橘玲著『(日本人)』を読む 後編
5.コロンブスのタマゴ
「農耕というイノベーション」は温帯ベルトだけで文明を発祥させた。農耕社会の行動原理は狩猟採集社会と根本的に異なるものではないが、「土地への執着」がある農耕社会では「退出不可能性」があり、必然的に「妥協と全員一致」が不可避となる。しかし、農耕社会には「進歩」という概念がない。「進歩」や「発展」は、近代になってはじめて生まれた特殊な概念なのだ。旧石器時代の狩猟採集社会から始まったすべての人間社会は、いずれも「人間の本性」に基づいてつくられている。当然のことながら、タイの社会と日本の社会が似ているのも偶然ではない。世の東西を問わず、すべての農耕社会は似ているのだ。
6.東洋人の脳、西洋人の脳
日本人とアメリカ人を対象に行われた調査の結果、両者に個人として本質的な違いがあるのではなく、それぞれのデフォルト戦略が違うと考えられた。デフォルト(OSの初期設定)戦略の違いはひとびとが生きている社会すなわち環境が異なることによって生じるのだ。アメリカ社会では、自己主張をしない人間は存在しないと同じだと見なされるから、迷ったら自己主張をする、というのが生存のための最適戦略になる。それに対して日本では、下手に目立つとロクなことがない、と考えられている。このような社会では、迷ったら他人と同じことをしておく、というのが最適戦略になるだろう。
同様に、アメリカ人と東洋人(日本・韓国・中国など)を比較する実験でも、両者に行動文法や記憶の仕方、自己認識などさまざまな面で明瞭なちがいがあったという。この世界認識のちがいが、西洋人が「個人」や「論理」を重視し、東洋人が「集団」や「人間関係」を気にする理由になっている。しかし、西洋人と東洋人のこのちがいはあくまでも文化的なものなのだ。
7.空気と水
日本は、「空気=世間」と「水=世俗」というふたつの相反する原理で動いている。もちろんこれはどんな社会にもいえることだが、あえて「日本人の特徴」を挙げるとすれば、アメリカの政治学者ロナルド・イングルハートが行った価値観調査などから明らかなように、その世俗性がきわめて強いことだ。黒船の来訪(明治維新)と敗戦という大きな変化を経験したが、日本人は有史以来、世間のしがらみに絡(から)めとられながらも、現世を楽しく生きること(損得勘定)がすべてだと考えてきたのだ。これは日本人が家族や友人の期待に反しても「自分らしく」生きたいと考えていることは、韓国人や中国人と大きく異なるだけではなく、家族から自分のことを誇りに思ってもらいたいと思っているアメリカ人とも異なっている。
8.「水」からみた日本論
地縁・血縁を捨てた日本人は、「一人一世帯」という特異な文化(単身赴任、ワンルームマンション)を持ち、たまたま出会った場所(学校・会社・ママ友)で共同体をつくるため、よいとか悪いとかではなく、「無縁社会」は日本人の運命である。
PART2 GLOBAL(省略)
PART3 UTOPIA(最後の2章のみ)
19.電脳空間の評判経済
グローバル資本主義が大きな転換点を迎えている現在、私たちが生きる未来がどのようになるかを考える前に、まずお金と評判を比較して、「お金は限界効用が低減するが、評判は限界効用が逓増する」と断じた。それは評判こそが社会的な動物である人間が求める「本当の価値」であり、貨幣と評判のトレードオフではほとんどの人が評判を選択すると著者はいう。
ただし、評判が貨幣に優先するのは十分なお金をもっているひとの場合であり、ほとんどのひとは貨幣と評判を天秤にかけながら、すこしでもゆたかになりたいと努力するほかはない。資本主義というのは、「ゆたかになりたいという欲望」と「貧しくなることへの恐怖」によって自己増殖するシステムだ。こうした経済行為の集積が、「グローバル資本主義」となって世界を動かし、その自己増殖は原理的には外的な制約(化石燃料の枯渇・環境破壊)に達するまで止まらない。
著者はインターネットの世界で一般的になったネットオークションにおける出展者の評判を可視化(アーキテクチャーを設計)することによって自然に生まれる道徳的な振る舞いを事例に取り上げ、「評判経済」が自己増殖する資本主義を抑制する可能性をもつと著者はいう。評判経済が成立すると、ひとはこれまでよりもずっと少ない貨幣で満足し、それ以降は評判を獲得することに夢中になるはずだとも。
その後にやってくる「ぼくたちの未来」は、大量生産される商品を大量消費・大量廃棄する時代から、お互いのモノやサービスを共有することで「より効率的で人間的で環境にやさしい」ライフスタイルを実現すると予言したレイチェル・ボッツマンとルー・ロジャースの著作「シェア」を引用した。カーシェアやルームシェア、カウチシェア、ハウス・エクスチェンジなどにより、生きていくのに必要な貨幣の量をかなり節約できる。だがこの「シェア市場」に参加するためには、自分の評判を相手が確認できるようにしておかなければならない。
この評判確認装置のデファクトスタンダード(事実上の標準)になることがフェイスブックの戦略である。フェイスブックの目指すユートピアでは、貨幣よりも評判の獲得を目指すアーキテクチャーによって、本人の意思にかかわらず誰もが善人になる(善人になるほかない)。そのときグローバル資本主義の自己増殖運動は停止し、近代のパラダイム(枠組み)は意味を失って、誰も見たことのないポストモダンが始まるだろう。
20.自由のユートピア
「日本人」を論ずるひとたちには、大きくふたつの立場に分かれる。ひとつは、世俗性を抑えてより伝統を重視すべきだという保守主義や伝統主義だ。政治哲学でコミュタリアニズムと呼ばれるこうした主張は、ヨーロッパのプロテスタント圏(私中心主義社会の北欧を除く)やカトリック圏の国々と同じような価値観を目指すものである。もうひとつは、アメリカなどアングロサクソンの国々と同様にグローバルスタンダードで社会を運営していくべきだという近代主義である。政治哲学ではリベラリズムになるが、ヨーロッパ・プロテスタント圏の国民よりもずっと伝統的価値にこだわっている。
このふたつの主張は、明治維新以来、日本人の理想が欧米すなわちヨーロッパとアメリカにあったことを踏襲している。日本人の「夢」は、明治から1世紀半たってもなにひとつ変わらないのだ。しかし、イングルハートは、この価値観マップで「異なる文化圏は重なり合わない」という重要な発見をしており、中国・韓国・台湾とともに儒教圏に属する日本人が、教育や啓蒙などの外的なちからで短期間にヨーロッパ・プロテスタント圏や英語圏の価値観に変われるはずはない。
だとすれば、私たち日本人に残された希望は、今の世俗性を維持したまま自由な自己表現のできることにしかなく、それはロバート・ノージックの夢見た「ユートピアのためのフレームワーク」が実現可能な唯一の場所に違いないいと著者はいう。
☆
日本人を内部からではなく、さまざまなグローバルの視点からから捉えようとする切り口は興味深く、著者がどのように日本人論を集約するのかに興味をもって読み進みましたが、予想を超えた広範な展開には少なからず惑わされました。
日本人の特異性を論じて自己満足に陥る風潮に逆らって、日本が普通のアジアの一員であることを示すとともに、経済面での成功とその限界を論理的に解説することで日本人には辛(つら)い現実を突きつける異色の啓蒙書籍だと思いました。
しかし、終盤で提示された「自由なユートピアへ」における結論(著者の希望)はさほどの意外性を感じませんが、本書を通じて著者が強調した「グローバルな世界」と「自由なユートピア」がどのように共存できるのかについてはまったく示されなかったことは少し残念です。
あとがきで著者は、「これから10年以内に、私たちは大きな社会的・経済的な動乱を経験することになるだろう」と予言し、「国家に依存しない経済的に自立した自由な個人だけが、その混乱のなかで、ユートピアへと達する道、すなわちエヴァンゲリオン(福音)を伝えることができるのだ」と期待(夢)を述べたことが印象に残りました。□
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