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2014年12月 1日 (月)

臺灣縦断超速美食紀行 台南市の赤嵌楼

次の目的地な台南最古の歴史的建造物「赤嵌楼」(ちーかんろう、日本語読みは「せきかんろう」)です。台南駅から中山路を400mほど南西に走り、民族路一段へ当節し、さらに600m余り西進した民族路二段に面した塀に囲まれた場所でした。
 
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オランダ人によって1650年ころに建立された城で、1661年に鄭成功がオランダ軍を駆逐し、台南を承天府と改名して政治の中心地としました。城の前に所在地名を付けて「赤嵌楼」あるいは髪の毛が赤いオランダ人の城を指す「紅毛樓」とも呼ばれたそうです。鄭政権が崩壊すると赤嵌楼は役割をなくして、破壊や自然災害などで荒廃したようです。日本による統治時代には発掘や修復が行われ、戦後はさらに修復され、1974年の大規模修復で現在の形(2つの建物で構成)になったそうです。ちなみに、中華民国(台湾)で最上級の古跡に指定されています。順路に従って遊歩道を右手へ進みました。
 
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遊歩道の脇にある「鄭成功議和圖(図)」は鄭成功が打ち破ったオランダ軍と和議をする様子を表現した銅像です。正面を向いているのが鄭成功で、後姿はオランダ人のようです。
 
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赤嵌楼へ向かう順路に大きな枝が倒れ掛かっています。ちなみに、「小心碰頭」は頭上注意(碰は当たる)を意味します。
 
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右手の階段を上がると、「普城稜堡残跡」の案内看板がありました。ここではオランダ人がつけた名前である普羅民遮城(プロヴィンティア)の古跡を説明しています。『オランダ人が建設したプロヴィンティア城には主堡(砦の主体)に加えて東北と西南に支砦を有していたが、中国人が南方風の建物に建て替えたため、原型は残っていない。日本による統治時代に東北の支砦の一部が発掘された歴史的な記念品が赤嵌楼の中に展示されている』ことなど。“NFC”(近距離無線通信技術の一種)端末で説明を聞くことができるようです。
 
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右手前の「海神廟」を回り込むように歩き、発掘されたプロヴィンティアの煉瓦(れんが)造りの壁(東北の支砦跡と思われる)を過ぎると、建物の入口に出ました。「文昌閣」の額が掛かっています。
 
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「五文昌興魁星信仰」の五文昌とは、文昌帝君、魁星、朱衣神、呂祖、関帝の五者の学問の神を指すそうです。左手の絵は魁星の姿で、右手に筆を、左手に墨を持ち、鬼のような異様な姿の神です。左下に写るのは、戦時中に台南市の市長を務めた羽鳥又男氏の胸像です。台南の史跡の修復と保存に尽力したことで現在も台南市民に親しまれているそうです。
 
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こちらは鄭成功の肖像画と胸像(写真左端)
 
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文昌閣の藻飾(屋根飾り)
 
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反対側の階段を下りると鯉が泳ぐ池に出ました。
 
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プロヴィンティアがどのような姿をしていたのか興味がありますが、建物に入る前に見かけた簡単な図面を除くと絵図などはなく、残念ながら想像するしかありませんでした。(続く)

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