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2015年7月 9日 (木)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 国宝松本城(その1)

国道148号で青木湖と木崎湖の脇を通り抜けて、大町市と安曇野市を通過して、さらに南下して松本市へ向かいました。
 
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新橋(しんばし)交差点で県道295にそれて、城山公園脇を抜けて、松本城の北西にある市営開智(かいち)駐車場に到着しました。ちなみに、松本城の南側には大手門駐車場があるようです。
 
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松本城の北側にそって伸びる市道を横切って濠端(ほりばた)の遊歩道を歩きました。花壇に植えられたスミレが美しく咲いています。
 
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内堀に架かる埋橋(うずみばし)越しに松本城の大天守と乾(いぬい)小天守が見えました。
 
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現在地は右上(城の西北角)
 
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埋橋(うずみばし)は通行禁止
 
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内堀を泳ぐコブハクチョウ
 
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少し先から見た大天守の右後方に辰巳附櫓(たつみつけやぐら)が少しだけ覗(のぞ)いています。
 
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南側から見た大天守と辰巳附櫓、そしてその右隣は赤い欄干(らんかん)が印象的な月見櫓です。
 
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内堀を渡って二の門(高麗門)から城内に入ります。門の左右に続くのは狭間(はざま)がある控塀(ひかえべい)です。門の奥に見える建物は券売所で、松本城(本丸庭園天守)と松本市立博物館の共通拝観券は大人が610円でした。
 
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券売所がある枡形を抜けると黒門がありました。もらったパンフレットには、『黒門は本丸に入る正門で、櫓門(やぐらもん)と枡形(ますがた)からなり、本丸防衛の要(かなめ)です。櫓門(一の門)は昭和35年(1960年)に復興し、二の門と袖塀(そでべい、写真右端)は平成2年(1990年)に復元された』と説明されています。
 
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「松本城と城下町」の説明看板には、『松本城は深志(ふかし)城と呼ばれ、中世には小笠原氏の一支城であった。そのころ今の二の丸東側には市町(いちまち)が形成されていたが、西方一帯は湿地であった。本格的な近世城づくりが始まったのは1580年代で、城郭(じょうかく)と城下町一体の都市計画を推進したのは、豊臣(とよとみ)大名としてこの地に入った石川氏である。天守を建てたのは2代目康長の時で1593年~95年と推定される』とありました。
 
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松本城保存の功労者として、大阪出身で松本天守閣保存会を設立した初代松本中学校長の小林有成(うなり)氏(右)と競売に付された天守閣の買戻しに尽力した松本生まれの市川量造(りょうぞう)氏(左)が紹介されていました。
 
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本丸庭園と大天守の全景
 
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文禄(1593~1594)年間に建てられた五重六階の天守としては日本最古です。明治の大改修後の昭和11年、国宝に指定されました(昭和27年再指定)。別名深志(ふかし)城とも呼ばれています。姫路城、彦根城、犬山城とともに四つの国宝城郭のひとつです。
 
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大天守へ向かいました。
 
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(続く)

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