« 歴史に学ぶ大手企業の盛衰 | トップページ | 信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 善光寺を出発して帰路へ »

2015年7月20日 (月)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 長野市の善光寺

松城町の代官山駐車場(象山東駐車場)を午後4時10分前に出発して、県道35号で長野IC方面へ戻り、さらに千曲川を渡って長野市の中心部へ向かいました。下氷鉋(しもひがの)交差点を直進して国道117号で犀川(さいかわ)を渡り、県庁前交差点を直進して県道399号へ入り、信大前交差点を右折して国道406号を東進し、大門交差点を左折して中央通(表参道)を北上しました。善光寺交差点から先は進入禁止ですから左折した50m先の左手にある善光寺大本願駐車場(最初の2時間が500円)に車を停めました。前回(6年前に)参拝した時は善光寺の裏手にある第3駐車場を利用しましたが、大本願駐車場の方が地の利が良いのです。
 
Img_0748
 
 

午後4時30分ですからまだ参拝ができそうです。前回は11月の夕方(午後5時過ぎ)に到着したため、午後4時15分で締め切られた本堂の内陣に入ることができず、外陣にある「おびんずる様」(賓頭廬尊者)にお参りした(触れた)だけでした。仲見世を歩いて「定額山(じょうがくさん)」の山号がある仁王門を潜(くぐ)ります。
 
Img_0749
 
Img_0750
 
Img_0751
 
 

仲見世(なかみせ、表参道)が山門へ向かって伸びています。
   
Img_0753
 
 

前方の山門が近づきました。
 
Img_0754
 
 

六地蔵像があります。全ての生命は6種の世界に生まれ変わるという仏教の六道輪廻の思想に基づき、それぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたとされます。ちなみに、京都の伏見宿、長野県上田市の北国街道、横浜の弘明寺(ぐみょうじ)、静岡県の藤枝宿、品川の品川寺(ほんせんじ)、群馬県の水澤観音、巣鴨の真性寺(しんしょうじ)などで見かけたことをブログ記事で紹介しています。
 
Img_0755
 
 

山門(三門)に到着しました。楼上(ろうじょう)には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。
 
Img_0756
 
 

善光寺山門は、江戸時代中期の寛延三年(1750年)に建立された山門(三門)で、国の重要文化財に指定されています。地震の影響で土台部分が傷んだことと全体の老朽化も進んだことから、平成14年 (2002年)から平成19年(2007年)までの約5年間、大規模な修復工事が行われたそうです。

 

「前立本尊遷座式」(4月4日から6月1日まで)、つまり「御開帳」が行われていることが表示されていました。数え年で7年に1度(すなわち6年毎)に行われる行事です。
 
Img_0757
 
 

山門から本堂にかけて長い人の列ができています。本堂へ参拝するのを待つ人たちの行列なのでしょうか。
 
Img_0758
 
 

同行者が突然、『お数珠(じゅず)をもらいたい』と言いだしたのです。それに引きずられるように私が列の最後尾に並ぶと、見るからに地位の高いお坊さんが目の前を通過して本堂へ向かうところでした。「大本願」と染め抜かれた法被(はっぴ)を着たお供を連れています。あとで調べたことですが、「大本願」とは仁王門の左手にある本願寺系の尼寺(25院)で、その住職は「善光寺上人(しょうにん)」と呼ばれるそうです。そして、「お数珠頂戴」とは高僧が手にされた数珠で参拝者の頭に触れて功徳をお分けいただくことでした。
 
Img_0759
 
 

ちなみに、善光寺は「大本願」に加えて、同じく境内(山門の左手)にある天台宗の「大勧進(だいかんじん)」(14坊)によって護持と運営が行われており、「大勧進」の住職は「大勧進貫主(かんす)」と呼ばれ、天台宗の名刹(めいさつ)から推挙された僧侶が務めているそうです。

 

本堂内陣の参拝者は、先ほど進みかけたように、右手から入るようにとの表示があります。
 
Img_0761
 
 

もう一度山門を潜(くぐ)ると、そこには信心深い参拝者たちは跪(ひざまず)いて「善光寺上人」を拝んでいます。どこからともなく戻ってきた同行者は『お数珠をいただけたわ!』と大はしゃぎ。
 
Img_0762
 
 

「山門拝観」の表示を見つけました。山門の右手奥にある券売機で拝観券を購入しました。ちなみに、山門2階へ登楼参拝する拝観料は大人が500円。山門の階段から先は撮影禁止すから、その手前で本堂方面を撮影しました。「善光寺上人」は人の列に沿ってゆっくり進んでおり、その先には御開帳の期間中に立てられている回向柱(えこうばしら)が見えます。
 
Img_0764
 
 

山門の上階から表参道が良く見渡せました。後で知ったことですが、外の景色は撮影しても良かったようです。残念! そして、山門2階の内部には山門本尊の文殊菩薩像、その四方を守護する四天王像、色鮮やかに修復された仏間の障壁画がありました。意外だったのは、四国八十八ヶ所霊場御分身仏があることです。

 

山門を下りた同行者は回向柱(えこうばしら)へ向かいました。この回向柱(高さ約10m)は本堂に安置されている阿弥陀如来(前立本尊)の右手に結ばれた金糸と五色の糸につながる白い綱で結ばれており、回向柱に触れることは前立本尊(まえだちほんぞん)に触れるのと同じで結縁(けちえん)が果たせ、その功徳ははかりしれないそうです。
 
Img_0765
 
 

周(まわ)りに人だかりが出来ている回向柱に触るのは大変ですが、裏手(本堂側)は近寄りやすいようです。
 
Img_0766
 
国宝に指定されている善光寺の本堂は仏を祀(まつ)る「金堂」と、参拝者が礼拝する「礼堂」とが一体になった建築で、その入口には「外陣参拝」と「内陣参拝」の場所を示す横断幕が下げられています。我われはもちろん「内陣参拝」の入口に向かいました。5月は午後5時まで「内陣参拝」(御開帳参拝券500円)ができますから、何とか間に合いました。「お戒壇巡(かいだんめぐ)り」(ご開帳参拝券に含まれる)はちょうど締め切られたところでした。次回参拝する時にはぜひ・・・。
 
Img_0767

 
古墳時代の地元豪族・本田善光が関西地方で見出し、地元の信濃国へ持ち帰ったとされる御本尊「一光三尊(いっこうさんぞん)阿弥陀如来」は、ひとつの光背(こうはい)の中央に阿弥陀如来(あみだにょらい)、向かって右に観音菩薩(かんのんぼさつ)、左に勢至菩薩(せいしぼさつ)が並ぶ、善光寺独特のお姿をされています。大化期に次ぐ白雉(はくち)5年(654年)以来の秘仏であり、鎌倉時代に御本尊の御身代わりとして「前立本尊」(重要文化財)が造られました。普段は御宝庫に安置されていますが、数え年で七年に一度の「御開帳」の時だけ、特別にお姿を拝むことが叶います。(善光寺のhpより)
 

 

余談ですが、善光寺がいかに古い寺であるかを説明しましょう。善光寺は644年、つまり皇極天皇(こうぎょくてんのう)の治世に建立されたと伝えられます。百済より伝来した仏教をめぐっては仏教容認派の蘇我氏(そがし)と非容認派の物部氏(もののべし)が争い、587年に蘇我氏が物部氏を打った事で最終的な決着を見ました。日本で最古の寺は6世紀末ころ(587年ともいわれる)に蘇我馬子が開基した飛鳥寺(法興寺)とされます。 

 

次いで、593年に建立された官寺の四天王寺、607年の法隆寺はです。そして、日本最古の仏教大学であった東大寺は聖武天皇(在位724-749年)によって建立されました。つまり、善光寺は仏教が正式に伝来(公伝)したとされる538年よりわずか90年ほど後、東大寺よりも100年近く前に建てられたのです。ちなみに、日本の仏教が複数の宗派(真言宗・天台宗など)に分かれたのは平安時代またはそれ以降です。

 

話を元に戻します。「一光三尊阿弥陀如来」は飛鳥時代の中頃に秘仏化され、鎌倉時代にはご本尊を模鋳(もちゅう)した「前立本尊(まえだちほんぞん)」が鎌倉期に作られたそうです。「御開帳」で目にすることができるのはこの「前立本尊」の方です。内陣のかなり前に座ることができたため、「前立本尊」を拝むことができました。

 

午後5時から「夕座法要」の読経が内々陣で行われたあと、先ほどの「善光寺上人」がお導師として前立本尊の厨子(ずし)の扉と御簾(みす)を下す儀式を執(と)り行われました。ちなみに、翌日の午前5時30分から行われる朝事(あさじ)ではこれらを開ける儀式が行われるそうです。

 

10数分で終わった「夕座法要」(内陣参拝)のあと、同行者は『もう一度お数珠をいただきたい』と言い、表参道の反対側にでき始めた人の列に並びました。それにつられて私も列に並びました。お数珠をいただいたあとも並びなおして都合2度いただくことに。同行者も同様に2回、つまり計3回もお数珠をいただく強欲さ! 「お上人様」は、我々の欲など気にされることもなく、表参道をさらに進んで仁王門方面へ向かわれます。
 
Img_0768
 
同行者は回向柱を触った時に知り合った女性と一緒に歩いています。
 
Img_0769
 
 

(続く)

« 歴史に学ぶ大手企業の盛衰 | トップページ | 信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 善光寺を出発して帰路へ »

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146335/61920830

この記事へのトラックバック一覧です: 信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 長野市の善光寺:

« 歴史に学ぶ大手企業の盛衰 | トップページ | 信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 善光寺を出発して帰路へ »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ