九州を横断するドライブ旅 大分空港から国東市の「黒津崎夢咲公園」へ
向かい風が強いため到着時間が予定より10分ほど遅れるとの機内アナウンスがありました。羽田空港を出発した時には晴れていましたが、いつの間にか眼下には厚い雲が垂れ込めていることを気づかされました。そのため、窓から下界の景色を見ることはあきらめて、1時間35分のフライト中は音楽を聴いて過ごすことに。ちなみに、羽田空港から大分空港までは約800km(499マイル)の距離があります。
機内のディスプレイに時々表示されるルートマップをたどると、NH191便は名古屋・京都・姫路・岡山の上空を通過し、広島県三原市付近(高度約3000m強・対地速度約650km/h)で下降をはじめ、呉市付近で雲の中に入ったため少し揺れを感じ、岩国空港付近で左旋回するとともに着陸態勢に入りました。大分空港に差し掛かかった時、窓ガラスに水滴が横に流れるのが見えますから、雨が降っているようです。
予告された通りに10分遅延して、午前10時15分に大分空港到着に到着。国東(くにさき)半島の東半分を占める国東市にある大分空港は国東半島の沿岸海域を埋め立てて造成した空港です。
手荷物引渡所のベルトコンベア脇に奇妙なものを発見。ステンレスで作られた巨大な国東産タチウオ(銀太刀)であると知って驚きました。
ベルトコンベアを見ると、乗客の手荷物と交じって巨大なエビのにぎり寿司が流れてきました。手荷物用のベルトコンベアを回転寿司のチェーンコンベアに見立てた洒落(しゃれ)なのでしょう。
ペンギンのような人形の胸に「世界的の巨匠アルゲリッチ唯一の音楽祭! ここでしか聞けません!」と書かれたワッペンが貼(は)られています。その意味がさっぱり理解できないのでネット検索で調べると、14年間も続いている「アルゲリッチ別府音楽祭」のことでした。アルゼンチン出身の世界的な女性ピアニスト、マルタ・アルゲリッチ氏は1994年から別府ビーコンプラザ・フィルハーモニアホール名誉音楽監督に就任し、1996年から「別府アルゲリッチ音楽祭」総監督をつとめており、1999年からは出身地であるブエノスアイレスで「マルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクール」が開催されているそうです。
手荷物引渡所の出口の上に、「軍師・黒田官兵衛
ゆかりの地 中津市」と派手な看板が掲げてありました。播磨灘物語を読む(下巻)の記事で紹介したように、黒田官兵衛(如水)は秀吉の死後に帰国して豊前中津城に居を構えて、豊前と豊後を手始めに九州の半ばを平定しました。しかし、如水の予想に反して関ヶ原の戦いが1日足らずで終わったため、そのすべてを家康に返上して、隠居の身に戻ってしまいました。
ターミナルビルの中で見かけたセブンイレブンの店舗は、あの特徴あるカラフルな看板ではなく、なぜか無地のシンプルなファサードなのです。外装が未完成ではないかと思わせます。
案内標識にしたがって向かったタイムズカーレンタルのカウンターに申し出ると、ほどなく送迎用マイクロバスがターミナルビル前に到着しました。空港出口交差点の前にあるタイムズカーレンタル大分空前店が空港ターミナルから200mほどの距離ですから、天気が良ければ歩くこともできそうです。ちなみに、タイムズカーレンタルは自動車会社のマツダの子会社(マツダレンタカー)でしたが、駐車場管理業者であるパーク24の子会社となり、昨年4月1日に現在の名前に変わったようです。
予約しておいた小型車を受け取って国東半島を巡るドライブに出発しました。まず、立ち寄ったのは空港から国道213号(杵築沿海路)を6kmほど北へ走った黒津地区にある道の駅「くにさき」です。国道213号と国道10号(豊前街道)で火山地形の国東半島を一周する計画ですが、地元の情報を入手する目的がありました。
その左手に黒津崎夢咲公園の案内図がありました。「夢さき 花さき くにさき」とうまく語呂合わせをしています。
黒津崎夢咲公園の入り口付近に立つ石碑には、「いにしへの
流転の民がいひけらく 国のはてなる ここは国東」と刻まれています。横に立つ解説には『昭和23年に田深川の下流、前田で安国寺遺跡の水田の下から弥生時代の遺跡がみつかり、その取材に来たはずの毎日新聞の地方記者であった国東半島出身の山本保さんがその遺跡に熱い思いを抱いて読んだ歌である』とありました。
海岸に立つのは「信濃路の手記」などを書き残し、京大哲学科在学中に学徒動員されフィリピンのルソン島で戦死した、国東町出身の後藤三郎氏(1923-1945年)の歌碑です。弧櫂(ことう)と題して、「岬水(こうすい?)すみて 秋空翠沓(しゅうくうすいとう)し おもひありやなし 菊ただ白きかな」とあります。ちなみに、櫂(かい)は水をかいて船を進めるために使う船具の名であり、翠沓はヒスイのように青緑色をしていることを意味するようです。
さらに公園の奥へと進むと、お土産・物産館「黒津之庄」がありました。
同行者が店内を見て回る間に私は鴨居(かもい)付近に貼られた石仏の写真を眺めました。国東半島は「み仏の里」と呼ばれるように古寺と石仏が多いことで知られます。その背景は平安時代に九州の中心的な存在であった宇佐神宮の財政力と宗教勢力によって、国東半島の仏教文化とともに、神仏混合の一大霊地を生んだことがあるようです。
同行者はたっぷりお土産を買いこんで満足そうです。しかし、まだ初日が始まったばかりですが・・。
(続く)
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