« 2014年9月 | トップページ | 2014年11月 »

2014年10月

2014年10月31日 (金)

臺灣縦断超速美食紀行 成田発(後編)

搭乗したCI107便はエアバス社製A330-300機(座席数約300席)で、割り当てられた席は主翼付近でした。その主翼と隣に駐機するジェットスター航空機に挟まれるように着陸した全日本空輸機が第2旅客ターミナルへ向かっているのが見えます。
 
2014_10230025
 
 

最後に近い乗客として着席した時にはほぼすべての席が乗客で埋まっていました。
 
2014_10230031
 
 

チャイナエアライン(中華航空)は東アジアを中心に欧米諸国と結ぶ定期便を運航しているようです。
 
2014_10230027
 
機体の窓からタクシーイングする黄色い機体(A320型)が見えます。バニラエア(Vanila Air)は全日本空輸(ANA)の子会社であるLCC(格安航空会社)で、成田空港をハブとして主に国内観光地の沖縄・那覇線/札幌・新千歳線/奄美線、および国際線では台北・桃園路線とソウル・仁川線を運航しています。
 
2014_10230033
 
 

定刻にランプを出発したチャイナエアラインCI107便は誘導路をタクシーイング(地上走行)してA滑走路(長さ4000m)へ向かいました。主翼の左奥(第2旅客ターミナル本館)に駐機するのは昨年採用された新しいロゴマーク(星条旗をモチーフとした赤・白・青を組み合わせ)を付けたアメリカン航空機です。同社は “AA“の文字(赤と青に塗り分け)を1968年から45年間使用していました。
 
2014_10230034
 
 

この日は風向きの関係で長い距離を第2旅客ターミナルと第1旅客ターミナルの外周をタクシーイングしてA滑走路の北西端に向かうようです。“NARITA”の文字を描くトピアリが右端に確認できます。
 
2014_10230035
 
2014_10230037
 
 

先行するのは登場するCI107便と同時刻に出発する日航機のJL741マニラ行き、あるいはJL827大連行きのようです。
 
2014_10230038
 
 

2番目の日航機はA滑走路の端で待機しています。
 
2014_10230039
 
 

そして、あっという間にA滑走路を走行し始めました。左端に第1空港レーダーの赤いアンテナが写っています。
 
2014_10230040
 
 

搭乗するCI107便もA滑走路を走行し始めました。左手にある貨物ターミナルビルのエプロンに全日本空輸の子会社であるANA Cargo社の専用機が駐機しているのが確認できます。
 
2014_10230041
 
 

第1旅客ターミナル(北ウイング)を出発して誘導路をタクシーイングするVietnum Airlines(ベトナム航空)機
 
2014_10230042
 
 

アメリカの貨物運送会社UPSUnited Parcel Service)やメキシコのAeromexico(アエロメヒコ)の貨物専用機が駐機する貨物ターミナルのエプロンの先に新旧の管制塔のほぼ横に差し掛かりました。右端には第1旅客ターミナルが少し見えます。
 
2014_10230043
 
加速したCI107便は南東方向に向けて一気に離陸しました。フラップを大きく下げた主翼の後方に第1旅客ターミナル(手前)と管制塔が流れて行きました。
 
2014_10230044
 
 

そして、成田空港周辺の緑地が広がりました。
 
2014_10230046
 
 

ほぼ定刻に出発したCI107便は高度を上げ、九十九里浜(太平洋)に出るころには厚い雲を抜けましたが、気流の不安定な状態がしばらく続きました。眼下には一面の雲海が広がっています。
 
2014_10230047
 
 

(続く)

2014年10月30日 (木)

臺灣縦断超速美食紀行 成田発(前編)

難しい漢字を多用したタイトルの説明から始めます。分かりやすく現代風の日本語にすれば「台湾縦断弾丸グルメ旅日記」あるいは「台湾駈け足周遊食べ歩き紀行」となります。今回の台湾旅行の目的は多彩な料理を台湾各地で楽しむことでしたが、台湾では昔懐かしい旧漢字、繁体字(はんたいじ)が今もそのまま使われていることに私は嬉(うれ)しさを感じました。と言うのも、今から50年前に大学の入学試験を受けた時、国語の選択科目に古文ではなく、無謀にも漢文を選びました。受験勉強ではほとんど漢文には時間を割(さ)かず、高校の授業で習っただけ(ぶっつけ本番)の状態でしたが、他科目にうまく対応できたのか、第一志望の学科に合格することができました。旧漢字を目にするのはそれ以来と言ってもよいのです。

 

先週のある日、午前6時5分発のアクセス特急成田行に乗車しました。50分後の6時55分に成田空港第2ビル駅に到着。エスカレーターで成田空港第2旅客ターミナルの3階に上がりました。搭乗手続き(チェックイン)カウンターHではチェックインを待つ人たちの列が出来ていました。同行者に並んでもらい、私は近くの両替所(グリーンポート・エージェンシー)で台湾の通貨であるニュー台湾ドル(NT$TWD・元・円)に手持ちの現金(日本円)を交換することにしました。
 
2014_10230001
 
 

交換レートは1NT$=4円と良くないため、当座に必要な金額に止(とど)めました。実勢レートは3.55円の筈(はず)ですが・・。現地では少ない手数料で交換できますし、現地のガイドさんも両替してくれましたから、日本での両替は最小限にすることをお勧めします。もちろん、帰国時には使い残した現地通貨(コインは両替不可)を現地(出国手続後の搭乗直前)で日本円に両替するのが良いと思います。
 
2014_10230004
 
 

私と同行者が利用するフライトは中華航空(チャイナエアライン)のCI107便(午前9時35分発台北行き)です。午前7時20分頃に搭乗手続きが始まりました。出発案内板には搭乗ゲートが86番と表示されています。出発時間の変更はなさそうです。余談ですが、昔の出発案内は機械式で、便名などが書かれた小さなプレートがパタパタと折りたたまれて変わったものです。調べると、鉄道駅向けに開発されたというソラリー式(反転フラップ式)の出発案内板が今でも使われている空港があるようです。そう言えば、昔の目覚まし時計にも同じ構造を使ったもの(通称パタパタ時計)がありました。
 
2014_10230005
 
 

出発案内板の近くに真っ赤で特徴のあるデザインの車が展示されています。マツダ製AXELA(アクセラ)のHYBRID-S L Packageは同社初のハイブリッドモデルの最上級グレードで、排気量2000ccのレギュラーガソリンエンジンにトヨタ製のハイブリッドシステムを組み合わせ、ミッションは小型軽量で燃費が良いフロアCVT(床にセレクトレバーを設置した無段変速機)を採用しています。他の方式のように変速用のギアを使わないでプーリーとベルトを組み合わせた簡単な構造が特徴で、スクーターなどに採用されて普及した方式でCVTを搭載した車を運転したことはありませんが、変速ショックがない反面、ベルトの強度から2500ccを超える大型エンジンにはまだ対応できないことと、アクセル操作に対して反応が遅れる(あるいは滑る)ことや高速走行時には燃費が伸びないことが弱点と言われるようです。ちなみに、CVTは“Continuously Variable Transmission”(連続可変トランスミッション)の略です。
 
2014_10230006
 
 

北ウイングで手荷物検査(セキュリティチェック)・税関手続き・出国審査を済ませてCI107便に搭乗するため、右手にあるエスカレーターで本館の2階へ下ります。
 
2014_10230008
 
 

本館(2階)とサテライトを結ぶ連絡通路を利用してサテライトにある86番ゲートへ向かいます。
 
2014_10230009
 
 

長い連絡通路には動く歩道があるようです。第2旅客ターミナルが出来た時には空気浮上式のユニークなシャトルがあったようですが、より便利な動く歩道に昨秋変更されています。そのため、本館とサテライトを結ぶ連絡路は枡形(ますがた)に折れ曲がって進む構造になっています。
 
2014_10230010
 
 

長い連絡通路ですから動く歩道は助かります。左側の窓が開放的であるにもかかわらず、右側の窓が目隠しされているのは旧シャトルの軌道がまだ残っているからでしょう。
 
2014_10230012
 
 

ガラス窓越しに71番と72番ゲートに駐機する日本航空(JAL)の白い機体が2機見えます。いずれも出発案内板には該当する便がありませんが、71番ゲートの機体は到着便で、72番ゲートの機体(手前から2番目)はBritish AirBA6便とコードシェアするJL7081便ロンドン行きかもしれません。尾翼のロゴマークが昔と似たもの(JALの文字が斜体になりました)に戻って良かったと思います。その隣は香港のキャセイパシフィック(9:35発CX509便香港行き)、その奥には赤青(昼夜)の間から太陽が覗(のぞ)くロゴマークは全日本空輸(ANA)とコードシェア提携するフィリピン航空(9:30発PR431便マニラ行き)です。
 
2014_10230013
 
 

サテライトの3階に到着
 
2014_10230014
 
 

80番台のゲートは左手に並んでいます。土産物店の反対側には市街地で最近見かけなくなった公衆電話がならんでいます。
 
2014_10230015
 
 

第2ターミナル本館、本館の右奥には管制塔(気象レーダーのドームがある)、本館の左奥に少し見えるのは高さが少し低い旧管制塔(第2旅客ターミナルが出来たことで視界が十分確保できなくなった)で、現在はランプ(航空機が駐機する場所、エプロン)コントロールなどに使われていることでランプタワーと呼ばれているようです。連絡通路(左手前)の脇に立つ棟は第3の管制塔とも呼べる施設で、第2ターミナルのエプロンを担当する「ランプタワーイースト」です。ちなみに、旧管制塔は1978年に成田空港(当時は新国際空港)が開港する直前に発生した成田空港管制塔占拠事件(三里塚闘争の一環)の現場です。
 
2014_10230016
 
 

出発予定時間の50分前にサテライトの左手奥にある86番ゲートに到着
 
2014_10230018
 
 

チャイナエアラインのCI107便はすでに駐機して、荷物の積み込み作業が行われていました。日航機とフィリピン航空機が駐機する第2旅客ターミナル本館では増設工事が行われているようです。写真ではよく見えませんが、チャイナエアラインのロゴマークは台湾(中華民国)の国花である梅です。それらの後方で建築工事が行われていますが、来春オープンする予定の第3旅客ターミナル(LCC専用)のようです。
 
2014_10230020
 
 

出発予定時間の約30分前に搭乗がはじまりました。私は例によって列の最後尾付近に並びました。
 
2014_10230019
 
 

ボーディング・ブリッジ(搭乗橋)の窓から見た隣の88番ゲートに駐機するジェットスター航空(カンタス航空子会社のLCC)の機体は12:45発のメルボルン行きのようです。
 
2014_10230023
 
 

(続く)

2014年10月19日 (日)

池井戸潤著「オレたちバブル入行組」を読む

オレたち花のバブル組」とは順序が逆になりましたが、テレビドラマ「半沢直樹」の前半(第1話から第5話)に相当する本書(2004年文芸春秋社刊)を読みました。

 

                            ☆

 

バブル経済がピークを迎える直前の1987年に人気が高い都市銀行の就職戦線を突破して産業中央銀行に就職が内定するまでを描いた「序章 就職戦線」に続く「第1章 無責任論」では16年後に話が飛ぶ。東京第一銀行との合併により名前が変わった東京中央銀行大阪西支店の融資課長に昇進した半沢直樹が支店長の浅野匡(ただす)と副支店長の江島浩、および担当の中西の4人で焦げ付きそうな融資5億円についての回収策を協議するシーンで始まった。粉飾決算をしていた融資先の西大阪スチールから融資金を回収するのは困難であることは明らかである上に、ほぼ全額が信用貸し(担保のない融資)なのである。

 

この融資は浅野が巧名(こうみょう)欲しさに強引に決めた案件であり、半沢には融資を断りたい相手であり、浅野の暴走を止められなかった責任があるだけである。しかし、江島は粉飾を見破れなかったとして半沢ひとりに責任があるかのように言うのである。運転資金を融資した4か月後に出された決算書では突然赤字が計上されたのだ。融資する段階では約1億円の黒字になるはずであった。決算書を精査すると売り上げが急減していた。大手顧客の増産計画により注文が増えると期待して5年前に10億円を投資して第2工場を建設したにもかかわらず、その増産計画は流れたことで過剰債務を負ったことで資金繰りが悪化し、さらに景気低迷で業績が悪化していたのである。

 

西大阪スチールは関西シティ銀行との一行取引を堅持してきた会社である。資金の調達先を確保するため、社長の東田満の指示で在庫を調整するだけではなく、架空売上げを計上し、人件費などの固定費を大きく誤魔化した二重帳簿が作成されたのである。半沢の鋭い追及で同社の経理課長波野は粉飾を認め、赤字額は2億円を超えて債務超過に転落していることを半沢に明かした。東田から連絡をくれるように波野に再三再四要求するが東田からは音沙汰がない。しびれを切らした半沢は社長室いる東田のもとへ駆けつけるが、東田は木で鼻をくくったような対応である。そして1か月後に西大阪スチールは関西シティ銀行立売堀(いたちぼり)支店で第1回不渡りを出す。

 

「第2章 バブル入行組」では、半沢をはじめとする債権者たちは債権を回収しようと東田を探すが、姿をくらました東田の行方は分からない。同期入社で融資部企画グループ調査役である渡真利(とまり)から浅野支店長が根回しをしていることを教えられる。半沢の能力不足により与信判断がおざなりにしたことが原因にされそうだともいう。そして、西大阪スチールの破産申し立てが裁判所に受理されて法的整理が始まった日に本店の融資部から西大阪スチールの貸し倒れについてヒアリングしたいとの通知が半沢と部下の中西のもとに届けられた。中西に続いてヒアリング会場に入った半沢は非を認めさせようとする融資部(次長など)と同席した人事部次長を相手に一歩も譲らず、面談は中途半端なまま打ち切られた。

 

西大阪支店の自席に戻ると、課長代理の垣内が一枚の伝票を差しだした。営業課の山村課長代理が偶然に見つけた振込依頼票のコピーで、東田満が亜細亜リゾート開発という会社に今年4月に振り込んだ5000万円に関するものである。その会社は海外の不動産投資を手掛けているデベロッパーであることも垣内は調べていた。

 

「第3章 コークス畑と庶務行員」で、一晩考えた半沢は西大阪スチールの経理課長であった波野吉弘を訪ねることにした。波野は実家が経営する波野商店の事務所に向かった。東田の秘密を探るのが目的である。しかし、波野は「知らぬ存ぜぬ」の一点張りで、東田の振り込みについての情報は何も得られない。次いで訪れた亜細亜リゾート開発の御堂筋にある直営店舗で東田が額入したのはハワイのマウイ島にある一戸建ての別荘であることを半沢は突き止めた。

 

本店融資部のヒアリングで半沢にやり込められた人事部の小木曽次長の横槍で西大阪支店が裁量臨店を受けることになった。裁量臨店とは融資部が支店に赴いて行う貸し出し内容の検査である。その狙いは融資課長である半沢の粗探(あらさが)しであることは明らかである。そして、裁量臨店にはなぜか小木曽次長が同行してきた。初日の検査が終了したあとの検討会では、重要な書類が何点も保存されていないと重箱の隅をつつくような指摘を受け、評価は不合格のD(5段階の下から2番目)であった。2日目も同じような指摘を受けると、半沢はついに反論に出た。そして庶務行員の一人を呼んで、昼休みに小木曽次長が書類を抜き取るところを目撃したことを証言させた。その証言通り、小木曽のカバンから紛失して書類の束が出てきたのである。小木曽の不正行為に対して人事部長名で謝罪文が届き、2日までで裁量臨店は中止され、初日の評価は取り消された。

 

後半の「第4章 非護送船団」「第5章 黒花」「第6章 銀行回路」「第7章 水族館日和」では、西大阪スチールの破産で連鎖倒産した竹下金属社長の竹下清彦と意気投合した半沢が隠された事実を次々と暴いて行きますが、ネタバレになりますからここでは割愛します。そして、「終章 嘘と新型ネジ」では、就職が決まった時の父親との会話をはさんで、融資額の5億円を回収した半沢は本店営業二部次長として栄転した時の同期行員渡真利との会話で物語はエンディングを迎えます。

 

                            ☆

 

バブル経済が最盛期になる時に一流銀行に就職した主人公が官僚的な組織の中で破天荒な言動をする物語です。これは著者自身あるいは同僚行員などの実体験をベースに、小説として面白くする脚色が施されたと思われます。団塊世代の走りである私には、本書の序章に描かれたバブル期の就職戦線を興味深く読みました。そして、実際の銀行員が本書の主人公のように組織と上司の指示を無視して行動できるかは大いに疑問ですが、主人公が協力者と力を合わせて意外な事実を次から次へと突き止めて行くプロセスは「オレたち花のバブル組」と同様に読者を惹(ひ)きつけて離しません。半沢直樹シリーズの第3作「ロスジェネの逆襲」への期待がさらに高まりました。

2014年10月16日 (木)

東三河の魅力探訪 蒲郡・竹島(最終回)

竹島が大浴場の正面に見えます。
 
2014_09150402
 
  

男湯の露天風呂「きららの湯」の泉質は放射能泉、湧出口温度は25.77
 
2014_09150398
 
2014_09150399

 
その右手前には檜(ひのき)風呂
 
2014_09150397
 
露天風呂を楽しんだ後に大ぢ浴場へ戻りました。右手には
サウナと
 
2014_09150401

 
水風呂が並んでいます。ガラス窓の反対側には露天エリアの檜風呂です。
 
2014_09150400
 
 

温泉のあとは朝の散歩に出かけました。向かった先は海辺の文学記念館「常盤苑」です。
 
2014_09150408
 
2014_09150418
 
 

菊池寛志賀直哉、谷崎潤一郎、山本有三、川端康成、井上靖など大正・昭和初期の日本の文人達に愛された、竹島海岸にあった料理旅館「常磐館」の趣(おもむき)を同じ場所に再現した建物だそうです。
 
2014_09150409
 
 

遊歩道が奥庭へと続いているようです。
 
2014_09150416
 
 

広い庭から渥美湾と秋らしい青空が望めました。
 
2014_09150412
 
 

苑内には秋の花々も
 
2014_09150410
 
2014_09150411
 
2014_09150414
 
2014_09150419
 
 

午前7時になるのを待って2階のコンベンションホール「海皇」で提供される朝食はバイキングです。同行者は食欲がないのか・・。それでもフルーツをたっぷり食べました。
 
2014_09150424
 

私は和風にしました。
 
2014_09150426
 
2014_09150427
 
 

午前8時過ぎにホテルを出立しました。ホテル竹島と竹島園地の脇から伸びる三河湾オレンジロードを北進して東名高速道路の音羽(おとわ)蒲郡ICへ向かい、この日の目的地へと東名高速道を走りました。2日目の内容はここまでにして、東三河の魅力を訪ねるドライブ旅の記事を終わります。
 
2014_09150420
 
2014_09150428
 
 

(終)

2014年10月15日 (水)

東三河の魅力探訪 蒲郡・竹島(その3)

竹島橋を渡って竹島園地まで戻ると、橋の袂に八百富神社の拝殿がありました。そうです、竹島橋は八百富神社の参道なのです。
 
2014_09150355
 
 

竹島園地から竹島の沖合にある施設が確認できました。高島の遊歩道からは逆光になってよく見えませんでしたが、クレーンがある浚渫船(しゅんせつせん)のようです。調べると、蒲郡港(三河港蒲郡地区)では入出港する船の大型化に対応するため、マイナス(水深)11mバース岸壁の整備工事(2015年春に一部の供用を開始する予定)と同時に侵入ロ整備のための浚渫床堀り工事がおこなわれているようです。
 
2014_09150358
 
 

竹島園地を抜けてホテルへ戻る途中、彫像(ちょうぞう)がありました。
 
2014_09150357
 
 

竹島クラフトセンターでは無料で三河木綿の手織体験(棉から種を取る棉繰り、綿を解す綿打、綿を糸にする手紡ぎ、糸を織込む手織り)ができるようです。営業時間が10:00~16:30のため、医時間前に閉まったようです。
 
2014_09150359
 
 

1時間弱の散策を終えてホテル竹島へ戻りました。
 
2014_09150360
 
 

メインロビーとエレベーターホールの間に置かれた花のオブジェ
 
2014_09150362
 
 

午後6時少し前に自室へ戻りました。
 
2014_09150364
 
 

茜雲(あかねぐも)の色が次第に薄れて、先ほどまで散策していた竹島が夕闇(ゆうやみ)に包まれ始めました。そして、竹島橋は照明が点灯されています。
 
2014_09150365
 
 

午後7時に予約した夕食のため、1階の日本料理「常盤(ときわ)」へ向かうと、和会食が用意されていました。食前酒はライチの酒です。
 
2014_09150370
 
 

身をほぐした烏蝶(からすちょう)の青朴葉(ほうば)八丁味噌瓦焼きにそえる飲み物は芋焼酎(いもしょうちゅう)のお湯割りです。
 
2014_09150371
 
 

鱧(はも)・揚げ出し豆腐・青味の天ぷらも梅ソースを添えて配膳されました。
 
2014_09150375
 
 

そして目張りの煮付けの牛蒡(ごぼう)添えと茶碗蒸しも
 
2014_09150376
 
 

国産牛のすき焼きはやや硬めで・・。
 
2014_09150379
 
 

デザートはアロエ・海藻ビーズ・蕨餅(わらびもち)
 
2014_09150381
 
 

翌朝、午前5時半頃に起床すると、夜が明けて穏やかな朝が訪れていました。
 
2014_09150386
 
 

午前6時になるのを待って館内の温泉へ向かいました。男湯は「八百富の湯」、女湯は「弁天の湯」です。
 
2014_09150389
 
 

脱衣場と湯上りラウンジは広々としています。
 
2014_09150394
 
2014_09150395
 
 

浴室まで長い廊下が続きます。
 
2014_09150403
 
 

パノラマウインドウがある展望大浴場からは竹島と竹島橋を望むことができます。泉質は単純温泉で、湧出口温度は28.9度。
 
2014_09150396
 
 

(続く)

2014年10月14日 (火)

東三河の魅力探訪 蒲郡・竹島(その2)

長い石段が続きました。
 
2014_09150326
 
2014_09150328
 
2014_09150329
 
 

正面にある宇賀神社の祭神は宇賀御魂命(うかのみたまのかみ)です。穀物の神として伏見稲荷大社の主祭神であり、「お稲荷さん」として広く信仰されています。参道をはさんで宇賀神社と反対側にある大黒神社の祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)、千歳神社の祭神は藤原俊成です。
 
2014_09150330
 
 

竹島は対岸とはわずか400mしか離れていませんが、暖地性の植生であり、対岸の植物相とは大きく異なるという特異的な環境であるそうです。このため、1930年(昭和5年)に竹島八百富神社社叢(しゃそう)として国の天然記念物に指定されています。ちなみに、社叢とは神社において社殿や神社境内を囲うように密生してる林で、自生によって成立したものが多いそうです。
 
2014_09150331
 
 

八百富神社の拝殿
 
2014_09150332
 
 

八百富神社の拝殿と本殿の脇を抜けると前方に八大龍神社がありました。祭神は龍神だそうです。
 
2014_09150333
 
 

八大龍神社の右手には「竜神の松」が発達した根で地面をしっかり掴んでいました。石柱には竜神岬と刻まれています。石段を下りると遊歩道に出られるようです。
 
2014_09150334
 
 

夕日が海に映(は)えています。
 
2014_09150335
 
 

石段の下にある岩礁で記念撮影をしている人たちがいます。沖合に見える島は三河大島のようです。
 
2014_09150337
 
 

石段を下りると竹島の東側にある岩礁が続いていました。幅の狭い遊歩道らしきものが続いていますが、竹島橋の袂(たもと)付近の岩場には遊歩道は見当たりませんでしたから・・。島から離れた岩礁に常夜灯が立っています。
 
2014_09150338
 
 

先ほど観光客が記念撮影をしていたのはこの石柱付近でした。足場の関係で上下の文字が切れてしまいました。
 
2014_09150339
 
 

西側には「竹島遊歩道」の案内標識がありますから、そちらを歩くことにしました。
 
2014_09150342
 
 

竜神岬から西側の海岸に歩きやすい遊歩道が続いていました。
 
2014_09150343
 
 

夕日がさらに高度を下げました。
 
2014_09150344
 
 

竹島の小さな砂浜も夕日に染まっています。
 
2014_09150345
 
 

常夜灯とホテル竹島のツーショット
 
2014_09150346
 
ここで閃(ひらめ)きました。そして撮影したのがダイヤモンド常夜灯です。
 
2014_09150347
 
 

竹島橋の袂に出ました。橋の後方に見える蒲郡クラシックホテルは経済産業省が認定する近代化産業遺産の一つで、1934年に蒲郡ホテルとして建てられた城郭(じょうかく)風の建築です。
 
2014_09150349
 
 

日没が近づきました。
 
2014_09150353
 
 

(続く)

2014年10月13日 (月)

東三河の魅力探訪 蒲郡・竹島(その1)

県道5号(姫街道)へ出て西方へ進み、八幡町横道西交差点を左折して県道31号を南西方向に走ると京次西交差点で国道1号を横切り、西方交差点で国道23号に行き当たりました。ここで右折して国道23号を7-8km西進すると竹島入口交差点に差し掛かりましたので、ここで左折して竹島へ向かうアクセス道路に入ります。

 
2014_09150302
 
 

そして到着したのが竹島(たけしま)水族館の隣にあるホテル竹島です。同行者はホテルのスタッフにエスコートされて館内へ向かいます。
 
2014_09150303
 
 

エントランスロビーからメインロビーに入る構造になっています。
 
2014_09150304
 
 

最上階の7階から渥美湾(あつみわん)に浮かぶ竹島が良く見えます。神奈川県藤沢市にある江の島のように橋で渡ることができるようです。
 
2014_09150305
 
 

ホテル竹島の駐車場
 
2014_09150307
 
 

丘の上建つのは蒲郡クラシックホテル
 
2014_09150306
 
 

例によって、下見を兼ねた散歩に出ることにしました。部屋を出ると廊下から蒲郡市と岡崎市の境界にある遠望峰山(とぼねやま、標高443m)の山並みが間近に見えます。山頂付近には電波塔とともに三河ハイツ天の丸(ホテル)が確認できました。三河湾スカイライでこの尾根を縦断できるようです。
 
2014_09150308
 
 

メインロビーを横切ります。
 
2014_09150310
 
 

駐車場を抜けると芝生に覆(おお)われた竹島園地に出ました。
 
2014_09150311
 
 

竹島園地から見たホテル竹島の全景
 
2014_09150312
 
 

平安貴族の装束姿の銅像があります。近寄ってみると、「藤原俊成卿像」でした。俊成は三河守を務めて竹谷・蒲形荘(現在の蒲郡市)を開発したことからこの像が建立されたと説明されています。
 
2014_09150313
 
 

波打ち際で子供たちが遊んでいます。
 
2014_09150316
 
 

竹島とは387mの竹島橋で結ばれています。
 
2014_09150317
 
 

竹島橋を渡りました。左手では子供たちが浅瀬に入って遊んでいます。
   
2014_09150318
 
街灯が設置された竹島橋は竹島に向かって一直線に伸びています。
 
2014_09150319
 
 

右手を見ると夕日が大きく傾いていました。防波堤で囲まれているのは蒲郡港です。
 
2014_09150320
 
 

八百富神社(やおとみじんじゃ、別名竹島弁天)は日本七大弁天の一つ市杵島姫命(イチキシマヒメ、イツキシマヒメ)を祀(まつ)る神社です。
 
2014_09150322
 
 

鳥居を過ぎたところで振り返って見た竹島橋
 
2014_09150327
 
 

竹島の左手(東側)の岩礁に常夜灯が立っていました。珍しい光景です。
 
2014_09150323
 
 

境内の案内図によれば、石段を上ると宇賀神社と大黒神社、そして千歳神社があり、参道に従って左手に折れると拝殿へ行けるようです。
 
2014_09150325
 
 

(続く)

2014年10月12日 (日)

東三河の魅力探訪 豊川稲荷(後編)

本殿にお参りしたあと右手奥にある参道で奥の院へ向かうと諸願成就(所願成就)の「千本のぼり」がありました。日本三大稲荷のひとつとで稲荷神社の総本社であると京都の伏見(ふしみ)稲荷は千本鳥居が有名ですが、豊川稲荷は神社ではないため、鳥居の代わりに幟(のぼり)としたのでしょう。
 
2014_09150272
 
2014_09150273
 
 

参拝案内図の手前におみくじがいっぱい結ばれています。
 
2014_09150276
 
 

霊狐塚(れいこづか)の入口に出ました。
 
2014_09150277
 
 

鳥居が立つ左手の参道を入った霊狐塚には1000体以上の狐の石像が安置されているそうです。稲荷神社には枳尼眞天(だきにしんてん)のお使いに行く狐が三百一体安置されていますが、豊川稲荷では信者が祈願と成就のお礼としてたくさん奉納したことで数が増えたのだそうです。
 
2014_09150278
 
 

本来なら奥の院エリアにある大黒天堂や禅堂などにもお参りするべきですが、駐車場で待つ同行者のことが気になりますので、本堂の方へ向かう参道に入りました。その途中にある景雲門(けいうんもん)は安政五年(1858年)に建てられた旧奥の院の拝殿でしたが、昭和5年に本殿が落慶したときに、ここに移築して奥の院参詣の門となったそうです。長野善光寺、諏訪大社上社、京都御所などを手掛けた名匠諏訪ノ和四郎の優れた彫刻がここにもありました。ちなみに、本殿で本尊の「豊川叱枳尼眞天」が奉祀してある厨子、総門の十六羅漢も和四郎の作とのこと。
   
2014_09150280
 
嘉吉元年(1441年)、東海義易によって創建。室町時代末期 今川義元が伽藍を整備した。現在の三重塔は昭和51年(1976年)に建立されたものであり、小型ですが銅板葺(どうばんぶき)で、高さ 約11m 一辺2m弱の本格的なものです。
 
2014_09150281
 
 

大きな鉢(はち)で蓮の花が咲いていました。
 
2014_09150283
 
2014_09150284
      
2014_09150285
 
 

鎮守堂は前編で紹介したように、昔の神楽殿であったものを昭和5年春本殿の落慶開帳(らっけいかいちょう)に際し修築したものだそうです。
 
2014_09150289
 
「とよかわ稲荷表参道」は参拝客で賑(にぎ)わっています。
 
2014_09150293
 
 

表参道側から撮影した総門(前編で紹介したものとほぼ同じアングル)
 
2014_09150295
 
豊川稲荷の表参道を豊川駅の方向へ少し歩いて、B級グルメで一躍有名になった「いなり寿司専門店 まつや」に向かいました。
 
2014_09150297
 
 

油揚げがパンのようになる「アゲット」の垂れ幕があります。揚(あ)げにチーズ、オニオンフライ、チキンカツにトマトソースなどをはさんだ「いなりあーん」が定番商品のようですが、味噌好きの私はあえて「こんカツ味噌」(380円)を選びました。三河ポークを大葉で巻いたもののようです。
 
2014_09150296
 
 

店のカウンターにもさまざまな創作いなり寿司が並んでいます。
 
2014_09150298
 
 

注文してから約10分待つと「こんカツ味噌」が出来上がりました。見るからにおいしそうです。
 
2014_09150301
 
 

気が付けば1時間近くが経過していました。同行者が車で待つ豊川稲荷大駐車場に急いで戻ることにしました。
 
2014_09150299
 
 

(続く)

2014年10月11日 (土)

東三河の魅力探訪 豊川稲荷(前編)

設楽原歴史資料館の近く(北西へ徒歩5分)に再現された馬防柵があるようですが、そこには駐車場がないとのことですから、スルーして先を急ぐことにしました。次の目的地へ向かうには国道151号へ戻るべきですが、ちょっと道草を食ってみたくなり反対方向(北へ)800mほど走ると、前方に完成間近の新東名高速道路(延伸工事区間)が見えてきました。
 
2014_09150242
 
 

高架橋の下をくぐると、すぐ県道21号に行き当たりました。ここを左折するともう一度新東名高速道路の延伸工事区間(盛土)を通過します。高速道路下にあるトンネルはよくある箱型ではなくアーチ型をしています。
 
2014_09150243
 
 

県道21号から県道438号で国道151号へ出ました。
 
2014_09150245
 
 

国道151号は南西方向にほぼ一直線に伸びていました。東名高速道路の豊川ICを通過し、JR飯田線豊川駅の手前を右折して県道31号で西へ向かい、飯田線の踏切を渡ると豊川稲荷に到着しました。南西の角に近い豊川稲荷大駐車場(1日500円)に車を停めました。新城市から約15kmの距離です。
 
2014_09150248
 
 

駐車場から300mほど歩くと豊川稲荷前交差点に出ました。予想だにしなかった大きなスクランブル交差点です。初詣(はつもうで)客が多いことで知られる豊川稲荷だからかもしれません。
 
2014_09150249
 
 

豊川稲荷(とよかわいなり)の総門です。豊川稲荷の創立から214年後の明暦2年(1656年)に改築されたのち、現在の門は明治17年(1884年)に上棟改築されたそうです。ちなみに、豊川稲荷は曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院で、正式名称は円福山豊川閣妙厳寺(えんぷくざんとよかわかくみょうごんじ)、日本三大稲荷のひとつとされます。
 
2014_09150250
 
 

門扉および両袖の扉は千年以上の樹齢を重ねた欅(けやき)の一枚板(高さ4.5m、幅1.8m、厚さ15cm)で、欅独特の如鱗(うろこ)のような木目は類い稀な木材として知られ、屋根は銅板鱗葺(うろこぶ)きであり、諸処(しょしょ、あちこち)に使用されている唐金手彫(からかねてほり)の金具は優れた技法を示しているそうです。

 

参道の先に山門(正面)とその右手に祈祷(きとう)の受付がある書院の最祥殿(さいしょうでん)があります。
 
2014_09150252
 
 

参道の右手には鐘楼堂と鎮守堂(右奥)が並んでいます。
 
2014_09150253
 
 

鐘楼堂(そうしょうどう)は、豊川稲荷(いなり)大本殿の落慶(完成)を記念し、昭和12年に浜松市大々講の寄進によって建てられたもので、総欅(そうひのき)材造りで近代の建造物としては優秀な結構(けっこう、全体の構造や組み立てのこと)として賞讃されているそうです。また、鎮守堂(ちんじゅどう)は、別名龍天堂(りゅうてんどう)ともいわれ、昔の神楽殿であったものを昭和5年春本殿の落慶開帳(らっけいかいちょう)に際し修築したものとのこと。

 

参道をさらに進むと山門(さんもん)が迫りました。『天文5年(1536年)に今川義元が寄進した建物で、豊川閣妙厳寺に現存する最古の建物。また、唯一の丸瓦葺(まるがわらぶき)造りの形をしている。寛政5年(1792年)に修理し、さらに昭和29年(1954年)にも大修理が行われた。左右の阿吽(あうん)の仁王像は昭和41年(1966年)に篤信者(とくしんしゃ)によって寄進されたものである』と説明されています。
 
2014_09150254
 
 

反対側(本堂側)から見た山門
 
2014_09150257
 
 

漱水(そうすい)舎手洗場とは水で口を漱(すす)ぎ、手を洗う場所、つまり手水舎(ちょうずしゃ)のことです。
 
2014_09150256
 
 

法堂(通称本堂)です。瓦葺(かわらぶき)二重屋根、十一間四面の大きさがあるそうです。
 
2014_09150259
 
 

『今から550年前東海義易禅師(とうかいぎえきぜんじ)によって創立されて円福山妙厳寺の中心を占める建物で寒厳禅師(かんがんぜんじ)が自ら刻まれた千手(せんしゅ)、千眼観世音菩薩(せんけんかんせおんぼさつ)の尊像を本尊仏として奉祀している。建物は総桧二重屋根瓦葺で重厚な外観を示す。内部は禅宗寺院特有の簡素な構造で朝、昼、晩の勤行(ごんぎょう)、仏事、法要、説教が随時行われる。現在の建物は、天保時代24世の住職によって新築されたものである』と説明されています。
 
2014_09150261
 
 

左手へ向かうと大きな「境内参拝案内図」がありました。本殿を経由して奥の院まで行けるようです。
 
2014_09150263
 
 

本殿への参道には寺院なのになぜか大きな石製の鳥居があります。
 
2014_09150262
 
 

鳥居から本殿までの参道は緩(ゆる)やかな上り坂になっています。
 
2014_09150265
 
 

参道を振り返ると法堂(通称本堂)が大きく見えます。そして、さきほどくぐった鳥居の先にもうひとつ鳥居が確認できました。
 
2014_09150270
 
 

本殿の両側に大提灯が
 
2014_09150267
 
 

狐も同様に控えています。
 
2014_09150268
 
 

常香炉(じょうこうろ)越しに見た本殿です。この本殿には、妙厳寺を開いた時から守護神として豊川叱枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)通称「豊川いなり」のご本体が安置されており、全国幾千万のご信者の信仰の中心でありご祈祷の根本道場です。明治27年本殿の大改築が発願され、昭和5年に完成し落慶大開帳が行われたそうです。
 
2014_09150271
 
 

建物は総欅造、妻入二重屋根三方向拝の型をとり間口十間七分五厘(19.35m)、高さ百二尺(30.6m)、奥行二十一間四分三厘(38.59m)、丸柱直径八寸(24cm)のもの、直径三尺(90cm)のもの計72本が使われているそうです。(続く)

2014年10月10日 (金)

東三河の魅力探訪 設楽原歴史資料館

国道257号(鳳来寺道)の大海(おおみ)交差点を過ぎた有海(あるみ)交差点で国道151号(伊那街道)に行き当たりました。豊川沿いに海がつく地名が多いことからみて、昔はこの辺りに湖があったのかもしれません。この交差点で右折して、まだ新しいと思われる国道151号は新城バイパスとも呼ばれているようです。八束穂(やつかほ)交差点付近に新東名高速道路の新城ICができるようです。ほぼ出来上がっている新東名高速道路の本線(高架)をくぐりました。
 
2014_09150210
 
 

すぐ前方にICのアクセス道路と思われるものが確認できます。
 
2014_09150211
 
 

3kmあまり先の設楽原歴史資料館南交差点を右折すると、右手に設楽原歴史資料館の案内看板が見えました。
 
2014_09150212
 
 

設楽原(しだらがはら)歴史資料館は、天正3年(1575年)に織田信長と徳川家康の連合軍3万8000が三河国長篠城(新城市長篠)を巡って武田勝頼軍1万5000と戦った長篠の戦い(ながしののたたかい)とその決戦地となったのが設楽原(したらがはら)について多数の展示がある資料館(観覧料は大人300円)です。(写真は正面から見た設楽原歴史資料館)
 
2014_09150214
 
 

入口を入ったホールに鎧兜(よろいかぶと)と新城の名物「火おんどり」で使われるで大松明(おおたいまつ)が「設楽原からのメッセージ」の両端に置かれています。
 
2014_09150215
 
 

見学ルートに従って展示品を見て回ることにしました。最初の展示品は「最大級の大鉄砲」ですが、ショーケースへの写り込みがあって良く見えませんので、新城市のhpを参照してください。
 
 2014_09150216
 
館内の展示コーナーの説明図には、左手に「設楽原の戦いコーナー」と「火縄銃コーナー」があり、右手には「火縄銃コーナー」「火おんどりコーナー」「岩瀬忠震(ただなり)コーナー」「企画展示コーナー」が配置されていると表示されています。
 
2014_09150217
 
 

日本最古といわれる伝説の火縄銃「信玄砲」は銃身(長さ105mm)のみで、これを装着する木製の銃床(ストック)はありません。
 
2014_09150218
 
 

「設楽原の戦いコーナー」で目についたのは設楽原と長篠城の縮尺立体模型です。
 
2014_09150221
 
 

次いで「設楽原の戦い」の進展が、「長篠状の攻防」「信長の岐阜発進」「武田軍、滝川を渡る」とステージ毎に説明されています。それらに挟まれた「鳥居強右衛門磔図」(とりいすねえもんさかさはりつけず)はインパクトがあります。
 
2014_09150222
 
 

鳥居強右衛門は長篠城主奥平信昌の足軽で、伝令として武田勝頼軍に包囲されて籠城中でであった長篠城から川を潜って脱出し、その成功を雁峰山から狼煙(のろし)を上げて連絡したあと岡崎城まで行き、奥平の主君である家康に援軍を要請しました。これにより、家康の要請で岡崎に入っていた信長軍3万と家康軍8000が合流して長篠へ向かくことになったことを伝えようとした強右衛門は武田軍に捕まり、援軍は来ないと言うように強要されました。その指示に従うと偽った強右衛門は長篠城から見える場所に引き立てられたとき、長篠城に向かって「すぐ援軍が来る」と叫んだため、武田軍に殺されてしまいました。

 

次いで、「設楽原から甲州へ」(武田勝頼の敗走)と「設楽原から新城へ」(設楽原の戦い後の新城築城)の説明
 
2014_09150225
 
 

「火縄銃コーナー」では、「鉄砲が日本にやってきた」と題して種子島の領主であった種子島時堯(たねがしまときたか)がポルトガル商人から火縄銃を2丁購入して、家来に命じて火薬お銃身の作り方を学ばせた経緯が説明されていました。長篠・設楽原の戦いが行われる33年まえのことです。写真に写るのは一般的に種子島銃と呼ばれる火縄銃。
   
2014_09150224
 
 

左から、大筒(おおづづ)、兜(かぶと)、鉄砲群、設楽原布陣図
   
2014_09150223
 
 

そして大型の火縄銃群
   
2014_09150220
 
 

三連発管打式銃は3本の銃身を1本にまとめた銃で、銃身が回転することで3発まではっしゃすることができる優(すぐ)れものです。現代風に言えばリボルバー拳銃でしょう。
 
2014_09150226
 
 

こちらは長篠役設楽原決戦場の絵図。手前の展示台に置かれた火縄銃は、来館者が自由に手に取って、その重さを体感することができるうれしい展示です。
 
2014_09150227
 
 

「火おんどり」の展示コーナーでは武田軍と織田・徳川連合軍における多数の戦没者の霊(れい)を慰なぐさ)めるために、400年前から毎年お盆の日の夜、信玄塚(大塚と小塚)で巨大な松明(たいまつ)を灯(とも)して供養(くよう)するたようになったことが説明されています。
 
2014_09150230
 
 

屋上に出てみました。そこには設楽原の地形が縮尺で表現されていますが、やや分かりにくいのが残念でした。
 
2014_09150236
 
 

手すりに取り付けられた写真パネルと比較しながら実際の場所を確認できるようになっていました。左から、茶臼山の信長本陣、連吾川、馬防柵再現地、宗国の秀吉陣地、丸山激戦地、強右衛門(すねえもん)がのろしを上げた場所(涼み松)。
 
2014_09150233
 
 

反対側には、清井田方面の勝頼戦地本陣、医王寺山の勝頼攻城船本陣、長篠城址、決戦が始まった鳶ヶ巣山(とびがすやま)がありました。
 
2014_09150237
 
 

この記事で紹介したのは多数ある展示品のほんの一部です。館内を一巡して出口へ向かうと、小さな展示室があり、火薬入れと口薬入れが多数展示されていました。ちなみに、口薬(くちぐすり)とは火皿(ひざら)に盛る粒子(りゅうし)の細かい火薬のことです。(続く)

2014年10月 9日 (木)

東三河の魅力探訪 四谷の千枚田(後編)

一部だけが刈り取られた稲田
 
2014_09150179
 
 

ソーラーパネル(太陽電池)で発電する電気が利用されていました。
 
2014_09150180
 
 

石の蛙(かえる)
 
2014_09150182
 
 

コスモス
 
2014_09150191
 
 

「ハート田」ではすぐ近くの連谷(れんこく)小学校の生徒が稲を育てているようです。
 
2014_09150183
 
 

農道の左手の棚田は急斜面に造られていてかなり手狭(てぜま)です。
 
2014_09150184
 
 

こちらも連谷小学校の「さわやかイレブン田」
 
2014_09150185
 
 

豊橋調理生花専門学校の田んぼ
 
2014_09150186
 
 

ポップアート風の案山子(かかし)たち
 
2014_09150187
 
 

棚田と農道の間を流れる谷川
 
2014_09150188
 
2014_09150190
 
 

刈り取った稲束(いなたば、いねたば)をかけて乾かすための竹製の稲架(はさ、はざ)
 
2014_09150189
 
 

愛知県立新城高等学校農業クラブの田んぼも刈取りが終わっていました。
 
2014_09150192
 
 

さらに上段の棚田にある稲架
 
2014_09150194
 
 

農道をかなり上ったところで振り返ると、千枚田を見下ろすことができました。
 
2014_09150195
 
 

水車小屋
 
2014_09150196
 
 

さらに上方に続く千枚田
 
2014_09150197
 
 

昼の休憩をしている農家の人たち
 
2014_09150198
 
 

農道を出発地点付近まで戻ると、山側の斜面(棚田)に柑橘類(かんきつるい)と思われる果樹がたくさん植えられていることに気づきました。
 
2014_09150201
 
 

その脇にある歌碑には、「蕗(ふき)のとう ここから始まる 千枚田 静風」と「千枚の田の 石垣の冬ざれに 変わることなく 瀬音はひびく 志ず子」と2つの短歌が刻まれています。「冬ざれ」は聞きなれない言葉ですから調べると、「草木が枯れはてて寂しい冬の風物のようす」を意味する言葉でした。
 
2014_09150202
 

元来た道(県道32号)を玖老勢(くろぜ)交差点まで引き返して県道436号にそれ、行き当った長楽(ながら)交差点を左折し、豊川に沿う国道257号(鳳来寺道)を南下しました。(続く)

2014年10月 8日 (水)

東三河の魅力探訪 四谷の千枚田(前編)

県道32号(伊那街道)は海老川の支流である清水川を渡るために海老(えび)交差点でクランク状に折れ曲がります。
 
2014_09150159
 
 

県道32号は海老池貝津(えびいけがいつ)交差点を右折して、次の目的地である「四谷千枚田」(よつやせんまいだ)に向かい、清水川の流れに沿って北東方向の山間に入って行きます。ちなみに、伊那街道の方は県道389号となって北西方向へ伸びています。
 
2014_09150160
 
 

「本日通れます」の看板は24km先の国道473号投影町月地内にて落石対策工事につき10月31日まで時間通行止め(日曜・祝日を除く)と表示されています。
 
2014_09150205
 
2kmほど走った場所にある案内看板が「四谷千枚田(よつやせんまいだ)」が近いことを示しています。「よう来たのん!」は三河弁のようです。
 
2014_09150161

 
県道32号はかなり高度を上げました。
   
2014_09150163
 
 

突然視界が広がると「四谷千枚田」に到着したようです。道路の左側に駐車できるスペースがありました。
 
2014_09150170
 
 

平成17年9月に「全国棚田(千枚田)サミット」が日本棚田百選の一つであるこの千枚田で開催されたようです。ちなみに、当ブログの前身である「温泉ン大好き、ドライブも!」では日本棚田百選に選ばれている4つの棚田、長谷(ながた、大阪府豊能郡能勢町)・千早赤坂村(大阪府南河内郡)・高島市(滋賀県)・飯山市(長野県)を紹介しています。その他にも、南足柄市(神奈川県)・東京ディズニーランド鶴岡市(山形県)・伊豆市(静岡県)・インドネシアにある棚田を訪れたことに触れています。
 
 
2014_09150169
 

千枚田の解説板には『ここ大代(おおしろ)では、明治37年(1904年)、田植えが済んだ頃から20日あまりも降り続いた雨で、鞍掛山(くらかけやま、標高882.6m)と通称びんぼう山の谷間に泥水がたまり、雨水があふれて山津波となる大参事があり、何年もかかって荒地を他に変えたのがこの千枚田である。千枚田は実際には1296枚の棚田である』と説明されていました。ちなみに、現在耕作されている棚田は約800とのこと。この説明の下には五平餅の広告が貼られています!
 
2014_09150164
 
 

こちらは鞍掛山麓(さんろく)千枚田案内図と毎月発行される「四谷の千枚田だより」の切り抜きが貼られています。中央上には「灯ろう千枚田2014」(6月7日)、中央下には「千枚田五平餅」(10本2500円)が!
 
2014_09150166
 
 

ガードレール際に寄って撮影した北東方向に続く千枚田の全景
 
2014_09150167
 
 

少しアングルを変えてもう一枚撮影しました。東海自然歩道は千枚田の最上部付近を横切る県道32号の仏坂トンネル(仏坂峠)―かしやげ峠間と重なっているようです。
 
2014_09150168
 
 

千枚田に下りるには車を降りて歩く必要がありました。
 
2014_09150171
 
 

県道32号から農道に入りました。
 
2014_09150172
 
 

休憩用の木製ベンチの脇にあるフクロウの木彫は少し傷(いた)み始めています。
 
2014_09150173
 
 

稲の収穫(刈り取り)作業を眺めながら休憩する人たち
 
2014_09150174
 
2014_09150203
 
 

農道は千枚田を貫いて鞍掛山方面へ伸びています。鞍掛山に水源を持つ「四谷の千枚田」は、標高220メートル付近から鞍掛山頂に向かって標高420メートル付近まで広がっており、その標高差は約200メートルにもなるそうです。
 
2014_09150175
 
 

野生動物対策の設備のようです。
 
2014_09150176
 
2014_09150177
 
 

棚田は巧みに石を積み上げた石垣が土止(どど)めとして利用されています。
 
2014_09150178
 
 

(続く)

2014年10月 7日 (火)

東三河の魅力探訪 鳳来寺山(その3)

本堂には祀られている本尊は開山の利修作とされる薬師如来ですが、昭和49年(1974年)でコンクリート建築で建て替えられたため趣が感じられないのが少し残念です。
 
2014_09150140
 
 

本堂の左後方には鏡岩(屏風岩)が聳えています。仏法僧(ぶっぽうそう)で知られる鳳来寺山はこの鏡岩の音響効果で、その鳴き声が美しく響くと言われています。鳴き声が「ブッ・ポウ・ソウ(仏法僧)」と聞こえるとされることが名前の由来です。しかし、鳴き声の主はカラフルな渡り鳥の仏法僧(ブッポウソウ科)ではなく、頭部には小さい外耳のように見える羽毛(羽角)がある小さなフクロウであるコノハズク(木葉梟)であることが昭和の初期に分かったそうです。
 
2014_09150143
 
 

本堂の前方に展望所を兼ねた拝殿が見えます。
 
2014_09150146
 
 

拝殿内の鴨居に種田山頭火(さんとうか)が昭和14年に鳳来寺山を訪れて詠(よ)んだ句を刻んだ額が掲げられていました。
 
2014_09150145
 
 

拝殿からは山間に伸びる表参道(門屋の門前町)と新城市の山並みを望むことができます。10月に入れば紅葉も楽しむことができるのでしょう。
 
2014_09150144
 
 

元来た道を東照宮の朱色の鳥居近くまで引き返し、バス停(山頂駐車場)へ出る遊歩道を歩きます。
   
2014_09150134
 
2014_09150135
 
元三堂跡の石碑が立っていますが、説明はありません。
 
2014_09150147

 
寂(さび)れた建物が並んでいました。通過した場所から見下ろしましたが何であるかは分かりません。
 
2014_09150148
 
 

駐車場と東照宮を結ぶ遊歩道にでました。往きに撮影し忘れた東海自然歩道が合流する様子です。
 
2014_09150149
 
 

帰路になると同行者はいつも速足になるのです。
 
2014_09150150
 
 

駐車場の手前にある土産物屋で五平餅(1本250円)を買うことにしました。この店のものは「阿寺の七滝」の売店と同じで五平餅としては一般的な大判形をしています。軽い昼食にと「味噌おでん」(3本200円)も注文しました。
 
2014_09150151
 
 

この店では道の駅「三河鳳来三石」と同じタイプのものを「五平だんご」(一本250円)と呼んでいます。
 
2014_09150152
 
 

車内で昼食を軽く済ませて出発しました。駐車場の出口にあるバーは感応式のようで自動的に開きました。
 
2014_09150153
 
 

鳳来寺山パークウェイの分岐点を右折して次の目的地へ向かいます。県道524号から県道32号(伊那街道)に出ると、ほどなく鳳来寺バス停がある鳳来寺二の門と表参道(門前町)が見えました。
 
2014_09150155
 
2014_09150156
 
 

県道32号に左手から県道436号が合流するようです。
 
2014_09150157
 
玖老勢(くろぜ)交差点に差し掛かりました。珍しい地名に興味を持って調べてみると、『明治の初めごろまで豊川支流の海老川に沿って栄えた集落で、瀬が黒く見えたことからこの地区を黒瀬郷と呼んでいた』そうです。
 
2014_09150158
 
 

(続く)

2014年10月 6日 (月)

東三河の魅力探訪 鳳来寺山(その2)

東照宮が近づいたようです。
 
2014_09150120
 
 

「阿寺(あてら)の七滝」付近で少しだけ歩いた東海自然歩道は鳳来寺山も通過していることが図解されています。駐車場から東照宮と鳳来寺本堂へ向かう散策路に右手から合流するのが確認できました。
 
2014_09150121
 
2014_09150122
 
 

ほうらいじ山観光案内図には鳳来寺バス停付近から伸びる表参道が詳しく図解されていました。1425段もある石段の途中にある国指定重要文化財の仁王門(山門)と傘杉(推定樹齢800年、樹高約60mは日本一)がよく知られているようですが、10月になれば紅葉も楽しめそうです。
 
2014_09150123
 
番所跡
 
2014_09150126
 
 

東照宮の石段脇に石段を上がれない人のための遥拝所(ようはいじょ)がありました。
 
2014_09150125
 
石製の鳥居をくぐった右手に手水舎(ちょうずしゃ)
 
2014_09150127
 
左手には社務所
 
2014_09150130
 
 

東照宮の拝殿に参拝
 
2014_09150129
 

本殿は拝殿の先にある中門の奥にあるようです。ちなみに、鳳来寺山の東照宮は日光と久能山とともに日本三東照宮のひとつに数えられるそうです。
 
2014_09150128
 
 

参拝したあと、思ったより急な石段を下りました。
 
2014_09150131
 
 

参道は右手へ伸びています。
 
2014_09150132
 
 

朱に塗られた鳥居の先は下り階段(20数段)になっています。
 
2014_09150133
 
 

階段を下りて右へ折れた場所にある東照宮の案内看板
 
2014_09150136
 
 

その先で石畳は途切れますが、参道はさらに続きます。
 
2014_09150137
 
 

道なりに左へカーブしたところの鳳来寺の本堂が見えてきました。その手前では崩れた石垣を修復する工事が行われていますが、この日は日曜日のため休工中でした。
 
2014_09150138
 
2014_09150139
 
 

「徳川家康出生ゆかりの名刹鳳来寺」の案内看板は工事のため撤去されて、鉄製の欄干脇に仮置きされています。
 
2014_09150141
 
真言宗五智教団の寺院である鳳来寺本堂の全景
 
 
2014_09150142
 
(続く)

2014年10月 5日 (日)

東三河の魅力探訪 鳳来寺山(その1)

明治橋西交差点まで戻って国道151号へ入り、湯谷温泉の手前で県道439号へ反(そ)れ、さらに県道524号(鳳来寺山パークウェイ)へと左折しました。ちなみに、鳳来寺山(ほうらいじさん)パークウェイは有料道路として昭和46年(1971年)に愛知県道路公社によって建設されましたが、平成17年(2005年)に無料開放されました。
 
 

鳳来寺山パークウェイは楽しいドライブを予感させますが、「この先 落石の恐れ」の注意報が気にかかります。
 
2014_09150095
 
 

坂道を少し上がると落石防護ネットが設置された崖が現れました。
 
2014_09150097
 
曲がりくねった道で坂を上りきった場所に「鳳来寺・東照宮」へ向かう三差路が現れました。
 
2014_09150098
 
 

この道は鳳来寺山パークウェイの分岐道で、鳳来寺山の山頂下にある鳳来寺と東照宮の近くまで行くことができます。駐車場は現在も有料(料金510円)です。
 
2014_09150099
 
 

ここにも落石防護ネットが設置されています。
 
2014_09150100
 
 

前方に鳳来寺山駐車場の案内看板とゲートが見えました。
 
2014_09150101
 
 

さらに進むと料金所です。
 
2014_09150102
 
 

料金所を通過して駐車場の奥の車を停めました。
 
2014_09150103
 
 

駐車場からの眺(なが)め
 
2014_09150104
 
 

鳳来寺山パークウェイは明治百年記念事業で建設されたようです。
 
2014_09150105
 
 

駐車場の右奥に東照宮と鳳来寺本堂へ向かう遊歩道がありました。
 
2014_09150106
 
 

遊歩道の入口に土産物屋兼食堂が2軒並んでいます。
 
2014_09150108
 
 

9月中旬ですがまだかき氷を売っているようです。
 
2014_09150109
 
 

鳳来寺本堂と東照宮には鳳来寺バス停から表参道を経由しても上れますが1.2kmの坂道に加えて1425段の石段がありますから大変そうです。ちなみに、石段の参道で有名な四国の金刀比羅宮(ことひらぐう)は本宮拝殿までが785段、奥社まで1368段です。また、鳳来寺山の山頂(最高峰)である瑠璃山(るりさん、標高695m)までは2km弱のようです。
 
2014_09150110
 
 

なだらかな遊歩道が続きます。
 
2014_09150111
 
 

遊歩道から鳳来寺の本堂と奥の院及び岡崎市と豊川市の境界にある本宮山(標高789m)などが展望できるようです。
 
2014_09150112
 
 

紅葉が始まりました。
 
2014_09150114
 
 

案内看板通りに本宮山(写真中央)の山頂付近が手前の御岳山(みたけやま、標高664m)の山並みから少しだけ覗(のぞ)いています。その手前には表参道に沿って立ち並ぶ家並みが確認できます。
 
2014_09150116
 
 

鳳来寺の本堂の左手にある鐘楼(しょうろう)が木立の間に見えます。左後方は仏法僧(ぶっぽうそう)の鳴き声が美しく響くといわれる鏡岩(かがみいわ)のようです。
 
2014_09150117
 
 

瑠璃山と奥の院方向
 
2014_09150119
 
 

(続く)

2014年10月 4日 (土)

東三河の魅力探訪 阿寺の七滝(後編)

料金箱の先にある橋を渡ると、阿寺川に沿って遊歩道が続いています。
 
2014_09150044
 
 

9月中旬ですから彼岸花(ひがんばな、曼珠沙華)が咲いていました。
 
2014_09150045
 
遊歩道が続きます。
 
2014_09150047
 
 

200mほど歩いた場所で河鹿渕(かじかふち)へ下りる階段を見つけました。
 
2014_09150048
 
折れ曲がった急な下り階段で阿寺川へ下りたところが河鹿渕のようです。
 
2014_09150049
 
 

水音はしますが、右手からせり出した岩に隠れて、流れ落ちる様子は見えません。
 
2014_09150052
 
 

河鹿渕の少し上流にある一ツ橋を渡った場所から小さな滝が見下ろせました。
 
2014_09150085
 

その少し上流にも別の滝がありました。乙女滝かもしれません。
 
2014_09150054
 
 

遊歩道はさらに続きます。
 
2014_09150057
 
 

根元の土が流出して不安定な大木
 
2014_09150058
 
 

巣山礫岩(すやまれきがん)は信仰の対象になっているようです。『礫岩はこの地域に広く分布し、俗に子抱石(こだきいし)と呼ばれ、くいちがい石と呼ばれる珍しいものが発見されている』と説明されています。写真では確認しづらいのですが、丸い石には上下方向に食い違いでできた傷跡のようなものがありました。ちなみに、礫岩(れきがん)は、岩石が壊れてできた破片である礫(れき))が固結してできた岩石で、堆積岩(たいせきがん)の一種です。
 
2014_09150059
 
 

七滝まで200mと表示されています。ここで東海自然歩道に合流しました。
 
2014_09150061
 
 

JR東海が同社の駅を出発するハイキングコースに「さわやかウオーキング常設コース」の愛称をつけているようです。
 
2014_09150062
 
 

阿寺川の川幅が狭くなって、前方に朱塗りの欄干のようなものが見えてきました。
 
2014_09150079
   
駐車場を出発して10分あまりで「阿寺の七滝」に到着。滝およびその周辺は昭和9年1月に国の名勝および天然記念物に指定されたことが石柱に刻まれていました。左後方に見える赤く塗られたスロープは阿寺川の対岸に渡って続く東海自然歩道です。
 
2014_09150064
 
 

滝の右手に展望所がありますので上へ上がって見ることにしました。
 
2014_09150078
 

滝の正面から「阿寺の七滝」の全貌がほぼ見ることができます。滝の左隣には子抱(こだき)観音を祀(まつ)った小さな祠(ほこら)が見えます。
 
2014_09150067
 

『阿寺の七滝は全長約64mで、上段より各2m、4m、2m、25.5m、7.5m、13m、9.3mと7段の瀑布からなり、上から2番目と5番目の滝つぼは大きな 穴を持ち、礫岩(れきがん)にかかる滝のものとしては学術上貴重なものです』と説明されていました。
 
2014_09150065
 

展望所から下りて滝へ向かうと石製の小さな祠がありました。祠の中に水の文字が確認できますので水神(龍神)を祀っているようです。
 

2014_09150071

 

料金箱がある場所まで引き返すと、土産物屋の脇で五平餅が売られていました。こちらの五平餅は大判形をしています。道の駅で食べたものと味比べをしたいところですがお腹が欲しがっていないようですから、ここではスルーすることにします。
 
2014_09150090
 

(続く)

2014年10月 3日 (金)

東三河の魅力探訪 阿寺の七滝(前編)

2週間前のニュースで落ち込んだ気持ちが、テレビ東京の経済番組”WBS”を毎日観ることで、少しずつ回復しています。そして、私の生活は何も変わっていないことを自覚できたことで、やっとブログ記事の投稿を再開する気持ちになりました。さて、本題です。

 

9月中旬の3連休を利用してドライブ旅に出かけました。今回の目的地は東三河です。いつもは新東名から三ヶ日JCTで東名に入り、三ヶ日トンネルを抜け、新城(しんしろ)PAと豊川ICを通過して、豊田JCTで伊勢湾岸道路へ反(そ)れて関西方面へ向かいことが多いため、東三河に立ち寄ることはほとんどありません。というのは、3年前から暫定的に3車線化されている音羽蒲郡ICから豊田JCTの間はレーンの幅が首都高速道路とほぼ同じ狭さ(制限速度60km/h)であるため安全運転の心がけ、渋滞のメッカである岡崎ICをスムーズに通過することに神経を集中しているからです。

 

この日は好天にもかかわらず、東名高速の鮎沢PA付近や新東名に入る御殿場JCT付近から見る富士山はすっぽり雲に包まれていました。しかし、新富士ICを通過する頃にはその雲が少しずつ取れはじめたようですから、清水PAで休憩をかねて富士山の写真を撮影することにしました。
 
2014_09150014
 
 

展望台からは山の端(は)に富士山が覗(のぞ)いているのが見えました。
   
2014_09150008
 
 

新東名をいつものように順調に走行して現在の終点である浜松いなさJCTに差し掛かり、さらに東名高速への接続道路に入って、浜松いなさICに到着しました。ここで一般道に出ます。
 
2014_09150015
 
2014_09150019
 
 

国道257号で浜松いなさJCTの下を抜けます。
 
2014_09150021
 
 

静岡県浜松市と愛知県新城市の境界にある炭焼田(すみやきだ)トンネル(長さ257m)を抜けます。
 
2014_09150023
 
 

新東名の延長工事が進捗しているようです。
 
2014_09150025
 
 

道の駅「鳳来三河三国」で休憩することにしました。
 
2014_09150026
 
 

新東名の延長工事についての説明図を見つけました。平成27年度(来年度)に東海環状自動車道の豊田東JCTまで(55km)が開通する予定であり、豊川工事事務所管内(29.7km)では75%の進捗だと説明されています。東海環状自動車道は豊田JCTで伊勢湾岸自動車道に接続していますから、新東名のこの区間が開通すると関西方面へ行くのが格段に便利になりそうです。
 
2014_09150027
 
 

東三河と木曽地方の名物である「五平餅」(ごへいもち)は私の好物で、東名高速道路の赤塚PAなどに立ち寄って食べることがよくあります。『道の駅の裏手にある満光寺は武田軍に追われた徳川家康が宿泊した寺で、翌朝一番鶏(いちばんどり)がいつもより早く鳴き、家康が危ういところを救われたことで、満光寺の鶏に3石(こく)の扶持(ふち)を与えた』ことが説明されています。木彫の鶏が控えめに置かれていました。
 
2014_09150031
 
 

店内に入って三石五平餅(一本160円)を求めました。
 
2014_09150032
 
 

わらび餅と栗きんとんも名物のようです。
 
2014_09150033
 
 

国道257号はふたたび工事中の新東名をくぐります。
 
2014_09150035
 
 

蔵平(くらだいら)トンネル(長さ78m)を通過します。左手に伸びる道は旧道のようです。
 
2014_09150036
 
 

乗本(のりもと)交差点で県道439号へ右折して、豊川の支流である宇蓮川(うれがわ)沿いに走ります。
 
2014_09150037
 
 

km弱先の明治橋西交差点で右折して県道505号へ入ってすぐ、県道442号へと右折しました。最初の目的地は「阿寺(あてら)の七滝」です。
 
2014_09150039
 
 

宇蓮川に合流する三輪川の水は飲料水として利用されているようです。
 
2014_09150040

 
明治橋西交差点で入った山道を5kmほど走ると日本の滝百選のひとつである「阿寺の七滝」への入口に到着。
 
2014_09150091

 
左手に有料駐車場がありました。
 
2014_09150041
 
赤い郵便ポストのような料金箱に料金(普通車300円)を入れる仕組みです。
 
2014_09150042
   
(続く)

« 2014年9月 | トップページ | 2014年11月 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ