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2015年4月

2015年4月30日 (木)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ボロブドゥール遺跡(その4) 回廊巡りと浮彫彫刻レリーフ

第1から第4まである方形壇の回廊(総延長約5km)には、仏教説話にもとづいた1460面におよぶ浮彫(うきぼり)彫刻レリーフが時計回りにつづいて続いており、登場人物はなんと1万人に及ぶそうです。同様に1212面の装飾浮彫には、天人や羅刹(らせつ、鬼神の総称)、鳥獣、植物文様(もんよう、模様)およびインド神話に登場する伝説上の鳥獣などが見られます。気が遠くなりそうな話ですが、方形壇の回廊巡りは、第1回廊を4回、第2-第4はそれぞれ2回ずつ巡るとすべてのレリーフを物語にしたがって見ることができるそうです。というのは、各回廊の両側には主壁面と副壁面があり、第1回廊にはさらに上下2段構成でレリーフが設置されているからなのです。

 

まず、無色界(円壇部)を出た拱門(きょうもん)の左手から最上部にある第4回廊を巡ります。「普賢菩薩行願讃」のレリーフが72あるそうです。
 
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壁龕(へきがん、窪み)に置かれた等身大の仏像は何ものにもとらわれず実践することを意味する仏の「不空成就如来」で、手の平を前にかざす「施無畏印」は人々の恐れを取り除く印相です。
 
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首がない仏像も
 
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方形壇の壁多数設置された吐水口(とすいこう)の彫刻
 
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第2・第3回廊にはスーダナ・善財童子の巡礼物語である「大方広華厳経入法界品(善財童子の55善知識歴訪)がテーマで、それぞれ128と88のレリーフがあるそうですが、時間の関係でパスしました。

 

さらに階段を下りた第1回廊には、釈迦様の誕生から悟りを開いて最初の説法を行うまでを描いた主壁上段の「方広大荘厳経(仏伝)」と同下段の因果応報「本生譚および比喩経(前生物語)」がそれぞれ120ずつあるそうです。
 
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「釈迦(しゃか)の物語」は天界の仏陀(ぶっだ)が人間のため地上界に降りることを決意するところから始まりました。そして、地上に降りる準備をして摩耶(まや)夫人の子として生まれることとなります。最初のレリーフは天界にいる仏陀です。
 
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左上には楽器を演奏する人たちが彫られています。
 
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天界の様子が続きます。
 
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摩耶(まや)夫人は白象がお腹に入るという霊夢(れいむ)を見ます。ちなみに、左上にいる白象は天界の仏陀のことです。
 
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釈迦が摩耶夫人の右わき腹から誕生して7歩歩くと、そこに蓮(はす)の花がさいたとされるシーン
 
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出家した釈迦は5人の修行者と苦行林で6年間過ごしたあと、菩提樹の下で悟りを開いて仏陀(目覚めた人)になりました
 
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これは彫刻されていない石で修復されたレリーフ
 
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レリーフはまだ続きますが、写真紹介はここまでにします。(続く) 

2015年4月29日 (水)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ボロブドゥール遺跡(その3) 露壇巡り

青空を背景にした大ストゥーパと円壇に並ぶストゥーパの周辺では観光客が思い思いの時間を過ごしています。ストゥーパを注意深く観察して分かりました。第3円壇(最上段)のストゥーパは窓の形が正方形ですが、第1・第2円壇のストゥーパは菱形になっているのです。
 
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大ストゥーパは円形の伏鉢鼓胴部(直径約16m)に四角柱と六角柱が載る構造は他のストゥーパ(仏塔)と同じでした。インドのストゥーパは円墳型でしたが、それが伝わった国によってさまざまな形に発展したようで、ボロブドゥールにあるものはこの四角柱に特徴があり、ミャンマーのシュエダゴンゴン・パゴダは頂部が細長く伸びています。ちなみに、ストゥーパはお釈迦(しゃか)様の仏舎利(ぶっしゃり)を納めた塚で、それを音訳した言葉が卒塔婆(そとば)、そして五重塔三重塔・多宝塔などの塔は卒塔婆を略した言葉です。
 
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東側の入口の先には夜明け前に歩いた広い遊歩道が一直線に伸びています。
 
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そして、日の出を見るために上がってきた東側の入口(色界の5段目と4段目の門)

 
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ここにも獅子(ライオン)像が
 
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Borobudur Pasca Erupsi Merapi”(ムラピ山噴火直後のボロブドゥール)の解説看板が目に留まりました。ちなみに、ボロブドゥール遺跡は1814年に発見された時にも火山灰で埋もれていた(イスラム教徒による破壊を避けるため意図的に埋められたとする説もある)そうです。
 
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ムラピ(メラビ)山(標高2911m)の噴火(2010年秋)による被害状況と修復過程(左上から右下へ)が説明されています。1.火山灰に覆われたボロブドゥール、2.火山灰の厚さ、3.火山灰の除去作業、4.水洗作業、5.プラスチックを使ったストゥーパの保護、6.ボランティアによる火山灰の搬出作業、7.床の分解作業、8.排水設備の清掃作業、9.床の被害状況、10.床の補修作業、11.同仕上げ作業、12.補修作業後の状態 注)この作業が終了した2013年に遺跡への立ち入りが許可されました
 
 

三層の円壇を取り囲む露壇(ろだん、テラス)を作法に則(のっと)って3度巡ることにしました。ちなみに、円壇には鐘型ストゥーパが下から32、24、16の計72基、規則正しく並んでいます。右手が第1円壇で、左手が色界の第5段目の壁面です。ちなみに、72基のストゥーパ、釈迦による108の説法など、数字の組み合わせがすべて9になることを知りました。
 
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壁面が折れ曲がった部分の装飾にも小さなストゥーパが!
 
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石板の組み合わせが見事な床面
 
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西側の出入口ですが、出入りすることはできません。
 
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北北西の方向にも山が見えます。
 
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北側の出口
 
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私は大ストゥーパの周囲を歩いてみました。これは南側のストゥーパです。南方向は山が迫っています。
 
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北東方向です。眼下に広がる神秘の大パノラマが素晴らしく、メキシコ・ユカタン半島にあるマヤ遺跡のチチェン・イツァ遺跡と双璧(どうへき)をなすと言えるでしょう。

 
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東北東の方向
 
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現地ガイドの勧めがあって大ストゥーパを背景に同行者と一緒に記念撮影しました。珍しいことです。
 
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西方向の山を背景にもう一枚
 
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北の出入口を出る前に最後の一枚を撮影してもらいました。拱門(きょうもん、アーチ)の上部にある彫刻は魔を払う冥界(めいかい)の主「カーラ」です。 
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(続く)

2015年4月28日 (火)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ボロブドゥール遺跡(その2) 日の出

ボロブドゥール遺跡は世界最大級の仏教寺院で、世界的な石造遺跡でもあり、この遺跡を中心とする「ボロブドゥール寺院遺跡群」は1991年にユネスコの世界遺産に登録されています。780年頃から建造が開始され、792年ころに一応の完成をみたと考えられ、さらにサマラトゥンガ王(位812年-832年)の時代に増築されたそうです。当時の高さは42mでしたが、現在は破損したことで33.5mと少し低くなったようです。

 

ここで薀蓄(うんちく)です。仏教で説かれる三界は、煩悩(ぼんのう)に満ちた欲界、欲望は絶ったがまだ肉体の存在する色界、肉体を離れた精神的要素だけとなった無色界を指します。大乗仏教の遺跡であるボロブドゥール寺院はそれに従って、下から欲界(Kamadhatu、カマダトゥ)を表す「基壇」(一辺が約115m)、色界(Rupadhatu、ルパダトゥ)を表す「方壇」(5つの壇と4つの回廊がある)、無色界(Arupadhatu、アルパダトゥ)を表す「円壇」(3つの円壇がある)、つまり全体で9層の階段ピラミッド状の構造となっています。私と同行者は一番高い第3円壇に陣取って日の出を待ちました。そして、午前5時15分頃に東北東(約25km)にあるムラピの端が赤く染まり始めました。
 
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午前5時20分にはムラピ山の端(は)付近がかなり明るくなり、円壇の様子をなんとか確認できるようになりました。
 
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左手(北)方向と右手(南東)方向には山が見え、甲府盆地にも似た盆地であるこことが分かります。写真は露出の関係で実際より明るく見えています。
 
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大ストゥーパも陽光に照らされ始めました。
 
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午前5時40分、日の出が近いようで、朝焼けが始まりました。
 
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すぐ後ろにある大ストゥーパが少し赤味を帯び始めました。
 
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午前5時43分、日の出です。
 
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太陽は一気にその姿を現します。
 
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大ストゥーパは赤く染まりました。
 
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午前5時48分には残念ながら雲が出てきました。
 
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日の出の撮影が一段落したところで、第1円壇にあるストゥーパのひとつは内部の釈迦如来像がむき出しになっていることに気づきました。これは1985年にイスラム過激派がボロブドゥールに侵入して円形壇のストゥーパ9基を破壊した影響かと思いましたが、破壊後はいずれも修復されており、円壇の東西に2基だけ見学用としてこの形にしてあるのだそうです。
 
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(続く)

2015年4月27日 (月)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ボロブドゥール遺跡(その1) 夜明け前

ホテルから石畳の遊歩道を5分ほどあるくとゲートに到着。セキュリティチェックを受けてボロブドゥール遺跡へ向かって歩きました。闇の中から奇抜な図柄を描いた立て看板が現れました。
 
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近づいてみると、”The Procedures Visitinng Borobudur Temple”(ボロブドゥール遺跡を訪れる時の注意事項) が書かれています。”PRADAKSINA”(プラダクシナ)は邪悪なものから身を守るためのヒンドゥー教の巡回儀式形式を意味する言葉で、時計回りの方向に3回巡回することを指します。そして、中央に描かれた図形はボロブドゥー遺跡の平面図でした。その下の箇条書きの最初にある“Anda memasuki halaman Candi Borobudur dari sisi Timu anda”は、「あなたは東側からボロブドゥール寺院の構内に立ち入ること」で始まっています。
 
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前方に石段が現れました。
 
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思ったよりも段数が多いようです。
 
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石畳の道に変わりました。
 
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門のようなものに上がる石段に続く道の両側に獅子(ライオン)像が置かれています。その後ろには石の壁が続いているようです。
 
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石段のすぐまえには別の像がありました。
 
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懐中電灯で石段を照らしながら現地ガイドがあれこれ説明してくれます。
 
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それはこの石彫でした。
 
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月を目指すように長く伸びる石段を上がるようです。
 
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目を凝らすと月と星の明かりに照らされた最後部がうっすらと見えました。右手に注意事項が図解されています。
 
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横に伸びる石の壁にレリーフが彫られています。
 
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勾配が急になった石段には木製のステップと鉄製の手すりが設置されています。
 
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石段をさらに上がると石の門の先にはストゥーパ(仏塔)と思われるものがシルエットとしてで確認できます。200段あるという石段のかなり上部まで来ましたから、そろそろ視界が広がりそうです。
 
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そして、門を抜けると大きなストゥーパが所狭(ところせま)しと並んでいました。
 
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中央には巨大なストゥーパが聳(そび)えています。
 
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(続く)

2015年4月26日 (日)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジョグジャカルタのリゾートホテルからボロブドゥール遺跡へ

“JL. Laksda Adisucipto”(ラクスダ・アジスチプト通り)で空港方面へ30分ほど戻り、ラクスダ・アジスチプト通りに面したゲートからアクセス道路を通って午後7時少し前にSHERATON MUSTIKA YOGYAKARTA RESORT & SPA(シェラトン・ムスティカ・ジョグジャカルタ・リゾート & スパ)に到着しました。車寄せから広い通路を抜けて解放感があるメインロビー(1階のようで実は7階)に入りました。
 
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長椅子で冷たいドリンクを飲んでいる間に現地ガイドがチェックインを代行してくれます。
 
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ロビーの天井に吊り下げられたシャンデリア
 
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エレベーターを利用して提供された2階の部屋へ向かいました。写真はエレベーターホールと客室へ続く廊下です。
 
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エレベーターホールから見えた中庭が気になって別の角度から撮影しました。ボロブドゥールをイメージしたと思われるオブジェが印象的です。写真には2階から4階の部分しか写っていませんが、実は7階まで吹き抜けになっているのです。
 
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窓の外からコーランの祈り声が聞こえることで、イスラムの国に来たことが実感されます。
 
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ベランダに出てみました。建物はヨーロッパ風の庭園で囲まれているようです。ちなみに、我われの部屋は左ウイングの2階です。
 
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翌朝はボロブドゥール付近で日の出を見るため午前4時にはホテルを出発しなければなりません。それに合わせて午前3時ころに起床するため、ホテルのWiFiを利用したネットアクセスは早々と切りあげ、念のため午前3時のウェイクアップコール(いわゆるモーニングコール)を依頼して、午後9時前に就寝しました。
 

翌朝は午前3時少し前に目が覚めると、早起きの同行者はすでに身支度を整えていました。そこへ、念のために頼んでおいたウェイクアップコールが。窓の外はもちろんまだ暗いのですが、照明でほんのり照らされた中庭を確認すると、雨は降っていないようです。午前中だけでも雨が降らないことを願いました。
 

午前3時45分ころに7階のロビーで待っていると、現地ガイドと車はほどなく到着。4時10分前にはホテルを出発しました。車とバイクがほとんど走っていない照明がある市街地のよく整備された片側2車線の道路を時速70-80kmで快調に走り、最初の目的地まで車で1時間ほど掛かるそうですから車中でしばらく仮眠することにしました。先を行く車を何気なく見ていて気づきました。赤信号の交差点に差し掛かるとほとんどの車がハザードランプを点ける習慣があるようです。周囲の車やバイクに警笛やバッシングライトで自分の存在を知らせることも。30分ほどが過ぎたころには車に加えてバイクの姿を目にするようになりました。車の騒音に混じってコーランの祈り声が聞こえます。今のところ、雨の気配はありません。
 
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荷物小さな町に差し掛かった時、荷台に荷物を積んだバイクが数えきれないほど道路の両側に駐輪しているのを見かけました。午前3時から始まった朝市に物を売りに来た人たちとのこと。朝市が開かれている町を抜けたところで左折して片側1車線の狭い道へとそれました。急な人家の少ないエリアへ入ったようです。折れ曲がった道をぬけて、また左折しました。その田舎道で小さな町を抜けて到着したのは”MANOHARA”と表示されたホテルでした。“MANOHARA HOTEL”(マノハラ・ホテル)がボロブドゥール遺跡があるボロブドゥール公園の入口になっているそうです。ボロブドゥール遺跡は、ジョグジャカルタから北西方向へ42km(約1時間の距離)、ヤシの樹海が広がるケドウ盆地に所在する1814年に発見された大規模な世界最大級の仏教遺跡です。
   
 
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ホテルのフロントにはすでに先客が並んで待っていました。
 
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現地ガイドが入場の手続きを代行してくれました。
 
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ワッペンが入場証
 
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懐中電灯を無料(入場料に含まれている)で借ります。”EVEREADY”と表示されていますから、アメリカ製品のようです。
 
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フロントの先にあるカフェテラスは南国風
 
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真っ暗な中、現地ガイドにしたがって順路を歩きました。
 
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牛に乗って笛を吹く少年の像の前にある案内標識には”BOROBUDUR SUNRISE”と書いてあります。フラッシュを使わなかったため、手振れ写真になってしまいました。
 
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(続く)

2015年4月25日 (土)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジャワ島ジョグジャカルタのインドネシア料理

空港で出迎えてくれたジョグジャカルタのガイドとともに新しい運転手が運転する車で市街地へ向かいました。デンパサールにくらべると車の通行が少ないようですが、道路の中央分離帯と側道(歩道ではない)との境界には白と黒の縞模様が描かれているのは同じです。車内のルームミラーから吊り下げられている人形は私が想像した通り芳香剤の”STELLA”でした。
 
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空港の脇で東西に伸びる“Jalan Laksda Adi Sucipto”(ラクスダ・アジスチプト通り)を西方へ800mほど走った交差点を右折して入った“Jalan Ring Road Utara”(ウタラ環状道路)をさらに800mほど北上すると、Akademi Pariwisata STIPARYの看板がある建物の向かい側で車がいったん停止しました。空港から約10分の距離です。”Academi”はインドネシア語で単科大学、”Pariwisata”は観光旅行です。現地ガイドの説明によればホテルマンを養成する大学とのこと。ジョグジャカルタにはこのような大学のほかに、インドネシアを代表するバンドン工科大学に次ぐ有名大学などが100以上もあり、学生の街でもあるそうです。ちなみに、ジョグジャカルタは人口が約300万人でジャワ島では首都ジャカルタに次いで2番目に多いようです。
 
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その向かい側にあるGRIYA BUGAR SHIATSU & SPAは名前の通り「タイ式マッサージとスパ」の店で、デンパサールのTuban地区やジャワ島中部のセマランなどにも店舗があるようです。
 
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階部分にある看板には写真入りでメニューが説明されていました。
 
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インドネシア語で書かれた内容を翻訳します。“dapat”は「できる」、“paket”は「パッケージまたはセット」、“baru”は「新しい」、”yang”は関係代名詞、”istimewa”は「特別な」、”di”は「において」、”sini”は「ここ」、つまり「ここで特別なパッケージが利用可能になりました」という意味でしょう。”paket lengkap (2jam)”は「フルセット(2時間)」には「伝統的なマッサージ+指圧」と「タイ式マッサージ+インドネシアの伝統的なボディースクラブ(Lulur)」の2種類があるようです。そして、「SEXと薬物は不可」、「WiFi”利用可」とも。

 

個室かと思いましたが、我々が受けたフットマッサージの場合は、施術台がいくつも並ぶ大部屋でした。天井を見上げると、タイ式マッサージの時にマッサージ師が掴(つか)まる鉄棒が施術台ごとに設置してあり、一見すると巨大な雲梯(うんてい)のようにも・・。残念ながら内部の写真はありません。慣れないことでしたが、フットマッサージを60分ほど受けたことで足が少し軽くなったように感じられました。

 

夕食を摂(と)るため、ラクスダ・アジスチプト通りをさらに7km(30分)ほど西進し、ジョグジャカルタの中心部へ移動しました。”Tentara Pelajar"通りへと左折して500mほど南下した“Jl. Tentara Rakyat Mataram”(トゥンタラ通り)にあるインドネシア料理のPesta Perak(ペスタペラック)でビュッフェディナーを食べることにしました。
 
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入り口の横には航空・旅行関係のワッペンやシールがいっぱい飾ってあります。
 
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外観と同様にきれいな店内
 
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バラエティに富んだインドネシア料理が所狭しと並べられていました。選ぶ前にその一つひとつについて説明を受けました。写真の枚数が通常の倍近くになりますが、インドネシア料理を紹介するためにすべてのメニューを掲載することにします。最初はチキンスープ。
 
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丸ごと提供される果物はランブータン、スネイクフルーツ、モンキーバナナなど
 
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フライド・バナナ
 
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カットフルーツはスイカ、パイナップル、パパイヤ、サトイモなど
 
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 “JACKFRUIT GUDEG”は野菜で作られた甘辛い「牛肉もどき」
 
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KRECEK”(SKIN BEEF)は「牛皮の煮込み」
 
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各種野菜の煮物
 
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鶏肉の唐揚げ
 
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かなり辛(から)いというジャワカレーには野菜と鳥肉がたっぷり入っています。
 
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固豆腐(かたどうふ)
 
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各種野菜と固豆腐のビリカラ煮
 
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サラダコーナー
 
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フライドポテト
 
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牛肉のソーセージ
 
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ミーゴレン(焼きそば)
 
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ナシゴレン(焼き飯)
 
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フライドフィッシュと野菜の甘辛煮(あまからに)
 
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サテ(アラビアンから伝わった串焼き)
 
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人参とインゲン豆
 
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ジャワカレー、ナシゴレン、ミーゴレン、サテなど日本で良く知られている料理はもちろんのこと、野菜で作られた甘辛い「牛肉もどき」と牛肉のソーセージなどに興味を持ちました。同行者は席に着く前にさっそく料理を選び始めました。
 
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私は奥のエリアに席を確保
 
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そして、私がビンタンビールを注文した後にまず選んだ料理は、各種サラダに「牛肉もどき」と「ピリカラ豆」を少し添えたものです。
 
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次いで、サテアヤム(焼き鳥)・鶏の唐揚げ・ポテト・人参(にんじん)・インゲン豆を集めた他人皿
 
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ジャワカレー/ナシゴレン/ミーゴレンの3点セット
 
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最後は各種フルーツの盛り合わせで締めました。
 
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いずれの料理も日本人の味覚に馴染みやすい庶民的な味付けでした。そのため、今回もつい食べ過ぎてしまい、最後に提供される紅茶を辞退するほどでした 

 

店を出る時に気づいた「ワヤン・クリ」(Wayang Kulit)はインドネシアのジャワ島とバリ島で行われる、人形を用いた伝統的な影絵芝居に使われる操り人形です。
 
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”Wayang”は影で、”Kulit”は皮を意味します。つまり、牛の皮で作った人形を使う影絵です。影絵用の人形といってもカラフルに色付けされていることで「ワヤン・クリ」に興味が涌きましたが、残念ながら今回の旅程には入っていないのです。(続く)

2015年4月24日 (金)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジャワ島のジョグジャカルタへ(後編)

巨大な棚田(ライステラス)群を確認することができました。離陸して約50分が経過していますから、当然バリ島の世界遺産”Jati Luwih”(ジャティルイ)ではありませんが、ジャワ島東部のどこか(この辺り?)にある棚田でしょう。
 
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熱帯雨林(レイン・フォレスト)の中に集落が・・
 
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ガルーダ航空GA253便が高度を下げて右旋回すると眼下に水田が広がりました。東風が吹いているようで、西側から空港にアプローチしています。
 
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さらに高度を下げながら建物が密集する市街地の上空に差し掛かりました。
 
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サッカー場を兼ねた陸上競技場のようです。
 
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滑走路にタッチダウンする瞬間
 
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主滑走路から誘導路を経てエプロン・エリアに入ります。右手に駐機する”Batik”と表示された飛行機はジャカルタを本拠地とする格安航空会社”Lion Air”傘下で2年前にスタートしたフルサービスを提供する新しい航空会社の”Batik Air”機です。デンパサールのングラライ空港からジョグジャカルタのアジスチプト(Adisutjjipt)国際空港まで予定通り1時間20分のフライトでしたが、東西に長いインドネシアの国内には2時間の時差(バリとジョグジャカルタは1時間)がありますから、20分しか経過していないことになります。
 
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主滑走路(写真右)と誘導路(同左)を振り返って撮影
 
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後部ドアからタラップを使って下りる乗客
   
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同行者は脇目も振らず空港ターミナルへと向かいます。
 
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出口は地下トンネルの先にあるようです。
 
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今度は短いエスカレーターで上がります。
 
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ロビーに出ました。“stasiun“は駅で”kereta api”は汽車(中国語と同じで火車を意味する)ですから汽車駅、“pintu masuk”は入口やゲート、”Bandara”は空港を指す言葉です。
 
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空港ターミナルのエントランス脇にある巨大な像は守護神の「クペラ」
 
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(続く)

2015年4月23日 (木)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジャワ島のジョグジャカルタへ(中編)

定刻より10分遅れでガルーダ航空GA253便は海岸沿いの誘導路をタクシーイング(地上走行)し始めました。陽光に照らされた海の明るさが印象的です。
 
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主滑走に入って機体は大きなGを発生させながら急加速し始めました。
 
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滑走路の途中で一気に上昇しました。
 
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高度を上げるとジンバラン地区とその中に伸びるウルワツ通りが見えてきました。
 
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海上高速道路(左)、マングローブ林(中央)とバイパス・ウグライ通り(右)
 
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S字型に伸びる海上高速道路
 
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バドゥン半島の北東端にある観光地のベノア
 
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海上を航行する大型クルーズ船
 
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機上から注目した“Bajra Sandhi Monument”( バジュラ・サンディ)はデンパサール市の東部にあるバリ歴史博物館(写真右端)でした。
 
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バリ島西部の海岸
 
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離陸して20分ほど経過してジャワ島の東部に差し掛かると、雲が立ち込めてきたため、地上の視界が悪くなりました。
 
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それでも、デンパサール空港を出発して約45分が経過すると、雲の切れ間から平野を蛇行する川が確認できます。
 
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(続く)

2015年4月22日 (水)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジャワ島のジョグジャカルタへ(前編)

デンパサール空港の国内線ターミナル内にあるショップ街を見て歩いたあとは、出発ロビー(待合室)で長い休憩となりました。
 
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鮮やかな色で彩(いろど)られたインドネシアの蝶凧(ちょうだこ)が飾られています。
 
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出発時間までまだ1時間半近くありますから、搭乗ロビーでエプロンや搭乗ゲートに駐機する飛行機を見て回りました。これはターボプロップ機“ATR-72”(座席数約70席)のようです。
 
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ATRAvions de Transport Régional )社はフランスのエアバス・グループとイタリアのアレーニア・アエロナウティカが1982年に設立したコンソーシアム(共同事業体)です。ハワイのホノルル空港からラナイ島のラナイ空港への移動に利用したアイランド・エアでも使用されていた機体と同型です。準備作業のため前部のドアが開けられているため航空会社名を読み取ることはできませんが、機体下部に”Lion Group”とありますから、調べるとジャカルタに本拠を置く“Wings Air”社(正式名称:Wings Abadi Airlines)でした。ちなみに、ATR72-500とその後継機ATR72-600を計37機保有しているそうです。

 

こちらは”Garuda Indonesia”(ガルーダ・インドネシア航空)のボンバルディア社製CRJ1000NextGen(座席数約100)と思われます。ちなみに、ボンバルディア社はカナダの航空機メーカーです。
 
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同じく”Garuda Indonesia”のボーイング社製737-800(座席数約350)
 
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機体に大きく“CHEVROLET”(シボレー)と大きく書かれた飛行機がエプロンに駐機しています。エアバスA330-200のようです。アメリカ・GM社製高級車のブランド名とロゴが描かれており、下部に”Sirit of Idonesia”とありますから、インドネシアの航空会社のようですが、尾翼には”Air Asia”と表示されていますから、マレーシアの格安航空会社のはずです。
 
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即座に理解できないことばかりですから調べてみると、デンパサール空港を拠点としてインドネシア国内路線を運航している”Indonesia AirAsia eXtra”(インドネシア・エアアジアX)社の機体でした。「シボレー」の名称とロゴが描かれているのは、いわゆるスペシャルマーキング(特別塗装)で、GMのシボレー部門がインドネシアで”CHEVROLET SPIN(シボレー・スピン)という小型ミニバンをインドネシア・西ジャワ州のブカシ工場で生産を開始したことをPRしているのです。そして、”Sirit of Idonesia”の中に”SPIN”の名前がさりげなく入っているのはセンスの良い(心憎い)演出といえます。ちなみに、“CHEVROLET”はフランス語で、前身会社を設立したスイス人の名前です。発音がし難いため、アメリカでは「シェビー」の愛称で呼ばれています。実は私がアメリカに住んでいる時に乗っていた車もフルサイズボディに直列8気筒5000cc(165馬力)のエンジンを搭載したシェビー「シボレー・カプリス」(三代目)でした。

 

同じ色彩に塗られ”Air Asia.com”と表示されたエアバスA320-200はマレーシアのエアアジア機(国際線)のようです。
 
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ジャワ風の割れ門は元国際線の名残りだそうですが、現在も飛行機からバスで移動した旅客がターミナル入る時のゲートとして使われているようです。
 
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ボーディングブリッジに横付けされたインドネシア・ガルーダ航空機を見ているとターミナル・ビルのガラスに表示された“Angkasa Pura”の文字が気になりました。調べると、Angkasa Pura”はインドネシア国運輸省の関連会社で、空港施設と航空トラフィック・サービスを管理している組織でした。
 
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出発時間が25分後に近づきましたが、先行出発するジャカルタ行きガルーダ航空GA413便の最終コールがまだ表示されていました。
 
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20分前になってやっとガルーダ航空GA253便の搭乗案内がありました。
 
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デンパサール空港では国内便の乗客は搭乗ゲートから伸びる搭乗ブリッジを通って機体に入るのではなく、ターミナルの外に出て、専用バスで搭乗する機体の脇まで移動するのです。
 
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専用バスが停車した先にある機体には搭乗用タラップが前後2か所に設置されていました。
 
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同行者はあわてて搭乗券を取り出して、そこに記載された座席番号を確認しているようです。
 
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座席番号を確認すると後部搭乗口に近い場所でした。
 
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何とか搭乗できたガルーダ航空GA253便の機材はベストセラー小型旅客機であるボーイング(Boeing)社製737-800NG“で、座席数160-190、航続距離5,425km、最高速度853km/h。着席しようとすると同行者の座席がなぜか私の席と離れているのです。同時にチェックインしたので、隣り合う席だと思っていました。実は同行者のボーディングバスに印字された座席番号にミスがあり、他の乗客と同じ番号になっているハプニングがありました。数分後には客室乗務員が正しく印字された搭乗券を持ってきてくれましたので、やっと並んで着座することができました。(続く)

2015年4月21日 (火)

不確実性のトラップ

前回の記事「デフレの象徴とされた商品が次々と・・」を書いたことで、2008年10月11日に投稿した記事「お金は大事」の続編としてもう一つ記事を書きたくなりました。前回の記事と視点は異なりますが、私が日ごろから考えていることでもあり、着目するポイントは同じと言えるかもしれません。前回の記事「デフレの象徴とされた商品が次々と・・」に興味を持たれた方はこの記事もお読みください。そうでない方はスキップされると良いでしょう。 

                           ☆

 

株価が上昇する日本の株式市場に注目が集まっています。経済が回復基調にあるとする論調がありますが、一方で官製ミニバブルであると警戒する意見も聞かれます。バブルであるか否かはバブルの最中にある人には判断できないことは私が何度も経験していることです。その顕著な例が1990年ころには弾(はじ)けた日本経済のバブル経済と2001年ころに弾けたITバブルでしょう。誰もが信じて疑うことがなかった経済発展が実はバブルであったことは、バブル崩壊後になってやっと、すべての人々が痛感させられたのです。つまり、バブル経済の中で浮かれている人は、それを客観的に観察、あるいは俯瞰(ふかん)することができないのです。

 

現在の経済がバブルであるかどうかは一概に判断できませんが、株価の上昇に浮かれるのではなく、状況を冷静に判断する必要があると思います。すなわち、株価上昇の背景にあるのは、日本経済の急速回復と言うよりも、世界的な金融緩和がとくに欧米と日本で継続していることが挙げられます。現役を退いた私は、社会保障(年金)が年々減額されるなか、限られた自分の資産をいかに運用するかに絶えず腐心(ふしん)しています。安部政権が発足した2013年にジニ係数(納税者一人当りの所得格差を示す指数)が急速に悪化していることが4月17日に発表された毎日新聞の調査結果で明らかになりました。この悪化は誇張されており取るに足らないとする意見もあるようですが、現在進められている様々な経済政策をみれば2014年以降においてもさらに悪化する可能性は高く、とても安穏(あんのん)とはしていられません。

 

経済的弱者グループに属している私は、限られた保有資産を増やすことよりも、それを減らさないようにする運用を心掛けているのです。そして、資産を少しずつ増やす有効な方法は、強者がリスクを承知前提とする投資によってハイリターンを得るのを真似るのではなく、弱者にとっては仕事の報酬を得ることの方が堅実かつ有効な手法であると考えています。その理由は言うまでもなく、資金力と情報収集力に劣る弱者がいずれにおいても圧倒的なアドバンテージを持つ強者の真似をする(あるいは対抗する)ことはまったく愚かなことです。当然の帰結として、経済的強者の餌食(えじき)になるのが落ちなのです。

 

現在の株価上昇がバブルによるものか否かにかかわらず、株価に大きく影響する経済には絶えず波がつきものです。好景気であれ、不景気であれ、景気には絶えず変動が付いて回るのです。一本調子で伸びたり縮んだりすることはありません。波に乗ろうとすると失敗することの方が多いでしょう。例え、投資の専門家であったとしても成功し続けた人の例は少ないのです。エコノミストと自称する人たちは絶えず変節するものなのです。コンサルタントを自称する人たちは、失敗した原因の分析は得意ですが、成功するための施策を実行したあとの成功を保証してはくれません。

 

不確実性が当たり前と言える現在、どのように対応すれば大儲けできるのでしょうか? 6億円を獲得できるトトクジ(BIG)を買う、あるいはFXで先物取引をする、それ以外にも馬券や車券を買う方法もあります。これらにおいては当たる確率と外れる確率が問題です。各種のクジや馬券・車券やクジの配当率は70%前後ですから、確率論を持ち出すまでもなく、長期間継続すれば投資した金額の30%前後を失うことになります。主婦が何億もの利益を得たと喧伝するFXはもっともリスクが高い投資(投機)と言えるでしょう。

 

この世の中には様々な罠(トラップ)が仕掛けられています。それを巧みに避けながら、利益を得ることはできるのでしょうか? もちろん、できるかもしれませんが、できないことの方が多いでしょう。それに、絶えず損得に捉われた時間はとても疲れるものです。金で金を稼ぐことは自らの経験に照らし合わせても、効率的(建設的)なことではないと実感しています。この対極にある方法は、時間に追いかけられないでリターンを得る投資、および着実に収入を得るために日々働くことが挙げられます。

 

前者は短期的な価格変動に捉われないで信頼できる企業の株式や債券を長期保留してリターンと株価の上昇を我慢強く(年単位で)待つことです。後者は言うまでもなく、日々額に汗して働いて対価を得ることです。できれば(理想的には)仕事をくれた相手の期待を上回るリターンを返すことです。つまり、うまい儲け話はないと心得れば、あなたは何の心配もなく(心穏やかに)日々を送ることができると思います。それを私は保証することはできませんが、ハイリスク・ハイリターンの手法に自分の人生を懸けるのではなく、堅実な考えと着実な行動によって日々を過ごすことが、不確実性の時代を生き抜くことにつながると私は信じています。

2015年4月20日 (月)

デフレの象徴とされた商品が次々と・・

20年以上も続いたデフレからの脱却を目指すとアベノミクス政策が始まって2年が経過しました。未曽有の金融緩和によってあふれた資金が市場の資金需要を大幅に上回ったため株式市場に集中したことで株価を押し上げ、日経平均株価はリーマン・ショックによる6年前(2009年3月10日)の最安値である7,054.98円から現在は終値ベースで2万円を窺(うかが)う勢い(4月13日の取引時間中に一時2万円を突破)なのです。この背景は日本経済がV字回復したからではなく、アベノミクス(金融緩和/財政出動/成長戦略の組み合わせ)の金融緩和によって生じた円安で日本の株価が割安になったため、外国の投資ファンドが日本の株式を大量に買ったことが主要因です。それにあやかろうと公的な年金資金(GPIF)や日銀などの官制資金が株式市場に参入したことも影響し始めているようです。

 

視点を変えてドルベースで考えてみましょう。円が最も高かった2011年10月31日に史上最高値75.54円/$を記録したのち、直近において200円/$前後になったことだけで現在の株高を十分説明することができます。当時の円高はアメリカやヨーロッパの金融政策の影響で「相対的に円の価値が上がってしまったもの」であり、日本の経済が高く評価されたわけではありません。したがって、株に投資している方、あるいはこれから投資しようと考えている方は、国内の経済や政治動向に注目するよりも、むしろ日本と直接関係ないと思われる海外のニュースを丹念にチェックして政治的・経済的・地政学的リスク要因を十分吟味したうえで、日本株を売買されるのが良いと私は考えます。ドルの独髙状態は崩れ始めているようです。前置きはここまでに留めて本題に入ります。

 

                         ☆

 

20数年前(1991-1993年)にバブル経済がはじけて需要が激減したことで、供給過剰(需給のアンバランス)の状態に陥り、悪質なデフレが始まったのです。決して、吉野家が牛丼を280円で売ってすき家(ゼンショーHD)などの競合他社が追随したことがデフレを引き起こしたわけではなく、企業努力によってこれらの企業がデフレ下における勝ち組になり、「デフレの象徴」(勝ち組)とされたのです。

 

牛丼チェーン以外にも、ラーメン・チェーンの幸楽苑、ハンバーガーのマクドナルド、餃子の王将、居酒屋のワタミ、「百均」のダイソーなども同様でした。しかし、吉野家が牛丼(並)を380円に戻したようにいずれの企業も低価格メニューを廃止し始めており、衣料品の量販店「ユニクロ」までが価格アップを最近発表しました。いずれも国内の需要増大によって価格が上昇したのではなく、輸入品(原材料など)の価格高騰やブラック企業とされたことによる人手不足がその大きな理由です。ちなみに、前者は良性のインフレですが、後者は悪性のインフレであり、まったく異なる経済状況なのです。

 

一方、食の安全を軽視したことで昨年来顧客の信頼を致命的に失ったマクドナルドが今期(2015年12月期)も大幅な売り上げ減による巨額赤字(380億円)が見込まれると先週(4月16日)の記者会見で発表したことは当然の帰結でしょう。しかも、昨年7月に鶏肉問題が発覚して9か月近くが経過したにもかかわらず、経営トップが抜本的な改善策を示そうとはせず、不採算店舗の閉鎖や本社における人員削減だけを経営改善策として発表したことには、とてもコメントをする気にもなれません。ただ、100円バーガーはまだメニューに残っているようですが・・。

 

                         ☆

 

ここからが今回の主題です。私が好きな幸楽苑(全国520店舗)の看板メニューである「中華そば」がなくなることを2014年11月27日の株主総会で幸楽苑が発表して以来、気を揉(も)んでいた私は絶えず注意深く関連のニュースをチェックしてきました。顧客の反発が大きかったため同社の広報は、「試験的に一部の店舗で販売を中止するだけ」とのコメントを12月初旬に慌てて出す混乱状態に陥(おちい)りました。先月末には「ひとまず80店舗で終了を実施して見て、その後は顧客の反応を見ながら他の店舗に拡大するかどうかを検討する」とのコメントが出されたのです。ちなみに、幸楽苑の看板メニューである「中華そば」の価格は、これまで店舗の大きな看板に明示してあったように、2006年5月に税抜290円(税込価格304円)へと100円も値下げされ、約9年間にわたって価格が据え置かれてきました。

 

4月に入ったある日、私はドキドキしながら近くの幸楽苑へ出かけました。何ということか、看板にあったはずの「中華そば290円」の文字がないのです。店内に入って恐る恐るメニューを開くと、「中華そば」の名前と写真が見当たらなのです。代わりに醤油らーめん「司」が加わっていましたが、それ以外には変更はなさそうです。止むを得ず、最安値の「極旨醤油らーめん」(税別390円)を注文しました。

 

同社のhpでもメニューから「中華そば」が削除されていて、どの店舗で引き続き「中華そば」を食べられるのかは皆目分かりません。別の店舗へ行って現場で確認するしかなさそうです。トホホ! もし、見つけられなければ、回転ずし最大手の「スシロー」が販売している1杯280円(税別)の「出汁入り鶏がら醤油ラーメンラーメンで我慢すること(?を考えはじめています。

 

2015年4月17日 (金)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 クタ地区のイタリア料理店“KEMANGI”からデンパサール空港へ

さらにクタ方面に走って午前11時30分ころ到着したイタリア料理の”KEMANGI”(クマンギ)で昼食を摂(と)ることにしました。場所は初日に夕食を食べた中華海鮮料理店“PLAZA DEWATA(プラザ・デワタ)のすぐ近くで、バイパス通りに面しています。店名が気になって調べると、”kemangi”だけでは特に意味をなさないようですが、“daun”(葉)と組み合わせた”daun kemanngi” は「バジル」を意味することばでした。

 

昨年、新装開店したという店の外観は平凡ですが、入口前に停めた車から降車する時や乗車する時にも雨を避けられるように透明の屋根を設置する配慮がなされています。右手の大きな看板にある”LEGONG DANCE”(レゴン・ダンス)は「バロンダンス」の記事で紹介したように、ケチャとバロンとともにバリ島三大ダンスに数えられる、宮廷舞踊から生まれた女性舞踊で、このレストランで日曜日を除く夜毎に30分の公演が2回開かれるようです。イタリア料理と「レゴン・ダンス」の組み合わせはユニークだと思いましたが、ビュッフェ形式のインドネシア料理も提供されるようです。その公演について地元旅行会社のhpで詳しく紹介されていました。
 
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入口の両側には大きな獅子(しし)が飾られ、左手奥にはバリ風と思われる高い背もたれがついた椅子(いす)が置かれています。
 
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店内に入るとシアターレストランと言っても良いほどの演出がありました。手前の室内席の奥にはガラスで仕切られた屋外席もあり、そこには舞台のようなものが見えます。
 
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雨を避けるための半透明の屋根がある屋外席に近づいてみると、石製の割れ門の奥に大きな羽根を広げたガルーダのようなものが確認できました。
 
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右手にはバーカウンターもあります。
 
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私が注文した飲み物はもちろん「:ビンタンビール生()」(47ルピア)
 
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同行者は「レモンジュース」(35ルピア)
 
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まず、配膳されたのは「野菜サラダ」
 
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次いで、トマトがたっぷり入った野菜スープの「ミネストローネ・スープ」
 
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そして、「スパゲティ」として私が選んだのは唐辛子が入った「ペペロンチーノ」で、日本人にほどよい辛(から)さで食欲がでました。
 
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同行者は「インドネシアン・バジル味」でした。店名と関係がありそうですから、きっと美味しいことでしょう。さっぱりした味が気に入ったという同行者は満足そう。
 
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デザートは生クリームがたっぷり入った「パンナコッタ」。私は苺(いちご)と一緒に少し食べただけで同行者
に譲(ゆず)りました。
 
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綺麗な店内に流れるBGMにマッチした美味しいイタリア料理は、バンやライスを外してもらったことで、ちょうど良いボリュームでした。店外に出ると空に晴れ間が見え始めていました。駐車場脇の看板に大きく書かれた”TERIMA KASIH !”(テリマカシ)はもちろん「ありがとう」を意味するインドネシア語ですが、直訳すると”kasih”(愛情)を”terima”(受けとって)くださいとなります。看板の上に載っているものは「サイクル・リクシャー」とも呼ばれる「自転車タクシー」。ちなみに、「リクシャー」または「リクショー」は日本の「人力車」を意味するインドの言葉で、東南アジアの各国では様々な名称が付けられていますが、同じような「自転車タクシー」が使われています。
 
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現地係員のエスコートでデンパサール空港へ向けて出発。15分ほどで国際線ターミナルの隣にある国内線の新ターミナルに到着。2014年9月にオープンしたばかりで真新しい建物にある降車場から目の前にある出発ロビーに入りました。梁(はり)に架けられた横断幕に書かれた「恭喜発財 萬事如意」は中国語の新年の挨拶(あいさつ)です。ちなみに、「恭禧發財」は「金運がありますように、あるいは繁盛しますように」を意味し、「萬事如意」は「物事がすべて思い通りになりますように」という言葉です。
 
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今年は中華圏の正月である春節(日本の旧正月)が2月19日でした。そして春節の期間は旧暦の12月23日(祭灶)から旧暦正月15日(元宵節)まででしたから、この日(3月8日)は春節の期間が終わったばかりであるため、飾り付けがまだ撤去されていないのでしょう。
 
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我々が搭乗するフライトに変更はないようです。
 
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ガルーダ・インドネシア航空のチェックイン・カウンターで搭乗手続きを済ませ、出発ゲートへ向かいました。その途中で見かけました。午前中に鑑賞したばかりの「バロン・ダンス」に登場した、「バロン」(中央)、「死神」(左)、「ランダ」(右)たちです。
 
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出発ゲートは2階にあるようです。
 
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セキュリティチェックを通過したところに「割れ門」がありました。その前に立つ2人は「バロンダンス」に登場した「召使い」たちでしょう。そして奥にあるショップ(土産物店)では同行者が何やら品定めをしています。
 
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午前中のスケジュールが予定より早く進行したため、登場する便が出発まで2時間近い待ち時間が生じました。
 
 

<同行者のコメント> バリ島滞在が終わるころになってやっと私の出番が回ってきました。旦那様は例によって棚田を見たり、古い宮殿をみたり、満足そうですが、今回も移動の多い旅になりました。でも、専属のガイドさんと運転手さんが案内してくれたことと、豪華なリゾートホテルに連泊したこと、そしてバリダンスを2回も鑑賞できたことで、バリ島を十分楽しめましたと言いたいところですが、バリ島をじっくり観光するにはもう少し長く滞在する必要があると思います。ところで、バリ島滞在を早めに切り上げた旦那様は残り半分の日程を使ってどこへ行くつもりなのでしょうか。

2015年4月16日 (木)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 デンパサール市ベドゥンガンにあるバリコーヒー工場を見学

デンパサール市の北東部からバイパス通りを走ってクタ方面へ引き返し、同市南部のペドゥンガン(Pedungan)地区にあるバリコーヒー(KOPI BALI)の会社へ立ち寄りました。ちなみに、“kopi”はインドネシア語でコーヒーを指します。コピー(複写)の方は”copi”と綴りが異なります。建物に表示されたマーク(地球の上に蝶をあしらったバタフライ・グローブ)が社章のようです。
 
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立ち寄った目的は、工場見学を兼ねて、バリコーヒーを購入することです。インドネシアは世界第3位のコーヒー豆輸出国であり、バリのコーヒーは特に高く評価されています。広い工場の敷地奥にある建物に案内されました。その内部は見学者用のロビー風に間仕切りされています。”KOPI BARI”と表示された段ボール箱がいくつも積まれており、その隣にはコーヒー関係と思われる機械が置かれています。段ボール箱の記載事項をよく見ると“Putra Bhineka Perkasa PT”がこの会社(1935年創業、バリ島最大手)の名前のようです。ちなみに、”P.T.”"Perseroan Terbatas"の頭文字を取った略語で株式会社を意味します。
 
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その他、ロビーには様々なパネルや写真が飾られていました。最初の額にはコーヒミル(グラインダー)やコーヒーと縁が深いジャコウネコなどの写真群。
 
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こちらはコーヒーの粉末で描いたデッサン画で、
 
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こちらは同じくオバマ大統領の似顔絵(肖像画?)です。よく知られていることですが、オバマ大統領は幼少期の数年をインドネシアの首都ジャカルタで過ごしたことがあるそうです。
 
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工場ではコーヒー豆のサンプルを見たり、
 
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コーヒー豆の加工機械を見学。機械の右手に積まれている袋に入っているコーヒー豆(コーヒーチェリーの種)を右端に一部だけ写る機械(コーヒーパルパー)に投入すると、外皮と果肉を剥(は)ぎ取られた生豆(グリーンビーン)となり、次いで送られた中央の大きな機械(ロースター)で焙煎(ばいせん)されるようです。焙煎には煎(い)る度合いによって、浅煎り・中煎り・やや深煎り・深煎りなどの区別がありますが、その順に酸味が強さから苦味の強へと変化する特徴があるそうです。写真では確認しずらいのですが、中央部に”Lilla"と読める銘板があります。後で調べると、ブラジルの産業用焙煎機(ロースター)メーカーでした。
 
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さらに、隣にあるこの機械(グラインダー)によって粉砕(ふんさい)さいれ粒子状になり、最終製品としてKDと表示される黒い缶に詰められるそうです。粉砕方法には、圧縮・打撃・剪断(せんだん)・切断の4つがあり、発熱が少なく均一な粒子にできる切断する方法が良いそうです。この機械にはベルトが掛かっていますが、外観からどの方法であるのかは定かではありません。写真のグラインダーは中央の黒い部分の表示"WERKE"からみてドイツ製のようです。
 
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上記の機械下部に集められた粉末コーヒー
 
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工場を見学したあとは、その隣にあるコーヒー教室でアラビカコーヒーの試飲会。高価なオス豆(一粒のまま)と安価なメス豆(2つの種が合体)で入れたコーヒーを飲んで両者の味の違いを確認するようにと言われました。紅茶党の私にはさっぱり分かりませんでしたが、コーヒーが大好きな同行者は大きく頷(うなず)いています。ちなみに、
 
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各種の商品の説明を聞いているうちに、キンタマーニ高原などの高地で生産されるアラビカ種の粉末コーヒー(左)とコーヒー豆(右)が次々に目の前のテーブル上に置かれました。メス豆は6パックが40ドルで、オス豆は5パックが70ドルと、ほぼ2倍の価格差があります。
 
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勧め上手なスタッフは超高級コーヒーであるジャコウコーヒー(Kopi Luwak、コピ・ルアク)の小箱(150ドル)をテーブルの上に追加しました。広い意味で猫の仲間(ネコ目)とされる狸に近いジャコウネコが食べた美味しいコーヒー豆の外皮だけが消化されて排泄(はいせつ)されたところを回収する貴重なコーヒー豆です。私でもその名前だけは知っています。ちなみに、インドネシア語で”Kopi”(コピ)はコーヒー、“Luwak”はジャコウネコを指します。緊張しながら撮影したため、手振れ写真になってしまいました。
 
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逡巡する私の様子に、スタッフはすかさず小さなパッケージ(12g入り)を取り出しました。1回で2カップ分のコーヒーを入れられるこのパッケージでも価格は20ドルとのこと。同行者の買いたそうな様子に押されて、オスを1袋とジャコウコーヒー(小)2箱を都合110ドルで購入しました。トホホ!
 
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これが教室内に置かれていたジャコウネコの剥製(はくせい)
 
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我々がコーヒー教室を出るころには、いつの間にか10人ほどのグループが反対側に着席していました。
 
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建物の外へ出ると大きなバスが停まっていました。日本の大手旅行代理店のロゴとパックツアーの名称が確認できます。ツアー名からみて、我々の旅行とほぼ同じような場所を巡っているのかもしれません。
 
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(続く)

2015年4月15日 (水)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 デンパサール市クシマンでバロンダンスを鑑賞(後編)

<第3段階> 首相はサデワ王子を自分の息子のように愛しており、女王の命令にそむこうとします。魔女はこれに気付き首相に女王と同じ呪いをかけ、サデワ王子を死神が住んでいる家の前に縛(しば)りつけさせます。
 
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<第4段階> シワーの神様が現われます。シワーの神様はサデワ王子が木に縛りつけられているのを見て哀れみを持ち、サデワ王子を不死身の身体にします。写真はシワーの神様。

 

<第5段階> 死神が現われます。 死神はサデワ王子を見て早く生贄の儀式にとりかかりたいと思いますが、サデワ王子が不死身の身体になっているのを見て、自分の敗北を認めます。死神はサデワ王子に自分を殺してくれるように頼みます。そして、死神は天国に行くことができました。
 
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<第6段階> 死神の第一の弟子のカレンは同じように天国に行きたいと望み、サデワ王子に死神と同じように殺してくれと頼みますが、サデワ王子はこれに同意しません。そして、カレンは巨大な動物や鳥に変身してサデワ王子と戦いますが、いずれも負けてしまいます。カレンは最後の力を振り絞って悪魔の女王である「ランダ」に変身します。サデワ王子はこのままでは「ランダ」にかなわないことを知り真実の神「バロン」に変身します。 「ランダ」と「バロン」の力が対応なため「バロン」は味方を呼びます。写真はサデワ王子(右)と死神の第一の弟子のカレン(左)。
 
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<第7段階> 「バロン」の味方が現われ「ランダ」と戦います。しかし、「ランダ」の魔法にかけられて「ランダ」に対する怒りを全て自分達に向けてしまいます。 「バロン」はこれを見て「ランダ」のかけた魔法を取除きますが、結局は「ランダ」と「バロン」の終わりなき戦いになります。写真は上から、戦士たちと戦う悪魔の女王ランダ、魔法をかけられた戦士たちが聖剣(クリス)を自らに突き立てるシーン。
 
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前日観(み)たケチャダンスと似ている点はありますが、煌(きら)びやかな衣装や装飾品を身につけた女性たちが優雅に踊る、躍動感に富んでエキサイティングな舞踏ショーでした。、ちょうど1時間のショーが終了した後には舞台へ上がった観客がバロンと記念撮影を楽しんでいました。バロンダンス会場から外へ出ると、傘は必要ないほどの小雨がまだ降り続いていました。
 
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(続く)

2015年4月14日 (火)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 デンパサール市クシマンでバロンダンスを鑑賞(中編)

舞台の上にある垂れ幕にはバロンダンスの英語名である“THE BARONG & KERIS DANCE”と”会場名のCATUR EKA BUDHI KESIMAN”が表示されています。ちなみに、“KERIS”はインドネシア語で短剣を意味します。また、2行目にある劇場名はインドのサンスクリット語に由来する言葉のようです。”CATUR”は4つ、“EKA”は一つ、“BUDHI”(BUDDHI)は「知恵」または「知識」、“KESIMANN”(クシマン)はバロンダンス会場がある場所を指すようであることまでは調べて分かりましたが、全体の意味は定かではありません。
 
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客席がほぼ埋まった午前9時半近くにはガムラン(ガメラン)楽団は演奏の準備が整ったようです。
 
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最前列には縦笛のスリン(Suling)と両面太鼓のクンダン(Kundan)奏者が見られ、その後方は鉄琴のガンサ(Gangsa)の奏者のようです。
 
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入場する時に手渡されたリーフレットを読むと、『バリ島の人々は、人の心の中に良い魂と悪い魂がいつも同時に存在していると信じている。バロンダンスは、人の心の中にある善と悪の戦いを物語っており、結果として善悪両者とも決着のつかないまま生き残る(すなわちこの世には善悪が永久に存在する)という内容である。この踊りに登場する「バロン(Balong)」という動物は良い魂を、また「ランダ(Langda
」という動物は悪い魂を演じている。会場で演じられるバロンダンスは7段階に分かれている』と説明されていました。

 

定刻になると、まず開幕劇風に獅子舞のような聖獣(森の王)バロンが登場して、猿との掛け合いを行った。
 
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次いで、煌(きら)びやかな衣裳を身にまとった魔女シシアンが音楽演奏(その1その2)に合わせて歓迎の踊りを舞います。

 
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バリダンス特有の手と指の使い方だけではなく、身をかがめ、腰をくねらせ、さらには目と首を歌舞伎にも似た独特なポーズで決めて、会場内の観客を魅了しました。
 
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<第Ⅰ段階> サデワ王子はバタリドルガという死神の生贄(いけにえ)として捧(ささ)げられる運命にあった。サデワ王子の母親(女王)の2人の召使いはとても悲しがっている。2人の前に死神の使いである魔女が現れ、サデワ王子が死神の生贄になることを2人の召使いに伝える。2人の召使いは魔女が去った後、サデワの国の首相にサデワ王子が生贄にならないよう助けを求めた。
 
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<第2段階> 首相と女王クンティ(Kunti)が現れる。女王はサデワ王子が生贄にされるのをとても悲しがっている。魔女が現れる。魔女は女王の気が変わるのをおそれ、女王に呪いをかけ、女王にサデワ王子を生贄にするよう首相に命じさせる。写真は首相と女王。
 
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王子も登場
 
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(続く)

2015年4月13日 (月)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 デンパサール市クシマンでバロンダンスを鑑賞(前編)

午前5時に起床するとこの朝も雨音が。この日も朝の散歩ができないかもしれません。ホテルのメインロビーで午前6時30分から提供される朝食まで時間を潰しました。写真は上から順に、メインロビーの側壁、メインロビーに装飾、人工池、車寄せ脇の噴水。
 
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ホテル内のカフェテリア「トゥゲ」で朝食です。
 
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南国らしくこんなものも置かれていました。穴をあけたココナツの実からストローを使ってココナツミルクを飲むようです。ずいぶん昔のことですが、出張で訪れた南アジアの某国で、物珍しさから屋台で売っていたココナツミルクを飲んで大変な思いをしたことがありましたから、手に取ることを遠慮しました。
 
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前日は朝食を食べ過ぎたようですから、和食を選び、しかも量を控え目にしましたが、オムレツは忘れませんでした。しかも、ポテトの春巻きとキムチも加えましたから、和食と言うよりも、エスニック料理になっていました!
 
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同行者はいつも通りのものを食べ終えたあと、
 
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なぜか麺が入った器をテーブル席に運んできました。美味しからと味見を勧めるのです。せっかく少食にしようと思ったばかりですが、物は試しと口に入れると、麺とスープとも私の大好きな香港風なのです。つい食べ過ぎてしまいました。またも不覚を取ってしまいました。
 
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朝食を終えたころには空が明るさを増してきましたか、朝の散歩は取り止めて、荷物の最終パッキングをするだけに止めて、自室で休息することにしました。午前8時15分ころにホテルをチェックアウト。ホテルのスタッフは全員ホスピタリティに溢(あふ)れていて、2泊3日の滞在中、快適な時間を過ごすことができました。写真は正面エントランス脇にある球体のオブジェ。
 
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午前8時30分にホテルを出発。
 
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車は高速道路からバイパス通りに入ってデンパサール北東部へ向かって30分あまり走りました。クシマン地区のワリバン通りにある“CV. CATUR EKA BUDHI”でバロンダンスを鑑賞します。ちなみに、バロンはケチャやレゴンとともにバリ島三大舞踊のひとつとされます。そして、”CV”はインドネシア語で有限会社を意味する言葉です。
 
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門を入って右手の建物へ向かいました。右手が事務所で、左手がバロンダンス会場になっているようです。
 
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正面には豪華な装飾をほどきした舞台があり、左手にはガムラン(Gamelan、バリではガメラン)楽団が控えています。
 
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左手に加えて右手にも森をイメージさせるセット(大道具)が置かれています。そして、側面の柱の天井(屋根)に近い位置に取り付けられた扇風機がサーキュレーターの役割を果たしています。
 
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天井を見上げると、屋根の裏側がそのまま見え、中央と側面の屋根の間には明り取りを兼ねた換気用スリットが確認できます。
 
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(続く)

2015年4月 9日 (木)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 バリ島南部ジンバランのイカン・バカール店「テバ・メガ・カフェ」

ウルワツ地区からウルワツ通りを30分近く走って、午後7時10分過ぎには宿泊ホテルに近いジンバランまで戻りました。「ケチャダンス会場」を出るのが遅れると、ウルワツ通りノ渋滞に巻き込まれて、2時間近くかかることもあるそうです。夕食にはジンバラン・ビーチに20件近く並ぶシーフード店の一つである「テバ・メガ・カフェ」(Teba Mega Cafe)でイカン・バカール(魚介類のバーベキュー)を楽しみました。ちなみに、インドネシア語でイカンは「魚」で、バカールは「直火で焼く」を意味します。
 
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店頭には生きた魚介類が山のように水槽に入っています。食べたい食材があれば注文できるようです。
 
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現地ガイドのアドバイスによれば、ロブスター(オマール海老)やクラブ(蟹)を注文する場合は料金をよく確認した方が良いそうです。
 
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広い店内のテーブル席に座る客はほとんどいません。
 
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ビーチに出るとテーブル席が所狭しにならんでいました。
 
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「テバ・メガ・カフェ」の右隣にある「メネガ・カフェ」(Menega Café)のエリアではメキシコ音楽を生演奏するラテンバンド(エンターテイメントグループ)がテーブルを回っていました。メキシコのカンクーンでも見かけたエンターテイメント・サービス。しかも、バリ島では一曲1万ルピア(約100円)が相場で気軽に頼めますから・・。反対側の「ベラ・シーフード・カフェ」(bela seafood café)ではロックバンドが演奏しているため、左右の耳で別の音楽を聴くことになりました。
 
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私の飲みものはもちろんビンタンビール、同行者はレモンジュースです。
 
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ビーチ席で波の音との共演を聴きながら、カンクン(青菜炒め)に続いて、海老、ガルーパのイカン・バカール(イカンは魚・バカールは焼く、つまり魚の炭火焼き)や貝の串焼きなどを4種類のソース(ホット・味噌・醤油味など)で味わいました。お櫃(ひつ)に入った白いご飯には手を付けないでパス。
 
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レーザービームを発射して遊ぶ人たちに注目して波打ち際を見ると焼きトウモロコシを売る屋台が商売をしていました。屋台の側面には帆の丸のようなものが描かれています。
 
 
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バリ島を代表する観光地である「ジンバラン・ビーチ」には「ル・メリディアン・バリ・ジンバラン」や「フォシーズンズ・リゾート・アットジンバランベイ」などのホテル群がありますから、そのどれかに宿泊すれば、「イカンバカール」はもちろん、「パサールイカン」(魚市場)にも歩いて行けて便利だと思います。
 

 

ジンバラン・ビーチの他にも、同じバドゥン半島の東海岸「ヌサドゥア」(Nusadua)、最初の日に夕食のため立ち寄ったデンパサール空港の北に位置する「クタ」(Kuta)、その北にある「スミニャック」(Seminyak)と「クロボカン」(Kerobokan)、キンタマーニ高原とウブドへ遠出した時に通過したデンパサール東部の「サヌール」などにホテルが多いようです。先の記事に書きましたように、バリ島を訪れる観光客にとっての交通機関はタクシーか運転手付のレンタカーだけと言って良いため、訪れる場所(行動範囲)を考慮して最適な宿泊場所を選ぶ必要があります。  

 

それはさて置き、小一時間の夕食となった「イカン・バカール」に満足。約3kmの近さである宿泊する「リンバ・ジンバラン・バリ by アヤナ」へ午後8時過ぎに帰着しました。ここで、投稿を再び小休止します。(続く)

2015年4月 8日 (水)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 バリ島南端ウルワツ地区の「ケチャダンス」(後編)

まもなく日没を迎える時間になりましたが、厚い雲が立ち込め始めたため夕日鑑賞は絶望的になったようです。
 
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さて、「ケチャダンス」
はここでドラマ仕立に変わりました。古代インドの大長編叙事詩「ラーマーヤナ」を原作とする舞踊劇です。そのストーリーは以下の通りです。

 

ヒンドゥー神話による最初の国「アヨディア王国」のラマ王子・その妃であるシータ・ラマ王子の弟ラクサマナの3人(善を象徴)は、王国内の邪悪な陰謀によって王国から追放され、長い間森をさ迷う生活を強いられていた。そんなある日、悪の魔王ラワナ(悪の象徴)はこの3人を発見し、妃であるシータの美しさに魅了されてしまう。何とかシータを自分のものにしたくなったラワナはラマとラクサマナをシータから引き離そうと企んだ。

 

そして、魔法を駆使したさまざまな策略の末、魔王ラワナはシータを自分のアレンカ宮殿に連れ去ってしまう。シータが捕虜となったことを聞いたラマは白猿のハノマンにシータを見つけ出すように依頼する。ハノマンは何とかシータを見つけ出した。そのハノマンにシータは自分が無事であることをラマに伝えるように頼む。ハノマンは宮殿を去る前に宮殿を壊し暴れしたため捕えられてしまうが、殺される前に無事逃げ出すことができた。

 

ハノマンの活躍があってラマとその弟ラクサマナはシータを救出すことに成功。そして、王国へ戻ったラマは「アヨディアこの王国」の王位に就くこともできた。しかし、喜びも束の間、悲劇的な結末が待っている。
 
「ケチャダンス」による舞台劇はハノマンが宮殿から逃げ出すまでをカバーしています。
 

上記の説明と重複しますが、入場時に手渡されたリーフレットの解説文を引用しながら、ドラマ展開を簡単に紹介します。

 

<第一幕> 森の中、愛し合う若いラマ王子とシータ妃が舞う。続いて黄金の鹿(魔王の化身が登場。シータの美しきに心を奪われた魔王ラワナは、黄金の鹿(魔王の化身)を遣い、ラマとラクサマナからシータを何とか引き離そうと企む。魔王に魔法をかけられたシータは「黄金の鹿をどうしても捕らえて欲しい」と泣いてラマに懇願する。ラマは愛する妻の頼みを承知する。
 
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<第二幕> ラマの助けを求める叫び声を聞いたような気がしたシータはラクサマナにラマの様子を見に行くよう言いつけるが、ラクサマナは兄のラマからシータの安全を託されていたので、シータを一人残していく事はできまい。シータは自分の言いつけを拒否するラクサマナに対して「兄を見殺しにして私と結婚したいのだろう」と邪推する。シータのこの言葉に怒ったラクサマナは自分の潔白を証明するために兄を捜しに行くことに決意したラクサマナは、出発前にサクサマナはシータの周囲に「火の輪」で安全のおまじないをかけ、シータに「この火の輪から外に出ないように」と言い残して出発する。
 
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<第三幕> 魔王ラワナ登場。シータが一人になったチャンスを利用して美しい人妻シータをさらって行きたいが、「火の輪」があるため近づきたくても近づけない。そこで、ラワナは魔法で自分自身を老人パガワンに姿を変えてシータの前に再び現れ、シータが油断した隙をついて、シータを火の輪の外に出すことに成功。その時、シータはラワナの罠だと言うことに気づき逃げ惑う。ラワナがシータを捕らえようとすると、聖鳥ガルーダが空から現れて助けようとするが、魔王の力におよばず殺されてしまう。そして、
とうとうシータはラワナに捕らえられ、その王国に連れ去られてしまう。
 
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<第四幕> ラワナはシータの世話役として姪のトゥリジャタを側に付かせた。その頃、ラマはシータが捕われた事を聞き、白猿のハノマンにシータを見つけ出すよう依頼する。突然シータの前に現れたハノマンはラマから預かった指輪を差し出す。その指輪が間違いなくラマの物であることがわかったシータは、自分の髪飾りをハノマンに預け、自分の無事をラマに伝えるように頼む。ハノマンは魔王の王国を去る前に暴れて王国を破壊したが、魔王に捕らえられ、火の中に投げ込まれる。火の中で我に返ったハノマンは何とか無事逃げ出すことができた。
 
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最後の火のシーンまで鑑賞したいところですが、閉幕時の混雑と道路の渋滞を避けるため、30分あまりが経過した第四幕の途中に会場を後にしました。すでに薄暗くなっていましたが、ケチャダンス会場から出る人たちはまだ疎(まば)らでした。出口からまっすぐ伸びる小路を急ぎました。「ウルワツ寺院」から「ケチャダンス会場」へ向かった海岸沿いの狭い道を利用するよりもスムーズに歩けるルートだと思いました。(続く)

2015年4月 7日 (火)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 バリ島南端ウルワツ地区の「ケチャダンス」(前編)

「ウルワツ寺院」方面をズーム・インすると、こちら側からも断崖上に建つ「メル」を確認できました。寺院が建つ場所は楔形(くさびがた)をしており、「メル」はその先端部にあるからなのです。
 
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そしてズームアウトするとだいぶ傾いた陽光が海面に反射して輝いていました。
 
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階段を上がって「ケチャダンス会場」に入ると形状は、ローマ劇場に似た半円形をしており、客席は階段状になっています。現地ガイドのアドバイスにしたがって我々は、出口に近く、通路脇の前から3列目の席に座りました。終了時の混雑を避けて速やかに退場し、いち早く駐車場を脱出するするためです。割れ門がある側には様々な形をしたバリのお祭り用「ペンジョール(Penjor)」が立てられています。
 
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入口で手渡されたリーフレットの説明を見ると、『ケチャダンスは、とてもムードがあり、数あるバリ舞踊の中で、最もダイナミックでユニークなパフォーマンスである。いっさい楽器を使わず、腰布だけを身に着けた数十人の男性たちが松明(たいまつ)を囲み、男性の声(男声)だけで独特のリズムを刻み、ヒンドゥー教の創生神話の一部が踊り手たちによって演じられるとのこと。複雑かつ統制の取れた独特のリズムで「チャッ、チャッ」という奇声を繰り返し合唱する一糸乱れぬパフォーマンスが見どころである』と説明されています。

 

男性スタッフが現れて大きな松明を舞台の中央にセットしました。私には松明というよりも灯明(とうみょう)に見えました。
 
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眼前に広がるインド洋を見ると、先ほどまで雲間から漏れていた陽光が黒い雲に遮られはじめていました。
 
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辺りが薄暗くなるころには客席はほぼ埋まっていました。
 
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正装した僧侶(マンクー)が灯明の腕のような部分に点火し始めました。
 
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準備の仕上げはお供え物でした。
 
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午後6時の開演時間になると女性司会者が登場して、割れ門の前でケチャダンスについてインドネシア語と英語で説明を始めました。
 
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1分ほどのスピーチのあと、割れ門から.楽器の音とともにダンサーの一団が現れました。掛け声もユニークです。 (注)「楽器の音」あるいは「掛け声」の部分をクリックするとその楽音を聴くことができます。アップロードできるファイルサイズの制限から5秒程度と短いことをご容赦ください。
 
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灯明を取り囲むように円陣を作りました。両手を挙げた祈るしぐさのようです。
 
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ケチャ・ダンサーたちは円陣を組んだまま座り込み、一斉に叫び声を上げています。それが猿を連想させるため、「モンキーダンス」とも呼ばれるそうです。
 
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陽光は相変わらず弱々しくて夕日が沈む光景を見られるかどうかは微妙です。海面の一部がうっすら照らされるだけになりました。
 
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座ったまま両手で様々な様々な表現が続きます。
 
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(続く)

2015年4月 6日 (月)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 バリ島南端ウルワツ地区の「ウルワツ寺院」

出発するとまもなく小雨が降り始め、デンパサール市街地の東部を南北に貫くバイパス(サヌール地区)を通過していた時だった思いますが、デンパサール市内でこんな彫像を見かけました。
 
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さらに30分ほど車が走行して高速道路に入りました。デンパサール市とバリ島南端のジンバランを結んで1年あまり前に完成した高速道路(長さ12kmの橋を含む)は海岸線沿いにあるマングローブ林を守るために大半の区間が海中(浅瀬)の橋として建設された道路です。その構造と長さからアメリカ・フロリダ南端にある「7マイルブリッジ」とほぼ同じと言っても良いでしょう。
 
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運転席越しに左カーブする高速道路を見ると橋であることが分かります。私は運転席のルームミラーから下がっている「卍(まんじ)」の飾り物が気になりました。ナチスのシンボル「ハーケンクロイツ」(逆卍)とそっくりなのです。フロントガラス(ウインドシール)の左上には「シートベルトをおしめください」のシールが貼られているのは日本人観光客向けの車であることが分かります。そして、ダッシュボードに置かれているのは現地ガイドが時々被(かぶ)るバリの帽子です。被っている様子は「ティルタ・エンプル」の記事に掲載した写真で見ることができます。
 
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運転手さんはネオナチなのかと心配しましたが、ネットで調べると、「卍」(サンスクリット語でスヴァスティカ)は、ヒンドゥー教や仏教で使われる吉祥(きっしょう)の印ですが、ヒンドゥー教では「卍」(左旋回)と「逆卍(
)」の両方があり、前者は「和」を意味し、後者は「力」を指すことが分かって一安心。ちなみに、「卍」と「はともに漢字です。

 

バドゥン半島の南西端まで混雑する道を巧みに避けながらウルワツ通りの裏道を走行しました。写真は道すがら見かけた電波塔と細長い幟(のぼり)のようなものです。バリのお祭り用幟「ペンジョール(Penjor)」の簡易版かもしれません。
 
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ウブドを出発してちょうど2時間のドライブでバドゥン半島西端のウルワツ地区にあるウルワツ寺院に到着。デンパサール空港の南西、バリ島の南端(西側)に位置します。広い駐車場から長い舗道を歩きました。先を行く人たちが腰につけている布は、「ティルタ・エンプル」の境内と同様、民族衣装を着ていない参拝者が身に着けるサロン(腰布)です。
 
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広場に出る前に現地ガイドから光るものを隠すようにアドバイスされました。装飾品やメガネ、カメラなどです。広場の餌場(えさば)に集まる猿たちが悪戯(いたずら)で光るものを奪うことが多いのだそうです。日本の高崎山や日光などでは食べ物を奪う問題があると聞いたことがありますが・・。
 
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前方に見える石段の先に「ウルワツ寺院」があるようです。
 
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PURA LUHUR ULWATU”(ウルワツ寺院)は約70mの断崖絶壁にジャワ島の高僧「ウンプ・クトゥラン」によって9-10世紀頃に建立されたといわれるバリ島6大寺院の1つで、寺院はもちろんのこと、サンセット(夕日)観光とケチャックダン鑑賞にも人気があるようです。幸運なことに天気はかなり回復しましたから、夕陽が見られるかもしれません。
 
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長い石段を上がります。
 
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両脇に植えられた樹木用の円形土止めが美しい造形物にもなっています。
 
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石段の最上部が近づいたようです。
 
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ウルワツ寺院の入口にある割れ門には、象の顔をした神や、魔神の顔、不死鳥などの石彫りが見られました。ヒンドゥー3大神の創造神ブラフマと維持神ヴィシュヌ、そして高僧ニラルタが内部に祀られていますが、ヒンドゥー教徒しか入れません。ちなみに、建物や門などは珊瑚性石灰岩で作られているそうです。
 
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右手の断崖の上に造られた遊歩道から崖の様子を撮影することにしました。写真は遊歩道にある植込みです。
 
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絶壁となっている断崖に向かってインド洋から打ち寄せる波が雄大な景観となっています。一度は訪れてみたいと思っているイギリス南東部のセブンシスターズの白い断崖やオーストラリア南東部のにあるグレート・オーシャンロード・ロード沿いの断崖を想像しました。ちなみに、断崖の先に薄っすら見えるのは世界遺産の「ジャティルイ・ライステラス」があるバトゥカル山のようです。
 
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右手方向へ階段となって続く遊歩道を歩いてみました。断崖に沿って遊歩道が伸びていることが確認できます。
 
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振り返ると三重の塔(最高神を祀る3層のメル)と雲間から漏れる陽光がみえました。
 
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16世紀に高僧ニラルタが建立したという「メル」をズームアップ。
 
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反対側に出て寺院脇の道を下っていくと、遠くにスタジアムのような建物が見えました。これがケチャダンス会場のようです。
 
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(続く)

2015年4月 5日 (日)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 バリ島の「テガララン棚田」と「サレン・アグン宮殿」(後編)

コリ・アグンを装飾する石の彫刻が圧倒的な迫力で迫ります。「階段を上がるな」との警告が階段の中ほどに見えます。
 
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コリ・アグンの左右にある通用門を潜ると裏側にはこんなレリーフがありました。
 
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コリ・アグンの奥にある庭(アンチャッサジ)には4つの東屋(バレ)があり、そのひとつに置かれたこの人物像の台座プレートには“PIALA BERGILIR”とあります。ウブド王朝の王様なのでしょうか?
 
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その奥にはさらに別の入口がありましたが、何か国語で「入るべからず」と表示されています。
 
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右手の東屋はガムランの演奏場のようです。
 
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その裏手で見かけた石像
 
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庭の植込み
 
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ウブド大通りの反対側(南側)に市場があると教えられましたが、そこには立ち寄りませんでした。次の写真はスウェタ通りの反対側(西側)にある集会所です。バリの伝統様式で建てられています。
 
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その脇にあるこれは一体何でしょうか?
 
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ウブド大通りの反対側にある大きな像が気になって近寄ってみました。何かの神様を祀っているようです。
 
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隣の店では「果汁100%のジュース」を提供しているようです。店頭にはココナツの実が飾ってあります。手前の立て看板にある"mandiri"(自立を意味する)は店名かと思いましたが、国営マンディリ銀行が発行するクレジットカードの宣伝でした。”mandiri"カードで支払うと料金を10%値引くというサービスです。
 
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ウブド大通りの向こう側(先ほど立ち寄った建物の隣)には寺院がありました。
 
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わずか30分ほどウブドに立ち寄った後、デンパサールにへ向けて出発しました。(続く)

2015年4月 4日 (土)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 バリ島の「テガララン棚田」と「サレン・アグン宮殿」(前編)

ウブドへ向かうルート沿いに水田が広がりました。日本の田園地帯に似た雰囲気ですが、唯一異なるのは畦道(あぜみち)に椰子(やし)の樹が植えられていることです。
 
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どうしても本格的な棚田が見たくなった私が希望して、幹線道路から少しそれたテガラランの棚田に短時間だけ立ち寄ってもらいました。狭い道路の路肩に駐車する多数の車で道路は混雑しているなか、観光客向けの運転手さんだけあって見事に駐車スペースを確保してくれ、道路を横断して展望所へ向かいます。
 
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急傾斜の土地に造られた棚田は、迫力だけではなく、自然と調和した美しさがありました。

 
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左手の土産物屋の前に展望所を発見。
 
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同行者は現地ガイドに続きます。
 
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展望所から見た左手方向
 
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そして右手方向の様子
 
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日本の棚田よりも狭い土地を効率的に利用しています。
 
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棚田を見ながら食事ができるカフェがありました。
 
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土産物店には南国らしいカラフルな衣料品や小物が満艦飾状態です。この店では目立った客引き行為は有りません。わずか数分の立ち寄りであり、バリ島中部にある世界遺産「ジャティルイのライステラス」ほどの規模ではなさそうですが、棚田の美しさに大満足です。現地ガイドに質問するとバリ島では二毛作が行われているとのことでした。
 
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しばし、道草をしたあとは目的地のウブドへ向かいます。この写真でも分かるように、このエリアは川が渓谷となっているため、起伏の激しい土地を利用するために棚田が発達したのでしょう。棚田を通じて日本との文化的なつながり(類似性)を感じました。
 
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デンパサール方面へと南下してウブドに到着。ウブドはそのバリ芸術の中心地とされ、伝統舞踊、バリ絵画、木彫り(マス)、石彫り(バトゥブラン)、銀細工(チュルク)などのギャラリーやショップやなど観光客用の店が多数あるようです。

 

ウブドの中心部にあるサレン・アグン宮殿に立ち寄りました。ウブド大通り(Jalan Raya Ubud)とスウェタ通り(Jalan Raya Suweta)が交差する場所です。デンパサールの中心部から車で1時間足らずの距離にありますから、観光客でごった返していますが、とくに日本人観光客が目立ちます。次の写真はウブド大通り(西方向)。
 
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こちらの写真はスウェタ通り(北方向)とサレン・アグン宮殿(道路の右側)の門と物見台(右手前)

 
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スウェタ通り沿い(やや北)には大型の駐車場がありますが、運転手さんはサレン・アグン宮殿(通称:ウブド王宮)のすぐ近くで私と同行者を降ろしてくれました。この宮殿には現在もスカワティ王家の末裔(まつえい)が住んでいるため一般客が見学できる範囲は庭の一部に限られます。バリ様式の赤レンガ門を潜った前庭では夜になると定期的にバリ舞踊のショーが開催されるそうです。ちなみに、約500年前にウブド王朝によって建てられた宮殿とのこと。
 
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歴史を感じさせるバリ様式の高い門(コリ・アグン)
   
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(続く)

2015年4月 3日 (金)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 バリ島の「キンタマーニ高原」(後編) 

昼食後は外輪山の外側へ下っていると雨が降り始めました。もと来た道の途中で左に折れ、雨足が強くなる中坂道をかなり下り、聖なる湧水(The Holy Spring)がある寺院「ティルタ・エンプル」(Puru Tirtha Empul)に到着しました。
 
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バス用の大きな駐車場の奥にある小さ目の駐車場から舗道(ほどう)を歩いて世界遺産である「ティルタ・エンプル」へ向かいました。
 
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まず目についたのはこの銅像。現地ガイドが説明してくれましたが、迂闊(うかつ)にも失念してしまいました。周囲の椰子(やし)の木と比べたその大きさに驚かされます。
 
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先を歩く同行者は何やら見つけたようです。
 
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この社(やしろ)にはヒンドゥー教の神様が祀られています。したがって、異教徒は立ち入ることができません。
 
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写真が入った英文看板には、「ティルタ・エンプル」の所在地、沐浴場(もくよくじょう)であること、豊富な湧き水が名前の由来であること、古いバリ語で書かれた西暦960年付けの文書にその歴史が記述されていること、王が排水路を再建することを命令したこと、現在33の湧水が確認されていること、それらの用途はヒンドゥー教の宗教儀式であると信じられていること、考古学的遺産がいくつもこの寺院で発見されたこと、などが詳細に書かれていました。

 

割れ門から「ティルタ・エンプル」の境内に入ります。その前にサロン(腰布)とスレンダン(帯)を借りて着用する必要がありました。
 
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「沐浴場」の入口脇にある石碑にはインドネシア語とバリ語(?)で何やら書かれています。私の限られた知識とネット辞書を駆使して解読すると、沐浴(Mandi、マンディ)をする時の注意書きでした。「石鹸やタオルなどを使わないこと」「伝統的な衣類を身に着けること」「あらゆる種類の衣類を洗っていけない」などの5項目です。正式の門(割れ門)は石碑の右手にありますが、我々は観光客用の通用門(石碑の左)を抜けました。
 
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中に入ると、いくつもの吐出(としゅつ)口から大量の水が大きなプールのようなものに流れおちていました。右端(お供え物を置く台の向こう側)ではその水を頭からかぶっている男性がいます。表示プレートがある右端の3つの吐出口は死者のための聖水のはずですが・・。
 
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角度を変えてみると、20ほどの吐出口があることが分かりました。これも確認すると、写真に写る左側には20カ所、右側(写真の奥)には10カ所もあるそうです。ちなみに、奥に見える建物は僧侶(マンクー)にお祈りなどの儀式を執り行ってもらう場所のようです。
 
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沐浴場を抜けたところにある長い石段の先(高台)に豪華な施設が見えました。現地ガイドの説明によると、故スカルノ元大統領がこのパワースポットに隣接して建てた別荘だったとのこと。沐浴場とこの施設の位置関係は航空写真で確認できました。
 
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その時、同行者が突然叫びました。『私、これ見たことある。テレビ番組でデヴィ夫人の邸宅だって、内部が紹介されていたわ!』と言うのです。あとで確認すると、現在は政府のゲストハウス(迎賓館)として使われているようです。デヴィ夫人は大統領が現役であった時にその第3夫人として利用していたのでしょう。
 
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これが聖なる泉です。ここから沐浴場へと聖水が流れ落ちるのだそうです。水草や苔(こけ)などが生えていますが、静岡県駿東郡清水町にある柿田川湧水群のように澄んだ水でした。
 
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多数の祠(ほこら)
 
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石の装飾
 
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多数の石像に守られた建物
 
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私が現地ガイドに茅葺(かやぶき)のような屋根の材料を質問すると、梢(こずえ)が長く伸びる樹木の先端部を使っているとのこと。
 
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ここでUターンして出口へ向かいます。
 
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「ティルタ・エンプル」の中心部から外れたところに人工池があり、緋鯉(ひごい)が何尾も泳いでいます。日本から輸入したものとのこと。奥に少しだけ見える門をくぐると境内から外へ出られます。
 
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門の外に聳(そび)えるガジュマルの大木
 
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観光地にお決まりの土産物屋が両側に並んでいます。ここでも客引きが強引でしたから、脇目も振らないで駐車場へと急ぎました。
 
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(続く)

2015年4月 2日 (木)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 バリ島の「キンタマーニ高原」(前編) 

銀細工工房から車に戻ったところで現地ガイドがランブータンを差し入れてくれました。ライチ(レイシ)に似たこの果実は味もライチに似て淡泊ですが、「毛の生えたもの」を意味する名前の通りに棘(とげ)が長いことが異なる特徴です。食べる時には実の外側にある硬(かた)めの渋皮を上手く取る必要があります。
 
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余談です。今回のインドネシア旅行も、昨秋の台湾旅行と同様に、国内の大手旅行代理店で購入したものですが、旅行代理店は現地の旅行業者である「ランドオペレーター」から現地で発生する宿泊料金とガイド・食事代金をセットで購入して、それに往復の航空運賃を加えてエンドユーザーに販売するシステムになっています。つまり、国内の旅行代理店は現地での対応をアウトソーシング(外部委託)しているのです。そして、バリ島では交通手段が車しかありませんから、専用車・ドライバー・ガイドの3点セットを組み合わせた上記のようなパック方式(お仕着せの内容を変更するには制約がある)でない場合は、タクシーを利用するか車をチャーターする必要があります。

 

前者(タクシー利用)は訪れる場所の数が少ない場合には経済的な方法ですが、すべて自分で計画して(訪れる場所を決めて)、訪れる場所について事前に調査しておく必要があります。昨年のハワイ旅行はこのタイプ(シャトルバスとトロリーバスを利用)です。一方、後者(チャーター車)はあちこちに立ち寄る欲張りな計画を全社より安く済ませることができることと、訪れる先についての情報や立ち寄る順番などを運転手に相談して決めることができる利点があります。つまり、訪れる場所の数やそこまでの距離に応じて3つの方法の中から最適なものを選択すると良いでしょう。そして、現地ガイドやタクシーとチャーターした車の運転手は客をショップに連れて行くのはもちろん経済的な理由ですが、上手く利用するのがコツと言えると思います。

 

車はバリ島の北東部を目指します。車窓から見えた寺院のような建物に蝶の形をした凧(たこ)が飾ってあります。写真に写る看板に書かれた“PADMA“はインドのサンスクリット語で「紅い蓮の花(紅蓮華)」意味し、”LINGA”はここで説明することができないものですが、”PAINTING”とありますから画廊かもしれません。
 
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その少し先にある建物は、こちらは一見すると一般の住宅に見えますが、屋外だけではなく屋内にも凧(インドネシア語でlayang-layang/layangan、ラヤンラヤン/ラヤンガン)がいくつも飾ってありますから、凧屋さんかも知れません。鳥型の形状から調べると、これらはジャワ島の北東岸(ジャワ島の北西)に位置するマドゥラ島の鳥凧でした。ちなみに、バリ島の凧はイカのような形をしているそうです。
 
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山間(やまあい)に入ると道の両側に段差のある水田(つまり棚田、ライス・テラス)が増えてきました。旅行代理店の資料(旅程)には私の好きな棚田訪問(バリ島中部にある世界遺産のジャティルイのライステラス)が入っていないことだけが物足りませんでしたが、車窓越しに過ぎて行く棚田を見ていると充足された気持ちになりました。
 
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今から30年以上前にインドネシアへよく出張しました。出張先は首都のジャカルタが多かったのですが、時には政府機関が多く存在するバンドンにも出かけることがありました。第二次世界大戦後に独立した国の首脳たちが一堂に会したアジア・アフリカ会議(AA会議あるいはバンドン会議とも呼ばれる)が開催された場所です。飛行機を利用すれば30分ほどの近さですが、当時運行していた飛行機は見るからにポンコツで操縦室(コクピット)と客室(キャビン)の間のドアも開けっ放し。現地の駐在員からは時間は掛かるものの列車を利用することを勧められました。そして4時間ほどの列車の旅を体験することに。最大の見ものは車窓に広がる巨大な棚田群でした。以来、棚田ファンになってしまったのです。
 

 

山間に入って木彫りのマス村を過ぎ、長くて急な坂道をどこまでも走ると、約1時間後にキンタマーニ高原の中心であるバトゥール山の外輪山に到着。
 
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前方に見えるのは活火山のバトゥール山(標高1717m)です。

 
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その右手には火口湖のバドゥール湖と外輪山も
 
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インドネシア料理店の“SALI(マドゥ・サリ)で昼食(インドネシアンブッフェ)を楽しむことにしました。ちなみに、食べ放題のビュッフェ(フランス語)は、バイキング(和製英語)と似ていますが、バイキングと異なる点は、テーブルに提供された料理を複数の客に取り分けて食べる形式(中華料理など)を含むことと、時には食べた量に応じて料金を清算するシステムもあることのようです。この店のシステムは日本のバイキングと同じ(アルコール類だけは別料金)でした。
 
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入り口脇に置かれたたガネーシャ
 
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SALI(マドゥ・サリ)”の
店内
 
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我われが選んだのは展望の良いテラス風のエリアです。柱と板張りがその他の部分にくらべて新しく見えますから、あとから増築されたスペースのようです。
 
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店内から見たバトゥール山とバトゥール湖
 
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店内の反対側にある多彩な料理が入ったビュッフェ用容器が多数並ぶエリアへ向かうとキンタマーニ高原の別の景色を展望することもできました。
 
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多彩な料理から私が選んだものを載せたプレートとビンタンビール。
 
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同行者は、私が写真を撮っている間に、皿の料理を半ばまで食べ進んでいました。美しくない写真を掲載することをご容赦ください。
 
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そして、飲み物はフルーツジュース
 
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この日もやや重めのランチになりました。外に出ると小雨が降り始めていました。(続く)

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