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2015年7月13日 (月)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 国宝松本城(その4)

順路にしたがって4階へ下りました。御座所は城主が天守に入ったときはここに座を構えたと考えられているそうです。三間×三間となっていて、小壁(こかべ、鴨居と天井との間の壁)をおろし、鴨居(かもい)の真上に取り付けた長押内法長押(うちのりなげし)を廻(まわ)していました。
 
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3階を経て2階まで下りました。「二の丸御殿の発掘と整備」の説明パネルと出土品が展示されています。
 
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花頭窓(かとうまど)は上が尖った特殊なアーチ型になった中国由来の窓で、戌亥小天守4階に2か所、辰巳附櫓2階に2か所設けられているそうです。
 
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窓の内側には水きりの小穴があけられているとのこと。
 
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遠眼鏡(とおめがね)は望遠鏡の古い呼び名
 
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月見櫓は三方吹き抜けとなり、回りに巡らされた朱塗りの回縁(まわりぶち)や船底型の天井など書院風の造りと相まって、優雅な雰囲気を醸し出し、天守や他の櫓と比べて開放的です。ちなみに、回縁は壁の最上部分と天井が接する部分に取り付けられる縁のような部材のこと。そして、この月見櫓は松本城主松平直正(家康の孫)によって、一国一城例という陶製の厳しい中、寛永年間に三代将軍家光を迎えるため、増築されたものだそうです。
 
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出口は月見櫓の地下一階にありました。
 
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下から見上げた大天守
 
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月見櫓の近くにある牡丹が満開でした。説明看板には、『信濃国守護で戦国大名であった小笠原長時が同じ甲斐源氏の一族である武田信玄に追われて天文19年(1550年)に松本の林城館(松本市の東部にあった山城)を去る時、山辺の兎川寺(とせんじ)の住職に託した牡丹と伝えられ、昭和32年に松本城に移植された小笠原牡丹(ぼたん)である』とありました。
 
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ツツジの朱色が新緑に映(は)えています。
 
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「日本の城」の展示コーナーには松本城の他に、沖縄の首里城・熊本城・島原城・唐津城・平戸城など九州・沖縄の城をはじめ、全国の主要な城写の真パネルが展示されていました。
 
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大天守から東へ伸びる道を戻りました。享保12年(1727年)年に消失した本丸御殿跡が原っぱの用に広がっています。
 
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こちらは本丸の東側から見た大天守を背景にした本丸御殿跡
 
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黒門の手前に「宇宙つつじ」と変わった名前のツツジが咲いていました。
 
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本当に宇宙を旅したツツジであると説明されています。
 
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黒門を抜けて本丸を出ました。
 
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(続く)

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