洛南の紅葉名所 泉涌寺(その3)
すると、泉涌寺の仏殿に近い場所に大門とは別の出入り口がありました。これを見過ごすとは迂闊(うかつ)でした。

その反対側にこんな看板を見かけました。「弘法大師」の名前がありますから、立ち寄らない訳にはゆきません。石柱に「義士」と「来迎」の文字が見えます。「義士」とは? 「来迎(らいごう)」の意味を調べると、浄土教で人が死ぬ際に一心に念仏すると阿弥陀仏や菩薩が迎えにやってくることをいうそうです。(大辞林)

階段を下りた場所にある「善能寺祥空殿」の案内看板には、『当時は泉涌く寺の塔頭(たっちゅう)で、弘仁14年(823年)弘法大師の開基とされ、境内には日本最初の稲荷大明神が祀られています』とありました。

本堂の前にある大きな岩(三尊石)に文字が刻まれています。俳匠の萩原井泉氏が詠んだ句、『南無観世音
富士はようらく 空に散る』でした。

次いで、「ゆな荒神」と「霊泉
弘法大師独鈷水(とっこすい)」がある「来迎院(らいごういん)」へ向かいました。前方に見えるのは石橋と山門です。先ほど見た石柱にあった「義士」は赤穂義士(大石内蔵助)のことでした。吉良邸(きらてい)討ち入り前の大石内蔵助(くらのすけ)が京都の山科(やましな)に隠遁(いんとん)していたことは良く知られていますが、この地(東山区泉涌寺山内町)に茶室を持っていたのです。

参道の正面に見えるのが荒神堂(こうじんどう)で、左手に本堂(内部は非公開)が見えます。『泉涌寺の塔頭で、藤原信房(のぶふさ)が泉涌寺の第四世・月翁和尚(げつおうおしょう)に帰依(きえ)して一院を興(おこ)したのが始まりと伝えられる。荒神堂に安置されている木造の荒神坐像とその護法神五躯(く)は、いずれも鎌倉時代の一品で、重要文化財に指定されている』と説明されています。

荒神堂へ上がる石段のかたわらに、弘法大師が独鈷(とっこ、密教で用いる法具)をもって穿(う)ったと伝えられる名水・独鈷水がありました。

黒い扉を開けて、長い柄のついた備え付けの柄杓(ひしゃく)で独鈷水を汲(く)むようです。

その手前にあるのが「祈願の御石」です。右手前の岩には「光明真言百万遍供養」と刻まれています。「光明真言」は不空大灌頂光真言(ふくうだいかんぢょうこうしんごん)という密教の真言(真実の言葉)で、「百万遍供養」は念仏を百万遍唱えたこと(この場合は祈願の石を納めた)を記念する念仏塔と思われます。

境内の一角(左手前)に赤穂義士・大石内蔵助(義雄)が建立
した茶室「含翠軒(がんすいけん)」もありますが、時間の制約がありますから元の道に戻りました。そして、なだらかな坂道を上がると、左手に「後堀河天皇観音寺陵」の標識を見つけました。

(続く)


























































































































































































































































































































































































































































































































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