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2014年8月

2014年8月31日 (日)

TenQ 宇宙ミュージアム(前編)

都営地下鉄三田線の水道橋駅で下車、A2出入り口から地上に出て、東京ドームシティアトラクションズと東京ドームホテルを右に見ながら、外堀通りをおよそ300m西へ歩きました。
 
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ウインズ後楽園の手前、黄色いビルの6階にある「TenQ(テンキュー)宇宙ミュージアム」が今回の目的地です。
 
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夏休みを利用して大阪から遊びに来ているオチビちゃんとコチビちゃんが楽しめる施設を探しているときに、「宇宙を感動する」をコンセプトとする新しいエンタテインメント施設が今年の7月8日にオープンしたことを知りました。変わった名称にも興味を持ってそのhpを閲覧すると、“TenQ”の名称の由来がhpに説明されていました。“Ten”は「天」「展」「点」、“Q”は「Quest(探究・冒険の旅)」 「Question(問い)」 「心がキューッ」 「キュリオシティ(好奇心)」 「究める」 「球」を意味するそうです。
 
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エレベーターで6階に上がり、チケットカウンターで事前に購入した予約券を入館券に交換してもらえば、指定時間に入館できます。広いエントランスホールで自分たちのグループ番号が呼ばれるまで待つことになりました。
 
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夏休みの後半で混雑することが予想されましたので、近所のセブンイレブンに置かれた端末で午前中(10時45分-11時15分)の入館券を予約してありました。
 
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ENTER”(入りなさい)と表示された場所に前の時間帯の入館者が列をなして待っていました。
 
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同行者とオチビちゃんの一家は待ち時間を利用してショップの「宇宙ストア」へ向かいました。
 
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私はロビーの展示物を眺(なが)めることに
 
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メディアの撮影が行われるとの告知がありました。7月8日にオープンしてまだ1か月半しか経っていないからでしょう。
 
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午前11時20分ころに入館が始まりました。
 
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暗く折れ曲がった長い通路「トンネル0」を抜けると「はじまりの部屋」に出ました。キューブを取り付けた凹凸の壁3面(全幅約20m、高さ4.55m)と天井に向けたプロジェクションマッピングが始まりました。時計、人の顔、ロケット、宇宙など古代から現代にいたるさまざまな時代の人々の宇宙への思い、つまり宇宙観の映像が次から次へとキューブ上に現れ、約5分間のプロジェクションの最後には「記憶のコラージュ」(素材の貼り付け)に部屋全体が包まれました。注)内部は撮影不可ですが、TenQのhpで各エリアの概要を知ることができます。

 

再び廊下を抜けると、今度は宇宙ミュージアムを象徴する「シアター宙(そら)」がありました。円形の部屋の中央にある「東京に空いた宇宙の穴」(直径11m)を取り囲んで見るシアターです。銀河系、大宇宙、太陽系(太陽、木星、土星、地球と月など)を縦横に移動するカメラを通した精細な4K映像としてダイナミックに表現される“another point of view”(約10分) は、まさに自分自身が高速でワープするように感じさせます。それは怖(こわ)さを覚えるほどの大迫力でした。(撮影不可)

 

次の「サイエンスの部屋」は東京大学総合研究博物館との連携で開設された施設です。その入り口には『宇宙観の歴史は同時に人間観の歴史でもある。人間は宇宙を通して自分自身についてひたすら考えてきた』と宇宙物理学者の佐藤勝彦氏の言葉が同氏の著作「眠れなくなる宇宙のはなし」(宝島社2008年)から引用してありました。最初のコーナーである「私たちはどこにいるのか?」では太陽系が説明され、次のコーナーは「なぜ私たちは地球に住んでいるのだろうか?」(写真)です。
 
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「探査史上最初の天体」には驚きの世界が広がっていた。
 
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「太陽系探査は地球の理解につながる」
 
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「太陽系大航海時代の幕開け」
 
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7月16日に火星探査機が撮影した「現在の火星の姿」
 
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「火星はかって地球と似ていた」
 
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(続く)

2014年8月29日 (金)

村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読む(後編)

第11章 翌日の月曜日、午前10時半につくるはアカ(赤松慶)のオフィスを訪れた。BEYONDという自己啓発セミナーの会社をアカは経営している。アカの仕事は好きになれないが、地元ではもっとも成功した30代の独身男性として有名であることをつくるはアオから教えられたばかりである。

 

アカは大学を卒業して大手銀行に就職するが3年で見切りをつけ、サラ金の社長に見込まれて転職するが、そこでも上司との関係をうまく構築できず、自分の考えを生かすために自己啓発セミナーのプログラムを考案して、今はビジネスが順調に進んでいることをアカは話した。久しぶりに訪れたつくるの目的が昔の話であることアカは察知していた。

 

『事実は砂に埋れた都市のようなもので、時間の経過とともに砂がますます深くなっていく場合もあるし、逆に砂が吹き払われ、その姿が明らかにされてくる場合もある。この件はどう見てもあとの方だ』とアカはいう。『時間が経てば経つほど、俺たちはわけがわからなくなっていった。シロはおそらく心を病んでいた』と続けた。『シロは自分の音楽的才能が期待するレベルに届かないことで、プレッシャーを強く感じて、少しずつ妙なところが出てきた』とも。

 

音楽大学を卒業するとシロは、なぜか浜松に移り住んで、ヤマハ音楽教室に勤めた。シロが30歳になったころ、アカが仕事で浜松に出向いたときに有名な鰻屋でシロと会ったという。『新しい土地での生活を楽しんでいるように見え、シロにはもう妙なところは見受けられなかった。しかし、以前のようにきれいじゃなかった。昔はあったはずの熱い何かが、もう見当たらなかった』という。

 

『今ではひどいことをしたことをつくるにきちんと謝りたいと思っていた』とも。そして、自分自身の秘密をつくるに打ち明けたあと、『おれたちは人生の過程で真の自分を少しずつ発見していく。そして発見すればするほど自分を喪失していく』という。そして、つくるはアカのことを昔のように「おまえ」と呼ぶ自分を発見した。

 

第12章 その日のうちに東京の住まいに戻ったつくるは3日後に広尾の小さなビストロで沙羅に会った。食事をする間、つくるは名古屋で二人の旧友に会った経緯と、会話の内容を話した。沙羅はつくるにいくつもの質問をしながら、『あなたたちはそのサークルの完璧性の中に閉じ込められていたと考えられないか』と尋(たず)ねると、つくるは『ある意味でそうだったかもしれない』と答えた。アカが浜松でシロと会った話も沙羅の注意を惹(ひ)いた。自分の高校のクラスメートのことを思い出させるという。そして、できるだけ早くフィンランドに行ってフィンランド人と結婚したクロに会うようにつくるに勧める。

 

第13章 休暇が問題なくとれたことで、つくるはフィンランドへ行くことを決めた。ヘルシンキに4泊する予定で、クロには予告なしで直接会いに行くつもりである。沙羅が飛行機のチケットと、ヘルシンキのホテルの予約をしてくれることになった。出発前に一度合いたいという沙羅の言葉に、つくるは先にフィンランドに行った方がいいと申し出を断る。出発が近づいたある日、クロへの土産物を買うため青山に足を運んだつくるは少し休みたくなって表参道にあるガラス張りのカフェに入った。

 

青山通りから神宮間前に向けて緩(ゆる)やかな坂を下って行く沙羅の姿がつくるの目に入った隣にいる中年の男性と手を繋ぎ、心から嬉しそうな顔で会話する沙羅を見たつくるは胸の左側がキリキリと痛むのを感じた。部屋に帰ると、つくるはフィンランド行きの支度をしたあと、久しぶりにリストの「巡礼の年」のレコード(第1年のスイス)を旧式のレコード・プレーヤーのターンテーブルに載せた。その二面の冒頭にある「ル・マル・デュ・ペイ」を聴きながら、つくるはその音楽が灰田とシロと繋(つな)がっていたことを鮮やかに思い出す。

 

第14章 ヘルシンキの空港で飛行機から降りたつくるはタクシーで市内のホテルへ向かった。シャワーを浴び、服を着替えたつくるは沙羅の旅行社の現地オフィスを訪れ、女性コンシェルジュであるオルガのアドバイスに従って、市内のバスと地下鉄と市街電車で共通して使えるパスを買った。そして、空港で買ったプリペイド携帯を使ってクロの住んでいる市内のアパートメントに電話をかけたが、電話は留守番機能になっていた。

 

つくるはオルガの助けを借りてシロの一家(夫と2人の子供)がヘルシンキの北西にあるハメーンリンナという町の郊外にある湖畔のサマーハウスに滞在していることを知る。オルガのサポートで翌朝、レンタカーを借りることにしたつくるは、空腹を感じてピツェリアに入ってアイスティーとマルゲリータのピッツァを注文した。そして赤ワインのグラスも。つくるは沙羅のことを思った。ホテルの部屋に戻ったつくるはシロのことも思った。もう長いあいだ彼女の夢をみていない。やがて眠りは訪れたが、そこには夢はなかった。

 

第15章 真新しいフォルクスワーゲン・ゴルフを借りたつくるは高速道路を走ってハメーンリンナの街に12時前に着いた。つくるは街を散策し、それから中心の広場に面したカフェに座ってコーヒーを飲み、クロワッサンをひとつ食べた。広場の石畳を散策したあと、つくるは1時半にハアタイネン一家のサマーハウスに辿(たど)り着いた。クロの住まいを探しあぐねて道路沿いで途方にくれていたつくるを助けてくれたのは小柄な老人だった。林を抜ける車の轍(わだち)だけがある未舗装の道をその住まいまで案内してくれたのだ。つくるはクロの夫である陶芸家のエドヴァルト・ハアタイネントの歓迎を受ける。

 

第16章 2人の娘たちとの散歩から家に戻ったクロ(黒埜恵理、くろのえり)はつくると再会。クロの全体の印象は16年前、最後に見たときとそれほど変わりなかった。つくるを見ているクロの顔がほんの僅(わず)かに歪(ゆが)んで、『つくる?』とだけ言葉を発した。エドヴァルトは、『この子たちを連れて、町に行ってくるよ』と明るい声で言った。エドヴァルトが運転する白いヴァンが樹木の奥に見えなくなると、クロは目を細め、じっとつくるの顔を見た。そして、クロはつくるの問いに答えて16年前にシロに起きたことと、自身がフィンランドに来ることになった経緯を話し始めた。(以下省略)

 

第17章 二人はテーブルを挟んで座り、それぞれの胸にあることを交互に語った。(内容は省略)

 

第18章 余った2日間、つくるはヘルシンキの街をただあてもなく歩いて過ごした。そして土曜日の朝、東京に戻って、旅行バッグの中のものを片付け、ゆっくり風呂に入り、あとは何をするともなく過ごした。翌日の昼前、沙羅の住まいに電話をかけたが、電話は留守番モードになっていた。夜になって沙羅から電話がかかってきた時に、つくるはクロから止められたことをつい口にしてしまう。沙羅は3日くらいの時間がほしいという。そして3日後の夕方に会うことを受け入れた。

 

19章 新宿駅のプラットフォームで発着する電車を眺(なが)める多崎つくる(内容は省略)

 

                          ☆

 

長くて奇妙なタイトルに抵抗感があり、出版から1年以上経過した今になって、やっと本書を読む気持ちになりました。同じ村上作品の「ねじまき鳥クロニクル」や「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のようなインパクトはありませんが、「ノルウェイの森」や「国境の南、太陽の西」といくつもの共通点する魅力があり、他の作品より読みやすくメッセージ性があり、村上春樹氏の代表作の一つになると思われる良書でした。

 

高校時代の五人の仲間との絆(きずな)と絶縁が16年経過した今も多崎つくるの心を支配し続けたとする設定は一見すると荒唐無稽(こうとうむけい)なことにも思われますが、私自身の大学生の時の経験と照らし合わせても人の心の傷は長く消えないことに共感を覚えながら、サスペンスドラマのような展開に惹(ひ)かれて一気に読み終えました。多崎つくると恋人である沙羅の関係がどうなるのかを明示しないエンディングは村上氏らしいのですが、つらい経験をした7年後に知り合った同居者に私が救われたように、つくるが沙羅さんと結ばれることを願いました。

 

奇遇でしたが、今週月曜日(2014年8月25日付)の毎日新聞夕刊で本書の関連記事が報じられました。それによると、英国エディンバラで開かれている国際ブックフェスティバルに8月24日に登場した村上春樹さんは、今月英訳版が発売された長編「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」について英紙の文芸担当記者との対談で、「傷ついた気持ちは長い間残る。この感情について書きたかった」と執筆の理由を明かしたそうです。ちなみに、本書はこれまでに中国語・韓国語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語など10数か国語に翻訳されているようです。

2014年8月28日 (木)

村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読む(前編)

ハードカバー本の白地の表紙には異常に長いタイトルの横に細長いカラーロウソクが9本-並ぶ本書(2013年4月15日文芸春秋刊)を手に取りました。英語タイトル”Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage”が併記された中表紙の次に来ると思った目次はなぜかなく、ストーリー展開をまったく予想することができない意外性を感じながらページを捲(めく)ると、『大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎(たざき)つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた』と強烈な出だしに驚かされた。2011年12月に紹介した前作の「1Q84 BOOK3」から3年ぶりの村上春樹氏の長編小説です。

 

                             ☆

 

第1章の冒頭で、多崎(たざき)つくるが強く死に引き寄せられるようになったきっかけは、彼がそれまで長く親密に交際していた高校時代の四人の友人たちからある日、理由の説明もなく絶交を告げられたことだった。名古屋市郊外にある公立高校で一年生の夏に社会科の課題として取り組んだボランティア活動がきっかけで友だちになった同じクラスの男女五人のグループである。所定の活動期間が終わっても、グループは自発的に活動を継続し、学年が変わっても親密なグループであり続けた。

 

五人はおおむね似た環境で育ったことで共通点が多かったが、多崎つくる一人を別にして、他の四人は名前に赤青白黒と色が含まれていたこと、でつくるは最初から微妙な疎外感を感じることになった。他のみんなは当然のようにお互いを色で呼び合うようになったが、つくるだけはそのまま「つくる」と呼ばれた。そして、他の四人はそれぞれ個性的で魅力があったが、つくるだけはすべてにおいて中庸であり、色彩(個性)が希薄であった。しかし鉄道駅を眺(なが)めることが好きであることから周囲の人々とは少し違うとの自己認識は、少年時代から36歳になる現在に至るまで、人生のあちこちで彼に戸惑いと混乱をもたらした。

 

長めの導入部に続いて本編が始まる。36歳になったつくるは西関東地域をカバーする鉄道会社の駅舎を設計管理する部署に勤務していた。大手の旅行代理店に勤める2歳年上の木村沙羅(さら)と4度目のデートを恵比寿でしている。沙羅は、なぜかつくるの高校時代に興味を持って、五人グループのことを詳しく尋(たず)ねた。お互いの関係やグループの目的、他の四人は名古屋の大学に進学したのにつくるだけが東京にある工科大学の土木工学科に進んだこと、などについてである。

 

第2章では東京の大学生活におけるつくるの孤独な様子を説明。大学の休みには新幹線で名古屋に戻り五人グループの関係は何の変化もなかったが、大学2年生の夏休みに帰省した時に信じられないことが起きた。四人が全員つくるを避け始めたのだ。何度も電話をかけるが居留守を使い、代表格のアオから電話があり、誰のところにも電話をかけてほしくないと通告された。理由を尋(たず)ねるつくるにアオは「自分で考えればわかるんじゃないか」と哀(かな)しみと怒りを含んだ声でいう。

 

この経緯を聞いた沙羅は「真相を知りたいとは思わなかったの?」と聞くが、つくるは「それを目にするのがきっと怖(こわ)かったんだと思う」と答えるしかなかった。名古屋から東京に戻ったつくるを支配したのは、身体の組織が丸ごと入れ替わっていくような不思議な感覚だった。まわりの重力の質が変化しつつあるように感じられたのだ。東京に戻ってからの5か月、つくるは死の入り口に生きていた。

 

恵比寿のバーを出て沙羅と別れ、つくるは日比谷線に乗って自分の住まいに戻った。沙羅がどんなことを考えているのかはわからないが、自分が考えていることをすべて沙羅に話すわけにはいかなかった。何があろうと自分の外には出せない種類のものごとがあるとつくるは考えたのだ。

 

第3章 死の間際を半年間さすらったつくるは嫉妬(しっと)に苛(さいな)まれる夢を見たことがきっかけとなって死を真剣に希求(ききゅう)するのをやめて、まともな食事をとるようになり、大学のプールで泳いだり、ジムでマシンを使った運動を始めた。そして、数か月後に大学のプールで知り合った同じ大学の2歳年下の学生と知り合う。

 

第4章 それは物理学科に属する灰田文紹(はいだふみあき)である。お互いに好意を抱いた二人は一緒に泳ぐだけではなく、長い時間を一緒に過ごすようになり、お互いの個人的なことについて話し合うようになった。そして、つくるが住む自由が丘にあるワン・ベッドルームのマンションに遊びに来るようになった。音楽が好きな灰田はCDや古いLPレコードを持ってきて、二人で器楽曲や室内楽を一緒に聴いた。つくるはフランツ・リストのピアノ独奏曲集「巡礼の年」の第一年「スイス」の8曲目「ル・マル・デュ・ペイ」(郷愁)を聴いた時、高校の同級生の女の子がピアノでその曲をよく演奏していたことを思い出した。

 

灰田は料理も得意で、彼はよく食材を買ってきて、料理をしてくれた。二人は週に二回か三回夕食をともにした。週末の夜、灰田はつくるのマンションに泊まっていくようになり、二人は夜遅くまで話し込んだ。しかし、名古屋の四人の親友たちの話だけは注意深く伏せていた。ある土曜日の夜、死が話題になった時、灰田は自分の父親が学生時代に体験した不思議なことを詳しくつくるに話した。

 

第5章 哲学科の学生であった灰田の父親が大学を休学して放浪生活を送っていた時に知り合ったジャズピアニストと思われる緑川という男性から、「死を回避するには死のトークンのようなものを別の人間に譲り渡せばいいと」と聞かされたことを灰田はつくるに詳しく話した。(以下省略)

 

第6章 多崎つくるはメールを送って木元沙羅を食事に誘うと、シンガポールに出張していた沙羅はちょうど話したいことがあるという。沙羅が帰国した翌日の夕方につくるは南青山のフランス料理店で沙羅と食事をした。ワインと料理が一段落したところで沙羅は、「あなたの頭の中には何か別のものが入り込んでいることで、あなたは何かしらの問題を心に抱えている。でも、あなたがその気になりさえすれば、きっと解決できる問題だと思うの」と沙羅はいう。

 

そして、つくるの高校時代の四人の友だちの名前と進学した大学、当時の連絡先などを教えてほしいという。その人たちが今どこにいて、何をしているか、できるだけ詳しく調べてみるつもりだとも。

 

第7章 つくるがしばしば見る性的な夢が生々しく表現される。そこには高校の女友だちであったシロとクロが登場するのだが、ある時は灰田も現れたことでつくるを困惑させた。現実の世界では灰田とのいつも通りの時間が続いたが、ある日灰田の姿が大学から消えてしまい、つくるは高校の親友たちと同様に灰田もつくるのもとから突然去ったのではないかと思った。灰田の存在が消えてしまうと、その友人が自分にとってどれほど大事な意味を持っていたか、日々の生活をどれほど色彩豊かなものに変えていてくれたかを、つくるはあらためて実感した。

 

しかし、10日目につくるがいつものように泳いでいた大学のプールに灰田はひょっこり姿を見せた。やむを得ない家庭の事情があって秋田に帰っていたとだけ語る。そして灰田は以前と変わるところのない態度でつくるに接したが、つくるの夢に登場することはもうなかった。

 

第8章 灰田が最終的につくるのもとを去ったのは翌年の2月末、二人が知り合って8か月後のことであった。そして今回、彼はもうそのまま戻らなかった。灰田からの連絡がないまま春休みが終わり、学校の新しい年度が始まり、つくるは4年生になった。大学の事務局に行って学籍簿を調べてみると、灰田が休学届けを出していることが分かったが、休学の理由は個人情報であるとして教えてもらえなかった。灰田は彼の父親と同じ運命を繰り返しているとつくるは思う。

 

第9章 木元沙羅から携帯電話に連絡があった。この前会ってから5日目のことだ。仕事を早めに切り上げて、つくるは沙羅との待ち合わせ場所である銀座四丁目の交差点近くにある喫茶店に向かった。先に来ていた沙羅はプリントアウトした何枚もの紙が入った白い封筒をつくるに差し出した。インターネットを活用し、フェイスブック、グーグル、ツイッターなど可能な限りの検索手段を用いて、彼ら四人の人生の足取りを辿(たど)ったという。

 

アカとアオの現在の状況がそれでおおむね把握できたのは、彼らの従事しているビジネスに関連して公開された情報があったからである。クロについては愛知県立芸術大学工芸科関連のサイトで彼女の足取りをかろうじて辿(たど)ることができ、高校の同級生だと偽(いつわ)って自宅に電話し、母親から詳しく聞き出したという。シロの個人情報はまったく見当たらなかったが、過去の新聞記事がシロはもうこの世にいないことを教えてくれたと沙羅は説明。あえて簡潔にまとめたので、詳しいことはつくる自身が調べるようにと沙羅は助言する。こうしてつるるの巡礼が始まる。

 

第10章 つくるは5月の終わり頃に父親の法事のため、週末に繋(つな)げて休みを取り、3日間名古屋に戻った。最初の日に寺での法要と親戚との会食を終えたつくるは翌日の日曜日にアオを訪ねることにした。アオ(青海悦夫、おうみよしお)が勤めるレクサスのショールームは名古屋城に近い静かな一画にあった。優秀なセールスマンで多忙なアオが時間を取れる昼休みに会うことになった。近くのスターバックスで、アオはスコーンとカプチーノを、つくるはミネラルウォーターのボトルを買い、二人は近くの公園へ移動。

 

ひとしきり近況などを話し合ったあと、グループを追放された理由を何度も尋ねるつくるにアオは戸惑いながら思わぬことを明かした。つくるにはまったく心当たりのないことである。アオはつくるのさらなる質問に答えて、シロの死因についても教えてくれた。それはつくるにはまったく想像できないものであった。(続く)

2014年8月25日 (月)

憧れのハワイ空路(最終回) 関西国際空港へ帰着

淡路島上空に差し掛かりました。
 
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兵庫県南あわじ市の国道28号とその周辺の溜池群が確認できます。
 
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細長い島が右手に見えてきました。関西国際空港です。
 
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阪神高速4号湾岸線の白い橋と阪南港がかなりはっきり確認できます。後方には八尾空港を離陸したばかりと思われる小型飛行機も。
 
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大きく右旋回して堺市沖から関西国際空港へ着陸するコースに入ると夕日が主翼を紅く染めました。
 
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遠くに明石海峡大橋が霞(かす)んで見えます。その手前を南に向かって航行する船はフェリーの「さんふらわあ号」、大阪港を出発して鹿児島の志布志(しぶし)港へ向かっているようです。
 
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大阪湾を航行する多数の船
 
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関西国際空港の敷地上空に差し掛かりました。眼下に見えるのは関空線の関西国際空港ICとその手前にある料金所です。
 
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A滑走路(3500m)に着陸したタイミングで南北ウイングと管制塔が右手に見えます。
 
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誘導路をタクシーイングして第1ターミナルの北ウイングへ向かうようです。
 
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主滑走路越しに見えるのは関西国際空港の入口となっている関西国際空港連絡橋(スカイゲートブリッジR)と「りんくうゲートタワービル」(右端)
 
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第一ターミナルビルの北ウイング15番ゲートに駐機しました。偏西風がやや強かったようで、定刻の午後6時15分から15分ほど遅れての到着でした。
 
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到着時に表示された飛行軌跡(きせき)
 
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階下にある出発ゲートにホノルル行きHA450(午後9時15分発)の乗客がもう集まり始めています。
 
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入国審査場へ向かいます。オチビちゃんは飛行機酔いでグロッキーに。
 
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ウイングシャトルで北ウイング中間駅から北ウイング本館駅へ向かいます。
 
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"Eva Airways”(エバー航空)は台湾の航空会社です。
 
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第1ターミナルビルで手荷物を受け取って外に出ると、駐車サービス会社が私の車とオチビちゃん一家の車を回していてくれました。午後7時を過ぎてかなり暗くなりましたから、安全運転でオチビちゃんの家へ向かいました。
 
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<同行者のコメント> 今回の旅行は同じホテルに何泊も滞在したことで、いつもの駆足(かけあし)旅行とは違い、のんびりと観光やショッピングができました。そして、オチビちゃんとコチビちゃんとずっと一緒に過ごすことができて楽しい時間を過ごすことも。こんな旅行がまたできると良いのですが・・。(終)

2014年8月24日 (日)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その26) ホノルル空港を出発

ヒッカム空軍基地(Hickam Field)の格納庫脇を通過します。今回はステルス戦闘機「-22ラプター」の姿は見られず、C-17大型輸送機 (愛称:グローブマスターIII)が何機も駐機しています。
 
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海岸沿いの誘導路をゆっくりタクシーイング(地上走行)
 
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ブイが並ぶ海でもスタンドアップパドル・サーフィンをする人の姿が確認できました。
 

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沖合には4本マストのシップ(全装帆船)も
 
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4R滑走路(長さ9,000フィート、約2740m)に入って急加速したハワイアン航空HA449便は離陸態勢に入ると、
 
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あっという間に眼下に海面が広がりました。
 
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さらに上昇しながら大きく右旋回するとホノルル空港の埋立地に造られた8R滑走路(長さ12,000フィート、約3660m)が右手に見え、
 
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ハワイアン航空HA449便は雲の中に入りました。
 
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雲の上に出るとオアフ島の西部エリアが雲の端から少しだけ覗(のぞ)いています。
 
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そして、まもなくハワイアン航空HA449便は巡航体制に入りました。
 
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午後4時近くになると食事が提供されました。インゲン豆をトッピングしたエスニック料理です。
 
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さらに7時間が経過するとハワイアン航空HA449便は関西国際空港まで約160km(33分)の地点に到達しました。
 
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右手に陸地が見え始めました。紀伊半島のようです。
 
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そして、雲が紀伊半島を覆(おお)いましたが、
 
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ふたたび雲の端に海岸線が見え、
 
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ハワイアン航空HA449便は高度を5000m以下まで下げながら対地速度も約580km/h(巡航速度の約7割)まで落としました。
 
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さらに高度を落としながら、大きく右旋回(みぎせんかい)して、紀伊(きい)水道へ向かいます。
 
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(続く)

2014年8月23日 (土)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その25) ホノルル空港の搭乗手続き

インターアイランド・ターミナルの2階にある出発ロビーは大変混雑していました。このターミナルはハワイアン航空がハワイ諸島やアメリカ本土への国内便と日本・東南アジア・オセアニア向けなどの国際便に使用していますが、手狭である割には旅客数が多いことが混雑する原因のようです。

 

手荷物検査を受けたあとの搭乗手続き(2ステップ)はセルフサービスで行います。第1段階はセフルチェックイン機の指示に従ってeチケットとパスポートでチェックイン、バゲージの重量超過などがあればその支払いをします。操作方法が分からない場合は航空会社のスタッフがアドバイスをしてくれますから安心です。
 
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ステップ2は手荷物をカウンターに預けるだけです。
 
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手荷物検査場に入るための異常に長い行列に並んだあと、長い通路で別の建物へ進みます。
 
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出発便のフライトインフォメーション(表示板)の上から6番目に搭乗するハワイアン航空HA449便が表示されています。
 
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-34番ゲートへ向かいますが、この先でダイヤモンドヘッドコンコース(6-11番ゲート)、セントラルコンコース(14-23番ゲート)、エバコンコース(26-34番ゲート)の3つに分かれます。我われが搭乗するハワイアン航空HA449便は30番ゲートに駐機しているようです。
 
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エバコンコースに入るとハワイアン航空機が何機も並んでいました。ちなみに、手前から26-289番ゲートの順です。
 
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こちらはセントラルコンコースの19-23番ゲートと名ターミナルの24・25番ゲートの駐機する各社の機体
 
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メインターミナルとインターアイランド・ターミナルの配置図
 
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30番ゲートの場所を確認したあとは28番ゲートの近くにあるカフェテリアで軽く昼食を摂(と)りました。
 
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搭乗ゲートに戻って見たHA449便の機体
 
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30番ゲートで搭乗が始まりました。
 
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ボーディングブリッジを通って機内に入ります。
 
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座席は主翼の近くでした。隣の29番ゲートに駐機するハワイアン航空機は米国本土(フェニックス)行きのHA36便かもしれません。
 
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トーイングカー(プッシュバック・トラック)に押されて機体が後退(プッシュバック)を始めました。右手にアメリカン航空機とオクラホマ州を拠点にするアメリカ合衆国のチャーター便運航会社Omni Air International”(オム二・エア・インターナショナル)の機体を見えます。
 
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ダイヤモンドヘッドコンコースに駐機するデルタ航空機の後方に管制塔が確認できます。
 
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ハワイを拠点とする貨物航空会社Aloha Air Cargo”(アロハ・エア・カーゴ)の機体が並んでいました。ラナイ島(その1)の記事で紹介したように同社はコミューター・ターミナルのエプロンを利用しています。
 
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(続く)

2014年8月22日 (金)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その24) ホノルル空港へ

朝のフォート・デラシー・ビーチはラナイ島からワイキキに到着した日の夕方に見たのと同じ佇(たたず)まいです。
 
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沖合ではヨットとクルーザーが並走しています。
 
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そして大型の帆船も
 
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いよいよホテルを出発する時間が近づきました。客室棟のエレベーターで1階に下り、フロントへ向かう通路に飾られたパネルが目に入りました。最初のパネルには“Na Lani ’Eha”と書かれています。“Na Lani Eha”とは”The Royal Four”という意味で、ハワイ音楽に貢献した王家の4人の兄弟姉妹(カラカウア王、リリウオカラニ女王、ミリアム・リケリケ王女、ウィリアム・ピット・レレイオホクⅡ皇子)を指すそうです。
 
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解説文には、『1874年にカラカウア王が書いた詩にプロシア出身の”Henri Berger”(ハワイ王国楽団の専任指揮者)が曲を付けた”Hawaiʻi Ponoʻīはハワイ王国の国家となり、現在はハワイ州の州歌となった。そして、最後の王となったリリウオカラニ女王が書いた曲をアレンジしたことで彼は女王から「ハワイ音楽の父」と呼ばれたが、その代表曲に「アロハ・オエ」がある』とありました。

 

“Pre-Contact: Indigerious Hawaians”(土着のハワイ人)は、西暦400年ころに南太平洋のマーケサス(あるいはマルキーズ)諸島から移住し、1000年ころからはタヒチ人が定住、打楽器・笛・弦楽器を使う歌と踊りが口伝(くでん)によって発展した』と説明。
 
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“Hawaii Meets the World”(世界との出会い 1900-1925)のパネルでは、『1893年にハワイ王国に代わって臨時政府が樹立され、翌年にハワイ共和国に移行、1898年には米国に併合された。1990年代初期までハワイのスチールギターはハワイ音楽を特徴づけるサウンドになってウクレレやフラとともに世界へと広まった』と紹介してあります。
 
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“The Rebirth of Waikiki”(1950年代)にはハワイの観光業界は飛行機を利用する観光客の増加によってホテルの建設ブームが起こった。ワイキキはハワイの音楽と文化のショーケースとなった』
 
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“Contemporary Hawaii”(現代のハワイ)ではエルヴィス・プレスリー、ハワイアン・ミュージックの歌手Dom Ho(ドン・ホー)などが紹介されています。ちなみに、ハワイと中国の血統を持つドン・ホーは1966年にリリースしたアルバムに収録された「タイニー・バブルス」が全世界でヒットしました
 
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空港行きのエアポート・シャトルバスがホテルのカーアプローチに到着しました。
 
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すぐ近くに純白のリムジンも停まっています。
 
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誰が利用するのかと思っていると、花嫁さんが乗車しました。
 
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エアポート・シャトルバスはいくつかのホテルに立ち寄ったあと、ホノルル空港へ向かってカラカウア通りを快走し、アラワイ運河を渡ります。左手に見える高い建物は「ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチ・リゾート&スパ」の「レインボータワー」です。
 
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ルナリロ・フリーウェイ(H1)から見たダウンタウンのビル群
 
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神社のような建物が左手に見えました。ラナイ島の記事で紹介したハワイ金刀比羅(こんぴら)神社・ハワイ太宰府(だざいふ)天満宮です。
 
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ホノルル空港が見えてきました。
 
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空港の建物にクジラの絵が描かれています。世界的に有名なマリンアーティストのワイランド氏の作品のようです。
 
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ターミナルビルが近づきました。
 
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ハワイアン航空のチェックインカウンターがあるインターアイランド・ターミナルのロビー3前に到着
 
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(続く)

2014年8月21日 (木)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その23) 陸軍博物館

夜が明けて、いよいよ帰国する日(5月23日)がやって来ました。
 
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上空にはうろこ雲が浮かんでいます。この雲は低気圧の前面によく現われますから、翌日は天気が崩れる前触れとされます。いつも通りに朝食を摂(と)ってから荷物のパッキングをしました。そして、朝の散歩はもちろんフォート・デラシー・ビーチです。
 
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フォート・デラシー公園方面へ散歩に出かけました。
 
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陸軍博物館の屋上にあるヘリコプター
 
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陸軍博物館の前庭には日米の大砲や戦車などの武器が展示してありました。一番手前のものはかなり旧式の大砲のようです。説明看板には『1831年に始まったハワイ王国によってダウンタウンの北方にあるパンチボウル火口に設置された12門のひとつである』とありました。ちなみに、パンチボウルの名は飲み物のパンチ(フルーツポンチ)を入れる容器に火口の姿が似ていることで付けられたそうです。その奥にある日本式タイプ1対戦車砲は『軽量、かつ移動可能で、3ポンド(約1.36kg)砲弾は500ヤード(約457m)離れた場所にある3インチ(約7.6cm)の装甲を貫通することができる』と説明されています。
 
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米軍105mm榴弾砲(りゅうだんほう)M3は、1941年に空挺(くうてい)部隊が出現したことで必要となった対空榴弾砲の砲身を短くした改良版で、75mmの車台上に搭載したものです。ちなみに、射程距離は8295ヤード(約7585m)。
 
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米軍軽量タンク(戦車)M24は第2次世界大戦の終盤に偵察目的で使われた高速走行(最高35マイル/時、約56km/時)ができる軽量戦車(重量19トン)。75mmの主砲と3門のマシンガン(機関銃)を搭載しています。
 
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日本式軽量タンクは1/2インチ装甲だけで防御された3人乗りの戦車で、37mm砲1門と7.7mmマシンガン2門を搭載、空冷式ディーゼル・エンジンによる最高速度は時速30マイル(約48km)。
 
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米軍の組み立て式金属製堡塁(ほうるい、トーチカ)は『軍事施設、飛行場、オアフ島の上陸できるビーチなどに埋設された。同じく埋設された導管(パイプ)通って下部の出入り口から内部に入る仕組みである。最大2名を収容でき、旋回銃座に設置された軽機関銃を安全に操作することができる防御設備」と解説されています。
 
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陸軍博物館の入口
 
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展示用パネルにはこの公園の名前の由来となった”Rene Edward DeRussy”(ルネ・エドワード・デラシー)が紹介されていました。『1789年生まれの同氏は陸軍士官学校を卒業。技術者・軍の教官・陸軍将校などとして軍隊で働き、アメリカ全土に多くの要塞(ようさい)を建設したのち、陸軍士官学校の校長を務めた。南北戦争時には准将(じゅんしょう)へ昇進。ホノルルでも現在フォート・デラシー公園となっている軍用地を建設した』など。
 
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古い軍服(左)の新しい軍服(右)
 
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ハワイにあるこの陸軍博物館は展示室の改装工事が4月1日から6月9日まで行われているため、残念なことに1階と2階にある展示室に入ることができません。
 
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陸軍博物館の絵が掛けられています。展示品は現在とほぼ同じですが、前庭の様子が違いますから、少し前の情景を描いたものでしょう。
 
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ベトナム戦争賛辞のパネルも飾られています。私がベトナムで思い出したのは、ミュージカルの「ミス・サイゴン」。現在、日本でも再演されている人気作品ですが、23年前(1991年)に家族でニューヨークを訪れた時に、本場のブロードウェイで観た1989年にイギリスで制作されたロンドン・ミュージカルです。ダイナミックな歌と踊り、そして劇中に登場した実物大のヘリコプターの迫力に驚かされました。そして、20年前にはハノイとホーチミンシティを訪れるチャンスがありました。
 
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博物館の裏手の景色はアメリカ本土(中西部)の学校に似ています。
 
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(続く)

2014年8月20日 (水)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その22) ハワイ最後の夜

トロリーバスはアラモアナ(海側)停留所に寄った後、直行でワイキキの繁華街に入りました。カラカウア通りとルアーズ通りが交差する街角(ルイヴィトンの向かい側)で、ウエディングドレスを着た花嫁さんと純白のタキシード姿の新郎が写真撮影をしています。東南アジアでは結婚式の服装でフォトアルバムを作ることが人気があるようですが、このカップルの出身地はシンガポール・香港・韓国、あるいは日本?
 
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トロリーバスに乗ったまま午後5時半過ぎにワイキキに戻り、ロイヤル・ハワイアン・センターB館の3階にある旅行代理店の事務所へ向かいました。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんはスタンプラリーの成果をカウンターのスタッフに提出して、抽選のチャンスを獲得しました。
 
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まずオチビちゃんがタブレットの画面を操作しましたが、残念ながら参加賞でした。
 
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次いで勝負強いコチビちゃんが挑戦、みごとに4等賞を獲得
 
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賞品は「ドラえもん のび太の迷言とトランプ」と、
 
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トートバッグでした。
 
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私と同行者はロイヤル・ハワイアン・センターから徒歩で宿泊するホテル「エンバシー・スイーツ ワイキキ・ビーチ・ウォーク」へ直行して自室で休憩。子供たちがフォート・デラシー・ビーチから戻ったタイミングで、前日と同様に全員で4階のグランド・ラナイへ出掛けました。
 
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子供たちは相変わらず元気にプールで遊び始めました。
 
 

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私はプールサイドでアルコール燃料を補給すると、前日と同じ至福の時が訪れました。”Mahalo”(感謝)。この日は残念なことに生演奏のサービスがありません。1046
   
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プールサイドに飽(あ)きたのか、同行者とオチビちゃんのお母さんが近くへショッピングに出掛けると言い出しました。「もっけの幸い」とばかりに私がワインの杯(はい)を重ねていると、同行者から呼び出しがありました。
 
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近くの帽子屋で帽子選びに迷っていると言うのです。現実の世界に引き戻された私は渋々その店に行く羽目(はめ)になりました。
 
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自分好みのバナマ帽(ぼう)を選び終えた同行者は私も帽子(ぼうし)を選ぶようにと言うのです。
 
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あれこれ試着した結果、同行者が選んだ帽子とお揃(そろ)いの帽子に落ち着きました。
 
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新潟県出身という店員さんの卓越した話術で楽しくパナマ帽を選ぶことが出来ました。さすがプロフェッショナルです。ちなみに、パナマ帽とは、パナマの帽子ではなく、パナマソウの葉を細く裂(さ)いた紐(ひも)で作られたエクアドルが起源とされる帽子です。日本でも戦前に流行したようで、小津安二郎監督の映画には白の開襟(かいきん)シャツと麻のスーツを着た男性がパナマ帽を粋(いき)に被(かぶ)って登場します。
 
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めっきり人影が少なくなったプールに戻ると、子供たちはまだ水の中で遊んでいました。
 
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午後8時ころ、自室に戻ってルームサービスを頼みました。オチビちゃんは夕食がデリバリーされるまでトランプを使って遊んでいます。
 
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ほどなく、オーダーした、ピザ、ハワイ料理のロコモコ、イタリアで生まれたアメリカ料理のチキンマルサラ(あるいはマーサラ)などが部屋に運ばれてきました。ちなみに、チキンマーサラはソテーした鶏の胸肉をイタリア・シシリア島特産のマーサラワインとマッシュルームのソースで絡(から)めた料理です。
 
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こうして、ハワイでの最後の夜が更(ふ)けて行きました。(続く)

2014年8月19日 (火)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その21) ダウンタウン#2

PIER 38”(ピア38、38番埠頭)へ入って行きます。
 
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ホノルルのダウンタウンをカバーするダウンタウン・ラインはトロリーバストロリーバス路線な中で一番西のエリアをカバーしていますが、「ニコス・ピア38」停留所はその路線のなかでも一番西方に位置しています。
 
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UNCLES FISH MARKET & GRILL”(アンクルズ・フィッシュ・マーケット&グリル)は2012年にリニューアルオープンした人気レストランです。“FRESH ISLANND FISH”(フレッシュ・アイランド・フィッシュ)を使ったフレッシュな魚料理が楽しめるそうです。
 
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ダウンタウンのビル街
 
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イオラニ宮殿はアメリカで唯一存在する王族の公邸です。1882年から1893年までハワイ王国最後の君主であるカラカウア王と、妹で後継者のリリウオカラニ女王が住んでいたそうです。
 
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アリイオラニ・ハレ(ハワイ州最高裁判所)が南キング通りを挟んでイオラニ宮殿の反対側にありました。アリイオラニ・ハレはハワイ語で「天の王様たちの家」という意味があるそうです。これは、カメハメハ5世が宮殿として1847年に建設しましたが、完成する2年前に亡くなったため、宮殿として使われることはなかったことが名前の由来でした。
 
 
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その前庭に1810年にハワイの島を統一して王国を築いたカメハメハ大王の像がありました。20年前にも立ち寄っています。
 
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カカアコの倉庫街に入るとあちこちに落書きのようなものが目立ちました。じつは、これらはただの落書きではなく、地元のアーティストたちがカラーチョークで描いたウォールアート(壁の芸術)で、トロリーバスの運転手さんの説明では人気投票が行われているとのこと。8枚の写真を選んで説明なしで掲載しますから、お気に入りのものを選んでみてください。
 
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WARD FARMERS MARKET”は以前アラモアナセンターにありましたが、”WARD WAREHOUSE”へ移転したとのこと。毎週土曜日に地元産のフルーツ・野菜・牛肉・魚などがフリーマーケットで売られているそうです。
 
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THE WARD WAREHOUSE”は生活雑貨・ハワイ工芸品・ギャラリー・ブティック・レストラン・ベーカリーなどの小さなショップが長屋のように並んでいるそうです。
 
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WARD 16 THEATRES”は名前の通りオーディトーリアム(ホール)が16あるシネマコンプレックスです。ハワイで最新式の設備として、座席は前に人の頭が邪魔にならないスタジアム・スタイル、16あるオーディトーリアム(ホール)のスクリーンは臨場感のあるカーブ型になっているそうです。
 
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(続く)

2014年8月18日 (月)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その20) ダウンタウン#1

約20分遅れてダウンタウン・ラインのトロリーバスが出発しました。時間の余裕がありませんので、歩いて観光するのではなく、車上からダウンタウンを眺めるだけにしました。この路線はダイヤモンドヘッド/カハラモール・ラインと同様に観光ガイドがありますから便利です。
 
アラモアナ通りからピイコイ通りを経て南ベレタニア通りに入りました。全米で400店舗以上を点火資するアメリカン・マットレスの店舗には不思議な絵が描かれています。
 
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ホノルル美術館は1927年に開館した歴史ある総合美術館で、外観は地味ですが、多彩なハワイ・アジア・西洋の美術品(4万点以上)のほか、美しい中庭に面したオープンエアーのカフェやギフトショップなどがあるようですから、時間があれば立ち寄りたい場所のひとつです。
 
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ハワイ州庁舎にはハワイがアメリカ50番目の州に昇格した1959年をあしらった大きなメダル形のモニュメントが吊(つ)り下げられています。 
 
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その手前には”FATHER DAMIEN”(ダミアン神父)の像があります。調べると、ベルギー出身のダミアン神父はハワイのモロカイ島でハンセン氏病患者の世話をして生涯を終えた聖人でした。 
 
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南ベレタニア通りを挟んで州庁舎の北側にある公園のような場所には“Eternal Flame”(永遠の炎)のモニュメントが見えます。 
 
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その左手にはリリウオカラニが晩年をすごしたワシントンプレイスがありました。 
 
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1886年に完成したセントアンドリューズ大聖堂(英国国教会系)はカメハメハ四世とその妻エマ王妃が建てた総石造り(フレンチゴシック様式)の教会です。結婚式場として人気があるようです。ちなみに、噴水の中に立つのはイエス像のようです。   
 
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南ベレタニア通りからヌウアヌ通りに入ると中華街です。 
 
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ヌウアヌ通りから幅の広いアラモアナ通りに出て南へ走りました。 
 
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PIER 10(10番埠頭)にはラナイ島からホノルルへ戻った時に見た日本の航海訓練用帆船「海王丸」(二代目)がまだ停泊しています。その横にある大きな建物は米国運輸省港湾局でした。その左手に見えるのはアロハタワー・マーケットプレイス(ショッピングセンター)にある「アロハタワー」(1926年建造)です。   
 
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前方の道路が行き当る埠頭(ふとう)には大形クルーザー船の「Star of Honolulu(スター・オブ・ホノルル号)」が停泊しています。フォート・デラシー・ビーチから見た船です。
 
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赤い帆船も停泊中 
 
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大型のカタマラン(双胴)船である“NAVATEKI”(ナバテックⅠ号)はダイヤモンドヘッド沖を越えてカハラ・コーストまでのクルーズが許されているハワイ唯一のクルーズ船のようで、アトランティス・アドベンチャーズ社が催行するサンセット・ディナークルーズは人気が高いそうです。
 
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FALLS of CLYDE”(フォールス・オブ・クライド号)は4本マストの全装備鋼鉄船で、現存する最古の帆走する石油タンカーでした。1989年にアメリカの歴史遺産に指定され、博物館船となりましたが、老朽化が激しいため、現在は一般公開されていないそうです。 
 
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夕方のアラモアナ通りは大渋滞
 
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ハワイアンファッション・土産物・Tシャツアロハシャツ・装飾品などを提供するチェーン店“Hilo Hattie”の”Nimitz Flagship Store”(ニミッツ旗艦店)ではハワイアン・ミュージック・ライブ(無料)が開催されていました。広い店内には”Kona Bean Cafe"もあるようです。
 
 
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(続き)

2014年8月17日 (日)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その19) アラモアナセンター

ドン・キホーテ停留所から建物に沿って100mほど戻り、駐車場の手前を左に折れると、ドン・キホーテの入口が見えました。目的のものを探す前にドンキホーテの外側にあるフードコートで休憩することに。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんは冷たいものを飲んで一息入れています。コーヒーが好きな同行者は”That’s awesome”と書かれたTシャツを着ています。「それは最高、あるいはすばらしい」という意味ですが、それとは何でしょうか?
 
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「ドン・キホーテ カヘカ店」の入口
 
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スタンプラリーのスタンドは、ドン・キホーテの店内ではなく、入口の右手にある旅行代理店の事務所内にありました。
 
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受付カウンターがスタンプ台になっています。
 
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ドラえもんで遊ぶ2人
 
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ドン・キホーテの店内に入ると、右手に無料で記念撮影ができるスポットがありました。アロハシャツ・フラガール・フラボーイなどあらかじめプログラムされたハワイ風の衣装のなかから好きなものを選んで、プリクラのように身に着けたような合成写真が撮影できるのです。“Say Hi!” の掛け声とともに撮影した写真が気に入らなければ何度でも取り直しができ、気に入れば自分宛てのEメールに添付して送ることができます。
 
 
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店内であれこれ小物を買ったあと、同じアラモアナ/ドンキ・ラインのトロリーバスに乗ってアラモアナセンター(海側)停留所に到着。
 
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MAKAI MARKET FOOD COURT”の“MAKAI”はハワイ語で海を意味しますが、この場合は海側のフードコートであることを示しています。ちなみに、コナ通りに面している入口が山側と呼ばれます。そして、後方に見える”Curry house”の看板は「カレーハウスCoCo壱番館」。
 
 
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フードコートの様子(左手と右手)
 
 
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食事はあとにすることにして、オチビちゃんとコチビちゃんはスタンプラリーのスタンドへ向かいました。アラモアナセンター2階の奥(山側)にありました。
 
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ALAMOANA CENTERSTAGE”では高校生の音楽会・バレー学校生による実演・フラダンスショー・Ron ArtisⅡバンドの演奏などが毎日予定されていましたが、残念ながらこの日は夜のプログラムだけでした。
 
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フードコートへ戻って遅い昼食です。私はハワイらしさを感じさせるステーキ&フィッシュの店でプレートランチの「ステーキ&シュリンプ」($13.6)を選びました。子供たちはハワイアンピザ、ピーナッツバタークッキー、ガーリックプレートなどを。
 
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ボリュームがありますから、一皿を全員でシェアしたところ、「ステーキ&シュリンプ」のエビ・ステーキ・ポテトサラダ・コーンとも大変好評でした。
 
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昼食を済ませたあとはダウンタウンへ向かうことにして、アラモアナセンター停留所でダウンタウン・ラインのトロリーバスを待ちましたが、予定された時間を過ぎてもロイヤル・ハワイアン・センター発のトロリーバスが到着しません。
 
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バス会社のスタッフからトラブルが発生したとの簡単な説明がありました。同じ路線のバスが事故を起こしたため、車両のやりくりのためやっと到着したバスではなく、その後続車に乗り換えることに。
 
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(続く)

2014年8月16日 (土)

池井戸潤著「オレたち花のバブル組」(後編)

第3章 金融庁検査対策(続き)

 

西新宿の居酒屋で戸越は古里を待っていた。遅れて入店した古里は馴(な)れ馴れしい口調で話し始めると、戸越は金融庁の検査で伊勢島ホテルがやり玉に挙(あが)っていることを話題にし、運用失敗のことを古里に話したのに何で放っておいたという。そして、上司に報告したんだろうなと問い詰めると、古里は貝瀬支店長に報告したことを認めた。その時、無人だと思っていた隣席から咳払(せきばら)いがしたことで古里ははっと口を噤(つぐ)んだ。

 

「最近の銀行員の中には間抜けがいるよな。内部情報をでかい声で話して平気なんだから」と言って、半沢と近藤が戸越と古里のテーブルを覗(のぞ)き込んだ。半沢の鋭い詰問(きつもん)に古里は伊勢島ホテルの粉飾(ふんしょく)を見逃(みのが)したのは貝瀬支店長の指示であったことを渋々認めた。半沢は上司に報告したという証拠を見せろと迫リ、さもないと古里を懲戒解雇(ちょうかいかいこ)させると言い放つと、古里は恐怖の眼差しで承諾(しょうだく)した。さらに、田宮電機の運転資金の稟議書(りんぎしょ)を融資部へ明朝提出しろと言うと、古里は分かったと答えるしかなかった。

 

半沢は戸越をともなって伊勢島ホテルの湯浅社長のもとを訪れた。再建策を話し合うために戸越の意見が不可欠と考えたのだ。関連会社のリストをチェックした戸越は湯浅家の資産管理を行う湯浅実業株式会社に絵画と土地があることを思い出した。絵画が好きな会長は美術館をつくることが夢なのだ。戸越は印象派の名画を売れば100億円ほどの損失を穴埋めできるという。

 

半沢に証拠を見せろと言われた古里は、貝瀬の自宅にある疎開(そかい)資料に必要書類が混入したとの理由をでっちあげて、貝瀬の自宅を訪れる許可を得た。貝瀬の書斎にある10箱の中をくまなく探して、古里はついに目的の書類を見つけた。こうして、貝瀬の回答が手書きされて閲覧印が捺()されたその報告書が行内便で半沢のもとに送られてきた。半沢は貝瀬ひとりの判断ではないと考え、翌朝一番に京橋支店の貝瀬支店長に電話を入れ、報告書をファックスで京橋支店に送りつけた。

 

第4章 金融庁の嫌な奴

 

7月の第1週、金融庁検査官の黒崎は集まった銀行員に向かって金融検査を行うことを告げた。黒崎が朝一番、下した命令は「与信(よしん)所管部の責任者を全員集めよ」という極めて異例なものであった。そして、9時半の集合時間に遅れてきた2人の次長に向かって黒崎は馬事雑言(ばじぞうごん)を浴(あ)びせた。自らの権威をかざす黒崎のパフォーマンスだが、半沢はそれ以外にも、隠された理由があるのではないかと考えた。

 

業務統括部の次長たちを足止めすることで業務検査部の検査対策チームと支店との分業体制を機能不全に陥(おちい)らせたうえで、当日検査対象に指定した支店を思うまま調べ上げることであったことが明白になった。

 

半沢が伊勢島ホテルの担当者として金融庁から呼び出しを受けたのは翌日の午後のことであった。黒崎は伊勢島ホテルの資産調査が今回の検査の最重要課題であると宣言。半沢は伊勢島ホテルの与信状況を淀(よど)みなく説明するが、黒崎は厳しい指摘を次々と繰り出したうえで、業績にIT投資(100億円超)が寄与する計画に関して、ナルセンというITシステム開発会社が近く破綻(はたん)するので、運用損失の120億円にIT投資の失敗による100億円以上が加わるから、業績回復のシナリオは「甘い」のひと言につきると勝ち誇ったように言い放った。

 

半沢は小野寺を伴って伊勢島ホテルの湯浅社長を訪ねた。ナルセンが破綻すると聞かされた湯浅社長は羽根専務に尋ねるが「業績は良くないという話聞いたいたが、破綻とは・・」と要領を得ない。どうすればいいかと自問する湯浅に向かって半沢はナルセンの状況を調べるのが先だという。

 

翌朝、半沢は大和田常務から呼び出しを受けて、伊勢島ホテルの査定で検査官に不備を指摘されたことを詰問(きつもん)された。さらに、金融庁から検査態度を改めるようにとの指摘があったという。半沢をなおも糾弾(きゅうだん)する大和田常務に向かって、半沢は「私の責任なら後でまとめて取らせていただきますから、ご心配なく。伊勢島ホテルに対する与信態度に問題があったとすれば、京橋支店にあります」と言葉を返した。

 

大和田は4年前までの3年間、その京橋支店長として業績を伸ばしたことを評価されて出世の階段を駆け上がった経緯があるので、ムキになってその理由を説明せよという。半沢は、「京橋支店が昨年12月に伊勢島ホテルの運用損失の事実を掴(つか)んでいましたが、対応策をとることなく、損失発生の事実を隠したまま法人部へ移管しました。貝瀬支店長の指示によるものでしたが、貝瀬支店長ひとり判断とは思えませんので、貝瀬が誰の指示でそうしたのかを金融検査が終わったら徹底的に調査するつもりです」と大和田と岸川に告げた。

 

ナルセン本社まで足を運んで得た情報を戸越は半沢に伝えた。ナルセンが開発したシステムを納入したウエスト建設が売掛金70億円を回収できず、実質債務不履行(さいむふりこう)の状態になっているらしいことと、経営側と銀行サイドで破産の方向で調整しているとの噂(うわさ)があるというのだ。そして、ナルセンは反社会勢力と付き合いがあるため、白水銀行も支援を継続できないジレンマにあることも。

 

午後7時過ぎ、大和田が湯浅を訪問してきた。金融庁に伊勢島ホテルを分類させたくないので、事業計画を練り直す必要があり、ナルセンを倒産させないために買収することを持ちかけた。資金使途を変更して伊勢島ホテルが立ち直るのなら、行内はなんとかするとまでいう。ただし、その条件は湯浅社長がきちんとけじめをつけることであり、半沢の処分も考えていると明かした。この時、湯浅は大和田と羽根で仕組んだことに違いないと感じた。

 

そこへ半沢から電話が入る。湯浅は訪れた半沢を見るなり、大和田常務が来訪して社長退任を勧告したことを告げた。半沢の問いに答えて湯浅の後任に羽根をトップに据える人事の考えを示した。半沢は、ナルセンが反社会的勢力と取引があるので、買収できないことを大和田と羽根は知らないという。そして、半沢は湯浅社長に伊勢島ホテルを救い、これから伊勢島ホテルが一層飛躍していくために不可欠だと断って、突拍子(とっぴょうし)もない提案をする。

 

「伊勢島ホテルに興味を示しているフォスターの資本を受ければ、湯浅の社長継続とフォスターのグローバルな受注システムと必要な人材、およびノウハウの提供を受けることができる。一方、フォスターは伊勢島ホテルを連結対象とすることで、手っ取り早く日本での収益機会を得ることができる」と説明した。湯浅はじっくり考えるための時間がほしいという。

 

後半の内容は省略しますが、「第5章 カレンダーと柱の釘」(野田経理課長の思い)、「第6章 モアイの見た花」(島田検査官による疎開資料探し)、「第7章 検査官と秘密の部屋」(黒崎検査官の反撃)、「第8章 ディープスロートの憂鬱」(娘の婚約者)、の各章が畳み掛けるように物語の結末へ向かって進展しました。

 

                              ☆

 

テレビドラマでのハイライトとなったのは第10話における取締役会での半沢と大和田常務との対決ですが、原作である本書(第8章)ではすべてが明らかにされるプロセスが淡々と描かれているだけで、テレビ視聴者へ強烈なインパクトを与えた香川照之さん(大和田常務役)の迫真の演技(土下座シーン)はありません。

 

後日談として、大和田は常務から平取締役(つまり出向待ち)になり、近藤が広報部調査役として出向先の田宮電機から本店へ戻りますが、半沢は人事部長の伊藤(ドラマでは直接頭取)から中野頭取の意向として銀行外への異動についての内示を受けたことが簡単に説明されます。

 

そして、エピローグ(終章)の位置づけで、半沢と妻の次のようなやり取りが続きました。目的は達したものの充足感が感じらえない半沢が自宅に戻ると、妻の花から思わぬ計画を打ち明けられてしまいます。半沢の了解が得られなかったことで花は不満顏になりますが、半沢にはそれに構う気力が残っていません。散々旅行がしたいと強請(ねだ)って花が旅行への興味をすっかりなくしてしまったため、半沢は一人で田舎に帰り、もう一度自分の人生を考えてみようと思い始めます。

 

このように、第8章の後半で半沢直樹シリーズの第3作「ロスジェネの逆襲」への展開を予感させたのは池井戸潤氏らしいみごとな演出だと思います。それに惹(ひ)かれた私は半沢直樹が銀行以外の舞台でさらに活躍するであろう続編を読んで見たくなりました。

2014年8月15日 (金)

池井戸潤著「オレたち花のバブル組」(前編)

本書は「オレたちバブル入行組」とともに人気テレビドラマ「半沢直樹」(はんざわなおき)の原作となった長編小説です。表紙にはタイトルと作者名とともに、地下鉄のプラットホームで電車を待つ背広姿で黒いカバンを下げたサラリーマン風の男性が描かれていました。今回紹介する本書はテレビドラマ(全10話)の後半である第6話から第10話にほぼ対応しています。ちなみに、テレビドラマの前半(第1話から第5話)は「オレたちバブル入行組」に基づいており、東京中央銀行大阪西支店における融資課長半沢直樹の活躍が描かれています。

 

                           ☆

 

第1章 銀行入れ子構造

 

一時、13行あった大手都市銀行が合併を繰り返した結果、3大銀行に集約されたことで、多くの銀行における人事はバランスを保つために入れ子構造(マトリョーシカが代表例)になったことを背景に物語は始まった。産業中央銀行と東京第一銀行が合併してできた東京中央銀行が舞台である。同行法人部の時枝孝弘(ときえだたかひろ)のもとに融資先である伊勢島ホテルの財務部長である原田貴之(たかゆき)から、「少々マズイことになったので会えないか」との電話が入る。

 

伊勢島ホテルの本社は東京中央銀行のすぐ近くの京橋にあり、30分もしないうちに原田部長をともなった羽根専務が時枝のもとを訪ねてきた。羽根は開口一番、「運用の失敗で120億円の損失が出ることが確定的になった」と時枝に告げた。じつは、渋る法人部長を説き伏せて役員会の決済に漕ぎつけ、先日200億円の融資をしたばかりである。

 

営業第二部次長の半沢直樹は上司である副部長の三枝裕人(さえぐさひろと)から伊勢島ホテルを担当するよう告げられた。頭取の命令だともいう。本来なら業績が悪化した取引先を専門に担当する審査部が担当すべきだとういう半沢に向かい三枝は、「それでは、伊勢島ホテルが問題先だと認めることになり、金融庁に対して説明がつかない」と否定した。半沢はそれを受け止めることにした。

 

時枝との引き継ぎをした夜、半沢は同期の渡真利忍(とまりしのぶ)から誘いの電話があり、神宮前にあるなじみの焼鳥屋で落ち合った。渡真利は、半沢に同情しながら、金融庁検査のスケジュールが決まり、しかも黒崎が主任検査官として任命されるらしいとの情報を教えてくれた。金融庁の目当ては伊勢島ホテルらしいともいう。合併から2年余りが経過した数カ月前、旧東京第一銀行の京橋支店を存続店舗とする代わり、大口取引先の伊勢島ホテルは召し上げて、旧産業中央銀行が主体になっている法人部へ引き渡した経緯があるのだ。

 

半沢は伊勢島ホテルの羽根専務を訪ねて担当引継ぎの挨拶(あいさつ)した際、事業計画を見直してほしいと申し入れるが、羽根はそれに反発して東京中央銀行の大和田常務と同ホテル社長の湯浅の間で話合わせてもらうという。次いで、半沢は東京中央銀行の京橋支店の支店長、貝瀬郁夫(かいせいくお)を訪ねて伊勢島ホテルについての管理がどうだったのかを尋(たず)ねるが、担当の古里則夫(こざとのりお)に任せると言って席を立った。その古里の態度は取り付く島がない。

 

翌朝、半沢は営業第二部部長の内藤寛(ひろし)から呼び出しを受けた。伊勢島ホテルへの融資を返済してもらう件は少し待てという。羽根専務と親しい元京橋支店長の大和田常務による根回しであった。「難しい仕事だということは百も承知だが、君ならできる。いや、君にしかできないといったほうがいいか。とにかく、まかせたぞ、半沢」と話題を打ち切った。

 

第2章 精神のコールタールな部分

 

バブル時代に入行した同期行員の中で、取引先の中小企業である田宮電機へ出向している近藤直弼(なおすけ)の近況が描かれる。入行して数年は仕事ぶりを評価されたが、バブル崩壊後に任された新店舗で思うような成績を上げることができず、それが原因で心の病に冒され、その後1年間の休職を余儀なくされた。それが彼のキャリアに響(ひび)き、合併によるポスト限で、真っ先に出向させられたのだ。

 

田宮電機社長の田宮基紀(もとき)は10年前に創業社長が亡くなってから社長業を継いだ二代目。苦労知らずに育った田宮は、今まで3人ほどを東京中央銀行から受け入れたが、いずれの出向者も長く続かなかった。一番大きな理由は、出向して社員になろうとする者に対しても、「銀行さん」と呼んで距離を置く田宮の処遇かも知れない。そして、右へ倣(なら)えとばかりに距離を置く部下の存在である。このような状況で田宮電機の経営状態は悪化していた。

 

近藤は東京中央銀行京橋支店の古里(こざと)に3000万円の融資を申し入れているが、3週間経(た)っても古里は融資の稟議書(りんぎしょ)を書くのを渋っていた。伊勢島ホテルを京橋支店で担当していた男である。成果を挙げられず会社へ戻った近藤社長の田宮と自分の部下である総務課長野田の両方から叱責(しっせき)され、近藤はコールタールがまた1ミリ、自分の脳を侵食するのを感じた。大阪でマイホームの手付金を払った直後に東京転勤が決まったことで家族に精神的な負担を感じていたところへ、趣向先の仕事の負担が重なった。

 

経理資料を見せようとしない野田の態度を不審に思った近藤は野田に気づかれないように過去5年間の決算資料を分析した。そして、棚卸管理表の在庫量に矛盾があることに気づき、二重帳簿の存在も発見した。近藤の質問に野田はしらばくれ、田宮も横槍を入れてきたが、長い間忘れていた闘争心の欠片(かけら)を取り戻した近藤は譲(ゆず)らない。動かぬ証拠を突きつけられた田宮と野田はついにその事実を認めた。近藤は再建計画を至急練り上げることを提案。できない時は裏帳簿(うらちょうぼ)を持って銀行に帰ると宣言する。田宮の唖然(あぜん)とした顔を眺(なが)める近藤の中で、コールタールはその姿を消した。

 

第3章 金融庁検査対策

 

半沢は伊勢島ホテルの湯浅威(ゆあさたけし)社長を訪ねた。打開策を話し合うためだ。名刺を差し出した半沢に湯浅は古い名刺を示した。10年近く前の半沢の名刺である。湯浅は、「中野頭取に、半沢次長を担当に据えてくれるよう内々頼んだのは、私だ」という。湯浅が老舗(しにせ)である大東京ホテルの企画部にいたとき、「業績悪化から主力銀行からの資金供給が厳しくなっていたなか、ほとんど取引のなかった産業中央銀行だけが、積極的に支援して窮地(きゅうち)を救ってくれた。そのときの担当者が、支援を取り付けるために銀行内部に根回し、我々の企画会議にまで出席してくれた時、私にくれたものだ」と続けた。

 

湯浅は本題に入って再建策を半沢に説明した。3か月前から国内と欧米の富裕層を主要顧客とする高級老舗ホテルからアジアへと顧客層を広げたことで、空室率が低下していることを示した。さらに、上海に本部がある大手旅行代理店と契約し、IT網を整備してインターネットで直接予約できるシステムの運用を年内に開始するなど様々な計画を明かした。運用損失の報告が遅れたことを半沢に詫(わ)びて、羽根専務の独断によるものであったことを認めた。

 

渡真利の手配で半沢は白水銀行審査部の板東洋史(ばんどうひろし)と会った。板東は伊勢島ホテルの件であることをうすうす気づいていた。半沢の問いに答えて板東は、3か月前に内部告発があったことにより伊勢島ホテルは運用の失敗によって巨額の赤字が出ていることを知ったと、融資を取り止めた理由を明かした。

 

板東にアドバイスされた半沢は運用の失敗を理由に経理部から子会社の伊勢島販売に飛ばされた戸越(とごし)に会うことにした。そのため、半沢は伊勢島ホテルを訪ねて、主要子会社の経営内容を確認することを口実にして1時間ほど質問を続けたあと、組織図と社員名簿を見たいと要求して、名簿の中に戸越茂則(しげのり)の名前を発見。銀行に戻った半沢はオンライン端末から出力された戸越の取引資料で自行の新宿支店に普通預金口座があることを知った。

 

普通預金口座の解約に現れた戸越に半沢は声を掛け、伊勢島ホテルのことを聞きたいと頼んだ。渋る戸越も半沢の強引な質問に損失が出た経緯を話し始めた。羽根専務の発案で去年の1月から総額500億円を運用するようになったこと、数十億円の損失を埋めるために羽根専務の指示で信用取引に手を出したこと、それが裏目に出て120億円の損失につながったこと、そして自分が責任を取らされたことも。さらに、昨年12月に100億円の損失が発生していたことを京橋支店の古里に話したことも明かした。

 

半沢は京橋支店の古里を訪れてその事実を確認するが古里は白(しら)を切る。一方、田宮社長と近藤は支店長の貝瀬に会って田宮電機の決算資料を説明していた。同席した古里が相変わらず暴言を吐(は)くことに耐(た)えながら近藤は、粉飾の事実を詫(わ)び、次回の決算で修正をする旨を告げるが、貝瀬は本部の融資部に報告して判断を仰(あお)ぐとして取りつく島がない。

 

帰宅する近藤の姿を確認した野田は経理ソフトを立ち上げて目的の書類を印刷し、密かに作成したスペア鍵を使って近藤の机の抽斗(ひきだし)を開け、近藤に召(め)し上げられた裏帳簿のあるページを外し、新たにプリントアウトしたものと差し替えた。そして、外したページをシュレッダーに放り込むと、社長に電話で報告した。(続く)

2014年8月14日 (木)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その18) ワイキキ水族館#3

照明が暗い屋内展示場から外へ出て、太陽光が眩(まぶ)しい屋外展示の“Edge of the Reef”(珊瑚礁の端)へ向かいました。ハワイの珊瑚礁を再現した展示で、実際 生物に手を触れることもできる水槽があるようです。『ハワイの川の流れの音を楽しんでください。なお、この展示物には手を触れないでください』と表示されていました。
 
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大きな岩風呂のような水槽はハワイの岩礁海岸を再現したものです。1904年に設立されたこの水族館(現在はハワイ大学が運営)で最も長い歴史を誇る展示で、キイロハギ・イシダイ・バタフライフィッシュ・黒サンゴ・ナマコ・パイプウニ・など、魚と無脊椎(むせきつい)動物を鑑賞することができます。
 
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この水槽の左手では水族館のスタッフが子供たちに海の動物たちと触れ合う体験をさせてくれるようです。
 
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スタッフが水中で手のひらに載せた小さな巻貝
 
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オチビちゃんが受け取ると巻貝の中から足のようなものが出てきました。貝ではなく、エビやカニの仲間(甲殻類)である「ヤドカリ」のようです。そして、オチビちゃんとコチビちゃんはウニのトゲにも触らせてもらいました。
 
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“Hawaiian Monk Seal“(ハワイアン・モンクシール)はハワイにしか生息していない絶滅危惧(きぐ)種だそうです。モンクとはキリスト教の修道士、シールはアザラシを意味します。また、ハワイ語では「海を渡る犬(イリオ・ホロ・カイ)」と呼ばれているそうです。
 
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ワイキキ水族館を出ました。ワイキキ水族館の入口前にあるモニュメントは巻貝をイメージしているのかもしれません。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんはワイキキ水族館の看板にでピースサインをして、お母さんのカメラにポーズをとっています。
 
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カラカウア通りの歩道をクヒオ・ビーチもう面へ戻ります。
 
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街路樹の株が盛り上がっています。
 
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カピオラニ公園内にあるカピオラニ女王像の台座には「最高のために努力を」と刻まれています。
 
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“RAINBOW SHOWER TREE”(レインボー・シャワーツリー)あるいは“PINK SHOWER TREE”(ピンク・シャワーツリー)のようです。
 
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HONOLULU ZOO”(ホノルル動物園)と表示された入口は閉まっているようです。休演日なのでしょうか。
 
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そして、インド独立の父であるマハトマガンディー像を見かけました。
 
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その先にホノルル動物園の新しい入口(2011年完成)がありました。先ほどの入口は1964年に作られた古い入口でした。
 
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波が出てきたカピオラニ・ビーチの沖合ではサーフィンを楽しむ人たちが大勢集まっています。
 
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パオアカ等に通りへと右折してアストン・ワイキキビーチ・ホテルの前にあるトロリーバスの停留所でアラモアナ/ドンキ・ラインのトロリーバスを待ちました。次の目的地である「アラモアナセンター」はアストン・ワイキキビーチ・ホテル停留所から10番目の停留所です。

 

トロリーバスはアストン・ワイキキビーチ・ホテル停留所を出発、クヒオ通りに入って西へ走り、アラモアナ大通りを走行している時にオチビちゃんがスタンプラリーのスタンドが「ドン・キホーテ カヘカ店」にあることを見つけました。そこで、予定を急遽(きゅうきょ)変更して、アトキンソン通りとカヘカ通りを北上し田場所にある「ドン・キホーテ カヘカ店」停留所で下車。アストン・ワイキキビーチ・ホテル停留所からの所要時間は約25分。途中、ノリノリの運転手がラップのような歌を歌い始めたのはアメリカらしい光景です。ちなみに、ハワイには “Don Quijote USA(ドン・キホーテUSA)の店舗が全部で3店(いずれもオアフ島内)にあるそうです。それでは、ここでハワイ旅行記の投稿を小休止して、箸(はし)休め記事を投稿します。(続く)

2014年8月13日 (水)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その17) ワイキキ水族館#2

「南太平洋の海の共同体」コーナーの水槽には色鮮やかな各種珊瑚(さんご)があり、
 
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南太平洋ではありませんが、ブラジル・アマゾン原産の淡水魚であるエンゼルフィッシュのなかで最もポピュラーな “Silver Anglefish”(シルバー・エンゼルフィッシュ)が水草の中を泳ぎ回っています。
 
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「南太平洋の海の共同体」コーナーの別の水槽でGiant Carpet Anemone”(ハタゴイソギンチャク)の周辺を泳ぐクマノミの一種である”Clown Anemonefish“(カクレクマノミ、隠隈魚)は、他の”Cownfish”(クマノミ)に比べて細長い体つきをしており、オレンジ色の体に3本の白い帯があるのが特徴です。フィージーやトンガなど、南太平洋に多く生息していますが、すべて雄として生まれ、大きく成長した雄が雌に性転換するそうです。“Sea Anemone”(イソギンチャク)と共生することで餌(えさ)をもらいながら身を守っているとのこと。ちなみに、アニメ映画「ファインディング・ニモ」の主人公ニモはカクレクマノミとされていますが、実際は顔の部分を除くと黒い部分が多いクマノミの1種である“Orange Clownfish/Amphiprion Percula”(ペルクラ)だそうです。
 
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こちらは大型のイソギンチャクである“Giant Carpet Anemone”(ハタゴイソギンチャク、旅籠イソギンチャク)の周辺を泳ぐのは“Yellow Surgeon”(キイロハギ、黄色剥)・“Blue Tang”(ナンヨウハギ、南洋剥)・カクレクマノミなど。ちなみに、ナンヨウハギは映画「ファインディング・ニモ」のなかで「ドリーの名前で登場して息子のニモを探す父親のマーリンと友達になり、ともにニモを探す旅に出ます。
 
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Tomato anemonefish”(タマイタダキイソギンチャク、学名:Entacmaea ramsayi)(左)と“Carpet Anemone”(イボハタゴイソギンチャク、学名:Stichodactyla haddoni)(右)の周辺にもナンヨウハギなどが泳いでいます。
 
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この写真にもイボハタゴイソギンチャクとタマイタダキイソギンチャクが写っていますが、右手前のイソギンチャクの名前は確認できませんでした。
 
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「南太平洋の珊瑚礁」コーナーの巨大な水槽に奇妙なものを見つけました。これもイソギンチャクかと思いましたが、よく見ると貝のようです。調べてみると、シャコガイの一種、“Tridacna Crocea/Crocea Clam”(ヒメジャコガイ)のようです。ちなみに、その仲間であるオオジャコガイは世界最大の二枚貝。
 
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Lagoon Jelly”(タコクラゲ、蛸海月)と、
 
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Moon Jelly”(ミズクラゲ、水海月)が優雅(ゆうが)に泳いでいます。照明が落とされているため、幻想的にも見えました。
 
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鮮やかな色彩の熱帯魚が泳ぎ回っています。
 
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Masked Anglefish”(マスクドエンゼルフィッシュ)は名前の通りにマスクを被(かぶ)っているように見えます。
 
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色は違いますがこれもマスクドエンゼルフィッシュのようです。
 
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Forceps Butterflyfish”(フエヤッコダイ、笛奴鯛)
 
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Zebra Moray”(ゼブラウツボ)は白色の横縞(よこじま)が名前の由来のようです。
 
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Dragon moray”(トラウツボ)が岩陰から顔を出しました。
 
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Seaorse”(タツノオトシゴ、竜の落とし子、別名:海馬)はこんな姿をしていてもヨウジウオ(楊枝魚)類の魚なのです。
 
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「珊瑚礁のハンター達」のコーナーには、“Giant Grouper”(ハタ)、“Blackspot Sergeant”(シマスズメダイ)、“Tiger Shark”(イタチザメ)、”Great barracuda“(カマス)などが泳ぐ大水槽
 
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背中にオレンジ色のスポットが多数あるエイは、アマゾン川など南米大陸の淡水に棲息(せいそく)する、Ocellate River Stingray” ポタモトリゴン・モトロ、オレンジスポットタンスイエイ)でした
 
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オレンジスポットタンスイエイと同じ水槽にいる緋鯉(ひごい)のように真っ赤な“Asian Arowana”(アジアアロワナ)は東南アジア原産の淡水魚で、観賞魚として人気があるようです。中国ではその形が竜に似ていることから龍魚と呼ばれているそうです。
 
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(続く)

2014年8月12日 (火)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その16) ワイキキ水族館#1

カラカウア通りをダイヤモンドヘッド方面へ歩きました。
 
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左手に分岐するのはモンサラ通りで、ダイヤモンドヘッドの入口への近道です。
 
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カラカウア通りの反対側に続くクイーン・カピオラニ公園にあるバニヤンツリーの大木
 
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カラカウア通りに従って右手へ進むと、広い歩道にまたサーファーの彫像がありました。こちらはスタンディング姿が美しく、台座が波頭(なみがしら、はとう)になっています。
 
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その後方にあるバニヤンツリーの大木は気根(きこん)が見事でした。
 
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ベンガルボダイジュという菩提樹の仲間であるバニヤンツリーは大きく横に広げた枝から長い根を垂らすのが特徴で、気根は地面に届くと新しい幹になり木の成長を助けるそうです。ちなみに、日本で観葉植物として人気があるガジュマルもこの仲間だそうです。ガジュマルが大好きな私は挿(さ)し木でガジュマルの株を増やしています。
 
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クイーンズ・サーフ・ビーチにはライフガードの監視所があります。
 
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クイーンズ・サーフ・ビーチから見たホテル群です。突堤の先端の先にある大きな建物はシェラトン・ワイキキ、その手前のピンク色の建物はロイヤル・ハワイアン・ホテル、その右にアウトリガー・ワイキキ・温・ザ・ビーチ、モアナ・サーフライダー・ア・ウェスティン・リゾート&スパ、シェラトン・プリンセス・カイウラニ、右端のツインタワーは先ほど脇を歩いたハイアット・リージェンシー・ワイキキ・ビーチ・リゾート&スパ。
 
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ズームアップするとサーフィンをする人たちの先にハレクラニ・ホテル、マンションの上に少しだけ見えるヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチ・リゾート&スパのレインボー・タワー(31階建て)も確認できました。ちなみに、ワイキキで一番背が高い高層ホテルは私たちが宿泊するエンバシー・スイーツ ワイキキ・ビーチ・ウォーク(21階建て)の隣にあるトランプ・インターナショナル・ワイキキ・ビーチ・ウォーク(38階建て)です。
 
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クイーンズ・サーフ・ビーチと並行するように遊歩道を歩きました。
 
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遊歩道で”AKEKEKE”(アケケケ、日本名:キョウジョシギ)が人に慣れているせいか身動きをしません。ダイヤモンドヘッドの火口でも見かけた渡り鳥です。
 
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突堤の先端付近を歩く女性がいました。今にも波に足元を洗われそうですがまったく気にも留めない風です。沖合を虹色の帆が目立つカタマランが遊覧船とすれ違うところでした。
 
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突堤が近づきました。
 
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突堤を過ぎると、カパフル・ピアから400mほどの幅しかないクイーンズ・サーフ・ビーチが終わり、いつのまにかカピオラニ・ビーチに入っていました。さらに200mほど進むと、ワイキキ水族館の敷地に巡らした金網に行き当たりました。ビーチに出て水族館を過ぎるとニュー・オータニ・会マナ・ビーチ・ホテルがあるカイマナ・ビーチですが、目的地はワイキキ水族館ですから、緑地を横断してカラカウア通りに面した入口へ向かいました。カイマナ・ビーチの「カイマナ」はハワイ語で「マナ(パワー)に溢れた海」という意味。

 

「カイマナ」といえば、ハワイアンに人気曲「カイマナヒラ」を思い出しますが、オワフ島ワイキキビーチを見下ろす標高232mの「ダイヤモンドヘッド」を指しているそうです。つまり、カイマナ(Kaimana)地域にある”Hila”(ヒラ、丘)という意味でした。もう少し細かく説明すると、ハワイ語で"kai"は「海」、"mana"は「霊的な力、奇跡」を表します。そして、カイマナはダイヤモンドという意味もあるようです。
 
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ワイキキ水族館入場料は大人$12、子供$5、シニア(65歳以上)$5、ミリタリー(現役軍人)/カマアイナ(地元住民)/FOWAメンバー(ワイキキ水族館の会員)はいずれも$8です。
 
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受付でオーディオ・ツアーガイドの端末(無料)を借りました。”Orpheogroup”は音声案内用端末を開発製造するフランス企業で、この端末は音声圧縮技術のMP3・その後継規格であるAAC(先進的音響符号化)・WMA(ウインドウズ・メディア・オーディオ)に対応できる“Orpheo MIKRO”で、日本語の表示もできる優れものです。
 
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番号に対応して音声ガイドが利用できるようです。展示コーナーは”Corals”(サンゴ、珊瑚)から始まるようで、「サンゴは生きている」と表示されています。
 
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「生きている珊瑚礁(さんごしょう)」コーナーでは、サンゴを構成する個体(最小単位)の生き物は「コーラル・ポリープ」と呼ばれ、針の先ほどの小さないにもかかわらず、口・触手(しょくしゅ)・胃腔(いこう)・骨格を備えていることが紹介されています。
 
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(続く)

2014年8月11日 (月)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その15) クヒオ・ビーチ

翌日(5月22日)はハワイに滞在する最終日の前日です。午前8時から朝食を楽しんだ後、モアナルア・ガーデンパーク(あの有名な「日立の樹」がある公園)へ行くことも検討しました、 最寄りのホノルル空港やダウンからの交通の便が悪くて時間が掛かるたまこの案は断念し、トロリーバスでホノルル市内全体を周ることにしました。やや雲の多いことは気になりますが、ロイヤルハワイアンセンターの停留所で9時50分ころに発車するトロリーバスに乗車しました。最初の目的地はワイキキビーチですから、先日利用したダイヤモンドヘッド/カハラモール・ライン(グリーン)のほか、アラモアナ/ドンキ・ライン(ピンク)も利用できます。ちなみに、前者は45分間隔、後者は10分間隔で運行しています。
 
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ピンクラインのトロリーバスに乗車してわずか3分でホノルル警察ワイキキビーチ交番が右手に見えました。
 
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交番の先はオン・ザ・ビーチのホテルが建っていないため、カラカウア通りからプリンス・クヒオ・ビーチ(略称はクヒオ・ビーチ)が見えます。
 
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プチ薀蓄です。ワイキキビーチは、西端のデューク・カハナモク・ビーチ(ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ前)、フォート・デ・ルシー・ビーチ、グレイズ・ビーチ、ロイヤル・ハワイアン・ビーチ、プリンス・クヒオ・ビーチ、クイーン・カピオラニ・ビーチ、サン・スーシ・ビーチ、東端のアウトリガー・カヌー・クラブ・ビーチ(別名コロニー・ビーチ)まで、約3kmにわたる8つのビーチの総称です。ちなみに、もとも湿地帯であったワイキキビーチに砂浜はなかったのですが、1920年代から1930年代にかけてオアフ島北部のノースショアなどから白砂を運んで作られた人工の砂浜です。

 

シャトルバスをデューク・カハナモク像停留所で下車。目の前に伝説のサーファー「デューク・カハナモク」の巨大な像がありました。ハワイ伝統のロングボードを使うサーフィンを世界的に広めた功労者であるとともに、世界のトップスイマーだったそうです。1912年のストックホルム五輪にて100m自由形で優勝、1920年のアントワープ五輪でも100m自由形とリレーで優勝しています。
 
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クヒオ・ビーチの様子
 
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カラカウア通りを横断してカパフル通りに入ります。左前方は交差点の角にある「ハイアット・リージェンシー・ワイキキビーチ・リゾート&スパ」です。
 
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同ホテルの周囲に沿って左折すると右手にヨーロッパ風のショップが立ち並ぶショッピングモール「キングス・ビレッジ」がありました。
 
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入口の右手にあるのは古いアメリカの雰囲気があるショップとカフェを兼ねる「ロック・アイランド・カフェ」
 
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その脇には特徴あるスタイルで歌うエルビス・プレスリーの人形
 
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オチビちゃんとコチビちゃんはキングス・ビレッジの2階奥にある広場で「ドラえもん わくわくスタンプラリー」のコーナーを発見
 
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スタンプを慎重に押しています。
 
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同行者は女性陣とともに”REGAL DECOR”(リーガル・デコール)に入って行きました。
 
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ドイツゲーベルのフィギュアやぬいぐるみ、ハワイアンアイテム、キッチン用品など女性向けの商品を揃えている店でした。コチビちゃんはハワイ風の布製小物入れなどをお母さんに買ってもらいました。ハワイアンキルトのタペストリーにしばし見とれていた同行者は迷った末、ハワイの大きな葉「モンステラ」をイメージさせる長いテーブルランナー(あるいはテーブル・センター)を購入しました。20年前にアメリカから持ち帰った長いダイニング・テーブルに使う考えのようです。

 

元来たルートをそのままクヒオ・ビーチまで戻りました。トロリーバスのアラモアナ/ドンキ・ラインはホノルル動物園の手前でパオアカラ二通りへと左折し、クヒオ通りをワイキキの中心部へ引き返しますから、次のアストン・ワイキキ・ビーチ・ホテル停留所までしか利用できません。そして、ダイヤモンドヘッド/カハラモール・ラインは45分間隔ですから、次のバスを待つよりも歩いた方が早いと判断。ダイヤモンドヘッド方面へ歩くとクイーン・カピオラニ公園の角に出ました。この公園にはホノルル動物園があります。
 
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ここがクヒオ・ビーチとクイーンズ・サーフ・ビーチの境界になっているカパフル・ピアの手前に何かの像があるようです。
 
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サーフィンをする人の像のようです。右手の案内板にはワイキキの歴史が、『吹出す水」を意味するワイキキと呼ばれたこの土地は、かつて多くの小川が流れる広大な湿地帯であり、この場所はその一つであるクエカウナヒ川の河口であった。昔からワイキキは人気のあるサーフィング・スポットであった。1917年に偉大なデューク・カハナモクは35フィート(10.67m)の波を捉(とら)えて海岸まで1.25マイル(2012m)の最長記録を樹立した』と説明されていました。
 
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Makua and Kila”(少年とモンクシール)はモンクシール(アザラシ)と波に乗る少年がシンボルになった銅像でした。銘板には『フレッド・ヴァンダイクによる子供向けの本に基づいて、家族と海を愛して敬うハワイの価値観を讃えたホリー・ヤング作の彫像』と書かれています。
 
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彫像の脇に咲いていた美しい花は何かと思って調べました。花の色は白く、先が4つに裂け、花の真ん中は赤紫色である特徴から「マルバルリハナガサモドキ」(プセウデランセムム・レティクラツム・オバリフォリウム)でした。南太平洋原産の花樹(かじゅ)で、葉の色がだんだん黄色に変化すことも特徴のようです。
 
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この日は波があるためサーフィンをする人たちが大勢確認できます。
 
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カパフル・ピアの入口に出ました。サンセットが美しいビュー・スポットのようです。ちなみに、右側はクヒオ・ビーチで、右はクイーンズ・サーフ・ビーチで雰囲気が少し変わります。
 
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カパフル・ピアを中ほどまで歩いてみました。防波堤の外でサーフィンをする人たちの沖合では虹の6色(赤・オレンジ・黄・緑・青・紫)を帆にあしらったカタマランと青と白のストライプが鮮やかなカタマラン(シェラトンワイキキの前から出航するKepoikaiⅡ号)が並走し、さらに遠くを3本マストの船が逆方向へと航行しています。この2階建て(2デッキ)の船もカタマランかもしれません。先ほどから突堤の縁に腰かけている女性の服装がワイキキビーチではひときわ目立ちました。
 
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(続く)

2014年8月10日 (日)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その14) ホテル支配人主催レセプション

陽が傾いてきたようで、私たちが宿泊する「フラ棟」に影が差し始めました。
 
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それでもプールの中とプールサイドにはそれぞれの好みで時間を過ごす人たちがいます。
 
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滝を模した目隠しの先にはハレクラニ・ホテル、そしてその奥にはシェラトン・ワイキキ・ホテルも見えます。ハワイらしいトロピカルドリンクに加えて、カクテル、ビール、ワイン、ハードリカー(蒸留酒)、ソフトドリンクと多彩です。
 
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カウンターが混んでいましたので先に生演奏会場へ入ることにしました。
 
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シャツの色は変わっていますが、初日に下見した時と同じトリオ・バンドが演奏しています。
 
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後方の席でしばらく生演奏を楽しむことにすると、ビートルズの「カム・トゥゲザー」などロックミュージックの演奏が続きました。
 
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ハワイらしくウクレレが演奏をリード
 
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これはデジタル・パーカッション(電子ドラム)のようです。
 
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生演奏をしばし楽しんだあと、支配人が主催するレセプションのカウンターへ向かいました。英語と日本語でメニューが表示されています。そのどれを選ぶかを同行者と相談することに。
 
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午後7時を過ぎたころ、プールで遊んでいたオチビちゃんたちは着替えをするために自室へ戻ったようです。日が陰って涼しくなったためか、プールで遊ぶ人たちがめっきり少なくなり、ジャグジーを利用する人しか見えません。
 
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いつまで待っても途切れることがないレセプション・カウンターの長い行列に向かいました。
 
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各種のドリンクとスナックをプールサイドのテーブルにセットし、オチビちゃんたちが戻ったところで、同行者はラウンジチェアに座って、今日の出来事などを楽しそうに話しているようです。私はその横でカベルネソーヴィニオン(赤ワイン)などを飲みながら、演奏会場から流れてくる昔懐かしい音楽を聴いていると、至福の時が過ぎて行きました。
 
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午後7時半になったタイミングで全員がそろって演奏会場に入りました。
 
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乗りのいい同行者は盛り上がっています。
 
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演奏はまだ続きます。
 
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そして、フラダンサーが現れました。右手の女性は服装から見て宿泊客のようで、「見よう見まね」のフラダンスがぎこちないことはまったく気にしていないようです。
 
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もう少し生演奏とフラダンスを楽しみたいところですが、午後8時近くなりましたので、15階の自室へ戻ることにしました。(続く)

2014年8月 9日 (土)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その13) フォート・デラシー・ビーチ#4

フォート・デラシー・ビーチにはアンブレラ(日傘)とラウンジチェアが並んでいます。$20/時間~$50/終日でレンタルすることができます。ラウンジチェアだけの場合は$6/時間~$12/終日と安くすみますが・・。ちなみに、軍人は4割引きです。
 
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ショアバードのランチメニューではアンガスビーフのバーガーがお薦(すす)めのようです。私はまずハワイビールの”Big Wave Golden Ale”(コナ・ブリューイング社製)を注文しました。軽めで柑橘(かんきつ)系の匂にお)いを感じさせる爽(さわ)やかなビールです。
 
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オチビちゃんたちのソフトドリンク
 
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半分に切ったパイナップルを容器にして入れたパイナップルとパパイヤのぶつ切りにカッテージチーズをトッピングした「パイナップル&パパイヤ・サラダ カッテージチーズ添(そ)え」($13.95)
 
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私が選んだ料理は”Spicy Ahi Sushi Roll”($12.95)です。新鮮はマグロをスパイシーなマヨネーズで和(あ)えたものをカニ・アボカド・きゅうりを巻ものに載(の)せた寿司は、カリフォルニア巻のハワイ版であり、皿に配されたピリ辛のワサビソースが味のアクセントになって期待通りの美味しさでした。
 
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オチビちゃんは「ショアバーガー」($11.95)を選んだようです。
 
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コチビちゃんは子供向けのメニューから茹(ゆ)でたマカロニにチーズソースを絡(から)めたものとバタートーストの組み合わせた”Mac & Cheese with Toast”($8.95)を。アメリカでは子供に人気があるメニューのようです。ちなみに、 Mac”はマクドナルドではなく、マカロニの略です。
 
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料理に満足して店の外に出ました。
 
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沖合には真っ赤な双胴のヨットが帆(ほ)を降ろしています。船外機の推進力で航行しているようです。「カタマラン」と呼ばれるポリネシアで生まれた双胴ヨット(カタマラン)には、写真のような小型船から大勢が乗船できる大型船まで様々な大きさがあるそうです。クロアチアのスプリットで見かけた大型双胴船もカタマランと呼ばれていました。カタマラン・セーリング・ツアーは、ハレクラニ・ホテルやシェラトン・ワイキキ・ホテルの近く、あるいはヒルトン・ホテルの桟橋(さんばし)からも出ているようです。ちなみに、60分~90分のツアー料金は$15~30。
 
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フォート・デラシー公園脇の道を歩いてホテルへ戻ります。
 
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たっぷり昼寝をしたあと、オチビちゃんたちの希望で4階のグランド・ラナイにあるプールへ遊びに行くことにしました。私の目的は午後5時半から開かれている支配人主催のレセプションです。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんは元気いっぱいプールに入って遊び始めました。
 
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(続く)

2014年8月 8日 (金)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その12) フォート・デラシー・ビーチ#3

ダイヤモンドヘッドで見かけた制服姿の船員さんたちがビーチを歩いています。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんはふたたび浮き輪を使って遊び始めました。
 
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十分満足したようで海から上がってきました。
 
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同行者は椰子(やし)の木陰にタオルを敷いて待機中
   
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フォート・デラシー公園に伸びる遊歩道の先に見えるのは陸軍博物館
 
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左手は広々とした緑地になっています。
 
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人が集まっている場所をズームアップ撮影するビーチバレーを楽しむ人たちでした。
 
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純白の”Atlantis”(アトランティス号)が「ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチ・リゾート&スパ」の船着き場に接岸する直前でした。
 
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この船は沖合に停泊するアトランティス潜水艦とホテルの間を航行し、利用客を水深30メートルのハワイの海底へ旅するアドベンチャー・アトラクション($117.4)のために送迎しているのです。地元の観光旅行会社の「アトランティス アドベンチャーズ社」が催行(さいこう)しているようです。
 
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ヨットを追いかけるように航行する“STAR OF HONOLULU”号は船長232フィート(約70m)、4つのデッキを持つ本格的なクルーザーで、昼間にホエール・ウオッチを、夜はサンセット・ディナー・クルーズ($75-245)を楽しめるようです。
 
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午後1時近くなりましたので昼食のためにワイキキビーチ寄りの場所へ移動することにしました。
 
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水上三輪車を借りた”KOA BEACH SERVICE”です。ちなみに、“KOA”(コア)は、アウトリガーカヌーやウクレレなどの工芸品に使われるハワイ固有の木を指しますが、勇気あるいは戦士を指すこともあります。ここでは後者の意味をより強く意識しているのでしょう。
 
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KOA BEACH SERVICE”の料金表には軍人向けと一般人向けの2通りが表示されていました。”Aqua Cycle”(アクアサイクル)の料金は一般向けが$30/時間、軍人向けが$20/時間とかなりの差があります。
 
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突堤を通り過ぎたマンションとハレクラニ・ホテルの間にあるレストラン”SHORE BIRD”(海鳥)はハワイ風の食事とドリンク類を提供する店です。
 
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フォート・デラシー・ビーチを一望できる立地条件もあってワイキキで人気店のひとつであるようです。
 
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(続く)

2014年8月 7日 (木)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その11) フォート・デラシー・ビーチ#2

オチビちゃんの希望でフロートを兼ねた大きなホイールが3つついた水上三輪車(アクアサイクル)に乗ることになりました。
 
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全員が乗れるように1時間のコース($30)にして、まず私が操舵手(パイロット)役を買って出ました。ビーチの波打ち際にあるスロープを走り下りて海へ入ることができると思いましたが、水上三輪車をレンタルした店のスタッフが勢いよく押してくれました。陸上を走行するようにはできていないのです。
 
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ハンドルは安全性を考慮したのか三角形(楽器のトライアングルに似ている)をしています。
 
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オチビちゃんは初めて乗った水上三輪車に大喜び
 
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海上から見たダイヤモンドヘッドとフォート・デラシー・ビーチ
 
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海中を覗(のぞ)くとヘソのように丸い岩が見えます。
 
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白いブイは海水浴場の範囲を示しているようです。
 
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ハワイで大人気のスタンドアップパドル・サーフィンを楽しむ人たち
 
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ビーチからだいぶ遠くまで来ましたので、この辺でビーチへ引き返すことにします。水上三輪車は、ペダルが重い割に推進力が弱く、ハンドルの効きも良くありません。それでも、あれこれ試すうちに、バックする時は推進力とハンドル操作がスムーズにできることが分かりました。
 
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無事、ビーチへの上陸に成功。コチビちゃんとそのお父さんと交代しました。
 
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力いっぱいペダルを踏んでも進まないため、お母さんが一所懸命(いっしょけんめい)押しています。
 
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そのおかげもあって水上三輪車はなんとか海上へ出られました。
 
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そして、どんどん沖合へ向かっています。
 
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水平線の近くには貨物船が航行中
 
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オチビちゃん・お母さんと合流(ニアミス?)
 
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さらにビーチへ近づきました。
 
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オチビちゃんとお母さんに交代
 
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沖合を18世紀に流行った3本マストのレオン型帆船を模した海賊船のトレジャー・シーカー(宝を探す者)号が東へ向かって航行しています。
 
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アラモアナ公園の西にあるケワロ湾の埠頭を出航してアラモアナ、ワイキキを左に見る格好で、ダイヤモンドヘッド沖あたりまでを周遊する1時間半のデイタイムクルーズの「ハワイ・パイレーツ・シップ・アドベンチャー」($60前後)です。海賊になるための様々な訓練を受けながら海賊達と一緒に「宝探し」をするこのアトラクションは、イブニングクルーズもあるようです。ちなみに、地元の”Hawaii Pirate Ship Adventures”社が催行(さいこう)するサービス。

 

ふたたび交代するようです。
 
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今度はコチビちゃんとお母さんの組み合わせで出航。沖合には海賊船のトレジャー・シーカー号がまだ見えます。
 
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(続く)

2014年8月 6日 (水)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その10) フォート・デラシー・ビーチ#1

翌朝は前日と打って変わり晴天になりました。前日より1時間以上早い午前7時半ころ、朝食の会場へ出かけました。選んだ内容は前日とほぼ同じですが、美味しいチャーハンがないことが残念でした。朝食を終えて自室に戻り、この日に訪れる場所を全員で相談。オチビちゃんは両親から聞いたオアフ島のダイヤモンドヘッドの東海岸にある天国の海「サンドバー(砂州) 」へのツアーに強い興味を示したため、さっそく両親がツアーを申し込みましたが、すでに満員になっていたため、宿泊するホテルに近いフォート・デラシー・ビーチで遊ぶことにしました。
 
オチビちゃんとコチビちゃんが携行した宿題をすませた午前10
時ころホテルを出て、米軍関係者専用ホテルであるハレコア・ホテルの前にあるフォード・デラシー・ビーチへ向かいました。東隣はグレイズ・ビーチ、さらに東側には観光客で混み合うロイヤル・ハワイアン・ビーチ、そしてデューク・カハナモク像とクヒオ像があるクヒオ・プリンス・ビーチへと続きます。
 
 
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ワイキキビーチの中心であるクヒオ・ビーチから少し離れた場所(500mほど西方)にありますから、比較的に空いていることが最大の魅力と言えます。そしてダイヤモンドヘッドを望む景色も申し分ありません。
 
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海岸沿いに建つのは「ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチ・リゾート&スパ」の「レインボータワー」で、広大な敷地に建つ7棟のタワーと総部屋数2860もの客室を誇るハワイでも有数の大規模ホテルです。その左手はワイキキビーチの西端にあるカハモクビーチで、アラワイ・ハーバーを挟(はさ)む形でアラモアナビーチ公園とアラモアナ・ビーチへと続きます。
 
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突堤(とってい)の先まで歩いてみると。ワイキキビーチとダイヤモンドヘッドの位置関係が大きく変わりました。ひときわ目立つ建物はシェラトン・ワイキキで、海に向かって翼を広げたような外観に特徴があります。スタンドアップパドル・サーフィンを楽しむ人が見えます。
 
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西方も同様で、「ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチ・リゾート&スパ」の建物群が確認できました。その左後方に見える建物はアラモアナ・センターに近いマンション群のようです。
 
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ズームアップするとアラモアナビーチ公園から海に突き出した形の人口島「アイナモアナ公園」(旧マジック・アイランド)の先にホノルル空港の建物らしきものが確認できました。そして、はるか遠方に見えるのはオアフ島西部のワイアナエ山脈でしょう。ちなみに、「アイナモアナ」はハワイ語で「海から陸へ」を意味するそうです。
 
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突堤の先端から見たフォート・デラシー・ビーチです。左後方はフォート・デラシー公園、右手はマンションとハレクラニ・ホテル(右端)。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんが海に入っていました。ラナイ島のビーチで少し慣れていますが、まだ様子見のようです。
 
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パラセーリング($52/600フィート高-$76/1000フィート)とスタンドアップパドル・サーフィン($25/時、$70/終日)のツーショット
 
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上空を飛ぶ飛行機はホノルル空港を離陸したばかりのようです。尾翼のロゴと機体の形状からユナイテッド航空の747-400機(ジャンボジェット)だと思われます。
 
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動力付きのヨットと小型のクルーザーがすれ違います。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんはいつの間にか浮き輪を使っています。出がけにホテルのショップで買ったものです。
 
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ビーチで思い思いに過ごす人たちの数が増えてきました。
 
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突然、迷彩服を着用した兵隊が現れたことで、フォート・デラシー・ビーチが軍の施設であることを思い出しました。ピストルベルトにはピストルや無線機などが装着されています。
 
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(続く)

2014年8月 5日 (火)

池井戸潤著「株価暴落」を読む

唐突(とうとう)ですが、ここで「ハワイの旅行記」を小休止して、「箸(はし)休め」記事を投稿します。   

池井戸作品の3番目として、「株価暴落」(2004年3月30日文芸春秋社刊)を手に取りました。ハードカバーの表紙には「株価暴落」と「池井戸潤」の大きな文字が並び、その背景は落胆に浸(ひた)る背広姿の男性と大規模な火事現場と思われる燃え盛る真っ赤な火が描かれていてインパクトがあります。中表紙には同じ文字と株価が急落する情況を示す赤色の罫線(けいせん)が容易ならざるストーリー展開を予想させました。

 

1章 案山子(かかし)

 

白水銀行で病院と呼ばれる赤字や債務超過などにより業績が悪化した上場企業とその系列会社だけを専門に担当する審査部は丸の内にある銀行本部ビルの13階にある。調査役の坂東洋史(ばんどうひろし)は窓際に立って林立する同じ白水資本の商社や損保ビル、そして皇居の広大な敷地を眺めていた。あと、ひと月足らずで年度が終わる3月の半ばである。株価7000円台のどん底から、うっすらとではあるが景気の先行きに明るい日差しがさした1年であった。
 

だが取引先が破綻することなく生き延びてくれたのは幸運だった。業績不振企業を相手にしているこの審査部にとっては、不況のまっただ中にいるのと変わりないのだ。それでも、取引先が破綻することなく生き延びてくれたのは幸運だった。本物の病院と決定的に違うことは、銀行が営利団体であり、銀行の利益を守るためには、審査する企業の死も選択肢の一つである。この部門に配属される行員はメガバンク白水銀行の中でもトップクラスのバンカーである。
 

部下の淡島平太(あわしまへいた)から何度も声を掛けられて、ふと我に返った。入行7年目の淡島は主要支店で中小企業融資を経験し、調査役への昇格とともに審査部に配属されて坂東の補佐をしている。肩書きこそ同じ調査役だが、次長昇格を目前にしている坂東とは職給が異なる。様々な市況情報が表示される電光掲示板にニュース速報が流れていることを淡島は必死で伝えようとしていたのだ。「一風堂で爆発があり多数の死傷者が出た」とのニュースに坂東も絶句してデスクに駆け戻った。坂東が担当する巨大スーパーだ。
 

坂東が電話をかけた相手は一風堂財務部長の友部勇作だった。坂東の問いに友部は「目黒店の食品売り場で爆発が起きたが、まだ詳しいことは分かっていない」ことだけを説明。実質債務超過に転落した一風堂は、昨年12月の決算を前に再生計画を策定して経営再建に乗り出して間もない。創業社長でカリスマの風間耕造が会長に退き、財務省の課長だった女婿(女性)の西原竹史を社長に据えるというトップ交代も同時に行い、人心を一新して再出発をしたばかりだ。
 

池井戸氏らしくテンポのある導入部で、読者はその舞台へ引き込まれてしまい、ページをめくる指がもどかしく感じるほど。続いて坂東と企画調査部次長二戸(にと)哲也の一風堂をめぐる確執(かくしつ)が明かされる。翌日、坂東のもとへ報告のため訪れた友部と広報室長の財前知春(ざいぜんともはる)は案山子(かかし)と名乗る人物から「反社会的な行動を続ける一風堂の会長と社長が辞任し、一風堂自身もは法的整理を受けなければ、同様の爆破を継続する」と書かれた脅迫状が爆発の直後に一風堂へ届いていた事実を明かした。一風堂は坂東の意見にしたがって渋々警察へ届け出るが、案山子の要求を全面的に拒否する一風堂トップの記者会見のあと、一風堂笹塚支店ででも爆発事件が起こる。

 

2章 緊急支援要請 

 

融資部企業融資グループ調査役の田丸直紀(たまるなおき)が坂東のもとにやってきた。一風堂の下請け企業が一風堂の株を担保に融資の申し入れがあったことについて坂東の意見を聞きにきたのだ。坂東の煮え切らない態度に憤慨するも、意外な情報を坂東に伝えた。蒲田支店が融資を断った安岡商店が倒産して社長が自殺した件の背後に一風堂の圧力(一風堂が新展開したディスカウント・ショップの強引な出店)と白水銀行総務部の動きがあったと思われるというのである。
 

蒲田支店には総務部の波田尚人(はだなおと)が先回りするように訪れていた。波田に続いて蒲田支店を訪ねた坂東は波田が安岡商店の情報ファイルだけを調べたこととメモの一部が無くなっていることに違和感を覚えた。そして、安岡社長には現在21歳日なる息子安岡黄の存在を知る。安岡商店の跡を訪れた坂東は近所の精肉店店主の山崎旭(あきら)から、現在は遠縁の親戚に養子縁組し、名前を犬鳴黄(いぬなきこう)に変えたが行方は分からないこと、黄の周囲に不可解なことが何度も起きたこと、父の葬儀で黄が復讐心に燃える目をしていたと山崎が感じたことを知る。
 

坂東が白水銀行本部へ戻ると淡島が一風堂の株価が暴落したことを報告した。一風堂から客足が遠のいたことによるストップ安だ。そして坂東は審査部長室に呼ばれた。川嶋部長の他に先客の二戸がいた。一風堂が500億円の追加融資を申し込んできたのだ。ここでも坂東と二戸の意見は対立した。
 

ふとしたことから坂東は犬鳴黄のことを銀行の顧客属性(CIF)登録で探すことを思いつき、そして住所を容易に発見した。坂東は預金口座の入出金明細から黄の現在の暮らしぶりを推理。金の動きは人の指紋と同じ以上のことを語る重要な証言者たりうるのだ。

 

3章 犯行動機

 

犬鳴黄は叔父が経営する会社「犬鳴電子部品」で働いており、同級生であった山崎の息子信夫と今も連絡があったのだ。野猿刑事の元に情報提供の電話がかかってきた。「蒲田にあった安岡商店がどうなったかを調べてみるとよい。そこの関係者が犯人かも知れない」という内容である。翌日、一風堂の株価はついに額面を割った。
 

そして坂東は尋ねてきた友部から野猿が犬鳴黄のことを聞きにきたことを教えられる。友部が訪ねてきた目的はもちろん緊急融資を坂東に頼むためだ。警察では爆発された笹塚支店に設置された防犯カメラが犬鳴黄の姿を捉えていたことが判明。夜間の専門学校で得た電気回路の知識、化学実験の試薬を扱う会社が犬鳴と名乗る人物へ数度にわたって数種類のカートリッジ爆薬を販売していることも突き止められた。
 

野猿は黄が働く会社へ向かうが、到着は一歩遅く、黄はいつもより早く帰宅した後であった。強制捜査に切り替え、黄のアパートを家宅捜査すると、押入れの天袋から爆発物製造用の部品と思われる証拠物件が発見された。都内一般道に緊急配備が行われ、犬鳴黄を一風堂爆破の容疑者として指名手配が行われた。

 

第4章 追跡

 

犬鳴黄の行方が分からなくなって3日目、碑文谷警察署に電話が入った。一風堂連続爆破事件に次いで発生したトキオグループ脅迫事件の犯人から現金受け渡し方法の連絡があったのだ。城東銀行中野支店の紀田和寛名義の口座に5億円振り込むようにとの要求。中野支店には紀田からの振込予約が入っていた。金額は5億円、振込先は東京シティ銀行の赤坂支店である。
 

そして、茶色の薄いサングラスに帽子を目深にかぶった男が赤坂支店に現れて、赤坂支店の営業課長に紀田と名乗ったうえ、現金を引き出したいと申し出た。5億円の札を数えるのに時間が掛かるという営業課長に紀田は苛立(いらだ)ち始める。紀田は後ろにいる人物に「外で待ってろ。面が割れるぞ」と独り言のように言う。共犯者がいたのだ。
 

5分が過ぎようとした時、焦(あせ)りを感じた紀田は数え終えた2億円を用意したジュラルミンケースに詰めて出口へ向かった。その刹那(せつな)、紀田は男たちに腕を掴(つか)まれ、顔面はアスファルトに押しつけられた。4人組全員(全員が元会社経営者)が確保されたことで、一風堂爆破事件が予想外の展開で解決したと思われた。しかし、その中に犬鳴黄の名前は含まれていない。一方、黄は混雑した大衆食堂の片隅の席で、反対側の壁に置いてあるテレビが犯人逮捕を報じるのをじっと見つめていた。(以下省略)

 

前半よりテンポアップした展開で、「第5章 与信判断」、「第6章 解任動議」、「第7章 頭取決済」、そして「終章 査問」へと一気に突き進みました。

 

  ☆

 

大手銀行とその融資先の大手スーパーを舞台としたこの長編小説には、様々な経済・金融関連の言葉が登場しますが、決して経済小説ではありません。むしろ、サスペンスドラマと呼ぶべき小説でした。経済・金融についての予備知識がない私は、専門用語に興味を持ちながら、速いストーリー展開にぐいぐい引っ張られました。意外な結末には驚かされましたが、読後に爽快(そうかい)な気分を感じさせたのは、まさに池井戸潤氏の力量だと思います。「株価暴落」というタイトルが結末に深く関係していることにも納得できました。

 

余談ですが、「平仄(ひょうそく)は合う」という難解な言葉を本書で知りました。「物事の筋道がたつ」という意味です。 

2014年8月 4日 (月)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その9) カハラモールで昼食

昼食の場所を探すことにしました。少し手前にあったカリフォルニア・ピザ・キッチンのピザは昨夜食べたばかり。スタンプコーナーの近くにある”Kulukulu Sushi”(回転寿司チェーン)はハワイ風の寿司が一皿$1.45~$2.75で食べられると地元で人気があるようです。寿司が好きなオチビちゃんは"Kulukulu Sushi"を希望しましたが、お母さんの勧(すす)めで別の店へ行くことになりました。
   
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お母さんはモール内のショップ案内で具材を選べる(Custom Build Burger)ハンバーガー屋を見つけていたのです。その店名は”THE COUNTER”とシンプル。”WHOLE FOODS MARKET“脇からカハラモールの外に出て探(さが)すと、カハラモールの北の角にありました。
 
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店内に入ると店名の通り長いカウンターが右手にありました。壁面には酒のボトルが並んでいて、とてもハンバーガー屋には見えません。テレビではNBAの試合が放送されています。
 
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正面の壁にある黒板には“BUILD YOUR OWN BURGER”とチョークで書かれています。細かく注文ができるラーメン店のように、BYOBの注文シートで好きな具材を選ぶことができますから、日本人でもそれほど困ることはありません。午後3時から午後6時までアルコール飲料の料金が割り引かれる「ハッピーアワー」があるようですが、入店したのが午後2時ですからそのサービスは受けられません。
 
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参考までに選ぶ方法(5段階)を紹介します。STEP#1はパテの種類(牛・鳥・七面鳥など)・サイズ・焼き方、STEP#2はチーズの種類、STEP#3は具材(玉ネギ・ホウレンソウ・コールスロー・ゆで卵・ベーコンなど)、STEP4はソースの種類、STEP#5はバンズの種類(ハンバーガー用・イングリッシュマフィンなど)。ただし、日本人には馴染みのない英単語が多いため、選択できる範囲は限られます。後で知ったことですが、日本語を併記した注文シートもあったようです。

 

私はサンドイッチのメニューから選びました。飲みものは久しぶりにシャドネー(白ワイン)。
 
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同行者の選択
 
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オチビちゃんのお父さんが選んだハンバーガー
 
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お母さんはサラダを大盛りで
 
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オチビちゃんはフレンチフライとオレンジジュースを組み合わせました。
 
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コチビちゃんはバーベキューソース
 
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各々注文したメニューを全員でシェアし合いました。いずれもクセがなくて美味しく、牛肉は柔らかくて日本人に向いていると思いました。全員が満足してハンバーガー店を出ると、オチビちゃんの一家はすぐ隣にある食料品スーパーマーケット”WHOLE FOODS MARKET“へ入って行きました。入口の上にある看板の“E Como Mai!”はハワイ語で「ようこそ」を意味する言葉です。
 
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食料品専門のスーパーと言っても、アメリカのことですから店内は広大そのもので、売られている商品の大きさも日本のスーパーの2倍はあるでしょう。ナライ島のホテルで食べて全員が気に入った”Ahi Poke”(マグロの切り身)を見つけた同行者は大喜びです。ホテルではレシピをもらいましたが、ラナイ島で一軒しかない食料品店に立ち寄りながら、必須のスバイスを見つけられなかった残念な思いがあるのです。ショーケースにはスパーシー、”Limu”(海藻)入り、玉ネギ入り、など何種類も並んでいました。
 
 
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買い物を終えて外へ出ると路面に水たまりができていました。スーパーの店内いる間に、雨が降ったようです。トロリーバスを降りたのは1時間10分前ですから、45分間隔(次は午後4時26分)のトロリーバスを停留所で待つことにしました。

 
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すると、また雨が降り始めました。
 
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少し遅れて到着したシャトルバスに乗車。雨足が強くなったため、バスがスピードを出すと、雨が車内に降り込み大変なことに。元来たルートをマーケットシティ・ショッピングセンターまで戻り、カバフル通りに入って直進してアラワイ・ゴルフ・コースの脇を通過。
 
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ゴルフコースの周囲に合わせてアラワイ通りへと右折、アラワイ運河に沿って進むと、雨にもかかわらずアウトリガー(船外のウキ)があるポリネシアが起源といわれるアウトリガーカヌーを漕(こ)ぐ人たちがいました。
 
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ロイヤルハワイアンセンターに到着したあとも雨が降り続いていたため、「ロイヤルハワイアンセンター」と「ワイキキ・ビーチ・ウォーク」の建物をいくつもハシゴして、宿泊するホテルの4階にあるグランド・ラナイに何とかたどり着くことができました。(続く)

2014年8月 3日 (日)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その8) ダイヤモンドヘッドからカハラモールへ

ハンバーガーと冷たいものを売る移動販売車が登る時に見かけたのと同じ場所にありました。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんは”Shave Ice”(かき氷、$3.5)を選びました。「レインボー」の名前通りにカラフルでハワイらしさを演出しています。ちなみに、アメリカにおいて虹(にじ)は赤・オレンジ・黄・緑・青・紫の6色と認識されていますが、この「レインボー」では青色が緑・青・紫の3色を代表しているようです。
 
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そしてワイルドベリーのスムージー($4)も
 
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近くにログペリオディックアンテナがあることに気づきました。対数周期アンテナとも呼ばれるこのアンテナはテレビ電波の受信に使われる八木アンテナとは違って非同期型であるため、鋭い指向性がありながら広い周波数に対応できるため、業務用(対航空機や大使館など)や軍事用の送受信アンテナとしてよく使われます。よく見ると、外輪山の上にも多数のグランドプレーン型アンテナ(無指向性が特徴)やパラボラアンテナが確認できました。米軍のアンテナ基地のようですが詳細は分かりません。
 
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トロリーバスに乗車。トンネルを抜けたルックアウト(展望スポット)停留所で一時停車しました。
 
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運転席の脇を通ってトロリーバスを降りました。
 
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振り返って見たカハラ・トンネル
 
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オアフ島東端の半島にある「ひょっこりひょうたん島」の形に似ている「ココ・ヘッド地域公園」(左)と「ハナウマ湾自然保護区」(右)がきれいに見えました。
 
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ここからは確認できませんが、コオラウ山脈につながる「ココ・ヘッド」は「ダイヤモンドヘッド」と同様、楯状(たてじょう)火山のようです。
 
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左手は高速道路H1の先にコオラウ山脈と思われる山並みが見えます。
 
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「ダイヤモンドヘッド」の入口まで戻り、左折してさらに先へ向かいます。
 
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モンサラット通りからキャンベル通りにそれて、カバフル通りを経由してワイアエラ通りを東に走ると、“macy’s”の看板が見えました。カハラモールに到着したようです。
   
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ルックアウト停留所から直線距離で約2kmの近さですが、はかなり遠回りして5つ停留所を経由したため、カハラモールの停留所まで約30分もかかりました。
 
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午後1時半を過ぎていますが、オチビちゃんとコチビちゃんは昼食を忘れて目的地を目指しました。
 
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カハラモールに入った入口とほぼ反対側にあるカハラシアター(映画館)まで歩きました。
 
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その右手にある“KURUKURU SUSHI”の隣に「ドラえもん わくわく スタンプラリー」のコーナーを発見。
 
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二人はスタンプ帳にスタンプを押しています。
 
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(続く)

2014年8月 2日 (土)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その7) ダイヤモンドヘッド山頂

長い階段の先はコンクリートで固められたトンネルになっていました。
 
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トンネルは行き止まりになっていて、螺旋(らせん)階段で上へと登ります。
 
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厚いコンクリートの壁で囲まれた薄暗い部屋に出ました。四隅(よすみ)にはどっしりした台座があります。ここは”Fire Control Center”(射撃統制所あるいは射撃管制所)だった場所です。
 
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横に細長く続くスリットは射撃統制所のぞき窓であり、4つの台座には方位を計測する装備が置かれていたと考えられます。要塞としての規模は違いますが、子供のころに見たアメリカ映画「ナバロンの要塞」“The Guns of the Navaron”(1961年)に登場したエーゲ海に実在したドイツ軍の巨大なレーダー照準式大砲(要塞砲)を思い出します。

 

射撃統制所から外に出るのは大変です。
 
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右手方向にはカピオラニ公園とワイキキの街並みが見えます。
 
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眼下にはダイヤモンドヘッド灯台が手近に見えます。1899年に建設されたこの灯台は6万カンデラの明るさがあり、17マイル(約27km)離れた場所から見ることができ、ホノルル港へ東西方向から向う船のビーコンとしての役目を果たしているそうです。
 
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いよいよ頂上へ向かいます。54段ある細長い階段はすれ違うことは困難。
 
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出発して35分ほどで到達したダイヤモンドヘッドの頂上から見たカピオラニ公園とワイキキの街並みです。手前の頂にあるのは位置の基準となる三角点のようです。
 
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頂上から見たダイヤモンドヘッドの火口丘
 
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「ダイヤモンドヘッド」と「射撃統制所」の詳しい解説がありました。先ほどいた場所はこの図解から射撃統制所の3階であったことを知りました。
 
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『約15万年前に一度だけの噴火で誕生したダイヤモンドヘッド・クレーターは直径3520フィート(約1073m)のほぼ真円形であり、最高部は海抜760フィート(約232m)。1910年に建設された射撃統制所は4階建てで、2階には計測機器などがあり、近くのタンタルス山にあった観測所と連携して三角測量を行うことができた。ダイヤモンドヘッドの外輪山(後方傾斜地)にあったフォート・ルーガーのBattery Harlow”と現在の陸軍博物館の場所にあった”Battery Randolph”の大砲が3階の射撃統制所から指示を受けていた』とのこと。そして、方位説明に東京は「西北西方向、距離3397マイル(5460km)」と表示されています。

 

女坂(新登山道)方面
 
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急な階段が続く旧登山道で頂上まで登ったコチビちゃんは元気です。
 
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下山するルートは傾斜の緩(ゆる)い女坂(新登山道)です。
 
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男坂(旧登山道)の長い階段の前に出ました。ここからは登った時と同じルートを戻ります。
 
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下山道は比較的楽に歩けましたたが、正午過ぎの日差しは一段と強くなってTシャツ一枚だけになりたいほどの暑さにはややヘコタレ気味。頂上から約30分(登り始めて約70分)で火口の出発地点に戻りました。大人の足であれは頂上までを1時間以内で往復できそうです。
 
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出発地点付近で見かけた赤い頭が特徴的なこの鳥は、とさか状の毛が確認できますから、オアフ島やマウイ島に多く生息するレッド・クレステッド・カーディナル(別名:ブラジリアン・カーディナル、日本名:紅冠鳥、こうかんちょう)のようです。
 
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雀(すずめ)と鳩(はと)に似た鳥もいましたが名前は分かりませんので調べると、AKEKEKE(英名: RUDDY TURNSTONE、日本名:キョウジョシギ)のようです。アケケケは、アラスカなどのツンドラ地帯から渡ってきて、8月から翌年の4月頃まで、越冬のためハワイに滞在するそうです。
 
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(続く)

2014年8月 1日 (金)

憧れのハワイ空路 ホノルル(その6) ダイヤモンドヘッド登山

登山口は少し先にあるようです。
 
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クレーター(火口)の歴史を巡るハイキングコースが図解してありました。いろは坂(つづら折れ)の先に階段が続くようですが、男坂(旧登山道)と女坂(新登山道)のいずれでも頂上へ登れるようです。その頂上は海抜761フィート(約232m)で、ここは海抜60m地点と説明されています。じつは、「ダイヤモンドヘッド」の頂上まで登るのはこれが初めてなのです。
 
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舗装が途切れて砂利道の登山道がはじまりました。
 
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バス停付近が眼下に見えるように
 
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先行するオチビちゃんたちはつづら折れに差し掛かっています。上記のハイキングコース説明図には、『この区間は1908年に造られたルートに従って頂上まで続いている』と説明されていました。つまり、オアフ島の沿岸防衛に理想的な場所とされたダイヤモンドヘッドには1908年から1943年まで大砲の砲台などが据え置かれて軍事要塞となっていましたが、当時は資材運搬等の登山道だったのです。
 
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つづら折れから見た火口
 
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上方を見るとつづら折れに登山者の列ができており、まるで富士山の9合目付近のような混雑が生じていました。
 
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来(こ)し方を振り返りました。
 
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登山道はだんだん急坂になるようです。
 
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上方に展望台のようなものが確認できます。
 
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頂上の少し手前にある展望台からは火口全体を見晴らすことができました。
 
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右手の男坂(旧登山道)は74段の階段を上がると、すれ違うのがやっとの狭いトンネルに入ります。
 
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長さが225フィート(約69m)あるトンネルの中は足元を照らす灯(あか)りがあるだけの薄暗い空間です。
 
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出口が近づいたようです。
 
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ほっとしたのもつかの間、急な階段が続きました。登山口のハイキングコース説明図には99段あると説明されていました。
 
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振り返るとこの階段は想像以上に急傾斜でした。外輪山の先に住宅地が広がっているのが見えます。
 
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(続く)

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