民営移管と石油配給公団の早期解散の方針を示し、翌年4月から民間の石油元売会社が石油製品の輸入および販売をおこなうようにとの指示を出す。ついに石油の自由化が目前に迫ったのだ。

GHQが示した元売会社の第一条件は輸入基地施設を有することだった。2年近く必死で石油タンクを入手しようとして叶(かな)わなかったことを残された3カ月あまりで成就できるとは思えず、鐵造は絶望的な気持ちになる。『不可能だ』という鐵造の言葉に驚いた東雲は、『店主がそんな弱気なことを言えば、長谷川さんに怒られますよ』というと、鐵造は『よく言った、東雲君。死に物狂いでタンクを手に入れよう』と応じた。

東雲たちはタンクの情報を求めて東奔(ほん)西走したが、どこにも余剰タンクなどない。しかし運命は国岡商店を見捨てなかった。国有財産として接収されていた旧三井物産の貯油施設が三井系の企業に売却されるとの新聞記事を東雲が見つけたのだ。鐵造が特持会社整理委員会に対して抗議すると、多くの新聞が記事にしたため、タンク群(全国14カ所、57基)は公開入札されることに決まる。

入札の不公正なルールにも抗議して是正させたものの、落札するには4000万円が必要であった。国岡商店にはその金がないどころか、戦後のさまざまな事業の失敗で借金は2000万円にも膨(ふく)れ上がっていた。間の悪いことに、大蔵省が金融引き締め策を取っている最中で、新規の銀行から融資を受けることはまず無理と考えられたが、不意に鐵造の脳裏(のうり)に東京銀行に行ってみようという思いが浮かぶ。

2800万円の融資を鐵造が旧知の大田営業部長に申し込むと、大田はこれ以上融資できないと答えたが、担当の大江常務に会うことを勧めた。融資額を問われた鐵造が腹をくくって4000万円というと、大江は『よろしいでしょう』と思いがけない返事をする。2年前に佐世保の旧海軍のタンク底で働く国岡商店の若者たちの姿を見て強い衝撃を受けており、融資をしようとその場で決めたのだ。

入札に参加した鐵造は念のためGHQを訪れて不正がおこなわれないようにして欲しいと申し入れた。これが効いたようで国岡商店は施設一括と個別の両方とも落札してしまう。その資金繰りに頭を悩ませていた鐵造のもとに整理委員会から一部を降りてくれないかという申し出がある。GHQの他の部門(石油顧問団)から横槍が入ったのだ。もともとすべてを落札するつもりのなかった鐵造は整理委員会と相談して九州を中心とする西日本のタンク14基(38,000トン分)を昭和23年の暮れに入手する。

GHQの指示で公団解散委員会に参加した外油3社が出してきた身勝手な元売会社の資格要件は20代の若さで商工省石油課長に就(つ)いたばかりの人見孝の反対で事なきを得た。さらに石油協会も直販を行う国岡商店を指定から外させようとしたが、3月終わりに国岡商店を含む9社(外油3社を含む)が指定された。その翌日、鐵造は日邦石油から30年来の特約店契約を解除する通告書を受け取る。

昭和24年3月31日、石油配給公団が解散になって9社の元売会社は翌日から活動を始めたが、そのスタートラインは平等ではなかった。外油3社の比率が73%、日本6社が27%の割当なのだ。元売会社となって全国で本格的な石油販売に乗り出した国岡商店の販売力は他の石油会社を大きく引き離し、販売実績によって毎月修正される配給比率は3カ月後に当初の5.46%から7%近くまで高まる。

焦(あせ)った外油は日本の石油会社との統合を急ぎ、わずか1年あまりで日本の石油会社はほぼ乗っ取られる形となった。さらに外油は石顧問団を使ってGHQに国内の石油施設を共同使用するジョイント・ユース制の廃止方針を出させた。そのうえ外油の息がかかった石油顧問団の意見を受け入れたGHQは原油の輸入枠(わく)を広げ、石油製品の輸入量を減らした。製油所を持たない国岡商店にとっては非常に痛いものであり、鐵造は製油所と石油タンク建設の用地を太平洋岸に探すと同時に、タンカーに活路を求めた。(続く)

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