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2014年4月

2014年4月30日 (水)

ゴールデンウイークを楽しむ 日本科学未来館・常設展(後編)

3階の常設展「未来をつくる」に入ります。
 
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4月24日(木)にアメリカのオバマ大統領が演説されたステージがまだ残されていました。
 
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3階から目の前に見えるシンボル展示ジオ・コスモス(Geo-Cosmos)は「軌跡~The Movement(大陸、陸上、海上、上空など)」「つながりのはじまり(地球上の大気、水、生命など)」「ワールドプロセッサー パワード バイ ジオ・コスモス」が地球をスクリーンとして順次放映されています。
 
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下を見下ろすと1階のシンボルゾーン「つながり」に置かれたベッドに寝転んでジオ・コスモスを見上げる人たちがいました。その中には昼寝をしている人も?
 
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午後1時から15分間行われた超伝導現象を利用した浮上実演を覗(のぞ)いてみました。大阪市立科学館で見た実演に似ていますが、液体窒素で冷却した超伝導物質と磁石との相互作用を「ピン止め効果」(動かなくなる現象)と「マイスナー効果」(磁力の反発力)から説明しました。両作用が組み合わさって超伝導物質の上方に永久磁石が浮いた状態(磁気浮上)が持続する実演を興味深く見ました。これらの効果を利用して、リニアーモーターカーを浮上させる手段に応用されています。この実演は主として子供を対象としているようですから、難しい説明をもう少し分かりやすくする工夫が欲しいと思いました。

 

これに次いで、「インターネットの物理モデル」や「2050年くらしのかたち」などの各展示を見て回りました。
 
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これは「モノづくり」のエリアで、想像力で思い描いたのを現実にするのが想像力であるとして、技術革新を生み出すヒューマノイド想像力を紹介していました、それは、「むすびつける」「くみあわせる」「ひらめく」「みならう」「きりかえる」の5つです。
 
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午後2時が近づきましたので中央にあるステージへ向かいました。ASIMO(アシモ)の実演(所要時間: 約10分間) です。最前列は子供と付添者様ですが、当日は人数が少なかったため、大人もすぐ後ろで床に座ることができました。ヒューマノイド(人型)ロボットの歴史が大きなパネルを使って表示されています。
 
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そして、ヒューマノイドロボット「ASIMO(アシモ)」が左手のドアを開けて登場。

 
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アシモはいろいろな言葉を話したり、駆け足をしたり、そして片足立ち(バランス)ができることもじつえんしました。写真は片足立ちを応用して、サッカーボールを蹴(け)る直前の様子です。
 
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アシモは両手を複雑に動かすことができます。まるで、1980年代後半から1990年第前半にかけて日本で大流行した「パラパラダンス」のような動きです。同行者は後方に展示されている犬型ロボット「アイボ(AIBO ERS-7M3)」も登場するのではと期待していましたが・・。
 
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5階の「世界をさぐる」へ移動しました。
 
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すると真っ先に目についたのは国産H-IIAロケット第1段目メインエンジンの「LE-7A(2段燃焼サイクル方式)」
 
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左手奥には巨大な「国際宇宙ステーション(ISS)」が展示されています。
 
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その内部に入ってみました。左側は宇宙飛行士(アストロノーツ)の個室で、右側には様々な計器が並んでいます。
 
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右手にあるのは、有人潜水調査船「しんかい6500」です。右前方に「スーパーカミオカンデの光電子増倍管」が並んでいる様子が少し見えます。宇宙からたくさん降り注いでいながら、何でも通り抜けてしまうニュートリノを観測する巨大な設備を使った研究成果によって、小柴昌俊氏がノーベル賞を受賞しました。(詳細は省略)
 
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2畳ほどしかない「しんかい6500」の狭い船室に入ってみました。計器類がいっぱい並び、黒い酸素ボンベも確認できます。説明者から、「海上とは音波で通信すること、船室の後方は大きなバッテリー室になっていること、3名の乗員(科学者1名+操縦者2名)は8時間程度潜水するため紙おむつを利用すること」など聞くことができました。
 
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日本がハワイに建設した「すばる望遠鏡」、南米チリで本格始動した世界一巨大な電波望遠鏡「アルマ(ALMA」」などの展示も興味深く見て回りました。こちらは「ゲノム(遺伝子情報)」の解説展示。
 
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午後3時20分から始まる3D映像「4D2U」にはまだ1時間近くありますから、休憩をかねて同じ5階のカフェに向かいました。同行者は昼食時に目を付けたコスモツイスター(430円)と奥沢ロール(360円)を買うことを忘れません。「地球ソーダ」(水ver.と元素ver.の2種類あり)にしようかと迷ったようですが・・。前者はバニラ味のソフトクリームの上にソーダ味のメレンゲのようなものが載(の)っています。後者は柔らかくて優しい味のロールケーキ。同行者は大満足!
 
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午後3時になりましたので5階の「世界をさぐる」の中にあるVRシアターへ向かいました。午後3時20分に始まる回は満席(25席)と表示されていますが、あたりに人影はまだありません。指定された通りに入り口の右手(足跡マークの上)に並びました。もちろん先頭です。
 
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3D映像「4D2U spacewalk~」(所要時間約25分)は国立天文台4次元デジタル宇宙プロジェクトが提供する3D映像で、太陽系から宇宙の果てまで移動する旅を体験できます。ドームシアターガイアで使用したのと同じ3D用メガネを受け取ってVRシアターの中に入りました。高精細画像、曲面スクリーン表示、スムーズなインタラクティブ操作により、仮想空間を体験することができるようです。3台の映写機で映し出された映像のストーリーはドームシアターガイアで観た「バースデイ」と似ており、最先端の観測結果やシミュレーションに基づいて、太陽系から宇宙の果てまで移動する旅を体験できました。(続く)

2014年4月29日 (火)

ゴールデンウイークを楽しむ 日本科学未来館・常設展(前編)

今年のゴールデンウイークは飛び石連休になりましたが、例によって遠出は避けた私と同行者は、平日の4月28日(月)の朝9時過ぎ、新橋駅で新交通「ゆりかもめ」に乗り換えました。
 
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レインボウブリッジを渡ったユリカモメの車両は台場駅などを経由して20分弱でテレコムセンター駅に到着。
 
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駅に隣接する東京テレコムセンタービルは地上21階(高さ99m)で、事務所・店舗・通信施設(特にデーターセンター)などの目的に利用されているようです。このビルを所有するテレポートセンター社の名前は英語の「Tele(遠方、遠隔)」と「Port(港)」を合体して作られた和製英語(造語)とのこと。
 
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階段で地上レベルに下りて、グリンベルトに沿って北西方向に4分ほど歩くと、見覚えのある建物の前にでました。財団法人科学技術広報財団が運営する「日本科学未来館」です。平日を選び、しかも開館時間より15分ほど早く到着したにもかかわらず、チケット売り場にはすでに長い行列ができていました。
 
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入館料は大人が620円です。この時期には常設展のほかに企画展も開催されていますので、迷わず共通チケット(大人1000円)を購入しました。
 
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そして、事前に得た情報にしたがってドームシアターガイア(GAIA)の整理券も申し込みました。表示板上で初回(10:30上映回)分「バースデイ~宇宙と私をつなぐもの~」は、入館チケットを購入する順番が10番目くらいの時に、残席が○から△に変ったためハラハラしましたが、2人分を受付けてもらえました。
 
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7階まで吹き抜けになった館内はすでに人で溢(あふ)れています。エレベーターを利用してもよいのですが、館内を観察するためにエスカレーターを利用することにします。1階は企画展の会場、そして3階には常設展「未来をつくる」の会場があります。(2階には入れません)
 
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4階をスキップした5階には常設展「世界をさぐる」の会場とカフェ、そして6階にはドームシアターガイアの入り口があります。7階はドームシアターの上半分(下からも確認できる)とイベントスペースになっています。
 
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直行したことで6階にあるドームシアターガイアの入り口に上映開始時間の16分前に到着。指定席ですから急ぐ必要はなかったのですが・・。右手のパネル上で同行者と私の席を確認すると中ほどの列の右端でした。全部で118席あるようです。
 
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待ち時間を利用して、もう一つのプログラム「3D映像4DUspacewalk~」も予約することにしました。5階の常設展「世界をさぐる」の会場に入った左手にインフォメーションで午後3時20分の予約券をもらいました。こちらは自由席であるため、上映開始の5分以上前に集合することと、もし遅れると予約券は無効になることの説明を受けました。
 
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ドームシアターガイアへ戻ると、10時30分の回に予約した人たちが集まり始めました。スタッフは入り口に置かれた大きなデジタルで10時30分になったことを確認して開場しました。チケットを確認したスタッフは奥の階段を利用するように助言し、3D用のメガネを手渡してくれました。映画館で貸してくれる通常の3D用メガネよりも大きめで、メガネをかけたままでもうまくフィットする優(すぐ)れものです。映画少し前傾した半円のドームの下に雛壇(だん)状の床に椅子(いす)が配置され、その中央に恒星投影機MEGASTAR-II cosmos(投影星数を560万個)と立体映像システム・アトモス(Atmos)の投影機が6台設置されています。前者は「かわさき宙と緑の科学館」の記事で紹介したMEGASTAR-FUSIONと同じ大平技研(Ohira Tech、代表取締役大平貴之氏)のメガスター・シリーズの投影機で、同社と日本科学未来館が共同開発したものです。

 

上映が始まると、なぜかリンゴが大きく写し出され、何からできているかの質問に自問自答するかたちで、観る人たちを粒子の世界へ誘(いざな)いました。そして、宇宙も同様であるとして、「地球にはなぜ月があるか?」「太陽系の惑星はどのようにして現在の形になったのか?」「太陽系が属する天の川銀河はどのような形をしているのか?」「天の川銀河(銀河系)が属する銀河群の解説につづいて、宇宙には限りなく多数の銀河群が存在すること」「銀河群は一様に分布しているのではなく、無数の泡がおたがいにくっつき合ったように分布していると考えられている」と説明した。そして、その理由に重力の存在をあげる。宇宙がビッグバンによって誕生した時には素粒子だけが一様に分布していたが、重力によって揺(ゆ)らぎと素粒子の結合が生じて、より大きなものに吸収され、現在のような銀河宇宙に変化したと解説した。エンディングでは、「生物・地球・銀河など、宇宙に存在するすべてのものは同じ素粒子からできている」と結論づけた。地球から宇宙の果てまで往復旅行する約25分の上演時間があっという間に経過しました。人気が高くて(追加料金不要)すぐ満席になりますから、入館チケットを購入する時に、席が残っている時間帯をまず予約するのが良いと思います。

 

ドームシアターガイアの出口はイベントスペースがある7階にあります。ここではドイツ航空宇宙センター巡回展示「火星の新しい視点 ~マーズ・エクスプレスがとらえた高解像度3D写真~」が今年の9月1日(月)まで開催されています。火星探査機「マーズ・エクスプレス」が撮影した世界初の画像を含む火星の地形写真を、前例のないスケールの高解像度3D画像で展示していました。立体像を見るには入り口付近に置かれた昔ながらの赤と青色の簡易メガネ(使い捨て)を利用します。
 
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数十億年にわたって火星の地形を形作った地質学上の主要な9つの過程(火山活動、水、氷、浸食、風、地殻運動、極地、堆積作用、衝突クレーター)を紹介しています。右下に深くえぐれた谷のようなものが3D画像で強調されていました。
 
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「1975年に打ち上げられた2基のロケットで火星まで運ばれた火星探査機バイキング1号と2号は約5万枚の写真を撮影して、当時の火星に対する印象を大きく変えたこと」が説明されています。
 
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高い山とクレーター
 
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D写真の撮影に使われたカメラの解像度は約10メートル
 
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同行者は彩り野菜とバジルのトマトソーススパゲティ(650円)とコーヒー(260円)を、私は角煮チマキ・肉巻おにぎりセット(420円)とジンジャエール(280円)を注文しました。いずれも素早く提供され、ohira tech子供でも食べられる控えめの味付けは十分満足できるものでした。
 
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カフェ内に紙製トレイシートを使った飛行機の折り方を示すパネルを見つけました。
 
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(続く)

2014年4月26日 (土)

九州を横断するドライブ旅 宇佐市が生んだ偉人、大横綱・双葉山の生家を訪ねる

宇佐神宮の駐車場に到着した時に何気なく見た大きな宇佐市観光地図マップにあった興味深いものを思い出しました。事前に計画したスケジュールより遅れますが、立ち寄ることにします。目的地までのルートをしっかり記憶して出発です。国道10号を西方へ約3km走って駅館川を渡った法鏡寺交差点を右折して、県道44号で北方向へ向かいました。6kmほど走ると小松橋交差点で県道23号に行き当たりましたから、ここを左折すれば目的地まで一本道のはずです。案内看板を探しながら西方へ約7km走って「双葉の里」に到着しました。櫓(やぐら)のような形をした大きな看板がひときわ目をひきます。

 

ここに違いないと思いながら駐車場に車を停めました。「道の駅」の雰囲気がある「双葉の里」には「超六十連勝力士碑」が雨に濡れて立っていました。
 
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「双葉の里」の敷地内には私が訪ねようとするものが見つかりません。施設名から考えて間違いないはずですが・・。雨の中ですが、同行者を車に残して、私は徒歩で探すことにしました。すると、「双葉の里」の右手奥に茅葺(かやぶき)屋根の古い建物が見えますので、そこまでいってみることに。
 
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やはり、横綱 双葉山(ふたばやま)生家跡でした。
 
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入り口(玄関)の手前にある説明看板には、『昭和の角界に大きな足跡を残した大横綱 双葉山定次(さだじ)は、ここ大分県宇佐市大字下住、当時は大分県宇佐郡天津村布津部(ふつべ)で生まれたこと、双葉山の意思をついだ夫人が双葉山の生家を改装、寄贈して公民館として使われたこと、双葉山生誕80周年を機に当時の間取りに基づいて成果を復元して平成11年12月に落成したこと』が書かれています。
 
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奥の部屋の床の間に「相撲甚句(じんく) 横綱双葉山を偲(しの)んで」と「我未(われま)だ木鶏(もっけい)たり得ず」と書かれた2つの掛軸が掛けてあります。後者は69連勝したあと70戦目で敗れたときに双葉山が発したとされる言葉です。中国の荘子(そうし)が記(しる)した故事(こじ)で、『闘鶏(とうけい)において他の軍鶏(しゃも)が鳴いても泰然自若(たいぜんじじゃく)として、まるで木彫りの軍鶏のように徳が身に付いた状態を理想とする』言葉です。手前の大きな長火鉢(ながひばち)には鉄瓶(てつびん)が置かれています。これはあとで確認したことですが、双葉山は明治45年2月9日に代々海運業を営む穐吉(あきよし)家で、父義広氏、母美津枝さんの二男としてこの家に生まれたそうです。
 
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手前の部屋の天井から昔懐かしい裸電球が下がっています。碍子(がいし)を使った屋内配線も今では珍しくなりました。鴨居(かもい)には額縁(がくぶち)に入った古い写真が掛けられています。
 
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ズームアップすると生家の写真であることが分かりました。
 
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隣の板の間にはグラフィックデザイナーの作品が展示されています。
 
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土間(どま)には左から、流し、竈(かまど)、水瓶(みずがめ)が並んでいます。その右手前には板張りの作業場もありました。
 
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「双葉の里」へ戻ると、建物の前に宇佐市6次産品が展示されていることに気づきました。ちなみに、6次産品とは農業や水産業などの第一次産業が食品加工・流通販売にも業務をする経営形態を意味します。
 
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左手の入り口に資料展示室の表示が見えましたので、入ってみることにしました。入館料は無料。売店の中を左手に進むと双葉山の巨大なブロンズ像が出迎えてくれます。
 
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双葉山のプロフィールが説明されています。あとで調べた情報を付記すると、1937年(昭和12年)5月横綱に昇進、生涯戦歴は348勝116敗1分(幕内戦歴276勝68敗1分)、通算優勝12回(内8回は全勝)、1945年(昭和20年)11月に引退して年寄時津風(ときつかぜ)を襲名(しゅうめい)。1957年(昭和32年)5月相撲協会理事長に就任。昭和43年12月16日在任中に病死(享年56歳)。
 
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双葉山の等身大写真、足形、着物
 
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歴代横綱の手形を収めた額には、左から前田山(第39代)、男女ノ川(みなのがわ、第34代)、双葉山(第35代)、玉錦(第32代)、武蔵山(第33代)の手形が並びますが、双葉山の手は小さい方でした。
   
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ビデオで流されていたのは「昭和14年春場所4日目の前頭4枚目安藝ノ海(あきのうみ)との対戦」の記録映画
 
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双葉山が破れた決定的な瞬間
 
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双葉山入門以来全成績と69連勝軌跡(黄色地の部分)
 
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双葉山が描いた「だるまさん」
 
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横綱白鳳(はくほう)が双葉山の連勝記録を破るかと期待された平成22年九州場所の2日目に、白鳳は稀勢(きせ)の里に敗れて63連勝止まりとなり、双葉山の記録にはわずかに届かなかった様子(漫画家やくみつるし氏の描いた4コママンガの一部)も展示されています。
 
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「九州を横断するドライブ旅」の投稿をここで小休止します。

 

<同行者のコメント> 雨が降る中、遺跡巡りを始めたのは旦那様のいつもの行動ですから、私はもちろん車の中で待機していました。初めて訪れた宇佐神宮の広さにとても驚きました。森に囲まれたような境内には伊勢神宮と違う雰囲気を感じて、上宮と下宮に参拝したあとはとても清々(すがすが)しい気分になれました。今まで知りませんでしたが、双葉山さんってすごいお相撲さんだったんですね!
 
(続く)

2014年4月25日 (金)

九州を横断するドライブ旅 宇佐神宮(その3)

次いで下宮へ参拝します。案内看板には、『宇佐神宮の「上宮」と「下宮」の神域には、共に同じ御祭神を祀り、古来『上宮は国家の神として、「下宮」は民衆の神として、皇室をはじめ国民より篤(あつ)い崇敬(すうけい)を集めてきた。“片参り”とならないように、是非「下宮」にも参拝するように』とありました。“片参り“といえば、伊勢神宮では内宮(ないくう)→外宮(げくう)の順に参拝するのが「しきたり」になっています。また、長野の善光寺北向き観音とともに参拝するのが良いとされるように、両参りにはさまざまな神社仏閣の組み合わせがありますが、後者の場合はあまり気にしすぎない方がよいでしょう。
 
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宇佐鳥居を出たところにあるには国指定重要文化財の若宮神社です。応神天皇の若宮である第16代仁徳(にんとく)天皇、つまり大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)を祀っているそうです。ちなみに、応神天皇陵とされるのは大阪府羽曳野市にある誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳で、仁徳天皇の陵とされるのは大阪府堺市堺区大仙町にある日本で最大規模を誇る百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)です。下宮への参道は左手にあるのようです。
 
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新緑の中に参道の朱色に塗られた欄干(らんかん)が続きます。
 
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神橋を渡って鳥居をくぐると下宮の脇に出ました。下宮は上宮にくらべるとかなり小規模ですが、同様の形式で造られていいて、向かって左から一之御殿、二之御殿、三之御殿が並んでいました。
 
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一之御殿
 
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二之御殿
 
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三之御殿
 
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兆竹(さましだけ)の案内看板には、『往古、宇佐神宮で神意のト占を若宮神社の拝殿にて対馬のト部が吉向を焼いて行っていた。そのさい、この下宮掲題の竹を用いて熱したきっ抗をさましたといわれる』 占いの際につかわれていた竹といわれています。
 
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社務所の横に奇妙な形をした大木の一部が置かれています。まだ根付いているのかもしれませんが・・。
 
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表参道へ向かいます。前方に見えるのは下宮門です。
 
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下宮の案内には御祭神の名前とともに、、『下宮の八幡大神は御饌(みけ)を司るとおもに、農業や一般産業の発展、充実を守る神威を発揮している』と説明されています。
 
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表参道に出ました。
 
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変わった形をした常夜灯(じょうやとう)をすっぽりとツルが覆(おお)っています。その脇には「皇族下乗」の小さな立て看板がありました。皇族の方であってもこの先(上宮・下宮寄り)の参道は歩きなさいということでしょう。
 
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左手の神宮庁と右手の絵馬殿の間を抜ける広い参道を歩きます。
 
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右手の池が気になり、近寄ってみました。枯れたハスの間をコイが泳ぐ「菱(ひし)形池」です。ちなみに、菱形とは神が顕現した聖地を意味するそうです。
 
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右手に伸びる参道は宇佐祖(うさそ)神社、大尾(おお)神社、護皇(ごおう)神社へのもののようです。宇佐祖神社は頓宮(とんぐう)、つまりは仮殿(かりどの)で、夏越神幸祭(なごしのしんこうさい)が斎行される際に三基の神輿(みこし)がこの頓宮まで巡幸ののち遷御(せんぎょ)されるそうです。八幡大神は765年に造営された大尾神社に約17年間鎮座した場所であり、769年の弓削道鏡事件に際して勅使として参拝し、八幡大神より国体擁護の神教を授かった霊地だそうです。また、護皇神社の近くには和気公之碑があるようですが、雨が降り続いて難儀ですから、立ち寄ることを諦(あきら)めました。
 
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大鳥居のすぐ外にある黒男(くろお)神社は応神天皇など歴代天皇に大臣として仕(つか)えた竹内宿祢(かけのうちのすくねのみこと)を祭神としています。
 
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黒尾神社の前を左手に折れました。前方に見える古い橋は最初に渡った神橋から見た橋で、駐車場へ戻る近道なのです。
 
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その神橋が見えます。
 
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散(ち)りはじめた八重桜(やえざくら、別名:牡丹桜・里桜)が雨に濡(ぬ)れています。
 
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(続く)

2014年4月24日 (木)

九州を横断するドライブ旅 宇佐神宮(その2)

ひときわ大きな鳥居は宇佐鳥居
 
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階段参道の脇にはきれいな苔(こけ)が生えています。傘を差しながら撮影したため、手振れ写真になってしまいました。
 
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新緑のトンネルを抜けるような参道
 
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タコの足のように根を張った大木
 
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上宮の西大門(さいだいもん)を入ります。文禄年間(1592年~)に桃山風の華麗な構造に改築され、屋根は切妻(きりづま)および向唐破風(むこうからはふ)造りで桧皮葺、内部はとくに極彩色が多用されています。ちなみに、向唐破風は唐破風の一種で、葺(ふ)き下ろしの屋根の上に千鳥(ちどり)破風のようにして造られます。大分県の重要文化財に指定されています。
 
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正面に工事用の覆(おおい)いを被(かぶ)せられた建物が見えました。回廊(かいろう)に囲まれた上宮の本殿(国宝)のようです。
 
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左手には西大門の外からも一部が見えた神井(しんい)です。
 
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祭神である第15代応神天皇が崩御(ほうぎょ)されて1700年を迎えた式年大祭だけでなく、例祭にも天皇陛下が幣帛料(へいはくりょう、神への奉献)を奉(まつ)られことが表示されています。
 
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宇佐神宮の本殿には三神が祀(まつ)られています。一之御殿には第15代応神天皇(八幡大神)が、二之御殿には比売(ひめ)大神、三之御殿には神功(じんぐう)皇后が祭神です。八幡大神は応神(おうじん)天皇のご神霊(しんれい)であり、宇佐神宮は全国4万社を超える八幡宮の総本社です。神代に比売大神が宇佐嶋(宇佐神宮の南にそびえる御許山)に降臨されたと日本書紀には記されているそうです。神功皇后は応神天皇の御母です。このため、皇室も伊勢の神宮につぐ第二の宗廟(そうびょう)として崇敬(すうけい)されているそうです。
 
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第15代応神(おうじん)天皇は大和武尊の父である第13代景行(けいこう)天皇の三代あとの天皇とされますが、その実在性についてはいまだ諸説があるようです。神功(じんぐう)皇后は三韓征伐(朝鮮半島へ出兵しての新羅を降伏させ、百済と高句麗あるいは弁韓も支配下に置いた戦い)を行ったことで知られますが、朝鮮半島からの帰途に筑紫の宇瀰(うみ、福岡県糟屋郡宇美町)で応神天皇を生んだと伝えられます。応神朝の天皇が11代続いたあと、第14代武烈(ぶれつ)天皇に後嗣(こうし、跡継ぎ)がなかったため、応神天皇五世の子孫とされる第26代継体(けいたい)天皇が登場したことが古事記と日本書記に書かれています。現在の皇室は継体天皇を初代とする王朝であるとの説が有力です。私が強い関心を持つ継体天皇とその縁(ゆかり)の地についても、「大和路」「近江・湖西ドライブ」「河内ドライブ」「西国街道巡り」「最近読んだ本」の各記事で紹介しています。 

 

上宮の前に出ました。左手が上宮で、前方は樹齢約800年のご神木と祈祷殿(きとうでん)・絵画館、そして右手には社務所が配されています。
 
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まず、一之御殿にお参りします。通常の神社のように二拝二拍手一拝(礼)ではなく、伊勢神宮・出雲大社・熊野神社といった古社と同様に、二拝四拍手一拝をするのが正しい作法です。その基本動作だけではなく、お参りする前に軽く頭を下げ、しっかり鈴を鳴らし、賽銭(さいせん)を賽銭箱に静かに(丁重に)入れ、深く二度お辞儀(じぎ)をして、拍手するときには掌(てのひら)を少しずらして両手の指がそろわないようにすると良いと思います。そして、最後にもう一度お辞儀をします。お参りは、神様にお願い事をするのではなく、神様に感謝の気持ちを伝えることが目的なのです。
 
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次は上宮南楼門(なんちゅうろうもん)と回廊の奥にある二之御殿です。
 
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そして、三之御殿にもお参りしました。
 
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お参りをすませたあとは絵画館へ向かいます。
 
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階段を下りた地下1階にその入り口がありました。注)館内は撮影不可
 
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絵画館は地下1階に宇佐神宮の歴史(神代から江戸時代まで)についての絵画が15枚の絵と文、地下2階には和気清麻呂公のご事情(弓削道鏡事件と宇佐宮)関連が16枚の絵と文で解説されていました。数年前に弓削道鏡に興味を持った私は、それ以来宇佐神宮に参拝したいと思っていましたが、今回の旅でやっとそれが叶(かな)いました。「奈良仏教」「悪人列伝」「河内ドライブ」などの記事で弓削道鏡と宇佐八幡宮神託(しんたく)事件を解説していますので、ここでは説明を省略します。

 

絵画館から出た同行者は御神木からエネルギーをいただいているようです。
 
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絵画館の近くにある宇佐神宮奥宮大元(おおもと)神社遥拝所(ようはいじょ)
 
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宇佐神宮から4kmほど南東の御許山山頂(標高647m)にある奥宮方面は、残念なことに雨と雲で霞(かす)んでいました。
 
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(続く)

2014年4月23日 (水)

九州を横断するドライブ旅 宇佐神宮(その1)

桂川に沿って下る県道29号は国東半島の北西部にある豊後高田市の中心部に入りました。桂川に架かる御玉橋(おだまばし)には東屋(あずまや)が4つも付いています。
 
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その橋を渡るとすぐに県道29号は国道213号(杵築沿海路)に行き当たりましたので、新地交差点を左折して南下しました。2km足らずで旧豊前国の南東端に位置する宇佐市に入り、JR九州の日豊本線宇佐駅近くの岩崎交差点で国道10号(豊前街道)に合流しました。宇佐市の西端付近まで国道10号と国道213号との供用区間になります。1967年(昭和42年)に合併して市制に移行した宇佐市には中心部というものがなく、市役所が田園地帯の真っただ中に位置しているのは以前紹介した新潟県上越市と似た経緯があるのでしょう。国道10号は豊前国一宮である宇佐神宮(725年創建)の門前町として発展した宇佐地区へ向かいます。大きな立て看板がある国道10号沿いの広い駐車場に車を停めました。後払いの)駐車料金は普通車400円です。
 
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午後1時近くになっていましたので、駐車場に接する参道の入り口付近(表参道商店街)にある食事処に入りました。大分名物のとり天・だんご汁・あみ御飯がセットになった名物セット(980円)が私の目を惹(ひ)きました。「当店人気!No.1」と銘打っていますから外せませんが、ボリュームがありすぎますから、とり天定食にすることにしました。
 
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店内に入って鳥天定食を注文すると女性の店員から、「20分掛かるがいいか?」と予期しないことを聞かれました。正午をかなり過ぎてお腹が空いていたため、もう一つの名物である「神宮だんご汁」(890円)に変更。同行者は私の助言にしたがって「天ぷら茶そば」(800円)を注文しました。食べはじめたところへ家族連れの客が来店して鳥天定食を注文しました。店員はてっきり同じことを言うと思ったが、何も聞かずに注文を受けたようで、約5分後には何ごともなかったように配膳されました。まるでキツネにつままれたようです。入店した時に何か気に障(さわ)ることをしたのでしょうか?

 

思ったよりもボリュームのある「神宮だんご汁」を何とか平らげました。
 
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同行者によれば「茶そば」は薄味で、まずまずだったようです。
 
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気を取り直して、雨がそぼ降るイチイガシ並木の参道を歩きました。参道の先に朱が鮮やかな一之鳥居が見えてきました。(宇佐神宮の境内案内
 
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鳥居をくぐった左手に小型の蒸気機関車が展示されています。説明看板には、『宇佐参宮線26号上記機関車(大分県指定有形文化財)は明治24年(1891年)にドイツ・ミュンヘン市のクラウス社が製造、明治27年に九州鉄道(国鉄の前身)が購入し活躍したが、昭和23年に大分交通に譲渡されて、差宇佐参宮線の主役になって71年間にわたって活躍した」と書かれています。
 
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右手に折れると寄藻川(よりもがわ)に架かる朱塗りの神橋がありました。ここから先が神域です。
 
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参道の左手に立つ自由律俳人・種田山頭火(さんとうか)の句碑には、「松から朝日が赤い大鳥居」「朝霧にあとをつけて詣でる」とありました。後姿のレリーフは珍しいと思います。確認すると、3年半前に建立されたそうです。ちなみに、出家して禅僧になった山頭火は昭和4年(1929年)と同13年(1938年)に宇佐神宮を訪れているようです。
 
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神橋から見た寄藻川の上流方面です。川が左手に折れていますから見えませんが、300mほど上流にも神橋(西参道)があるようです。
 
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大鳥居とその先に続くまっすぐな参道
 
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大鳥居の右手には宇佐神宮宝物館がありますが、この日は残念ながら休館日でした。
 
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参道をさらに歩くと、左手に建設中の建物が見えます。
 
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平成27年10月に斎行(さいこう、神事を行うこと)される勅祭(臨時奉幣祭)記念事業で新築されている絵馬電でした。来月竣工を控えるこの絵馬電は個人が寄進したもので、事業費は4000万円と説明されています。
 
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参拝順路
 
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祓所(はらいしょ)は祭典の参列者などを修祓(しゅうばつ、祓い清めること)する所です。
 
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左手に折れると正面に上宮の鳥居がありました。長い石段が続くようです。
 
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左手には献上(けんじょう)された清酒があり、
 
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右手には下宮の鳥居が。しかし、上宮から参拝する順番を間違えてはいけません。
 
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(続く)

2014年4月22日 (火)

九州を横断するドライブ旅 国東市の「弥生のムラ」と「行入ダム」

国東(くにさき)市に弥生時代の遺跡があると知った私はさっそくルートを変更することにしました。国東町安国寺はすぐ先のようですから国道213号をそのまま北上すると、2kmほど先に「弥生のムラ」の小さな案内看板を見つけました。案内にしたがって左折して2kmほど走ると、右前方に再現された弥生時代の住居がいく棟も見えてきました。その左手には国東市歴史体験学習館の立派な建物をあります。
 
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広い駐車場側には入口がありませんので、駐車場奥の坂道で建物の右手にある細い道へと向かいました。体験学習館の入り口脇にも数台分の駐車スペースがあり、「弥生のムラ 国史跡安国寺集落遺跡」の案内図を見つけました。横断歩道橋を渡って「弥生のムラ」へ行けるようですが、その歩道橋へ向かう道が見つかりません。そこで、館内で尋(たず)ねることにしました。
 
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スタッフの方が内階段を降りて歩道橋へ行けることを教えてくださった上に、親切なことに階下の出口まで案内してくださいました。歩道橋脇の桜の花は半分ほど散ってしまい、葉桜になりかかっています。それに代わってツツジの花が咲き始めています。
 
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歩道橋を渡り終えると広場に出ました。
 
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小さな木橋の上から弥生住居を見渡せました。
 
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「弥生のムラ」の説明
 
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手前にある高床住宅
   
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その内部には木枠炉があります。
 
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足元に注意しながら奥へと進みましたが、水たまりに阻止されてしまいました。
 
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右手の大溝の先にあるもう一つの歩道橋を渡ると竪穴住居がある「弥生の広場」を経由して体験学習館へ戻ることができるようです。ここで引き返すことにしました。川と山に挟まれたこの場所は弥生時代の住居にふさわしかったことが理解できます。
 
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体験学習館の入り口まで戻ってスタッフの方に改めてお礼を言った時に入館料200円を支払っていないことに気づきました。その旨を申し出ると、「館内の設備を利用する人は有料ですが、通り抜けただけですから・・」と入館料は免除してくださいました。

 

一般道へ出た場所から見た「弥生のムラ」
 
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県道29号(豊後高田国東線)に出て西へ走りました。当初の計画ではなく、国東(くにさき)半島の中央部を抜けて、反対側の宇佐市へ出るコースに変更しました。平坦に見える国東半島は火山の噴火でできましたから、中央部は急峻な地形にしたがって県道29号は山道へと変貌しました。案内標識には寺の名前が次々と出てきますから、地図と照らし合わせると、現在位置を確認できます。寺のほかにダムの名前が登場することは意外でした。

 

県道29号を7kmほど走って行入(ぎょうにゅう)ダムに到着しました。
 
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国東半島で最大である行入ダムは、堤高43.5m、堤頂長180m、堤体積8.8万立米、総貯水容量164万立米、の重力式コンクリートダムです。
 
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「行入ダム建設概要」には、『平成9年2月18日に大分県における5番目の治水(ちすい)ダムとして完成したこと、当初は川の名前をとって横手川ダムという名称であったものを地元からの湯良い要望で地区名からとった「行入ダム」と呼称するようになったこと、構造物はデザイン的な要素を取り入れて景観・周辺環境との調和を図ったこと』など説明されています。
 
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ダムから放水しているのが見えます。典型的な重力式コンクリートダムですが、表面に石垣のような模様がつけられています。上記のデザイン的な要素のようです。
 
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行入ダムの越しに見る対岸は靄(もや)に霞(かす)んでいますが、両子(ふたご)火山群の噴火でできたと思われる奇岩群が確認できます。近くに「千の岩」と「万の岩」があるようですが雨と靄(もや)で確認できません。
 
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ダム湖側
 
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上流方向
 
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国東半島の最高峰である両子山(標高720.5m)の中腹を抜ける両子トンネル(長さ500m)に入ります。
 
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その先の走水(はしりみず)トンネル(長さ568m)を抜けて急坂を下りる途中にもう一つのダム「並石(なみいし)ダム」(ロックフィル式、高さ38m、堤頂長214.5メートル)がありましたが、雨足が強くなりましたので立ち寄らずに通過しました。(続く)

2014年4月21日 (月)

九州を横断するドライブ旅 大分空港から国東市の「黒津崎夢咲公園」へ

向かい風が強いため到着時間が予定より10分ほど遅れるとの機内アナウンスがありました。羽田空港を出発した時には晴れていましたが、いつの間にか眼下には厚い雲が垂れ込めていることを気づかされました。そのため、窓から下界の景色を見ることはあきらめて、1時間35分のフライト中は音楽を聴いて過ごすことに。ちなみに、羽田空港から大分空港までは約800km(499マイル)の距離があります。

 

機内のディスプレイに時々表示されるルートマップをたどると、NH191便は名古屋・京都・姫路・岡山の上空を通過し、広島県三原市付近(高度約3000m強・対地速度約650km/h)で下降をはじめ、呉市付近で雲の中に入ったため少し揺れを感じ、岩国空港付近で左旋回するとともに着陸態勢に入りました。大分空港に差し掛かかった時、窓ガラスに水滴が横に流れるのが見えますから、雨が降っているようです。
 
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予告された通りに10分遅延して、午前10時15分に大分空港到着に到着。国東(くにさき)半島の東半分を占める国東市にある大分空港は国東半島の沿岸海域を埋め立てて造成した空港です。
 
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到着便の案内ボードには5分遅れと表示されています。
 
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手荷物引渡所のベルトコンベア脇に奇妙なものを発見。ステンレスで作られた巨大な国東産タチウオ(銀太刀)であると知って驚きました。
 
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ベルトコンベアを見ると、乗客の手荷物と交じって巨大なエビのにぎり寿司が流れてきました。手荷物用のベルトコンベアを回転寿司のチェーンコンベアに見立てた洒落(しゃれ)なのでしょう。
 
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ペンギンのような人形の胸に「世界的の巨匠アルゲリッチ唯一の音楽祭! ここでしか聞けません!」と書かれたワッペンが貼(は)られています。その意味がさっぱり理解できないのでネット検索で調べると、14年間も続いている「アルゲリッチ別府音楽祭」のことでした。アルゼンチン出身の世界的な女性ピアニスト、マルタ・アルゲリッチ氏は1994年から別府ビーコンプラザ・フィルハーモニアホール名誉音楽監督に就任し、1996年から「別府アルゲリッチ音楽祭」総監督をつとめており、1999年からは出身地であるブエノスアイレスで「マルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクール」が開催されているそうです。
 
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手荷物引渡所の出口の上に、「軍師・黒田官兵衛 ゆかりの地 中津市」と派手な看板が掲げてありました。播磨灘物語を読む(下巻)の記事で紹介したように、黒田官兵衛(如水)は秀吉の死後に帰国して豊前中津城に居を構えて、豊前と豊後を手始めに九州の半ばを平定しました。しかし、如水の予想に反して関ヶ原の戦いが1日足らずで終わったため、そのすべてを家康に返上して、隠居の身に戻ってしまいました。
 
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ターミナルビルの中で見かけたセブンイレブンの店舗は、あの特徴あるカラフルな看板ではなく、なぜか無地のシンプルなファサードなのです。外装が未完成ではないかと思わせます。
 
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案内標識にしたがって向かったタイムズカーレンタルのカウンターに申し出ると、ほどなく送迎用マイクロバスがターミナルビル前に到着しました。空港出口交差点の前にあるタイムズカーレンタル大分空前店が空港ターミナルから200mほどの距離ですから、天気が良ければ歩くこともできそうです。ちなみに、タイムズカーレンタルは自動車会社のマツダの子会社(マツダレンタカー)でしたが、駐車場管理業者であるパーク24の子会社となり、昨年4月1日に現在の名前に変わったようです。

 

予約しておいた小型車を受け取って国東半島を巡るドライブに出発しました。まず、立ち寄ったのは空港から国道213号(杵築沿海路)を6kmほど北へ走った黒津地区にある道の駅「くにさき」です。国道213号と国道10号(豊前街道)で火山地形の国東半島を一周する計画ですが、地元の情報を入手する目的がありました。
 
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夢咲(ゆめさき)茶屋は農産物販売所で、
 
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その左手に黒津崎夢咲公園の案内図がありました。「夢さき 花さき くにさき」とうまく語呂合わせをしています。
 
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黒津崎夢咲公園の入り口付近に立つ石碑には、「いにしへの 流転の民がいひけらく 国のはてなる ここは国東」と刻まれています。横に立つ解説には『昭和23年に田深川の下流、前田で安国寺遺跡の水田の下から弥生時代の遺跡がみつかり、その取材に来たはずの毎日新聞の地方記者であった国東半島出身の山本保さんがその遺跡に熱い思いを抱いて読んだ歌である』とありました。
 
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公園内にある案内標識
 
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黒津崎と伊予灘(いよなだ)を望む
 
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海岸に立つのは「信濃路の手記」などを書き残し、京大哲学科在学中に学徒動員されフィリピンのルソン島で戦死した、国東町出身の後藤三郎氏(1923-1945年)の歌碑です。弧櫂(ことう)と題して、「岬水(こうすい?)すみて 秋空翠沓(しゅうくうすいとう)し おもひありやなし 菊ただ白きかな」とあります。ちなみに、櫂(かい)は水をかいて船を進めるために使う船具の名であり、翠沓はヒスイのように青緑色をしていることを意味するようです。
 
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さらに公園の奥へと進むと、お土産・物産館「黒津之庄」がありました。
 
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同行者が店内を見て回る間に私は鴨居(かもい)付近に貼られた石仏の写真を眺めました。国東半島は「み仏の里」と呼ばれるように古寺と石仏が多いことで知られます。その背景は平安時代に九州の中心的な存在であった宇佐神宮の財政力と宗教勢力によって、国東半島の仏教文化とともに、神仏混合の一大霊地を生んだことがあるようです。
 
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同行者はたっぷりお土産を買いこんで満足そうです。しかし、まだ初日が始まったばかりですが・・。
 
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(続く)

2014年4月20日 (日)

九州を横断するドライブ旅 羽田空港

1カ月半前の四国に続いて、九州へ出かけることを思い立ちました。私にとって九州は思い出の深い場所です。今からちょうど50年前(大学に入った年)、北海道旅行に続いて九州を自由に周遊できる国鉄の周遊券(均一周遊乗車券)を使って、ユースホステルに宿泊する、バックパッカーの旅をしたのが最初の九州旅行でした。その10年後には同居者との初旅行先として九州を選び、そして今から10年前にも温泉を訪ねながら大分から熊本まで「やまなみハイウェイ」をドライブしました。その時は、臼杵(うすき)の石仏、湯布院(彩岳館に宿泊)、高千穂峡、黒川温泉(夢竜胆に宿泊)、阿蘇山などを巡りました。今回の旅は、前回のコースをほぼ踏襲しながら、佐賀と長崎へと足を延ばすことにします。

 

早朝、同行者とともに自宅を出発し、午前7時少し前に羽田空港(正式名称は東京国際空港)の国際線ターミナルの脇を通過して第2旅客ターミナルへ到着。P4駐車場(本館2階)に車を停めました。予約した便が出発するまでまだ1時間半以上もありますから、ターミナル内の3階ロビーで朝食を摂りながら待つことに。
 
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午前8時少し前に指定されたD検査場近くのカウンターで手荷物を預けて、

 
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検査場を無事に通過、68番搭乗口に向かいました。
 
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その途中、昨年話題になったボーイング社の最新鋭旅客機(B787)を見かけました。全日空(ANA)は2011年10月にB787の運航を開始しましたが、昨年1月に同社の山口宇部空港発・羽田空港行き機体のバッテリー(リチウムイオン電池)が焼損する事故を起こして高松空港に緊急着陸したのです。そして同社が保有する全17機のバッテリーをすべて改修し、確認飛行を行った上で、昨年6月に運航を再開しています。
 
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動く歩道がさらに続きます。
 
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やっと第2旅客ターミナルの南端にある68番搭乗口が近づきました。
 
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全日空の特徴ある色調に塗装されたB787が並んでいます。我われが乗る大分空港行きもB787かもしれません。
 
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これは2010年1月から使われている管制塔です。第2旅客ターミナルで隠されている部分が多いため分かりにくいのですが、高さは116mもあって世界3位(国内1位)を誇っています。これほど高く造られた理由は2010年に完成したD滑走路が管制塔からかなり離れているからのようです。
 
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同行者はスターバックスの店を見つけました。
 
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そして、何やら品定めをしています。
 
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購入したのは季節のおすすめ商品(数量限定)の「キャラメル クリーム フラペチーノ」(トールサイズ450円)でした。キャラメル風味のフラペチーノ(フラッペとカプチーノを組み合わせたスターバックスの造語)だそうです。
 
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待合所から真っ黒な機体が見えました。機体にはSTARFLYERと表示されています。北九州空港に本拠を置く格安航空会社で、旧・日本エアシステム(JAS、元東亜国内航空)の社員を中心に設立され、現在は全日空が筆頭株主)のエアバス社製A320-200型機です。です。第2ターミナルに駐機していますから、全日空との共同運航便(関西国際空港行き)のようです。後方を移動するのは日本航空の子会社であるジャルエクスプレス社(JAL Express)の機体(ボーイング737-800)です。3年前に鶴のマーク「鶴丸」が復活して良かったと思います。右手にはOne World(世界の航空連合)と大きく表示された日本航空のワンワールド・デザイン機(B777-300)も見えます。国内線で使われているのはこの1機だけだそうです。
 
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ズームアップすると、D滑走路(全長2500m)へ続く誘導路、さらに遠方には東京湾アクアラインの風の塔が確認できます。日本航空の機材には古い塗装のままのものが残っていました。
 
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午前8時を過ぎました。出発準備中と表示されていますから、午前8:30発大分空港行ANA191便は予定通りに飛ぶようです。
 

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午前8時15分に搭乗が開始されました。搭乗する飛行機は、残念なことにB787ではなく、B737-800でした。
 
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B737-800は、全長39.5m、全幅35.8m、全高18.5m、航続距離3,670km、座席数167(または176)のなか小型機です。。動き出したANA191便は、さきほど眺めていた誘導路を経由して、珍しい桟橋(さんばし)構造で一部が造られたD滑走路へ向かいます。


 
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 (続く)

2014年4月12日 (土)

iPad Airを楽しむ

テレビ東京系列で放送されているWBSのメインキャスターが3月31日に大江麻理子アナウンサーへ変わってから、ちょうど2週間が経過しました。ニュース読みはもちろん、コンサートの司会やバラエティ番組なども卒(そつ)なくこなす大江アナウンサーらしく、今回の大役を初回から安定感をもって果たしています。前任者が15年間の長きにわたって担当してきた番組であり、プレッシャーを感じているはずですが、それをまったく感じさせないのはさすがだと思います。さて、本題です。

 

昨年10月に発売されたiPad Airを手に入れて、ちょうど1カ月が経過しました。毎日のようにいじりまわしていますが、私の期待を超える魅力に溢(あふ)れた製品です。、デシスプレイの大きさもちょうど良く、もう一つの有力候補であったiPad miniにしなかったのは正しい選択でした。タブレット(石板の意)と呼ばれるiPad Airの極めて薄い本体を左手で持ち、右手でフィンガー操作すますが、iPhone5よりもはるかに扱いやすいのです。

 
2014_0402ipadair0017わが家におけるiPad Air
の主な用途は、WEBサーフィンと受信メールのチェック、そしてYouTubeのビデオ視聴などですが、いずれにおいてもパソコンより簡単に操作できます。WEBやメールは本のページをパラパラめくるように斜め読みもできます。そして、YouTubeでは主に音楽を視聴していますが、iPhone 5の小さな画面に比べると迫力ある大きな画面で見られるのは大きな魅力です。同様に、新聞記事についても、パソコン向けの電子版のように記事が細切れではなく、縦長のディスプレイで紙の新聞と同様にページ全体を一覧(もちろんピンチアウト操作でその一部を拡大することも簡単)できることはアナログ人間である私に向いています。

 

唯一かつ最大の問題点は、アップル社の製品に共通することですが、Flash Playerをサポートしていないことです。しかし、これほどアップル社の製品(iPhoneiPadMac Bookなど)が普及しており、Flash Playerが主にビデオの領域で使われるだけになったにもかかわらず、Flash Playerを必要とするサイトがあることの方が奇妙なことだと思います。私が利用するブログ「ココログ」はアップル社のブラウザであるSafariで記事を作成(リッチテキストモード)すると使いづらく(Firefoxなら問題ないようです)、専用アプリを使う必要があることも残念です。ですから、iPad Airを使ってブログ記事を投稿することは今のところ様子見(ようすみ)の状態です。「ココログ for iPhone」のiPad版ができると良いのですが・・。

 

私の小さなこだわりである、『Googleをできるだけ利用しない(個人情報を提供しない)』というポリシーから、YouTubeiPad Airのアプリ(Googleに登録しないと利用できる機能が限られる)ではなく、ブラウザのSafariを使って視聴しています。こちらであればブックマークに気に入ったビデオを登録して、いつでも簡単に視聴することができて便利です。

 

最後に蛇足ですが、iPad用のアプリはiPhone用にくらべると少ないようで、iPadの大きな画面を活(い)かすアプリが早急に増えることを期待しています。

2014年4月 5日 (土)

洞ヶ峠を再探訪する

八幡市(やわたし)に立ち寄ったついでに、中途半端に終った前回の「洞ヶ峠探訪」のリターンマッチをすることにしました。現在、洞ヶ峠の痕跡(こんせき)は残っていないことを承知していますが、ずっと寝覚(ねざ)めが悪いままなのです。前回の探訪では国道1号(枚方バイパス)の洞ヶ峠交差点付近を無闇に調べましたが、今回は少し戦略的に考えることにしました。つまり、洞ヶ峠(ほらがとうげ)は大和(奈良県)と京(京都市)を結ぶ街道にあったはずですから、その街道筋を丹念に辿(たど)れば良いとの考えです。

この街道は東高野(ひがしこうや)街道です。数多く存在した高野街道でいちばん東にあったことから、この名前があります。東高野街道は、木津川を渡って八幡市の岩清水八幡宮の近くを南下し、洞ヶ峠に至っていることを前回の探訪前に確認していました。隣の枚方(ひらかた)市側には高野道(こうやみち)という地名が現存します。ですから、東高野街道が現在も残る八幡市側から洞ヶ峠を目指ことにすしました。

以前、通りがかりに見たことがある松花堂(しょうかどう)庭園の前から東高野街道を辿(たど)りました。吉井バス停(安居塚)の南側は宅地化が進んでいるため東高野街道の面影はほとんど感じられませんが、バス停付近で洞ヶ峠方面(南東方向)に伸びる狭い道に右折しました。このまま直進すると美濃山の峠を越えて長尾へ至る山根街道(河内道)です。山手幹線(府道284号)につながる市道の下をトンネルで潜(くぐ)って福禄谷(ふくろくだに)へ入ると、急に旧街道の雰囲気がありました。竹林の中を抜けると達磨堂円福禅寺(だるまどうえんぷくじ)の前に出ました。左手は八幡円福寺霊園です。この辺りが一番高い場所と思われます。
 
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案内看板にある説明によれば、「円福禅寺は天明年間(1781-1783年)に開創された臨済宗妙心寺の修行道場」ですから、天王山の戦い(山崎合戦)に備える明智光秀の要請で筒井順慶(つついじゅんけい)が大和から洞ヶ峠まで来た頃には、この寺院は存在していません。そして、史実としては、筒井順慶が洞ヶ峠まで来ていないことは確かなようですが・・。

三差路(さんさろ)から南方向の枚方市高野道2丁目に伸びる広い道が、現在の地図上では東高野街道とされています。その先は中小企業枚方団地の脇を抜けて国道1号(枚方バイパス)に合流しています。そして枚方市田口の出屋敷南交差点で府道18号となって交野市(かたのし)へと向っています。
 
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とすれば、円福寺前の三差路が洞ヶ峠であるはずですが、それらしき標識や案内看板は見当たりません。直進する方向(東方面)にも道が続いています。位置関係を考えると、この道は100mほど先で国道1号と交差するようです。
 
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予想した通り国道1号に出ました。
 
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国道の反対側にも細い道が確認できますが、未舗装(みほそう)であり、しかも通行止めになっています。
 
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この交差点の角には、その名も「峠の茶屋」がありました。茅葺(かやぶき)の風情ある建物です。「ぼたもち」が名物になっているようです。
 
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「峠の茶屋」脇に洞ヶ峠の案内看板が立っていました。
 
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東方面へはこれ以上進めませんから、国道1号を八幡洞ヶ峠交差点へ向かいました。この交差点のすぐ近くには、以前立ち寄ったことがあるラーメン店「一蘭(いちらん)」があります。
 
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その筋向い(山手幹線側)に摂南大学と大坂工業大学の派手な立て看板の間に小さな石柱が見えますので、確認してみることにします。
 
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「筒井順慶陣所跡」の石碑は道標も兼ねていて、『右西双子塚三丁、左圓福寺三丁』とありました。道路が建設された時のこの近くから移転されたと思われます。
 
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念のため
摂南(せつなん)大学薬学部のキャンパスを再訪しました。地図を見ると摂津国(京都府)と河内国(大阪府東部)の境界が東西に伸びています。国道1号の西側から見た通行止めの道は摂南大学のキャンパスで途切れているようです。
 
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反対側は大坂工業大学のキャンパスです。
 
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摂南大学の駐車場の金網フェンスに隠れるように古びた石柱が立っていました。何やら文字が刻まれているようです。
 
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「府界」と読めます。
 
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当然ですが、現在の府境もほぼ同じであり、付近に洞ヶ峠と関係がありそうなもの見当たりません。やはり、昔から東高野街道は洞ヶ峠付近から南下していたのです。山城国と河内国の国境を通っていたのではないかとの先入観を持ちすぎていたようです。
 
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帰宅後にもう一度調べ直してみました。そして東高野街道(旧道)の詳しいルートが分かりました。山根街道との分岐点から南山小学校の少し西を通過し、NTT洞ヶ峠通信所をから八幡円福寺霊園の東側を通って、くら寿司高野道店の前で国道1号に接し、日立枚方体育館の前で現在の高い野道にそってさらに南下し、中小企業枚方団地と「フォレオひらかた」の間を抜けて国道1号(枚方バイパス)に合流するのです。洞ヶ峠付近で現在残る東高野街道の区間は八幡市内(山根街道との分岐点まで)と枚方市高野道の南半分だけと言っても良さそうです。

そして、洞ヶ峠は八幡市安居塚のNTT洞ヶ峠通信所と同柿ケ谷の八幡霊園墓地にかけて存在したようです。現在は山手幹線へ続く市道が切通しで通過していますから、洞ヶ峠の面影はほとんど残っていません。昔から名前が良く知られた洞ヶ峠は地名として残るだけになったのは残念です。

                            ☆

帰路は走りなれた新名神・東名阪・伊勢湾岸道路・東名高速道路を経由して新東名高速道路に入りました。夕食の時間になりましたので、久しぶりに浜松SA(上り線)に入りました。人気がある浜松SAいつも混雑する場所ですが、この日は小雨が降っているためか、拍子抜(ひょうしぬ)けするほど空(す)いていました。2年前の6月に立ち寄った時に長い行列ができていたため断念した「名古屋コーチン親子丼」(880円)を注文しました。
 
Photo 

同行者はあまり食欲がないというので、その時に食べて美味しいと思った元祖浜松ぎょうざ「石松餃子」(10個、525円)をシェアすることを条件に注文してくれるように頼みました。(写真を撮影しそこなったため2年前の写真を流用)
 
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いずれも期待通りの美味しさでした。餃子は全部食べることができなかったため、石松餃子の店員さんに頼んで、残った半分をドギーバッグ(持ち帰り用のプラスチック容器)に入れてもらうことに。そして、その夜は自宅でもう一度美味しい餃子を楽しむことができました。
 
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<同行者のコメント> 今回は大阪に宿泊して京都へドライブしただけでしたから、いつもと違って余裕があるスケジュールで疲れることはありませんでした。オチビちゃんとコチビちゃんとたっぷり遊べたことも良かったと思います。

2014年4月 4日 (金)

流れ橋がまたまた流れた!

京都縦貫自動車道の長岡京IC付近まで戻ったところで奇妙な光景を見かけました。工事現場のようですが何かが違うのです。脇道に入って確認すると埋蔵文化財の発掘を行っていることが分かりました。長岡京市埋蔵文化財センターの名前は見覚えがあります。3年前に同センターを訪れています。
 
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発掘作業はかなり進んでいるようです。
 
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関西の大手スーパーの店舗予定地だと立て看板に説明されていました。長岡京市埋蔵文化財センターのhpによると縄文時代から中世にかけての重複遺跡である伊賀寺(いがじ)遺跡でした。
 
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伊賀寺遺跡は、縄文時代中期から後期にかけての建物や墓、玉造りに関係する遺物などをもつ集落遺跡で、発掘調査によって11棟の建物跡(竪穴建物など)が計発見されたことで、縄文時代中期末(約4000年前)には近畿地方最大級の集落遺跡であることが明らかになったそうです。また、発見された建物のうち1棟には石で囲んだ炉をもっていたとのこと。
 
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別の資料によれば、スーパーの建設にともなって昨年(2013年)10月から約1690平方メートルを調査したところ、小泉川左岸流域の段丘で、一辺約5メートルの正方形と、直径約5メートルのややいびつな円形の建物遺構が見付かり、内部から大量の石や土器、石器が出土し、縄文時代中期(紀元前25世紀)ごろのものと分かったそうです。これとは別に7世紀の飛鳥時代の竪穴建物7棟と掘っ立て柱建物2棟の遺構も発掘されたとのこと。おおむね方位がそろっていることから、計画的に配置された可能性が高いそうです。

府道204号で桂川を渡り、府道13号で宇治川と木津川を越えて、八幡市(やわたし)に入りました。府道22号にそれて、同市の上津屋(こうづや)地区に到着し、木津川の堤防に上がりました。これまで何度も訪れた場所です。
 
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左手に見える橋は第2京阪道路(国道1号)の新木津川大橋です。
 
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堤防のうえにある道路は府道281ですが、何と流れ橋も府道で、対岸の久御山町へと続いているのです。
 
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木津川の6km地点(淀川となる合流地点からの距離と思われる)で下流方向を撮影しました。
 
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日本で最長級の木造橋(全長356.5m、幅員3.3m)の木津川の流れ橋(上津屋橋)は昨年9月の台風18号による増水で橋桁(はしげた)がすっかり流れて無残な姿になっていました。流れた橋桁(橋板付き)はロープでつながれたまま下流側にあることが確認できました。流失してしまった橋桁もあるかもしれません。
 
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今年の5月31日までに復旧工事が行われています。
 
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流れるような構造で作られた橋桁だけではなく、流れるはずがない橋脚までが一部ですが流失していました。
 
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久御山町側のコンクリート製の橋脚は無事のようです。
 
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2012年の流出は上流にある高山ダムの緊急放流が木津川の増水に影響したようです。
 
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1953年に架設されて以来、ちょうど20回目の流出で、2011年からは3年連続しており、流れ橋の修復には数千万円と多額な費用が必要であるため、地元では流れ橋の是非論があると地元紙が報じていました。ちなみに、2013年4月に約3500万円かかけて修繕したにもかかわらず、木津川の流れ橋は約半年間使用しただけで流出しています。毎年のように大きなコストが発生する木津川の流れ橋ですが、貴重な文化遺産ですから、今後も長く保存してほしいと願うばかりの流れ橋ファンです。

2014年4月 2日 (水)

パソコンの終焉期は到来するのか?

一週間後の4月9日にWindows XPのサポート(セキュリティ・パッチの無償提供)が終了します。つまり、4月9日以降はOSWindows XPを利用するパソコンは使えないのです。もし使い続ければ、ブレーキの調子が悪い車に乗るようなもので、いつ事故を起こしても(に遭っても)おかしくない状態に陥る危険性があるのです。あるいは、窓に鍵を掛けない無用心な家のようなものだと言うべきかもしれません。具体的には、自分のパソコンがウイルスに感染したり、ハッキングされたりして、予期しないトラブル(あるいは損害)が発生する可能性が高くなるのです。

個人だけではなく企業も現在使用しているWindows XPからそれより新しいWindows OS(主にWindows 7)への切り替えを進めているようです。保守期間が一番長く残る最新OSWindows 8/8.1は、企業のITシステムの大幅な変更あるいは社員教育が必要になるため、限られた企業だけが採用しているとも言われます。その理由はWindows 8/8.1に対応するアプリケーション・ソフトがまだ多くないこと、Windows 8/8.1の特徴が企業にとって必須ではないこと、何よりユーザビリティ(操作感)がWindows XPと大きく違うためにその習熟と再教育に時間が掛かることが挙げられるようです。逆に、Windows 7は、リリースから数年が経過したことで対応するアプリケーションが多く、OSとしての安定度が高く、操作感もWindows XPに近いのです。

マイクロソフト社がiPadなど、タブレット端末の急増に押されてWindows 8/8.1を一昨年と昨年に相次いでリリースしたことは、利用者にとって親切とは言えない(メリットが少ない)と思います。当然のことですが、マイクロソフト社はWindows 7をWindows 8.1に切り換えることを推奨していますが、Windows 8/8.1のシェアが期待通りに伸びないためのセールストークであることが透けて見えます。ちなみに、今年1月現在の世界OS市場のシェア(米分析会社Net Applicationsの調査)は、Windows 8/8.1(合計10.58%)、首位のWindows 747.49%)、Windows XP29.23%)、Mac OS X 10.93.2%)、その他(合計9.5%)と顧客の評価を如実(にょじつ)に物語っています。

何事に対しても用心深い私は、メインのパソコンをWindows XPを搭載したものからWindows 7を搭載したものに移行する作業を半年前から続けてきました。実質的には昨年末にその作業をほぼ完了していましたが、年が明けてからは使い慣れたWindows XPパソコンとサブのWindows 7パソコンを半々の割合で使って来ました。しかし、期限切れが近づいても、課題であったサブ用パソコンの選定作業は3月までずれ込んでしまったのです。

そして、サブ機として私が選んだのは、パソコンではなくタブレットであるApple社のiPad AirWiFiモデル、32GB)でした。Windows 8.1がまず下馬評から外れ、iPad Airが対抗馬のiPad miniを第4コーナーで追い抜いたのです。最大の理由はiPad(またはiPad mini)が欲しかったことと、マイクロソフト社の最新OSであるWindows 8.1に興味が持てないことでした。以前の記事に書きましたが、Windows XPをピークにマイクロソフト社製のOSは魅力と完成度が低下したように思います。そして、パソコンの致命的な欠点である起動時間は、初期のものに比べれば少しは短くなりましたが、現在でも1分強も掛かるのです。

パソコン以外に(カップ麺を除けば)このような商品は見当たりません。現在の自動車はエンジンを温めること(暖気運転)なく発進できますし、エアコンもほぼ準備時間なしで暖房できる製品が最近発売されました。ラジオやテレビ、そして反応が遅い代名詞に使われた蛍光灯ですらほぼ瞬時に点灯するようになっています。一方、パソコンを直ちに使えるようにするには、常時電源を入れておくか、スリープ(スタンバイ)あるいは休止状態(主としてノートパソコン用でスリープとシャットダウンの中間)にするしかありません。

前者は電気の無駄使いであるだけでなく、ハードディスクの寿命を縮める可能性もあります。後者(スリープ)はメモリーなどへの負担が高まったり、データを失ったりする可能性があり、CPU用ファンが停止あるいは減速してCPUの温度が上昇して悪影響を及ぼす恐れがあります。つまり、パソコンを使わない場合、原則はシャットダウンすべきで、短時間使わない場合にのみスリープあるいは休止状態を利用すべきなのです。

起動時間の長さ以上に私が煩(わずら)わされたものがソフトウエアです。OSとアプリケーション・ソフトとの互換性は、無用とも思われる出費を強いられた上に、バージョンアップの作業が必要になったことは数えきれません。加えて、OSとアプリケーション・ソフトのいずれが原因か分からないトラブル(フリーズなど)もしばしは経験しました。私が特に不条理だと思うことは、OSのバージョンアップが有償であることと、サポート期限があることです。まさに、ボッタクリ商法ではないでしょうか。

2014_0402ipadair0009愚痴(ぐち)はさておき、購入したiPad Airは画面が9.7インチと通常のノートパソコンより二回り小さいのですが、高精細のレティーナ(Retina)・ディスプレイですから、手に取って操作する状態ではほぼ不都合はありません。起動時間もA7チップを使うiPad Airは完全な休止状態(アップルのマークが出た状態)から約20秒、WiFi経由ではWEBへのアクセスは2-3秒、YouTubeビデオも3-4秒と十分速いレスポンスです。このように速い理由はOSの違いに加えて、内臓する記憶媒体がパソコンのようにハードディスクではなくフラッシュメモリーであることによります。


2014_0402ipadair0010音声もiPad Airの下端にスピーカが2つ設置されていて、ステレオに対応できるだけでなく、通常のノートパソコンよりもハイファイ(高音質)で、しかもボリュームを最大にしても音割れを起こすこともありません。タッチ式のソフトウェアキーボードはiPhone 5よりはるかに大きくて操作しやすいことも優れた点です。長文の文字入力を頻繁(ひんぱん)に行う人は、キーボード付きの充電ドック、あるいはBluetoothインターフェースのキーボード(いずれも数千円)を購入すると便利かもしれません。しかし、それではMacBook Airを買うのと同じになってしまいますから、筋が悪い考えでしょう。


2014_0402ipadair0005外付けキーボードやさらに良い音質で聞くための外部スピーカー(例えばBose社のBluetoothスピーカー)や外付けHDDWiFiインターフェイス)は今後の楽しい悩みとして、私がまず購入したアクセサリーは充電用ドックスタンドです。あれこれ吟味した結果、昨年11月に発売されたBelkin社製の充電用ドックスタンド(Belkin Express Dock for iPad)を選びました。Lightning端子とUSBのコードが付属していて、iPad AirはもちろんiPad miniiPhone 5/5Sにも使えます。これにiPad Airに付属していたApple 12W USB電源アダプターを接続すればよいのです。この電源アダプター(出力5V/2.5A)はダウンワード・コンパチビリティ(1Aと充電電流が少ないiPad miniiPhone 5/5Sにも使用可)があるのです。


2014_0402ipadair0001主として自宅内で使用するiPad Airは家庭内のLANに接続されたFONルーターとWiFi接続(MyPlaceで約10Mbps)していますが、旅行などで外出した時にはiPhone 5のテザリング機能でWiFi接続することができます。iPhone 5LTE回線を利用しますから接続スピードはわが家での実験では4Mbps弱と減少(iPhone 5単体では10-15Mbps、いずれでもYouTubeビデオは再生可)し、3G回線ではスピードはさらに下がると思われますが、不便は感じることはないでしょう。

iPadに代表されるタブレット端末は、ソフトウェアキーボードを利用しますが、クリック感がなく誤操作しやすいことから使いづらいと感じる人も多いようです。しかし、実用化されつつある音声認識技術を利用したサービスで文字を入力する「音声検索」アプリケーション(iPhone/iPadの”Sii”日本語入力機能、NTTドコモの「しゃべってコンシェル」、Googleの音声検索、ジャストシステムズ社の音声認識ソフト「ドラゴンスピーチ11J」など)を使用すればこの弱点は今でも解決できると思われます。

つい最近、マイクロソフト社がiPadでマイクロソフト・オフィスのWord/Excel/PowerPointのファイルを読むことができる” Microsoft Office for iPad”を無償で提供すると3月28日に発表しました。まずは米国においてだけですが、一年前にiPhone向けに” Microsoft Office Mobile”をリリースしたことに続く朗報です。この無償アプリでは文書の作成や編集はできませんが、マイクロソフトのOffice 365月極利用プランに加入すれば文書を作成・編集することができるようです。また、同時に” Microsoft Office Mobile”はOffice 365に加入していなくてもMicrosoftアカウントのみで編集も可能になったようです。垣根が徐々に低くなったことで、Windows OSの呪縛(じゅばく)から解き放たれる時期はそれほど遠くないかもしれません。

2014年4月 1日 (火)

「そうだ 京都、行こう。」 善峯寺 (Ⅳ)

薬師堂の裏手に池がありました。ここが蓮華寿院(れんげじゅいん)旧跡庭のようです。この庭周辺を含めて善峯寺の境内は京都における紅葉の名所のひとつだそうです。
 
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池のほとりで南天(なんてん)の赤い実がたわわにみのっています。
 
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善峯寺歴代親王廟(功績があった祖師の御墓)の前を通過すると、階段が下方に続いていました。「青蓮の滝」があるようです。
 
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どんな滝か想像しながら石段を下りきると左手に「青蓮の滝」がありました。石仏不動明王を対岸に祀(まつ)る池に石製の樋(ひ)から水が流れ下りています。水が池に落ちる付近まで飛び石が続いていますから、不動明王を近くでお参りするためか、あるいは滝行(たきぎょう)が行われるのかもしれません。
 
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下に見えるのは釈迦堂(しゃかどう)のようです。
 
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阿弥陀堂(あみだどう)へ向います。
 
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薬師堂へ向う時に通った遊歩道に合流すると稲荷社です。
 
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出世薬師如来の石柱
 
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釈迦堂の脇を抜けて右に折れると阿弥陀堂がありました。寛文13年(1673年)に建立されたお堂の本尊は宝冠阿弥陀如来(ほうかんあみだにょらい)です。
 
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ふたたび長い石段が続きます。
 
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石柱の裏に「宮内省」と刻(きざ)まれています。
 
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さきほど通過した善峯寺歴代親王廟の石柱でした。宮内省がこの石柱を立てたことは意外に思われました。天皇家と縁(ゆかり)が深い善峯寺だからかとも考えましたが、鎌倉時代に代々住職をされた青蓮院(しょうれんいん)親王の御陵があることがその理由のようです。宮内省とありますから戦前(厳密には1947年以前)のものでしょう。
 
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本坊は住職が住む僧坊です。扉が外からロックされていますから、現在は使われていないのかもしれません。
 
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絵馬堂・多宝塔と表示された標識がありましたので、経堂脇の枝垂れ桜に立ち寄ることにしました。絵馬堂は現在祈願成就の絵馬奉納所になっている経堂の別名です。
 
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長い石段の踊り場から経堂へ向かうと、「桂昌院枝垂れ桜」の巨大な枝が目の前に長く伸びていました。
 
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別のアングルからもう一枚
 
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順路どおりに観音堂(本堂)の前に出て、お堂巡りを無事に終えました。
 
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冒頭の説明と重複しますが、山門脇に立つ善峯寺の案内看板の写真を掲載します。
 
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<同行者のコメント> 旦那さまの主目的はこちらのお寺だったようです。山全体が善峯寺の境内で、かなりの高低差もありましたが、楽しくお堂めぐりができました。宇治の三室戸寺を訪れたのも3月の終わりでしたから春の花は少し咲き始めていましたが、アジサイはまったく咲いていませんし、蓮の花を咲かせる蓮根(れんこん)も根が出はじめたばかりでしたよ。善峯寺のホームページにアジサイがきれいに咲いた写真が出ていました。

「そうだ 京都、行こう。」 善峯寺 (Ⅲ)

次は桂昌院廟(けいしょういんびょう)です。
 
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門の左手に少し見えるのは宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての天台宗の僧、慈円(じえん)によって伝教大師筆の法華経が納められた仏塔です。
 
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門を入ると開けた場所に出ました。桂昌院遺髪を納めたこの廟所は宝永2年(1705年)に建立されたそうです。ちなみに、桂昌院の墓所は東京都港区芝の増上寺にあるようです。
 
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同行者は善峯寺が気に入ったのか私の先を歩いています。
 
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経堂の近くにある桂昌院枝垂れ桜が下方に見えました。何本もの支柱で支えられている様子が横分かります。お堂巡りを終えてから近くで見ることにして、先へ進みます。
 
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次は釈迦堂(しゃかどう)です。
 
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明治18年(1885年)に建立された釈迦堂の本尊である釈迦如来は源算上人の作と伝えられるそうです。
 
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明治時代に釈迦堂の南嶺である釈迦岳より遷座されたことなどが説明されています。
 
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振り返って見ると高速道路のようなものが見えます。京都縦貫自動車道でしょう。その手前にある集落のほぼ真ん中に先ほど参拝した十輪寺があるはずです。
 
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釈迦堂の右手後方、さらに高い場所にお堂が見えます。薬師堂のようです。
 
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ここにも蝋梅(ろうばい)の花が咲いています。
 
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釈迦堂の左手にも大きな枝垂れ桜がありました。
 
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釈迦堂の左手にある坂道を上がります。遊歩道の先に朱色の鳥居がいくつも並んでいますから稲荷社でしょう。
 
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遊歩道は右手に大きく折れ、さらに上ると開けた場所に出ると、左手の長い石段の先に薬師堂がありました。
 
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日当りが良いのか両側で椿の花が咲く石段を上り切った場所(標高約370m)で振り返ると、すばらしい展望がありました。
 
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「善峯寺奥の院」とも呼ばれる元禄14年(1701年)に建立された薬師堂の本尊は薬師如来で、桂昌院出生の由緒により出世薬師如来と云われています。昭和63年に現在の場所へ移築されたそうです。
 
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薬師堂の左手に「けいしょう殿」がありました。ベンチが置かれて休憩所をかねています。日陰にはまだ雪が残っています。
 
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桂昌院之像
 
2014_02260470 

(続く)

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