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2014年12月

2014年12月31日 (水)

洛南の紅葉名所 泉涌寺(その3)

泉涌寺の大門を出て、Y字路を孝明天皇陵の方向へ歩きました。
 
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すると、泉涌寺の仏殿に近い場所に大門とは別の出入り口がありました。これを見過ごすとは迂闊(うかつ)でした。
 
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その反対側にこんな看板を見かけました。「弘法大師」の名前がありますから、立ち寄らない訳にはゆきません。石柱に「義士」と「来迎」の文字が見えます。「義士」とは? 「来迎(らいごう)」の意味を調べると、浄土教で人が死ぬ際に一心に念仏すると阿弥陀仏や菩薩が迎えにやってくることをいうそうです。(大辞林)
 
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階段を下りた場所にある「善能寺祥空殿」の案内看板には、『当時は泉涌く寺の塔頭(たっちゅう)で、弘仁14年(823年)弘法大師の開基とされ、境内には日本最初の稲荷大明神が祀られています』とありました。
 
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本堂の前にある大きな岩(三尊石)に文字が刻まれています。俳匠の萩原井泉氏が詠んだ句、『南無観世音 富士はようらく 空に散る』でした。
 
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本堂
 
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その内部には本尊の聖観音菩薩が安置されています。
 
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参道の右手にある稲荷大明神
 
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次いで、「ゆな荒神」と「霊泉 弘法大師独鈷水(とっこすい)」がある「来迎院(らいごういん)」へ向かいました。前方に見えるのは石橋と山門です。先ほど見た石柱にあった「義士」は赤穂義士(大石内蔵助)のことでした。吉良邸(きらてい)討ち入り前の大石内蔵助(くらのすけ)が京都の山科(やましな)に隠遁(いんとん)していたことは良く知られていますが、この地(東山区泉涌寺山内町)に茶室を持っていたのです。
 
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参道の正面に見えるのが荒神堂(こうじんどう)で、左手に本堂(内部は非公開)が見えます。『泉涌寺の塔頭で、藤原信房(のぶふさ)が泉涌寺の第四世・月翁和尚(げつおうおしょう)に帰依(きえ)して一院を興(おこ)したのが始まりと伝えられる。荒神堂に安置されている木造の荒神坐像とその護法神五躯(く)は、いずれも鎌倉時代の一品で、重要文化財に指定されている』と説明されています。
 
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見慣れた弘法大師像
 
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石段の上にある荒神堂(廣福殿)
 
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荒神堂の前で振り返って見た境内
 
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荒神堂へ上がる石段のかたわらに、弘法大師が独鈷(とっこ、密教で用いる法具)をもって穿(う)ったと伝えられる名水・独鈷水がありました。
 
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黒い扉を開けて、長い柄のついた備え付けの柄杓(ひしゃく)で独鈷水を汲(く)むようです。
 
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その手前にあるのが「祈願の御石」です。右手前の岩には「光明真言百万遍供養」と刻まれています。「光明真言」は不空大灌頂光真言(ふくうだいかんぢょうこうしんごん)という密教の真言(真実の言葉)で、「百万遍供養」は念仏を百万遍唱えたこと(この場合は祈願の石を納めた)を記念する念仏塔と思われます。
 
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境内の一角(左手前)に赤穂義士・大石内蔵助(義雄)が建立 した茶室「含翠軒(がんすいけん)」もありますが、時間の制約がありますから元の道に戻りました。そして、なだらかな坂道を上がると、左手に「後堀河天皇観音寺陵」の標識を見つけました。
 
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折れ曲がった階段を上がった場所にそれはありました。
 
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円墳のようです。
 
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(続く)

2014年12月30日 (火)

洛南の紅葉名所 泉涌寺(その2)

楊貴妃(ようきひ)観音堂は美人祈願や良縁成就を願う女性が数多く足を運ぶそうです。
 
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意外に小さなお堂です。その説明書きには、『唐の玄宗皇帝の妃(ひ)、楊太真(ようたいしん)は、楊貴妃の名で知られる絶世の美女であり、2人の愛情の深さは白楽天の「長恨歌」にたたえられている。しかし、その美貌のためにかえって、玄宗の執政と安禄山の乱を予備、当の至徳元年(756年)、妃はその乱によって命を落とした。安禄山が討たれた後、玄宗皇帝は亡き妃の面影を偲(しの)ぶため、香木によってその等身坐像にかたどった聖観音像を作ったと伝えられる。建長7年(1255年)に中国へ渡った湛海(たんかい)は、その像を持ち帰り、泉涌寺に安置したという』とおりました。(堂内は撮影禁止)
 
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砂利が敷き詰められた下り坂の参道を仏殿方向へ歩きました。
 
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泉涌寺のhpには、『当寺は天長年間、弘法大師がこの地に草庵を結び、法輪寺と名付けられたことに由来し、後に仙遊寺と改名された。建保6年(1218年)に、当寺が開山と仰ぐ月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が宇都宮信房からこの聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄2年(1226年)に主要伽藍の完成をみた。その時、寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めた。この泉は今も枯れることなく涌き続けている。開山俊が泉涌寺堂塔伽藍建立の勧縁疏に後鳥羽上皇、後高倉院が賛同され資を寄せられたことは、泉涌寺と皇室の深い縁を感ずる出来事であった。俊示寂の後、応永18年(1411年)10月には後小松天皇から「大興正法国師」の号が贈られ、享保11年(1726年)2月には中御門天皇から「大円覚心照国師」の号を、さらに明治16年(1883年)6月には明治天皇から「月輪大師」の号が贈られている』と由来が説明されています。

 

『仏殿は、寛文8年(1668年)に四代将軍徳川家綱公によって再建された、一重(いちじゅう)もこし付入母屋(いりもや)造り本瓦葺唐様(からよう)建築の代表作であり、違垂木(ちがいたるき)や釘・土を使わない工法に特色をみることができる。本尊は、鎌倉時代の代表的な仏師「運慶」柵の「三世三尊像」と呼ばれ、左の阿弥陀如来(あみだにょらい)は現在、中央の釈迦如来(しゃかにょらい)は過去、右の弥勒菩薩(みろくぼさつ)は未来の守護神として、三世にわたって人類の平和と幸福を祈念している。堂内の鏡天井には雄壮な蟠龍が、また三尊仏背壁には飛天、裏堂壁には白衣観音像が描かれているが、いずれも狩野探幽筆である』と案内看板に説明されています。
 
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仏殿の奥にある舎利殿の横手には泉湧水屋形(せんにゅうすいやかた)がありました。『泉涌寺の名の由来となった清い水を覆う屋形水屋形で、寛文8年(1668年)に再建された。や念は入母屋造、こけら葺で、正面は桟唐戸(さんからと)で上部に欄間(らんま)があり、屋根には軒唐破風(のきからはふ)を付けた優雅な意匠(いしょう)のたてものである。内部は別所如閑(べっしょにゅかん)筆の蟠龍図(ばんりゅうず)のある鏡天井となっている。京都府指定文化財』と説明されています。
 
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屋形前の水路
 
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泉湧水屋形の右手には「四條天皇外二十四方御陵参道」と刻まれた石柱があります。
 
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そして、その先には時代を感じさせる石段が続いていました。
 
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屋形の左手にある池に湧水が流れ込んでいるようです。
 
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舎利殿の奥にある霊明殿は明治15年(1882年)に炎上後、同17年明治天皇によって再建された尊牌殿で、入母屋造り桧皮葺き、外観は宸殿風の建物です。
 
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これは皇族の方や天皇の勅使が寺を訪れた時に開かれる「勅使門」です。
 
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泉涌寺本坊へ向かいました。門の前に大門前にもあったパネルがありました。”KAN-HIKARI ART EXPO 2014”と表示されています。
 
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門を潜ると、石庭に前衛的なオブジェが置かれていました。
 
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右手には勅使門の奥にある「本坊御座所(ほんぼうござしょ)」が塀越しに見えます。明治天皇が京都御所内にある皇后宮の御里御殿(おさとごてん、1818年造営)を移築されたものです。
 
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本坊御座所とその中庭を見学するため社務所に入ります。特別拝観料は大人300円。御座所には「玉座の間」「皇族の間」「勅使(ちょくし)の間」」「門跡の間」「侍従の間」「女官の間」「女中の間」「侍の間」と8つの部屋がありますが、残念なことに建物内は写真撮影ができません。
 
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本坊御座所の中庭では、カエデが赤く染まり、雅な雰囲気を醸し出しています。
 
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(続く)

2014年12月29日 (月)

洛南の紅葉名所 泉涌寺(その1)

洛南の紅葉名所」の記事に戻ります。東福寺の境内を出て、東福寺交差点から九条通りに出ました。両側の歩道にイチョウ並木が続いています。
 
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泉涌寺道(せんにゅうじみち)交差点に到着
 
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歩道上に「泉山御陵参道」の石柱と「いまくまの観音寺」の案内看板が立っています。泉涌寺(せんにゅうじ)へ向かうルートはこちらのようです。
 
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立派なガードレールが設置された一直線の道が続きます。
 
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赤い実は南天かと思いましたが、実の付き方と葉の形状から千両のようです。
 
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柿の実がたわわに実っています。
 
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光明山即成院(そくじょういん)は真言宗泉涌寺派の寺です。
 
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総門には「御寺泉涌寺」の名前が見えます。西国第十五番札所の立て看板があるのは真言宗泉涌寺派の新那智山今熊野観音寺(しんなちさん いまくまのかんのんじ)のことを指しています。
 
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泉涌寺の案内図には広大な境内にある伽藍(がらん)の様子が説明されています。
 
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参道が続きます。
 
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泉山法音院は京都七福神七番寿老人で、洛陽観音第二十五番霊場です。ちなみに、洛陽(らくよう)は中国河南省の都市で漢代以降の首都ですが、この場合は京都(平安京の左京)の異称。そして、平安京の右京は長安(現在の陝西省西安市)とも呼ばれます。
 
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準別格本山の戒光寺(かいこうじ)は泉涌寺の塔頭(たっちゅう)のひとつです。運慶湛慶父子の大作である重要文化財の釈迦如来(鎌倉時代)は高さが10mもある木彫の大仏だと説明されていますので、参拝することにしました。
 
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本堂の外観
 
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下足処を通って入った本堂の中は残念ながら撮影禁止でした。宋風をおびた極彩色の木像は、身の丈は約5.4m、台座から後背部を入れると約10mにもなり、仏画から抜け出してきたような大仏は本堂の屋根まで届くかと思わせる大きさでした。
 
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新善光寺の石柱には「後嵯峨院勅願道場」とありました。ちなみに、後嵯峨院は鎌倉時代の天皇です。
 
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参道はさらに続きます。
 
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西国三十三所観音霊場の十五番札所の今熊野観音寺には帰路に立ち寄ることにします。
 
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Y字路に差し掛かりました。右手の道が泉涌寺方面で、左手が孝明天皇陵・英照皇太后・四條天皇陵へ向かう参道でした。
 
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真言宗泉涌寺派総本山「御寺 泉涌寺」(みてら せんにゅうじ)の大門に到着しました。この寺は皇室と関係が深く、古来より御寺(みてら)と呼ばれているそうです。ちなみに、伽藍を参拝する料金は大人500円。
 
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先ず、右手にある泉涌寺の別格本山の雲龍院(うんりゅういん)を訪ねようと考えましたが、かなり回り道になる上、別途拝観料(400円)がかかるため断念し、反対側にある楊貴妃(ようきひ)観音堂と心照殿へ向かうことにしました。下り坂の参道の先に見えるのは仏殿です。
 
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(続く)

2014年12月27日 (土)

臺灣縦断超速美食紀行 九份の路地巡り(終)

階段を下りきりました。「臺陽七番坑」まで700mもあるようです。
 
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階段の左手に「五番坑」跡を見つけました。
 
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説明看板には「臺(台)陽五番坑」が昭和10年(1935年)に採鉱が開始され当時のことが詳しく書かれていました。
 
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ここからも海がよく見え、右手には展望台があるようです。
 
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降りてきた階段を戻って
さらに先へと歩くと、「樹木窟人文茶堂」前の坂道の先には「金山佛堂」がありました。「佛堂」は神仏を祀(まつ)る建物です。この辺(あたり)が「基山街」の外(はず)れで、この先には「頌徳公園」しかないようですから、引き返すことにします。
 
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「賢崎路」との交差点まで戻って、階段を上に上がってみました。「黒金賛花」という店の看板にある「第一名的花生」は最高の落花生(らっかせい)という意味です。
 
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「泥人呉」はお面のギャラリー。入館料は大人50元(約180円)と表示されています。
 
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「九份阿理厨坊(ありちゅうふぁん)」は台湾料理店のようです。
 
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階段を上り切ると小学校がありました。
 
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その近くにあった九份のガイドマップ
 
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「基山街」の商店を見ながらバスへ戻ることにしました。この「賴阿婆芋圓(らいあーぽぅゆぃえん」は芋圓(タロイモ団子)を売る店
 
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烏魚子(からすみ)と「台湾角色」という精製酒を売る店です。ちなみに、「角色」はそれぞれの人に割り当てられた役割を意味する言葉ですが、英語では”life style”と表記しています。
 
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「九份掌怪書廊」も花文字屋さんですが、九份で一番人気があるスポットなのだそうです。ちなみに、花文字で書かれた書は幸運を呼ぶと言われているようです。ちなみに、料金は2文字が250元、4文字が400元。
 
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「鮮爆蝦餅」はインパクトのある名称ですが、英語で”Fresh Prawn Biscuit”と表記されているように海老煎餅(えびせんべい)のことです。「鮮爆」の「爆」は「破裂する」ことを意味しますが・・。調べてみると、爆発するような音をたてて出来上がることを指しているようです。
 
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「現打果汁」は「現」(目の前)で「打」(絞って)くれる「生ジュース」
 
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「海之味 現燒翡翠螺」は「現」(目の前)で焼いてくれる「ミドリガイ」です。
 
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路地巡りの出発点となったセブンイレブンの近くにある展望台から見た景色
 
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「海岸線景観(海岸線の景観)」には、九份の「頌徳山(中:そんでしゃん、日:しょうとさん)く」と「頌徳公園」、台北市郊外(北方向)に位置する「大屯(中:だーとぅん、日:だいとん)火山群」、新北市万里区にある「野柳岬(中:いえりうじあ、日:やりゅうみさき)」、基隆市中正区にある「基隆港」「和平島(中:へぴんだお、日:わへいじま)」「八斗子(中:ばどうじ、日:はちとうし)」および「望海巷(わんはいはん)」、新北市の「深澳港(中:しぇんあおがん、日:しんおうこう)」と「蕃仔澳(中:ふぁんざいあお)」、基隆港に入港する船の目印となる島である「基隆嶼(中:きーるんゆ)」、「東海」(東シナ海)の場所が表示されていました。ちなみに、「澳(あお)」は入り江または沖のことです。そして、「嶼」は小さな島のことですが、「島嶼(とうしょ)」とすれば、大小さまざまな島の集まりを意味します。
 
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1時間半ほど滞在した九份を出発して、いよいよ台北へ戻ります。駈け足だった今回の台湾周遊旅行は、すべてのハイライトスポットに立ち寄り終えましたので、後は帰国するだけになりました。このタイミングで最後の小休止を入れることにします。(続く)

2014年12月26日 (金)

臺灣縦断超速美食紀行 九份の路地巡り(その3)

「阿妹茶楼」を出ると、道の反対側にこんな銅像を見かけました。金山の工夫が鉱石を運ぶ様子を表現しているようです。
 
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「賢崎路」を戻ることにしました。
 
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途中に「芋仔藩薯」と表示された洞窟(どうくつ)の入口を見つけました。壁一面が人の名前らしき落書きで埋め尽くされていますが、なんと台湾田舎料理店へ通じる路地でした。そして、その隣にある「穿屋巷」とは、漢字が示す通り、建物に通した細い道のことです。
 
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興味津々の同行者は洞窟風の路地に入って行きます。
 
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こちらは花文字の店「騰龍閣書廊」
 
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交差点で「基山街」に入りました。さっそく、同行者は雑貨店を覗(のぞ)きました。
 
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店先に並べられた猫の玩具(おもちゃ)のようなものはマッサージに使う道具で、”Massage”と「按摩(あんま)」の言葉が併記された説明書きが見えます。
 
 
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同行者は気に入ったようで、こんなに買い込みました。
 
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故宮博物院で実物を見た「翠玉白菜」(すいぎょくはくさい)の携帯ストラップも物色しています。
 
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向かいの店は「九份茶坊(ちゃふぁん)」です。私はこちらの店内もちょっと覗のぞ)いてみました。
 
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その先には新しい店舗が目立ちます。
 
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「基山街」をさらに進むと視界が開けました。
 
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左手に折れた先にはいろいろありそうです。
 
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五番坑はさらに先のようです。
 
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「金山岩」と書かれた額が掛かる小さな祠(ほこら)の内部
 
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海の景色が開けました。すぐ下には「九份金鉱博物館」の看板が見えます。
 
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「昔日滔(とう)金採砿(鉱)五番坑」の看板を掲げる建物は、「今日築夢留宿公園堡」の看板があるように現在は五番坑公園堡(事務所)になっているようです。
 
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五番坑跡(金鉱)へと急な階段を下りてみました。
 
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(続く)

2014年12月25日 (木)

臺灣縦断超速美食紀行 九份の路地巡り(その2)

幸運なことに最前列のテラス席に案内されました。
 
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お茶と茶菓子(お茶請け)のセット(1人300元、約1000円)を前払いで申し込むと、店員が入れ方を教えてくれました。まず七輪(ひちりん)風の焜炉(こんろ)に載せた薬缶(やかん)で沸かしたお湯を急須(きゅうす)に注(そそ)ぎます。これは急須(茶壺)を温めるためですから、入れたお湯は茶海(大きめの容器)に移し、さらに茶杯(茶碗)に移してすべての茶器を温めてから捨てます。
 
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これが器に入れられた烏龍茶(うーろんちゃ)の茶葉です。日本の茶葉とは違う形状をしています。
 
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茶壺(ちゃつぼ)に茶葉を入れます。薬缶(やかん)のお湯を茶壺に少し注ぎ、蓋(ふた)をしてから、ただちに最後の一滴まで捨てます。この洗茶は茶葉の表面にある汚れや残留農薬などを落とすとともに、落とし、茶葉を柔らかく広げるために必要なプロセスだそうです。そうしてもう一度、薬缶のお湯を高い場所から茶壺に、勢いよく、たっぷりと(溢れるほど)注ぎます。約1分待ってから、茶壺の蓋(ふた)を抑えながら、茶壺の注ぎ口周辺を茶海の中へ入れました。
 
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これを茶杯に静かに注げば、美しいお茶の出来上がりです。
 
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茶壺にもう一度お湯を注ぎ、15秒ほど長めに蒸(む)らすと、やや色の濃いお茶が出来上がりました。
 
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茶杯に似たこの長細い器は聞香杯(中:うぇんしゃんぺい、日:もんこうはい)です。お茶を飲む茶杯との形状の違いは上記写真を参照してください。最初の一杯を茶杯に注ぐ前に、この聞香杯に注ぎ、その上に茶杯を被(かぶ)せてから上下を180度ひっくり返し、茶が無くなった聞香杯で茶の香りを楽しむのだそうです。
 
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茶杯に移したお茶を飲みながら、美味しいお茶請(ちゃう)けを愉(たの)しみました。
 
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茶壺のお湯をしっかり出し切ります。
 
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これは1回目に使用した茶殻(ちゃがら)
 
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薬缶(やかん)、というより鉄瓶(てつびん)に入ったお湯は冷めないように七輪の焜炉で温めています。
 
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店員から教えられた作法で同行者がお茶を入れてみることになり、まず茶器をお湯で温めてから、新しい茶葉を茶壺に入れました。
 
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洗茶のプロセスのあと、お湯をたっぷり急須に注ぎます。
 
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溢(あふれ)れるお湯で一分間の蒸(むら)らしプロセスに入りました。茶壺にお湯をかけても良いそうです。ところで、蓋をする前に灰汁(あく)を取りましたか?
 
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茶壺を横倒しにして、一気にお茶を茶海に注ぎます。
 
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茶海のお茶を茶杯へ静かに注ぎます。
 
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お茶が入りました。
 
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3回目の茶葉でお茶を入れて30分が経過したところで茶会を終えることにしました。茶葉がある限り、お茶は飲み放題ですが、このメニューのお茶は持ち帰るほどでもありませんから、残った茶葉はそのままにしました。
 
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(続く)

2014年12月24日 (水)

臺灣縦断超速美食紀行 九份の路地巡り(その1)

九份基隆山(海抜588m)の山腹に中国寺院が見えます。
 
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かなり高い場所に達しました。
 
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傾斜地に建物が並んでいます。九份(台湾語:かうふん、中国語:じおうふぇん、日本語:きゅうふん)の集落でしょうか。飛行機雲が2本見えますが、雲行きが怪しいことが気にかかります。ちなみに、「份」は「分」と同じ意味で、九份の地名は開墾した土地を九人で分けたことに由来するそうです。
 
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かなり遠くまで見渡せるようになりました。手前に別の中国寺院も。
 
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ズームアップして見た海岸線です。白いニールセンローゼ橋(上方へ弓なりなったアーチ橋)が本土との間に架かる和平島の左手に基隆港(中:きーるんがん、日:きーるんこう)があるはずです。
 
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九份観光の入口(目印)であるセブンイレブンがありました。その右手に見えるのが目抜き通りの一つ、「基山街(じーしゃんじえ)」の入口です。
 
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さっそく、狭い路地である基山街に入りました。赤い提灯が無数に下げられて、半世紀以上前の時代にタイムスリップしたような雰囲気に包まれています。右側には「銅鋼焼 冰淇淋 アイスクリーム入りドラ焼き」と書かれた旗が・・。ちなみに、「銅鋼焼」は銅板で焼く紅豆餅(今川焼)であり、「冰淇淋(びんきーりん)」は冰(アイス)と淇淋(クリーム)を組み合わせた言葉です。
 
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まだ午前9時前のためか、シャッターを下ろしている店が多いようです。左手は最高級の高山茶「梨山茶(りしゃんちゃ)」を売るお茶屋で、右手は上の写真の店と同様、手軽に食べられる「紅豆餅(ほんどうぴん)」を提供するファストフード店です。ちなみに、梨山は日月潭(にちげつたん)や埔里(ほり)に近い高地(標高約2800m)で、「紅豆餅」は日本で今川焼あるいは回転焼と呼ばれるファストフード、そして「紅豆」は小豆(あずき)のこと。
 
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この老舗店「阿蘭」で販売している「草仔粿(しゃおじか)」は緑色の外観から草餅(くさもち)かと思いましたが、餅の中身は小豆餡ではなく、写真の左端の鹹菜(高菜)をはじめ、鹹緑豆(しょっぱい緑豆餡)・甜紅豆(小豆餡)・干しエビと切干しダイコン入り(菜蒲)の4種類揃っています。右端に並ぶ白っぽい方が「芋粿(ゆか)」で、タロイモが入った餅のようで、いずれも点心(てんしん)と呼んでも良さそう軽食です。ちなみに、米偏に果を組み合わせた「粿」は白くついた米を意味するそうです。
 
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「基山街」から「豎崎路(スーチールー)」へ右折すると、下り階段になりましたが、赤い提灯はまだ続いています。
 
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赤い提灯には「黄金之郷」「九份山城」「戯夢人生」など様々な言葉が書かれています。人ごみの先をよく見ると、前方に「阿妹茶楼(中:あめいちゃ、日:あめちゃろう)」と書かれた看板が見えます。
 
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その店先には「千と千尋の神隠し 湯婆婆(ゆばあば)の屋敷」と日中両国語で書かれています。
 
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日本人観光客を意識したのでしょうが、ジブリは否定しているようですから、目くじらを立てないことにしましょう。そう言えば、四万温泉の「積善館」と道後温泉の「道後温泉本館」でも同じことを見ています。
 
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「非情城市」の名前も表示されています。本省人(戦前からの台湾居住者)と権力を握った外省人(戦後移住した大陸出身者、つまり国民党)が終戦直後(1947年)に台北市で起こった2.28事件を発端に台湾全土へ広がった騒乱をテーマとして九份を舞台とした映画「非情城市(中:べいきんせんし、日本:ひようじょうし)」(1989年公開、同年ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞)のことを指しています。ちなみに、「非情城市」は残忍(非人道的)な都市(地区)といった意味です。
 
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「阿妹茶楼」に入ることにしました。(門先を振り返って撮影)
 
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もう春の到来をまっているようです。
 
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「阿妹茶楼 WELCOM a-mei teahouse」と書かれた歓迎用パネルの前を通り過ぎた2階の左手にはテラス席の茶藝館(茶を入れる作法・手順を体験する場所)があり、そして併設されたレストランの「阿妹茶酒館」はもう少し上がった右手にあるようです。
 
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テラス席から見た景色
 
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左手には九份の町(中心部)が左手に広がっています。
 
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左隣のは同じ茶芸館の「景観茶坊」と「海悦楼茶坊」があります。
 
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海岸と反対側を振り返ると、阿妹茶楼の上の階はまったく違う印象です。
 
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(続く)

2014年12月23日 (火)

臺灣縦断超速美食紀行 台北市から九份へ

洛碁松江大飯店は松江路と建国北路の交差するところ(新生公園の筋向い)にあり、建国高架道路がすぐ横を通っています。
 
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敷地の関係で楔形(くさびがた)をしており、入口は松江路河にあり、丸くなった先端部にカフェテリアが配置されていました。
 
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入口は松江路側にあります。
 
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こちらは1階にあるフロント
 
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客室は明るくて清潔感がありますが、窓が小さく、やや手狭です。
 
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自室から見た建国高架道路
 
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同じくグランド台北圓山大飯店
 
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朝食は1階のカフェテリアです。
 
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バイキングの品数はかなり揃(そろ)っていました。
 
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同行者が食べた朝食です。
 
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私は台湾粥(かゆ)も選びました。
 
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ホテルの出発時間は午前8時過ぎとやや早めです。というのは、この日は半日で約30km離れた新北(しんぺい、しんぼく)市瑞芳(るいふぁん、ずいほう)区にある観光地の九份(じうふぇん、きゅうふん)を往復することになっているからです。中山高速公路(国道1号)を東進して山間に入りました。
 
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国道62号にそれ、瑞芳ICを出て、一般道で九份へ向かいようです。
 
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日黄金博物園区(公園)があるようです。日本の統治時代に鉱山(炭鉱・金鉱)があったこの地(瑞芳区金瓜石)に建てられた博物館です。
 
 
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基隆川沿いの道を進みます。

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その横には鉄道が走っています。台北駅から九份に近い瑞芳駅を経由し、東海岸の港町である花蓮駅方面へと伸びる台湾鐵路(台鐵)の東部幹線、宣蘭(ぎらん)線と北廻(ほくがい)線でしょう。
 
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太平洋に面した基隆市瑞芳区の海岸に沿って伸びる国道2号に入り、深澳港(中国語:しぇんあおがん、日本語:しんおうこう)付近で内陸へ向かう道に入りました。
 
  
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(続く)

2014年12月22日 (月)

臺灣縦断超速美食紀行 台北市の鼎泰豊で点心(小龍包)を楽しむ

台北の市街地へ戻りました。遠くに見える高層ビルは「台北101」のようです。
 
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台北の新交通システム(MRT淡水線)の中山駅と新生高架道路に近い長春路(ちゃんちゅんる)90号にある土産物店の「金龍芸品」でショッピングをするようです。土産物はこれまでに十分購入しましたから、ショッピングをパスしました。
 
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夕食は点心(特に小龍包)の名店である「鼎泰豊(でぃんたいふぉん)」(信義本店)です。MRTの信義線東門駅の近く、信義路路二段194号にありました。日本には東京を始めとする10数店舗を展開しているようです。台北のランドマークである台北101(信義路五段)が長春路の少し先(東方向)に見えます。ちなみに、高さが約509mで、地上101階、地下5階からなり、完成した2004年時点では世界で一番高い建物でした。
 
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ズームアップしました。
 
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午後5時前というのに店の入口付近は大変な混雑
 
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こちらが写真入りのメニューです。点心(てんしん)は中華料理の一つであり、菜(中華料理の主菜)と湯(中華スープ)以外のものを言います。通常は蒸し器である中華蒸篭(せいろ)で加熱調理され、そのまま客席に配膳されることが多いのです。そして、点心の一種である小籠包(しょうろんぽう)は、豚の挽肉を薄い小麦粉の皮で包んで蒸籠蒸しした包子であり、特徴として薄皮の中に具と共に熱いスープが包まれている。
 
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狭い階段を上がりました。「禮貌天使」とは禮貌(礼、感謝の気持ち表す表情)が美しく優しい女性という意味です。英語では”Best Manner”と表現しています。小龍包が美味しい上に従業員のサービス(若さと美貌も)を重視しているのでしょう。
 
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個室に案内されました。テーブルには10人以上の食器が並んでいて、かなり窮屈(きゅうくつ)です。
 
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先付けは「青菜の炒(いた)めにんにく風味」と「萌(も)やし」(手前の皿)、そして定番の「生姜(しょうが)の千切り」(左上の小皿)
 
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「野菜・豚肉入り蒸し餃子(ぎょうざ)」と「海老・豚肉入り焼売(しゅーまい)」が配膳されました。私が選んだ飲み物はもちろん台湾啤酒(ぴーじう、ビール)です。
 
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「小龍包」と「海老・豚肉入り蒸し餃子」が椀子(わんこ)蕎麦のように次々と加わって、取り皿の上が空になることはありません。
   
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蟹味噌(かにみそ)入り小籠包と帆立(ほたて)入り小籠包、そして酸味があるスープの「サンラータン」(酸辣湯)も配膳されました。
 
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そして、〆(しめ)として餡子(あんこ)入り小籠包と炒飯(ちゃーはん)も。
 
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店の外に出ると、先ほどは夕闇に包まれ始めていた台北101がライトアップされていました。
 
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台湾で最後に宿泊するホテルはこの日の午前中に「大山茶芸」に立ち寄る時にすぐ近くで見かけた洛碁松江大飯店(グリーン・ワールド・ソンジャン・ホテル)です。国内路線専用の台北松江(そんじゃん)空港の近くです。(続く)

2014年12月21日 (日)

臺灣縦断超速美食紀行 台北市の忠烈祠

忠烈祠(じゅんりえつぃー、ちゅうれつし)にも立ち寄りました。大門には「忠烈祠」の名前を中心に、「成仁」と「取義」の文字が見えます。「仁(じん)を成(な)す」(孔子の言葉)とは一身を犠牲にすることであり、「取義」(孟子の言葉)は道理や正義を取ることを意味します。
 
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大門の先には中央広場があり、その奥にある中国様式(北京の紫禁城がモデル)の大殿は辛亥(しんがい)革命を始めとする中華民国建国や中国大陸での抗日戦争などで殉じた33万の英霊を祀る祠です。ロンドンのバッキンガム宮殿と同様に衛兵(儀杖兵)の交代が行われることで有名な場所で、30年ほど前にも訪れたことがあります。
 
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山門を潜(くぐ)ると大殿前の広場に出ました。大門から行進した5名の衛兵(えいへい)たちが大殿に到着したところのようです。陸海空軍の精鋭兵士の中から選抜された人たちだけが衛兵になれるとガイドさんから聞きました。身長と容姿も重要な選抜基準のようです。
 
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警護の任務に就いていた衛兵2名と合流して、計7名の衛兵たちが殿内の位牌に向かい敬礼をしています。
 
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銃を交換したり、銃を振り回したりする儀式を行っています。
 
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両端で台に載っているのはこれから警護の任務に当たる衛兵のようです。
 
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大殿を警護する2名の衛兵を残して、5名の衛兵たちが大殿の階段を下ります。
 
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前方をしっかり見つめながら観光客の前を山門の方向へ独特のステップで行進して行きます。
 
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そして、衛兵たちが山門を通過します。
 
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忠烈祠大殿の内部
 
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大殿の前に直立不動で立つ衛兵
 
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行進する衛兵たちの後を追うことにしました。山門の壁には、『386平米の面積と14mの高さを持つ山門は鉄筋コンクリートの建物で、琉璃瓦の屋根と中国様式の彩天井に特徴がある中国古代の宮殿様式に倣ったもの』との説明文とともに、中華民国の国旗を掲げた漢人たちが北方民族(満州族)が建国して中国とモンゴルを支配していた清国(清王朝)の兵隊を追う辛亥(しんがい)革命の様子を描いたレリーフが掛けられていました。
 
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衛兵たちは大門へと向かいます。
 
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大門の外から見た衛兵たち
 
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わずか20分ほどの滞在でしたが、1時間ごとに約20分間行われる衛兵の交代をタイミングよく、儀式のほとんどを見ることができました。駐車場のバスに乗車して次の目的地へ向かいました。(続く)

2014年12月20日 (土)

臺灣縦断超速美食紀行 台北市で中国茶と郷土料理、そして故宮博物院を愉しむ(後編)

お茶の試飲と買い物のあとはやや遅めの昼食です。向かったのは「大山茶芸」から南西方向へ直線距離で約2km、台北駅に近い(南京東路と林森北路の交差点付近)「梅子餐廳(めいずちゃーんてーん、うめこさんちょう)」です。
 
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「梅子餐廳」は地下1階にありました。螺旋階段で降りるようです。
 
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階下には魚・蟹・貝などが入れられた大きな水槽がある広々とした空間が広がっていました。1つのテーブルに12人分の食器が用意されていて、台湾の郷土料理を提供する店のようです。
 
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菜脯蛋(切り干し大根の卵焼き)を肴(さかな)に台湾ビールを飲みました。焦(こ)げ目の入った黄金色の卵焼きには切り干し大根とネギがたっぷり入っていて、切り干し大根の歯ごたえとフワフワの卵の組み合わせが抜群です。
 
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五香滷肉(豚肉の角煮)は、肉質が軟らかく脂身もくどくなく、口に入れるととろけるようで、タレと豚肉の脂が絡み合っています。
 
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スズキの尾頭付き煮付けはさっぱりした味付けです。
 
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鶏肉とイカボール揚(あ)げ
 
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豆腐と野菜の炒(いた)め物

 
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麻婆豆腐(まーぼーどうふ)とすり身のボールが続きます。各一品は少量ですが、全体では結構なボリュームがありました。
 
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昼食を終えた午後2時過ぎに、台北市の北部へ向かい、淡水河の支流である基隆河(じーるんほー、きーるんが)に沿って西進します。
 
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中山北路四段へと右折すると、左手に迎賓館的な存在である名門ホテルのグランド台北圓山大飯店が見えました。Y字路を右手方向へ進みます。
 
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北安路を進んで忠烈祠(つぉんりえつー、ちゅうれつし)前を通過
 
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国立故宮博物院に到着しました。
 
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広いホールには「博愛」の額と銅像がありました。もちろん孫文像です。孫文を尊敬する私は南京の中山陵と明石の孫文記念館を訪れています。
 
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ホールは大変な混雑です。
 
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「集合休息區(区)」は団体客の集合・待合エリア
 
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エスカレーターで展示室がある2階へ上がりました。この先にある展示室は残念ながら撮影禁止です。
 
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約60万点ともいわれる古代中国(周・唐・漢・宋・明・清など)の人工品および美術品を所蔵する故宮博物院は、2階にある書のコーナーが大変な混雑のためパスし、主として3階を見学しました。「翠玉白菜」(すいぎょくはくさい)や「彫象牙龍船」など多数の美術品を鑑賞することができました。ちなみに、「翠玉白菜」は翠玉(エメラルド、翡翠)を虫がとまった白菜(はくさい)の形に彫刻した清代の美術品(高さ19cm)で、「彫象牙龍船」は象牙を龍型の船に模して彫刻した清代の美術品です。一方、さまざまな書方を学び、それらを融合させた一派をなした万世の宗師であると讃(たた)えられる王羲之(おうぎし)の書を2階で見られなかったことは残念です。またの機会に再訪したいと思います。
(続く)

2014年12月19日 (金)

臺灣縦断超速美食紀行 台北市で中国茶と郷土料理、そして故宮博物院を愉しむ(前編)

桃園(たおゆあん)空港へ向かう国道2号(Airport Line)との分岐点が近づきました。直前に通り雨のような小雨が降ったためフロントガラス(ウインドシールド)に水滴が残っています。
 
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Airport System IC
を通過
 
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いつのまにか高架レーンから平面(地上)の本線に移動していました。
 
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台北へ向かうには平面(Ground Level)の本線を利用する必要があったのです。「三重」(さんちょんは)は台北の手前にある新北市三重区で、「汐止」(しじ)は同市汐止区を、「環河北路」(ふあんふぇぺいる)は台北市の道路を指します。
 
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淡水河(だんしゅいへ)を渡ったった台北ICで高速道路1(中山高速公路)から一般道へ出ました。台中から約3時間のバス旅です。
 
 
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台北市区(市内)へ向かいます。
 
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重慶北路を南下します。台北市の中心部に近い道路も混雑しています。
 
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中山足球(サッカー)場と中山美術館の脇に伸びる民族西路と民族東路で東へ向かい、松江路に入って、バスは止まりました。右手には建国高架道路が、左手には洛碁松江(るおきそんじあん)大飯店が確認できます。次の目的地まで歩くようです。
 
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大山茶藝(芸)に入るようです。
 
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入口を入った場所に祀られた木彫像
 
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台湾のお茶を売るこの店では「お茶セミナー」が開催されるとの説明を受けました。
 
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年配(82歳と自己紹介)の女性が中国風アクセントのある流暢な日本語で実演を始めました。テレビショッピングよろしく、健康ブームが沸騰する日本の話題を巧みに織り込んで、参加者に様々なお茶を試飲させました。先ずはお茶請けの蜂蜜蓮実とドライマンゴーの味見から始まりました。次いで、お茶の試飲へ移行し、烏龍茶(うーろんちゃ)の煎(い)れ方、飲み方、選び方を教えてくれます。
 
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最初は冷たい烏龍茶を一気に飲むように言われました。熱中症対策になるのだそうです。
次いで暑い高山烏龍茶をゆっくりと。
 
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次いで、注がれた阿里山の高山烏龍茶はまた違う味です。そして、カテキンが多いと言われる黒烏龍茶も。
 

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高山烏龍茶と日月潭烏龍茶、私の好きなプーアール茶、および「金艶四芳」と表示された美人になるという「東方美人」(300g)の缶も並びました。最後に、商品の特徴を総括(まとめ)を要領よく行ったのは卓越しブレゼンターの本領発揮でした。人前で話をすることが多い私には大いに参考となりました。
 
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実演のあとは店員さんに勧められるまま、定番の「高山烏龍茶」(150g、2700円相当)と小さい「東方美人」(300g、1700円)、そして写真右上の「黒烏龍茶」(150g、3400円相当)を購入しました。
   
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私が気に入った黒烏龍茶の説明文を「大山茶芸」の日本語hpから引用します。
 
『黒烏龍茶にはカテキン、カリウム、ビタミン、ミネラルが豊富に含まれ、健康面で様々な効果をもたらしてくれるお茶です。カテキンの抗がん作用、カリウムの抗酸化作用も注目を集めていますが、黒烏龍茶の特に顕著な働きが、脂肪の分解を促進し、肥満を解消するということです。これは、カテキンによる脂肪がつきにくくなるという作用と、黒烏龍茶を発酵させるときに使用される「黒麹菌」が、脂肪の分解を促すリパーゼという体内酵素を活発化させるためです』

 
(続く)

2014年12月18日 (木)

臺灣縦断超速美食紀行 台北市へ

健行路(じあんしんる)を200mほど走った交差点を右折して入った崇徳路(ちょんでる)一段(第1区)を北上して北区に入り、中央にグリーンベルトがある太原路(たいゆあんる)二段(第2区)を横切りました。
 
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次いで崇徳路(ちょんでる)二段(第2区)に入りました。
 
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中清路(ぞんきんる)から中山高速公路(ぞんしゃんがおすごんる、国道1号)に入ります。
 
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台中市和平(へぴん)区を流れる大甲溪(だじあし、だいこうけい)に架かる橋を渡ります。
 
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左前方の山にできた崖崩れ(地滑り)跡が痛々しい
 
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国道3号(第二高速公路)とのJCT が近づきました。
 
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IT都市である新竹市では高層アパート群が建設されています。
 
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高雄市の記事で紹介したように住宅の屋根に水道タンクが並んでいます。
 
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新竹市にある湖口(ふこう)服務区(湖口サービスエリア)に入ります。
 
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サービスエリアの建物
 
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「加油站」はサービスステーション(ガソリンスタンドは和製英語、英語は"Gas Station")です。ちなみに、「加油」は中国語で文字通りの「給油」と「頑張る」と2通りの意味があり、「站」は「駅または官庁」を指します。日本語では兵站(へいたん)の言葉に使われ、戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また、実施する活動を指す用語です。
 
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バイオリンを弾くストリートミュージシャン
 
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昔懐かしい輪(りん)タク
 
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「高速道路用電子料金徴収所」のサービスを停止する案内です。民国暦103年(2014年)7月23日に料金所サービスを停止、同104年(2015年)12月31日には料金所設備を廃するというものです。
 
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つまり、これまではETCカードを使ってインターチェンジを通過するたびに40台湾元を徴収するシステムから、“eTag”(フロントガラスに貼る小型ラベル)を利用する計程收費(距離別料金)へ昨年12月30日に移行することを説明しています。日本などETCを利用する国々では、距離別料金が当たり前のようですが、実際には定額料金の区間もあります。台湾が世界で最初に完全距離別料金を始めたことになるようです。

 

「科技」は科学技術のことで、中国(たいわん)の会社名によく付けられています。台湾高美可(KoMiCo)科技は営業支援分野で世界をリードする米国のIT企業Salesforce.com社のグループ会社で、欣銓科技(Ardentec)社は半導体をテストする台湾企業です。
 
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台湾新幹線の高架が中山高速公路(国道1号)の上を横切っています。
 
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片側3車線の地上レベルの本線と並行して片側2車線の高架がありました。まるでアメリカのハイウエイのようです。
 
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桃園(たおゆあん、とうえん)縣(県)平鎮(Ping Zhen、ぴんぜん)市にある国道66号と交差する平鎮(Ping Zhen、へいちん)JCT付近で撮影しました。
   
 

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(続く)

2014年12月17日 (水)

臺灣縦断超速美食紀行 台中市の寶覺寺

健行路(じあんしんる)140號(号)にある寶覺寺(ばおじゅえすー、ほうがくじ)に到着しました。日本が統治していた時代(1927年)に開かれた寺院です。
 
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門を潜(くぐ)ると、正面にやや右方向を向いた純白の建物の手前には象の石像が控えていて仏教寺院の雰囲気があります。正式名称は「寶覺禪寺」(臨済宗宝覚禅寺)のようです。台湾中部大震災によって被害を受けた日本式の本堂を保護するため、1999年に追加建設された中国式の巨大な建物に収容されています。
 
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黄金に輝く釈迦牟尼(しゃかむに)佛・薬師佛・阿弥陀佛は三寶佛(宝仏)とも呼ばれます。釈迦牟尼佛(釈迦如来)はお釈迦様。釈迦牟尼佛の手前には小さな弥勒菩薩(みろくぼさつ、布袋さん)も祀(まつ)られていました。ちなみに、大雄寶殿は本堂を意味します。
 
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左手に薬壺(やっこ)を持つ薬師佛(薬師如来)は東方淨琉璃世界を支配し、人々の心身の病を癒し、苦痛を取り除く仏様。
 
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阿弥陀佛(阿弥陀如来)は西方極樂世界を支配する仏で、人々を極楽へ導き、苦難の輪廻(りんね)から解放する仏様。
 
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左手横には中国風の武将形天像
 
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右手横にも武将形天像
 
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本堂を出たところ(塀の手前)に常香炉(じょうこうろ)のようなものがありました。
 
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境内の右手方向へ歩くと、日本語の句碑が立っていました。「菩提樹(ぼだいじゅ)の花に微笑(ほほえ)む弥勒像(みろくぞう) 岳水」 と刻まれています。 
 
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白い弥勒菩薩が寝そべっています。弥勒菩薩は、未来に仏陀(如来)となって人々を救済するため、天上で修行中の仏様です。
 
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「台湾欒樹」という樹の果苞(かほう)のような花を見かけました。
 
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中国原産の菩提樹(ぼだいじゅ)ではなさそうですが、黄色い花が咲いています。
 
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本堂の東側にあ公徳堂を回り込んだ場所に巨大な弥勒大仏が微笑んでいました。民国72年(1983年)に完成した大仏の高さはおよそ30mです。ちなみに、「歓喜」は中国語で宗教的な喜びを表すようです。
 
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臍(へそ)から外が見えるようですから裏手に回ってみました。しかし、老朽化が原因なのか、内部に入る入り口には鍵がかけられていて、入ることはできませんでした。
 
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境内の反対側に「中部地区日本人遺骨安置所」がありました。ドーム状の塔には居留者約14,000人の遺骨が納められているようです。
 
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こちらは当部国分地区日本人遺骨安置所
 
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地蔵がありますが・・。
 
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その先にある地蔵亭には日本から贈られた地蔵菩薩が祀られているそうです。
 
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1990年に建立された「和平英魂観音亭」には日本兵として死んだ台湾人が祀(まつ)られています。その横にある「霊安故郷記念碑」は台湾人兵士の生存者が寄付を集めて建立したもので、後方に見える建物は「追遠亭」です。
 
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太平洋戦争において20数万人従軍し、3万3千人余りが戦死したにもかかわらず、特定弔慰金以外の補償を一切しなかった日本国政府の対応を見かねた日本人有志が1996年に募金活動を行い、1年後の1997年までに集めて台湾へ送った肆佰拾萬(410万円)を使って台湾元日本軍人軍属及遺家族聯(連)合会戦友会が「追遠亭」を建立した経緯が追遠亭銘記に日本語で説明されていました。

 

本堂を横に見ながら寶覺寺を後にしました。
 
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(続く)

2014年12月16日 (火)

臺灣縦断超速美食紀行 台中市の中心部へ

午前6時半になるのを待って、2階のカフェテリアへ向かいました。好きなテーブルを選んで、「用餐中・Reservation・食事中)と3か国語で書かれた予約票(テーブルカード)を置いておけば、他の客と席が重複することはありません。同行者と一緒に好きなバイキングメニューを皿に取り集めました。これが私のお皿で、
 

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こちらは同行者のお皿です。
 
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プチ薀蓄(うんちく)です。バイキング形式と似ているものにビュッフェ(バッフェ)形式があります。前者は着席して好きな料理を好きなだけ食べる仕組み(食べ放題)で、後者は立ったままあるいは着席して好きな料理を好きなだけ、あるいは中華料理のように円形テーブルの中央に配膳された大皿から任意に取り分けて食べる仕組みなど様々な種類があります。
 

6階の自室から見た北屯(べいとぅん)区(西方向)の住宅街と霞(かすみ)がかかる青空を撮影しました。丘陵地帯の先(やや右手)には台中港があるようです。
 
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出発時間が近づきました。道路(后庄路)の反対側からホテルの写真を撮りながら乗車時間を待ちました。こちらが台中兆品酒店(台中メゾン・ド・シン・ホテル)の新館です。
 
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連絡通路で結ばれた新旧2棟で構成されています。
 
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こちらの方角には秋の雲が見えます。
 
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午前8時少し前にバスはホテルを出発して、ホテルに近い生活圏道路(高速道路の一種)「環中路高架道路」(ふあんぞんる)に入って南西方向へ走り、北屯区(べいとぅんく)から西屯区(しーとぅんく)へ入りました。前方の霞(かすみ)は黒っぽい色をしていますから、煤煙(ばいえん)が原因となる黒いスモッグのように思われてなりません。
 
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西屯路(しーとぅんる)へ出るようです。
 
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その前に川を渡ります。遠方に見えるのは中山高速公路の橋のようです。
 
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側道を南南西方向へ走って台湾(たいわん)大道との交差点に出ました。2両連結のBRT(快捷巴士)が台湾大道を走行しています。
 
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交差点を右折して市の中心部とは反対方向へ向かと、台湾新幹線の高架が見えました。台中市内では台湾新幹線が中山高速公路や環中路と並行するように南北に伸びています。台中福華大飯店(ハワード・プリンス・ホテル・タイチュン)に立ち寄ったあと、臺灣(台湾)大道(たいわんだだお)を市中心部方面へ走りました。
 
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朝富路(ちゃおふろ)との交差点にBRT専用號誌(レーン)の表示がありました。「限雙節式大客車行駛」、つまり2両連結式バスだけが走行できることを説明しているのです。
 
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台中市の目抜き通りである台湾大道BRT専用レーンが続きます。
 
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横断歩道教の装飾、工事用フェンスに「肯徳基」(ケンタッキー・フライドチキン)が1ブロック先の文心路(うえんしんる)にあるスーパー「愛買量販」の一楼(1階)へ移転したことが表示されています。
 
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中心部とは反対方向へ走るBRT
 
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停留所に停車中のBRT
 
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(続く)

2014年12月14日 (日)

洛南の紅葉名所 東福寺(最終回)

水明院の玄関を入り、隣室から外を見ました。
 
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光明院の内部(玄関方向)
 
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光明院の見どころは作庭家の重森三玲によって手掛けられた「虹の苔寺(こけでら)」と称される庭園です。苔の緑の上に紅葉の赤が降りかかり、美しいコントラストを織成(おりな)す名庭を濡れ縁(ぬれえん)に座ってじっくり眺(なが)めました。
 
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お茶を楽しむひとたちの居る部屋の前を通って、左手の展望室へ向かいました。
 
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高い場所から見る枯山水と紅葉のコントラストは見事です。
   
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先ほどまでいた濡れ縁(左上)に座る人が増えたようです。
 
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元の場所へ戻る廊下から手水鉢(ちょうずばち)に沈む紅葉を見つけました。
 
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玄関の右手にある建物へ向かいました。枯山水と紅葉は違う雰囲気を感じさせます。
 

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濡れ縁と方向を撮影
 
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紅葉茣蓙(ござ)
 
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水明院に40分ほど滞在したあと、次の目的地である泉涌寺(せんにゅうじ)へ向かうことにしました。光明院から見て北東方向、約800mに位置しますが、Yahoo!地図で確認すると、直線的に行く道はありません。止むを得ず東福寺境内の外側の道(南・西・北)を利用して遠回りすることにしました。南側の道に面した「桂昌院」には宇多天皇の菩提所でした。
 
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南門を抜けます。
   
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東福寺の西側を通る伏見街道に出ると、ほどなく第三橋があります。ネットで調べると、伏見街道には全部で4つの橋があるそうです。
 
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伏見街道筋の雰囲気を今に表現するきれいな民家
 
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竹細工の店には様々なものが展示してあります。私は面白い形をした「一輪挿し」と昔懐かしい「足ふみ」と「こっぽり」に興味を惹(ひ)かれました。
 
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東山本町陵墓参考地は伏見区深草車坂町にあるとされる仲恭天皇(第95代天皇)に関するもののようです。
 
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東福寺の北大門前まで戻り、さらに東福寺の北駐車場入り口付近を通過
 
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紅葉が美しい東福寺の参拝記事を6回にわたって投稿したところで、次の訪問先である「水涌寺」はまたの機会に譲って、台湾旅行の記事に戻ることにします。(続く)

2014年12月13日 (土)

洛南の紅葉名所 東福寺(その5)

禅堂の前には本堂(仏殿)があります。1881年(明治14年)に仏殿と法堂が焼失した後、1934年(昭和9年)に仏殿兼法堂として再建された重層入母屋造の建物です。
 
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本殿(仏殿)には「毘盧宝殿」の額が架かっています。
 
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本堂には、本尊の釈迦如来立像、脇侍の摩訶迦葉尊者・と阿南尊者立像、四天王像が安置されています。本尊の釈迦三尊像は、上記の火災のあと、塔頭(たっちゅう)の万寿寺から移された鎌倉時代の作とのこと。
 
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「東福寺のイブキ」は本堂(仏殿)と国宝の三門(さんもん)との間、やや西寄りにあります。高さ16.5m、胸高の周囲3.36m、枝張りは東西10.5m・名㎜僕に8mある』と説明されていました。
 
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本堂(仏殿)の東側にある茶店で休憩することにしました。
 
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私は「おぜんざい」(700円)を選びました。
 
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本堂(仏殿)の南にある国宝の三門(さんもん、応永12年・1405年建立)へ向かいました。
 
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三門の両側に上層へ上がる階段が設置されています。小さな切妻造りの屋根がある手前の建物は「山廊(さんろう)」と呼ぶそうです。
 
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三門の東側に「最勝金剛院(さいしょうこんごういん)」の案内板と「月輪殿下兼実公本墓」の石柱がありました。「最勝金剛院」は東福寺境内の東にあり、九条家の墓を管理している特別由緒寺院です。ちなみに、摂政関白九条道家は祖父兼実(かねざね)の菩提寺として東福寺を創建しましたが、、「月輪殿下」はこの兼実を指します。
 
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三門の表側
 
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蓮(はす)が群生する「思遠池」越しに見た三門
 
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近くに勅使門がありますが、もちろん通ることはできません。仲恭天皇九条陵への参道でもあるようです。
 
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東福寺の南端にある重要文化財の六波羅門(ろくはらもん、右奥は三門)は、朝廷の動きを監視するために設置された六波羅探題(ろくはらたんだい)にあったものが移築されたそうです。
 
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東福寺の境内を出て100mほど南にある光明院へ向かいました。境内とは離れていますが東福寺の塔頭のひとつです。拝観料は300円。
 
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山門を入ったところに山茶花(さざんか)の花が咲いています。白い花ですから野生種でしょう。
 
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紅葉と松葉がコントラストを演出する参道の先に入口が見えますが、これは住人(じゅうにん)用玄関のようで、拝観口は右手にあるようです。

 
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(続く)

2014年12月12日 (金)

洛南の紅葉名所 東福寺(その4)

屋根付廊下を出た場所に芭蕉句碑がありました。高さ2m強で幅が約1mと大きいのですが、厚さは30cmほどと薄い句碑です。「婦る池や蛙飛こ無水の音 はせ越」(古池や蛙飛び込む水の音)と刻(きざ)まれています。ちなみに、「はせ越(お)」は芭蕉の俳号(はいごう)のひとつです。達筆であることは確かですが、「や」と「無」の2字が他の文字より大きいことでダイナミックさを感じさせます。
 
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東海道への旅から帰った芭蕉が貞亨3年(1686年)春に深川にある芭蕉庵で詠(よ)んだこの句の句碑が東福寺にあることは意外でした。調べると、明治26年(1893年)11月19日に催された「芭蕉二百回忌」の関連事業として明治時代の俳人である不識庵聽秋(ふしきあんちょうしゅう、上田肇氏)が建立したものでした。「芭蕉翁」で始まる長い説明文はなぜか漢文で書かれています。松尾芭蕉が没した元禄7年(1694年)10月12日(新暦では11月28日)と200回忌が開催された年月日が書かれています。
 
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芭蕉句碑の近くにある朱塗り柿葺きの八角円堂である「愛染堂」は日本密教の愛染明王(あいぜんみょうおう)を祀(まつ)っています。
 
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通天橋から続く散策路を辿(たど)ることにしました。
 
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三ノ橋川に近づくと、通天橋が高い場所に見えました。桁行(けたゆき)十二間二尺(約22.4m)、梁(はり)一間五尺(約3.3m)の橋が清水寺の舞台のように見えます。
 
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三ノ橋川に出ました。これは小さな橋の上から見た上流(通天橋)方面です。
 
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そして下流(臥雲橋)方面も
 

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通天橋の中央部をズームアップ
 
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地面近くから見上げるアングルで撮影
 
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苔(こけ)の上に散りばめられた紅葉茣蓙(もみじござ)を織(お)り始めていました。
 
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黄色い紅葉は見上げてもきれいです。
 
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大木の根本にも
 
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三ツ橋川の方向を振り返ると別の雰囲気がありました。
 
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思わずズームアップ
 
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通天橋が近づきました。
 
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紅葉を堪能して出口へ向かいました。
 
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東福寺の伽藍(がらん)全景図
 
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本堂(仏殿)の近くまで戻りました。経蔵とその手前の殿鐘楼(でんしょうろう)が並んでいます。ちなみに、聞きなれない殿鐘は仏殿の半鐘のことを指します。
 
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禅堂(じゅうようぶんかざい)の正面に出ました。南北朝時代建築の重要文化財建造物で、現存する最古最大の禅堂(高さ25.5m、間口41.4m)で、昭和の木造建築中最大。とのこと。『禅堂は、4選佛場(せんぶつじょう)とも称し、座禅を通じ自己究明と自己の心の佛(ほとけ)を撰(えら)ぶ場所である』と説明されていました。
 
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(続く)

2014年12月11日 (木)

洛南の紅葉名所 東福寺(その3)

『洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれるカエデの雲海が色づいており、通天橋からの眺(なが)めはまるで茜色(あかねいろ)の天上を散歩しているかのようにさえ思われるほど』との解説通りの景観です。方丈にも展望台がありました。
 
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東福寺を開山(かいさん、開創)した聖一国師(しょういちこくし)が宋より持ち帰った唐楓をはじめ、境内の約2000本ものカエデがお寺を秋色に染め上げていました。そして、ハラハラと舞い落ちる楓の葉にも趣(おもむ)きが感じられます。ちなみに、国師(こくし、くす)は天皇から贈られる諡号(しごう)の1つです。
 
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欄干(らんかん)越しに通天橋の中央部を振り返りました。
 
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通天橋から三ノ橋川までの傾斜地にも紅葉が輝いています。
 
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通天橋を渡り終えた所には直行する廊下の入口がありました。
 
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通天橋から右折してこの屋根付廊下に入ると開山堂へ行けるようです。
 
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その廊下から見た開山堂の回廊(かいろう)。ちなみに、開山堂とは仏教寺院において開山(最初の僧侶)の像を祀った堂、つまり祀堂(しどう)のことで、御影堂(みえいどう)と呼ぶ宗派もあります。
 
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緩(ゆる)やかな階段を上がり、廊下が左へ折れ曲がった場所で振り返りました。
 
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緑色のままの楓が目にも鮮やかです。
 
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大きな山門を潜(くぐ)って入った開山塔院の開山堂(重要文化財)は、別名「常楽庵」とも呼ばれ、正面柱間が八間ある禅式瓦敷(かわらしき)屋根を特徴とし、東福寺を開山した帰国僧の円爾弁円(えんにべんえん)、つまり「聖一国師」の像を安置しているそうです。屋上に楼閣を持つ珍しい形式です。
 
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右手にある石製の手水鉢(ちょうずばち)に紅葉が何枚も浮かんでいます。
 
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その先にある池付近には緑色が鮮やかな苔(こけ)
 
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山門から続く参道を振り返ると白砂に市松模様が描かれた石庭を見渡すことができました。右手に見える建物は方丈(ほうじょう、僧の住まい)であったとされる普門院(ふもんいん)です。
 
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開山堂の内部には簡素な祭壇と「聖一国師」の名前が書かれた額が見えました。
 
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普門院の前から枯山水(かれさんすい、石庭)越しに見た築山と借景(しゃっけい)は人気がスポットのようで、濡れ縁(ぬれえん)に腰かけて鑑賞する人が大勢いました。
 
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開山堂を退出するため、回廊を通って山門へ向かいます。(続く)

2014年12月10日 (水)

洛南の紅葉名所 東福寺(その2)

路地に入って80m先にある塔頭の霊雲院(れいうんいん)では遺愛石(いあいせき)・九山八海(くせんはっかい)の庭・臥雲(がうん)の庭が拝観できるようですが、先を急ぐことにします。
 
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清水焼の陶磁館「靖山窯(せいざんよう)」は東福寺の境内を抜けた南側にあるはずですから、観光シーズン中の展示販売会が開催されているのでしょう。
 
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いよいよ「通天橋」の入口が近づきました。
 
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塔頭の一華院では「秋の特別拝観とお茶席」が開催されているようです。門前には「つぶあん入り生八ツ橋」などの京菓子が売られています。
 
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そして、三ノ橋川(洗玉澗)に架かる屋根付橋である臥雲橋(がうんきょう、重要文化財)を渡ります。
 
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先ほど購入した通天橋の拝観券を一緒に持っているのは東福寺駅でもらった「東福寺散策マップ」です。それによると、臥雲橋と並行するように通天橋(つうてんきょう)が架かっているようです。これらの橋は偃月橋(えんげつきょう)とともに東福寺三名橋と呼ばれているようです。

 
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美しい紅葉の先に通天橋が見え、紅葉を楽しむ人たちの姿も確認できます。
 
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このアングルから三ノ橋川(洗玉澗)とその周辺を散策する人たちの姿が見えます。
 
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臥雲橋を渡り終えると、右手に天徳院とその先の芬陀院雪舟寺(ふんだいいんせっしゅうじ)が見えてきました。
 
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現在地は境内のほぼ中央、日下門(にっかもん)のすぐ手前
 
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日下門を潜(くぐ)ります。
 
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右手に見えるのは禅堂
 
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正面に見える本堂の脇にも通天橋の拝観券販売所がありますが混雑しています。先に購入しておいて良かったようです。
 
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人の流れに従って方丈(ほうじょう)がある方へ向かうと、「通天橋拝観入口」がありました。
 
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屋根のある廊下を進みました。
 
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手に取れそうな近さから紅葉を鑑賞できます。
 
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1週間前には5分ほどの紅葉だったそうですが、今は盛りを過ぎ始めたようで、モミジ(紅葉)のゴザ(茣蓙)が広がっていました。
 
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さらに進むと紅葉を楽しむため立ち止まる人が増えました。
 
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(続く)

2014年12月 9日 (火)

洛南の紅葉名所 東福寺(その1)

11月下旬に京阪本線の東福寺駅で下車しました。病院での検査結果が良好であったため、予定通りに関西への出張に出かけ、仕事を終えた翌日(28日)に洛南(らくなん)の紅葉名所をひとりで巡りたくなったのです。京阪本線とともにJR奈良線の東福寺駅も隣(西側)にあるようです。
 
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駅前に立つ石柱に「仲恭天皇九條陵 崇徳天皇中宮皇嘉門院(こうかもんいん)月輪南陵 東福寺山門ヲ経テ」と刻まれています。ちなみに、仲恭(ちゅうきょう)天皇は鎌倉時代の天皇であり、「中宮」は天皇の妻、つまり皇后を意味します。そして、政変により讃岐に流された崇徳(すとく)天皇については「四国・お遍路ドライブの旅-香川県(その3)」「四国遍路:香川県編(その3)」および「四国遍路:香川県編(その4)」で簡単に紹介しています。
 
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手書きされたルート・マップには東福寺(とうふくじ)と泉通寺(せんにゅうじ)への行き方が簡単に説明されていました。
 
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まず東福寺へ向かうことにして九条通り(府道143号)の陸橋を潜(くぐ)りました。歩道には「伏水街道第二橋」と刻まれた石製の立派な擬宝珠(ぎぼし)が付いた親柱が4本並んでいました。伏水(見)街道の2番目の橋なのでしょう。ちなみに、伏見街道は五条と伏見を結ぶ鴨川沿いの道です。
 
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ここは京都市東山区本町通
 
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人の列について行くと目印の交番がありました。
 
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案内に従って左へ折れると、臨済宗(りんざいしゅう)東福寺派恵日山(えにちさん)東福寺の北大門(京都府指定文化財、桃山時代の建築物)に差し掛かりました。
 
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北大門を潜った左手には仁王門
 
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右手には東福寺の塔頭(たっちゅう、小院)である「退耕庵(たいこうあん)」と「戊申役(ぼしんのえき、戊申戦争)難士菩提所」の石柱
 
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丁字路にある茶席の看板
 
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丁字路の正面にある霊源院は水子供養と永代供養の塔頭で、山門の先に六地蔵が並んでいます。
 
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北大門方面を振り返りました。
 
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丁字路を右手へ進みます。前方に見える色付いた楓(かえで)が東福寺の有名な紅葉への期待を高めました。
 
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「幻の密芋」と表示した焼き芋屋の軽トラから煙が上がっています。「幻」とくれば蜜芋(みついも)のはずだと突っ込みたくなりますが・・・。ちなみに、蜜芋はサツマイモ(唐芋)の原種に近い紡錘形をしたイモで、肉色は鮮やかな赤みを帯びた黄金色だそうです。
 
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丸く綺麗(きれい)にトリミングされた楓(かえで)
 
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臨時駐車場の奥に「通天橋発券所」を見かけました。拝観料は大人が400円。
 
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栗棘庵(りっきょくあん)には「京料理 高澤」の看板
 
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明暗寺(みょうあんじ)には「尺八根本道場」の看板
 
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塔頭である同聚院(どうじゅいん、どうしゅういん)の門前で「京ゆば」の即売会、「京つけもの 西利(にしり)」の幟(のぼり)、憩和井(いわい)の「スペシャルブレンド珈琲」「抹茶シフォンセット」「みたらし」「白玉善哉(ぜんざい)」など賑(にぎ)やかです。
 
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(続く)

2014年12月 7日 (日)

臺灣縦断超速美食紀行 台中市の客家料理店「燉品棧」と宿泊ホテル

元来た道(国道21号)を埔里(ほり)まで戻り、高速公路6号と高速公路3号を経て、高速公路1号(中山高速公路に入りました。高速公路1号の南屯(なんとぅん)ICを出て台中市内に入りました。五權西路(うーくぅあんしーる)と恵中路(ふぃぞんる)で到着した客家(はっか)料理店「燉品棧(とうびんさん)」は南屯区惠中路二段61號(号)にありました。恵中路と文心路の交差点角(恵来公園の向かい)です。看板には地元テレビで報道されたことを強調(PR)しています。
 
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2003年に開店、2009年に改装されたガラス張りで開放感のある綺麗(きれい)な店内に入ると、奥に中国風の円卓が並んでいました。
 
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まず定番化した台湾ビールで喉(のど)を潤(うるお)していると配膳が始まりました。客家料理といえば、脂こく・塩辛く・濃い味付けである印象がありましたが、出された料理が見た目通りに薄味なのは日本人の舌に配慮しているのでしょう。ハム・ジャガイモのサラダ・胡瓜(きゅうり)の漬物を酒の肴(さかな)にしました。
 
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ちなみに、客家とは西晋末と北宋末に北方から南方へ移住した漢人(現在は福建・広東・広西・江西・湖西・四川・台湾などに分布)、客家料理はその郷土料理です。身近で入手できる家禽・家畜・野生動物やタケノコ、山菜、キノコ、川魚、カエルなどの煮物や蒸し物を中心とした素朴な料理をおかずに、米類やサツマイモを主食にする料理です。撮影した左の皿には牡蠣(かき)が入った玉子焼き・鴨(かも)肉のスライスなど、右の皿には「客家小炒」(野菜炒め)を取り分けました。
 
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「老皮嫩肉」(右側の皿)は「中華揚出し玉子豆腐」で、中華版(四川風)の精進(しょうじん)料理と言えるでしょう。XO醤(じゃん)で味付けされているようです。ちなみに、「老皮」は表面を揚(あ)げたことを指し、「嫩」は柔らかいを意味する漢字です。左の皿には食用ガエルの揚げ物を追加。
 
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甘めの酢豚には白いご飯が欲しいところですが、ビールで炭水化物を摂っていますから、今回はパスしました。
 
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同行者が好きな空芯菜(くうしんさい)は甘辛いソースで食べます。
 
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クリアな野菜スープに見えるのは「福菜肉片湯」で、豚バラ肉の薄切りと福菜という高菜(たかな)のような葉物野菜の漬け物をスープにしたもののようです。ちなみに、高菜の漬物は和歌山県と三重県にまたがる熊野地方および奈良県の吉野地方の握り飯「目張(めは)り寿司」を巻くのにも使われます。
   
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デザートはスイカ(西瓜)と中華饅頭(まんとう、まんじゅう)
 
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客家料理と言っても高級なものではなく、大戸屋など日本の定食屋で食べる料理のように庶民的で、年配者にはありがたいメニューでした。

 

宿泊するホテルへ向かう途中に立ち寄った台中福華大飯店(ハワード・プリンス・ホテル・タイチュン)は台中IC(旧中港IC)に近い高級ホテルで、西屯(しーとぅん)区安和路(あんへる)129號(号)にあります。
 
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台湾大道(たいわんだだお)で市の中心部(台中駅)へ向かうと、高雄と同様に、台中にも新光三越(デパート)がありました。その手前に写るのはBRT(新交通システム)の駅です。
 
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この日、台湾で「道」が付く道路名を初めて目にしました。意味は台湾で一般的な「路」と同じですが、大きい(幅の広い)ものを「路(る)」(注、コースや経路も指す)、次いで「道(だお)」(注、中国では行政区画を指す言葉でもあり、それが韓国や日本に伝わって現在も使われている)、そして小さい(幅の狭い)ものは「径(じん)」ですが、日本語と同様に「道路」「径路」「街(じえ)」なる言葉もあって複雑です。ただし中国語では、「通(とん)」は「通じる・つながる」を意味するだけで道路名には使わないようですが、逆に「途(とぅ)」は旅程だけではなく道路も意味する点が日本語と異なります。
 
 

台中のBRTBus Rapid Transit)は中国語で「快捷巴士」、つまり簡単で手っ取り早いバスと呼ばれています。台中市を東西に貫く台湾大道(旧中港路)に沿って総延長17.3km。今年7月から来夏まで試験運転中(無料)です。通常の路線バスとの違いは、「専用レーンのある区間を含む固定路線」「バス停が改札口のある駅スタイル」「すべての駅に停車する」「等間隔での運行(ピーク時は3分に1台の間隔で運行)」ですから、見た目は通常の路面電車とそっくりです。
 
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さらに中心部寄りにある台中金典酒店(ザ・スプレンダー・ホテル・タイチュン)にも立ち寄りました。新市街に立つ高層ホテルで、健行路(じあんしんる)1049號(号)、つまり台湾大道と健行路の交差点角にあります。
 
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その筋向いにある廣三崇光百貨SOGO)台中は元々日本のそごう百貨店と台湾の廣三建設との合弁で設立された台湾中心部の老舗デパートですが、いずれの会社も経営破綻(はたん)したため、現在は名称が残るだけになったようです。ちなみに、手前の黄色い看板のコーヒーショップの隣にある「印度香料家」(看板は黄色い店の上にある)はインド料理の店です。
 
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台中兆品酒店(台中メゾン・ド・シン・ホテル)は台中市北西部の北屯(べいとぅん)区后庄路(ほうずあんる)306號(号)にあります。台中の環状道路となっている環中路(ふあんぞんる)沿い、すぐ南側です。
 
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リノベーションされたばかりという客室は清潔感がありました。
 
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ここで台湾旅行の記事を小休止して、箸休(はしやす)めとして国内旅行の記事を投稿する予定です。(続く)

2014年12月 6日 (土)

臺灣縦断超速美食紀行 日月潭の文武廟(後編)

左手の花木にまで台湾の絵馬が吊り下げられています。
 
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青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)は、日本の薙刀(なぎなた)に似ていますが、柄(え)がやや短く、刃の部分に龍の装飾が施(ほどこ)された大刀(たち)で、関羽(かんう)将軍が愛用したことから関羽を象徴する武器とされるそうです。日本では絵の短い中国刀を青龍刀と呼んでいますが、それは柳葉刀(りゅうようとう)が正しい名前です。
 
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「武聖殿」には「忠義千秋」の額が架けられています。関羽を讃(たた)える言葉として、「関羽の忠義が長く語り継がれること」を意味します。
 
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「関聖帝君」と「岳武穆王」の2人を中心に、「周倉将軍」と「關平太子」が両端に並んでいます。
 
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その左手にいる「天下都城隍(ジョウコウ)」(城隍爺)は都市の守護神です。
 
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右手にある「土地福徳」(土地公)は土地の神様。ちなみに、「福徳」は前世の善行によって得る幸福と利益のこと。
 
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「武聖殿」のさらに後方(上段)には孔子を祀る「大成殿」と「孔子にまつわる逸話の展示物」などがありましたが、日没が近づいて気が急いていたためかお参りするのを失念して水雲宮の前まで戻ると、15分前より観光客が少なくなったようです。近くにある日月潭景聖樓湖畔飯店(CHINGSHENG HOTEL)では窓辺に灯りが点灯していました。
 
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帰国後、中国語のhpに孔子像の写真を見つけました。清朝末期に勃発(ぼっぱつ)した「義和団の乱」(1900-1901年)時、北京の紫禁(しきん)城内にあった孔子(こうし)・孟子(もうし)・子思子(ししし)の三尊像が略奪され、最終的には日本の京都に渡ったこと、伊勢の寺を経て現在は所沢市・旧UNESCO村内の孔子廟(現康信寺)に孔子像(高さ8尺、約2.4m)を含む三尊像が保管されていることが説明されています。ちなみに、「文武廟」の「大成殿」に祀(まつ)られている孔子像はその複製とのこと。余談ですが、アメリカ映画「北京の55日」(1963年公開)は天津や北京などで排外闘争(内乱)を展開する義和団と北京の外国人居留区(租界)に籠城(ろうじょう)した日米英独仏など11か国の連合軍の戦いを連合国軍の立場で描いています。
 
 

先ほどは巨大な朱色の獅子に目を惹かれて気づかなかった右端の石像を見つけました。青龍刀を持っている関羽(右)と、馬の手綱を曳く岳飛(左)のようです。
 
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ライトアップされた水雲宮はまるで竜宮城のように思われました。
 
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遅まきながら湖畔の展望台まで歩きました。
 
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「眺望日月潭景観」(日月潭の眺望景観)の写真パネルには、左から頭社村にある「後尖(ほうじあん)山」(標高1,008m)、日月潭の「日」部と「月」部の境界にある「拉魯(らるー)島」、「水社聚落(集落、村落)」、「朝霧碼頭(埠頭)」、「集集(じじ)大山」(標高1,392m)が表示されています。
 
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夕闇に包まれた日月潭の風景は、当然ながら、写真パネルで見たものとまったく同じです。ちなみに、日月譚を車で周回すると、2時間ほどかかるそうです。
 
    
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「文武廟」の石碑と全景
 
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バスが駐車していたのは「文武廟」に付属する日月潭景聖樓湖畔飯店前の駐車場に私たちのバスを見つけました。
 
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文武廟での滞在はわずか20分と短く、後ろ髪を引かれる思いでしたが、バスは次の目的地である台中へと慌(あわ)ただしく出発しました。(続く)

2014年12月 5日 (金)

臺灣縦断超速美食紀行 日月潭の文武廟(前編)

埔里から12kmほど南に位置する日月潭(にちげつたん)の湖畔に出ました。「日月潭」は今から約2000年前に偶然発見された天然湖で、(その2)の記事で紹介したように台湾中部を代表する景勝地(海抜728mにある高山湖)です。湖畔に気づいてとっさに撮影したことと、窓から差す強い日差しによる写り込みで見づらい写真になってしまいました。
 
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ホテル街を抜けて日月潭を周回する道路(一周約25km)を東へ2kmほど進み、湖畔の高台に建つ「文武廟」(ぶんぶびょう)に到着。
 
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「文武廟」と大きく表示された廟門(正門)を潜(くぐ)ると幅の広い廟の前の広場には二つの巨大な朱色の獅子が白い球を抱えて向かい合っています。
 
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この地には2つの廟がありましたが、発電所の工事により日月潭の水位が上昇したため撤去され、電力会社から支払われたお金で1938年に中国北朝宮殿式の大規模で壮麗な「文武廟」として現在の場所に建てられ、1975年には全面修復が行われたそうです。廟は三殿に分かれています。前殿二楼は水雲宮で開基元祖および文昌帝君を、中殿武聖殿は関聖帝君および岳武穆王を、後殿大成殿は至聖先師孔子を祀(まつ)っています。文の神である孔子と武の神である岳飛(南宋の武将)や関羽(後漢末期の将軍)を祀ることから「文武廟」と名付けられたようです。(写真は水雲宮)
 
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階段を上ったところで廟門を振り返ると、その先に日月潭が広がっていました。文武廟の名前の左右には「重武」(武を重んじる)と「崇文」(文を尊ぶ)の文字が刻まれているのが確認できました。「崇文尚武」(文を尊び、武を重んずること)を表しています。
 
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同行者は水雲宮で龍の装飾がある常香炉(じょうこうろ)にお線香を供えます。
 
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台湾の線香は「高雄市の壽山国家自然公園(その3)」の記事で紹介したように長くて太いだけではなく、弦巻(つるまき)バネのような形をしたものもあります。
 
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そして、信心深い同行者はお賽銭(さいせん)を入れます。
 
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關聖帝君(関羽の新号)像を中心に、向かって左の文財神(殷の忠臣比干)と右の文昌帝君(文章をつかさどる神)の像が並んでいます。後方に見えるのは中殿の「武聖殿」です。1999年9月の大地震により神殿が傾いたそうですが、その痕跡は見当たりません。
 
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三神の左手には関羽の部下である「周倉将軍」
 
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侍神(関羽の息子)である関平太子
 
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前殿(文廟)と中殿(武廟)の間にある「九頭の龍の彫刻」の前で如意宝珠(にょいほうじゅ)を持つポーズをする同行者。「意のままに様々な願いを適える宝」を支え持ったようで、大いに満足げな表情をしています。
 
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「九頭の龍の彫刻」の上部には、日本の絵馬のように、願い事が書かれたプレートをつけた鈴のような形の供え物が隙間なく掛けられていました。その後方には先ほど見たばかりの關聖帝君と文財神などの後姿が見えます。
 
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(続く)

2014年12月 4日 (木)

臺灣縦断超速美食紀行 日月潭へのバス旅(その3)

「苧留」は「からむし」というイラクサ科の植物を材料とする織物で、「杵動」は漢字が示すように杵(きね)を使って食料を潰(つぶ)す作業のようですが、いずれも原住民の生活・習慣を紹介しているのでしょう。
 
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これは原住民の伝統的な衣服のようです。中国本土の少数民族やミャンマー(旧ビルマ)の山岳民族の衣装と色遣(いろづか)いが似ているように思われます。右端の白っぽい服は日本における縄文時代の貫頭衣(かんとうい)を連想させます。
 
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「壺に入った酒と対話するエリア」に入ります。
 
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「酒甕隧道」(酒が入った壺を補完するトンネル)です。ちなみに、「甕」は酒の醸造に使う大きな瓶(かめ)を指します。
 
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両側に酒甕が所狭しと並んでいます。中には紹興酒がたっぷり入っているとのこと。急ぎ足で歩く同行者を撮影したため、期せずしてスピード感が出ましたが、実は手振れ写真です。
 
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紹興酒の材料となる各種の米・麦・豆・とうもろこし(玉蜀黍)が展示されていました。
 
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「小米発酵」は字の通りに砕(くだ)けた米(くず米)を発酵させた麹(こうじ)です。
 
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「女児紅」とは、女児が誕生した際に仕込んだ紹興酒をその子が嫁ぐまで寝かし、結婚の際に嫁ぎ先に持参するという浙江省の習慣を示す名称です。右端の「状元紅」は、その男性版で、息子が結婚する時や出世した時に飲む紹興酒です。ちなみに、「状元」は中国の官僚登用試験である科挙(かきょ)の最高位合格者のことを指します。
 
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「酔酒體驗(体験の旧字)屋」は紹興酒を飲まないで酩酊(めいてい)状態を体験できる施設です。その種明かしをすると、床が斜めになっているだけの部屋でした。
 
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様々な形をした紹興酒の容器
 
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「原住民酒文化」のコーナーでは原住民(先住民)による酒造りと狩猟や原住民(先住民)の分布図などが展示されています。
 
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「原住民の分布図」には1980年代後半に承認されていた10の先住民族が地図上(山岳地域が主体)に表示されていました。
 
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「紹興酒・愛蘭喜酒・愛蘭白酒の製酒流程圖(工程図)」には製造工程が詳しく図解されています。愛蘭はアイルランドを指す言葉ですが、この場合は婚礼の祝いの酒である喜酒と白酒(アルコール度の高い焼酎)を形容する言葉でしょう。ちなみに、喜を並べて2つ書くのは結婚式のお祝いを意味する特別な表現です。
 
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お酒だけではなくお菓子などを売る1階の売店を冷やか(素見)したあと、駐車場へ戻る途中に台湾(中国)らしい休憩所「静思亭」とその横に置かれた「女児紅」の大きな張りぼて(張子作り)を見かけました。
 
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埔里の町を後にして国道21号を南下、いよいよ「日月潭」へ向かいますが、午後5時を10分ほど過ぎて日没が近いことが気に掛かります。
 
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(続く)

2014年12月 3日 (水)

臺灣縦断超速美食紀行 日月潭へのバス旅(その2)

高速公路3号をさらに北上して烏溪(うけい)を渡った台中市霧峰(うーふぇん、むほう)区にある霧峰JCTに「日月潭(Sun Moon Lake、にちげつたん)」への分岐を示す表示が現れました。海抜728mにあるこの高山湖は台湾中部を代表する景勝地で、湖面に浮かぶ拉魯(らるー)島を境に東が「日」、西が「月」の字に見えることから「日月潭」と名付けられたそうです。ちなみに、「潭」は「高雄市の壽山国家自然公園(その1)」の記事で紹介したように湖を指す言葉です。
 
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高速公路6号(南投支線)は烏溪に沿って山間に分け入るようです。29km先の埔里(ぷり、日本語読みは「ほり」)は水が清らかなことから紹興酒(しょうこうしゅ)の名産地として知られる南投県の町です。
 
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丘の上に髭もじゃの顔をした大仏が立っています。顎鬚(あごひげ)と言えば商売繁盛の神様として信仰される関羽(かんう)が思い浮かびますが・・。
 
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烏溪の対岸は地層が確認できる壁状の断面になっています。多摩川沿いの河川段丘崖(だんきゅうがい、崖線)の規模を大きくしたものと言えます。
 
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その先では山肌が大きく崩れている場所(写真の左端)が見えました。烏溪から離れていますので河川段丘崖ではなさそうです。ガイドさんが「1999年に台湾中部で発生した台湾中部大地震(集集地震)の影響で山が大きく崩れた場所である」と説明してくれました。台湾大地震はマグニチュードが7.7と巨大で、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の10倍のエネルギー規模があり、死者約2,300人・全半壊52,000棟以上と甚大(じんだい)な被害をもたらしたそうです。
 
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この高速道路は台湾大地震のあとになって建設されたそうです。
 
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國(国の旧字)姓(ぐおしん)ICに「日月潭」と「九族文化村」の案内標識がありますが、高速公路6号をそのまま走って次のICで埔里に出るようです。
 
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山の中腹に黄金の阿弥陀(あみだ)大仏が見えます。
 
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高速公路6号の終点を出て埔里の町に入りました。甘蔗(砂糖きび)を売るトラックの店の周辺には「高山茶」「日本料理」「紹興猪脚」などの看板が目に飛び込んできました。ちなみに、「猪」は豚(イノシシは野猪)を意味しますから「猪脚」は豚足(とんそく)です。
 
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大きな駐車場に停まったバスを下りて建物へ向かいました。鮮やかな色に塗られた紹興酒のモニュメントがありました。酒壺に「埔里酒廠」、台座には「歓迎蒞臨」(蒞は莅の異体字で、会場などに来ることを意味する漢字)と表示されていますから埔里酒造の工場があるようです。ネットで確認すると、道路(中山路三段)の反対側にあるビルが埔里酒廠(酒造工場)でした。
 
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酒郷埔里」と大きく表示された建物には、「文化醸酒」と「芸術観光」の文字とともに、「酒文化館」と表示されたアーチ型ゲートがあります。
 
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最終入館の時間(午後4時30分)が迫っていましたので、急いで建物の中央にある酒文化館の入口を入り、エスカレーターで2階へ上がりました。注)この写真は帰る時(閉館時間の午後5時近く)に撮影。シャッターが少し閉じられています。
 
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2002年まで政府の公売局(専売局)であったTTL(台湾菸酒股份有限公司、Taiwan Tobacco & Liquor Corporation)が運営する「台湾紹興故事館」は台湾における紹興酒の文物館(博物館)です。ちなみに、紹興は浙江省にある市の名前で、その地方で作られる米を原料とする黄酒(ほあんちゅう、醸造酒)を紹興酒(しゃおしんじゅう、しょうこうしゅ)と呼びます。そして、「菸」はタバコ(香烟、烟は煙と同じ意味)を、「股份有限公司」は日本語の株式会社を指します。
 
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会社の歴史紹介に続いて、ショーケースに様々な紹興酒が展示されていました。紹興酒には製法の違いによって、「元紅酒」「加飯酒」「善醸酒」「香雪酒」の4種類があり、この順にドライ(乾型)な味になっているようです。
 
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「苧留」は日本でも自生する「からむし」というイラクサ科の植物を材料とする織物で、「杵動」は漢字が示すように杵(きね)を使って食料を潰(つぶ)す作業のようで、いずれも原住民の生活習慣を紹介しているのでしょう。
 
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これは原住民の伝統的な衣服のようです。中国本土の少数民族やミャンマー(旧ビルマ)の山岳民族の衣装と色遣(いろづか)いが似ているように思われます。右端の白っぽい服は日本における縄文時代の貫頭衣(かんとうい)を連想させます。
 
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壺に入った各種紹興酒
 
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(続く)

2014年12月 2日 (火)

臺灣縦断超速美食紀行 日月潭へのバス旅(その1)

中山高速公路(第一高速公路、国道1号)を北上します。この日は長いバス旅になりますから、バスの車窓から見る景色(スポット)を中心に紹介することにします。麻豆(まどう)は台南市の北約25kmにある区ですが、その手前の台南JCTで省道である快速公路8号に反れるようです。ちなみに、新化(しんふぁ、しんか)は台南市新化区のことです。強い日差しと大きなフロントガラスで路面付近に写り込みが生じてしまいました。
   
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見晴らしの良い場所で高速道路の車を追い抜いて行く台湾新幹線が見えました。
 
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新化(しんふぁ)JCTで高速公路3号(第二高速公路、国道3号)に反れます。ちなみに、高速公路3号は台湾北部の都市、基隆(きーるん)市と南端の屏東(ぴんとぅん、へいとう)県に至る長さが430kmと台湾で一番長い高速道路です。
 
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南方向の屏東市は台湾の最南部に位置する屏東県の県庁所在地で、北方向の斗六市(とろくし)は台湾雲林県の都市ですが、なぜか前者方向に向かうように見えます・・。しかし、すぐ左の車線に移動しました。
 
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江南渡暇村」は台南市新榮(しんいん)区の北東部にある尖山埤ダム湖畔に造られた風景遊楽区(リゾート)で、西拉雅風景区は台南市白河(ばいへ)区の白川水庫(貯水池)にある国定公園のようです。ちなみに、快速公路(自動車専用道路)が向かう白河は台南市の最北部にある白河区のことです。
 
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快速公路(Expressway)は自動車専用省道(県間あるいは市間を結ぶ高規格道路)です。同じく高規格道路である高速公路(国道)は2輪車が通行禁止ですが、快速公路は250cc以上の2輪車が通行できます。ちなみに、赤地の標識は省道快速公路を、「82」の数字は「台82号」を指します。「台82号」は台湾新幹線の嘉義(かぎ)駅がある嘉義(かーぎー、かぎ)県内の地域間(高速公路3号水上JCT-東石郷)を結ぶ台湾の東西向快速公路で、「東石嘉義快速公路(とうせきかぎかいそくこうろ)」とも呼ばれるようです。
 
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「阿里山(ありしゃん、ありさん)国家風景区」は嘉義県にある15の山々から成る国定公園で、「高雄市の壽山国家自然公園」の記事で紹介したように高級茶の産地としてもしられます。台湾を代表する観光地です。「玉山国家公園」(台湾における7つの国立公園のひとつ)の中心である玉山(ゆうしゃん、ぎょくさん、標高3952m)は阿里山の近くにある台湾でもっとも標高が高い山で、戦前は富士山より高い山として新高山(にいたかやま)と呼ばれました。年配者にはよく知られていることですが、1941年12月2日に発令された日米開戦の日時を告げる海軍の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」のニイタカヤマとはこの新高山のことです。
 
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剣湖山(じゃんふさん)世界」は嘉義県の北に位置する雲林(ゆんりん)県にある台湾中部で最も規模の大きいレジャーランド(遊園地)です。
 
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嘉義と雲林の中間地点にある「古杭服務区」は古杭(ぐけん)サービスエリアです。
 
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丘の上で金色に輝く布袋(ほてい)大仏が見えました。
 
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高速道路を跨(また)ぐ横断橋にも中国(台湾)らしい装飾が施されています。台湾新幹線の車窓から見た高架歩道に似ていますから、恐らく竜をイメージしたのでしょう。
 
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「渓頭 杉林渓谷」の「渓頭」は南投県鹿谷郷の鳳凰山麓に位置する、標高1000m以上の高地(避暑地)です。名前は北勢渓の源にあることが命名の理由だそうです。「杉林渓谷」(森林遊樂区)は南投竹山鎮に位置し、地理的に自然な山、林、丘などがあり、一年中色々な花が咲く、お花見の名所です。そして、「九族文化村」は台湾中部で最大のアミューズメント施設で、戸外と室内の遊園地があり、原住民エリアでは台湾の各原住民の生活様式を見たり美食を味わったりすることができるようです。
 
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この文化村が作られた1980年代後半のころ、台湾の原住民は9つの民族に分けられていたためこの名前が付けられましたが、その後に原住民族が5つ追加承認され、現在は14民族を指すそうです。しかい、まだに政府に承認されていない原住民も多数いるため、今後はさらに増える可能性があるようです。

 

椰子のような背の高い木が林立しています。ガイドさんの説明によると「ビンロウ」というヤシ科の植物で、その種子は嗜好品として、噛みタバコに似た使われ方をされるのだそうです。
 
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「ビンロウ」の林の奥、丘の中腹に「LAMUNGAN」と大きな看板が見えました。HOLLYWOODの看板に似ています。この意味をガイドさんに尋ねると、台湾語(中国語)ではなく、意味は分からないとのこと。ネット検索で調べると、この場所は南投服務區で、布農(ぶぬん)族の言葉で「埡口」は峰と峰の間の人が通行できる細長い所の入口(関所)を意味することを知りました。台南市から北東へ約80kmにある関山(くあんしゃん、標高3715m)の近くの高原(玉山国家公園内、標高2731m)には埡口」という地名がありその地域には布農族が住んでいるそうですから、「LAMUNGAN」は地名のようです。ちなみに、左上の建物はお寺のようです。
 
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南投(なんとう)服務区」(南投サービスエリア)に入るようです。「小心駕駛」と難しい漢字が目に入りました。中国語辞典で確認すると、「駕駛」は「運転する」を意味する言葉ですから、「運転に注意」の看板でした。
 
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トイレ休憩時間を利用してサービスエリア内を散策することにしました。「歓迎光臨」の言葉が迎えてくれます。「光臨(こうりん)」は日本でも式典において年配者が挨拶(あいさつ)の中で賓客(ひんきゃく)に向かって「ご光臨を賜りまして~」(お出席いただきまして~)と述べるのが普通でした。その横には「源民豊年休憩区」があります。
 
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その内部には「布農族の射耳祭」が説明されていました。4月~5月初旬に狩猟の成功などを祈願し、あらかじめ狩猟で獲たシカやキョンの耳を切り取り、男性たちが弓や銃で射る宗教行事であり、もともと父系親族集団を基礎として行われていたそうです。「八部合音」は毎年2月の「粟の種まき祭」(播種祭)などの際に唱われる豊作祈願の歌で、男性数人から十数人が円陣を組んで少しずつ違った音階を載(の)せていく世界的にも稀有な合唱法です。
 
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通路の反対側にはいかにも原住民らしいカラフルな彩色を施したモニュメントがありました。
 
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「布農埡口」(LAMUNGAN)を説明石碑には布農族の居住地(山岳地域)と布農族を象徴すると思われるモニュメントが描かれています。近くで説明を読みたくなりましたが、出発する時間が近づきましたので、バスへ戻ることにしました。
 
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(続く)

2014年12月 1日 (月)

臺灣縦断超速美食紀行 台南市の赤嵌楼

次の目的地な台南最古の歴史的建造物「赤嵌楼」(ちーかんろう、日本語読みは「せきかんろう」)です。台南駅から中山路を400mほど南西に走り、民族路一段へ当節し、さらに600m余り西進した民族路二段に面した塀に囲まれた場所でした。
 
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オランダ人によって1650年ころに建立された城で、1661年に鄭成功がオランダ軍を駆逐し、台南を承天府と改名して政治の中心地としました。城の前に所在地名を付けて「赤嵌楼」あるいは髪の毛が赤いオランダ人の城を指す「紅毛樓」とも呼ばれたそうです。鄭政権が崩壊すると赤嵌楼は役割をなくして、破壊や自然災害などで荒廃したようです。日本による統治時代には発掘や修復が行われ、戦後はさらに修復され、1974年の大規模修復で現在の形(2つの建物で構成)になったそうです。ちなみに、中華民国(台湾)で最上級の古跡に指定されています。順路に従って遊歩道を右手へ進みました。
 
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遊歩道の脇にある「鄭成功議和圖(図)」は鄭成功が打ち破ったオランダ軍と和議をする様子を表現した銅像です。正面を向いているのが鄭成功で、後姿はオランダ人のようです。
 
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赤嵌楼へ向かう順路に大きな枝が倒れ掛かっています。ちなみに、「小心碰頭」は頭上注意(碰は当たる)を意味します。
 
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右手の階段を上がると、「普城稜堡残跡」の案内看板がありました。ここではオランダ人がつけた名前である普羅民遮城(プロヴィンティア)の古跡を説明しています。『オランダ人が建設したプロヴィンティア城には主堡(砦の主体)に加えて東北と西南に支砦を有していたが、中国人が南方風の建物に建て替えたため、原型は残っていない。日本による統治時代に東北の支砦の一部が発掘された歴史的な記念品が赤嵌楼の中に展示されている』ことなど。“NFC”(近距離無線通信技術の一種)端末で説明を聞くことができるようです。
 
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右手前の「海神廟」を回り込むように歩き、発掘されたプロヴィンティアの煉瓦(れんが)造りの壁(東北の支砦跡と思われる)を過ぎると、建物の入口に出ました。「文昌閣」の額が掛かっています。
 
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「五文昌興魁星信仰」の五文昌とは、文昌帝君、魁星、朱衣神、呂祖、関帝の五者の学問の神を指すそうです。左手の絵は魁星の姿で、右手に筆を、左手に墨を持ち、鬼のような異様な姿の神です。左下に写るのは、戦時中に台南市の市長を務めた羽鳥又男氏の胸像です。台南の史跡の修復と保存に尽力したことで現在も台南市民に親しまれているそうです。
 
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こちらは鄭成功の肖像画と胸像(写真左端)
 
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文昌閣の藻飾(屋根飾り)
 
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反対側の階段を下りると鯉が泳ぐ池に出ました。
 
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プロヴィンティアがどのような姿をしていたのか興味がありますが、建物に入る前に見かけた簡単な図面を除くと絵図などはなく、残念ながら想像するしかありませんでした。(続く)

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