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2015年3月

2015年3月30日 (月)

今秋、新しいFM放送「ワイドFM」が始まる!

FM放送の特徴であるクリアかつ雑音のない音質でAM放送の番組を聴取することができる新しいサービス「ワイドFM」がまもなく始まることが決まりました。災害時の対策および都心部における難聴対策を目的にAM(中波)放送局によるFM補完放送の予備放送が東京では2015年秋(9月)に開始される予定と発表されました。AM放送と同じ内容をFM電波でも同時に放送(サイマル放送)する「ワイドFM」の送信所は東京スカイツリーで、TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送の3局がアンテナを共有し、出力は各局とも7キロワット(FM放送のJ-WAVEと同じ)で送信されます。

 

聴取エリアは東京都とその周辺3県の大半と推定されます。「ワイドFM]で使用する電波の周波数はこれまでFM放送に使用されていた76-90メガヘルツ帯と重複しない、放送が停止された地アナTVの1-3チャンネルに相当する90-108メガヘルツ帯ですから、90メガヘルツ以上(90.1-94.9メガヘルツ)の周波数を受信できるFMラジオ(またはステレオコンポやカーオーディオ)が必要です。ちなみに、東京の「ワイドFM」で使用される周波数は以下の通りです。

 

TBSラジオ   90.5メガヘルツ(MHz)

文化放送    91.6メガヘルツ(MHz)

ニッポン放送  93.0メガヘルツ(MHz)

 

全国の民放AMラジオ局47局のうち、東京のこれら3局を含む半数以上の局が「ワイドFM}の開始を予定しているようです。

 

ちなみに、地方の放送局では、KNBラジオ(北日本放送/富山県)、南海放送ラジオ(愛媛県松山・新居浜)、MBCラジオ(南日本放送/鹿児島県)、ABSラジオ(秋田放送/秋田県)、南日本放送、NHK松江放送局(隠岐ラジオ中継局)が先行する形で、2015年3月時点ですでに本放送を開始しています。

 

なお、現在インターネットを利用して配信されている「radiko(ラジコ)」のサービスとも補完関係にあり、災害が発生した時にも伝達メディアとしてのラジオ放送サービスが確保されることが期待されます。

 

蛇足ですが、わが家にあるFMラジオ(外観はクラシックなスタイル)とステレオレシーバーはいずれも25年前のアメリカ仕様ですから、このサービスを利用することができます。地アナTV放送の跡地(帯域)活用としては賛否両論があるようですが、9月に東京地区で予備放送が開始されるのをラジオ少年であった私は心待ちにしているのです。そして、中学生のころに読んだ雑誌「ラジオ技術」には東京で日本初のFM放送実験局「FM東海」(現在の東京FM)が放送を開始しされたというニュース記事(1958年12月)とFM受信機の自作記事が掲載されていたことを懐かしく思い出しました。

2015年3月27日 (金)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 バリ島のチュルク村で銀細工ショッピング

石彫で知られるバトブラン(Batubulan)村でガジュマルの大木の前に背の高い石積みとブロンズ像が一瞬でしたが車中から確認できました。
 
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デンパサールの北部に位置するチュルク村(Celuk
 Villageは、車で約20分の距離にあり、銀細工の工房(小さな工場)が多数あることで知られる村です。道の両側に目を惹く工房が立ち並んでいました。もともと魔除けなどの霊的な力があるとされた「クリス(短剣)」を作る鍛冶師が多く集まっていた場所で、現在は銀細工の他に金や銅製品も製造されているそうです。
 
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現地ガイドの誘導でチュルク通り沿いのとある工房へ入りました。

 
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左手の建物の先に中国風の布袋様が置かれています。両手を挙げた笑顔の布袋様の前には「三様三猿」ならぬ三人の弟子たちをインドネシアで見るのは意外でした。中国人観光客を意識しているのでしょうか。
 
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正面の建物に水色のTシャツを着た若い男女が客を待っていました。工房内をガイドする担当者のようです。
 
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建物の前にはヒンドゥー教の神様らしきもの

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工房内で日本語を少し話すスタッフに見せられたものは銀の小さなボールです。あわてて撮影したためピンボケ写真になってしまいました。
 
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その銀には銅を混ぜるそうです。
 
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製品の硬さと光沢の良さを両立させるために、純度を一定(92.5%)のスターリングシルバーにしているとの説明を受けました。
 
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膠(にかわ)のように見える植物由来の粘液で銀の部品を貼りつける工程は、バティックの手書き工程と同様に手先の器用さが必須でしょう。
 
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これは赤く着色した真鍮(しんちゅう)製ボール(クニンガンボール)のようです。
 
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次いで工房に併設されたショップへ案内されました。小さな工房には似つかわしくないほど広いスペースです。下請けの工房や製作者をから商品を仕入れているのでしょう。ショップにはショーケースが四角形の順路を作るように配置されています。日本語を話すショップのスタッフから最初に魅せられたガムランボールはインドネシアの代表的な銀細工製品です。
 
次の写真に写るガムランボールは、ジャワ(ジョクジャカルタ)風デザインのようで、着色された真鍮製のボールを細くて繊細な銀線を使って見事に装飾しています。ただし、ガムランボールの評価ポイントは、外観の美しさだけではなく、オルゴールのように音色の方がもっと重要なのです。銅と亜鉛の合金である真鍮製のボール内には固定された小さな金属製の櫛歯(オルゴールやハーモニカのリードのようなもの)と固定されていない別の金属片が入っており、それらが接触することで鳴る仕組みのようで、「シャリーン」という感じの軽くて爽(さわ)やかな音色が良いそうです。昔、中国で買った健康器具の「七宝健身球」と音を発する仕組みが似ているようです。ちなみに、「ガムラン」とはインドネシアの伝統的な打楽器をいくつも使って合奏する音楽を指します。
 
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円筒形や角ばった形状の製品もあります。定価はいずれも4000円とやや割高(観光客向けプライス)ですが、旅行先の楽しみとしてのショッピングですから、目くじらを立てないことにしました。もし、価格を重視するのであれば、日本で通販を利用した方が良いでしょう。
 
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スタッフは、同行者の好みを見定めて、いくつもの商品を見繕(みつくろ)ってくれました。
 
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次いで見せてもらったのはブローチ
 
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貝殻(かいがら)に融着した真珠を銀を使って装飾したペンダント
 
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面白い形状の貝を使った商品
 
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バリ独自のモチーフである小さなボールを多数組み合わせたもの
 
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大きなショーケースを一周したところで最終的な品定めに入りました。
 
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そして、私がユニークさが選ぶポイントであるとアドバイスして同行者が選んだのは、縁起が良いとされる赤色(情熱と決断力、つまり成功運がある)のボールと財の流出を防いで蓄運を高めるとされる聖龍(ドラゴン)を組み合わせたガムランボールです。そして、ネックレスとする部材もあえて銀製のチェーンではなく、鹿革の編み紐(ひも)にしました。ショッピングの終わりに定価から端数部分を値引いてもらったのは私の慎(つつ)ましやかな楽しみなのです。蛇足ですが、ガムランボールは「ドラゴンボール」と何の関係もありません。念のため!
 
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この銀細工工房の名前を確認しようと思って見た小さなショッピングバッグにはなぜか店名が表記されていませんでした。さらに、保管したはずのレシートも・・。

 

次回はバリ島東北部にある観光地のキンタマーニ高原を紹介しますが、その前に例によって投稿を小休止します。(続く)

2015年3月26日 (木)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 デンパサール市内(その5) バティック工房「アディ・バティック」

現地ガイドがホテルへ迎えに来るまで30分近くあります。日の出から1時間半が経過してかなり明るくなりましたので、再びベランダに出てみました。塀の向こう側にある建物は「リンバ」内の広東料理店「アーヤット アバロン シーフード バリ」と思われます。
 
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ベランダに置かれた竹製と思われるテーブルとチェア
 
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テーブルの上には金属製の行灯(あんどん)のようなものが置かれています。暗くなって固形燃料に点火すれば、ミラーボールのようにたくさんの光線が外に漏れる仕組みかもしれません。
 
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午前8時20分を過ぎましたので、現地ガイドと待ち合わせるメインロビーへ下りました。入り口の両側にオブジェのようなものを見つけましたが、よく見るとロウソク立てが吊り下げられていますから、これも行灯の一種でしょう。
 
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予定通り、午前8時30分にホテルを出発。デンパサールの市街地に入って国道1号(通称:バイパス)で島の東海岸を北上した観光地「サヌール・ビーチ」の北部、バティックの産地として知られるトゥパティ(Tohpati)村の近くにある創業70年以上を誇る老舗バティック工房のAdi Batik(アディ・バティック)です。バリ島らしくヒドゥー教の神様へのお供え物が地上に置かれていました。
 
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その工場で日本では「ジャワ更紗(さらさ)」とも呼ばれる「バティック(ろうけつ染め)」の工程とその用具、そして機織機などを見学しました。バティックの製法には基本である「染め」の他に、「プリント」(チャップというスタンプを使う)と「織り」の3種類があるとの説明を受けました。写真は「ろうけつ染め」による染色工程とそれを説明するサンプル展示。
 
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機織(はたお)りの工程です。日本と同じ水平機(すいへいばた)が使われていました。
 
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木綿(もめん)の経糸(たていと)と緯糸(よこいと)はともに染色済みで、「サス」(緯糸を通す道具、シャトルとも呼ぶ)を使って緯糸の位置を合わせながら、経糸を交互に上下に分け、その間に緯糸を通せば鮮やかな模様が浮き出るのです。実は、母の実家へよく遊びに行った子供の頃、祖母が機織りをするのを見たことがあります。写真は「サス」に入れる緯糸です。
 
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次いで、併設されたショップに立ち寄りました。
 
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長いバティックである「カインパンジャン」を試着した(店員に無理やり着付けられた)私は、30数年前に何度も出張したビルマ(現在のミャンマー)で、ロンジー(巻きスカート風の民族衣装)を購入したことを思い出しました。
 
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ショップ内を見て回ってバティックを何点か購入しました。
 
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これは追加購入したテーブルセンターの柄違い製品(鳥の代わりに花)
 
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購入した商品を包装してもらう待ち時間に冷たい水を勧められました。インドネシアにおいて客をもてなし法のようです作法のようです。
 
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バティック店「アディ・バティック」を出たあとは、北進して次の目的地へ向かいました。写真は途中に見かけたトゥパティの街並みです。
 
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大きな「ガネーシャ」(ヒンドゥー教の神のひとつ)を門前(右手)に祀(まつ)る施設(バティック工房か?)も見かけました。同行者が興味を持っている「商売と学問の神様」なのです。
 
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(続く)

2015年3月25日 (水)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 デンパサール市内(その4) 専用シャトルバスでもう一つのホテル「アヤナ・リゾート&スパ バリ」へ(後編)

敷地内に点在するバーやグリルはまだ開店していません。
 
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チャンドラ・スリア庭園を海へ向かって歩くと、「崖に注意!」の標識がありました。下を覗(のぞ)いてみたくなりますが・・。どうしても見たい方は同ホテルの「バーチャル・ツアー」にアクセスしてください。
 
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目当ての「ロックバー」は海岸の近くまで急な崖を下りる必要があるようですから、時間の制約で立ち寄ることを断念しました。

 

メインロビーに戻っても同行者の姿がありません。もしかしてと思い、ブティック店を覗(のぞ)くと、同行者がカウンターで支払いをしているところでした。Tシャツと小物類を土産物として購入したようです。「アヤナ・レジデンス・バリ」や「クブ・ビーチ」に立ち寄る時間的な余裕はありませんから、とんぼ返りですが、「リンバ」へ戻ることにしました。帰路は運転手のすぐ後ろの座席に座りました。もちろん、写真を撮影するためです。ホテルを出発するとほどなく路傍に大きな瓶(かめ)を発見。
 
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そして、「アヤナの道標」を通過します。「ホテル入口」以外の「クリフビラロビー(Cliff Villa Lobby)」「サーメス・マリンバリ・スパ(Thermes Marine Bali Spa)」「クブ・ビーチ(Kubu Beach)」はこの先にあると表示されていました。ここにも巨大な器が!
 

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この植込みが美しいロータリーはアヤナ・リゾート内の幹線道路と「アヤナ」へのアクセス道路の分岐点です。
 
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緩(ゆる)やかにカーブしながら「リンバ」への道が続きます。174
 
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あっという間に「リンバ」へ帰着。いつものことですが、帰り道は行く時より近いものです。
 
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メインロビーの奥にある人工池は水面下に円形のベンチがあります。
 
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好奇心が旺盛(おうせい)な同行者はさっそくそこへ向かいます。
 
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ベンチに座って見た景色
 
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(続く)

2015年3月24日 (火)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 デンパサール市内(その3) 専用シャトルバスでもう一つのホテル「アヤナ・リゾート&スパ バリ」へ(前編)

小雨が降り続いていて足下が悪いため、歩いて敷地内を散策することを諦め、前夜に下調べした敷地内を循環(往復)する専用無料シャトルバス(Tram Shuttle)を利用して広い敷地内を移動することにしました。姉妹ホテルの「アヤナ・リゾート&スパ バリ」(以下通称の「アヤナ」と記載)だけでなく、できれば「クブ・ビーチ」にも足を延ばしたくなりました。
 
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こちらは宿泊しているホテル「リンバ」の詳細地図
 
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玄関前の車寄せにいるポーターに確認すると、専用シャトルバスは午前730分の始発から15分間隔で循環しているようです。最初の停留所となる姉妹ホテルの「アヤナ」までが約3分、終点のまでは約15分とのこと。
 
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これが専用シャトルバス
 
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予定時間になると出発しました。ホテルの入り口付近にある立て看板には、これから向かう「アヤナ」に隣接する広大な6.5ヘクタールの敷地に昨年完成したばかりの贅沢(ぜいたく)なレジデンシャル・スイートである「アヤナ・レジデンス・バリ」が “Best Residential Development in Indonesia 2014-2015”を受賞したことが誇らしげに表示されています。あとで確認すると、「アヤナ」は「2013 T+L500 ザ ワールドベストホテルズ」賞などを受賞しており、「リンバ」は“World Travel Awards”によって“Asia's Leading New Hotel 2014”に選ばれていました。“Open for Inspection”(アメリカでは"Open House")とありますから、物件を見学できるようです。
 
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木々の生い茂る8ヘクタールの敷地内にプールや池など水をふんだんに生かしたデザインで、まるで森の中のオアシスのようです。専用シャトルバスはかなりの速度で走行するため後部座席では揺れが激しく、後方へ過ぎ去る景色の撮影を試みましたが、すべて上手く行きませんでした。
 
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78棟のヴィラタイプの客室がある「アヤナ」のロビー停留所に到着。さっそく、ホテルの敷地を巡ることにしました。
 
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念のため、専用シャトルバスの時刻表を確認
 
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ホテルの名前にあるようにスパ(温泉)もあるようで、テルの玄関から出る無料シャトルバスには客室に用意されている浴衣を着た人が乗っていました。ちなみに、インドネシア語で「アイル・パナス(Air Panas)」と呼ばれる温泉はバリ島の北部に多いようです。アイルは「水」で、パナスは「熱い」を意味します。有名な順に、観光地キンタマーニの「トヤ・ブンカ村営温泉」、その先にある「トヤ・デヴァシャ リゾート&スパ」、シンガラジャにある「バンジャール温泉」、タバナンの「エスパ・ホット・スプリング・リゾート」、アンスリ村にある「アンスリ温泉」、西部にあるバニュウェダンにある2つの温泉をご紹介しましょう。バニュウェダンは南部から西海岸を通って西部国立公園を抜けた所にある車で約45時間もかかる場所。僻地ではありますが、バリ有数のダイブ・スポットの「ムンジャンガン島」へ渡る船が出る場所にある公共の「バニュウェダン温泉」(ジャワ語で「アイル・パナス」という意味)と「ミンピ・リゾート・ムンジャンガン」などです。(出典:そうだ!温泉へ行こう~バリ島編~

 

メイン・ロビーに入りました。
 
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前方の突然視界が開けて、人工池の先に海へ続く遊歩道が伸びていました。
 
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右手に折れるとフロントがあり、
 
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左手にはブティック店が並んでいます。「敷地内を散策する」と私が言うと、同行者は迷わず左手方向へ歩いて行きました。
 
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人工池の脇にある階段を下ります。
 
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段差を付けた人工池にはバリ風の彫像が
 
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振り返って見た本館方面
 
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海が近づきました。「アヤナ」で有名な「ロックバー」の名前に惹かれて右手選びました。ちなみに、同じ右手には「サミサミ・レストラン」が、左手には「キシック・バー&グリル」もあるようです。
 
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本館から続くヴィラタイプの宿泊棟と「パディ・レストラン」
 
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(続く)

2015年3月23日 (月)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 デンパサール市内(その2) リゾートホテル「リンバ 」の朝食

翌朝は午前5時前に起床。テレビを付けると、NHK World Premiumを除くと日本語のチャンネルはありませんから、CNNで最新のニュースを視聴することに。外が薄明るくなった午前6時過ぎにバルコニーに出て空模様と中庭の様子を確認しました。生憎の曇天です。ちなみに、デンパサールにおける当日の日の出時間は午前6時23分。
 
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そして、午前6時25分になるのを待ってホテル内のカフェテリア「トゥゲ」へ向かいました。小雨が降り始めたため、宿泊棟とメインロビーをつなぐ木製の渡り廊下にパラソルが用意されています。前夜、宿泊棟にある部屋へ案内された時にカフェテリアの場所について説明を受けましたが、朝になって改めて確認すると、カフェテリアは一旦屋外に出る必要があるようです。
 
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朝食のサービスが始まる午前6時30分にはまだ2-3分ありますので、「リンバ」のメインロビーの様子を覗(のぞ)いてみることに。早朝であるためか昨夜と同様に奥の人工池への出口は格子の扉が閉まっています。
 
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渡り廊下を戻りました。パラソルを借りて階下のカフェテリアへと続く階段を下りました。左手にあるのはロビーから見える人口池です。
 
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カフェテリアは思いのほか広く、天気が良ければ開放的なベランダで食事をすることもできるようです。
 
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朝食(バイキング)は、西洋料理、インドネシア料理、そして和風料理のカウンターに多数のメニューが並び、選ぶのに困りました。
 
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それでも、オムレツは第一優先、牛肉ソーセージ、アジア風のホットな味のミートホール(魚の豆腐、トムヤムソース)、フレンチトースト、山盛りのフルーツと、今回も欲張り過ぎました。久しぶりに食べたモンキーバナナも美味しくて大満足。
 
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同行者はハム、サラダ、いんげん、ミートボール、ピーナツとベーコン、そして私が選んだフルーツ盛り合をシェア。写真は同行者がお替りのデザートに選んだフルーツが入ったヨーグルトです。
 
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朝食後の散歩に代えて、カフェテリアの周辺を探索することにしました。カフェテリアを取り囲むように、人工的な池がいくつも配置されています。
 
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その中には緋鯉が泳いでいます。日本から輸入したものかもしれません。
 
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階段を通り過ぎるとプールがあります。早朝であり、しかも天気が良くないため、清掃をするスタッフの姿しかありません。
 
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プールの脇から朝食を摂ったカフェテリアが見えます。
 
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半分水没したビーチチェアに座るかプール内に入って見ると空と一体になるようにデザインされたプールの先に地平線まで続くかと思われる南洋のジャングルを見渡せました。
 
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「大人のみ(Adults Only)」の看板を掲げる石製の猿(さる)がいます。
 
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何があるのかと、その先にあるウッドデッキに出てみましたが、カバーに覆われた小さな自動車のようなもの(ゴーカート?)があるだけでした。さらに先を見ると、一段低い場所にも別のプールがありました。こちらのデッキチェアは布製シートカバーが・・。
 
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雨は当分止みそうもありませんが、午前7時20分ころに自室へ戻って、外出のための身支度(みじたく)をすることにしました。(続く)

2015年3月22日 (日)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 デンパサール市内(その1) 中華海鮮料理店から宿泊ホテルへ

ガイドさんの案内で、渋滞がひどい道路を別の若い男性が運転する車で北へ走り、空港の少し北に位置するクタ地区(観光地のひとつ)のラヤクタ通り沿いにある中華海鮮レストランへ向かいました。中華料理のディナーを食べるためです。途中で驚いたことは路上を密集して走るバイクの多さです。ベトナムのホーチミンシティーや台湾の台北市のようです。到着した中華海鮮レストラン”PLAZA DEWATA”(プラザ・デワタ)の外観は期待とは裏腹に微妙です。
 
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店内はかなり広いのですが、午後7時半というのに、客は我々ともう一組だけでした。(後になってさらに数組来店しましたが・・)
 
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同店で出されたセットメニューは以下の通りです。BBQチキン(甘辛く歯応えがある)とカニとコーンのスープ(控えめの味)、そして野菜のガーリックソース炒め(ガーリックがたっぷり入っている)。飲み物は、私が瓶ビール(BINTANG、30ルピア、約100円)で、同行者はミックスジュース(20ルピア、約70円)を注文しました。
 

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エビの黒豆ソースがけ、マーボー豆腐(問題なく食べられる辛さ)、白身魚の甘酢あんかけ、スペシャル焼き飯(アンディカ米のパラパラ感が楽しめる)
 
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デザート(スイカとパパイヤの盛り合わせ)
 
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いずれも薄味で癖がなく日本人に向いたものです。しかし、その量は半端ではなく、同行者と私の二人は半分しか食べることができませんでした。現地のガイドさんによればバリ島の住民は健啖家(けんたんか、つまり大食漢)が多いとのこと。
 

バリ島でよく知られた中華料理店らしく、味とサービスだけではなくリーズナブルな料金に二人とも満足でした。ちなみに、この店は以前近くのプラザバリ内にお店を構える人気レストランでしたが、プラザバリの閉鎖により、3年ほど前に居抜きで現在の店舗へ移ったようで、やや古びた外観のままなのです。この店は店舗の見かけ(外観と内装)よりも料理とサービスを重視しているのでしょう。

 

宿泊ホテルの「リンバ ジンバラン バリ by アヤナ」(RIMBA JIMBARAN BALI by AYANA)へ向かいました。バドゥン半島のビーチリゾート地のひとつであり、ジンバラン湾に面した統合型リゾート「カランマス エステート」内で2013年秋にオープンしたばかりのゾートホテルです。

 

空港付近まで戻った車はさらに南下して丘陵地の折れ曲がった道に入りました。20分ほどのドライブ後、午後8時少し前に到着した「カランマス エステート」の正門(メインゲート)は、セキュリティチェックが厳重で、自動小銃を持った迷彩服の兵隊がガードしているほどです。10年ほど前にバリ島で爆弾テロがあったことと、最近警戒されているISISの過激な破壊活動を警戒してのことだと思われます。ちなみに、外務省の海外安全ホームページ(2015年3月6日現在)を見ると、「十分注意してください」(インドネシア東端・ニューギニア島の西半分にあるパプア州の一部は「渡航の是非検討」)と表記されていました。

 

メインゲートからホテルの車寄せまで走った距離から、夜間でも広大な敷地(確認すると90ヘクタール、つまり東京ドームが約20個分、ホテルだけでも8ヘクタール)であることは分かりまた。翌朝、ホテルの周辺を散策してみることに。ホテルの玄関先ではプルメリアのフラワーレイとドラの音(ね)が我々を出迎えてくれました。
 
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「リンバ ジンバラン バリ by アヤナ」(以下通称である「リンバ」と省略)のロビーでのチェックインは名前を告げてバスボートを見せれば良いのですが、クレジットカードによるデポジットが必要であることには驚かされました。トラブルがないことひたすら祈りました。
 
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二人の客室は5つある宿泊棟の中央部2階(ヒルサイド)にありました。真新しいホテルらしい快適な空間です。
 
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ハワイ・ラナイ島の「フォーシーズンズ・リゾート・ラナイ・アット・マネレ・ベイ」に宿泊した時と同様、ホテル到着時に「レイ・グリーティング・サービス」として首にかけてもらったフランジパニ(学名:プルメリア)のフラワー・レイ
 
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驚いたのは浴室です。巨大なバスタブだけではなく、通常のシャワーヘッドのほかに、巨大なシャワーヘッドが天井に取り付けられているのです。
 
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あとになって知ったことですが、インドネシアは風呂よりもシャワーの方が一般的なのだそうです。つまり、バスタブが無い住宅が多いとのこと。
 
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余談ですが、今回の旅行中に同行者から聞かれたことがあります。「トイレにある小型のシャワーは何か?」というのです。インドネシア通を自称する私はもちろん即答できました。手を洗うものではなく、手動ウオシュレットなのです。この設備がない場合は手桶で水を汲んで・・・。ホテルなどを除けば、トイレットペーパーは一般的ではないのです。トイレ事情は国によって異なりますので、もし適当な機会があれば紹介したいと思います。

 

無料でホテルのWiFiを利用できることも嬉しいことです。日本とのメールのやり取りやニュースをチェックして就寝までの時間を過ごしました。写真に写るiPhoneは日本時間午後9時58分(現地時間の午後8時58分)を指しています。
 
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インドネシア語の簡単な説明カードがありました。
 
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13,000以上の島があるインドネシアは、主要な島ごとに異なる言語を持っていた(現在も使われている)ため、60余年前オランダから独立した時に共通語(インドネシア語)としてマレー語(マレーシア南部の方言)を導入しました。つまり、マレーシアの言語であるマレー語と、一部の単語が異なるだけで、ほとんど同じ言語なのです。これはスペイン本国のスペイン語と中南米のスペイン語の違いと状況が似ているのかもしれません。言語の分類上はオーストロネシア語族の属しており、台湾から東南アジアの島嶼(とうしょ)部であるフィリピン・マレーシア・インドネシア、さらにはハワイやポリネシアなど太平洋の島々にも類似する言語が存在しているそうです。

 

アルタイ語族に属する日本語(および朝鮮語)はモンゴル語・ツングースの言語・中央アジアの言語・トルコ語などと文法が似ていますが、母音が重要である点から単語はオーストロネシア語族と似ていると言えます。分かりやすい共通点は同じ単語を2回繰り返した畳語(じょうご)が存在することは日本語と共通します。この特徴から日本語は北東アジアの言語と東南アジアの言語が融合したとする説が有力です。文化的な観点からみても、私はこの考えに首肯(しゅこう)できます。

 

実は、ここにリストアップされている程度の単語は30年ほど前、インドネシア(ジャカルタとバンドン)へ何度も出張した時に覚えました。いくつもの単語を懐かしく思い出しながら、インドネシア語のリストに目を通してから就寝しました。(続く)

2015年3月21日 (土)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 成田空港からデンパサール空港へ(後編)

対地速度938km/h(マッハ0.819)、対気速度911km/h 、高度約11,000m、外気温-46.0℃の表示が出ています。
 
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さらに1時間ほど経過すると眼下に広がる雲海の様子に変化が生じました。
 
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そして、雲間から陸地が確認できます。
 
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その20分後にはマレーシアのボルネオ島とインドネシアのサラワク島の間を飛行して、デンパサール空港が近づきました。
 
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巨大な積乱雲が上空を覆うボルネオ島とスラウェシ島の間を通過
 
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上空に薄く立ち込め雲を通した太陽が光のリングである「日暈(ひがさ、にちうん)」を作り出しています。暈は雲を形成する氷晶がプリズムとして機能して太陽の光が通り抜ける際に屈折されることで発生する自然現象で、大気光学現象の一種です。
 
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赤道を横切り、バリ島のデンパサール空港の手前約220km地点(到着27分前)に高度を下げ始めて、空港の混雑が理由で3回ほど旋回したあと、バリ島東端の沖合上空で機首を徐々に西方に修正し、デンパサールのングラ・ライ(NGURAH RAI)国際空港へへ直進コースに入りました。
 
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海岸線にが複雑に変化して美しい景観を創り出しています。下の写真はペニダ島(Nusa Penida)の海岸付近デンパサール市の東海岸です。
 
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眼下にはデンパサール市街地(写真後方)と橋で結ばれ、美しいラグーンとウミガメでも知られるセランガン島(Plau Serangan)の入り組んだ海岸線と、
 
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干潟(ひがた)で南北に伸びる高速道路と空港へ向かう道路(左方向)を結ぶジャンクションが間近に見えます。になって"Jalan Tol Bali Mandara"(海上高速道路)と呼ばれていることを知りました。
 
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激しいスコールが降るの中、車輪で水しぶきを上げながら、出発時に予定された時刻よりも15分以上早い午後5時18分に、バリ島デンパサールのングラ・ライ(NGURAH RAI)国際空港に到着しました。成田空港から約5890kmの距離、ほぼ7時間のフライトでした。ちなみに、デンパサールはバリ語でデン(北)のパサール(市場)を意味するそうです。「ングラ・ライ」の意味を調べると、太平洋戦争終結の翌年にオランダからの独立ゲリラ戦においてバリ島西部で戦死した英雄の名前でした。
 
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跳ね上げられた水しぶきで窓越しの視界は無くなってしまいました。
 
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まず観光ビザを取得(代金 US$35/人、待ち時間約10分)してから、ビデオカメラ(日本のLogitec製)による撮影を含む入国審査を何とか通過しました。ただし、信じられない長い行列が出来ていて、ここでは40分ほど待つことに。
 
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手荷物検査も無事に通過して空港のターミナルビルから外へ出ると、バリ島滞在中、我々二人のガイド役を務めてくれる男性が出迎えてくれていました。現地時間で午後7時少し前ですから、すっかり暗くなっていました。
 
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現代的な建築と伝統的な様式を融合させる工夫がなされているようです。(続く)

2015年3月20日 (金)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 成田空港からデンパサール空港へ(前編)

眼下にはB滑走路とゴルフ場(きゃすこ花葉CLUB・ナリタコース)が見えます。
 
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すぐ近くのゴルフ場(成田ゴルフ倶楽部)も
 
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そして右旋回すると田園地帯が広がりました。利根川(右)と新利根川(左)、そして左上には霞ヶ浦の南端が写っています。ちなみに、新利根川は江戸時代に印旛沼と手賀沼を干拓する際、利根川の水位を下げるために利根川の支流である小貝川と霞ヶ浦を直接結ぶように開削された、利根川の新川(一級河川)です。
 
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雲の上に出ると雲海が広がるだけの世界になりました。デンパサール空港までは約5700km、7時間のフライトです。対地速度約780km/h(飛行速度約930km)、マッハ0.84の速度で順調に飛行しています。
 
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インフライト・ビデオ/ミュージックの内容はあまり充実していないようですから、赤ワインを飲みながら、iPhoneを弄り回すことに。WiFi on boadのサービスに接続しましたが、パスワードが上手く認証されず、しかも有料($11.95/h)。残念ながら利用できませんでした。そこで、オフラインでも利用できるスマートニュースを読みながら時間を潰すことにしました。
 
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本州はもちろんのこと、2時間が経過して奄美大島付近に差し掛かっても状況は変わりません。
 
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ランチに私は「蕎麦が入った和食」と白ワイン(カベルネソーヴィニオン)を、同行者は「魚をスパイシーに味付けしたインドネシア料理」とコーヒーを選びました。
 
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成田空港を出発して2時間を15分ほど過ぎて沖縄付近を通過するころに雲が少し薄れ、海の青さが透けて見えるようになりました。そして、3時間後には台湾の東南東方海上を通過、眼下の雲海はほぼ消え去り、安定した気流のお陰で快適なフライトが続きました。
 
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10分ほど経過すると石垣島の南東約580km地点を通過しているとの表示が出ました。“Hirara”は宮古島市の平良(ひらら)地区を指すようです。
 
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昼食が終わると他にすることもありませんから、ビデオ・サービスのなかから映画「インターステラ」を選びました。滅亡間近な地球から人類を移住させる調査のために他の惑星へ向かった宇宙飛行士たちの物語は意外な結末を迎えたことに驚かされました。
 
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フィリピンの東方を通過するころにはさらに下界が見えるようになりましたが、その後は再び厚い雲が立ち込めて視界がまったく無くなり、気流による小さな揺れが短時間ありました。視界が回復しても小さな揺れがしばらく残りました。
 
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(続く)

2015年3月19日 (木)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 成田空港発

昨夜遅く、驚愕ニュースが北アフリカから届けられました。地中海クルーズの途中にクルーズ客が立ち寄ったチュニジアの首都、チュニスの国立博物館で、イスラム過激派とみられるグループにクルーズ客が銃撃され、複数の方々が死亡し、多数の負傷者もいるとの悲報です。被害を受けられた方々に心からお悔やみ(あるいはお見舞い)を申し上げます。

 

海外旅行における最大のリスクはこのようなテロですが、それ以外にも暴動や事故などが挙げられます。これから投稿を始めるインドネシア旅行記の中で触れたいと思いますが、インドネシアでも20年ほど前にテロ事件が頻発したことがありました。最近は政情がやや落ち着いているようですから久しぶりにインドネシアを訪れることにしたのですが、帰国した翌週に知った今回のテロにより、危険な地域が急拡大していることを痛感しました。

 

前書きはここまでにして本題に入ります。

 

                    ☆

 

成田国際空港駅で京成成田スカイアクセス線アクセス特急を下車して成田空港のターミナル1 へ向かいました。セキュリティポイントを通過、エレベーターで中央ビルの4階まで上がり、ガルーダインドネシア航空のチェックイン・カウンターがある北ウイング4階のFカウンターに到着。

 

出発予定時刻(午前11時)のちょうど2時間前に搭乗手続きを行い、続いて手荷物検査と出国審査を済ませて17番ゲートへ向かいました。まず搭乗場所を確認するのが私の習慣です。と言うのも、日本の空港では滅多にないことですが、海外ではゲートの変更は日常茶飯事だからなのです。そして両替所を探しました。何と、南ウイングにしか無いのです。やれやれです。
 
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搭乗ゲートには変更がありませんが、出発予定時間は10分早くなっています。ちなみに、我々が搭乗するガルーダ航空のGA881便(デンパサール行き)は全日空とのコードシェアでもう一つの便名(NH5471)があります。
 
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ガルーダ航空のGA881便はボーディングブリッジに接続されていました。機体には“BOEING 777-300ER”の文字が確認できます。
 
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北ウイングのサテライト見かけた機体を紹介します。まず、第2サテライトに駐機するベトナム航空機(エアバス社製A330-200)は、新しい塗装色(紺色)、および垂直尾翼の花(ゴールデンロータス)と国旗(金星紅旗)に特徴があります。
 
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米デルタ航空のDL290便(9時25分発グアム行き)はボーイング社製757-200で、その後方に2つの管制塔が見えます。
 
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エアーフランスAF275便(12時10分パリ行き)の機体はボーイング社製777-300です。折り返してAF275銀となるAF276便が成田空港に到着したばかりで、乗客が機内から大量に降りてきました。
 
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サテライトに駐機する機体を見え廻っているうちに、デルタ航空機(DL290便)がボーディングブリッジを離れて出発体制に入りました。
 
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一際巨大で鮮やかな紺色の機体(ボーイング社製超大型旅客機B747-400)はオランダ航空の午前11時30分発KL862便です。ジャンボと呼ばれた人気旅客機で2009年の生産が終了されています。ちなみに、エールフランス航空とKLMオランダ航空は、従来の社名を使っていますが、エールフランス‐KLMの傘下で経営統合されています。
 
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機体の後部だけが見えるのは我々が搭乗するガルーダインドネシア航空のボーイング社製B777-300ERです。名称から推測できるように搭乗席数は316席。
 
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出発予定時刻である午前11時の40分前に搭乗が始まりましたが、身内へのメール連絡などで時間を潰しました。搭乗者の列が短くなったところで、最後尾に並びました。ちなみに、ガルーダはインドネシア語で鷲(わし)を意味します。
 
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ほぼ定刻に出発したガルーダ航空GA881便(機体はB777-300ER、機長73.9m、翼長64.8m、航続距離13,520km、最高速度1,090km/h、定員316名)は定刻より10分早くターミナルを離れてエプロンを移動し始めた。尾翼付近が黄色い飛行機は"Air Hongkong"の社名の横に"DHL"と表示されていますから香港の空運会社の貨物専用機(フレイター)でしょう。
 
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”Polar”はアメリカの航空貨物会社
 
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誘導路をタクシーイングすると“NARITA”ときれいにトリミングされた植込みが見えます。
 
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誘導路からA滑走路(長さ4,000m、幅40m)へと方向転換し、機長は離陸許可を待っているようです。主翼の先にヒマワリで描かれた「がんばろう! 日本」の文字が確認できました。もちろん、東日本大震災からの復興の願いを込めて2011年に造られたものです。
 
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日本郵船グループの空運会社であるニッポンカーゴ(日本貨物航空、NCA)など利用する南部貨物地区には同社の貨物専用機(フレイター)が(B747-400F)駐機しているのが見えます。そして、同じエリアにある全日空の施設前には昨年4月にスタートした全日空カーゴのカーゴ機(B767-300F)が後続離陸機として控えています。
 
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A滑走路の南端から滑走を開始したガルーダ航空GA881便はスムーズに離陸しました。第一ターミナルの北側にある航空貨物棟と管制塔などが見えます。
 
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(続く)

2015年3月12日 (木)

最近、注目したニュース(2件)

その1 「大手家具店のお家騒動」

 

昨日配達された郵便物を確認していて2通の封書に目が止まりました。いずれの封筒にも「O家具」の名前がありました。しかし、封筒の色調はそれぞれ緑色と茶色で異なります。封書の内容物を確認すると、前者は株主総会における委任を求める議決権行使書で、後者は同じく委任状でした。通常は前者のみのはずですが、今回はなぜか2通あるのです。そして送り主は、前者が株式会社O家具、後者が会長O氏の事務局。ここまで確認すれば間違いありません。テレビなどで連日取り上げられている「O家具」の御家騒動(骨肉の争い)によって生じたプロキシーファイト(委任状争奪戦)に私個人も巻き込まれたのです。
 

O家具」との出会いは20年ほど前にアメリカから帰国した時でした。アメリカから持ち帰ったアメリカ製の木製家具にマッチする家具を求めるため、江東区の有明に出来て間もない「O家具」の本社ショールームへ出かけて、リビングルーム用の木製ソファーと小物家具を購入したのです。その際に会員登録をしています。しかし、それ以降は幽霊会員も同然で、国際会議場へ出かけるためにユリカモメに乗った時に車窓から大きな店舗を眺めるだけになりました。
 

その後、長期にわたる同社の業績低迷を受けて前社長の長女で才媛の現社長(竹取物語の赫映姫をもじって家具屋姫と呼ばれている)が6年ほど前に後継社長になりましたが、その新しいビジネス戦略と改善し始めた業績に注目して同社の小口株主になったのです。しかし、昨年7月に業績低迷(実際は経営方針の違い)を理由に社長を突然解任され、会長である前社長が復帰して社長職を兼務しました。しかし、経営戦略を強引に後戻りさせたことで社内が混乱して業績がさらに悪化したため、半年後の今年1月に開かれた取締役会で前社長が復帰することが急遽決定されました。
 

それを受けて会長は3月27日に本社で開催される株主総会の場で巻き返しを図ることを表明し、株式配当を現在の3倍に引き上げると発表するなど、多数派工作に乗り出したのです。一方、大手投資ファンドの一つが現社長を支持する側に回ったようで、どちらが多数派に成功するかはまだ予断を許しません。熟慮したうえでどちらかを期日までに返信するつもりです。

 

 

その2 「ISISによる遺跡破壊」

 

過激派組織ISIS(通称イスラム国あるいはIS)がイラク北部モスルの郊外にあるユネスコが認定した世界遺産のハトラ遺跡(約2000年前に栄えた古代パルティア王国の都市遺構)を爆破し始めたとのニュースをインドネシアの観光旅行中に知ってショックを受けました。本件はタリバンが2001年にアフガニスタンにあるバーミヤンの巨大石仏を破壊したことに並ぶ暴挙と言わざるを得ません。

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前に隣国シリアの中央部にあるローマ帝国支配時の都市遺跡であるパルミラ遺跡(世界遺産)を訪れたことがありました。パルミラは地中海沿岸のシリアやフェニキアと東のメソポタミアやペルシアを結ぶ交易路となっており、シリア砂漠を横断するキャラバンにとって非常に重要な中継点であったようです。

首都ダマスカスから230kmほど北東方向に位置するパルミラ遺跡を訪れるため、悪路を片道5時間近く走ったと記憶しています。両者はいずれも中東を代表する遺跡です。(写真は隣国ヨルダンのアンマン市内にある古代ローマ遺跡ジェラシュで雰囲気が似ている)

余談ですが、私の当時のパスポートにはシリアを訪れた記録が残っていたため、その後アメリカへ出張した時に空港での入国審査中に別室へ連れて行かれて事情聴取を受けたことがあります。当時からシリアはアメリカに取って危険国と見做(みな)されていたのです。

今月初旬ののインドネシア旅行で訪れたジャワ島のボルブドゥール遺跡でも30年ほど前に同様の遺跡を爆弾を使って破壊するテロがあったことを知りました。次回から投稿を開始するインドネシア旅行記の中で関連の記事を投稿する予定です。

2015年3月 7日 (土)

初春の湯島散策(最終回) 湯島のグルメ イタリア料理店「グラット・シエル」

湯島でグルメと言えば、とんかつ&サンドイッチの「井泉(いせん)」や明治37年創業の老舗おでん店「多古久(たこきゅう)」などが知られていますが、この日に選らんだのはカジュアルなイタリア料理店”Gratte-Ciel(グラット・シエル)です。湯島駅付近に戻って、春日通りを東方向に70mほど歩いたドンキビル8Fにありました。
 
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フランス語で摩天楼(まてんろう)を意味する店名の”Gratte-Ciel”に合点(がてん)がゆきました。ちなみに、”Ciel”は空を指します。
 
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ランチメニューの料金はリーズナブルのようです。
 
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エレベーターを利用しました。
 
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エントランスは手狭な印象ですが落ち着いた雰囲気があります。
 
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12時を少し過ぎた時であったためか、室内の席は一杯で、喫煙席を兼ねたテラス席に案内されました。
 
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副流煙が気になって一番端の席を希望しました。
 
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テラス席から東京スカイツリーが良く見えます。
 
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同行者が選んだのはワタリガニのトマトクリーム(トマトソース、80gのMサイズ)1日10食限定で、サラダとドリンクバーが付いています。
 
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私は平日限定のパスタランチプレート(クリームソース、120gのLサイズ)、つまり「ベーコンと水菜のカルボナーラ」で、サラダ・パン・ヨーグルト・デザート・ドリンクバーが付いています。
 
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いずれのメニューもパスタの量とソースの種類にかかわらず980円で、味もやや日本風にアレンジされていて美味しいと感じました。

 

帰り際にドンキホーテの店内を入口付近から覗いてみましたが、春節(旧正月)3日前の224日まででしたから、瀑買する外国人観光客の姿はありませんでした。そして、店員さんが中国語と英語を併記した看板を撤収している場面を見かけました。
 
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<同行者のコメント> 旦那様はまた梅見に出掛けると言いだし、今度向かったのは都心の神社でした。平日にもかかわらず、ほぼ満開の梅を見るために、大勢の観光客で混雑していました。偶然見かけた猿回しはとても楽しかったです。旧岩崎邸庭園は旧古河庭園以上に立派でした。そして、ランチに食べたワタリガニのトマトクリームはとても美味しくて大満足。 

2015年3月 6日 (金)

初春の湯島散策 旧岩崎邸庭園(後編)

洋館の南面にあるベランダは列柱が並ぶコロニアル様式(1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式)だと説明されています。ちなみに、左後方に写る建物は「国立近現代建築資料館」。
 
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煙突と屋根飾り
 
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基礎部の換気口は洋館内の装飾と同様にアラベスク(アラビア風装飾模様)を取り入れています。
 
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洋館の東面にあるサンルームは1910年頃の増築です。
 
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庭園の左奥に撞球室が見えました。
 
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重要文化財に指定されている撞球室へも立ち寄りました。『コ ンドル設計の撞球室(ビリヤード場)は、洋館から少し離れた位置に別棟として建つ。ジャコビアン様式の洋館とは異なり、当時の日本では非常に珍しいスイス の山小屋風の造りとなっている』と説明されています。
 
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ガラス窓越しに見た内部の様子
 
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洋館と結ばれた地下通路の入口
 
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地下通路の明り取り(天窓)のようです。
 
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撞球室の側面
 
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撞球室の脇にクリスマスローズ(雪起こし)の紫や白い花が咲いていました。
 
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庭園を出ました。
 
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反対側にある「国立近現代建築資料館」の入口
 
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重要文化財の「袖塀(そでべい)」
 
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券売所から正門方向へ戻りました。無縁坂に沿って続く煉瓦製の塀が正門近くで黒い塀に変わりました。煉瓦塀(れんがべい)の説明には、『当初は、煉瓦積み黒漆喰仕上げの塀であり、桟瓦(さんかわら)が葺かれていた。黒漆喰仕上げは耐水性と耐火性に優れた工法で商家矢倉に用いられることが多かった。耐震補強工事の際に発掘された瓦を使用し、当初の様子が一部復元されている』とありました。
 
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(続く)

2015年3月 5日 (木)

初春の湯島散策 旧岩崎邸庭園(前編)

湯島駅がある交差点まで戻り、昌平橋通りを北へ向かいます。
 
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昌平橋通りが行き当たった場所に「不忍の池」が見えました。
 
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次の目的地である「旧岩崎庭園」への案内標識を見つけました。
 
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路地を入ったところに「旧岩崎邸庭園」がありました。
 
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岩崎家縁(ゆかり)の庭園はこれまでに紹介したことがある六義園(りくぎえん)清澄庭園殿ヶ谷戸庭園とともに現在都立庭園になっています。
 
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旧岩崎邸は1947年(昭和22年)に財産税を物納されて国有財産化されたのち、2001年(平成13年)にその主要部だけが東京都に移管された経緯があるため、現在の敷地は当初のもの広さにくらべて三分の一程度とのことです。
 
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関連のhpからその概要を引用します。『旧岩崎邸は1896年(明治29年)に三菱創設者・岩崎家本邸として建てられました。英国人ジョサイア・コンドルによって設計されたもので、現存するのは洋館・撞球(どうきゅう)室・和館の3棟です。木造2階建・地下室付きの洋館は、本格的なヨーロッパ式邸宅で近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。館内の随所に見事なジャコビアン様式の装飾が施されていて、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが、往事のままの雰囲気を漂わせています』と説明されています。

 

ゲートを抜けてなだらかに上がるアプローチ道路を歩くと、敷地内を散歩する保育園児たちと行き交いました。
 
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左手にカーブした先に入園券売り場で入園券を購入しました。大人が400円、65歳以上は200円です。
 
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その後方にある銀杏(銀杏)は、樹推定樹齢が400年で、幹周が7.4mと巨大な樹です。江戸時代、越後高田藩榊原家屋敷時代よりこの地にあったと思われると説明されています。
 
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銀杏は老木になると幹江田から「乳」あるいは「垂乳」と呼ばれる乳房状のこぶが垂れ下がることがあり、この銀杏にも見られました。
 
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銀杏の巨木と向かい合うように洋館が建っていました。
 
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1896年(明治29年)に竣工し、岩崎家の迎賓館として用いられた西洋館です。木造2階建、屋根はスレート葺き、外壁は下見板張りとのこと。重要文化財に指定されています。
 
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正面玄関で靴を脱いで(ビニール袋に入れて)洋館内に入り、順路にしたがって洋館の1階から2階まで巡りました。1階には正面玄関・ホール・大食堂・客室・婦人客室・サンルーム・書斎があり、大階段を上がった2階にはホール・集会場・ベランダ・客室・婦人客室・書斎が並んでいました。いずれも豪華な内装が施されています。中でも2階の2部屋だけ金唐革紙が復元されていました。残念ながら館内はすべて撮影禁止でした。
 
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1階の正面玄関まで戻って和館へ向かいました。その途中、スタッフの方に声をかけて質問すると親切に説明してくださいました。記録は残っていないが2階の客室には宿泊ができたことと、幅が狭い階段は使用人が使ったこと、洋館と撞球室の間を往き来する地下道があることなど、和館は一部(重要文化財に指定されている書院造の大広間の建物)だけが保存されていて、その他の跡地は文化庁の「国立近現代建築資料館」になっていることなどです。

 

「抹茶セット」・岩崎家と縁が深い小岩井農場のチーズケーキセット・宇治金時などを楽しめる和館の次の間(お茶席)、および広間を抜けて庭園に出ました。外から見た和館の佇(たたず)まいです。
 
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旧岩崎邸の広い庭は、『江戸期に越後高田藩榊原氏、そして明治初期は舞鶴藩牧野氏の屋敷であったことで、大名庭園の形式を一部踏襲していた。洋館と和館で構成された建築様式と同様に、庭も和洋併置式とさ れ、「芝庭」をもつ近代庭園の初期の形を残している。往時をしのぶ庭の様子は、江戸時代の石碑、和館前の手水鉢や庭石、モッコクの大木などに見ることがで きる。この和洋併置式の邸宅形式は、その後の日本の邸宅建築に大きな影響を与えた』(関連のhp)そうです。後方に巨大なマンション(湯島ハイタウン)がたっているのは興ざめです。
 
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(続く)

2015年3月 4日 (水)

初春の湯島散策 湯島天神 梅まつり(最終回)

「奇縁氷人石(きえんひょうじんせき)」の右側には「たつぬるかた」、左側には「をしふるかた」と記されています。これは迷子がでたとき、子の名を書いた紙を右側に貼って探し、迷子がいた時、その子の特徴を書いた紙貼って知らせた「迷子しらせ石標」の名残(なご)りです。
 
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仙台市若林区荒町にある毘沙門堂の参道でも「迷子しらせ石標」に似た求人広告に利用されたと言われる「奇縁二天石」(表面に「たつぬる方」と裏面に「なしゆる方」と彫られている)を見かけたことがあります。ブログ記事「仙台散策(最終回) 荒町・南鍛治町から連坊小路へ」で毘沙門天参道の鳥居脇に写っている小さな石柱です。ちなみに、「奇縁」は「思いがけない/不思議な縁」、「氷人」は「仲人(なこうど)」、「二天」は「多聞天(毘沙門天)と持国天」のことです。

 

湯島天満宮のhpによると、『梅園には本数約 300本あり、樹齢が約70年~80年の木が中心で、見頃は2月中旬~3月上旬。梅の種類は白加賀(しろかが)を中心に7、8割が白い花。その他にも、萼(がく)が緑色の「月影(つきかげ)」、早咲きの「冬至(とうじ)」、実は最高級品(和歌山原産)の「南高(なんこう)」、一重・(小田原原産)の十郎(じゅうろう)があるそうです。ちなみに、戦中時の歌として大ヒットした歌「湯島の白梅」(1942年)がよく知られています。

 

白色以外には、遅咲きで淡紅の「豊後(ぶんご)」、紅色で八重咲の「寒紅梅(かんこうばい)」、薄紅の「見驚(けんきょう)」「道知辺(みちしるべ)」「東雲(しののめ)」、淡紅色の「紋造(もんぞう)」、一重の紅千鳥(べにちどり)、そして紅白の花が一本の木から咲く「想いのまま(思いのまま)」もあるそうです。

 

白梅の古木
 
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ピンク色の梅の花
 
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拝殿を背景にもう一枚
 
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この枝垂れ梅もかなりの古木のようです。
 
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梅園を一周すると、ちょうど「猿回し」の余興が始まるところでした。
 
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宝物殿(写真の右手)の脇を抜けて銅鳥居から外に出てみました。ちなみに、宝物殿は500円(65歳以上300円)で拝観できます。
 
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男坂側の鳥居まで戻って、今度は女坂を利用して下りることにしました。
 
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「湯島天神 梅まつり」の装飾を見ながら湯島天満宮を後にしました。
 
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(続く)

2015年3月 3日 (火)

初春の湯島散策 湯島天神 梅まつり(その2)

参拝したあと右手から本殿脇へ向かいました。塀に沿って「菅公一千百年祭記念碑」、「都々逸(どどいつ)之碑」、王さんの「努力碑」などがひっそりと並んでいます。
 
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本堂側には大量の絵馬が掛けられていますが、そのほとんどが「合格祈願」のようです。
 
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本殿と拝殿が幣殿で結ばれている権現造りの社殿は、明治18年に土蔵造りで改築されたものでしたが、平成7年(1995年)12月に現在の形(純木造)に再建されたそうです。さらに本殿は屋根をより大きくして立派なものにする演出が施されています。(出典:湯島天満宮のhp
 
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そして美しい枝垂(しだ)れ梅も
 
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本殿の裏手に回ると、その構造がよく分かります。
 
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本堂の裏手には摂社(付属する神社)の「戸隠神社」(地主神)と伏見稲荷大社の主祭神を勧請(かんじょう)した末社の「笹塚稲荷神社」
 
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「湯島天神 梅まつり」の特設舞台では週末にカラオケコンクールや奉納演芸(湯島天神白梅太鼓、おはやし、日本舞踊、かっぽれ、三味線、講談、落語、在日中国雑技団、ベリーダンス、その他)などが予定されているようです。その他にも、3月1日()には「神輿渡御」、と「野点(のだて)」(お茶券500円)も予定されているそうです。
 
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拝殿の脇から社務所へ向かって太鼓橋が伸びています。
 
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この日は10時30分から「猿回し」の余興(よきょう)があるようです。
 
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それが始まるまで境内の梅園を見物することにしました。手水舎の脇には天神様とかかわりが深い牛の像がありました。
 
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池の畔(ほとり)には泉鏡花(いずみきょうか)の「筆塚」がありました。明治後期から昭和初期にかけて活躍した泉鏡花の代表作である「婦系図(おんなけいず)」は湯島を舞台にした小説で、新派の舞台で取り上げられたり、何度も映画化されています。また、「湯島の白梅」を題名とする歌謡曲が大ヒットしました。
 
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池に架かる土橋(どばし)は4年ほど前に架け替えられたもののようです。
 
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そして石畳も
 
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(続く)

2015年3月 2日 (月)

初春の湯島散策 湯島天神 梅まつり(その1)

2月下旬の金曜日に東京メトロ千代田線を湯島駅で下車して3番出入口を出ました。
 
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春日通りを西へ2分ほど歩けば湯島天満宮(通称:湯島天神)に行けるはずです。湯島天満宮は名称から分かるように学問の神様として知られる菅原道真公を祀っている神社です。しかし、交差点の角には3つのルートが図解されていました。男坂と女坂があるようです。
 
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昌平橋通り(都道452号)を70mほど南下して西方に伸びる路地を歩いて、湯島天満宮の男坂へ向かいました。平成27年2月8日~3月8日まで「梅まつり」が開催されていると知って訪れることにしたのです。
 
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余談ですが、湯島の地名から温泉が湧く島を連想します。確かに、古代ではこの近くまで東京湾が入りこんでいたとされます。同じ文京区の根津は港があったことが地名の由来とされます。しかし、湯島には温泉がなさそうです。そこで、調べてみると、意外な由来があることを知りました。湯島地名は元々「ゆ」+「しま」ではなく、「ゆし」+「ま」だと言うのです。「ゆし」は「由々(ゆゆ)しい」、つまり地形が険しくて難儀な状態を指し、「ま」は場所を意味する「間」でした。古い日本語では、山(やま)、島(しま)、間々(丸い地形)、多摩(周辺より高い領域)、天(あま)ははるか高い領域または場所のことを指す言葉として、現在も意識しないで使われています。場(ば)も同様です。

 

天神石坂(天神男坂)は三十八段の石段坂です。
 
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石段の右脇に石仏を見かけました。復興地蔵尊の由来が説明されていました。『1923年(大正12年)9月1日の関東大震災は死者・行方不明者約10万人超という未曽有の惨禍を東都にもたらした。当時の町会長を中心として有志は罹災者の安寧と早期の復興を願い元禄7年より約300年来火伏寺としての伝統を持つ心城院の協力を得て災去復興地蔵尊(向かって右側)を統治に建立し震災で亡くなった方々の冥福と地元の平和発展を祈った。その後、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で当町会は一軒の損失もなく、その難を免れた。これは「お地蔵さん」のご加護によるものと往時の人々の心に深く刻まれた』とあります。
 
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男坂の石段を上がって表鳥居をくぐりました。寛文7年(1667年)に創建されたこの鳥居は都の文化財に指定されています。
 
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右手には緩やかな女坂が伸びています。
 
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梅の花がほころんでいます。湯島天満宮では2月8日から3月8日まで「梅まつり」が開催されています。
 
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鳥居の脇には「講談高座碑」、新橋演舞場の改築に伴い当地に移設された作家川口松太郎氏の揮毫(きごう)による「新派碑」、文具資料館が建立した「文房至宝碑」などがありました。
 
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右手にある社務所脇にはこんなお知らせが・・。
 
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授与所の前にあった境内案内図
 
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天満宮(天神)ですから溢(あふ)れるほどの絵馬が掛けられていますが、ほとんどは合格祈願のようです。
 
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鳥居から伸びる参道の両側に露店が並んでいます。
 
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左手には御茶ノ水方面から湯島天満宮に参拝する参道と銅鳥居(重要文化財)が見えます。
 
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銅鳥居よりにある手水舎(ちょうずしゃ、てみずや)を経て社殿へ向かいました。
 
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銅鳥居から伸びる参道の正面に拝殿があります。外観上で目につくのは「妻」と称される正面屋根の大きな三角部分です。鳥居のある場所が社殿の場所と約1mの高低差があるため、「妻」をより大きくして拝殿を立派に見せています。
   
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(続く)

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