信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 国宝松本城(終)
太鼓門は文禄4年(1595年)ころに気づかれたそうです。時の合図、登城の合図、火急の合図などを伝える重要な太鼓楼が置かれたことからこの名前があります。現在の太鼓門は平成11年(1999年)に復元されたものです。
太鼓門から見た枡形です。その周りの壁には銃眼・矢眼などの狭間(さま)が設けられています。
「太鼓門枡形の由来」には枡形の目的(城の入口を固く守る)と形状(石垣と土塀を四角に囲った二重の門構え)が説明されています。
櫓門の脇にある「玄蕃(げんば)石」は、重量22.5トンの巨石で、枡形門の威容を示す役目があることと、名称は築造者の官名に因(ちな)むことが説明されています。
城外から見た太鼓門です。江戸時代には外堀の外側にある三の丸から二の丸と本丸に入る正門だったそうです。
同じく外堀(手前)と二の丸(奥)
二の丸御殿跡は、本丸御殿が焼失したあと、藩の政庁が移され建物で、幕末まで使用されたそうです。そして、明治初期(廃藩置県後)に筑摩県(明治9年まで存在した松本・諏訪・高遠・飯田を含む県)にの庁舎として使われましたが、明治9年(1876年)に消失しました。昭和54年(1979年)から6年間をかけて発掘され、史跡公園として整備され、平面復元されて見学できるようになっています。
「式台(しきだい)」は玄関の土間と床の段差が大きい場合に設置される板のことで、その奥に玄関の表示が見えます。
12時半になりましたので、を松本城の二の丸跡にある松本市立博物館には立ち寄らず、昼食にすることにしました。松本城の西(埋橋の近く)に「そば庄
松本城店」があるようですが、松本市立博物館から大名町通りで南方向へ200m余り歩いた大手三丁目にある有名な蕎麦屋「三城(さんじろ)」に入りました。このエリアは松本城の三の丸があった場所で、「大名丁」と呼ばれていたそうです。
店のファサードには「三城」と染められた暖簾(のれん)が架けられているだけですから通り過ぎてしまうかもしれません。事実、私も行き過ぎたことに気づいて戻りました。テーブルは4人卓と2人卓が各々2組、カウンターは数席ですから、最大でも10数人しか同時に利用できません。店内はファサードと統一感がある白い壁と木曽桧(きそひのき)の柱とテーブルの茶色が組み合わせはシンプルで、店のこだわりが感じられます。幸運にもテーブルがひとつ空いていました。店内にはメニューらしきものはありませんので、「二人前」とだけ注文しました。この店が提供するメニューは「ざるそば」(2000円)だけなのです。
まず、お通しの「蕨(わらび)のお浸(ひた)し」に加えて、「冷酒入れ」と「ぐい飲み」が配膳されました。まったく癖がない「わらび」は東の美ヶ原で採れたものとのこと。冷酒も口当たりが良いものでした。ちなみに、箸(はし)も桧で作られているようです。
次いでメインの盛り蕎麦(そば)蕎麦です。木曽開田産の玄蕎麦(げんそば)を自家製粉機で挽き(ひ)くるみしたそば粉を使い、太めに切られた蕎麦には香ばしい香りがありました。蕎麦汁(そばつゆ)も濃(こ)くがあって、蕎麦との相性も良いものでした。
蕎麦湯を飲んでいると漬物が出されました。きゅうり・奈良漬け・沢庵(たくあん)はいずれも美味しく、最後は柔らかくてほのかに甘い花豆でした。一人前が2000円と高めの値段に納得できましたが、静かさに包まれた環境で蕎麦を楽しむための店のようで、気詰まりを覚えた私は30分あまりで「三城」を退出しました。
車を停めた開智駐車場へ戻るために松本城の三の丸方面へ向かと、蔦(つた)が絡(から)まる建物を見つけました。
このあとハプニングが起こりました。脇見をしていて歩道の段差に躓(つまず)いたため、ストラップを手首に通していたデジカメ(FinePix F770EXR)が歩道の敷石に強くぶつかってしまったのです。私自身も膝(ひざ)を敷石にぶつけていたい思いはしましたが、怪我がなかったことは幸いでした。デジカメに電源が入っていたため、レンズ筒の先端に傷痕がくっきり残っています。念のためデジカメの動作確認をすると、撮影したばかりの写真が表示された。しかし、安心したのも束(つか)の間、撮影モードにするとアラームが出てしまいました。レンズ筒の内部にダメージを与えたようで、レンズ筒がまったく動かないのです。
6年前、富士山山頂でご来光を待っている時のことです。先代のデジカメ(FinePix F30)が強風で三脚ごと倒れて、レンズ筒が動かなくなり、同様のアラームが出ました。しかし、その時は軸が少しずれたレンズ筒を騙(だま)しだまし元の位置に戻すことができ、何とかご来光の撮影を継続することが出来ました。しかし、今回はレンズ筒の被害状況が相当深刻でした。
駐車場に戻って車の中でも何度も試してみましたが、前回のように上手くは・・・。破損したデジカメのことは考えないことにして(気を取り直して)、次の目的地へ向かうことにしました。(続く)
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