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2015年7月15日 (水)

信州の清水と遺跡を訪ねるドライブ旅 長野市の松代象山地下壕(前編)

デジカメが壊れて使えなくなりましたが、何とか気を取り直して、国道158号で長野自動車道の松本ICへ向かいました。松本ICから向かうのは最終目的地の長野市です。他に選択肢はありませんから、ここから先はiPnone 5で撮影することに。梓川(あずさがわ)を渡った安曇野ICの3km手前ポイントから再び北アルプスを望むことができました。
 
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筑北(ちくほく)PAを通過。筑北の名称はこのPAが筑摩郡筑北村にあることによりますが、筑摩郡(ちくまぐん)に先に触れた旧筑摩県の名前が残っています。
 
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更級(さらしな)JCTで上信越自動車道に入り、松代PAを通過すると、ほどなく長野ICに到着しました。越松本ICから約45分の所要時間でした。
 
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長野ICから県道35号で市南部の松代町に入りました。「善光寺御開帳2015 日本一の門前町大縁日」の垂れ幕が街灯に飾られています。逆光のため、ダッシュボードがフロントガラスに反射して、映り込みのある見難(みにく)い写真になってしまいました。
 
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松代地区内にあるはずの代官山駐車場(象山東駐車場)を10分以上も探し回ってやっと到着できました。観光バスが停まっていますから間違いなさそうです。
 
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松代郵便局から先の道は幅が狭くなるため、うろ覚えの案内図を意識しながら郵便局の角を左折したのが間違いのもとでした。もう一本先の紺屋町交差点まで進むべきだったのです。
 
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案内標識にしたがって「象山地下壕(ぞうざんちかごう)」へ向かいます。
 
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山寺常山邸(やまでらじょうざんてい)」の看板があるお屋敷を見かけました。
 
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立て看板には『鎌原桐山(かんばらとうざん)および佐久間象山と並ぶ「松代三山」と称(たた)えられた兵学者の「寺山常山」の自宅で、表門は常山が暮らした江戸時代末期から明治時代初期に建てられたと推定される』と説明してありました。
 
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川を渡るようです。
 
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その先に「象山地下壕の入口」がありました。駐車場から7分ほど歩いた場所で、入場が出来なくなる午後3時まで残り30分に迫っていました。ちなみに、地下壕の見学は午後4時まで可能で、入壕は無料です。
   
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「松代象山地下壕見学者への注意書き」と「松代象山地下壕の説明」
 
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地下壕の入口脇に「朝鮮人犠牲者追悼平和記念碑」がありました。終戦間近に建設された「象山地下壕」にも多くの朝鮮人が動員されていたことを知りました。
 
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横にある「追悼平和記念碑案内」に書かれた内容を長くなりますが以下に紹介します。
 

『太平洋戦争末期に、本土決戦に備えて大本栄の移転と国体(天皇制)維持のため、軍の命令によって、防衛上の観点から選ばれた松代を中心に、大本営と皇居(舞鶴山)、政府機関と日本放送協会・中央電話局(象山)。皇居住居(皆神山・後に食糧庫に変更)、賢所(弘法山)、受信施設(妻女山)などを移転する大工事が秘密裏に企画された。1944年11月11日から45年8月15日、敗戦の日まで続けられたこの工事には、東部郡、工兵隊、熱海鉄道教習所生徒、および産業報国隊・勤労報国隊の徴用者や学徒・学童も多数動員されたが、地下壕掘削などの中心的役割を果たしたのは、当時植民地下の朝鮮(大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国)から多くの強制連行者を含む約6000人の人々であった。(中略)この大地下壕を中心とする「松代大本営」は、太平洋戦争と朝鮮植民地化に象徴される日本のアジア侵略の歴史と、その反省を永遠に刻む歴史的遺跡であり、この碑の建立と壕の見学が、なお残る民族差別の克服と友好親善の新たなる第一歩となることを切に願うものである。  1995年8月10日 松代大本営朝鮮人犠牲者慰霊碑建立実行委員会』

 

10日前の7月5日に「明治日本の産業革命遺産」(全23か所)が世界遺産への登録が決定しましたが、そのうち7つの施設は世界遺産登録の基本精神に反するとして韓国から強い反対があり、日韓両国の外務大臣間では韓国が世界遺産登録を目指す「百済の歴史地区」と日本の「明治日本の産業革命遺産」の両方が登録されるよう両国が協力することで合意を見ました。しかし、世界遺産委員会の委員会審議の直前になって韓国側は「強制徴用」の表現の仕方を巡ってまた反対の方針を打ち出したことで、両国はやや玉虫色の表現で再合意した経緯を思い浮かべ、複雑な思いでこの記事を書いています。

 

「松代象山地下壕案内図」には全長が10km以上もあるという地下壕の地図と一般公開されているクランク型のルート(全長519m)が表示されています。
 
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入り口脇の小屋に置かれたヘルメットを被(かぶ)って地下壕の入口へ
 
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地下壕の入口を入ると、その先は急な下り坂になっていました。
 
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しかし、すぐ平らになった壕には補強のため鉄骨の骨組みが設置されています。
 
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(続く)

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