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2014年3月

2014年3月31日 (月)

「そうだ 京都、行こう。」 善峯寺 (Ⅱ)

観音堂の左手には、順路には入っていませんが、文殊寺宝館があります。本尊は山門の文殊菩薩と二天が修復遷座され、平成12年建立されたそうです。訪れた日は残念ながらクローズされていました。
 
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天台宗系の寺院になぜか弘法大師を祀(まつ)る大師堂があります。
 
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川崎大師など真言宗の寺院にあるものと同じ銅像も並んでいます。天台宗は入唐(唐へ留学)した最澄が日本に伝えた大乗仏教の宗派の一つですが、最澄は帰国後、一足先に帰国していた弘法大師(空海)から密教の教えを受けたことから、空海は最澄の先生(師匠)にあたりますが・・。
 
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観音堂(本堂)の次は、「日本一の松」(天然記念物)へ向います。右へ行くと「つりがね堂(鐘楼堂)」を経由して『日本一の松」に至(いた)るようです。石段の上に見えるのはその松と経堂です。
 
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ゆるやかな坂道を上がりました。左手に「つりがね堂(鐘楼堂)」の屋根が見えます。
 
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「日本一の松 天然記念物 遊龍(ゆうりゅう)」へ向います。
 
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多宝塔は元和7年(1621年)に建立されたそうです。本尊は愛染明王で、国の重要文化財に指定されています。.後ろに見えるのは経堂で、宝永2年(1705年)に桂昌院により寄進されたそうです。
 
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「遊龍の松」の説明には、『五葉松で樹齢600年以上、全長37m(以前は50m)、国の天然記念物に指定されています。主幹が地を這うように伸びる巨大な松は、臥龍の遊ぶ様に見えることから、安政4年(1857年)、花山前右大臣家厚公により〝遊龍〟と命名されました。標石は明治26年、鳥尾中将の書です』とあります。
 
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「遊龍の松」は多宝塔から経堂方面へ長く伸びています。
 
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経堂へ向って歩きました。大師堂の脇にある石段付近で振り返って見た「遊龍の松」。奥に見えるのは護摩堂(ごまどう)、左端に少しだけ写るのは多宝塔です。ここでUターンします。  
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L字形に折れ曲がって多宝塔を囲むように続いていました。
 
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回遊式庭園開山堂へ向います。
 
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開山堂は貞享2年(1685年)に建立された源算上人(げんさんしょうにん)の廟所(びょうしょ)です。
 
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源算上人117歳の尊像が祠(まつ)られているそうです。
 
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周囲の景色
 
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「善峯白山 桜あじさい苑」(広さ3000坪)では春にしだれ桜、夏は紫陽花(あじさい)がこの一帯を彩るそうです。とくに紫陽花は5年前に訪れた宇治の三室戸寺(みむろとじ)とともに京都二大紫陽花名所のようです。
 
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幸福地蔵
 
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桂昌院が幸せを願い拝(おが)んだ330年前のお地蔵様ととのこと。「自分以外の幸せを願いましょう」と大きく書かれています。
 
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(続く)

2014年3月30日 (日)

「そうだ 京都、行こう。」 善峯寺 (Ⅰ)

十輪寺をあとにして府道208号を西へ走りました。次の目的地は十輪寺の記事で簡単に紹介した善峯寺(よしみねでら)、十輪寺から約1.5kmの近さです。善峯寺はJR東海の2005年秋キャンペーンで取り上げられています。

本題に入る前にその来歴を簡単に紹介します。長元2年(1029年)比叡山の僧源算(げんさん)がこの地に小堂を建て、十一面千手観世音菩薩像を刻み本尊としたのが善峯寺の開創と伝えられています。観音信仰の高まりとともに早くからその霊場として栄え、創建まもない長元7年(1034年)に後一条天皇から「良峯寺」の寺号(じごう、寺の名前)をたまわったそうです。そして、白河天皇(1053-1129年)が諸堂を建設し、室町時代には後花園天皇が伽藍(がらん、寺院の建物群)を改築して大いに栄えましたが、応仁の乱によってこれら全てを焼失したそうです。その後、江戸時代(元禄年間)に徳川5代将軍綱吉の生母、桂昌院(けいしょういん)の寄進により寺は復興したとされています。ちなみに、善峯寺は天台宗系の単立寺院で、西国三十三観音巡礼第20番札所です。

府道208号の路傍(ろぼう)に「善峯寺領」と彫られた石柱を見つけました。
 
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その少し先には「西山宮門跡 善峯寺」(昭和3年4月)の石柱と常夜灯が並んでいます。調べてみると、善峯寺(よしみねでら)は鎌倉時代に青蓮院の宮様が代々当寺の住職をされたので西山宮門跡と称されたそうです。
 
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民家の前に巨大な木像がありました。お坊さんのようですが・・。
 
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朱に塗られた橋に「善峰橋」とありますから、ここが善峯寺参道の入口のようです。立て看板にはたしかに善峯寺と書かれています。
 
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府道208号の終点まで走って大きな駐車場に車を停めました。料金は500円。山門と思われる小さな門へ続く階段を上がります。
 
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門の先に続く参道の石段はかなり急なようです。
 
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その門を出て振り返ると、善峯寺東門と表示されていました。山門にしてはやはり小さすぎます。
 
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立派な山門(楼門)は正徳6年(1716年)に建立された三間一戸の楼門形式のお堂です。楼下の金剛力士は運慶作で、源頼朝が寄進したと伝えられているそうです。全体に黒っぽい色調と白く縁取りされた部分が強烈なコントラストになっています。山門の下に入山受付がありました。
 
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山門の右手に京都西山三山の寺院名、善峯寺の来歴と全景(境内案内の地図)があります。3万坪(10万平米)もあるという広大な境内の諸堂を順路にしたがって巡ることにしました。
 
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山門を抜けました。
 
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石段に近づくと観音堂(本堂)が見えてきました。元禄5年(1692年)に桂昌院の寄進により再建された入母屋造のお堂です。本尊千手観音は仁弘法師御作で、西国三十三所観音霊場の第20番札所の本尊です。
 
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石段を上り切った場所で振り返って見た山門です。
 
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手水舎(ちょうずしゃ)には青竹で作られた風情あるパイプが使われていました。
 
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観音堂の前には2月に降った残雪がありました。(2月25日撮影)
 
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私に続いて同行者も線香をあげました。スペースが空いているのに、私の線香のすぐ隣に自分の線香を立てています。連理木(れんりぼく)ならぬ「連理の線香」のつもりなのでしょうか。
 
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参拝したあと、同行者は祈念のごま木に興味を示したようです。十輪寺に続いて願いごとのハシゴをするつもりかと思えば、同行者はちょっと見ただけで通過しました。
 
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寄進瓦(きしんがわら)が置かれた机には、「瓦1枚千円 ご自由にお書き下さい。」と書いた張り紙があります。まさかと思いながら見ていると、「この瓦をどうするの?」と予想外のことを尋(たず)ねます。「お寺へ寄付するんだよ」と答えると、「お寺はその瓦をどうするの?」と食い下がります。「屋根の修理に使うのだろう」と説明してやっと納得したようです。
 
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(続く)

2014年3月29日 (土)

「そうだ 京都、行こう。」 十輪寺 (Ⅲ)

渡り廊下(本堂寄り)から見た中庭の様子
 
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枝垂れ桜の太い幹の脇にある大きな石に根が張っていることを同行者が気づきました。枝垂れ桜の根なのでしょうか。
 
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中庭の反対側の建物には六歌仙(すぐれた6人の歌人)を描いた襖絵(ふすまえ)が目をひきました。もちろん、業平は六歌仙のひとりで、その他には僧正遍昭(そうじょうへんじょう)・喜撰法師(きせんほうし)・大友黒主(おおとものくろぬし)・文屋康秀(ふんやのやすひで)・小野小町(おののこまち)が選ばれています。
 
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塩竃で塩を焼く様子も描かれています。
 
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渡り廊下をさらに進むと、中庭に枯山水(かれさんすい)風の設(しつら)えがありました。
 
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渡り廊下を通り抜けました。
 
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そして、左手に伸びる方丈(僧坊)の廊下に出ると、「三方普感(さんぽうふかん)の庭」と呼ばれる中庭の全体を見渡せました。「立って見る」「座って見る」「寝て見る」の三通りの楽しみ方があり、見る人に様々な思いを感じさせると説明されていました。中庭の左手に業平桜と呼ばれる枝垂れ桜の太い幹が存在感を示しています。
 
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同行者と私は座った状態で庭を見ました。和室には業平と二条の妃の舞いや小松曳(ひ)きなど、平安時代の王朝絵巻を描いた32面の極彩色(ごくさいしき)の襖絵(ふすまえ)がありますが、復元した襖絵でも撮影できないため、ここで紹介することはできません。
 
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さらに、私は横になって手枕をしながら庭を眺(なが)めました。
 
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春には枝垂れ桜が天蓋(てんがい)のように四方の屋根まで覆(おお)いかぶさるようです。
 
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額縁に入った古い写真に目がとまりました。「業平朝臣御忌秘密三弦大法要」と表示されています。服装などで判断すると半世紀ほど前と思われますが、正確な年月は書かれていません。ちなみに、880年に業平が56歳で亡くなった命日である5月28日にこの法要が毎年営まれているようです。私は古い写真だけではなく、鴨居に設置された古いタイプの電気配線にも興味を持ちました。碍子(がいし)を使った屋内配線は私が子供の頃(半世紀前)には普通のことでした。
 
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本堂を経由して庫裏(僧坊)まで戻ったところで、「そうだ 京都、行こう。」のスタンプ台があることに気づきました。
 
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もちろん、十輪寺のパンフレットの余白を利用して慎重にスタンプを押すことは忘れません。
 
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本輪寺は洛西第三番観音霊場(第三番札所)でした。は政所(まんどころ)と書かれた木札が見えます。寺院では事務・雑務を取り扱う場所(つまり事務所)を指しますが、政(まつりごと)を執(と)り行う所の意ですから、一般的には政庁(役所)のことを言います。
 
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同行者は「幸運の色紙」にも興味を持ったようで受付に向いました。お大黒さん(住職の奥さん)と思われる女性が見せてくださいました様々な文字が書かれた色紙を見比べています。同行者が質問をしたことが切っ掛けとなって、ご住職、正しくは法主(ほっす)様、が玄関まで出てくださって、各々の色紙の意味をていねいに説明してくださいました。「三方普感の庭」に面した和室に掲げられた写真に写る国や異国情緒にあふれる多くのお面のことを私が訪ねると、待っていたようにスリランカ(旧セイロン)と仏教の交流を行っていることを説明してくださいました。
 
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お大黒さんは「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンに本輪寺が参加した経緯、観光客向けの寺院でないことによる地元との難しい関係、JR東海のテレビCM「本輪寺編」は関西で放送されていないことも教えて下さいました。近畿圏から車で訪れる観光客に本輪寺が対応できないことがその背景にあるとのこと。そして、10数台分のスペースがある専用駐車場も桜が咲くシーズン(3月中旬~)には利用できないそうです。注)昨日(3月28日)までに「なりひら桜」は開花がかなり進んだようです。

法主様は色紙を包むきれいな和紙に毛筆で参拝した日付(平成26年2月25日)と色紙に書かれた内容を表記してくださいました。
 
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「干支の馬」も面白いと思いながら、あれこれ迷った末に選んだ色紙はこれです。しかし、デフォルメされた文字は難しくて読めません。
 
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色紙の裏側に読める字で法主様に説明していただいた「円満也」(えんまんなり)が書かれていますから、読み方を忘れる心配は無用です。
 
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<同行者のコメント> JR東海のCMで何度も見た十輪寺のことを旦那様に教えると、私がねだったと思ったようで、突然十輪寺に行くことになりました。満開の枝垂れ桜を見たかったのですが、ベストタイミングを避ける習性のある旦那さまですから、これはかなわない願いだと思います。3月に入って十輪寺バージョンのCMは終ってしまったようです。でも、ネット上にアップされているCMのアーカイブならいつでも満開の枝垂れ桜を見られますよ。

2014年3月28日 (金)

「そうだ 京都、行こう。」 十輪寺 (Ⅱ)

遊歩道は右手に折れ曲がって、さらに高みへと続いています。
 
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本堂の裏手に差し掛かりました。本堂と渡り廊下に囲まれた中庭のような場所に背の高い木が見えます。有名な枝垂れ桜(しだれざくら)のようです。
 
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平安時代初期の貴族(平成天皇の孫)であり、伊勢物語に多くの和歌が収録されている在原業平の墓は意外なほど質素です。
 
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石段の先に立て看板が見えます。「塩がまの跡」のようです。
 
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小高い丘にあるこの「塩がまの跡」は業平が塩焼きの風流を楽しんだといわれる場所で、難波(大坂)から運んできた海水をここで煮詰め、海辺の風情を味わったということです。噴火口のように窪(くぼ)んだ底に再現された塩竃(しおがま)が設(しつら)えてあります。
 
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色男の代名詞とされる在原業平は、多くの高貴な女性たちとの恋に生きたと伝えられています。しかし、本当に愛したのはかつての恋人であり、清和天皇の皇太后(二条の后)になった藤原高子だけであるとも言われます。その藤原高子を想ってここにあった竃で塩を焼いたとする説があるようです。
 
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裏手から見ると塩竃と周りの雰囲気がよく分かります。
 
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遊歩道を戻って本堂へ向いました。
 
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十輪寺の建物が見渡せます。
 
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裏手から見た本堂の屋根
 
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遊歩道を下って本堂の前に出ました。
 
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本堂の屋根の上部にある鬼瓦とその下の装飾が不思議にバランスしています。
 
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そして、右手にある渡り廊下越しに枝垂(しだ)れ桜(なりひら桜)が見えました。渡り廊下の屋根の上に簡単な櫓(やぐら)のようなものを組んでさり気なく枝を支えています。
 
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本堂の階段を上がると、賽銭箱の上に願いごとを書く竹簡(ちっかん、1本100円)が置かれていました。
 
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鐘をつくことに興味を示さなかった同行者はその前に座り込んで、なにやら願いごとを書いています。「十輪寺は縁結び・安産・子授けにご利益がある寺だよ」と余計なことを言いそうになりましたが・・・。
 
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本堂に入ってお参りさせていただきました。十輪寺のご本尊である延命地蔵菩薩は、腹帯地蔵尊とも称され、子授け安産の御利益があるそうです。祭壇には黄金の釈迦像が2体置かれていました。受付でもらったパンフレットにはスリランカ釈迦仏(幸福の釈迦)と説明されています。ほかにも業平を描いた絵なども掛けられていましたが、本堂の内部を撮影できないことは残念でした。気を取り直して、右手にある渡り廊下へ向う途中、庭にある池を撮影。
 
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渡り廊下へ向います。
 
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その床は良く磨(みが)かれて鏡のよう光ってい
ます。
 
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(続く)

2014年3月27日 (木)

「そうだ 京都、行こう。」 十輪寺 (Ⅰ)

大坂に滞在していた同行者と合流して京都の西山を愛車で巡ることにしました。京都の東山は有名なお寺が多いことで知られていますが、「西山がどこか?」と聞かれて即答できる人はそれほど多くないでしょう。東山は洛中(らくちゅう、平安京があったエリア)の東にある山々(左京区の大文字山から伏見区の稲荷山まで)の総称、あるいはその地域を指すように、西山は洛中の西方にある山々だと言いたいところですが、それほど単純ではありません。

西山と言えば京都市西京区の山手から天王山の麓の乙訓郡大山崎町にかけて南北に広がる山地とその裾野一帯を指すことがあるようですが、一般的には京都市西京区と長岡京市にまたがる地域(西山地区)の呼称のようで西山を冠する公共施設が多数あります。そして、京都市西京区大原野にある西国二十番札所善峯寺(よしみねでら)・長岡京市粟生広谷にある光明寺(こうみょうじ)・長岡京市浄土谷にある楊谷寺(ようこくじ)の3つの寺院を西山三山、西山三山を結ぶ道を西山古道と呼ぶようです。ちなみに、善峯寺の山号が西山であり、光明寺は西山浄土宗の総本山、楊谷寺(別名柳谷観音)も西山浄土宗の寺院です。

今回の西山巡りでまず訪れるのは、2月中旬からテレビで流れたJR東海のCM(2014年春キャンペーン)に登場する小塩山十輪寺(じゅうりんじ)です。京都市西京区大原野小塩(おしお)町にあるこの寺(850年創建とされる)は平安時代の歌人在原業平(ありわらのなりひら)が晩年に隠棲地(いんせいち)としたことで知られ、在原業平にちなんで「なりひら寺(でら)」とも呼ばれるようです。

大坂府から京都府の長岡京市に入り、府道10号(丹波街道)にしたがって長岡天満宮の先で左折し、道幅が狭くなった府道10号で紅葉狩りに何度も訪れた光明寺の前を通過、京都市との境界にある交差点で府道208号へと左折、京都縦貫道の下を潜って十輪寺に到着しました。里山と呼ぶのがふさわしい地域です。参道入り口にある立て看板には、「王朝の襖絵(ふすまえ)を復興」「安産子授(こさずけ)」と書かれています。
 
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右手の急坂を上がった駐車場に車を停めました。なだらかな上り勾配(こうばい)の参道を進むと、天台宗勅願所十輪寺の名を掲げた小さな山門がありました。勅願所(ちょくがんじょ)とは、天皇の命令によって国家鎮護(ちんご)・皇室繁栄などを祈願(きがん)して建てられた神社や寺院です。
 
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山門を入った正面は庫裏(くり)のようです。天台宗の寺ですから僧坊と呼ぶべきかもしれません。右手にある受付で拝観料(一人400円)を納めて本堂前の庭へ向いました。
 
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庫裏(僧坊)と本堂を結ぶ渡り廊下の前に蝋梅(ろうばい)が咲いています。
 
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この椿(つばき)はまだ蕾(つぼみ)ですが、
 
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こちらの椿は開花しそうになっていました。
 
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庫裏(僧坊)前にある小さな池の先に本堂(府指定文化財)が見えます。屋根が特徴ある曲線美を見せています。
 
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正面から見た本堂の屋根は羽ばたく鳥にも似ています。
 
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木の枝が真横に伸びています。
 
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境内のひときわ大きなもみじは業平紅葉(なりひらもみじ)と名付けられています。今は葉がなくて枯れ木のようですが、秋には美しい紅葉が楽しめるそうです。
 
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大樟木(おおくすのき)
 
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名前通りの巨木です。
 
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振り返って庭の全景を撮影
 
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境内の奥に鐘楼がありました。本堂と同様に、江戸時代に造られたもので、府指定文化財です。
 
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鐘楼の反対側に回ってみました。立て看板には『不迷鐘(まよわずのかね) 自分で決心がつかず迷っている時、この鐘をつくと決心がつく不思議な鐘である』ことと鐘をつく作法が説明されていますので、同行者に水を向けましたが反応がありません。たぶん、迷いごとがないのでしょう。
 
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石仏が安置されていますが、説明らしきものは見当たりません。
 
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在原業平御墓・塩がま跡と表示された案内看板に従いました。本堂の裏手に続く遊歩道はなだらかな坂道になっています。
 
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遊歩道の脇に屋根瓦を利用したオブジェがあります。何を表現しているのでしょうか。
 
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(続く)

2014年3月25日 (火)

橘玲著『(日本人)』を読む 後編

5.コロンブスのタマゴ

「農耕というイノベーション」は温帯ベルトだけで文明を発祥させた。農耕社会の行動原理は狩猟採集社会と根本的に異なるものではないが、「土地への執着」がある農耕社会では「退出不可能性」があり、必然的に「妥協と全員一致」が不可避となる。しかし、農耕社会には「進歩」という概念がない。「進歩」や「発展」は、近代になってはじめて生まれた特殊な概念なのだ。旧石器時代の狩猟採集社会から始まったすべての人間社会は、いずれも「人間の本性」に基づいてつくられている。当然のことながら、タイの社会と日本の社会が似ているのも偶然ではない。世の東西を問わず、すべての農耕社会は似ているのだ。

6.東洋人の脳、西洋人の脳

日本人とアメリカ人を対象に行われた調査の結果、両者に個人として本質的な違いがあるのではなく、それぞれのデフォルト戦略が違うと考えられた。デフォルト(OSの初期設定)戦略の違いはひとびとが生きている社会すなわち環境が異なることによって生じるのだ。アメリカ社会では、自己主張をしない人間は存在しないと同じだと見なされるから、迷ったら自己主張をする、というのが生存のための最適戦略になる。それに対して日本では、下手に目立つとロクなことがない、と考えられている。このような社会では、迷ったら他人と同じことをしておく、というのが最適戦略になるだろう。

同様に、アメリカ人と東洋人(日本・韓国・中国など)を比較する実験でも、両者に行動文法や記憶の仕方、自己認識などさまざまな面で明瞭なちがいがあったという。この世界認識のちがいが、西洋人が「個人」や「論理」を重視し、東洋人が「集団」や「人間関係」を気にする理由になっている。しかし、西洋人と東洋人のこのちがいはあくまでも文化的なものなのだ。

7.空気と水

日本は、「空気=世間」と「水=世俗」というふたつの相反する原理で動いている。もちろんこれはどんな社会にもいえることだが、あえて「日本人の特徴」を挙げるとすれば、アメリカの政治学者ロナルド・イングルハートが行った価値観調査などから明らかなように、その世俗性がきわめて強いことだ。黒船の来訪(明治維新)と敗戦という大きな変化を経験したが、日本人は有史以来、世間のしがらみに絡(から)めとられながらも、現世を楽しく生きること(損得勘定)がすべてだと考えてきたのだ。これは日本人が家族や友人の期待に反しても「自分らしく」生きたいと考えていることは、韓国人や中国人と大きく異なるだけではなく、家族から自分のことを誇りに思ってもらいたいと思っているアメリカ人とも異なっている。

8.「水」からみた日本論

地縁・血縁を捨てた日本人は、「一人一世帯」という特異な文化(単身赴任、ワンルームマンション)を持ち、たまたま出会った場所(学校・会社・ママ友)で共同体をつくるため、よいとか悪いとかではなく、「無縁社会」は日本人の運命である。

PARTGLOBAL(省略)

PARTUTOPIA(最後の2章のみ)

19.電脳空間の評判経済

グローバル資本主義が大きな転換点を迎えている現在、私たちが生きる未来がどのようになるかを考える前に、まずお金と評判を比較して、「お金は限界効用が低減するが、評判は限界効用が逓増する」と断じた。それは評判こそが社会的な動物である人間が求める「本当の価値」であり、貨幣と評判のトレードオフではほとんどの人が評判を選択すると著者はいう。

ただし、評判が貨幣に優先するのは十分なお金をもっているひとの場合であり、ほとんどのひとは貨幣と評判を天秤にかけながら、すこしでもゆたかになりたいと努力するほかはない。資本主義というのは、「ゆたかになりたいという欲望」と「貧しくなることへの恐怖」によって自己増殖するシステムだ。こうした経済行為の集積が、「グローバル資本主義」となって世界を動かし、その自己増殖は原理的には外的な制約(化石燃料の枯渇・環境破壊)に達するまで止まらない。

著者はインターネットの世界で一般的になったネットオークションにおける出展者の評判を可視化(アーキテクチャーを設計)することによって自然に生まれる道徳的な振る舞いを事例に取り上げ、「評判経済」が自己増殖する資本主義を抑制する可能性をもつと著者はいう。評判経済が成立すると、ひとはこれまでよりもずっと少ない貨幣で満足し、それ以降は評判を獲得することに夢中になるはずだとも。

その後にやってくる「ぼくたちの未来」は、大量生産される商品を大量消費・大量廃棄する時代から、お互いのモノやサービスを共有することで「より効率的で人間的で環境にやさしい」ライフスタイルを実現すると予言したレイチェル・ボッツマンとルー・ロジャースの著作「シェア」を引用した。カーシェアやルームシェア、カウチシェア、ハウス・エクスチェンジなどにより、生きていくのに必要な貨幣の量をかなり節約できる。だがこの「シェア市場」に参加するためには、自分の評判を相手が確認できるようにしておかなければならない。

この評判確認装置のデファクトスタンダード(事実上の標準)になることがフェイスブックの戦略である。フェイスブックの目指すユートピアでは、貨幣よりも評判の獲得を目指すアーキテクチャーによって、本人の意思にかかわらず誰もが善人になる(善人になるほかない)。そのときグローバル資本主義の自己増殖運動は停止し、近代のパラダイム(枠組み)は意味を失って、誰も見たことのないポストモダンが始まるだろう。

20.自由のユートピア

「日本人」を論ずるひとたちには、大きくふたつの立場に分かれる。ひとつは、世俗性を抑えてより伝統を重視すべきだという保守主義や伝統主義だ。政治哲学でコミュタリアニズムと呼ばれるこうした主張は、ヨーロッパのプロテスタント圏(私中心主義社会の北欧を除く)やカトリック圏の国々と同じような価値観を目指すものである。もうひとつは、アメリカなどアングロサクソンの国々と同様にグローバルスタンダードで社会を運営していくべきだという近代主義である。政治哲学ではリベラリズムになるが、ヨーロッパ・プロテスタント圏の国民よりもずっと伝統的価値にこだわっている。

このふたつの主張は、明治維新以来、日本人の理想が欧米すなわちヨーロッパとアメリカにあったことを踏襲している。日本人の「夢」は、明治から1世紀半たってもなにひとつ変わらないのだ。しかし、イングルハートは、この価値観マップで「異なる文化圏は重なり合わない」という重要な発見をしており、中国・韓国・台湾とともに儒教圏に属する日本人が、教育や啓蒙などの外的なちからで短期間にヨーロッパ・プロテスタント圏や英語圏の価値観に変われるはずはない。

だとすれば、私たち日本人に残された希望は、今の世俗性を維持したまま自由な自己表現のできることにしかなく、それはロバート・ノージックの夢見た「ユートピアのためのフレームワーク」が実現可能な唯一の場所に違いないいと著者はいう。

                               ☆

日本人を内部からではなく、さまざまなグローバルの視点からから捉えようとする切り口は興味深く、著者がどのように日本人論を集約するのかに興味をもって読み進みましたが、予想を超えた広範な展開には少なからず惑わされました。

日本人の特異性を論じて自己満足に陥る風潮に逆らって、日本が普通のアジアの一員であることを示すとともに、経済面での成功とその限界を論理的に解説することで日本人には辛(つら)い現実を突きつける異色の啓蒙書籍だと思いました。

しかし、終盤で提示された「自由なユートピアへ」における結論(著者の希望)はさほどの意外性を感じませんが、本書を通じて著者が強調した「グローバルな世界」と「自由なユートピア」がどのように共存できるのかについてはまったく示されなかったことは少し残念です。

あとがきで著者は、「これから10年以内に、私たちは大きな社会的・経済的な動乱を経験することになるだろう」と予言し、「国家に依存しない経済的に自立した自由な個人だけが、その混乱のなかで、ユートピアへと達する道、すなわちエヴァンゲリオン(福音)を伝えることができるのだ」と期待(夢)を述べたことが印象に残りました。□

2014年3月24日 (月)

橘玲著『(日本人)』を読む 前編

テレビ東京の経済情報番組ワールドビジネスサテライト(WBS)の「スミスの本棚」のコーナー(2月12日放送)にてLINEの森川亮(あきら)社長が紹介された経済小説作家橘玲(たちばなれい)氏の著作『(日本人)』(かっこにっぽんじんと読む)に興味を持ちました。

現在、3億人以上が利用するコミュニケーションサービスの「LINE」をさらに全世界で展開させようとしている森川氏は、「日本のことをもっと知らないと海外のことが分からないと思い、この本を手に取った」そうです。そして、「日本人が実は非常に合理性が高く、組織があまり好きではなくて、孤独が好きであることが書いてある。アメリカの学者の研究によると、日本人は他のどの国民よりも損得勘定を考え、合理的で世俗的なのだそうです」と補足説明。「この本に書いてあることが正しいとしたら、学校や会社といった組織からはみ出ると『損』な環境だからこそ、日本人は新しいことを言わないようになっている気がする。逆にいうと、環境が変われば日本人はきっと変わる。日本の企業から業界を変えるようなイノベーションが生まれない理由も、そこにあるのではないか」と続けました。

つまり、「会社が村みたいになっているからイノベーションが生まれない」「変わった人こそが評価されるような企業文化、仕組みに変えていく必要がある」「合理的な日本人。さまざまな価値観が存在するグローバル社会でも十分に通用するはずだ」、と森川さんは考えます。「たとえば意見を戦わせて相手を打ち負かす欧米流は勝ち負けが明確になるため問題も起きる。日本人は調整力が非常に強く、相手の意見をうまく持ち上げながら、結果的に思うように動かせるような力があるのではないか」と森川さんいうのです。好奇心を大いに刺激された私は『(日本人)』読んでみたくなりました。

本題に入る前の余談です。今年の1月下旬のことですが、テレビ東京の人気番組”WBS”のメインキャスターが3月31日(月)から同社の大江麻理子(まりこ)アナウンサーへ変わることが発表されました。1年近く前、大江さんがテレビ東京のニューヨーク支局へ転勤になった頃に噂されていたことが現実となったのです。私の好きな大江さんが”WBS”でさらに活躍をされることを期待しています。

                           ☆

2012年5月10日に幻冬舎から発行された『(日本人)』の表紙は白地に大きな赤い括弧で囲まれた”日本人”の黒文字が際立っている。

中表紙をめくった「はじめに」で著者は『日本人をカッコに入れる』という。3・11東日本大震災と福島第1原発事故のあと、さまざまな人たちが「日本」と「日本人」を論じたが、その論旨は、『日本の被災者は世界を感動させ、日本の政治は国民を絶望させた』であり、ここには2種類の、まったく異なる日本人がいるという。著者は「世界価値観調査(World Values Survey)」(2005年)を引用して、全82問のなかで、日本人が他の国々と比べて大きく異なっている項目が3つあると指摘する。

1つ目の項目「もし戦争という事態になったら、あなたは進んでわが国のために戦うか?」にはわずか15.1%の日本人が「はい」と答えただけであり、飛び離れた最下位である。2つ目の項目「あなたは日本人であることにどれくらい誇りをかんじるか?」に「非常に感じる」「かなり感じる」と答えた人の比率は57.4%と、香港の49%に次いで低い。ドイツも日本に次いで低い比率を示していることから、著者は第二次世界大戦の敗戦体験が強く影響していることは明らかだという。

さらに、3つ目の項目「近い将来起こると思われるいろいろな生活様式の変化が起こった場合、あなたはどう思うか?」では、「権威や権力がより尊重される」について「よいこと」と回答した人の比率は先進諸国だけを見ても、フランス人(84.9%)、イギリス人(76.1%)、アメリカ人(59.2%)、ドイツ人(49.8%)と高く、権威的な体制への批判が噴出する中国ですら43.3%であるのに対し、日本人はわずか3.2%にしか過ぎない。逆に80.3%が「悪いこと」と回答している。日本人は世界のなかでダントツに権威や権力が嫌いな国民だったのだ。

やはり戦争体験の影響があるだろうが、著者はそれでも謎は残るという。敗戦で同様に悲惨な体験をしたドイツ人でも約半分のひとが「権威や権力は尊重すべき」と答えているからだ。著者は『この「謎」を出発点に、私たちは何者で、どのような社会に生きているのかを解明し、そこでは進化心理学の知見が私たちの旅を助けてくれるだろう』との考えを述べる。『日本人をカッコに入れる一番の効用は国家や国民という既成の枠組みから離れることで、世の中で起きているさまざまな出来事をシンプルに理解できるようになることだ』ともいう。

                            ☆

著者は本文の0章を「ほほえみの話」で始めた。「福島第一原子力発電所で1号機と3号機が相次いで水素爆発を起こし、状況が時々刻々と悪化するなか、公式情報を伝える審議官の表情はいつもかすかにほほえんでいるように見えた。記者の質問を受けて、一瞬、笑みがこぼれることもあった」と著者はいう。

次いで、タイにある13種類のイム(ほほえみ)のエピソードを引用して、「勝ち目のないたたかいに直面した時のほほえみが多様なコミュニケーションが行われていることを指摘する。そして、「空気を読む」(タイ語でグレンチャイという)ことも日本とタイで共通する行動であるという。

私たちの社会の文化や習俗、行動規範のなかで日本的とされるものの大半は、じつはアジア世界ではありふれたものにすぎないではなかろうかと著者はいう。

PART LOCAL

1. 武士道とエヴァンゲリオン

冒頭、著者は自身が持つ疑問として、90年代を代表するアニメ作品となった「新世紀エヴァンゲリオン」が一部のマニアを超えて、社会現象となるほどまで広く受け入れられたのかを提示した。唐突に感じられるが著者が結論の伏線としたことが最後まで読むと理解される。

次いで、2003年に数学者・藤原正彦氏の「国家の品格」が発売され、200万部を超える大ベストセラーになったことを振り返った。国際人である藤原氏が書いた同書は偏狭なナショナリズム(愛国心)を排し、故郷を愛するパトリオティズム(祖国愛)を説いた穏当な保守主義の本である。しかし、祖国を破壊する敵の正体を「市場原理主義」と決めつけたことと、近代的な合理性に対して「武士道精神」を対峙させたことは経済学の観点から議論が分かれるという。

しかし、貨幣空間(市場の論理)の侵食に対して政治空間の論理(統治の論理)で対抗するしかなく、それがいかに古風でバカバカしく見えても、私たちは武士道という「最終兵器」で戦うしかない。このシンプルな構図を提供したことで「国家の品格」は日本人のこころをとらえたのだ」と著者はしめくくった。

2.「日本人」というオリエンタリズム

社会は「政治空間」(人間関係でできた共同体)と「貨幣空間」(モノとお金のやり取りでつながる世界)から構成されている。市場原理主義(グローバリズム)とは貨幣空間が政治空間を侵食することである。逆に、アンチグローバリズムとは貨幣空間の侵食(市場の論理)に対して、統治の論理で対抗しようとすることである。武士道は日本版の統治の論理であり、日本人とは明治維新の後、西洋との接触によって人工的につくられた自画像(オリエりンタリズム)である。

3.「愛の不毛」を進化論で説明する

「確率のトリック」を利用した詐欺を詳しく解説。当たり馬券の予想屋(実は詐欺師)が秘密の競馬必勝法を知っているにちがいないと信じ込ませる巧妙な手口だ。偶然当たった人びとのもとに、『次の当たり馬券も知りたくないか?でもこんどは、ちゃんとカネを払えよ』と書かれたメールが送られてくる。これは、ずいぶん前にアメリカで流行した詐欺の手口だ。このトリックは国籍や人種に関係のない「人間の本性」を利用しているのだ。その本性とは、『ヒトは確率的な出来事をうまく理解できない』というものだ。

4.「人間の本性」は進化から生まれた

「脳にプレインストールされた因果律」「確率世界と複雑性世界」「乱交と純愛」「病気はなぜあるか」「若さの源泉としての老化」の各項目についてわかりやすく解説した。生物の基本原理として、脳のOSは原因と結果が対応する因果律であり、確率的な事象や複雑系の世界を処理できない。生物はより多くの子孫を残すように進化したように、ヒトのこころ(感情)もより多くの子孫を残すように愛情へと進化してきた。男と女の生殖機能のちがいが愛し方のちがいを生む。オスがメスを獲得するには、他部族と交換するか、他部族から奪ってくるしかない。そして、「神」は脳のプログラムから偶然生まれたという。
 
(続く)

2014年3月20日 (木)

高速バスの旅(高松駅→大阪駅)Ⅲ

いよいよ明石海峡大橋を渡ります。
 
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長さ3911m、主塔の高さは198.3m、最大支間長1991mで、1998年開通に開通して以来、世界最長の吊り橋の地位を維持しています。
 
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主塔の影が路面に長く伸びています。
 
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明石海峡大橋を渡りきると神戸淡路鳴門自動車道は舞子トンネルに入ります。2年半前に明石海峡大橋(明石側)の舞子海上プロムナード(遊歩道)を歩いたことがあります。
 
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垂水JCT/ICでは第二神明北線が分岐しますが、高速バスは神戸淡路鳴門自動車道をそのまま直進しました。この周辺は高速道路の分岐と合流が多くて、ルートを選択する上で紛(まぎ)らわしくなっています。
 
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「布施畑(ふせはた)JCT 2km」の案内標識が現れました。
   
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布施畑JCTで神戸淡路鳴門自動車道と阪神高速7号北神戸線が分岐しますが、どちらのルートを選ぶのかが気になります。
 
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阪神高速の方でした。
 
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箕谷(みのたに)出口方面にそれました。
 
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新神戸トンネルへ向うようです。
 
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六甲山地を貫通する第2新神戸トンネルは長さが8055mもあって、市町村道では日本最長だそうです。「第2」が名称の先頭についていることから第1新神戸トンネルもあるかと思って調べてみました。じつは、上り(南行き)と下り(北行き)は別のトンネルとして建設されたことで、北行きの名称は『第1」が付かない新神戸トンネルでした。ちなみに、このトンネルは平成24年10月に神戸市道路公社から阪神高速へ移管されて阪神高速32号神戸トンネルとなりました。
 
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山陽新幹線新神戸駅への出口を通過すると、ほどなく第2新神戸トンネルを出て一般道に入りました。
 
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高速バスは阪神高速3号線を過ぎてそのまま直進しました。次の港島トンネル北交差点を左折するようです。ここも直進すれば港島トンネルを経て神戸空港へ行けます。
 
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港湾幹線道路に並行する道を進んで摩耶(まや)大橋を渡りました。
 
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摩耶大橋を渡り終えたところで港湾幹線道路に入ります。この道路は神戸市が管理する有料道路ですが、阪神高速5号湾岸線に接続しているようです。
 
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摩耶山から六甲山に続く山並みが広がりました。
 
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住吉浜入口から阪神高速5号湾岸線に入ります。
 
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北港JCTで阪神高速5号湾岸線から阪神高速2号淀川左岸線(ユニバーサルスタジオ方面)へそれるようです。
 
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阪神高速2号淀川左岸線の大開(おおひらき)出入口を出て北港通りに入りました。
 
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福島区役所の前を通過し、阪神電鉄の野田駅前で国道2号に合流しました。出入橋交差点を左折し、梅田2西交差点と梅田2中交差点を通過して、定刻通りの午後5時9分に大阪駅桜橋口の高速バス乗り場へ到着しました。時刻表を守りながら高速道路と一般道を3時間あまりスムーズに走行した運転手さんの運転能力に感心させられました。
 
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(終)

2014年3月19日 (水)

高速バスの旅(高松駅→大阪駅)Ⅱ

鳴門ICを通過すると、左手に見覚えのある吊り橋が見えました。小鳴門橋です。四国遍路を始めた時に大鳴門橋へ行くために利用し、そして遍路終えて帰宅する時にもこの橋を通過して鳴門北ICから神戸淡路なると自動車道の大鳴門橋に入ったことがあります。
 
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第2鳴門トンネルと第1鳴門トンネルを続けて通過
 
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前方に大鳴門橋が見えて来ました。風速4mと表示されていますから、バスが揺(ゆ)れることはなさそうです。
 
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いよいよ大鳴門橋に差し掛かりました。1985年に開通した大鳴門橋の長さは1629m、主塔の高さ144.3m、最大支間長876mです。
 
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鳴門海峡を見下ろすと渦の種のような動きが確認できます。対岸(淡路島)に見えるのは南あわじ市にある風力発電所のCEF南あわじウインドファームです。全部で15基の風車があり、地元で消費する電力を発生させるとともに、観光資源の開発につながることを南あわじ市は期待しているそうです。直射日光に影響で車内が窓ガラスに写りこんでしまいました。
 
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大鳴門橋の中央部に差し掛かりました。
 
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鳴門海峡をもう一枚 
 
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淡路島(南あわじ市)に入りました。前方にある陸橋は淡路島南ICへのアクセス道路になっている県道25号のようです。
 
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あわじ市阿那珂(あなが)の伊毘(いび)港から「うずしお観潮クルージング船」が出ているようです。鳴門市の亀浦観光港(鳴門北ICの近く)からも観潮船が出ています。
 
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西淡三原(せいだんみはら)ICを通過
 
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さらに洲本ICと津名ICも通過
 
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高速バスは淡路島の西海岸に近い室津PAに入って一時休憩をするようです。
 
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播磨灘にはブイが並んでいます。室津は牡蠣(かき)で有名ですから、その養殖場でしょう。
 
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養殖場の沖合いでは2隻(せき)の貨物船がすれ違っています。神戸-坂出航路のようです。
 
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出発時間が近づきましたのでバスに戻りました。サイドボディーに大きな足が描かれていますから迷うことはありません。
 
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北淡(ほくだん)ICを通過すると神戸淡路鳴門自動車道は淡路島の東岸に出ました。前方に神戸の市街地が見えます。左端(青い案内標識の先)の山上には須磨浦(すまうら)公園のロープウェイも確認できます。
 
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大きく左カーブすると明石海峡大橋の全景が見えました。観覧車があるのはその手前の淡路SAです。私が知る限りにおいて高速道路のSA/PAで観覧車があるのは、ここ淡路SAと伊勢湾岸自動車道の刈谷ハイウェイオアシス、そして東海北陸自動車道の川島PAの3カ所のようです。四国遍路(2回目の区切り打ち)で淡路SAに立ち寄った時に「くぎ煮めし」を食べたことがあります。
 
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今度は大きく右カーブして淡路海峡大橋へ向います。第二神明道路は神戸方面で渋滞しているようです。阪神高速道路3号神戸線の三宮(京橋PA)まで約20kmを走行するのに45分かかると表示されています。
 
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(続く)

2014年3月18日 (火)

高速バスの旅(高松駅→大阪駅)Ⅰ

今回の出張は昼過ぎにすべての予定が終りました。夕方まで高松を散策してもよいのですが、思い立って高速バスを利用することにしました。高松駅から大阪駅まではいつも利用するマリンラーナー(岡山駅行き)と山陽新幹線(自由席)を利用すれば約2時間、6910円です。高速バスの場合は所要時間が約3時間20分と2倍近くかかりますが、料金(全席指定)は4000円弱と半額強と割安なのです。初日に見かけた高速バスターミナルへ向いました。じつは高速バスに乗るのはこれが初めての経験です。

大阪行きの路線はJR四国バス(JR四国バス・西日本JRバス・阪急の共同運行)とフットバス(高松エクスプレスと南海バスと共同運行)2つのバス会社が運行していることが分かりました。便数の多い前者の料金は3900円、後者は3800円と微妙な差があります。ちょうどJR四国バスが出たところでしたから、フットバスの乗車券をカウンターで購入しました。
 
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席の希望を訊(き)かれましたので、助手席側の最前列(1A)を指定しました。
 
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発券カウンターの横にある待合室でしばらく待っていると、目の前のバス停(3番)に大阪駅行きのバスが到着しました。
 
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乗車して指定された座席に座ってみるとフロントガラスは大きくて、期待通りに前方の視界は良好です。運転席にはブラインド風が取り付けられています。乗客は私を含めて5-6名と少なくので大坂駅までの3時間あまりをくつろいで過ごせそうです。
 
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定刻に出発した大阪駅行き高速バスは県庁通り、栗林公園前、ゆめタウン高松で一時停車したあと、上天神町交差点を左折して、頭上に高松自動車道が走る「さぬき夢街道」(国道11号)に入りました。ちなみに、国道11号は徳島と松山を結ぶ四国の主要道ですが、これと並走する高松自動車道も国道11号ですから、国道1号などと同様にややこしくなっています。
 
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高松中央ICから高松自動車道へ入るようです。
 
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高松中央ICの料金所を通過
 
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もちろん神戸方面へ向います。
 
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高松自動車道の本線に入ると片側2車線の快適な道路が続いていました。前方に讃岐(高松)平野らいしい小山が並んでいます。
 
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高松東ICを通過して、山が近づくと高松自動車道は片側1車線になりました。
 
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白鳥大内ICの手前で片側2車線に戻りました。路線バスの三木停留所を過ぎると隣のさぬき市に入って志度停留所に一時停車。
 
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志度湾が見えます。
 
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志度ICで道幅が片側1車線に狭まりました。津田松原SAに立ち寄るようです。
 
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津田の松原SAの様子
 
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津田海岸が間近に見えます。村上春樹氏の小説「海辺のカフカ」は東京から夜行バスに乗って高松を訪れた主人公の少年が高松市周辺と高知県で、時空間を越えた不思議な体験をする(あるいは幻覚を覚える)ことを書いた幻想的な小説ですが、津田の海水浴場を描いた絵画が登場します。
 
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さぬき市から東かがわ市に移る場所に、木立に囲まれた段々畑が見えます。左手に見える半島のようなものは「鵜部の鼻」(うべのはな)のようです。
 
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大内と引田の停留所に立ち寄ったあと、香川県と徳島県の県境にある大坂トンネルに入ります。四国遍路をしたときに通過した難所の大坂峠が近くにあるはずです。
 
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県境はトンネルのほぼ中央にあるはず(下り車線側にあることを確認)ですが、トンネルを出たところに徳島県板野町に入ったことを示す案内標識がありました。
 
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続いて北唱谷(きたとなえだに)トンネルと南唱谷トンネルを通過します。
 
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高松自動車道は片側2車線に幅が広がって板野藍住(いたのあいずみ)ICに差し掛かりました。
 
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1kmほどで鳴門市に入って、さらに1km先の鳴門西停留所で一時停車しました。ここでも乗り降りする乗客はいないようです。
 
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(続く)

2014年3月14日 (金)

讃岐うどんの名店@高松をもう2軒巡る

宿泊したホテルがある栗林公園前からバスに乗りました。バスが走り始める時間を考えて、ちょうど午前7時にホテルを出ましたが、バス停の時刻表を確認すると目的地の近く(八本松停留所)を通るショッピング・レインボウ循環バスの始発は午前7時47分発で、目的地の少し手前(中新町停留所)で東へそれる日生ニュータウン線(県民ホール行き)も7時16分まで待つ必要がありました。

中新町停留所でバスを下車。国道11号(中央通り)の地下通路を抜けて県道33号(観光通り)を西へ200mあまり歩き、香川県保険衛生センターと高松香川大学付属高松小学校の間にある路地に入って北へ約150m歩いた交差点の左手前、3軒目に目指す「手打ちうどんさか枝(えだ)」の看板を見つけました。
 
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午前7時半に「さか枝」に入ると、社員食堂のように横長テーブルが2列とカウンター席が並んでいました。全部で50席ほどあるようですが、店内はまだ空き席が目立ちます。
 
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右手の奥へ進むとカウンター脇にある食器棚のなかに食品サンプルのようにお稲荷さんやおにぎりが並べてあります。定食屋の要領で好きなものを取ってトレー上に載せるシステムです。
 
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主なメニューはかけうどん大(230円)、同中(200円)、同小(170円)、天ぷら各種(80円)、ぶっかけ大(250円)、同中(230円)、同小(190円)、ざるうどん大(250円)、同中(230円)、釜揚げうどん大(250円)、同中(230円)、同小(190円)、釜玉うどん大(350円)、同中(310円)、すし(120円)、むすび(100円)などですが、いずれも格安の値段です。
 
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うどんの種類(かまあげ、かけ)と大きさ(大、中、小)の組み合わせをカウンターで告げると、うどんの玉をどんぶりに入れてくれて、カウンターの右手にある湯溜めで「てぼ」(鉄砲ざる)を使って茹(ゆ)でるように教えられました。天ぷら類もここで注文します。讃岐以外のセルフうどん店(844店舗を誇るセルフうどんの丸亀製麺など)では店員がやってくれる作業ですが、ここは讃岐でも珍しいフルセルフサービスのうどん店なのです。
 
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次いで好きな薬味(無料)を好きなだけトッピングします。天かす、青ネギ、粒ゴマ、ショウガ、ネリワサビが並んでいます。
 
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仕上げはうどんを入れたどんぶりに給湯器のようなものからスープを注ぎます。アジの天ぷらを選んだ私はうどんの上にのせましたが、スープで柔らかくなるのが気になる方は別に小皿を利用するとよいでしょう。
 
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仕事をする前にお稲荷さん(2個、120円)を食べるのが私の習慣(験担ぎ)なのです。つまり、信心深かった親の影響で、油揚げ(お稲荷さん)は商売繁盛のご利益とともに滑舌(かつぜつ)が良くなる効用があると私は昔から信じています。
 
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かけうどんの大(230円)、同小(170円)とイワシの天ぷら(80円)の組み合わせは朝食としてちょうど良いボリュームで、うどんと天ぷらの異なる食感を楽しみました
 
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「さか枝(えだ)製麺」の情報
住所:高松市番町5-2-23(高松駅から約1.4km)
営業時間:6:00-15:00(日曜・休日が定休日)
 
                            ☆

仕事を無事に終えたあとの昼食ももちろん讃岐うどんです。「手打ち十段 うどんバカ一代」は琴電長尾線花園駅から北へ徒歩約4分(約400m)、県道43号(観光通り)北側の住宅地にあります。
 
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他の客に続いて店内に入りました。
 
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店内に入ると鴨居に掛けられた多数の色紙が目に入りました。小上がりとテーブル席が計40席あまりあります。
 
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同店のhpによると、第1位「ぶっかけうどん」、第2位「ざるうどん」、第3位「釜バターうどん」のようです。
 
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カウンターには各種天ぷらが並べられています。この店はトッピングを選ぶのはセルフですが、店員さんがうどんは茹でて、スープも入れてくれるセミセルフのシステムです。
 
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私は珍しい「梅うどん(温小)」(350円)にかき揚げ(100円)を注文しました。
 
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梅干が食欲を増進し、パリッとした食感のかき揚がうどんと良くマッチしています。前日の昼食に続いて2日目も朝食・昼食とも讃岐うどんをハシゴする大満足の高松出張になりました。

「手打ち十段 うどんバカ一代」の情報
住所:高松市多賀町1-6-7(花園駅から約400m)
営業時間:6001800(年中無休)

2014年3月11日 (火)

今年も高松市へ 峰山公園の古墳群Ⅶ (終)

前方に住宅地が見えてきました。そして左手に桜並木のようなものが続いています。
 
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こちらが今下りてきたばかりの急坂です。
 
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その道はブロック塀の脇に続いていました。(その途中で振り返って撮影)
 
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下方に自動車道が見えてきました。古墳群を巡る道が自動車道のどこに出るのかがいよいよ分かると思うと、私のなかで期待が高まりました。
 
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そこにはお城のように立派な石垣がありました。思いもよらぬ場所です。しかし、この入口を事前に知っていたとしても、足元の悪いこの急坂を上ることは山歩きに自信がある方以外にはお勧めしません。
 
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この会社の看板には見覚えがあります。曲がりくねった自動車道を歩いて、最初に通り抜けた集落の入口にある大きな石垣は一際目立っていました。
 
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自動車道を少し下ると、V字型をした摺鉢谷越しに、高松の市街地(高松駅周辺)と瀬戸内海が望めます。
 
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急坂を一気に下りたことでついに膝(ひざ)が笑い始めましたので、墓地の中をショートカットすることにしました。
 
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墓地の入口は不動明王院の参道入口にもなっています。
 
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往きはそれほどでもなかった自動車道の勾配(こうばい)を膝で感じながら市民病院まで戻ります。路傍に石碑があるのを見つけて、車道側に回ってみました。『皇太子殿下御降誕記念』で建てられた道標でした。
 
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当初の計画では市民病院から栗林公園の前にある宿泊先までの約1.8kmを歩く予定でしたが、その気力はとうに失せてしまい、高松駅でバスを乗り継ぐことにしました。高松駅前のバスロータリーの隣にある噴水池のような「海水池」の名前に惹(ひ)かれ手立ち寄りました。
 
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『瀬戸内海(高松港)から水路で海水を引き込み、海と同じように波や潮汐(ちょうせき)をおこして瀬戸のおだやかな砂浜や磯辺(いそべ)と小動物の生態系を駅前に再現し、海を身近に感じられる憩いの場である』と説明されています。
 
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軽く夕食を摂(と)るためマリタイムプラザ高松に入りました。3階にレストラン&カフェ・エリアがあるようです。その案内板を見ているうちに坦々麺が急に食べたくなりました。通路脇の壁にパネルが並んでいます。『支那そば讃岐(さぬき)ロックは、香川県の特産物を使ったラーメンを造りたい、うどん以外の香川間を全国にひろめたい、そんな気持ちから生まれた。地鶏、讃岐コーチンの丸鶏とガラ、日本一と言われる伊吹島のいりこ、そして小豆島醤油、瀬戸内海と讃岐の大地の恵みが作ったラーメンです』と説明されていますが、そのメニューの営業は終了したようです。
 
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その隣には陳建一・建太郎親子の写真パネルも
 
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坦々麺のほかに各種の中華メニューがあるようです。
 
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入口脇にある自販機でチケットを購入するシステムです。自販機の反対側に置かれたものが気になって確認するとペットバスケットでした。
 
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ミニ坦々麺(500円)は普通サイズ(750円)の半分ほどの器に入っていますが、普通サイズと同様にご飯が付いてきました。
 
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ピリカラの味が美味しくてご飯が欲しくなり、私にはちょうど良いボリュームでした。ここでプチ薀蓄(うんちく)です。坦々麺の名前が奇妙だとずっと思っていました。調べると「坦々」は四川の方言で天秤棒(てんびんぼう)を意味し、天秤棒に道具をぶら下げ、担(かつ)いで売り歩いた麺料理であることからこの名が付いたそうです。□

2014年3月10日 (月)

今年も高松市へ 峰山公園の古墳群Ⅵ

脇道は遊歩道と呼んでも良いような幅員(ふくいん)になりました。右手に木も切り株がいくつもあります。松くい虫に冒(おか)された松の木かもしれません。
 
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いよいよ1番「北大塚古墳」が現れました。全長40mの前方後円墳で隣接したいずれも小型の北大塚東古墳と北大塚西古墳を従えて、ほぼ東西(4時-10時)方向に伸びる極端に長いともいえる古墳です。います。『摺鉢谷(するばちだに)を取り巻く稜線(りょうせん)の北端に位置しており、接近して造られた前方後円墳2基と方墳1基の3基(いずれも積石塚)からなる。中央部の前方後円墳は全長約40mの規模を持ち、一部が崩壊しているものの形状をよく残している。東側に存在する古墳は石清尾山古墳群中でただ一基、確認されている方墳である』と説明されていました。
 
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前方に見えてきたのは北大塚東古墳(方墳)のようです。
 
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その上部に上がってみると縦方向に細長く伸びる石積みが確認できました。
 
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前方に一段と高くなった場所があります。北大塚古墳の後円部のようです。
 
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そこに上がってみると、その先にはまた低い場所が続きます。
 
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少し上方を見ると石清尾山方面が良く見えました。
 
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石清尾山の稜線を左に移動した場所に建物のようなものが見えます。気になってズームアップすると、やっと分かりました。マイクロ波の反射板(リフレクター)を組み合わせた無給電中継装置のようです。合わせ鏡のようにマイクロ波の進行方向を自在に変えられる仕組みで、中継器用の電源が要らない利点から山間地でよく利用されます。
 
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女木島と男木島方面
 
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高松駅と屋島方面
 
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歩いてきた東方向を振り返ってみました。立ち木の横当りが前方部でしょう。
 
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北大塚古墳の案内看板の場所まで戻って、古墳の左手に伸びる脇道を歩くと、北大塚古墳の後円部の先に出ました。北大塚西古墳のようです。上部の様子を確認したいところですが、この写真で十分でしょう。ここまで2時間あまりをかけて石清尾山古墳群にある9カ所(計11基)の古墳を無事に回り終えることができました。
 
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後先になりましたが、ここで石清尾山古墳群を俯瞰(ふかん)することにします。石清尾山古墳群は4世紀から7世紀にかけて造られた20基あまりの古墳があるそうです。4-5世紀にかけて造られた積石塚は全国的にも珍しく、形状が特異である双方中円古墳もある貴重な文化財といえます。積石塚古墳が出現した理由は、石清尾山では石(安山岩)を得やすかったためとする説と、積石塚は多く所在する朝鮮半島から渡来したとする説があるようですが、多数の古墳が築造された背景には大豪族(秦氏・綾氏などの渡来人を含む)がいたことは確かでしょう。5世紀の中頃になると積石塚は規模が縮小され、形状も円墳となって、さらに5世紀の終わりごろになると、もはや積石塚古墳は造られなくなる石清尾山の豪族が衰退したことを示していると思われます。

脇道は左方向へ緩(ゆる)やかにカーブしながら下方に下って行くようです。
 
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脇道を下りる降りる前に思い立って少しだけ右手へ入ってみることにすると、するととつぜん視界が広がました。見覚えのある自動車道と滝不動がある摺鉢谷(すりばちだに)です。往きに自動車道を歩きながら見上げた小山(8枚目の写真)の頂上部が今いる場所だったようです。
 
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積石が顔を出す脇道を下りはじめました。
 
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振り返ると木の根道でもありました。写真では分かりづらいかもしれませんが、かなりの急勾配(きゅうこうばい)です。街歩き専用の靴(くつ)ではなく、ハイキングにも使えるウォーキングシューズを履(は)いてきたことは正解でした。
 
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脇道はいつのまにか獣道(けものみち)のようになって下方へと続いています。
 
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(続く)

2014年3月 9日 (日)

今年も高松市へ 峰山公園の古墳群Ⅴ

北西方向の石清尾山方面を望みました。8番「石清尾山古墳9号墳」があった梅林はこの写真の左端付近でしょう。
 
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車道に行き止まりの表示がありました。往(ゆ)きにも通過した場所です。
 
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その先へと歩いた時、芽吹(めぶ)きが待ち遠しい梢(こずえ)に何やら不思議なものを発見しました。
 
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地上付近まで下りてくるとその外観を詳しく観測することが出来ました。4つのローターを持つ「クワッドコプター」のようです。
 
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無事着陸したようですから、リモコンを持つ人に尋(たず)ねてみました。『「操縦は練習が必要です。空中撮影をするために利用しています」とていねいに答えてくれました。『何を撮影するのですか?』と質問したくなりましたが、立ち入りすぎると思い直し、礼を述べてその場を去ることにしました。周辺に邪魔をするものがない場所ですから、素人の私にも練習に最適な場所だと思われます。
 

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石清尾山古墳群の説明看板がありました。『100を超える古墳がある。墳丘を石で造った積石塚古墳』ことが有名。ほとんどが古墳時代前期の4-5世紀にかけて作られたと考えられている』の趣旨で解説されています。この先にある3箇所の古墳は互いに接近していますし、下り傾斜にありますから、あと一息で9カ所の古墳を回り終えられそうです。
 
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ゆるやかに下る遊歩道脇の案内標識に『石船積石塚古墳まであと120m』と表示されていますので、案内標識にしたがって右手の脇道に入りました。
 
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岩場の歩きにくい上り坂を歩きました。3番「石船積石塚」の説明看板には、『石清尾山古墳群の中で最も早く昭和9年に国の史跡に指定された。前方部北側に向ける前方後円墳(積石塚)である。全長は約57mで墳丘形状をよく残している。後円部墳頂に刳貫式(くりぬきしき)割竹形石棺があり、棺身には造り付けの枕がある。この石棺が船形様であることから石船塚と呼ばれている。円筒埴輪が出土しており5世紀初めごろに築造されたと考えられる』とありました。ちなみに、円筒埴輪(えんとうはにわ)は埴輪の中で最も古いタイプです。
 
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巨大な石積みが現れました。「石船積石塚」です。岩に間にかれた松葉が積もって不思議な雰囲気を醸(かも)し出しています。
 
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右手に移動しながら撮影しました。
 
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足元が悪いため、四分の一周ほどしか確認できませんでしたが、見た範囲では巨大な円墳のように見えます。
 
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白いゴミ袋に入れられたものが2つ置かれていました。これは不法投棄物かもしれないと思いながら近づくと、『キルパー40(人畜毒性・普通物)により松くい虫駆除中です。ビニール等にふれないで下さい。作業日平成26年1月5日~1月19日、作業者XXXX』と書かれていました。訪れた日はすでに作業期間を数日過ぎましたので近く撤去されるのでしょう。
 
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『紫雲山ハイキングコース合流点まであと0.4km』の標識があります。紫雲山は稲荷山とともに栗林公園の借景になっている山で、両山の尾根には石積み前方後円墳の稲荷山姫塚など九基の積石塚があるようです。
 
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脇道の両側に10袋以上のゴミ袋が置かれていました。
 
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ほどなく2番「鏡塚古墳」の近くに出ました。東側の尾根筋で一番高い場所にあります。『鏡塚古墳は猫塚と同じ双方中円墳(積石塚)で、築造年代は最古の部類(4世紀前半)に属するといわれる。古墳の全長は約70m、高さ約3.6mであり、石清尾山古墳群中では、猫塚につぐ大きさである。鏡が出土したという伝承から鏡塚古墳と呼ばれている』と説明されていました。
 
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なだらかな上り傾斜地に積石が長く続いているようです。この辺りは南側の方部、奥に見えるより高い部分が中円部かもしれません。
 
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一段と高く積み上げられた部分は想像以上の規模です。
 
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その上に登ってみると石を積んで造られた広場のようです。
 
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一番高いと思われる場所に赤く塗られた標識が埋められています。ここが中円部の中心のようです。もっと先まで歩いて北側の方部を確認したいところですが、それは諦(あきら)めることにしました。
 
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(続く)

2014年3月 8日 (土)

今年も高松市へ 峰山公園の古墳群Ⅳ

梅園を出ました。すぐ先で左手にそれる脇道に入り、約100先のT字路を左折して30mほど左前方にある公園のような場所に案内看板が立っていました。峰山公園の芝生広場の手前です。7番「石清尾山2号墳」は9番「石清尾山13号墳」と同様に、直径10mの盛土墳(横穴式石室墳)です。案内看板には『追葬(多くの人を葬ること)ができることから、家族の墓と考えられている。積石塚古墳が少数の人を葬っているのと大きな違いである。2号墳が造られたのは古墳時代も終わりの6世紀の末から7世紀の始めにかけての時期で、積石塚古墳との関係は分かっていない』と説明されています。
 
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住宅のすぐ脇にある「石清尾山2号墳」の前景
 
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石室の内部を覗(のぞ)くと、人が中腰で入ることができる高さがありました。奈良・明日香の石舞台古墳(いしぶたいこふん)よりずっと小型であり、巨石が使われているわけではありませんが、石室の雰囲気がよく似ています。
 
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天井の構造も同様です。同じ石室でも大阪府寝屋川市にある石宝殿(いしのほうでん)古墳や明日香の「鬼の雪隠(せっちん)」(石室の一部)とは造り方が大きく異なるようです。
 
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峰山公園の外周にある車道に戻りました。『1000m先(車は)行き止まり』の標識は臨時駐車場の付近で車は行き止まりであることを示しているようです。
 
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アップダウンのある車道を歩きました。周囲が木立に覆われているためか、同じ道でも行きと帰りでは違う雰囲気を感じながら300mほど進んだところに、ガードレールが途切れている場所を発見しました。行く時には気づかなかったことです。案内看板のようなものは一切ありませんが、私の頭の中で猫塚の場所が明確に示されていますから、迷わず獣道(けものみち)のような狭い脇道に入りました。
 
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木漏れ日の関係で読みにくののですが、『猫塚まであと90m』の標識があります。
 
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さらに獣道のような脇道を進むと、前方に岩山のような6番「猫塚」が突然出現しました。
 
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少し左手に回るとその規模の大きさが良く分かります。
 
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近づくと岩を積み上げたこともはっきり見て取れます。
 
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6番「猫塚」の案内看板には、『全国的にもまれな形式の双方中円墳(積石塚)で、石清尾山古墳群中で最も大規模で全長約96m、高さ約5mである。同形式の鏡塚古墳とともに古墳群の中でも古いもののひとつである。中円部は突出部に比べて非常に高くなっており、1910年に大きな破壊を受け中央が大きく変形している。中央に大きな竪穴式石室1基とそれを取り囲む8基の小さな石室があったと伝えられている。中央の石室から鏡、小銅剣、石釧(いしくしろ、腕輪の一種)、筒形銅器、銅鏃(どうぞく、青銅製のやじり)、鉄斧(てっぷ)、鉄剣、鉄刀、鉄ノミ、鉄ヤリガンナ、鉄鏃(てつぞく)、土師器などが見つかり、これらの出土品は現在では東京国立博物館に所蔵されている』と詳しく解説されています。
 
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90度ほど移動してみても中円部が目立つだけで、4世紀前半に築造されたとみられる猫塚の全貌を知ることはできません。
 
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すぐ先に『石船石塚まであと0.9km』の標識』が
 
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猫塚を通り過ぎた場所(右手)に池がありました。標高が高い峰山の尾根付近にあることは珍しいと思います。
 
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何気なく左手を見ると、驚くことにもっと大きな池も・・。住宅から排出された水にしては量が多すぎますから伏流水があるのでしょうか。
 
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2つの池を過ぎると簡易舗装された真っ直ぐな路の脇に大きな石が積み上げてありました。
 
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車道に合流したところで振り返りました。この周辺にも猫塚の案内表示はありません。そのかわり、往きに見かけた『石船塚まであと0.8kmの標識』があった場所です。
 
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携帯電話基地局脇を通過して送電線用鉄塔が建つ臨時駐車場の脇に出ました。
 
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(続く)

2014年3月 7日 (金)

今年も高松市へ 峰山公園の古墳群Ⅲ

峰山公園の補正異端にある「はにわっ子広場」に到着しました。この施設は平成22年4月に宝くじの普及宣伝事業として設置されましたが、峰山公園の周辺が国の史跡に指定されている石清尾山古墳群であることから、古墳をモチーフとしているそうです。馬型埴輪(はにわ)、人型埴輪のハニ太郎、高床式家型埴輪などが並んでいるのが確認できます。
 
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全長58mのローラースライダーはハニ子(人型埴輪)と中心部の馬の埴輪(はにわ)を経て滑り降りる迫力満点の滑り台とのこと。たしかに、馬形の埴輪(はにわ)の中を通り抜けてループ状に長く伸びた滑り台です。
 
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「はにわっ子広場」とその奥にあるアスレチックコースとキャンプ場を通り抜けた場所で見つけた9番「石清尾山13号墳」は、横穴式石室を有する直径約9m、高さ約1.5mの小円墳(盛土墳)で、現在は天井石が取り除かれています。
 
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この石室からは須恵器の壷、坏(はい)、坏蓋(つきぶた)、土師器(はじき)の壺、皿、刀子(とうす)、鉄鏃(てつぞく、鉄製のやじり)など多くの副葬品が出土したそうです。
 
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石室の規模は全長4.2m以上で、埋葬が主に行われる石玄は長さ2.1m、幅1.5m、高さ1.2m以上、入口にあたる羨道部は長さ2.1m、幅0.9m、高さ1.3m以上と説明されています。
 
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両側に潅木(かんぼく)が多い茂る小道を抜けると石清尾山(標高232m)の頂上にある展望台に出ました。2階建ての施設です。
 
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展望台の最上部から西方を望みました。イオンモールがある本津川河口付近と瀬戸内海に浮かぶ大槌島(おおづちじま)方面です。
 
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余談になりますが大槌島で思い出したことがあります。同島は本州(岡山県)と四国(香川県)のほぼ中間に位置する小さな無人島ですが、珍しいことに両県の県境が島の中心を横切っているのです。海における県境は島と島の間に設定されるのは常ですが・・。調べてみると、江戸時代中期(1700年代初頭)に2つの県(当時は国)の漁師の間で漁場争いが起こり、幕府の裁定で現在の境界(同じく国境)が決定したそうです。同じことが岡山県玉野市の近くにある井島(いしま)でも発生して、同じ裁定が行われたとのこと。他県にも県境が横断する島が計5カ所あるようですから、興味のある方は探してみると良いでしょう。ちなみに、ヒントは四国(+3島)・赤穂・岩国です。
 
香東川(こうとうがわ)の河口付近と郷東大橋、瀬戸内海の対岸は玉野市の直島など直島諸島でしょう。ちなみに、上記の井島はこの直島諸島に属しています。
 
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女木島(めぎしま)とその影にある男木島(おぎしま)は合わせて雌雄島(しゆうじま)とも呼ばれるようです。両島と向かい合う高松市街地には高松駅から乗車した市民病院循環バス(西回り)で通過した高松中央卸売場が確認できます。さらに手前は四国旅客鉄道高松運転所と予讃線も。よく見ると、海岸線に近い場所にブイのようなものが並んでいました。あとで確認すると、冬季だけ設置されるのり網施設と浮標灯でした。
 
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高松駅周辺と屋島の遠望です。屋島は源平の合戦で知られます。名前の由来になったように屋根のような平坦な頂部と急な崖に囲まれた形状は地理的に表現すれば浸食によって生じたテーブル状の台地(メサ)で、国内では群馬県の荒船山など数例が見られるだけですが、アメリカの西部(テキサス州北部、ニューメキシコ州、アリゾナ州、コロラド州、ユタ州、ワイオミング州など)で多く見られる乾燥地形です。メサがさらに浸食された孤立丘(ビュート)であるモニュメントバレーや大渓谷のグランドキャニオンが代表格です。
 
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西側にある散策路にはいりました。峰山ハイキングコースの標識には『猫塚まであと1.4km』と表示されています。
 
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第3駐車場まで戻って、おぼろげな記憶を頼りに梅園へ向う脇道に入り、車止めの先にある梅林のスロープを上がりました。次の目的地はこの梅園内にあるはずです。
 
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右手に見えるのは先ほど通過した東石清尾地区のようです。見覚えのある休憩所が確認できました。
 
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中央部に東屋風の休憩所がある園内ではさまざまな種類の梅の花がほころび始めていました。
 
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梅園の奥にある8番「石清尾山古墳9号墳」は前方部を西方に向ける前後円墳(長さ約27mの規模、積石塚)です。
 
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石清尾山古墳群の中では他の主要古墳と離れています。
 
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前方部の高みから高松駅付近が見えます。
 
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梅園の隣にある畑の境界にそって石積みが伸びています。遺跡ではなく、後の時代の人が石を利用(流用?)して作ったものなのでしょう。アスレチックコース付近にも似た石積みがありました。
 
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(続く)

2014年3月 6日 (木)

今年も高松市へ 峰山公園の古墳群Ⅱ

石清尾山古墳群(昭和60年国の史跡に指定)には便宜的に通し番号をつけた資料がありましたので、ここではそれを使って説明を簡略化したいと思います。つまり、東石清尾地区にある5カ所の古墳は1番から5番、丸山地区(周辺を含む)にある2カ所の古墳は6番と7番、西石清尾地区にある2カ所の古墳は8番と9番です。

当初の計画ではU字型(馬蹄形)をした平坦な尾根に点在する石清尾山(いせおやま)古墳群を1番から9番まで順に巡る予定でしたが、想定外の場所に出てしまいましたから当初のルート案を変更せざるをえません。左手方向にある3つの古墳(1番-3番)を先にした方が距離的には断然短くなりますが、急な坂道をかなり下ってから引き返すことになりますから、右手に点在する古墳(4番以降)を先に巡ることにしました。

最初に訪れた4番「小塚古墳は石清尾山古墳群でもっとも小型の前方部うぃ北側に向け前方後円墳(全長17m)で、尾根道が墳丘上を通っているため荒廃していると説明されています。
 
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下から見上げても大きな岩が無数に転がっているだけで、まったく古墳であるとは確認できません。
 
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墳丘(ふんきゅう)に上がってみると、何とかそれらしき形状が確認できました。
 
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ここが前方部のようです。
 
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尾根道は先へと続いて、ハイキングコースになっているようです。
 
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東南東方向にできた木立の間から高松の市街地と屋島がよく見えます。右手前の山は栗林公園の借景となっている稲荷山(標高166m)のようです。
 
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こちら、南東方向には「ゆめタウン高松」(YOUMEの表示)と高松自動車道路が間近に見えます。
 
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遊歩道をさらに南へ歩くと臨時駐車場の脇に出ました。行き止まりとなっている道路を挟んだ向かいにある5番「姫塚古墳」は
前方後円墳の積み石塚(全長43m、高さ約3.6m)で、前方部が向く西側が低いため、より多く石を積んで外形を整えています。『石清尾山古墳群の中でも石船積石塚とともに、もっともその形状をよく保存している。古墳の全長は約43m、で、首長の娘の古墳であるとの伝承から姫塚古墳と呼ばれる』と説明されています。
 
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道路に面した前方部側から見た姫塚の全景
 
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横から見た前方部
 
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後円部脇から前方部を見る
 
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後円部の横に出ました。
 
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姫塚古墳を過ぎると車道は西方向に向きを変えました。前方に携帯基地局の高いアンテナ塔がそびえています。近づいて見るとKDDIの高松峰山局でした。左手の山は浄願寺山(標高239m)のようです。
 
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左手を見ると讃岐平野が広がっていました。石清尾山古墳群の主たちが広大な讃岐平野(高松平野)を睥睨(へいげい、にらみをきかせること)できるこの場所を選んだ理由が良く分かります。
 
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峰山ハイキングコースの立派な標識(設置者:高松ハイキング協会、四国新聞社、高松営林署)がありました。標識が示す方向は左回り(9番から1番へ)のようです。ちなみに、0.8km先と表示される石船塚古墳は3番です。
 
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車道の右側にある公園でバードウオッチをしているグループを見かけました。
 
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別荘地のようなエリアを抜けると車道はほぼ直角に折れて北へ真っ直ぐ延びています。この辺りに6番「猫塚古墳」があるはずですが案内標識のようなものは見当たりません。
 
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第3駐車場の脇に出ました。
 
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この駐車場脇にも案内地図がありましたので、確認すると6番「猫塚古墳」は車道から分かれた脇道沿いにあることが説明されています。そして、7番「石清尾山2号墳」と8番「石清尾山9号墳」は車道から東に入った場所に、9番「石清尾山13号墳」は展望台の近くにあることが表示されていました。
 
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石清尾山古墳群めぐりの最終目的地になるはずであったの展望台に向って路傍に石仏のようなものが何体も設置されているのを見つけました。ハイキングコースと思われる脇道に入って確認すると、西国三十三所巡礼の22番総持寺(大阪府茨木市)と23番勝尾寺大阪府箕面市)などと表記されていました。
 
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(続く)

2014年3月 5日 (水)

今年も高松市へ 峰山公園の古墳群Ⅰ

西回りのループバスは25分ほどで市民病院に到着しました。
 
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峰山が間近に迫っています。思ったよりも急峻な山のようです。
 
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市営峰山墓地の脇に「峰山公園の案内図」がありました。東石清尾地区、丸山地区、西石清尾地区で構成された峰山公園の周辺部に沿って石清尾山(いわせおやま)古墳群が点在しているようですから、まず東石清尾地区へ向うのが良さそうです。
 
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墓地に沿って急な坂道を上がると高松駅周辺のビルが見えてきました。右側で台地から突き出している岬は屋島の長崎ノ鼻ようです。
 
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通過した墓地内にも石段の参道があった厄除(やくよけ)不動明王院への参道です。
 
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さらに高みへと上がると一際高い香川県庁舎(地上22階、高さ113m)とNTT西日本香川支店など瓦町の繁華街も見えました。ちなみに、高松市で一番高いビルは高松駅前にある高松シンボルタワーで、四国でも一番高いビルのようです。
 
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道路の右手にある階段には峰山公園アスレチックキャンプ場(西石清尾地区)への入口であることが表示されています。こちらへ入ってしまうと逆周りのコースになりますから、通過することにしました。
 
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左手に見える小山が東石清尾地区のようです。
 
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左手には歩いてきた曲がりくねる急坂が良く見えます。
 
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道路の左側に「滝不動尊参道」の石柱を見かけました。
 
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急な階段を下りたところに滝不動堂の屋根が見えます。その右手に滝が流れ落ちていますから、滝不動堂と呼ばれるのでしょう。
 
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右側には薬師堂と大師堂への参道入口が
 
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峰山公園へ向う車道は右に折れますが、真っ直ぐ伸びる脇道へ入ることにしました。
 
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急な坂道を休みながら上ると突然舗道が途切れしまいました。登山道のような狭い岩場が頂上部へと続いているようで、かまわず頂上部へ向かって直進しました。
 
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左右に伸びる遊歩道に行き当たりました。さらに上に向うと石船塚ですから、遊歩道を左手へ歩くことにしました。
 
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左前方になだらかな遊歩道が見えます。私が目指していたルートのようですが、左手に入る脇道に注意しながらここまで歩いてきましたが、それらしき入口はなかったと思います。まるで狐につままれたような気分になりました。ちなみに、真正面の集落を抜けてこちらに向けて直進する車道を私は歩いてきました。
 
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前方の石垣の上に休憩所らしきものが見えます。
 
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休憩所脇の案内地図で確認して分かりました。私は第2駐車場の脇を抜けて最短ルートで現在地まできましたが、第1および第2駐車場からアクセスできる桜並木の散策路の外周に古墳を巡る散策路が確かに表示されています。やはり散策路への入口を見過ごしてしまったようです。
   
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石清尾山(いせおやま)古墳群がある峰山公園の標高は約232mと説明されていますから、この休憩所もほぼ同じ高さと思われます。(続く)

2014年3月 4日 (火)

今年も高松市へ 讃岐うどん

所用があって高松市へ出掛けました。新大阪駅から山陽・九州新幹線の10:22分発「みずほ629」に乗車しました。この数年間は年に1-2度のペースで高松を訪れています。
 
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11:07に到着した岡山駅で新幹線を下車し、出発直前であった11:13発高松駅行き「快速マリンライナー」に乗り換えました。
 
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12:03に高松駅に到着。青空を背景に高松シンボルタワー(地上30階、地上高約151m)とマリタイムプラザ高松が輝いています。左端は高松駅とサンポートです。
 
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その右手にはJRホテルクレメント高松が
 
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右手に歩くと高速バスターミナルが目に入りました。これまで何度も高松駅を利用していますが、今回はじめて高速バスターミナルの場所を知りました。
 
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その先にはさぬきうどんの「めりけんや」があります。人気店のようですからここで昼食にしても良いのですが、今回は別に心積もりした店があります。
 
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5分ほど南に歩いて兵庫町(ひょうごまち)のアーケードに行き当たりましたので、左手に進みました。兵庫町は江戸時代に高松藩の武器庫があったことからそう名付けられたそうです。
 
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国道30号(中央通り)を横切ります。
 
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国道と兵庫町通りのかどにある高松書林の隣に目的の「うどん市場」(兵庫町店)を見つけました。高松駅から約600m(徒歩約9分)の距離にあります。
 
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おすすめのメニューが看板に表示されています。「肉玉ぶっかけうどん」にしようかと思いながら店内に入りました。
 
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ドアを押して店に入ると、熟年女性の明るい声が出迎えてくれました。店内のメニューで確認しているうちに無性にカレーうどんが食べたくなって、肉カレーうどん(小、380円)に急遽変更です。
 
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入り口付近には麺打ち場の横から各種トッピング類が並べられ、注文口とお会計の表示が続きます。
 
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青のりと天かすはもちろん無料です。
 
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店の奥には6人用テーブルx5、両隅には4人用テーブルと3人用カウンター、中央には給茶器と氷サーバーが配置されています。小さな店舗ですが、合理的なレイアウトが狭さを感じさせず、女性店員が客へ気軽に声を掛けて、定食屋のような親しみを感じさせます。店員同士の声掛けもテンポが良い。出来上がったうどんを受け取るたあとのプロセスのすべてがセルフサービスのシステムです。ただし、時間のかかる特別メニューは店員がテーブルまで配膳してくれるようで、狭い通路で待つ必要はありません。

思ったより肉が多くて小(一玉)にして正解でした。やや太目のうどんにとろみのあるカレーがうまくからまって、肉も薄めの味付けであったため、最後まで食べきることができました。満足感が高い讃岐うどんでした。
 
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国道30号(中央通り)の中央分離帯に残る八雲橋(やくもばし)は、明治12年1月に玉藻城の外堀に架けられたもので、橋長は約十二メートルであったようです。当時、橋の向こう側に出雲大社分院があったことから、出雲にかかる枕詞「八雲たつ」から名付けられたそうです。地中から見つかった親柱を使って再現されたとのこと。
 
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中央通りを北へ向って歩きました。街路灯が車道側へ弓なりに反っているデザインは珍しいと思います。
 
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駅前広場に戻ると「親切な青鬼くん」が待っていました。
 
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次の目的地へ向うバス(市民病院ループバス)の乗り場を探しました。
 
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(続く)

2014年3月 2日 (日)

アイフォーンのセキュリティ不具合と仮死状態になったWindowsパソコンへの対応

アップル社のOSiOS 7.0.4OS X 10.9.1)に深刻なセキュリティ不具合があることが噂されていましたが、2月21日にアップデート版iOS7.0.6がまずリリースされました。このアップデートによりSSL(Secure Sockets Layer) 接続時の検証に関する問題が修正されるとの説明がついています。SSLによる通信の暗号化とサーバ認証により、高い安全性を確保する機能にバグがあったのです。旅行に出かけていた時でしたが、さっそくiPhone5iPhone4Sのアップデートを行いました。ただし、iOS7がサポートしないiPhone3GSは同様の修正が行われたiOS6.1.6にアップデート。これで一件落着ですが、このような深刻なセキュリティ不具合にもかかわらず、通常のアップデートと同じ告知であることは不親切だと思います。ちなみに、Macパソコン用OS X 10.9.1についてもアップデート版が近々リリースされると思われまので、それまでは信頼できないネットワークには接続しないよう十分注意する必要があります。

次はWindowsパソコンです。旅行に出かける直前の2月下旬、我が家のWindows 7パソコンが突然起動できなくなってしまいました。電源を入れるとメーカーのロゴが表示されたあと、Windowsの起動(ブート)プロセスに入ったところでストップしてしまうのです。数年前、別のパソコンのWindows OSトラブルに「システムの復元」で対処したことはありましたが、今回は全く別のトラブルのようです。3年前までは3台のWindowsパソコンと1台のMacパソコンを使っていましたが、2011年にWindows2000パソコンを、2012年にiMac廃却(メーカーに返送)したため、現在はメイン機であるWindows XPパソコンとサブ機であるこのWindows 7パソコンの2台しかありません。しかも、Windows XPパソコンは今年の4月9日までしか使用できませんから、わが家のパソコンが全滅になる恐れがあるのです。

内臓されたツールを利用してスタートアップ修復を試みましたが一向に改善する様子がありません。次いで、ハードウェアに問題があるかどうかも確認しました。メモリ、ハードディスク、CD/DVDドライブ、キーボード、マウスなどです。いずれも問題がありませんでしたが、マウスだけは正常に動作しないのです。マウスを交換しても改善しませんから、USBインターフェースの不具合のようです。事実、マウスを他のUSB端子に接続すると正常に動作するのです。これがWindowsの起動を妨げているのかもしれません。ここまで調べたところでギブアップ、近くの家電量販店へそのパソコンを持ち込んで診断を依頼しました。修理カウンターでは「マザーボードを交換することになると4-5万円かかる」と告げられました。

1週間の旅行から戻るとメーカーによる診断結果がわが家に電話で連絡されました。申告した症状はメーカーですべて確認されましたが、ハードウェアには全く問題がなく、ソフトウェアの不具合(Windows OSが壊れている)であり、OSを再インストールするか、OSをリカバリーすることで解決できるとのことなどです。Windows(OS)のディスクはパソコンに付属していませんから、Cドライブにあるすべてのデータとアプリケーションソフトが消去されることを覚悟してOSをリカバリーすることに決め、取扱説明書の関連項目を参照しながら慎重に操作しました。2時間弱でリカバリー作業そのものは完了しましたが、続いてMicrosoft Office 2010のインストール、メールソフトOutlookの設定とメールアドレスのインポートも行う必要があります。エクスポートしておいたメールアドレス・データのインポートがなぜかうまくできないため、データを1件ずつコピペすることになってしまたことと、他にいくつものアプリケーションソフトをインストール作業を含め、都合3時間ほどの大作業になってしまいました。それでもメーカーには無償で診断してもらい、家電量販店からも手数料を請求されませんでしたから、結果として無償でパソコンをオーバーホールできたことになります。ものは考えようであることを再確認する好例になりました。

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