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2015年6月 5日 (金)

インドネシアの遺跡と舞踊劇を楽しむ旅 ジョグジャカルタ市内 プランバナン遺跡公園(その7)

200mあまり先にひときわ大きな遺跡がありました。仏教寺院の”Sewu”(セウ)寺院です。ヒンドゥー教の寺院である「「プランバナン寺院」のすぐ近くに仏教寺院があることが不思議でしたが、この地にあったヒンドゥー教王国と仏教王国が姻戚関係になったことで後継王朝が2つの宗教を尊重(保護)したことを知りました。
 
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「プランバナン寺院」と同様、右手(東側)に“MASUK”(入場口)があります。
 
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この遺跡からも“Merapi”(ムラピ)山が雲間から見えます。横を向いた石像は守護神「クペラ」のようです。
 
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少し先へ歩いてみると、破損した建物の石材が山のようになって延々と続いていました。
 
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「セウ寺院」は「千の寺」を意味し、本堂を中心に249基ものペルワラ(小祠堂)が林立する9世紀初頭に完成した仏教寺院です。
 
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境内の境界線には現代風のフェンスが続いています。
 
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世界文化遺産(No.642)に「プランバナン寺院遺跡群」にセウ寺院が含まれていることを示す世界遺産エンブレム(マーク)付きの立て看板
 
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入場口から「セウ寺院」の主祠堂まで直線的に伸びる参道
 
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このどっしりとした石碑はスハルト元大統領が1993年に建立したものでした。“DENGAN RAHMAT TUHAN YANG MAHA ESA”(偉大である唯一神の慈悲とともに)で始まり、“PURNA PUGAR CANDI SEWU”(PURUNA PUGR セウ寺院)と続き、その後には“CANDI UTIMA, CANDI APITONO “など多数の寺院に名前が書かれていますが、「セウ寺院」以外は調べても見つからない名称ですから、「セウ寺院」内にある小祠堂の名前かもしれません。
 
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階段がある基壇(きだん)のようなものは門の跡のようです。基壇の両側にさきほど塀の外から見た守護神「クペラ」が置かれています。
 
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境内を取り囲むフェンスの方を振り返ると守護神「クペラ」の越しに大木が聳(そび)えていました。
 
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右手に簡単な石碑がありました。“DENGAN RAHMAT TUHAN YANG MAHA ESA”(偉大である唯一神の慈悲とともに)で始まるこの石碑はインドネシア国教育文化大臣が「セウ寺院」の“APIT NO6”(6番尖塔)を讃えたものと思われます。 ちなみに、“PURNA PUGAR”は、「プラナバン寺院」の記事でも書きましたが、無傷(あるいは修復済み)を表す言葉と理解しました。
 
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基壇と首のない像だけを残したたてものペルワラ(小祠堂)
 
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ほぼ完全な形に修復されたペルワラ(小祠堂)
 
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半壊したままのエルワラ(小祠堂)
 
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このエリアにはペルワラ(小祠堂)の列が残っていました。このように原型を留めるのは地震で崩壊する前に249基もあったペルワラ(小祠堂)のほんの一部です。
 
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「セウ寺院」中央祠堂)の建築構造は、宗教は異なりますが、「ブランバナン寺院」とよく似ています。そして、中央祠堂入口の上には冥界の主である「カーラ」が飾られています。
 
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余談になりますが、ヒンドゥー教と仏教の関係を概観したいと思います。この2つの宗教は古代ペルシャ(現在のイラン)からインドに進出してきたとされる(異説あり)アーリア人が紀元1000年前ころに成立させたバラモン教の流れを汲(く)んでいます。バラモン教は僧侶を最上位とし、次いで王族・庶民・隷民と階級差を付けるカースト制をともなっていたため、先住民を支配するに好都合であるとして支配層を中心に広まりましたが、バラモン僧の腐敗などが目に余ったことで、カースト制度に疑問を持った王族出身の釈迦が修行によって悟りを開いて起こした仏教が次第に支配階層に広がりました。一方、劣勢となったバラモン教はインドの土着の神様を取り入れてヒンドゥー教となりました。したがって、この二つの宗教は大変よく似ています。唯一の違いはヒンドゥー教はバラモン教からカースト制を引き継ぎましたが、仏教はカースト制を認めていないことです。
 

 

そのインドで仏教が廃(すた)れた最大の理由は、モンゴル帝国創始者チンギス・ハンの流れを汲む中央アジア出身者が16世紀初め、北インド(現在のパキスタンとバングラディッシュを含む)に建国したイスラム教国「ムガル帝国」(あるいはムガール帝国)が17世紀にはインドのほぼ全土を征服したことで、仏教を支持していたそれまでの支配層が権力を失ったことです。一方、「ムガル帝国」は圧倒的に多いヒンドゥー教徒を支配するため宗教的に寛容策を採ったことでムガル帝国内(つまりインド)の最大宗教として存続しました。インド以外では南アジア(インド系移民とインドネシア人)にヒンドゥー教徒が多く存在し、仏教徒よりも信者数が多いようです。 

 

ちなみに、「ムガル」はモンゴルを意味するペルシャ語に由来しています。また、また、前述したように、ヒンドゥー教では仏陀(釈迦)がヴィシュヌ紳の化身の一人と位置付けられています。 

 

階段の両側にある装飾は動物の大きな口の中にいる釈迦尊かもしれません。

 

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(続く)

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