« 東三河の魅力探訪 四谷の千枚田(後編) | トップページ | 東三河の魅力探訪 豊川稲荷(前編) »

2014年10月10日 (金)

東三河の魅力探訪 設楽原歴史資料館

国道257号(鳳来寺道)の大海(おおみ)交差点を過ぎた有海(あるみ)交差点で国道151号(伊那街道)に行き当たりました。豊川沿いに海がつく地名が多いことからみて、昔はこの辺りに湖があったのかもしれません。この交差点で右折して、まだ新しいと思われる国道151号は新城バイパスとも呼ばれているようです。八束穂(やつかほ)交差点付近に新東名高速道路の新城ICができるようです。ほぼ出来上がっている新東名高速道路の本線(高架)をくぐりました。
 
2014_09150210
 
 

すぐ前方にICのアクセス道路と思われるものが確認できます。
 
2014_09150211
 
 

3kmあまり先の設楽原歴史資料館南交差点を右折すると、右手に設楽原歴史資料館の案内看板が見えました。
 
2014_09150212
 
 

設楽原(しだらがはら)歴史資料館は、天正3年(1575年)に織田信長と徳川家康の連合軍3万8000が三河国長篠城(新城市長篠)を巡って武田勝頼軍1万5000と戦った長篠の戦い(ながしののたたかい)とその決戦地となったのが設楽原(したらがはら)について多数の展示がある資料館(観覧料は大人300円)です。(写真は正面から見た設楽原歴史資料館)
 
2014_09150214
 
 

入口を入ったホールに鎧兜(よろいかぶと)と新城の名物「火おんどり」で使われるで大松明(おおたいまつ)が「設楽原からのメッセージ」の両端に置かれています。
 
2014_09150215
 
 

見学ルートに従って展示品を見て回ることにしました。最初の展示品は「最大級の大鉄砲」ですが、ショーケースへの写り込みがあって良く見えませんので、新城市のhpを参照してください。
 
 2014_09150216
 
館内の展示コーナーの説明図には、左手に「設楽原の戦いコーナー」と「火縄銃コーナー」があり、右手には「火縄銃コーナー」「火おんどりコーナー」「岩瀬忠震(ただなり)コーナー」「企画展示コーナー」が配置されていると表示されています。
 
2014_09150217
 
 

日本最古といわれる伝説の火縄銃「信玄砲」は銃身(長さ105mm)のみで、これを装着する木製の銃床(ストック)はありません。
 
2014_09150218
 
 

「設楽原の戦いコーナー」で目についたのは設楽原と長篠城の縮尺立体模型です。
 
2014_09150221
 
 

次いで「設楽原の戦い」の進展が、「長篠状の攻防」「信長の岐阜発進」「武田軍、滝川を渡る」とステージ毎に説明されています。それらに挟まれた「鳥居強右衛門磔図」(とりいすねえもんさかさはりつけず)はインパクトがあります。
 
2014_09150222
 
 

鳥居強右衛門は長篠城主奥平信昌の足軽で、伝令として武田勝頼軍に包囲されて籠城中でであった長篠城から川を潜って脱出し、その成功を雁峰山から狼煙(のろし)を上げて連絡したあと岡崎城まで行き、奥平の主君である家康に援軍を要請しました。これにより、家康の要請で岡崎に入っていた信長軍3万と家康軍8000が合流して長篠へ向かくことになったことを伝えようとした強右衛門は武田軍に捕まり、援軍は来ないと言うように強要されました。その指示に従うと偽った強右衛門は長篠城から見える場所に引き立てられたとき、長篠城に向かって「すぐ援軍が来る」と叫んだため、武田軍に殺されてしまいました。

 

次いで、「設楽原から甲州へ」(武田勝頼の敗走)と「設楽原から新城へ」(設楽原の戦い後の新城築城)の説明
 
2014_09150225
 
 

「火縄銃コーナー」では、「鉄砲が日本にやってきた」と題して種子島の領主であった種子島時堯(たねがしまときたか)がポルトガル商人から火縄銃を2丁購入して、家来に命じて火薬お銃身の作り方を学ばせた経緯が説明されていました。長篠・設楽原の戦いが行われる33年まえのことです。写真に写るのは一般的に種子島銃と呼ばれる火縄銃。
   
2014_09150224
 
 

左から、大筒(おおづづ)、兜(かぶと)、鉄砲群、設楽原布陣図
   
2014_09150223
 
 

そして大型の火縄銃群
   
2014_09150220
 
 

三連発管打式銃は3本の銃身を1本にまとめた銃で、銃身が回転することで3発まではっしゃすることができる優(すぐ)れものです。現代風に言えばリボルバー拳銃でしょう。
 
2014_09150226
 
 

こちらは長篠役設楽原決戦場の絵図。手前の展示台に置かれた火縄銃は、来館者が自由に手に取って、その重さを体感することができるうれしい展示です。
 
2014_09150227
 
 

「火おんどり」の展示コーナーでは武田軍と織田・徳川連合軍における多数の戦没者の霊(れい)を慰なぐさ)めるために、400年前から毎年お盆の日の夜、信玄塚(大塚と小塚)で巨大な松明(たいまつ)を灯(とも)して供養(くよう)するたようになったことが説明されています。
 
2014_09150230
 
 

屋上に出てみました。そこには設楽原の地形が縮尺で表現されていますが、やや分かりにくいのが残念でした。
 
2014_09150236
 
 

手すりに取り付けられた写真パネルと比較しながら実際の場所を確認できるようになっていました。左から、茶臼山の信長本陣、連吾川、馬防柵再現地、宗国の秀吉陣地、丸山激戦地、強右衛門(すねえもん)がのろしを上げた場所(涼み松)。
 
2014_09150233
 
 

反対側には、清井田方面の勝頼戦地本陣、医王寺山の勝頼攻城船本陣、長篠城址、決戦が始まった鳶ヶ巣山(とびがすやま)がありました。
 
2014_09150237
 
 

この記事で紹介したのは多数ある展示品のほんの一部です。館内を一巡して出口へ向かうと、小さな展示室があり、火薬入れと口薬入れが多数展示されていました。ちなみに、口薬(くちぐすり)とは火皿(ひざら)に盛る粒子(りゅうし)の細かい火薬のことです。(続く)

« 東三河の魅力探訪 四谷の千枚田(後編) | トップページ | 東三河の魅力探訪 豊川稲荷(前編) »

旅行・地域」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146335/60453439

この記事へのトラックバック一覧です: 東三河の魅力探訪 設楽原歴史資料館:

« 東三河の魅力探訪 四谷の千枚田(後編) | トップページ | 東三河の魅力探訪 豊川稲荷(前編) »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ