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2015年6月

2015年6月30日 (火)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 白馬村の「ホテル シェラリゾート白馬」(その4)

翌朝、午前5時を少し回って空が明るくなりはじめたころに朝の散歩に出かけました。東棟と西棟の間にある広い庭園から「古民家の湯殿」を見ながら敷地の西側にある「遊べる小川」に向かいました。
 
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広葉樹の自然林
 
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白い花が咲いています。
 
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そして、「遊べる小川」の水辺には水芭蕉が見られました。
 
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自然の渓流が保存されています。
 
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ここにも小さな水芭蕉が
 
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西棟の外観から分かりますが、客室が斜めに配置されていて、お互いのプライバシーを守る配慮があります。建物の外周を取り囲む浅いプールは避暑用かもしれません。
 
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「遊べる小川」に沿って砂利道の散策ルートが続いています。
 
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本館の横に出ました。昨夕、リラックスした時間を過ごしたラウンジ(1階と2階)が間近に見えました。
 
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本館の反対側にある駐車場の手前に水仙が群生しています。
 
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青空に聳(そび)える大きな樹木
 
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木立の間に昨夕の散策で立ち寄った教会が見えます。
 
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本館を経由しても良いのですが、「遊べる小川」沿いのルートを引き返しました。
 
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「古民家の湯殿」方面へも行ってみることにしました。掛け流し温泉付きガーデンプールは、利用客がいないようで、水(湯?)が抜いてあります。その後方では「古民家の湯」から湯気が立ち上っているのが塀越しに見えます。
 
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庭園の端から見た東棟(左)と本館のレストラン(右)
 
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早朝の散歩で肌寒くなりましたので、自室へ戻ることにしました。(続く)

2015年6月29日 (月)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 白馬村の「ホテル シェラリゾート白馬」(その3)

「古民家の湯」を楽しんだ午後8時少し前、すっかり暗くなった庭園を見ながら本館のレストランへ向かいました。
 
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メインロビーを横切る時に面白いものをいくつか見つけました。まず、金属製のネコ。
 
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白樺の木で作った犬の人形
 
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宝箱の中には何が・・
 
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三角形の箪笥(たんす)の形状に目を惹(ひ)かれましたが、
 
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実は駄菓子入れでした。
 
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レストランの入り口付近に張り紙がありました。「ホテル シエナリゾート」は2014年2月に世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」(アメリカに本拠地)で日本のベスト20ホテルの15位にランキングされたとの説明文です。ちなみに、上位は「マンダリン オリエンタル東京」「ホテル ムメ京都」「パークハイアット東京」とのこと。
 
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レストランに入ってテーブルに案内されました。飾り気のないシンプルなインテリアは落ち着いた雰囲気です。
 
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予約したディナーは同行者の希望にしたがってフランス料理の「四季のコース」です。そして、飲みものは、私がシャルドネ キュヴェ プレステージュ(フランス白ワイン)、同行者がドイツの葡萄ジュース(赤)を選びました。
 
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まず、「桜エビと甘エビのムースリーヌ ホワイトアスパラとフルーツトマト添え からすみ風味のサラダ仕立て」
 
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次いで、遅い時間の夕食には無料でサービスされる24ケ月熟成されたスペイン・トレべス産の生ハムです。ちなみに、「トレべス」は世界一の生ハムの産地で、最上級生ハムの代名詞だそうです。
 
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オリーブオイルで食べる出来立てのパンは美味しいので食べすぎないように我慢しました。ちなみに、このパンはキノコの形状に似ているため「シャンピニオン」(西洋マッシュルーム)と呼ばれ、上の部分のカリカリ感と下の部分のしっとりしたクラムの食感を楽しめるとのこと。
 
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「じゃが芋のクリームスープ」
 
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「旬の本鰆(ほんさわら)を使った香草風味焼き ラタトゥイウ添え アンチョビとバジル風味のソースで」
 
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「シャロレー仔牛のポアレ 温野菜添え マイルドな風味のグリーンペッパーソースで」
 
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私は「本日のシェラリゾート グランデセール」と「総料理長厳選素材」から「スウェーデン王室御用達の紅茶」を、同行者は『この日はじめて』と言いながら「シェラリゾートオリジナルブレンド・オーガニックコーヒー」を選びました。ちなみに、「グランデセール」はメインとなるデザート、つまりシェフとパティシエたちの総力を結集させたデザートです。
 
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これまで敷居が高く感じられてフランス料理を敬遠していましたが、「シェラリゾート」のコース料理は視覚と舌を満足させるもので、しかもボリュームが少ないのが良いのです。そして、料理を引き立たせる器も魅力的で、同行者はもちろんのこと、私も大満足でした。

レストランからメインロビーへ出る時、先ほどは見過ごした写真パネルの存在に気づきました。2003年に開催された「第11回カナダ産食材を使った料理コンテスト」、2005年の「第16回 トックドール料理コンテスト」、2006年の「第1回アンダルシア産食材を使用した料理コンテスト」で、金澤光久副料理長(現総料理長)がいずれも総合2位を獲得したことが誇らしげに飾られています。
 
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そして、金澤総料理長が仏料理人の栄誉ある称号「ディシブル・ド・オーギュスト・エスコフィエ」(フランスの著名なシェフ・オーギュスト・エスコフィエの弟子を意味する)を送られたことを伝える新聞記事の切り抜きもあり、「ホテル シェラリゾート白馬」が提供するフランス料理の美味しさ・美しさの理由にいたく納得しました。
 
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自室に戻ってからは、テレビではなく、ネット経由で音楽を楽しみました。ホテル内のWiFi3スポット有)は認証なしで自由に利用できますが、ラジコは長野県の放送局(SBCラジオとFM-NAGANO)をカバーしているだけですから、i-コミュラジとPodcastを使って私の好きな放送局と番組を選択。同行者が「古民家の湯」から戻ったのと入れ替えで私もこの日2回目となる「古民家の湯」をゆっくり楽しみました。少し飲み過ぎたワインの酔いと温泉による身体の火照(ほて)りが重なって、いつの間にか寝てしまいました。(続く)

2015年6月28日 (日)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 白馬村の「ホテル シェラリゾート白馬」(その2)

本館のエントランス脇に足湯があることに気づきました。
 
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そして、その左奥には宿泊者用の軽食サービスも。卵かけご飯(TKG)、みそ汁、カレーライス、野沢菜の漬け物から好きなものを食べて良いと表示されています。散歩で身体が冷えたうえ小腹も空きましたので、切り株の椅子に腰かけて少量の卵かけご飯とみそ汁をいただきました。実は、夕食を午後8時とかなり遅い時刻に予約してあることも理由のひとつでした。

 

メインロビーを抜けて気になる場所へ向かいました。
 
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そして、数段の階段を下りた1階の広い部屋に入りました。フロントを回り込んだ場所で、先ほど見かけた本館の1階と2階にあるホールのようなもののひとつですが、「ラウンジ」と呼ばれているようです。
 
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広大なパノラマウインドウを通して、デッキの先に広がる敷地内の新緑をたっぷり楽しむことができます。
 
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入口の階段近くには暖炉が設備されています。
 
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別のアングルで撮影したホール
 
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こちらにはソフトドリンク、アイスキャンディ、そしてワインのサービスもあります。もちろん、いずれも宿泊客には無料ですが、ドリンク類の持ち出しは厳禁。
 
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さっそく、赤ワインをサイドテーブルに置いて景色を眺めました。
 
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近くにはこんな形の椅子も
 
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ホール内に流れるBGM(クラッシク音楽)の音質が良いことに興味を惹かれてラウンジ内を見まわすと、入口の両隅階段の脇と奥の隅に壁掛け型のスピーカーを見つけました。下部の表示でイギリスのTANNOY(タンノイ)社製スピーカーであることは分かりましたが、前面からその型番を確認することはできません。そこで、ネット検索をしてみましたが、見つからないことから、かなり古いモデルのようです。
 
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1時間あまり1階のホールでくつろいだあと、照明が明るく見えるようになったメインロビーを経由して、2階のホールにも行ってみることにしました。メインロビーの暖炉に火が入っています。
 
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外の景色も夕暮れて・・
 
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2階のラウンジにはビリヤード台が置かれています。20年以上前に住んできたアメリカの自宅では息子たちとビリヤード台でよく遊んだことを懐かしく思い増しました。
 
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こちらのラウンジにも大きなパノラマウインドウに向かってリラックスチェアが置かれていますが、そこに人影はありません。
 
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1階のラウンジに戻ると、屋外がだいぶ薄暗くなっていました。
 
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予約した夕食の時間まで1時間近くありますから、いったん自室へ戻ることにしました。(続く)

2015年6月27日 (土)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 白馬村の「ホテル シェラリゾート白馬」(その1)

3週間近く前に予約した宿泊先は何と日帰り温泉として1時間半前に利用した「古民家の湯」がある「ホテル シェラリゾート白馬」だったのです。迂闊(うかつ)なことに、すっかり失念していました。ちなみに、「ホテルシエラリゾート白馬」はオープンして21年目を迎えたそうです。白馬の他にも奥志賀と湯沢(岩原スキー場)にもチェーンホテルがあるようです。

 

勝手を知る(?)ホテルですからチェックインはスムーズに済み、西棟の部屋に案内されました。リゾートホテルですから5角形をしたツインベッドの部屋は広めで、開口部も大きく、ゆったり過ごすことができそうです。
 
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30分あまり休憩したあと、ホテルの広い敷地を散策することにしました。本館のエントランスから出て、敷地内を横断するように伸びる車道を歩きました。「熊出没 注意」の看板がたっています。クマよけベルはフロントで無料貸出してくれるそうです。
 
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少し先に右手へ向かう遊歩道がありました。フロントでもらった地図によると「山野草の小道」のようで、奥の湿原には「水芭蕉」と「ザゼンソウ」が生えていると表示されていま。「山野草の小道」にそれると菜の花が咲いていました。
 
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舗装された小道には「八分音符」や「ハート」などが描かれています。
 
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水芭蕉の群生がありましたが、「ザゼンソウ」は時季を過ぎたようでその姿を見られません。それに代わって薇(ぜんまい)が生えていました。
 
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湿原の反対側にあるのは多目的ホールの「四季山庭」です。この時間には噴水が止められていました。
 
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その先にある小さな湿原は雪捨て場として使われていたようで、雪の大きな塊が残っています。
 
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山庭口から敷地の南端部に沿って延びる県道433号を歩き、ホテルのメインエントランスから敷地内へ戻りました。
 
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メインエントランスから伸びるアクセス道の脇に白馬高原教会がありました。この教会とその前にある円形庭園で結婚式が行われるのでしょう。
 
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ホテルの本館と宿泊棟(西棟)が見えてきました。正面から平屋に見えた本館は2階建で、現在見える側面には1階と2階に広いホールのようなものがあるようです。
 
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エントランスの前を通過して、東棟を見ながら、車道を直進してみました。
 
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こちらのエリアはホテルの業務用スペースで見るべきものはありませんが、フロントで貰った地図に「源泉」の表示を見つけたのです。100mほど先に源泉小屋を見つけましたが、もちろん内部を見ることはできません。
 
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風が急に冷たくなって来ましたので、「栂池パノラマ橋」から見た栂池高原スキー場周辺の景色を見ながらホテルの建物内へ戻ることにしました。次の写真は上から順に、「栂池パノラマウェイ」、「小蓮花山」(標高2766m)、「鵯峰(ひよどりみね、標高1907m)。
 
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本館エントランスの脇にある芝桜が満開です。
 
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(続く)

2015年6月24日 (水)

明治神宮外苑の名木とブラジル料理レストラン「カリオカ」(後編)

次いで、「東京ヤクルトスワローズ・ショップ」
 
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「明治神宮室内球戯場」
 
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「明治神宮野球場」
 
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「銀杏並木」の説明看板には完成した翌年である昭和2年(1927年)の写真と約60年後の写真が対比してありました。
 
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銀杏並木の左歩道
 
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銀杏の先端は尖塔(せんとう)のような形に整えられています。
 
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オープンテラスがあるカフェが並ぶ左舗道を歩いたあと、青山口から青山通りを少し戻り、外苑前交差点でスタジアム通りに入りました。次の目的地であるブラジル料理レストラン「カリオカ」は秩父宮ラグビー場入口のすぐ手前、神宮外苑ビル2階(1階は英国風パブのHUB)にありました。ちなみに、「カリオカ」はポルトガル語でリオデジャネイロの出身者を指す言葉だそうです。
 
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外階段で2階へ上がりました。

 
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そして、入口を入ったところで分かりました。その「カリオカ」はこの人のことだったのです。ちなみに、この店を選んだ理由は、テレビのグルメ番組で観た同行者がこの店に興味を持ったことによります。
 
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この日は平日でしたが、正午前でしたから、空きテーブルがまだいくつかありました。ランチでも予約する客が少なくないようで、ひっきりなしなしに電話の着信音が聞こえます。正午を過ぎたころにはほとんど間に埋まってしまいました。横に広くて明るい店内にはBGMとしてボサノバ曲が流れています。
 
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私はグラスの赤ワイン(400)と平日ランチメニューから「カリオカ風グリルステーキ フェイジョン付き」(1200)、同行者はブラジル風サンドイッチの「バウル」(ソーセージ、1000)を選びました。

 

まず、肉の風味たっぷりのスープ
 
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次いで出されたプレートはいずれもボリュームたっぷりです。同行者はすかさずスタッフに持ち帰り(テイクアウト)は可能かと確かめます。
 
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いずれも日本的にアレンジされており、食べやすい味付けでした。いずれのプレートも食べきれず、スタッフにドギーバッグをお願いしました。

 

外苑前交差点に戻った時に、同行者が「郡上踊り in 青山」の幟(のぼり)を見つけ、『どうして青山で郡上踊りが開催されるの?』と訊(き)きます。『何だ、そんなことか』とばかり、江戸時代の譜代大名で江戸町奉行と老中を務めた青山忠成氏の子孫が郡上八幡の城主であった縁(ゆかり)を説明して、私の博識ぶりを披露しました。7年前、郡上八幡へドライブ旅行した時にも同じことを説明したはずですが、同行者はすっかり忘れてしまったようです。
 
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気をよくした私は、同行者とともに、外苑前駅の2番で入口から銀座線に乗って帰路につきました。
 
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(終)

2015年6月23日 (火)

明治神宮外苑の名木とブラジル料理レストラン「カリオカ」(中編)

重要文化財「聖徳記念絵画館」の入口に到着
 
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敷地内へ入ると右手に「木名 ひとつばたご(一つ葉田子)」と呼ばれるモクセイ科の樹木です。調べてみると、「なんじゃもんじゃの木」(見慣れない立派な植物の愛称)と呼ばれる樹木は、これ以外にも樟(くすのき)や菩提樹(ぼだいじゅ)などがあるようです。そして、「田子」はモクセイ科のトネリコのことです。
 
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聖徳記念絵画館の写真看板
 
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中国の王宮や寺院によくあるという白松(しろまつ)が左右に各3本ずつ植えられています。
 
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その幹は魚の鱗(うりこ)のような模様が浮き出ていました。
 
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間近で見る絵画館です。東西の長さ約112m、中央ドーム頂点までの高さ約32m、南北の長さ約34mと、思ったよりも巨大な建物です。中央部には表広間・中央広間・裏広間が、左手に洋画画室、右手に日本画画室が配置されており、絵画室はすべて頂部からの自然採光になっているようです。聖徳記念絵画館のhpで壁画の一部を見ることができます。
 
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中に入って見たいところですが、同行者は興味がなさそうです。入館しないことにして絵画館の裏手へ回り込むと、「葬場殿趾の楠(くすのき)」がありました。大正元年9月13日、明治天皇の御大喪が旧青山練兵場で行われた時、この場所に御轜車(ひつぎを乗せる車)が置かれた葬場殿の跡です。その時に植えられ楠の大木の前に「葬場殿跡の石碑」が立っていました。
 
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絵画館をほぼ一周する形で左手前に出ました。樺太日露国境天測標(石はレプリカ)
 
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近くに:徳川家光縁の御鷹の松もあったようですが、うっかり見過ごしてしまいました。
 
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再び絵画館を見渡せる場所に出ました。
 
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日本で最古級の車道用アスファルト舗装道である「聖徳記念絵画館前通り」が土木学会から「土木遺産」に選ばれたことの記念する碑を見つけました。
 
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絵画館の正面にある国旗掲揚塔の台座に躍動する一角獣の彫像を二体見かけました。
 
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絵画館からの帰路はグラウンドとコートの間を抜けて、銀杏並木の左歩道を歩くことにしました。
 
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まず「神宮バッティングドーム」
 
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(続く)

2015年6月22日 (月)

明治神宮外苑の名木とブラジル料理レストラン「カリオカ」(前編)

東京メトロ銀座線外苑前駅の「4a出入口」から地上に出て、青山通り(国道246号)を青山一丁目方面へ歩きました。
 
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ちなみに、青山通りの南側にある青山霊園の辺りは、江戸時代は青山家の下屋敷があり、青山という地名の由来になったと言われています。

 

200mほど先にある石垣の上に明治神宮外苑の標識がありました。
 
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青山二丁目交差点の左手には銀杏並木が続くと都道414号(四谷角筈線)がありますが、交差点側の両側にもある石垣は、広場や記念的な建造物の間を広い直線道路で結ぶ壮大な「バロック都市」にしようとした遺構だそうです。
 
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この石垣は江戸城の石垣を持ってきたとする説と、国立競技場(国立霞ヶ丘陸上競技場)が出来る前にあった神宮外苑競技場の石垣、つまり1924年(大正13年)に陸軍の青山練兵場跡地にあった石垣を持ってきたという説もあるようです。しかし、後者も元を質(ただ)せば江戸城の石垣を移設したものでしょう。ちなみに、国立競技場側にも石垣は残っていたそうですが、その跡地に建設される新国立競技場でも保存されると良いのですが・・。
 
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石垣の右手奥にある「明治神宮外苑記」に外苑が造られた経緯が説明されていました。それによると『明治天皇が崩御された後、その功績を広く後世に伝えるために大正時代末に完成。国費で創建された明治神宮(内苑)とは異なり、明治神宮奉賛会が設けられ、国民から募った寄付金が外苑の造成に使われ、大正15年(1926年)10月に完成した』とのこと。
 
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青山二丁目交差点の左手には有名な銀杏並木が続いています。銀杏並木の説明看板には、『全部で146本(雄木44本、雌義102本)の銀杏が左右歩道の両側に植樹帯を配置した「4条の並木」を構成している。最高24m、最低17mの銀杏が樹高順に青山口より勾配(こうばい)に従って植えられている』とありました。

 

初冬には黄色く色づいた銀杏並木を見に訪れる人が多いのですが、私も何度か銀杏が紅葉する時期に訪れて記事を投稿(2005年2009年2012年)していますが、梅雨時には人影もまばらでした。しかし、この季節にわざわざ訪れた理由は新緑の銀杏並木も見たかったのです。

 

案内図には敷地全体の形状と主要施設が分かりやすく図解されています。これを参考にして外苑内を周回することにしました。
 
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右歩道を歩きました。
 
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直線道路が行き当たる直前に御観兵榎(えのき)の案内看板がありました。それによると、『明治天皇が親臨されて行われた観兵式では、この榎の西前方に御座所が設けられたことが御観兵榎の名の由来』でした。
 
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案内標識にしたがって右手の入口を入ります。
 
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緩やかにカーブする遊歩道
 
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先ほどと同じ案内看板の奥に御観兵榎(えのき)がありました。
 
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大きくカーブする都道414号側の出口から銀杏並木に戻って青山口方面を撮影
 
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聖徳記念絵画館(せいとくきねんかいがかん)の正面に出ました。ちなみに、「聖徳」(せいとく)は天子の徳を意味します。
 
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『当代一竜画家の筆になる80面の大壁画がある館内展示は生きた明治史の教室である』と説明されています。
 
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大正8年(1919年)起工し、大正15年(1926年)竣功した絵画館は一般公募で選ばれた小林正紹氏の原図を基に明治神宮造営局において修正されたそうです。構造は鉄筋コンクリート造り、外壁は岡山県万成産花崗(かこう)石、画室を除く壁面と中央大広間は国産大理石と一部タイルを使用しているとのこと。

 

催し物がある時には左右の門からグラウンドに入れましたが、この日は門が閉まっていますので、都道414号の歩道を歩いて絵画館へ行くことにしました。
 
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都道414号の反対側にある「日本文化芸術研究センター」(京都道警芸術大学・東北芸術工科大学)の外苑キャンパス
 
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そして、「明治神宮にこにこパーク」も
 
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(続く)

2015年6月19日 (金)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 白馬村の大出公園

県道433号と国道148号でJR大糸線白馬駅の近くまで戻り、国道406号へそれました。姫川を渡って丘陵地帯へ入ると「大出(おおいで)公園」に行き当たりました。
 
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2007年にオープンした「大出公園」は、美しい姫川の清流と「大出吊橋」、そして北アルプスの山並みを展望できる場所として、白馬村における風向明媚(ふうこうめいび)な場所のひとつです。
 
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茅葺(かやぶき)の古民家「古径庵」
 
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駐車場の左手にある「大出吊橋」から見た姫川の下流方向です。吊橋を渡った対岸にも古民家風の建物が並んでいますが、いずれも一般の民家のようでした。
 
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吊橋を引き返して入った遊歩道で古民家の先へ進むと、姫川沿いに春の花が咲き始めた広場がありました。
 
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広場を横切って姫川沿いまで歩いてみました。
 
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遊歩道に戻って高戸山(1069m)の山麓にある展望スポットへ向かうことにしました。右手方向から流れ落ちる姫川の支流「峯方沢川」にある砂防ダムは滝のような設(しつら)えがあります。
 
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急な坂道となった遊歩道を600mほど上がると、「日本の原風景」と書かれた展望台の表示がありました。
 
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遊歩道の左手には、写真を撮影したり、絵を描いたりする人たちが見えました。
 
 
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大出公園展望台から見た姫川は先ほど渡った吊橋が見えます。しかし、北アルプスの白馬三山(白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳)は雲に邪魔(じゃま)されて、山頂付近の輪郭がはっきり分かりません。先ほど立ち寄った広場にも写真撮影や写生をする人たちを確認できました。
 
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少し右手を見ると、先ほど吊橋を渡って歩いて古民家風の住宅が並ぶエリアも確認できます。その後方に見える山は岩茸山(いわたけやま、標高1290m)のようです。
 
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遊歩道の右手には純喫茶「カミニート」がありました。
 
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先ほど見た案内図には遊歩道がさらに先まで続き、2つ目の展望スポットと姫川の下流に架かる「押込吊橋」を経由して、大出吊橋から駐車場へ戻る周回ルートになっていました。このルートを辿(たど)って見たくもありましたが、下調べで「カミニート」の少し先で通行止めになっているとの情報を得ていましたので、ここで引き返すことにしました。
 

駐車場に戻ったのは午後3時20分過ぎで、宿泊するホテルへ向かいにはちょうど良い時間です。そこで、宿泊する宿を携行した資料で確認してみると、驚くべき事実が明なったのです。それは次回の記事で書くことにして、例によってここで投稿を小休止することにします。(続く)

2015年6月18日 (木)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 白馬みずばしょう温泉の「古民家の湯」

日帰り温泉の代案として考えておいた「古民家の湯」が県道433号沿いにあることを思い出しましたのです。善は急げとばかりに、栂池高原から20分ほど戻った午後2時少し前、「ホテル シェラリゾート白馬」に到着しました。
 
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本館から少し離れた駐車場から本館の入口(エントランス)へ向かいます。
 
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本館のロビーにあるフロントで日帰り温泉にチェックインしました。入館料は1000円ですが、JAF会員は半額の500円で利用できます。しかし、ここで予期しなかったことですが、この日(5月10日)はメンテナンス(定期清掃)のため、女性風呂が午後3時まで利用できないと告げられたのです。同行者には申し訳ないのですが、折角ですから私だけが温泉を利用することにしました。

 
ロビーと向かい合うレストランの手前から外廊下に出ました。2つの宿泊棟、西棟(左)と東棟(右)の間には芝生が敷き詰められた広い庭が続き、その先には赤倉山(標高1649m)と少し右手には稗田山(ひえだやま、標高1443m)と思われる山々を望むことができました。
 
 
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庭の花と植栽がきれいにレイアウトされています。
 
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そして、東棟(宿泊棟)を抜け、さらに渡り廊下を歩いて「古民家の湯」がある「白馬みずばしょう温泉 古民家の湯殿」へ向かいました。写真は渡り廊下から見た東棟と庭園。
 
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「古民家の湯」がある湯殿は新潟県糸魚川市にあった古民家2棟を移設して、2012年の秋に再構築された建物とのこと。
 

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「温泉のメンテナンス」を告げる案内が格子戸に貼られています。
 
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入口を入ると男女共通の休憩所がありました。温泉や先頭にはつきもののコーヒー牛乳が無料で提供されていました。そして、冷蔵ケースの前に「美味しい珈琲牛乳の正しい飲み方」と書かれた「めくり」に興味を持ちましたので、温泉に浸かったあとで読むことにしました。
 
 
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大きな開口部から見た白馬の山並みです。方角から見た、おそらく高戸山(右手目、標高1069m)と東山(中央の雪山、標高1233m)でしょう。
 
 
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男湯の脱衣場は小ぶりですが、清潔感があります。
 
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檜造(ひのきづく)りの大浴槽は、大きくて開口部が広いため、開放感たっぷりです。
 
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反対側から見た大浴槽
 
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洗い場は10席ほどと狭いですが、つい立てで湯が跳ねるのを防ぐ心遣いが感じられました。
 
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壺湯(つぼゆ)も掛け流し
 
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屋外に出てみました。湯殿の外観は古民家というよりも、和モダンの趣(おもむき)があります。また、ガラス戸が開けられているので外からも大浴槽が見えます。
 
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上の写真で右側に写る半露店の檜(ひのき)風呂
 
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檜風呂から見た高戸山
 
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そして、岩露天
 
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同じく、湯口付近です。「白馬みずばしょう温泉」は古民家を再構築した湯殿の魅力だけではなく、かけ流しのナトリウム・炭酸水素泉が美肌の湯として人気があるそうです。
 
 
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速い時間に立ち寄ったことで、まだ新しさが残る「古民家の湯」を独り占めして、堪能することができました。これは、「怪我の功名」あるは「人間万事塞翁が馬」というべきでしょうか。
 

 

そして、湯上りのコーヒー牛乳も格別でした。気になっていた「美味しい珈琲牛乳の正しい飲み方」その四箇条は普通でしたが、『飲む時には北北西を向くこと』とありますが、良く考えて分かったような気がしました。正面に見える雪山「鵯峰」(ひよどりみね、1920m)の方角でしょう。(続く)

2015年6月17日 (水)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 白馬村の栂池高原

国道148号で10分あまり北上して、白馬村の中心地にあるJR大糸線の白馬駅に立ち寄りました。
 
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駅舎の前から「八方尾根」の遣ケ岳(2903m)や杓子岳(標高2812m)などが望めました。
 
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ちなみに、「八方尾根」は、南端の唐松岳(標高2696m)から四方八方に尾根が延びていることから付けられた名称ですが、通常は唐松だけから北方の北城盆地(親海湿原から栂池高原まで続く白馬盆地の北半分)西縁の白馬村八方地区まで水平距離で約7.5kmも続く尾根を指すようです。

 

ついでに白馬村にある白馬(はくば、しろうま)連峰とその山麓を概観しましょう。白馬村の西端を南北に連なる主な山は、南から武田菱の雪形で知られる五竜岳(標高2814m)、唐松岳、白馬鑓ケ岳(やりがたけ、標高2903m)、杓子岳(しゃくしだけ、標高2812m)、白馬岳(標高2932m)、小蓮華山(これんげさん、標高2766m)、白馬乗鞍岳(標高2437m、注:長野県と岐阜県の県境にある乗鞍岳とは別の山)。

 

それらの麓にあるのが、同じく南から「白馬五竜」「白馬八方」「白馬岩岳」「栂池(つがいけ)高原」「白馬乗鞍高原」の5つの山麓に分けることができます。そのいずれにも大きなスキー場があるのはさすがにスキーのメッカである白馬村です。昭和31年(1956年)に合併で白馬村(はくばむら)が誕生してからは地名や山の名前などは「はくば」で統一されましたが、最高峰の白馬岳(標高2932m)だけは「はくばだけ」ではなく、古い呼び名である「しろうまだけ」のまま変わっていません。

 

国道148号に戻って、さらに2kmあまり北上し、JR大糸線の信濃森上(もりうえ)駅に近い岩岳入口交差点で県道433号に入り、白馬岩岳の山麓を上方へと走りました。小谷(おたり)村に入ってT字路を左折すると栂池(つがいけ)高原に到着。
 
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栂池高原のビジターセンター「栂(つが)の湯」には名前の通り、日帰り温泉があるはずです。しかし、ビジターセンターには人の気配がありません。
 
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「栂の湯」は連休の終半である5月7日から6月19日まで休館していました。
 
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ビジターセンターの外にある足湯も湯が張ってありません。
 
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ビジターセンターの先には栂池高原スキー場と結ぶ「ゴンドラリフト イヴ」の「栂池パノラマウェイ」の栂池高原駅がありますが、
 
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こちらも「施設点検および整備に伴う営業休止のお知らせ」が掲示されていました。
 
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「栂池パノラマウェイ」栂池高原駅の右前方には、「栂池中央トリプルチェアリフト」のがあります。その左手に続く空間は「カラマツゲレンデ」、遠くに見える雪山は小蓮華山(標高2766m)です。
 
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左手には、「からまつ高速ペアリフト」の鉄塔と支線が見えます。
 
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栂池高原全体がオフシーズンでしたから、県道433号を戻ることにすると、県道と交差する小路に「塩の道 千国(ちくに)街道」の標柱を見つけました。「千国街道」は長野県松本市から新潟県糸魚川市に至る街道です。現在の国道147号と国道148号にほぼ並行していますが、姫川の急峻な渓谷をさけるため、このように山麓を通る区間もあるようです。
 
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栂池高原にはもう一軒日帰り温泉「元湯 栂の森荘」がありますが、あるアイディアが閃(ひらめ)いたことで、県道433号を引き返すことにしました。写真は松沢川に架かる「栂池パノラマ橋」から見た「栂池高原スキー場」のゲレンデとその後方(写真の中央)に見える鵯峰(ひよどりみね、標高1907m)です。ちなみに、その後方に連なる雪山は左から、白馬乗鞍岳(2456m)、天狗原、フスブリ山(標高1944m)。
 
 
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(続く)

2015年6月16日 (火)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 白馬村の「.姫川源流」と「親海湿原」(後編)

「西流の水源」から流れ出る清水
 
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前方に3つの水源が合流して姫川となるという橋が見えます。
 
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橋を渡り終えた左手(姫川の脇)にある「名水百選 姫川源流湧水」の石碑
 
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「姫川源流」の説明看板
 
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「姫川源流」の次は「親海(およみ)湿原」へ向かいます。
 

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この日は5月10日ですが、遊歩道の脇に雪がまだ残っています。
 
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スミレサイシン(菫細辛)
 
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案内標識にしたがって「親海湿原」へ向かいます。ちなみに、「ドウカク山」は「姫川源流」と「親海湿原」を隔てている孤立丘(標高815m)です。
 
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急峻(きゅうしゅん)な坂になった遊歩道を上って小高い場所を越えると、木陰に「親海湿原」が見えてきました。
 
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おもしろい案内標識です。「親海湿原」にループが描かれていますから、湿原の周りを周回できるようです。
 
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案内看板には「親海湿原」と「周辺の散策路」(木道とチップ舗装歩道)が説明されています。内容は「前編」で説明したことに加えて、『低温、弱酸性、貧養という厳しい環境条件のため亜高山帯から鉱山にかけて生息する湿原植物が豊富である』との解説と「花ごよみ」が図と写真で説明されていました。
 
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いよいよ「親海湿原」の周回散策路(木道)の入口に差し掛かりました。『破損している箇所があるので十分注意するようにとの注意書きが立てられています。
 
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木道は湿原の中央を何度か折れ曲がりながら対岸まで直線的に続いていますので、半円を描くルートのようです。散策路の入口地点から見る限り、何の問題もなさそうです。
 
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しかし、木道が大きく傾いている区間が出現しました。幸いなことに木道は濡れていませんから、滑ることはなさそうですが、注意書きにしたがって、足元に注意しながら前へ進みました。
 
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応急修理したのでしょうか、古い木材を再利用した木道の区間があります。
 
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「親海湿原」の解説通り、周囲を山に取り囲まれたすり鉢状の地形です。
 
 
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前編に書きましたように「親海湿原」の水源は青木湖とされますが、この湿原の水は「ドウカク山」の斜面に沿って伏流し、親海湿原の「ドウカク山」の南にある荒神の森を隔てて、再び湧水して「姫川」の源流になると考えられているそうです。
 

 

出発地点からかなりの距離を歩いたようです。入口付近にあった案内看板「親海湿原」を周回する散策路は約780mと距離があると表示されていましたから、半分近くは進んだようです。
 
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対岸に立つ標識にはほぼ中間地点であることが表示されています。
 
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対岸から見た「親海湿原」
 
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対岸に沿って延びる木道は途中から「チップ舗装歩道」に変わったことで歩きやすくなり、出発してから10分であまり周回散策路の起点へ戻りました。

 

「姫川源流茶屋」の前にある駐車場へ向かう途中、白・とピンクの花を咲かせる「源平枝垂(しだれ)れ桃」を見かけました。
 
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(続く)

2015年6月15日 (月)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 白馬村の「.姫川源流」と「親海湿原」(前編)

茶屋の前に車をそのまま停めさせてもらい、国道の反対側にある「姫川源流」の入口へ向かいました。車は通行できませんが、姫川自転車道の起点でもあると表示されています。
 
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「姫川源流」は、その名の通り、一級河川である姫川の水源です。水質ランキングで日本一を誇るこの川は白馬村の姫川源流に始まり、大地溝帯(糸魚川静岡構造線)にほぼ沿って流れ、糸魚川市で日本海に注いでいます。ちなみに、白馬村ではこの「姫川源流」とその近くにある「親海(および)湿原」を合わせて「姫川源流自然探勝園」と呼んでいます。

 

佐野坂の山から流れ出た水がJR大糸線と国道148号を横切って流れ落ちる鳴沢川に架けられた橋を渡ります。ちなみに、成沢川は姫川支流です。
 
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「姫川源流親海(およみ)湿原のご案内」と表示された説明看板には『湿原がすり鉢状の平坦地系を無、流出入する河川のない隔絶した湿原であり、湧水の源は青木湖ではないかともいわれているが、このような低標高地(標高750m)で湿原が見られるのは常に珍しいとのこと。また、「花ごよみ」には、4月から5月にかけて、フクジュソウ(福寿草)、ニリンソウ(二輪草)、キクザキイチゲ(菊咲一華)、アズマイチゲ(東一華)、カタクリ(片栗)がシーズンである』と説明されています。
 
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別の資料では、青木湖がもともと姫川の水源であったものが、佐野坂(さのさか)で発生した地滑りによって発生した土砂によって姫川の上流部が堰(せ)き止められてできた沼が数千年をかけて親海湿原となり、さらに陸化しようとしているとする説を述べています。いずれにせよ、この湿原は上高地尾瀬湿原と同様のプロセスにあるといえます。

 

カタクリの花
   
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巨大なゼンマイ(薇)
 
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遊歩道は「荒神社の参道になっています。
 
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こちらが「荒神社」です。由緒書によれば、正安年間(1300年頃)に勧請(かんじょう)されたといわれる神社で、姫川源流親海湿原の湧水は昔から「荒神の清水」とよばれていたそうです。
 
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純白の花を咲かせるのはキクザキイチゲ(菊咲一華)のようです。姫川源流親海湿原に多く生息するという水中花のバイカモ(梅花藻)とは花びらの形が異なります。
 
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事前に調べた資料によると、『親海湿原は450種もの植物が生育している。中でもミツガシワ(三槲)、カキツバタ(杜若)は湿原一面に花が咲き誇る。主な花の見頃はミツガシワが5月上旬から下旬、サギスゲ(鷺菅)は5月下旬から6月下旬、カキツバタ(杜若)は6月上旬から下旬、サワオグルマ(沢尾車)は6月上旬から』と説明されています。 

 

10分ほどでバイカモ(梅花藻)が密生している湿原に出ました。ここに「姫川源流」があるはずです。
 
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左手に伸びる木道を歩いてみました。
 
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「姫川源流」に出ました。先ほど立ち寄った「白馬さのさか観光協会」の方に源流は橋の近くにあること教えてもらっています。もらった地図によると、右手が「東流の水源」、右下が「南流の水源」、左手前が「西流の水源」で、橋の辺りから姫川が始まっているとのこと。
 
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フクジュソウ(福寿草)
 
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さらに奥まで進むと半乾燥(陸化)したような状態になりました。
 
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そこで振り返ると、湧水の量が少ないこの場所からスロープを下るにしたがって、植生が濃くなる様子が緑のグラデーションとしてよく分かります。
 
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瓢箪(ひょうたん)のような形に廻(めぐ)らされた木道は右へカーブしながら続きます。
 
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バイカモ(梅花藻)に交(ま)じって水芭蕉(みずばしょう)も群生していますが、もう(まだ?)花は付けていません。
 
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さらに進んで湿原らしくなりはじめると、水芭蕉の花がありました。仏災苞(ぶつえんほう)と呼ばれる蕾(つぼみ)を包んでいた純白の葉のことを水芭蕉の花と思いがちですが、実は仏災苞の中央にある円柱状(トウモロコシに形が似てる)の部分が花序(かじょ)と呼ばれる部分が花で、花序は小さな花が多数集まったものです。
 
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木道の両側にも群生しています。
 
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(続く)

2015年6月14日 (日)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 大町市の木崎湖・青木湖と白馬村さのさかの「姫川源流茶屋」

「安曇野アートライン」をさらに北上すると、ほどなく犀川(最若)の支流である穂高川を渡ります。
 
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安曇橋南交差点付近で高瀬川沿いに出ました。県道306号の前方に冠雪した山並みが見えてきました。安曇野市の北隣にある松川村から大町市にかけて続く北アルプスです。道路の延長線上にある円錐状の大洞山(同1093m)と山頂付近が丸く尖った山、鍬ノ峰(くわのみね、同1623m)、左端は雨引山(標高1371m)、そしてそれらの後方には見えるのは左から餓鬼岳(同2647m)・唐沢岳(同2623m)・北葛岳(同2551m)・蓮華岳(同2799m)のようです。
 
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ほぼ直線に伸びる県道306号の先には北アルプスの山々が次々と姿を現します。
 
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国道147号との交差点で国道へ入りました。
 
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案内標識に「白馬26km」と出て、大糸線信濃大町駅のすぐ近くにあるを陸橋で越えるころには、冠雪した北アルプスの赤沢岳(左手、標高2678m)とその後方し少しだけ見える鳴沢岳(同2641m)とその右手の岩小屋沢岳(、同2630m)、ほぼ正面に見える爺ケ岳(標高2670m)、さらに右手には布引山(同2683m)・鹿島槍ケ岳(同2889m)・五龍岳(2814m)などが青空に映(は)えていました。
 
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国道147号は北大町駅に近い一中東交差点で国道148号に名前が変わりました。さらに3kmあまり北上すると、40年以上前に北陸へドライブした時、糸魚川から帰宅する途中に立ち寄ったことがある木崎湖畔に差し掛かり、1996年に開通した木崎湖トンネルを抜けた北側(大糸線の線路脇)で一時停止して木崎湖の全景を撮影しました。
 
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大糸線に沿って国道148号(千国街道)をさらに10分ほど北上すると青木湖畔に出ましたが、国道148号(千国街道、糸魚川街道)はトンネルの連続で、通り過ぎそうになってしまいました。そこで、大町市と白馬村の境界手前で左の脇道に入りました。旧道のようです。
 
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トンネルを抜けると青木湖畔に出ました。40年前とほとんど変わっていないようです。
 
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旧道を少し先へ進むと青木湖越しに雪山が望めました。
 
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葭簀(よしず)のようなものに何かが入ったビニール袋がいくつも乗せられて目の前に浮かんでいます。ロープで流されないようにつながれていますが、これは一体何でしょうか? ひょっとしたら魚を生きたまた保管する生簀(いけす)かもしれません。
 
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湖畔の砂地にはタンポポが咲いていました。青木湖を周回するつもりでしたが、半周したキャンプ場の手前で車は通行が困難になりましたので、元来た道を引き返すことにしました。40年前の景色ははっきりとは記憶していませんが、バイパス道路ができたことを除けば青木湖とその周辺は何も変わっていないようです。
 
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青木湖の少し先にある「佐野坂(さのさか)」が次の目的地です。白馬さのさか観光協会で姫川源流と親海(およみ)湿原の情報(散策ルート図と開花情報)を入手。散策する前に腹ごしらえをするため、隣りにある「姫川源流茶屋」に入りました。
 
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私は「ざる蕎麦」(800円)、同行者は「ガレット」(850円)と「蕎麦ソフトのスイーツ」(450円)を注文。いずれも期待した以上の美味しさに大満足。そして、漬物も。
 
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(続く)

2015年6月13日 (土)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 .安曇野市穂高にある「大王わさび農場」(後編)

「大王神社」の本殿
 
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左手に「わさび田の小径」が見えますから、木立の奥には先ほど歩いた「アルプス展望の小径」があるようです。
 
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「北畑」の南東にある「大王畑」(大正15年完成)を「幸のかけ橋」で越えると、「イワナ茶屋」「開運堂」へも行けるようですが、ここで引き返すことにしました。
 
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大王わさび農場の中心部へ出ました。我われは、左下の駐車場から川沿いに上方へ進み、山葵田に架かる橋を渡り、親水広場とアルプス展望台を経て、「わさび田の小路」から大王神社に立ち寄って、大王広場までほぼ一周したことが地図で確認できました。
 
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「大王わさび田農場」は東京ドーム11個分の面積を誇る山葵(わさび)を栽培する農場です。水がきれいな場所で育つ山葵は、近くにある日本の名水100選にも選ばれた「安曇野わさび田湧水群」と同様に、農場内にある湧水(ゆうすい)を利用しているようです。

 

手書きされた説明には、『北アルプスの伏流水が複合扇状地の末端にある「大王わさび田農場」を秒速22~23cmの流れとなって流れたあと万水川と合流して犀川(さいがわ)となり、千曲川と信濃川を経て日本海に注ぐことと、伏流水は標高差530m、距離270kmの旅をすること』が図解されていました。
 
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大王広場からみた山葵田です。まず、広場の南にある最初に開墾された「古畑」(大正12年完成)。
 
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そして、広場の北にある「北畑」
 
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そして、「北畑」の南端では流れ込む清水が左右に分かれる仕組みがありました。
 
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ちなみに、昭和10年に最後の大規模「わさび田」として完成した「新畑」は、「大王畑」に架かる橋を渡って、「イワナ茶屋」「開運堂」「大王窟」「大王さまの見張り台」がある「青空広場エリア」へ行かないと見られないようです。

 

巨大な山葵(わさび)のオブジェ
 
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テイクアウトコーナーでは同行者の好きなソフトクリームが売られていました。「牛乳ソフトクリーム」と「本わさびソフトクリーム」はいずれも360円です。もちろん、後者には山葵がたっぷり入っているはずです。「わさびソフトクリーム」といえば中伊豆にある「浄蓮の滝」を訪れた時にも同行者は美味しそうに食べていました。
 
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「わさびの花 おやき」や「わさび コロッケバーガー」(360円)も売られています。
 
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同行者はもちろん「本わさびソフトクリーム」を、私は「メンチカツ」を選びました。山形県村山市で食べた「米沢牛のメンチカツ」がとても美味しかったことを思い出したのです。
 
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隣の「わさび専門店」(第一売店)に入った同行者はあれこれ品定めをして買い物籠へ入れ始めました。
 
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あっという間に買い物籠がいっぱいに・・・。
 
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大王広場に面して「わさび専門店」と「レストラン」の間にある「そば処」とが提供する「わさびの花そば」(820円)や「わさび稲荷セット(ざるそば付き)」(1030円)などに心を惹かれますが、開店する午前11時までまだ1時間強ありますから、ここで予定していた昼食は次の立ち寄り先で摂(と)ることに変更しました。

 

駐車場に戻る途中に北アルプスの山々が看板に説明されていました。左から、鍋冠山(標高2194m)、常念岳(標高2857m)、横通岳(2767m)、東天井岳(2811m)、大天井岳(2922m)ですが、いずれの山も頂上付近が雲に覆われているため、残念ながら案内板と対応付けて確認することはできません。
 
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午前10時ころに駐車場へ戻ると、救命胴衣を着けた観光客たちが「クリアボート」の受付から乗り場へ向かって移動していました。
 
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「クリアーボート」の体験ができるサービス(大人料金は15分コース1000円と30分コース1800円の2種類)で、安曇野汽船という会社が4月下旬から10月下旬まで提供するサービス(午前10時~、団体は午前9時30分~)です。
 
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(続く)

2015年6月12日 (金)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 .安曇野市穂高にある「大王わさび農場」(中編)

橋を渡り終えると、そこはT字路でした。「アルプス展望の小径」と「わさび田の小径」のどちらへ行くべきか迷います。
 
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「わさび田の小径」は山葵田を周回する形で出発地点へ戻ってしまうようですから、「アルプス展望の小径」に入ると、すぐ先に「親水公園」(親水広場)に出ました。
 
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「楽しい親水広場(湧水体験)」の説明看板には『北アルプスの雪解け水が地中にしみこみ、その後伏流水として6ヶ月から長いものでは12~13年かけて扇状地であるこのわさび田内に湧き出した真清水です。一年を通してほぼ一定の水温13℃(わき口の温度)で、わさび田全体では毎日12万tが湧き出ています。手でふれ、足でふれて体感できます』とありました。
 
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菖蒲(しょうぶ)池
 
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「クサノオウ」でかぶれないようにとの警告看板
 
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「アルプス展望の小径」は小高い場所に続いています。細川宗英氏の彫像「道元像」がありました。「道元」を崇拝した二代目農場主がことでここに安置して、農場の無事を願った」ことが手下記の文字で説明されています。ちなみに、鎌倉時代初期の禅僧である「道元」(1200-1253年)は曹洞宗の開祖。
 
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「アルプス展望の小径」を挟んで反対側にも大きな「大王畑」があり、中央に東屋が設けられた橋が架かっていました。
 
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「アルプス展望の小径」を道なりに下りると、「北畑」の脇を通る「わさび田の小径」に出ました。先ほど渡った橋が日除けの上に確認できます。
 
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小石で作られた畔(あぜ)の両側に山葵(わさび)が植えられ、畔の列の手前にある細い堰堤(えんてい)を構成する小石の積み方で畔の脇を流れる水の流量を調整する仕組みがありました。
 
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立体交差する2つの主水路
 
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「大王わさび田農場」を開拓した功労者
 
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「大王神社」は「大王わさび農場」の名前の由来になった神社でした。ちなみに、大王とは「魏石鬼(ぎしき)八面大王(はちめんだいおう)」のことで、安曇野に伝わる伝説上の人物です。大陸族(弥生人)である坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)と戦った原住民(縄文人)の王とのこと。
 
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拝殿
 
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「大わらじの由来」には、巨石に残された「魏石鬼八面大王」の大きな足跡とする説と、「大王わさび農場」の開拓時に協力した農夫たちがわらじ履きであったことから農夫に感謝して大わらじを奉納するようになったとする説の2つが説明されていました。
 
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(続く)

2015年6月11日 (木)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 .安曇野市穂高にある「大王わさび農場」(前編)

県道310号を少し戻った重柳交差点を左折して「安曇野アートライン」に入り、1.5kmほど北上すると、御法田(ごほうでん)交差点に「大王わさび農場」案内標識があり、それにしたがって左折すると駐車場に行き当たりました。左手の小さ目の駐車場に車を停めると、その奥に車を停めると、目の前に大きなゴムボートが見えました。興味を持った私は「大王わさび農場」の建物へ向かう前に立ち寄ることにしました。
 
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清流をゴムボートで下ることができるようですが、まだ準備作業中のようです。
 
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ゴムボートから少し離れた場所にNHK連続テレビ小説「おひさま」の豚と刻まれた木柱が立っていました。一度も見たことがない番組ですから、木柱に書かれた解説文から安曇野が舞台になったことしか分かりませんが・・・。
 
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「安曇野・蓼川(たでかわ)でみられる希少生物」の手製の写真看板には、「アオハダトンボ」「オオムラサキ」「スナヤツメ」「バイカモ」「タイコウチ」「カワセミ」がいずれも絶滅が危惧されていることが説明されています。
 
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少し先へ行くと水車小屋がありました。黒沢監督が名作映画「夢」を撮影した場所であることが説明されています。「ラッキートンボ」あるいは「清流(湧水)の使者・天使・証人」とも呼ばれる「アオハダトンボ」は雄が濃い緑青色で、雌が黒色に一つだけ白色の斑点があると説明されています。
 
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「三連水車」がありました。しかし、ここの「三連水車」はおそらく精米・製粉用で、しかも3軒の水車小屋が少し離れて並んでいますので、山梨県山中湖「花の都公園」にある水汲み用の三連水車とはかなり雰囲気が違います。
 
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殻がついたこめである籾(もみ)ともみ殻や稲の葉などをえり分ける古い農機具である「唐箕(とうみ)」が2台並べて置かれています。逆四角錐の容器から少しずつ落ちる脱穀した籾を羽根車で起こした風の力を利用して軽いゴミだけを遠くへ吹き飛ばして選別(風選)する優れものでした。現在は使われていないようですが、半世紀前までは一般的な農機具で、私も農作業の手伝い(実は遊び)でハンドル(取っ手)のついた大きな羽根車を回したことがあり、とても懐かしく当時のことを思い出しました。ちなみに、もっと昔(戦前)は、箕(み)と呼ばれる竹や藤蔓(ふじづる)を編んだ一方が開放的になった平坦で四角いバスケット状の農具が、少量の穀物を運んだり、ゴミを選別したりする作業になどに使われたようです。
 
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「いつまでも残したい安曇野の原風景」の説明には黒沢明監督の脚本によるオムニバス映画「夢」の第8話「水車のある村」の撮影が「大王わさび農場」と、脇を流れる万水川と蓼(たで)側の合流地点で行われたことが説明されています。
 
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この辺りで撮影が行われたのでしょう。石像は道祖神のようです。
 
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ロケを行った時には簡単な木製橋が架けられたようです。
 
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万水川(よろずいがわ)と蓼川(たでがわ)の合流点です。水温などの違いから双方の水は、しばらくの間混じろうとせず並行してながれること説明されています。あの「安曇野わさび田湧水群公園」内にある湧水を主要な水源とし同公園から2km以上も並んで流れながら、他の湧水を集めて何十か所もの山葵田(わさびだ)を巡った川が目前に見える蓼川です。
 
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川の反対側には黒い紗(しゃ)の日除けを設置した広大な山葵田(わさびだ)である「北畑」広がっていました。
 
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山葵田を横切って無名の橋が架けられていました。「親水公園」へ行けるようです。
 
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橋の上から「北畑」の中を覗くと、外周を流れる主流(右側)から取り入れられた清水(左側)が畝(うね)の間を静かに流れ、しかも主流とは交わらないように流路が工夫されていました。
 
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(続く)

2015年6月10日 (水)

岸見一郎氏・古賀史氏共著「嫌われる勇気」を読む

ダイヤモンド社から2013年12月に発刊されたユニークな書名のソフトカバー本(岸見一郎氏と古賀史氏の共著、1500円+税)を読みました。~自己啓発の源流「アドラー」の教え~のサブタイトルがありますから、1990年代にブームとなった自己啓発本の再来かもしれませんが、この書名は「自己啓発」にそぐわないようです。表紙も和紙のような青い柄に書名が大きく書かれているだけの地味な装丁なのです。そんな疑問を感じながら本書の表紙を捲(めく)りました。

 

内表紙の次ページで青年と哲人(てつじん)の会話が始まりました。『世界はどこまでもシンプルであり、人は今日からでも幸せになれる』と説く哲人の考えに納得できない青年が、哲人の許(もと)を訪ねて来て、連夜2人で議論をするとの舞台設定です。

 

第一夜 トラウマを否定せよ

 

心理学界の巨人であるフロイトと学説上で対立したことからフロイトと袂(たもと)を分かち、独自の理論に基づく「個人心理学」を提唱した「アルフレッド・アドラーの心理学」を哲学として捉(とら)える哲人に青年は様々な疑問を投げかけた。

 

「なぜ人は変われるのか」について哲人は、過去の出来事によって現在の自分が規定される「原因論」ではなく、今の目的が現在の自分を作り出しているとする「目的論」で理解すべきであると指摘し、「原因論」に従っている限りは一歩も前に進めないと断じた。そして、「トラウマ」の存在を否定し、「人は怒りを捏造(ねつぞう)する」、つまり相手を屈服させる手段として「怒り」という感情を捏造(ねつぞう)するのだと哲人はいう。そして、「怒り」は出し入れ可能な「道具」であると解説した。

 

「過去に支配されない生き方」をするのが良いとし、「アドラーの心理学」がニヒリズムの対極にある思想であると解説した。「人は変われる」を前提に考えるべきであるともいう。大切なのは、「何が与えられているか」ではなく、「与えられたものをどう使うか」であり、「自分の不幸は自分自身が選んだもの」であると断言する。言い換えれば、「人は常に変わらないという決心をしている」と言えるともいう。つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることの方が楽であり、安心なのだとその理由を解説する。

 

あなたの人生は「今」と「ここ」で決まると指摘し、「もしも何々だったら」と考えているとしたら、変わることなどできないと断言した。

 

第二夜 すべての悩みは対人関係

 

哲人は次のステップの議論へと移り、自分のことが嫌いな理由は「自分を好きにならないでおこう」と決心しているからだと指摘する。そう考える理由は「自分が他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に恐れているからなのだ。つまり、他者との関係のなかで傷つかないことを目的にしているからだ」と哲人は分析する。そして、その改善策として「勇気づけ」の有用性を説明した。

 

われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」だと哲人はいう。「つまり、主観の良いところは、自分の手で選択可能であり、最終的には対人関係の悩みにつながる」ことも付言した。「言い訳としての劣等コンプレックス」の見方では、理想に到達していない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚を抱く、「優越性の追求」(理想の状態を追求すること)が「劣等コンプレックス」(劣等感そのものではなく)の背景にあるという。ここで哲人は、コンプレックスは日本語で誤用されているような劣等感ではなく、複雑に絡み合った倒錯的な心理状態を表す用語であって、劣等感とは関係ないと指摘する。むしろ、劣等感は努力や成長を促す「切っ掛け」にもなりうるものであるという。

 

「自慢する人は劣等感を感じている」として、強い劣等感に苦しみながらも、努力したくない人や、「劣等コンプレックス」でも我慢できない人は、「もっとも安直な手段によって補償しよう」と考え、「優越コンプレックス」に陥る。つまり、あたかも自分が優れているかのように振る舞い、「偽りの優越感」に浸ると哲人はいう。身近な例は「権威づけ」や「過去の手柄話」など、そして特異ではあるが「不幸自慢」もあると。

 

人生は「他者との競争」からではなく、「理想の自分との比較」から生まれるものであると哲人は指摘し、われわれは「同じではないけれど対等である」ともいう。対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることはできないと警告し、「人々は自分の仲間なのだ」と考えることを勧める。さもないと、他者との「権力争い」は敗者による「復讐」へと進展するだろうとも警告する。また、自分の主張が誤っていた場合は、すなおに誤りを認め、謝罪の言葉をのべ、論争から降りるべきであるとも。(以下省略)

 

第三夜 他者の課題を切り捨てる (具体例の説明が主体であるため、詳細は省略してキーワードだけを列記する)

 

・承認欲求を否定する

・「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない

・「課題の分離」とはなにか

・他者の課題を切り捨てよ

・対人関係の悩みを一気に解消する方法

・「ゴルディオスの結び目」(*)を断て *アレクサンドロス大王の東征にまつわるい逸話(難問)

・承認欲求は不自由を強いる

・ほんとうの自由とはなにか

・対人関係のカードは、「わたし」が握っている

 

第四夜 世界の中心はどこにあるか (込み入った議論であるため内容説明を省略)

 

第五夜 「いま、ここ」を真剣に生きる (派生的な論議であるため前半の説明を省略)

 

・普通であることの勇気

・人生とは連続する刹那(せつな)である

・ダンスするように生きる

・「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ

・人生最大の嘘は「いま、ここを生きないこと」

・無意味な人生に「意味」を与えよ
 
 「人生には一般論として語れるような意味」は存在せず、「人生の意味は、あなた自身が

自分自身に与えるものだ」であり、「他者に貢献するのだ」という「導きの星」さえ見失わな

ければ、迷うこともないし、何をしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてもかま

わない。世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変

わりえない、ということだと哲人は結言する。

 

<読後感> フロイト、ユングと並んで「心理学の三大巨頭」と称され、自己啓発の源流とも呼ばれるアドラーの思想(心理学)を哲人と青年の会話(議論)で解説するユニークな手法は、動(やや)もすると難しくなりがちな心理学を身近な事例を使って分かりやすく解説することに役立っています。

 

アルフレッド・アドラーは19世紀後半から20世紀前半に生きたオーストリア出身の精神科医であり軍医・心理学者・社会理論家でもありました。日本で良く知られる精神分析を得意とした無神論者のフロイトやそのよき理解者(後にフロイト決別する)であったスイスの精神科医・心理学者であり、分析心理学を創始したユングとは異なり、アドラーは日本では知名度が高くありませんが、自らの経験を踏まえた多彩な研究で欧米において高く評価されているようです。

 

「アドラーの心理学」は「他者」との関係性に着目し、フロイトとは対照的に「過去の経験(体験)」(トラウマ)が現在の自分に与える影響を否定する点に特徴があります。(異説有) 自らが幼少期から苦労して克服した肉体的な弱点および精神科医として身体的な弱点を克服した患者を診断する中で生まれた性善説に基づく考えのようです。

 

「嫌われない」ことは、「相手に好かれたい」だけではなく、「自分が責任をとらなくてもよいメリット」があることが本当の目的であるとの指摘は正鵠(せいこく)を射ている(確信を突いている)と首肯(しゅこう)できます。また、本書では「ほめること」は「叱(しか)ること」と同様、相手を縦の関係に置く行為だとしています。つまり、「ほめること」によって、相手を操作しようとしているのだと。また、「怒る」のも自信のなさの表れだとも。大切なのは「横の関係」になることだと言っています。

 

確かに物事は自分自身の考え方次第で、良くなったり、逆に悪くなったりすることは良くあります。中国の故事にも「人間(じんかん)万事塞翁(さいおう)が馬」とあります。つまり、禍福(かふく)というのは予測できないものであるというのです。ちなみに、人間(じんかん、漢音)は人の住む世界(世間)を意味しますが、人間(にんげん、呉音)と読ませる故事辞典があるように、どちらの詠み方でも良いようですが、人間(じんかん)とした方がホモサピエンスである人間(にんげん)のことと誤解されることが少ないと思います。

 

また、本書が指摘する様々な事柄を読み進むと、「アドラーの考え」には宗教に似たものを感じさせます。それもキリスト教やイスラム教のような一神教ではなく、多神教の仏教(あるいはヒンドゥー教)の教えに通底することが多いように思われるのです。西洋人であるアドラーがなぜこのような考えに至ったのかは前述した程度のことしか理解していませんが、宗教の影響というよりも、精神科医として患者を診断することを通じて生まれた考えであろうと推察できそうです。

 

しかも、宇宙の絶対的な真理と神秘性を重視(不可欠と)する宗教の色彩は希薄ですから、新興宗教の一派のような思想であるとの偏見を持って「アドラー心理学」を捉(とら)えるではなく、あくまでも自己啓発本として本書を一読することで、「アドラ心理学」に触れてみるこことをお勧めします。
[自己啓発よりも地道な学習と実践を重視した元仕事教信者より]

2015年6月 8日 (月)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅(最終回) デンパサールのングラ・ライ国際空港から帰国の途へ 

ガルーダ航空GA880便はングラ・ライ国際空港をほぼ定刻に出発しました。そして、4時間後の日本時間で午前6時少し前に東の空の色が変わり始めました。
 
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10分後には少し明るく・・
 
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往きと同じで厚い雲海が広がっています。
 
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午前6時過ぎに配膳された朝食は私の好きなオムレツ
 
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午前6時25分にはかなり明るくなり、朝日に照らされた雲海の下部が薄赤染まく、雲海の上から見る珍しい朝焼けとなりました。
 
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午前7時近くになると、雲海が遠のいて、空と海が青く輝いていました。
 
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到着予定30分前の機内
 
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高度が下がって陸地が見え始めました。手前に見える岬のようなものは飯岡漁港で、その後方は犬吠埼(いぬぼうざき)の長崎鼻でしょう。
 
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利根川河口の手前を通過
 
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利根川に沿って飛行します。利根川とその支流である常陸利根川の先には鹿島港が確認できます。
 
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霞ヶ浦の手前にはいくつものゴルフ場が
 
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ガルーダ航空GA880便はフラップを少し下げ、筑波市と成田市を結ぶ国道408号の長豊橋付近で利根川を横切ります。
   
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一気に高度を下げます。真横に見えるのは印旛沼(いんばぬま)とその脇を通る成田スカイアクセス線です。ちなみに、9年前に訪れたことがある成田「大和の湯」は印旛沼のすぐ近くです。
 
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ガルーダ航空GA880便は反時計回りに半回転したあと、北北東方向から成田空港の敷地に入りました。
 
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フラップを最大に拡げて着陸します。
 
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誘導路をタクシーイング中
 
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予定より20分以上早い午前8時30分ころ、ガルーダ航空GA880便の機体から国際線のターミナルへ移動
 
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無事に出国手続きを終えて、飛行機が着陸してから30分で京成電車のアクセス特急用ホームに到着すると、15分後に次のアクセス特急がありました。
 
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始発駅ですから間違いなく座れます。それに、朝のラッシュアワーはとうに過ぎていますから、別の路線に乗り換えた後も、わが家の最寄駅まで座って行けそうです。
 
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今回もほぼ旅程の通りに懐かしいインドネシア国内を旅することができました。バリ島とジャワ島で期待通りに多くの遺跡と舞踊を楽しみ、また美味しいインドネシア料理も満喫できたことで、長い記事になってしまいました。お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

 

<同行者のコメント> 旦那様が計画する旅行らしく移動に忙しい日々でした。でも、今回インドネシアを初めて訪れてみて旦那様がこの国を好きな理由を少し理解できたような気がします。どこの遺跡も同じように思えて私は少し食傷気味になりましたが、ダンスとバティックはいずれも素敵でした。そして、インドネシア料理も美味しくて大満足。ところで、旦那様は得意な英語の他に、若いころに勉強したというドイツ語・スペイン語・フランス語に加えて、出張時に覚えたというインドネシア語も少し知っているとは聞いていましたが、インドネシア語で書かれた難しい文章が読めることにとても驚きました。「能ある鷹は爪を隠す」!?

2015年6月 7日 (日)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジョグジャカルタからデンパサールへ

ジョグジャカルタの市街地へ戻ると相変わらずの渋滞がありました。その原因の一つはUターン専用の場所があることが主要因のようです。
  
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交通整理をする係員にチップを渡す人もいるようです。
 
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午後4時過ぎにジョグジャカルタのアディスチプト空港から3kmほど西方(市街の中心部寄り)にある「アンバルクモショッピングモールThe Executive Mall Ambaruk)」に立ち寄りました。2006年にオープンしたジョグジャカルタで最大かつ一番華やかなショッピングモールで、そのエントランスホールから老舗ホテル「ロイヤル・アンバルクモ」の広い庭が見えます。写真に写る“VALET SERVICE”は、接客係が運転手に代わって車寄せに到着した車を駐車する(VALETPARKING)サービスで、日本でも大手ホテルや空港などで見かけます。ちなみに、”VALET”は英語でホテルのボーイを意味します。
 
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映画館、スーパーマーケットの“カルフール”、デパートの“セントロ”、本屋の“グラメディア”、ブティック、レストラン、ファストフード店、電化製品店、携帯電話ショップ、靴店、カバン店、日用雑貨屋など多彩で、歩き回るだけでもおもしろい場所でした。モール内をウインドーショッピングし終えた午後5時ころ、最上階にあるフードコートに入りました。軽い夕食をしてから午後8時30分発のフライト(GA254便)でデンパサールへ移動するためです。インドネシア料理はもちろんのこと、牛丼やたこ焼きなど日本のファストフードもありました。モール内は写真撮影が規制されているようですから、店舗の様子を撮影することは控えました。写真はこのモール3階にある映画館”Cinema XXI”です。
 
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同行者はトーストサンドイッチとサラダの組み合わせを選びました。
 
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私は春雨が入ったスープ、つまりベトナムのフォーのような麺類に
 
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午後7時ころに「アンバルクモショッピングモール」からアディスチプト空港へ移動。混雑する国内線ターミナルにあるガルーダ航空のカウンダ―で無事にチェックインし、午後8時15分ころにガルーダ航空機に搭乗しました。機材はデンパサールからジョグジャカルタまで利用したガルーダ航空GA253便と同じボーイング社製737-800NGのようです。
 
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前後にある搭乗口のどちらを利用するかが座席の列で分かるように表示してあるのは合理的です。
 
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ガルーダ航空GA254便は定刻より少し遅れて出発しました。機体が上昇すると雨がパラつき始めたようです。
 
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デンパサールのングラ・ライ国際空港への着陸態勢に入り、
 
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降雨による水たまりがエプロンに残るングラ・ライ国際空港へ約20分遅れで到着。
 
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航空会社に預けた荷物を手荷物受取所でピックアップしました。ジャオグジャカルタのアディスチプト空港から成田空港まで預けた荷物をスルーすることもできますが、預けた手荷物が積み忘れられた昔の苦い経験を忘れられない私は、乗り換え時間に余裕がある場合は確認する目的で、預けた手荷物をいったん受け取ることにしています。
 
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しかし、国内線ターミナルと国際線ターミナルは隣接しているはずですが、通路は予想外の長さであり、重い手荷物を引っ張りながら歩くことになったのは大きな誤算でした。言い訳になりますが、成田空港から到着した時には国際線ターミナルから直接出たため、この通路についての予備知識がなかったのです。
 
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10分近く歩いてやっと国際線ターミナルに到着
 
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出発搭乗口に入ればもう大丈夫と思いきや、
 
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出国税支払カウンターで我われのEチケットは出国税が事前に支払われていると指摘されました。支払い済みですから、あらためて出国税を支払わなくても良いのですが、その代わりに別の手続きが必要だと言うのです。それは下の写真正面に写るガルーダ空港のカウンターで出国税が支払い済みであることを証明するスタンプを押してもらう必要があったのです。従来は搭乗時に出国税を支払う仕組みでしたが、今年3月から航空券料金に含めて支払うように仕組みが変わったばかりでしたので、切り替え時の暫定的な処置と思われます。ちなみに、旅行を申し込んだのは3月1日以降に利用する航空券へ出国税を上乗せ方する法に変わった直後の2月中旬で、インドネシアを出国したのは新しい方法が実施された10日後の3月11日でした。
 
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残ったルピア紙幣を使い切るため出発ロビーの売店で土産物をあれこれ探して選び終えたところまでは良かったのですが、ディスカント価格について商品を説明してくれた店員とキャッシュアー(レジ係)の言うことが食い違い、同行者がキャシュアーと揉(も)めることになったのです。押し問答のすえ、いったんは料金を支払って領収書ももらったのですが、キャッシュアーがやはりディスカウントなしの金額との差額を支払えと言い出したため、、購入した商品すべてを返品することに。このハプニングのため、別の店で改めて土産物を選びなおしているうちに最終コールの時間になってしまいました。そんは、ドタバタ騒ぎはありましたが、ガルーダ航空GA880便の機内へはほとんど最終乗客として乗り込むことができました。ヤレヤレです!(続く)

2015年6月 6日 (土)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジョグジャカルタ市内 プランバナン遺跡公園(終)

主祠堂前の広場
 
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主祠堂の入口脇には“CANDI INDUK SEWU”(セウ主寺院)と表示されています。
 
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正面(東側)から入った内部は「プランバナン寺院」の「シヴァ堂」と同様に南・西・北の入口にもつながっていました。しかし、内部には何もありません。以前は金属製の仏像があったそうですが・・。
 
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ストゥーパ(仏塔)がならんでいます。
 
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他の入り口の上に飾られた仏のレリーフ
 
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本堂のテラスから見た参道
 
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主祠堂前テラスの左手
 
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落下した時にヒビが入ったストゥーパの上部
 
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「プランバナン寺院」にあったものに似た地震発生前後の様子を説明する看板
 
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行きとは別のルートに入りました。公園内を走るバスの姿はまだありません。
 
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路傍の大木
 
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まさに公園の雰囲気の中を小さくクランクする直線的な遊歩道が続きます。
 
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考古学博物館の脇を通って、プランバナン寺院の入口の少し手前にあるレストラン前に到着
 
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なぜか鹿園があります。長編叙事詩「ラーマーヤナ」に美しい黄金の鹿が登場し、また「プランバナン寺院」のレリーフにもそれが描かれていることで、「「プランバナン寺院」の近くに鹿園が造られたのかもしれません。
 
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プランバナン寺院が正面に見える参道の入り口へ戻りました。
 
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不思議な葉がある樹木
 
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長屋形式の売店
 
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バティック
 
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お面
 
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駐車場へ戻りました。ジョグジャカルタの市街地に近く、人気がある観光地のため、観光バスが何台も駐車していました。
 
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モスクのミーナール(光塔とも呼ばれる尖塔)のようです。アザーン(礼拝の呼びかけ)の詠唱(えいしょう)はここで行われるのですが、現在はスピーカーが使われているようです。
 
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(続く)

2015年6月 5日 (金)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジョグジャカルタ市内 プランバナン遺跡公園(その7)

200mあまり先にひときわ大きな遺跡がありました。仏教寺院の”Sewu”(セウ)寺院です。ヒンドゥー教の寺院である「「プランバナン寺院」のすぐ近くに仏教寺院があることが不思議でしたが、この地にあったヒンドゥー教王国と仏教王国が姻戚関係になったことで後継王朝が2つの宗教を尊重(保護)したことを知りました。
 
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「プランバナン寺院」と同様、右手(東側)に“MASUK”(入場口)があります。
 
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この遺跡からも“Merapi”(ムラピ)山が雲間から見えます。横を向いた石像は守護神「クペラ」のようです。
 
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少し先へ歩いてみると、破損した建物の石材が山のようになって延々と続いていました。
 
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「セウ寺院」は「千の寺」を意味し、本堂を中心に249基ものペルワラ(小祠堂)が林立する9世紀初頭に完成した仏教寺院です。
 
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境内の境界線には現代風のフェンスが続いています。
 
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世界文化遺産(No.642)に「プランバナン寺院遺跡群」にセウ寺院が含まれていることを示す世界遺産エンブレム(マーク)付きの立て看板
 
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入場口から「セウ寺院」の主祠堂まで直線的に伸びる参道
 
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このどっしりとした石碑はスハルト元大統領が1993年に建立したものでした。“DENGAN RAHMAT TUHAN YANG MAHA ESA”(偉大である唯一神の慈悲とともに)で始まり、“PURNA PUGAR CANDI SEWU”(PURUNA PUGR セウ寺院)と続き、その後には“CANDI UTIMA, CANDI APITONO “など多数の寺院に名前が書かれていますが、「セウ寺院」以外は調べても見つからない名称ですから、「セウ寺院」内にある小祠堂の名前かもしれません。
 
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階段がある基壇(きだん)のようなものは門の跡のようです。基壇の両側にさきほど塀の外から見た守護神「クペラ」が置かれています。
 
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境内を取り囲むフェンスの方を振り返ると守護神「クペラ」の越しに大木が聳(そび)えていました。
 
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右手に簡単な石碑がありました。“DENGAN RAHMAT TUHAN YANG MAHA ESA”(偉大である唯一神の慈悲とともに)で始まるこの石碑はインドネシア国教育文化大臣が「セウ寺院」の“APIT NO6”(6番尖塔)を讃えたものと思われます。 ちなみに、“PURNA PUGAR”は、「プラナバン寺院」の記事でも書きましたが、無傷(あるいは修復済み)を表す言葉と理解しました。
 
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基壇と首のない像だけを残したたてものペルワラ(小祠堂)
 
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ほぼ完全な形に修復されたペルワラ(小祠堂)
 
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半壊したままのエルワラ(小祠堂)
 
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このエリアにはペルワラ(小祠堂)の列が残っていました。このように原型を留めるのは地震で崩壊する前に249基もあったペルワラ(小祠堂)のほんの一部です。
 
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「セウ寺院」中央祠堂)の建築構造は、宗教は異なりますが、「ブランバナン寺院」とよく似ています。そして、中央祠堂入口の上には冥界の主である「カーラ」が飾られています。
 
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余談になりますが、ヒンドゥー教と仏教の関係を概観したいと思います。この2つの宗教は古代ペルシャ(現在のイラン)からインドに進出してきたとされる(異説あり)アーリア人が紀元1000年前ころに成立させたバラモン教の流れを汲(く)んでいます。バラモン教は僧侶を最上位とし、次いで王族・庶民・隷民と階級差を付けるカースト制をともなっていたため、先住民を支配するに好都合であるとして支配層を中心に広まりましたが、バラモン僧の腐敗などが目に余ったことで、カースト制度に疑問を持った王族出身の釈迦が修行によって悟りを開いて起こした仏教が次第に支配階層に広がりました。一方、劣勢となったバラモン教はインドの土着の神様を取り入れてヒンドゥー教となりました。したがって、この二つの宗教は大変よく似ています。唯一の違いはヒンドゥー教はバラモン教からカースト制を引き継ぎましたが、仏教はカースト制を認めていないことです。
 

 

そのインドで仏教が廃(すた)れた最大の理由は、モンゴル帝国創始者チンギス・ハンの流れを汲む中央アジア出身者が16世紀初め、北インド(現在のパキスタンとバングラディッシュを含む)に建国したイスラム教国「ムガル帝国」(あるいはムガール帝国)が17世紀にはインドのほぼ全土を征服したことで、仏教を支持していたそれまでの支配層が権力を失ったことです。一方、「ムガル帝国」は圧倒的に多いヒンドゥー教徒を支配するため宗教的に寛容策を採ったことでムガル帝国内(つまりインド)の最大宗教として存続しました。インド以外では南アジア(インド系移民とインドネシア人)にヒンドゥー教徒が多く存在し、仏教徒よりも信者数が多いようです。 

 

ちなみに、「ムガル」はモンゴルを意味するペルシャ語に由来しています。また、また、前述したように、ヒンドゥー教では仏陀(釈迦)がヴィシュヌ紳の化身の一人と位置付けられています。 

 

階段の両側にある装飾は動物の大きな口の中にいる釈迦尊かもしれません。

 

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(続く)

2015年6月 4日 (木)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジョグジャカルタ市内 プランバナン遺跡公園(その6)

ブランバナン寺院出口から北へ伸びる遊歩道を100mほど歩いて、行き当った車道を右折すると、前方にブランバナン遺跡公園内を走るミニトレイン型のバスが停まっていました。そのラジエーターグリルの下部にはナンバープレートもちゃんと付いています。
 
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“RUTE KERETA TAMAN”(公園内列車型バス)の運行ルートには時計回りにプランバナン(ロロ・ジョングラン)寺院を出発して、考古学博物館脇を通過して、“Lmbung”(ルンブン)寺院、”Bubrah”(ブブラ)寺院、”Sewu”(セウ)寺院の順に巡って、入場ゲート付近が終点であることが図解されています。便利なので乗りたいと現地ガイドに伝えると、「出発時間は不定期で、しかも乗客で満員にならないとスタートしない」との説明が返ってきました。インドネシアらしいなと思い、歩いて回ることにしました。
 
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すぐ先で遊歩道に入りました。
 
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“JALUR EPEDA WISATA”(観光自転車のコース)の看板があるところをみると、貸自転車のサービスがあるようです。天気が良い時は自転車で公園内を周(まわ)るのが良さそうです。
 
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LUMBUNG”(ルンブン)寺院の看板がありますから、前方に見えるのがそれでしょう。
 
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ルンブン寺院」でも修復工事が行われているようで、左手の大きなストゥーパに木製の足場が組まれているのが確認できます。この「ルンブン寺院」は食糧庫として利用されていたと言われる小さな寺院で、周囲にはストゥーパを飾った塔が並んでいたようです。写真で見えるエリアの塔はすべて崩落しています。
 
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中央の建物は上部が崩落しているようです。
 
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外壁に取り付けられていた美しい観音像のレリーフが地上に下ろされていました。
 
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反対側に回り込むと、ストゥーパがいくつも飾った塔の列がありました。

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プランバナン寺院」と同様に境内を取り囲むようにして排水路が四角形に整備されています。
 
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次は150mほど先にあるBUBURAH”(ブブラ)寺院です。
 
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「ブブラ」とは「壊れた」の意味で、かつての役割などは不明ですが、この先にある「チャンディ・セウ寺院」の守護寺院との説もあるそうです。
 
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ここでも修復工事が行われていました。
 
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ストゥーパの先端部分が地面に置かれていて、下部と接合する構造が分かります。
 
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首が取れた仏像
 
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周辺にも細工を施された石が放置されています。
 
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基礎部だけが残る遺跡
 
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(続く)

2015年6月 3日 (水)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジョグジャカルタ市内 プランバナン遺跡公園(その5)

「シヴァ堂」と同様、「ブラフマー(Brahma)堂」の石段脇にも魔除けのためと思われる奇怪な動物の石像が飾られています。
 
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その下にはこんな小人が・・。
 
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そして、横から見ると小さな像も・・。
 
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「ブラフマー堂」は祭事や学問を司る神である「ブラフマー」(仏教では梵天)を祭っています。ちなみに、「ブラフマー」は「世界の創造」と「次の破壊」の後の「再創造」を担当するとされます。
 
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横から見ると4つの顔を持っていること分かりました。ちなみに、阿修羅(あしゅら)など、多くの顔と多くの手を持つという多面多臂(ためんたひ)はヒンドゥー教の神々の影響を受けたとされます。
 
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「ブラフマー堂」の回廊には「シヴァ堂」から始まる「ラーマーヤナ」のレリーフの続きが飾られていました。
 
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向かい合う「ハンサ(Ansa)堂」の正面です。「ハンサ」はヒンドゥー教の神鳥ですが、お堂の中には何もありません。
 
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そして、「シヴァ(Siwa)堂」の正面にある「ナンディン(Nandi)堂」へ向かいました。
 
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シヴァの乗り物とされる乳白色の牡牛である「ナンディ」の像を中心に、左右に7頭の獅子にひかれる車に乗る神像が置かれていました。ちなみに、全ての四足動物の守護神でもあるそうです。前の写真でも分かるように回廊には「ストゥーパ」が多数並んでいましたが、見物は早々にして次へ向かいました。
 
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「ガルーダ(Garuda)堂」まで歩きましたが、スタッフと思われる人が2人立っています。中には何もないそうですからか、中に入るのは諦めました。ちなみに、「ガルーダ」は「ヴィシヌ神の超自然的な半人半鳥の乗り物です。
 
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予定の時間が来てしまいましたから、宇宙の維持を司る「ヴィシュヌ(Wisnu)紳」(*)を祭る「ヴィシュヌ堂」には立ち寄らず、次の目的地へ移動することにします。
 *前述したように釈迦は「ヴィシュヌ神」の化身であるとの考えがヒンドゥー教にある
 
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内苑に北側にある出口を抜けたところから最後の一枚を撮影しました。
 
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装飾のない四角い石が集められています。
 
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中苑を抜けます。
 
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外苑ではイベントが予定されているようで、鉄骨を使ってステージのようなものが組み立てられています。
 
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PEACE PARK”(平和公園)の石碑には、ブディオノ元副大統領の石碑と同じ“DENGAN RAHMAT TUHAN YME”(偉大である唯一神の慈悲とともに)の言葉が書かれています。その下に書小さな文字で書かれた言葉は薄れているためほとんど読めませんでしたが、4-5名のサインであることは推測できました。
 
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(続く)

2015年6月 2日 (火)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジョグジャカルタ市内 プランバナン遺跡公園(その4)

木立に囲まれたこの建物は屋外ステージがある「ラーマーヤナ劇場
 
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「シヴァ神」の妻である“Durga(ドゥルガ)の像
 
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同行者はその美しさに肖(あやか)ろうと顔を撫(な)で始めました。しかし、「ドゥルガ」は近づき難い者」を意味し、外見は優美で美しいのですが、実は恐ろしい戦いの女神なのです。クワバラクワバラ(桑原桑原)!!
 
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何気なくストゥーパ越しに北方向を見ると、団体の入場者が集まっているのが見えました。その先に見えるのは中苑を抜ける帰路のようです。
 
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北側の急な石段を下りました。
 
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北東方向から見た「シヴァ堂」の偉容(いよう)
 
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「シヴァ堂」の前でもう一枚
 
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「シヴァ堂」の裏手から見た西側の巨石が堆(うずたか)く積まれた中苑とその後方にある「ラーマーヤナ劇場」をもう一枚撮影しました。中央に写る照明器具は「シヴァ堂」をライトアップするためのもののようです。
 
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南西の角に僅(わず)かだけ残る石壁とその上のストゥーパ
 
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「ブラフマー堂」の前に出ると、そこには入場門の手前にあった被害状況の写真そのままに、灯籠のような形をした大きな石塔が横たわっていました。基部が折れたようにみえます。
 
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そして、近くにその基台と思われるものが埋設してありました。
 
2015_031120570
 
 

その間にある石碑には2006年5月27日に震災の被害を受けたことを世界遺産エンブレム(マーク)付で被害状況が解説されていました。
 
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その近くには内苑の南北端にある“Apit”(アピット)堂がありますが、中には何もありませんでした。ちなみに、”Apit”はインドネシア語で「取り囲まれた」あるいは「楔(くさび)」を意味します。

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「アピット堂」から見た北の方向にもう一つの「アピット堂」が確認できます。
 
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「アピット堂」の左奥にあるのは“Kelir”(ケリル)堂で、す。ちなみに、“Kelir”は「色」を意味する言葉です。
 
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「ブラフマー堂」と向かい合う「ハンサ堂」を南側から撮影しました。
 
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こちらのレリーフは「シヴァ堂」のものと似ていますが、半人半鳥の女神「キンナラ」の代わりに猿が描かれ、獅子像の上のデザインもほんのわずかですが異なります。
 
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こちらは犬あるいは狐になっており、獅子像が紛失していました。
 
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(続く)

2015年6月 1日 (月)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジョグジャカルタ市内 プランバナン遺跡公園(その3)

石段の上部で立ち止まったついでに周囲を眺めてみると、「シヴァ堂」の前にある「ナンディン堂」に「シヴァ堂」と向き合っていることがよく分かりました。
 
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「ヴィシュヌ堂」の前にある「ガルーダ堂」も同様に対面しています。
 
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そして「ブラフマー堂」の前にある「ハンサ堂」もやはり「シヴァ堂」と向かい合っています。
 
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「ブランバナン寺院」内苑の配置がおおよそ分かったところで「シヴァ堂」に入ってみます。石段を上りきると「カーラ」の真下にでました。ここが入口。
 
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薄暗い内部に何かが見えますが・・。
 
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目が暗闇(くらやみ)に慣れるとやっと確認できました。すべての神の王である「シヴァ神」の像です。
 
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天井はボロブドゥールの「ムンドゥ寺院」と同様、四角錐を構成。
 
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壁面の文様
 
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急峻(きゅうしゅん)な石段を壁面の石に頼りながら下ります。
 
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外壁を飾るのは古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」物語を題材にした精緻(せいち)なレリーフは肉感的で、しかも躍動感(やくどうかん)が感じられます。
 
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「ストゥーパ」を近くで見ると「ボロブドゥール寺院」にある小型のものと形が良く似ているようです。
   
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狭い回廊を左回り(時計回り)に巡ることにしました。
 
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南室の階段を上がります。実は、「シヴァ堂」だけは入口となる階段が東西南北の4カ所に設置されているのです。
 
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そこには聖者「アガスティア」の像が。
 
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回廊にはさらにレリーフが続きます。
 
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西室には象の顔をした学問の神「ガネーシャ」の重厚感あふれる像がありました。
 
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同行者は頭が良くなる御利益(ごりやく)を願って・・。
 
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私もつい「災い除け」を・・・。
 
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(続く)

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