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2014年2月 1日 (土)

百田尚樹著「海賊と呼ばれた男」(上巻)を読むⅡ

第二章 青春(明治18年~昭和20年)

鐵造は福岡県宗像(むなかた)郡赤間村(現在の宗像市赤間)で染め物業を営む裕福な徳三郎の子供として生まれた。小学校では学業・行状とも「乙」(おつ)、体格は虚弱と評価されただけではなく、幼いころから神経症を患(わずら)っていた。高等小学校(現在の中学校)を卒業した翌年、福岡に新設された商業学校へ進学しようとするが、父親の反対で受験さえできなかった。これで闘争心に火がついた鐵造は翌年父に内緒で商業学校を受験した。

合格通知と入学許可書が家に届いたとき、父は呆(あき)れたが、今度はもう反対しなかった。福岡商業に入った鐵造は学業にいそしむとともに父が福岡市に持つ福岡営業所を手伝った。そして自らの病弱な体と心を鍛(きた)えるために短艇(たんてい)部に入部し、弁論部にも所属した。勉強のほうも疎(おろそ)かにしなかったことで1年から4年まで学年で3番以内の成績を残し、自信に満ちた少年になっていた。

福岡商業を卒業した鐵造は商業の最高学府である東京高等商業学校(現在の一橋大学)に進みたいと思っていたが、入試科目は旧制中学の履修(りしゅう)科目に従っていたため、実業学校からの進学は難しかった。ところが鐵造が3年生のときに日本で2番目の高商として設立された神戸高商(現在の神戸大学)は入試科目を出身学校の履修科目から選択できたことで、鐵造は4倍の競争率をくぐりぬけ、晴れて神戸高商の学生となった。

鐵造は日田重太郎という資産家と知り合いになり知遇(ちぐう)を得てその息子の家庭教師となる。新興商社鈴木商店の採用通知が遅れたことから鐵造は周囲の反対を振り切って零細な酒井商会で丁稚(でっち)として働き始めた。そして酒井商会の売上を何倍もの規模にした鐵造は2年あまりで酒井商会の重役になり、さらに常務として店を切り盛りするようになったが、学生時代からの夢を実現するため独立したいとの思いが募(つの)っている自分に気づく。

そんな折、日田から誘われた鐵造は近況を日田に話すと、鐵造の思いを見抜いた日田は独立資金6000円を京都の家を売って提供しようという。その時の鐵造の月給は20円であったから、年収の20年分に相当する金額であった。その時に実家が没落(ぼつらく)していたこともあり、鐵造は熟慮した末、日田の申し出を受けることにする。酒井商会を円満退社した鐵造は明治44年に九州の門司で国岡商店を旗揚げした。25歳だった。

新規参入業者である国岡商店は4年目を迎える春に資金が底をついた。日田に廃業せざるを得なくなったことを詫(わ)びる鐵造に日田は、『神戸の家を売れば7000円くらいの金を都合できる。どうしてもあかなんだら一緒に乞食(こじき)をやろうや』と力強く言った。鐵造はもう一度商売を徹底的に考え直した。そして目をつけたのは灯油を使う小型漁船「ポンポン船」に税金が掛からない軽油を売り込むことであった。中古の漁船の「焼き玉エンジン」を購入して軽油が使えることを確認して販売する上でのいくつかの困難を克服した国岡商店は7割近くのシェアを獲得する。九州各地を手始めに四国にも支店を作って瀬戸内海にも進出、西日本の海を暴れまわったことで国岡商店の名は「海賊」の異名とともに沿岸に轟(とどろ)いた。

満州に捲土重来(けんどじゅうらい、一度失敗したことへの再挑戦)を期した鐵造は南満州鉄道株式会社(通称満鉄)へ車軸油(潤滑油)を売り込むことを目論(もくろ)むが、前身である東清鉄道の時代から車軸油を独占するアメリカのスタンダード石油など外油(欧米の石油会社)の牙城(がじょう)を突き崩すことができない。それでも寒冷地へ路線を延長する満鉄に不可欠であると考えた鐵造は凍結しにくい車軸油の配合実験を繰り返して最適なものにしたことが奏効(そうこう、効果が現れる)して売り込みに成功する。

大正12年9月1日に関東一円を巨大地震が襲(おそ)った。関東大震災である。多くの銀行が手持ちの資金を確保するために債権の回収に取りかかった。鐵造のもとにも第一銀行門司支店が融資した金額25万円を半年以内に返済するようにと通告してきた。全借入金のちょうど半分の金額である。その噂を聞きつけた高利貸しが全額融資する話を持ちかけてきた。50名の店員の生活を優先した結果、鐵造は借りることにして日田に報告する。しかし、日田に一喝(いっかつ)された鐵造は店を清算することを決めて、残り半分を融資してくれている二十三銀行門司支店長に精算までの猶予(ゆうよ)を頼んだ。

前支店長の時代から鐵造を見込んで大金を融資してきた二十三銀行門司支店の現支店長が同行の頭取に掛け合ってくれた。鐵造に自宅で会った頭取は行内の重役たちの反対にも関わらず追加の融資を決断した。危機を脱した国岡商店は再び攻勢に出て、満州に基盤を築くとともに朝鮮と台湾にも進出し、国岡商店の店員の数も100名を超えた。昭和に入っても日本経済は金融不況から一向に回復できず、大商社であった鈴木商店が破産するという大事件が起こった。鐵造が神戸高商の卒業時に一度は入ろうとした会社である。(続く)

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