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2014年4月 5日 (土)

洞ヶ峠を再探訪する

八幡市(やわたし)に立ち寄ったついでに、中途半端に終った前回の「洞ヶ峠探訪」のリターンマッチをすることにしました。現在、洞ヶ峠の痕跡(こんせき)は残っていないことを承知していますが、ずっと寝覚(ねざ)めが悪いままなのです。前回の探訪では国道1号(枚方バイパス)の洞ヶ峠交差点付近を無闇に調べましたが、今回は少し戦略的に考えることにしました。つまり、洞ヶ峠(ほらがとうげ)は大和(奈良県)と京(京都市)を結ぶ街道にあったはずですから、その街道筋を丹念に辿(たど)れば良いとの考えです。

この街道は東高野(ひがしこうや)街道です。数多く存在した高野街道でいちばん東にあったことから、この名前があります。東高野街道は、木津川を渡って八幡市の岩清水八幡宮の近くを南下し、洞ヶ峠に至っていることを前回の探訪前に確認していました。隣の枚方(ひらかた)市側には高野道(こうやみち)という地名が現存します。ですから、東高野街道が現在も残る八幡市側から洞ヶ峠を目指ことにすしました。

以前、通りがかりに見たことがある松花堂(しょうかどう)庭園の前から東高野街道を辿(たど)りました。吉井バス停(安居塚)の南側は宅地化が進んでいるため東高野街道の面影はほとんど感じられませんが、バス停付近で洞ヶ峠方面(南東方向)に伸びる狭い道に右折しました。このまま直進すると美濃山の峠を越えて長尾へ至る山根街道(河内道)です。山手幹線(府道284号)につながる市道の下をトンネルで潜(くぐ)って福禄谷(ふくろくだに)へ入ると、急に旧街道の雰囲気がありました。竹林の中を抜けると達磨堂円福禅寺(だるまどうえんぷくじ)の前に出ました。左手は八幡円福寺霊園です。この辺りが一番高い場所と思われます。
 
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案内看板にある説明によれば、「円福禅寺は天明年間(1781-1783年)に開創された臨済宗妙心寺の修行道場」ですから、天王山の戦い(山崎合戦)に備える明智光秀の要請で筒井順慶(つついじゅんけい)が大和から洞ヶ峠まで来た頃には、この寺院は存在していません。そして、史実としては、筒井順慶が洞ヶ峠まで来ていないことは確かなようですが・・。

三差路(さんさろ)から南方向の枚方市高野道2丁目に伸びる広い道が、現在の地図上では東高野街道とされています。その先は中小企業枚方団地の脇を抜けて国道1号(枚方バイパス)に合流しています。そして枚方市田口の出屋敷南交差点で府道18号となって交野市(かたのし)へと向っています。
 
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とすれば、円福寺前の三差路が洞ヶ峠であるはずですが、それらしき標識や案内看板は見当たりません。直進する方向(東方面)にも道が続いています。位置関係を考えると、この道は100mほど先で国道1号と交差するようです。
 
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予想した通り国道1号に出ました。
 
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国道の反対側にも細い道が確認できますが、未舗装(みほそう)であり、しかも通行止めになっています。
 
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この交差点の角には、その名も「峠の茶屋」がありました。茅葺(かやぶき)の風情ある建物です。「ぼたもち」が名物になっているようです。
 
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「峠の茶屋」脇に洞ヶ峠の案内看板が立っていました。
 
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東方面へはこれ以上進めませんから、国道1号を八幡洞ヶ峠交差点へ向かいました。この交差点のすぐ近くには、以前立ち寄ったことがあるラーメン店「一蘭(いちらん)」があります。
 
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その筋向い(山手幹線側)に摂南大学と大坂工業大学の派手な立て看板の間に小さな石柱が見えますので、確認してみることにします。
 
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「筒井順慶陣所跡」の石碑は道標も兼ねていて、『右西双子塚三丁、左圓福寺三丁』とありました。道路が建設された時のこの近くから移転されたと思われます。
 
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念のため
摂南(せつなん)大学薬学部のキャンパスを再訪しました。地図を見ると摂津国(京都府)と河内国(大阪府東部)の境界が東西に伸びています。国道1号の西側から見た通行止めの道は摂南大学のキャンパスで途切れているようです。
 
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反対側は大坂工業大学のキャンパスです。
 
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摂南大学の駐車場の金網フェンスに隠れるように古びた石柱が立っていました。何やら文字が刻まれているようです。
 
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「府界」と読めます。
 
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当然ですが、現在の府境もほぼ同じであり、付近に洞ヶ峠と関係がありそうなもの見当たりません。やはり、昔から東高野街道は洞ヶ峠付近から南下していたのです。山城国と河内国の国境を通っていたのではないかとの先入観を持ちすぎていたようです。
 
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帰宅後にもう一度調べ直してみました。そして東高野街道(旧道)の詳しいルートが分かりました。山根街道との分岐点から南山小学校の少し西を通過し、NTT洞ヶ峠通信所をから八幡円福寺霊園の東側を通って、くら寿司高野道店の前で国道1号に接し、日立枚方体育館の前で現在の高い野道にそってさらに南下し、中小企業枚方団地と「フォレオひらかた」の間を抜けて国道1号(枚方バイパス)に合流するのです。洞ヶ峠付近で現在残る東高野街道の区間は八幡市内(山根街道との分岐点まで)と枚方市高野道の南半分だけと言っても良さそうです。

そして、洞ヶ峠は八幡市安居塚のNTT洞ヶ峠通信所と同柿ケ谷の八幡霊園墓地にかけて存在したようです。現在は山手幹線へ続く市道が切通しで通過していますから、洞ヶ峠の面影はほとんど残っていません。昔から名前が良く知られた洞ヶ峠は地名として残るだけになったのは残念です。

                            ☆

帰路は走りなれた新名神・東名阪・伊勢湾岸道路・東名高速道路を経由して新東名高速道路に入りました。夕食の時間になりましたので、久しぶりに浜松SA(上り線)に入りました。人気がある浜松SAいつも混雑する場所ですが、この日は小雨が降っているためか、拍子抜(ひょうしぬ)けするほど空(す)いていました。2年前の6月に立ち寄った時に長い行列ができていたため断念した「名古屋コーチン親子丼」(880円)を注文しました。
 
Photo 

同行者はあまり食欲がないというので、その時に食べて美味しいと思った元祖浜松ぎょうざ「石松餃子」(10個、525円)をシェアすることを条件に注文してくれるように頼みました。(写真を撮影しそこなったため2年前の写真を流用)
 
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いずれも期待通りの美味しさでした。餃子は全部食べることができなかったため、石松餃子の店員さんに頼んで、残った半分をドギーバッグ(持ち帰り用のプラスチック容器)に入れてもらうことに。そして、その夜は自宅でもう一度美味しい餃子を楽しむことができました。
 
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<同行者のコメント> 今回は大阪に宿泊して京都へドライブしただけでしたから、いつもと違って余裕があるスケジュールで疲れることはありませんでした。オチビちゃんとコチビちゃんとたっぷり遊べたことも良かったと思います。

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