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2014年7月24日 (木)

仙台散策 定禅寺通りから荒町へ

定禅寺通りの中央分離帯にある散策路はまだ続きます。
 
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欅(けやき)の街路樹がほどよい日除(ひよ)けとなる大きなベンチ
 
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3番目(こちらが1番?)の彫刻はヴェナンツォ・クロチェッティ作「水浴の女」(A Bathing Woman、1982年)です。
 
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前方に西公園通りが見えてきました。
 
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西公園通りに面した噴水の手前で散策路は終点になりました。
 
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こちらは昨年1月に訪れた西公園
 
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この地点から定禅寺通りの散策路を歩いて匂当台公園駅まで戻るつもりでしたが、折からの蒸し暑さに負けてしまい、しかも午前中の時間が残り少なくなりましたので、市バスで仙台駅まで戻ることにしました。仙台市の中心部ではバスの運賃が定額100円と格安でした。細かいことを言えば、「100円パッ区」の料金は地下鉄運賃の半額であり、何か得した気分になりました。
 
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最寄りの仙台市民会館前バス停付近で「売茶翁」(ばいさおう)の看板と石の道標を見かけました。「売茶翁」は右手の路地を入るようです。
 
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調べると、「売茶翁」は江戸時代の黄檗宗(おうばくしゅう)の僧で、煎茶(せんちゃ)の中興の祖と呼ばれることを知りました。ちなみに、仏教の一宗派である黄檗宗の本山は隠元隆琦の開いた、京都府宇治市の黄檗山萬福寺とのこと。このことから推測して煎茶と茶菓子を提供する店のようです。これも確認すると、仙台きっての和菓子老舗「売茶翁」では「ぎゅうひ」に黒胡麻(くろごま)を練り上げた和菓子「のんこう」、小豆和菓子の雲龍(うんりゅう)、桜もち、などをお茶うけに薄茶がいただけるそうです。夏季は抹茶氷もあるようです。

 

電力ビル前を経由する「100円パッ区」バスでJR仙台駅まで戻り、バスプール前交差点から南町通りを西方に約200m歩いて「泰陽楼」(たいようろう)に入りました。正午になったばかりの店内は近くの勤め人たちで満席のため合い席になりました。昼食として食べた「冷やし中華」(830円)の味は良いのですが、思ったよりもボリュームがあり、午後は大事な仕事が待っていますから、無理をしないことにしました。

 

翌朝は久しぶりに寝坊しました。前夜の飲み会で深酒をしたためです。ホテルで朝食を済ませて、午前10時少し前にチェックアウト。地下鉄南北線の仙台駅へ向かいました。昨日、県庁へ行くために利用した泉中央駅行きと反対方向の富沢(とみざわ)駅行きの電車に乗車。
 
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戦災に遭(あ)わなかったことから現在も城下町の町並みが残ると言われる若林区荒町(あらまち)・南鍛治町(みなみかじまち)・三百人町(さんびゃくにんちょう)を歩くことにしたのです。地下鉄の仙台駅から仙台市の南に位置する富沢駅へ行く電車に乗り、最初の五橋(いつつばし)で下車しました。そのまま乗車してさらに5駅先の長町南駅まで行けば、昨年1月に訪れた「地底の森ミュージアム(正式名称:仙台市富沢遺跡保存館)があります。
 
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市民病院方面出入り口を出て大通り(国道4号)を南へ100mほど歩くと荒町交差点に出ました。太平山の電波塔はすぐ目の前に見えます。
 
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荒町交差点を左折して荒町商店街(県道235号)に入ります。「荒町」は御譜代町(ごふだいまち)のひとつで麹(こうじ)を扱う特権を与えられた町人の町でした。
 
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まず向かったのは森民酒造本家。江戸時代の末期に近い弘化年代に南部地方(岩手県紫波の谷地館庄)から単身仙台にやってきた初代森民蔵が嘉永2年(1849年)荒町に森民酒造店を開きました。当時伊達藩の麹の専売を一手に任されていた御譜代町荒町一帯が、非常に清らかな水が沸く土地ということで清水小路と呼ばれていました。
 
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『民蔵が行商をしていた頃に必ず立ち寄っていた北山の江巌寺は当時、秋になると香り豊かな菊の花が綺麗に咲き誇っており、江巌寺の「菊」と、荒町のほとりを流れる清流広瀬川の「川」を取って「菊川」と命名した酒は、民蔵出身地、南部地方から呼び寄せた蔵人たちとともに精魂込めて仕込みつづけた甲斐もあって、明治28年には、東北で一番、全国でも8番目と数えられる銘柄になった』(森民酒造本家のhpより抜粋)

 

森民酒造本家の白壁脇にある昌伝庵(しょうでんあん)の参道を入りました。昌伝庵は荒町にある曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院。で、正しくは昌傳庵と表記します。ちなみに、山号は奕葉山(えきようざん)。元の昌傳庵は伊達尚宗が三男の久松丸の供養を目的に米沢の新町(あらまち)に開基し、伊達政宗が岩出山についで仙台へと転封(てんぽう)されるたびに、その城下町に移転し、かつて米沢に所在した町の流れをくむ荒町に再び存立することになったそうです。江戸時代は松音寺、泰心院、輪王寺とともに仙台藩曹洞宗4ヶ僧録司の一つとされます。
 
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境内にお邪魔(じゃま)すると本堂前に置かれた鉢のなかで睡蓮(すいれん)が咲いていました。この寺には開基久松丸、初代藩主政宗公、5代吉村公、6代宗村公の位牌(いはい)を祀(まつ)っているそうです。墓があると勘違いした私は墓地を丹念に見て回って、仙台四大画家のひとりである東東洋(あずまとうよう)の墓と荒町の出身で苦学の末、海軍中将まで登りつめた斎藤七五郎(正四位)の墓を見つけました。
 

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回文家(かいぶんか)である細谷勘左衛門(号は仙代庵)の説明には、「荒町名産の渋団扇に回文を描いて世間の評判となった」とあります。ちなみに、回文とは、上から読んでも下から逆に読んでも同じ音になるように作ってある文句(もんく)です。
 
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昌伝庵の参道に接している荒町公園を抜ければ境内が隣接する日蓮正宗仏眼寺へ行くことができます。写真は荒町通り(県道235号)から撮影。
 
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荒町商店街の”KOSHINDO”(広進堂)は創業約120年の老舗(しにせ)パン屋さんだそうです。荒町のhpによると、『初代は富吉という人で、砂糖を販売していたとのこと。この店の売れ筋は一般の人になじみの深い「あんぱん」。昔ながらの製造法で「あんこ」を練り上げて現代風のパン生地に包み上げ、ふっくらと焼き上げている』のだそうです。
 
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伊達藩から麹(こうじ)の専売を一手に任されていた荒町には現在も麹に関連する店が何軒も残っており、そのひとつが佐藤麹味噌醤油(こうじみそしょうゆ)店です。
 
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(続く)

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