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2014年2月15日 (土)

百田尚樹著「海賊と呼ばれた男」(下巻)を読むⅢ

第四章    玄冬(昭和28年~昭和49年)

日章丸がアバダンで3度目の積荷を終え、日本に向けて航海をしていた8月半ば、イランに衝撃的な事件が起きた。クーデターでモサデク政権が崩壊したのだ。これを演出したのはアメリカのCIAだった。イランの石油国営化が国際的に認められることに焦ったイギリスが秘密裏にアメリカと交渉したのだ。アメリカの目的は石油利権である。モサデク政権打倒に失敗してイタリアに亡命中だったパーレビ国王はイランに戻り、イランは再び王政となった。

イラン国営石油会社との契約が継続されるかを確認するため鐵造は弟の正明と常務の武知をテヘランに派遣。二人は同社の社長から現契約の継続と履行の約束を取りつけるとともに、新首相からも国岡商店を支持することは将来とも変わらないとの言葉をもらった。さらに二人は新首相から吉田首相宛にイランと日本の親善を求める手紙を託された。そして二人が羽田空港に到着した10月27日、新首相は形式上続いていた日本との戦争状態の終結を発表する。

しかし鐵造の疑念通りにアメリカは国際コンソーシアム(出資者連合)を作ってイラン政府と交渉に入った。前首相のいないイラン政府はもはやコンソーシアムに対抗する術(すべ)も力も持っておらず、要求をほぼ認めた形で協定書に調印した。イラン国営石油が自由に処分できる原油量は全生産量の12.5%に限られ、しかもガソリンや軽油はイラン国内の消費分以外は認められなかった。もしそれらを海外へ輸出したい時はコンソーシアムから製品を購入し、転売するという形を取らねばならないのだ。

イラン国営石油会社はこれまでの値引き価格を全面的に破棄(はき)すると通告してきた。そしてイギリスの石油会社は東京での仮処分訴訟を取り下げた。国岡商店と争う意味がなくなったからだ。イラン国営石油会社は国岡商店に一方的な契約解除と価格通告を行った。鐵造はふたたび正明と武知をテヘランへ送ったがもはや同社は何もできない状況に追い込まれていた。

国岡商店とイラン国営石油会社との蜜月(みつげつ)時代はわずか1年半で終わりを告げたが、日章丸は会社の存続さえ危ぶまれていた国岡商店を救っただけでなく、今や押しも押されもせぬ業界第3位の大企業に成長させた。しかし鐵造はこれに安住してはならぬと、製油所の建設を急がねばならないと思った。イラン国営石油会社がメジャーたちに乗っ取られた今、他の原産国から直接原油を仕入れ、それを精製して石油製品にして販売しなければならない。

鐵造は徳山の海軍燃料廠(しょう、工場)跡地の払い下げに陳情書を大蔵大臣に出すとともに、政府の関係者にも働きかけて、国岡商店への払い下げが決定する。製油所の巨大な建設費への融資に国内の銀行はことごとく断ってきたため、昭和30年10月、鐵造はアメリカに飛んだ。かつて国岡商店に400万ドルの巨額融資をしてくれたバンク・オブ・アメリカに融資を頼むためだ。鐵造が面会した副社長はサンフランシスコ港に入稿した日章丸と同行した武知のことをよく覚えていた。

鐵造の経営理念と勇気を認めた副社長は国岡商店の資本金2億円の18倍もの融資額(1000万ドル)を即決してくれた。しかも、返済期間は7年、年利4.5%という破格な好条件だった。次に鐵造はピッツバーグを訪れた。セブンシスターズ(大手石油会社)の一つであるガルフとの取引でクウェートの原油を輸入することを考えたのだ。アジアに進出していなかったガルフは国岡商店とのビジネスは大歓迎だった。鐵造はシカゴにも飛んだ。アメリカ一の石油精製技術の開発専門会社を訪れて、精製工場の建設を依頼しその場で仮契約を結んだ。

昭和31年3月、世界最先端の技術と国内最大規模を持つ精油所の起工式が行われた。建設費の見積もりはなんと110億円という途方もないものだった。鐵造は10カ月で完成させると公言し、少なくとも2年から2年半はかかると主張する建設本部長の東雲や請負業者たちの反対に耳を貸さない。東雲が率先して働く姿に現場の空気が徐々に変わり、奇跡的に工期が短縮され、工事は驚異的なスピードで進んでいた。アメリカの会社の全面的な協力もあり、昭和32年3月、ついに10カ月で製油所が完成する。

2カ月後、盛大な竣工式が行われた日の朝、鐵造は突然、正明を副社長に任命した。そして竣工式の貴賓席には国岡商店の礎(いしずえ)を築いた日田重太郎が座っていた。このとき、81歳だった。鐵造は製油所の工事を行っている昭和31年8月、ガルフからクウェートの原油を輸入するという10年契約と同時に、10万トン級の超大型タンカーを2隻チャーターする契約を成立させていた。徳山製油所が稼働した昭和32年、国岡商店の石油販売シェアは12.2%に伸び、業界2位に躍り出た。

海が浅い徳山港に接岸できない超大型タンカーから製油所に原油を運ぶ方法を検討するように指示された重森資材課長は、様々な方法を鐵造に提案するものの却下されてしまうが、やっと海底パイプを利用するシー・バース方式たどり着く。鐵造の承認を得た重森は工事を開始するが、海が荒れ始めたことで施設に失敗する。損害保険の請求に訪れた東京海上火災の本社では重森の誠実な説明を了承して特別の計(はか)らいをしてくれたことで、日本初のシー・バースは、昭和33年1月に完成した。

翌月、国岡商店がチャーターした巨大タンカー(8万5564トン)がクウェートから原油9万7000キロリットルを積んで徳山港のシー・バースに着桟した。この年の7月から岩戸景気と呼ばれる好景気を迎え、日本の経済史上最長の42カ月も続いた。同じ年の10月には世界最高の東京タワーが竣工(しゅんこう)した。シェアを伸ばし続けた国岡商店は昭和35年に15.0%に拡大して長年業界1位だった日邦石油に肉薄した。鐵造は10万トン級のタンカー2隻の建設をアメリカの造船会社に依頼し、昭和35年までに進水させた。同年、鐵造はl8年を経て旧型になった日章丸を北洋水産に売却した。(続く)

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