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2015年8月

2015年8月31日 (月)

ジレンマを考察する

ジレンマ(ディレンマとも表記)はギリシャ哲学に登場する言葉です。広辞苑第二版補訂版(岩波書店、昭和51年12月1日発行)を引くと 『相反する2つの事の板挟みになって、どちらとも決めかねる状態。抜きさしならぬ羽目。進退両難』 と説明されています。つまり、ある問題に対して2つの選択肢が存在し、そのどちらを選んでも何らかの不利益があり、態度を決めかねる状態を意味します。そして、ジレンマを生じる問題とは「近い将来あるべき姿と現状の差」と表現することがもできます。ちなみに、選択肢が3つある場合はトリレンマです。

 

よくあるジレンマの対処法に「妥協」や「歩み寄り」があります。いわゆる足して2で割る安易な方法で、複数の関係者がジレンマを抱えていると、お互いの立場に配慮して妥協が起こりやすいとされます。揉(もめ)め事を嫌う日本人が選択しやすい解決法です。しかし、この方法は、何も解決しないどころか、状況がかえって悪化することが多いのです。

 

ジレンマに対処するもう1つの方法に「二者択一」があります。時間やお金などの限りある資源の取り合いではこの「妥協」が成立しやすいのですが、宗教や思想といった個や組織の根源的な対立がある場合には力で圧倒して(多数決で)決着することになります。

 

では、ジレンマを上手く解消するにはどうすればよいのでしょうか。上記した妥協や勝ち負けではありません。対立する関係者の双方がウィン・ウィンの状態になれば良いのです。つまり、ジレンマを生じさせている異なる目的をいかに共通のものにするかで成否が決まります。目的を共有できればジレンマは自(おの)ずと解消するのです。

 

このブログ記事で2-3度も取り上げた事例ですが、ジレンマを解消させて米沢藩の財政を再建した上杉鷹山(ようざん)の改革が分かりやすいと思います。初代藩主上杉景勝(かげかつ)の意向により、石高が秀吉時代の120万石から家康との対立で30万石、さらには相続問題で15万石まで減らされても藩士をそのまま抱え続けたことで、米沢藩は借財が膨(ふく)らんで藩領を幕府へ返上する瀬戸際(せとぎわ)にありました。注;上杉家の家系(上杉謙信の養子である上杉景勝)は桓武平氏(かんむへいし)の血を引く名門の戦国大名で、豊臣秀吉を後ろ盾(だて)としてピーク時(会津支配時)の石高は120万石と豊臣秀吉と徳川家康に次ぐ大大名となるも、秀吉の死後に家康と対立したため30万石に減封された

 

そのタイミングで米沢藩の9代目藩主となったのが上杉鷹山で、本名は治憲(はるのり)、遠縁の小藩出身で上杉家の養子になった人物です。鷹山は、藩士を減らさない一方、藩の贅沢(ぜいたく)な支出(城の普請・奥女中・幕府への工作資金)を押さえて倹約と産業を奨励するなどの再建策で借財を減らしました。同時に、これに反対する重役たちを罷免(ひめん)し、身分にとらわれず有能な人材を登用し、養嗣子(ようしし)で10代目藩主上杉治広(はるひろ)とその甥(おい)で11代目藩主上杉斉定(なりさだ)の後見人を務め、鷹山の死後でしたが斉定の代で20万両(現在の貨幣価値では150-200億円)の借財を完済したとされます。鷹山が藩と藩士を守ることを目的として、あらゆる施策を大胆に実行したことが成功の背景にあるといえます。
 

昔話を聞いても参考にならないと思った人のために、最近の事例を内外から思いつくままに列挙してみます。かなり長い説明ですから、興味のある部分だけでも拾(ひろ)い読みしてください。

 

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まずは海外から。最近、中国が直面している様々な問題が報道されています。社会問題では国を支配する漢族と被支配者である少数民族の関係や社会主義国を標榜(ひょうぼう)しながら拡大する貧富の格差(市場原理が機能していない)、金融面では株価を維持するために政府が行っている異常ともいえる株式の買い支えや通貨の実質的な切り下げ、さらには共産党の一党独裁による情報の統制と民主化運動への弾圧など、枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がありません。

 

これらは国の政策が現実の社会や経済と乖離(かいり)または矛盾(むじゅん)していること(『上に政策あれば下に対策あり』と中国社会を表現する言葉がある)と、法治(ほうち)ではなく人治(じんち)による場当たり的(対処療法的)な政策が多い、この2点が原因となって生じている問題であり、ジレンマと規定するには相応(ふさわ)しくありませんし、個別に解説すると長くなりますから、ここでは省略します。

 

興味深いのはアメリカです。フランス革命に倣(なら)って自由・博愛・平等を建国の理念としましたが、皮肉なことにこの理念とは相反する様々な社会問題が広がっています。人種差別(アフリカ系・ヒスパニックなど)・階層間格差・貧弱な社会保障制度・性差別(企業の幹部社員における女性比率の低さなど)・銃社会を背景とする暴力犯罪の蔓延(まんえん)など、中国とは内容が異なりますが、ジレンマの多さでは両国が双璧(そうへき)をなしています。

 

アメリカにおける社会問題の要因は複雑かつ多様ですが、背景にあるものはダブルスタンダード(二重基準、つまり建前と本音の使い分け)です。国内問題よりも分かりやすいのはアメリカの外交政策(他国との関係)でしょう。

 

太平洋戦争で日本に勝利し、日本を親米国家に変えた成功体験から、朝鮮、イラン、ベトナム、カンボジア、ユーゴスラビア、アフガニスタンやイラクなど他国への武力干渉(侵略)を行ったこと、アメリカのNSA(国家安全保障局)がドイツ歴代首相の情報通信を盗聴したことやドイツの諜報機関(BND)を通じてフランス政府やEUの関係者の情報を入手したこと(注;ウィキリークスによって日本政府に対しても同様の諜報活動が行われていることが暴露された)、グローバルスタンダードだとしてアメリカ標準の押し付け(一方的な自国の優位性確保が目的)などには日本人も疑問が湧(わ)くと思います。

 

小学生のころから強く豊かなアメリカに憧(あこが)れて育った私は、社会人になってからもアメリカに関係する仕事を希望し、アメリカでの生活を5年間経験しました。その中でアメリカンドリームと呼べそうな成功体験をすることができました。しかし、それは私が勤務する会社の成功であって、私自身の成功ではなかったのです。私的な関係でも多くのアメリカ人たちが私を受け入れてくれましたが、一部の友人を除けば、それは仕事上の関係の延長に過ぎず、私の思い違いだったのです。

 

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次は国内関係です。日銀の金融政策の失敗・構造的な供給過剰・円高、その帰結である不景気で生じた賃金の下落と非正規雇用の拡大によって1990年代後半から10数年間デフレ経済が続きました。現政権はこのデフレ経済から脱却する経済政策として「アベノミクス」が有効であると喧伝(けんでん)したのです。第一の矢である金融政策によって株価高と円安が進行しました。続く第二の矢である積極的な財政政策によって経済の好転が期待されましたが、国家財政の借金が1000兆円を超えただでした。しかし、肝心(かんじん)の3本目の矢である成長戦略が「絵に描いた餅(もち)」であるため、経済状況は一向に改善していません。ちなみに、円安にもかかわらず輸出が伸びないため、期待された設備投資に力強さがなく、8月17日に発表された今年4-6月期のGDPはマイナス1.6%と悪化しました。

 

一番大事な経済指標である個人消費は昨年4月の消費税率アップから一年以上が経過した現在も低迷しています。「アベノミクス」の恩恵を受けているのは株式投資をしている資産家と円安で輸出が好調な一部の大手企業、そして賃上げを獲得した一部大手企業に勤務する正規雇用のサラリーマンだけといってもよいでしょう。大企業が経済を牽引(けんいん)し、これが中小企業へ波及、さらに賃金上昇で一般家庭にまで恩恵が及ぶとする政府の説明には気が遠くなってしまいます。「アベノミクス」が始まってもう2年9か月が経過しているのです。この不確実な経済政策をジレンマの事例として取り上げるのは中国の事例と同様に適切ではないでしょう。

 

国内には他に分かりやすい事例がたくさんあります。順不同で列挙してみます。居酒屋チェーンの「ワタミ」は経営が負のスパイラルでじり貧の状態に追い込まれているようです。若い世代を中心とする居酒屋離れが背景にあり、「ブラック企業」の烙印(らくいん)を押された同社が店舗閉鎖という名の戦線縮小に大きくかじを切り、その結果として売り上げの減少と収益の低下が続いています。

 

この10年間、値上げを行ってきたことも客離れを加速したようです。今年3月、就任した清水新社長は大幅な値下げに踏み切りましたが、他社との競争が激化する中、この値下げが客足をさらに遠ざけ、さらなる売り上げ減をもたらしたのは皮肉なことです。値下げで客を集める「体力消耗戦」は過去の戦略であり、牛丼チェーンや回転寿司チェーンと同様、現在は美味しくなければ客は集まらないのです。

 

ユニクロ、すき家、ヤマダ電機など世間から「ブラック企業」の烙印を押された企業は他にもありますが、名指しされた各社は曲がりなりにも汚名を返上するための施策を打ち出しています。しかし、「ワタミ」だけはそれがありません。一代で「ワタミ王国」を築いた渡邉前会長の存在が大きく、ワタミがブラック企業だと呼ばれるのは渡邉美樹前会長の言動のせいでもあることは明らかです。

 

過労による社員の自殺をはじめ、多数のトラブルが発生しているにもかかわらず、テレビ東京の人気番組「カンブリア宮殿」に2年前(2013年)に)出演した渡邉氏は『無理というのは嘘吐きの言葉なんです』と驚くべき自論を述べて司会者の村上龍氏を唖然(あぜん)とさせました。アルバイト出身で子飼いの清水新社長が、その呪縛(じゅばく)から簡単に逃れられるとは思われません。ここに同社の大きなジレンマ、つまりオーナーと現場の軋轢(あつれき)、ひいては顧客離れにつながる構図があります。長年(10年以上)に亘(わた)って、同社を応援してきた私にはいかにも残念な事態です。

 

先の記事「歴史に学ぶ大手企業の盛衰」で触れたファーストフードの大手チェーンM社はメニューの見直しを積極的に打ち出していますが、同記事で指摘した「顧客の満足よりも収益性を優先」の姿勢(具体的な改善策はメニューの見直しと店舗の改装が中心)はほとんど変わっていないため、客足は遠ざかったままで、収益の悪化は一向に改善されていません。その背景は日本人の嗜好(しこう)の変化に疎(うと)いアメリカ本社の意向が働いていることは確かでしょう。抜本的な対策を打つち出せないで3年目を迎えたカナダ出身のカサノバ社長は大きなジレンマを抱えているようです。

 

トラブルが続出する日本だけではなく世界的に同社の収益が悪化しているのはビジネスモデルが陳腐化していることを表しています。日本では、スタッフ(社員とアルバイト)の待遇を改善して信頼を取り戻し、売り上げ減で店舗改装費を捻出(ねんしゅつ)するのが困難なフランチャイジーをどのように支援するか、の2つが喫緊(きっきん)の課題でしょう。同社は競合他社(ハンバーガーチェーン)だけではなく、コンビニ・牛丼チェーン・コーヒーチェーン・ファミリーレストランなどに客(とくに朝の時間帯)を奪われているようですから、信用と業績の回復は一朝一夕ではできそうもありません。

 

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ここまで書き進んで、ある著作のことを思い出しました。先行する優良企業のジレンマ(優良企業が優れた経営のために失敗を招いて破壊的イノベーションにより滅ぼされること)を分析したクレイトン・クリステンセン教授(ハーバード・ビジネス・スクール)の著作「イノベーションのジレンマ」(2001年和訳版)です。過去に超優良企業と呼ばれた会社が革新技術の登場によって消滅あるいは没落した事例は数えきれません。フィルムのイーストマン・コダック社(米)、インスタントカメラのポラロイド社(米)、携帯電話機メーカーのノキア社(フィンランド)、日本の携帯電話メーカー(P社、N社)が挙げられます。そして、同様の道を進む可能性が出てきたのはソフトウェア業界の巨人マイクロソフト社(米)です。

 

マイクロソフト社は1975年に設立されたソフトウェア会社で、OSの“MS-DOS”とそれを発展させた“Windows”、およびビジネス向けアプリケーション・ソフトウェアの“Office”(Word、Excel、Outlookなど)のソフトウェア製品で大成功を収めました。技術的に優れていたことと、ライバル企業を買収あるいは技術的に圧倒することで、自社の優位性を絶えず強固なものとしてきました。

 

しかし、今年度第2四半期(4~6月)は32億ドルの赤字に陥りました。赤字の原因はマイクロソフトが携帯電話向けに開発したOSの”Windows Phone”を普及させるために買収したフィンランド・ノキア社(かっては世界シェア1位)のリストラ経費(計84億ドル)ですが、会社全体の売り上げも前年同期比で5%減少しています。特に、”Windows””Office”の売り上げが大幅に減少し始めているのです。

 

その背景はパソコン需要がスマートフォンやタブレットに押されて減少したことです。このため、マイクロソフト社はパソコンに加えてあらゆる端末に対応できるOSとして新開発した”Windows10へのシフトを急いでいるのです。失敗作であった前OSの”Windows/8.1に見切りをつけ、圧倒的に多いWindows7ユーザーをWindows10で囲い込むことが目的です。それ以上に重要な目的は、不調に終わった携帯端末用“Windows Phone OS”の代わりに”Windows10“を投入し、モバイル部門を立ち直らせることです。そして、これら2つの目的のためには”Windows10“の無償化(当面1年間、基本機能は無償、ただし高度な機能は有償)が有効であると判断したのです。

 

これまでOSの販売が大黒柱の一本だったことを考えると、方針の大転換ですが、ライバルのアップル社は以前(2年前)からOSを無償でアップグレード提供(モバイル用のiOSは2008年から)していますから、遅きに失したと言えるでしょう。アップル社とグーグル社に席巻されている携帯端末用OSの分野で成長を実現し、もう一つの柱と位置付けるクラウド市場でも勝ち残らないと、マイクロソフト社に明日はないでしょう。マイクロソフト社は“Azure”製品などを市場に投入したクラウド・サービスではトップ企業アマゾン社(AWS:Amazonn Web Service)と並んで1位グループを形成しており、両社に続くIBM社とオラクル社を含む4社での競争が激化しています。つまり、マイクロソフト社はソフトウェアの巨人からソフトウェアの優良企業の位置づけになったのです。

 

似たことが、超優良企業であったあのIBM社にも言えます。ここでは詳細に触れることを控えますが、同社にはトップ企業として存立するビジネス基盤が失われて久しいのです。クラウド市場が同社にとって、唯一の希望であるのかも知れません。見方を変えれば、マイクロソフト社とIBM社は強すぎるブランド力への過信つまり(自己否定の困難さ)が企業としての競争力を徐々に蝕(むしば)んできたとも言えそうです。

 

一方、今やICT業界のトップに立ったグーグルは、マイクロソフト社やIBMの窮状(きゅうじょう)を目の当たりにし、すでに手を打ち始めたようです。これまで主力であった検索事業と今後展開する新規領域事業を別部門とし、その上に統括部門(持ち株会社)として「アルファベット(Alphabet)社」を置く体制へ今月移行しました。「イノベーションのジレンマ」を回避する戦略であることは明らかです。そして意外なことに、同社は従来のようにトップを切って新しいことを始める戦略を変更して、「後出しジャンケン戦略」で先行する他社を追い落とすことを始めているようです。

 

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ここまではリーダーの考えがジレンマを生み出す事例を中心に解説してきましたが、最後は企業の経営者が良かれと思って導入した社内の仕組み・制度がもたらした問題の例を紹介します。それは日本の大手企業が1990年代から導入した「目標管理制度」(人事制度の成果主義と一体)です。社員の実績を客観的に評価する手法としてアメリカから導入した制度です。「目標管理」とは期初に部門の目標をベースに社員1人ひとりがその期の目標を定量的に設定するのです。作成にあたっては社員自らが作成した目標案をベースに上司と協議して加筆・修正して両者が合意の上で決定します。

 

期末になると目標の項目ごとに達成度が定量的に評価されます。この時も社員自身が下した評価案(自己評価)を上司と項目ごとにレビューして、それらを集計して総合評価とされます。社員とその上司が合意して目標の設定と評価が行われるため、合理的な実績評価になるはずですが・・。ちなみに、「目標管理」はピーター・ドラッカーが提唱したアメリカでは一般的な評価方法で、1980年代末から5年間アメリカの子会社に勤務した私は評価する側の上司として「目標管理制度」の洗礼を受けました。

 

日本へ帰国してからは本社で始まったばかりの「目標管理制度」にはアメリカでのやり方で対応すれば良いはずだったのですが、担当業務の割り当て(ジョブアサインメント)が曖昧(あいまい)な日本ではアメリカとは異なる点が多々ありました。アメリカでは、各社員が担当する業務は明確に規定されており、その評価が容易にできるのです。もちろん、上司と部下の考え方の相違が埋まらないこともありますが、その時は優秀な部下を失うことになりますから、上司といえども真剣にならざるを得ません。

 

日本では納得できなかった社員に不満が残ることになります。社員が考えることはアメリカ人のように転職ではなく、次回の目標設定で達成しやすい低リスクの目標を選ぶ(表面上は難しい目標だとカモフラージュする)ことに力を注(そそ)ぐのです。つまり、「目標管理制度」が徐々に形骸化(けいがいか)することになります。加えて、多くの日本企業では上昇し続ける人件費を抑制する手段として、この「目標管理制度」を利用しようと考えたことで(総人件費が先に決められているため)、「目標管理制度」は絶対評価ではなく相対評価として扱われていることが多いようです。つまり、良い成果を上げても、それが給料や賞与にそのまま反映されるとは限らないのです。

 

アメリカと日本の環境の違いを無視して導入された「目標管理制度」は上記した弊害を軽減するため将来の成果(可能性)やグループとしての成果の要素を取り込むように修正されましたが、企業の効率(生産性)向上と挑戦力の強化にはつながらなかったようです。とはいっても、日本の「目標管理制度」においても各社員が企業と自分が属する部門の目標を理解し、自らの目標を設定し、その評価を行うことは大きな意義があります。問題は短期的な評価に重きをおいたことと、日本人が得意とするグループ活動(協力貢献)を重視しなかったことにあると思います。その背景には経営者が社員を歯車と考えるようになったことがあるようです。

 

アメリカの経営学者ピーター・F・ドラッカーが提唱した「目標管理制度」を日本企業が導入する際、ドラッカーが重視した自らの動機付けを外す一方、目標評価と企業による動機付だけが重視され、しかも評価結果が金銭と連動する人事考課(人事管理)と一体化された成果主義となっため、日本企業の活力を失わせることになったのです。しかし、本来の「目標管理制度」(各自のモチベーションをアップさせて能力をフルに発揮するためのマネジメント手法であって人事考課の手法ではない)が間違っているわけではないのです。

 

私が好きな歴史を紐解(ひもと)くと、部下の功績に十分報いる論功(ろんこう)ができなかった戦国大名は部下の離反・背信で滅びる運命が待っていました。現代の企業においても、社員を使い捨てにしたり、赤字経営にもかかわらず自らの報酬(ほうしゅう)をお手盛りしたりする経営者はいつかその咎(とが)めを受けると思います。しかし、それでは酷使(こくし)されたりリストラされたりした社員が救われません。

 

人事管理と一体となったこの「日本型目標管理制度」が企業を強化するように機能しなかった(逆に企業を弱体化させた)ことは経営者自身の考え方、つまり 『総人件費の削減・生産性向上・国際競争力の強化をこの制度だけで実現しようとした安易さ』 が原因です。ですから、これは企業のジレンマというよりも、経営者が自縄自縛(じじょうじばく)状態に陥(おちい)ったのです。経営者にとってはジレンマと感じられたかもしれませんが、客観的に見れば不適切な選択(都合の良い点だけをつまみ食い)をしたことによる失敗と位置付けるべきで、古い格言にある 『角を矯(た)めて牛を殺す』(小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうたとえ)を経営者は肝(きも)に銘(めい)じるべきでしょう。

 

経済のグローバル化が進展する現在、私は日本企業も「目標管理制度」を上手く活用することは必要不可欠だと考えています。ちなみに、この制度がうまく機能しているとされる3割程度の日本企業は、「目標管理」の結果だけではなく、「プロセス評価」を加味して人事管理制度と柔軟に結び付けているようです。

 

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今回は個人レベルのジレンマには触れませんでしたが、個人の場合は本人の考え方だけでジレンマを解消する(あるいはジレンマを生じさせない)ことができることは、上述した多くの事例を通してお分かりいただけたのではないかと思います。

2015年8月28日 (金)

渋谷駅が変わる(後編)

ハチ公前広場を出てJR渋谷駅の西口方面へ歩くと渋谷マークシティEAST(2階に京王電鉄・渋谷駅がある)へ向かう幅の広い横断歩道があります。天井のようなものがあるのは、この上に歩道橋(2階と3階)および銀座線の線路(折り返し用線路およびマークシティWESTにある車庫への引き込み線)がある鉄道橋になっているからです。
 
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東急百貨店東横店と西館と南館に面して存在感を示すモヤイ像の裏手は非公式な(無断)喫煙スペースと化していました。
 

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建て替えられるのは渋谷駅の駅ビルと東急百貨店東横店だけではありません。JRJR渋谷駅西口バスターミナルの前に建つ「東急プラザ渋谷」(1965年オープン)も建て替え工事が行われていました。駅街区の再開発計画では、手前にある西口バスターミナルの位置はそのままでリニューアルされ、地下にはタクシープールが整備される予定とのこと。ちなみに、後方に上部が見えるのはオフィスと東急ホテルが入るセルリアンタワー(高さ184m、地上41階、2001年竣工)、左手後方には渋谷インフォスタワー(高さ102m、地上21階、1998年竣工)があります。
 
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西口バスターミナルの先にある国道246号を跨(また)ぐ横断歩道橋に上がってみました。バスターミナルとともに、東急百貨店東横店にある渋谷駅を通り抜けて折り返す銀座線の車両が確認できました。上述したように渋谷マークシティWEST(オフィス棟)には銀座線の車両基地があるのです。
 
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東急百貨店東横店とJR渋谷駅を回り込む形で国道246号の歩道を東方向へ歩き、JR山手線のガードを抜けると、埼京線の線路が見えました。埼京線のホームは、現在約350m南にあり、乗降と乗り換えが不便でしたが、旧東横線渋谷駅があったスペースに移設されるそうです。これで山手線ホームの隣に並ぶことになり便利になります。また、山手線のホームも現在は内回りと外回りが分かれていますが、幅のある島式ホームに改良されるそうですから、渋谷駅構内は利用しやすくなると思われます。
 
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その先で高架式の線路が道路の反対側で途切れていました。平成25年3月から東急東横線が副都心線へ乗り入れるため地下化されたことで、地上に残された高架式線路が国道246号の南側で撤去されたのです。跡地である「渋谷駅南街区」(約1ha)は再開発されるそうです。
 
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そして、建設される計7棟のメインとなるのは地上32階建ての高層ビル(オフィス・ホテル・商業施設が入る複合施設)のようです。 注)前編の最初の写真を参照(東棟の右後方にあるビル) これまで国道246号線と明治通りによって渋谷駅周辺における人の動線が分断されていましたが、渋谷駅からは歩行者専用デッキで多くの開発エリアを繋ぐ計画のようです。 
 

国道246号と明治通りが交差する交差点に架かる横断歩道橋に上がってみると、旧東横線の高架式線路は渋谷駅側も途切れていました。この辺りに埼京線のプラットフォームが移設されて山手線のプラットフォーム(後方)と並ぶ形になるようです。
 
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そして、この「渋谷駅南街区再開発計画」で注目される特色は渋谷川沿いの遊歩道です。旧東横線に平行して流れる渋谷川は、昭和初期には豊かな自然環境を有していましたが、現在はコンクリートの護岸となっています。また、両岸には建物がぎっしり建て込んでいて、おお世辞にも美しいとはいえません。4年前のブログ記事で紹介したこの渋谷川を清流化して、川沿いに緑の600mの遊歩道や広場を設置することで、都市における水辺の賑(にぎ)わいと潤(うるおい)いの空間を取り戻そうという計画です。どんな水辺になるのか楽しみです。
 
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渋谷駅西口に近い横断歩道橋へ戻って、桜丘方面へ渡りました。この近くにも再開発が予定されている「渋谷駅桜丘口地区」があるのです。正面には直線的に伸びる坂道がありますが、横断歩道を渡って左手の路地に入りました。
 
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当てずっぽうで歩いていると、丘の上に「ヤマハエレクトーンシティ」がありました。70年代から80年代に日本のロック/ポップス・シーンに不可欠だったといわれる「エピキュラス」があった場所です。この辺りにタワーマンションが建設されるそうですが、それらしき気配はまったくありませんでした。調べると、約1.7万平米の敷地4棟(地上32階が2棟・15階と4階が1棟ずつ)が建設される予定(平成32年開業)とのこと。
 
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日本経済大学の脇を抜けると渋谷インフォスタワーに出ました。西口バスロータリー脇から見えた高層ビルです。
 
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このほかにも、「宮下町アパート跡地」をクリエイター向け住戸などに再開発民活プロジェクトや渋谷区庁舎渋谷公会堂を建替える計画もあるようですが、友人と会食する時間が近づきましたので、今回はスルーすることにしました。

2015年8月27日 (木)

渋谷駅が変わる(前編)

戦前の渋谷は新宿や銀座に比べてコアとなる施設が少なく魅力が乏しい街とされていたようです。しかし、戦後になると東急・西武の両百貨店や映画館(東急名画座・渋谷全線座・渋谷パレスなど)、東急文化会館が次々に誕生したことで東京の副都心のひとつとして栄え始め、1970年代には渋谷パルコ(公園通り)・東急ハンズ・渋谷109(旧東急本店通り、現文化村通り)などを中心にした若者文化の街として人気を集めました。さらに、1990年代に入るとファッションなどサブカルチャーの若者文化が花開き、2010年代に入るとIT企業が集まり、ファッション業界の中心地としてさらに注目を浴びました。しかし、地名が示すように複数の川が集まる場所に様々な施設が無秩序に建設されたため、街の発展を阻害する要因にもなってきました。このため、交通インフラの再整備を中核として、渋谷駅とその周辺で多数の大規模開発が現在行われています。
 
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まず、平成24年(2012年)春、渋谷駅の東口に登場した「渋谷ヒカリエ」は渋谷のランドマークとしてすっかり定着したようです。
 
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そして、明治通りの地下に建設された新しい東急・渋谷駅は、平成20年6月より東京メトロ副都心線の渋谷駅として暫定的に使用されていましたが、平成25年3月からは東急東横線が副都心線へ乗り入れたことで「渋谷ヒカリエ」に次ぐ形で完成しました。
 
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しかし、新宿駅と池袋駅に次ぐ3位の座を長年守ってきた渋谷駅が、2013年度の乗車人員は前年度より3万人以上減って約38万人(対前年度比92%)と大幅に落ち込み、東京駅と横浜駅に抜かれて5位に転落してしまいました。そして、2014年度も37万人強で同じく5位に甘んじています。(出典;JR東日本の「駅別乗車人員」)

 

その主要因は、東横線と副都心線の直通運転にあると見られますが、東横線の渋谷駅が地下5階に移転したことで、JR渋谷駅と東横線の渋谷駅の乗り換えに要する時間が長くなってしまったことも乗車人員の減少につながったとされます。

 

この乗り換え問題の解決図るとともに、迷路のように複雑な構造をしている渋谷駅を利用しやすくする大規模な改革が現在行われています。それと同時に進められているのが駅街区の再開発計画です。2027年完成を目処に進行中であり、「渋谷ヒカリエ」(高さ182.5m)より50m近く高い約230mのタワー(東棟)が「渋谷ヒカリエ」と向き合う場所に建設される予定とのこと。この一部で着工された駅街区の工事に次いで他のエリアでも再開発が始まるそうです。

 

そこで、今回は「渋谷が変わる」と題して、主な再開発を見て歩いた記事を投稿します。

 

まず、東京メトロの銀座線の渋谷駅です。現在は東急百貨店の中(3階)にありますが、銀座線のホームを主にバスターミナルとして利用されてきた東口広場に移設(約130m移動)し、幅の広い島式のプラットフォームに変更する工事が行われています。同時に、現在は東口広場と明治通りに7基ある銀座線の橋脚が3基にへることで自由な空間ができることになります。
 
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地下にある東急線や他の地下鉄線との接続を垂直方向の吹き抜け空間「アーバンコア」で良くし、橋脚の掛け替えや駅舎建設および関連する区画整理が含まれます。また、現在は不便な東横線とJR山手線の接続問題は、東口地下に広場を設置することで、改善されるそうです。
   
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次いで、地下にある渋谷川の流れを変える工事です。地下にある東急・渋谷駅と地上にあるJR渋谷駅の間には渋谷川が流れているため、両駅間の通路は渋谷川を迂回する必要があります。このため地下を流れる渋谷川を明治通り側に約60m移動させ、駅前の地下に広場と通路が造られることになりました。合わせて都市型洪水を防ぐ目的で、大雨が降ったときに一時的に水を蓄える地下貯留槽が整備されます。
 
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渋谷駅に併設されている東急百貨店東横店は東館・南館・西館の3館がありましたが、80年近い歴史がある東館は2013年(平成25年)3月末で閉館し、現在は南館と西館で営業をしています。次の写真の1枚目はほぼ取り壊された東館(手前のスペース)と西館(右奥)、2枚目は西館の正面です。ちなみに、1枚目の写真の右端に写る細長いビルは2000年に開業した渋谷マークシティEAST(京王渋谷駅・ホテル・店舗が入る複合施設、高さ約100m)です。
   
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再開発計画によると、渋谷駅の直上(南側の国道246号線に近い位置)に東棟・中央棟・西棟の超高層ビル3棟(複合施設)が建設されるようです。すでに工事が始まっている東棟は地上46 階、高さ約230m、延床面積約17万平米で、完成は平成32年とのこと。ちなみに、中央・西棟は平成39年の開業予定で、最終的には3棟合わせ延床面積約27万平米にもなるそうです。そして、東急百貨店東横店は現在の場所から東棟と西棟の2棟の超高層ビルへ移転するそうです。多層階を上下に結ぶ動線もエレベーターやエスカレーターが多数設置されるようです。
 
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この移転にともない、東急百貨店の西館がある場所からは建物が無くなるため、渋谷駅のシンボルとなっている「ハチ公前広場」は大きく拡張され、新しいロータリーが作られるそうです。
 
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忠犬ハチ公像
 
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ハチ公の足元では三毛猫が気持ちよさそうに眠っていました。
 
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「地球のうえにあそぶこどもたち」の像
 
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渋谷区指定の喫煙所
 
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(続く)

2015年8月23日 (日)

株価の先行き

日銀と政府筋(GPIF)の買い支えによって堅調に推移していた日本株(日経平均株価)が8月18日に20,600円台から約66円下げ、翌19日は330円以上急落し、20日も約190円続落、21日にも約600円と大きく値を下げ、19,435.83円と2万円台の大台を大きく割り込みました。今年6月24日の年初来高値(20,952.71円)から約7.2%下げたことになります。

 

この3か月間、アメリカのダウ平均株価の連続した低落傾向(5月19日の$18,312→8月20日の$16、990、約7.2%)と異なる堅調な値動き(年初来高値から約2.5%安程度)を見せていた日経平均株価が、この数日に急落したことで、ダウ平均の動き(値下げ率)へ一気に近づいたようです。注)21日のダウ平均株価は530.94ドル(3.12%)下落して16,459.75ドル、となり、年初来高値から約10%の低落になりました。一方、中国・上海総合指数がピーク時(6月12日の5,166.35から約3割下げたまま一進一退(8月21日は3,552.82%で約31%安、)を繰り返しているのが気になります。

 

株価の先行きについては専門家の間でも見解が分かれているようです。超楽観的な見方は『日経平均株価が年末から年始にかけて3万円に達する』、次いで楽観的な意見は『たとえある程度下げても底堅い(2万円台に戻す)』とし、慎重な意見は『当面18,500円まで低落し、年内にさらに下げる可能性がある』としています。先週後半、株価急落を受けて政府の関係閣僚が『先行きは心配ない』とのコメントを出して市場の動揺を静めようとしました。先の記事「世界経済の動向予測と資産防衛術」にも書きましたように、株価予想は『当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦』ですから、これらの意見に捕(と)らわれる必要はないでしょう。 

 

その記事には、『経済の動向を予測することは不可能に近いので、株式投資や外貨取引を行う時には景気のマクロ的な循環に着目することが有用である』と書きました。しかし、それだけではどの企業の株に投資すればよいかを判断できませんから、今回は「投資先を選ぶ尺度」を紹介します。それは株価が決まる基本に立ち返った考え方(株価がどんな要因で決まるか)です。基本的な考えでは、『株価は企業の現在と近い将来における価値である利益を反映する』とされます。つまり、「今期に一株当たりどれだけの利益が上げられたか」、あるいは「来季に上げられると予想されるか」、具体的には利益総額を発行済み株数で割った数値(一株当たりの利益)が基本になります。

 

株価収益率(PER)は時価総額(株価x発行済み株式数)を純利益で割った数値(言い換えると株価÷一株当たりの利益)、つまり株価が一株当たりの利益の何倍であるかを示す数値で、株価が割安であるか、あるいは割高であるかを判断できる指標です。割安と割高の判断は、同一企業の時系列な変化や同業他社との比較で判断されます。PERの数値がいくらであれば良いかではなく、あくまでも相対的に判断する手段といえます。

 

もう一つの良く利用される指標が企業の資産に着目する株価純資産倍率(PBR)です。株価純資産倍率=株価÷一株あたり純資産額で表現されます。PBRが「1」であれば、企業の株式の時価総額(株価x発行済株数)が解散価値と同額であることを示します。ちなみに、解散価値とは、企業が解散(倒産)したとき、資産総額からすべての負債を支払った後に残った資産をいいます。明快で合理的な指標ですが、貸借対照表から解散価値を導き出すことは容易ではないことが多いため、PBRはPERに比べると株価の判断には使いづらいといようです。

 

3番目の指標は株価キャッシュフロー倍率(PCFR)で、株価が1株当たりのキャッシュフロー(資金の増減、自由に使える資金)の何倍に当たるかを見る指標です。しかし、設備投資を積極的に行った場合には多額の減価償却費が計上されますから、キャッシュフローが減少するとともに当期利益を押し下げることになります。つまり、PERの値が大きくなって割高感を示すことになってしまいますが、近い将来にはその設備投資が利益を増大させるはずですから、PERの判断を補(おぎな)う指標として有用です。ただし、設備投資は業種によって状況が異なりますから、PCFRは同業他社と比較するのが一般的です。

 

そして、最近重視されている指標は株主資本利益率(ROE)で、株主資本(自己資本)が企業の利益にどれだけつながったのかを示す指標です。ROE=1株当たりの利益÷1株あたりの株主資本で表されます。ちなみに、1株あたりの株主資本は株主資本を発行済み株式数で割った値です。ROEが高いほど株主資本を効率よく使い、利益を上げている、つまり能力の高い経営がなされていることを示します。 ちなみに、PER・PBR・ROEの間にはPBR=ROExPERの関係がありますから、PBRが低いからといって、ROEも低い(非効率な経営である)かもしれませんから、PERが小さき(株価が割安)だとは即断できません。

 

上記の他にも株価を判断する指標が存在しますが、ここでは説明を省略します。いくつもの指標をチェックするのは面倒だと考えた方には無理強(むりじ)いをしませんが、上記した4つの指標の都合の良いものだけに注目したり、配当率の高さ・株主優待の魅力だけに捕らわれたりしないことをお勧めします。ちなみに、失敗する考え方(ケース)については先の記事に書きましたから、そちらを参照してください。

 

以上、株式投資の教科書のようなことを書きましたが、株価はあくまでも利益が最重要の指標であることをあらためて強調したいと思います。もちろん、株価は利益以外にも金利や通貨(為替)の動向も大きく影響します。円安になったり金利が低下したりすると株価は上昇する傾向があり、その逆も一般的に成り立ちます。つまり、金利が上がると株価の上昇要因であった会社の業績に陰りが出てくることと、投資家においても株式から預貯金など安定な投資先へ切り替えるからです。ちなみに、為替の変動による影響は輸出関連の企業には円安が、輸入あるいは国内サービス関連企業には円高が有利に働きます。

 

それでは、日本の株式市場と海外の株式市場における株価の関係はどうでしょうか。それぞれの国(上場企業)で決まっているように思われますが、実は主要株式市場は経済活動を通じて相互に影響しあっているのです。経済活動がグローバル化(貿易だけではなく海外での投資とビジネス展開も)したためです。

 

企業の経済活動と同様に株価投資もグローバル化しています。機関投資家の資金はより大きなリターンが得られる株式市場、あるいはより安全な株式市場を求めて投資資金を移動します。アベノミクスの可能性に惹(ひ)かれて海外からの株式投資が増えたことと、株価を下支えするために日銀と政府系(GPIFの資金が株式市場に投入されたことで、実態経済の回復ペースを大きく上回るペースで株価を押し上げました。

 

政府は株価上昇をアベノミクスの成果だと喧伝(けんでん)していますが、本来の目的であるデフレ経済からの脱却と安定した経済成長へ向けての進捗(しんちょく)は、マクロ的な経済指標を見る限り、一進一退を続けています。株価急落を受けて日銀とGPIFがこの数日も株式を買い支えを続けましたが、株価の急落を止めることができませんでした。したがって、この状態を脱するカンフル剤として日銀によるさらなる金融緩和と政府による大型の財政出動がまた行われることになりそうです。

 

先の記事で書きましたように、株価の先行きを占うことは不可能に近いことですから、上記した指標を使って企業の利益率と経営効率に着目して投資先と当時時期を判断されることをお勧めします。その場合でも、株式投資は目先の市場評価や株価の短期的な動きに捕(とら)われてはいけません。ましてや株価の後追い(上昇基調を確認してからあわてて投資すること)は危険です。株価の動きが大きい企業ではなく、積極的な技術革新と堅実なビジネス展開している企業に中長期投資することが成功するために有用だと考えます。ただし、特定の企業に絞(しぼ)って集中投資することでリターンの最大化を狙(ねら)うか、あるいは複数の企業に分散投資してリスクを減らすか、それはあなたが選択することです。

2015年8月19日 (水)

所沢航空記念公園で飛行機の展示を楽しむ(最終回)

オチビちゃんとコチビちゃんの2人はショップでお土産を選び始めました。
 
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カフェレストラン”ecotoco Farmer's Café”の前のベンチで休憩していると、同行者がこのカフェレストランで提供されている「とこロッケBURGER」(380円)のポスターを見つけました。里芋の親芋を使ったコロッケで、ウズラの卵を使ったマヨネーズソース、バンズ・野菜・ソースはいずれも地元産だと説明されています。
 
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そこへ合流したオチビちゃんが「とこロッケBURGER」を買いに行ってくれました。
 
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全員が屋外のテーブル席に移動。変わった味付けですが、おいしく味わいました。
 
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子供たちがショップで買ったのは”AEROBIE PRO FLYING RING 400とアローコプター、そして小さないとこたち(チビスケくんとチビエちゃん)にプレゼントする竹とんぼでした。
 
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2人は記念館前の広い原っぱに出て、さっそくショップで買った遊具で遊び始めました。
 
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”FLYING RING
”は思いのほか良く飛びました。
 
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公園に到着した時に見た「C-46中型輸送機(天馬)」の先に放送塔が見えます。
 
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遊びに夢中の2人にお母さんが声を掛けて楽しい遊びは終了。
 
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駐車場へ向かって歩き始めました。右手奥に時計台が小さく見えます。
   
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駐車場はこの先を左に折れた場所です。
   
 
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私以外は皆のんびり歩いています。


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社内の温度を下げたあと、駐車場を出て、航空公園駅方面へ向かいました。最後に見たいものがあるのです。それは現役を引退した東京オリンピックが開催された1965年国産初の旅客機「YS-11A-500R」です。ANA(全日本空輸)ではYS-11が19659~1991年まで使用され、この機体はANAの子会社であるANK(エアーニッポン)で2003年まで使用されたもののようです。車内の電源で短時間充電したことで、この写真はデジカメで撮影することができました。
 

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今回のブログ記事には、意識的に
説明パネルなどから飛行機の仕様を詳しく引用しましたが、最後に「YS-11A-500R」についても紹介します。『全幅32.00m、全長26.30m、全高8.98m、座席数60~64席、最大離陸重量25,000kg、巡航速度450km、最大運用高度6,100m、航続距離1,200km、離陸滑走距離1,400m、着陸滑走距離1,110m、ロールスロイス・ダートMK543-1Q10Kエンジン、エンジン推力2,775shp+推力336kg)x2基』

 

この日も真夏日でしたが、ほとんどの時間を車内あるいは建物の中で過ごしたことで、誰も熱中症にならずに済みました。帰路も往路とほぼ同様、ところどころでノロノロ運転になったことで、帰宅するのに想定以上の時間がかかりました。

 

<同行者のコメント> 子供たち2人は楽しんでくれました。でも、一番楽しんでいたのは旦那様であることは間違いありません。

2015年8月18日 (火)

所沢航空記念公園で飛行機の展示を楽しむ(その6)

この日のワークショップは終了していました。
 
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その近くにヘリコプターの操縦が楽しめるアトラクションがありました。上昇や下降、旋回、前進、ホバリングなど、ヘリコプターの飛行法について、模型を動かしながら確認することができるようです。私も試してみましたが、応答が緩慢なため操縦は結構難しいものでした。
 
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3階へ上がってみました。(注、2階は事務所です) 階段の最上部から「陸上自衛隊KAL-2 JG-0001」が目の前に見えます。
 
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「所沢メモリアルギャラリー」には、所沢飛行場の歴史などを紹介する展示があり、隣の「慣性塔」エリアには記念公園に隣接する東京交通管制部で1992年(平成4年)の3月まで使われていた管制卓(レーダーと管制装置)が2セット展示してありました。
 
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ここで、ついにデジカメの電池が切れてしまいました。不覚なことに充電用コード(マイクロUSBタイプ)を車の中に置き忘れたため、充電用バッテリーがあっても充電できないのです。やむをえません。ここからはiPhone 5のカメラを使用することにしました。

 

「管制塔」エリアを抜けると飛行機の展示場{滑走路」エリアが見渡せました。上から見るとまた違った印象があります。まず、「陸上自衛隊L-21 JG-2032」、
 
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そして、「HU-1B(ベル204B)中型ヘリコプター5186」
 
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「大空」エリアにはフライトシミュレーターがありました。記念館の入口で見かけたポスター「星に導かれて~天文航法の歴史~」はこのアトラクションのことだったのです。
 
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5種類のコース中から好きなものを選択できるようで、1階にあるものよりも高度な機能(2軸揺動装置など)が装備されているようです。
 
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オチビちゃんは期間限定コース「セスナ172 夜の羽田空港」を選びました。
 
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コチビちゃんは隣のシミュレーターで「Boeing737 ホノルルへ着陸」を選びました。昨年、ホノルルを訪れたことを思い出したようです。
 
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オチビちゃんも「Boeing737 ホノルルへ着陸」を・・
 
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「代わり番こ」で、コチビちゃんは「セスナ172 夜の羽田空港」を・・
 
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「大空」エリアにはこの他にヘリコプターの操作体験ができる「スカイホープ」や遊びながら学べる「スカイステップ」もあるようですが、2人は十分満足してくれたようですから、それらをパスすることにして、1階へ下りました。すると、コチビちゃんは何を思ったのか、「工場」エリアにある「セスナT310Q」に乗り込みました。シミュレーターの練習成果を試してみたくなったのでしょうか。
 
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午後4時になりましたのでエントランス・ロビーに移動。そこで館内案内のパネルを見つけました。入館時に簡単なパンフレットをもらいましたから不自由はなかったのですが、記念館の入口からは見えない方向を向いているのは・・。 ちなみに、記念館の入館は午後4時30分まで、利用時間は午後5時までです。
 
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「会式一号飛行機(日本・1911)」の説明パネルがありました。「日本の航空機開発の歴史」でも簡単に説明されていましたが、「会式一号機(かいしきいちごうき)」は、1910年(明治43年)に日本で製造された飛行機の通称で、正式名称は「臨時軍用気球研究会式一号機」。ちなみに、日本初の国産民間機は同じ記事で紹介した「奈良原式2号複葉機」、軍用機ではこの「会式一号機(かいしきいちごうき)」とされます。
 
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吊り下げ展示されているのは「会式一号飛行機」のレプリカ
 
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(続く)

2015年8月17日 (月)

所沢航空記念公園で飛行機の展示を楽しむ(その5)

隣のエリアへ移動すると、「日本の宇宙開発の歴史」をビデオで放映していました。
 
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「日本の航空機開発の歴史」が写真と文章で説明されています。説明文のポイントは『1909年(明治42年)に設立された臨時軍用気球研究会は1911年(明治44年)に「会式一号」飛行機と「会式イ号飛行船」を完成した。これが日本の航空機開発の始まりである。(中略)日本の航空機開発は欧米の航空先進国からの技術習得から始まった。(以下略)』です。
 
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大きなパネルの下にある透明のショーケース内には、各種軍用機のミニチュアが展示され、各々が簡単に説明されています。まず、『「陸軍九一式戦闘機」は1931年(昭和6年)、陸軍に採用された。始めての国産制式戦闘機であるにも関わらず評価が高く、昭和9年に九五式戦闘機が採用されるまでに合計450機が生産された』とのこと。
 
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『1933年(昭和8年)、陸軍は「九一式戦闘機」の後を継ぐ戦闘機の試作を川崎と中島に命じ、審査の結果川崎の試作機が1935年(昭和10年)に採用されて「陸軍九五式戦闘機」となった。複葉機戦闘機としては究極に近い性能を示したが、速力の天では新鋭単葉機に及ばず、陸軍最後の複葉戦闘機となった』
 
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『「中島AT-2旅客輸送機」はアメリカの革新的な高速旅客機「DC-2」の国産化スタッフによって、使用目的が「DC-2」と競合しない中型旅客機(乗客8名・最大速度370km/h・航続距離1,200km)として製作された。1936年(昭和11年)に初飛行し、民間機33機の他に「キ-34」として299機が生産された』
 
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『陸軍九七式部司令部偵察機(キ-15)は陸軍の命令で三菱が試作し、試験飛行で優れた性能を示したことで1937年に制式採用された。国際記録飛行を企画していた朝日新聞社は陸軍省にかけあって2号機を借り出し、立川陸軍飛行場からロンドンへ向けて飛び立ち、全行程15,357kmを94時間17分56秒で飛行して国際新記録を樹立した』
 
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『陸軍四式戦闘機「疾風(しっぷう)」は陸軍が中島飛行機に命じて、速力と上昇力を兼ね備えた高性能戦闘機の試作を内示した。80機にも及ぶ試作の結果、昭和19年に「大東亜決戦号」として制式された。米軍が捕獲した機体のハイオクタン燃料によるテストでは、最大速度687km/hを記録し、第二次大戦における日本の最優秀戦闘機として評価された』
 
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「日本初の動力飛行成功」と題して、『1910年(明治43年)12月、ライト兄弟の世界発飛行に遅れること7年、東京の代々木練兵場(現在の代々木公園)で陸軍歩兵大尉日野熊蔵がドイツ製のハンス・グラーデ機を操縦した予備飛行で、2mの高さで距離100mの飛行に成功した。1910年(明治43年)12月19日に行われた本飛行では、陸軍工兵大尉徳川好敏操縦によるフランス製アンリ・ファルマン機で、飛行時間3分、距離3,000mの公式飛行に成功した』と解説されています。
 
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本飛行の状況とルート(点線で示された練兵場の外周経路)が図解してあります。ちなみに、滑走距離30m、高度70mとのこと。下の写真は反対側にある展示ブースの明かりが写り込んで下部が見にくくなってしまいました。
 
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「国産機の初飛行」として、『1911年(明治44年、奈良原三次が「奈良原式2号機」を自ら製作し、所沢飛行場にて初飛行に成功した』ことが詳しく説明されています。
 
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奈良原式2号複葉機のミニチュアモデルに添えた説明書きには、『高度約4m、距離約60mを飛んで、国産機による最初の飛行記録を作り、その後最大距離約600m、高度約60mを記録した。主な仕様は、発動機はグノーム空冷式回転星型50馬力、全福10.00m、全長10.00m、座席1、全備重量550kg』とありました。
 
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二宮忠八が考案した「烏型飛行機」(1891年/明治24年、ゴム動力、飛行距離約30m)と「玉虫型飛行機」(1894年/明治27年、時計のゼンマイを動力、未試験)
 
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ガス気球模型を使って上昇するときの感覚を体験することができます。
 
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「研究室」エリアに入りました。「種子の降下」と名付けられた施設は垂直風洞を使用して、種子(タンポポ、カエデ、ユリの木)の飛び方を観察できる設備です。
 
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「ベルヌーイの研究室」には飛行機の翼とプロペラの働きを説明する「ベルヌーイ」の定理(または法則)が開設してありました。『水あるいは空気の流れの中では、速度が小さければ圧力が高く、速度が大きければ圧力は低い』ことを1738年にスイスの物理学者ダニエル・ベルヌーイが示した法則です。
 
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左から流れる気流で飛行機の翼(手前)を貫くパイプを通してボールが吸い上げられることを実験する装置
 
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(続く)

2015年8月16日 (日)

所沢航空記念公園で飛行機の展示を楽しむ(その4)

「重力のちがい」を体感できるアトラクション「スペースウォーカー」がありました。この記念館では一番人気がある施設のようです。
 
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「大気の仕組みと高度」と題したパネルには、下から対流圏(0km~11km)・成層圏(11km~50km)・中間圏(50km~80km)・熱圏(80km~800km)の区分と、各種の飛行機が上昇できる高さが小型飛行機(約3,000m)・ジェット旅客機(約10,000m)・ジェット戦闘機(約30,000m)・スペースシャトル(200~600km)であることが図解されています。
   
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「スペースウォーカー」は、「A:地球脱出コース」「B:月間探検コース」「C:宇宙探検コース」のなかから好きなコースを選ぶことができます。
 
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まずオチビちゃんが挑戦します。座席に座ってシートベルトをスタッフに絞めてもらいます。スタートする前に体重を測定する手順がありました。重力を正しく体感させるためでしょう。
 
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「C:宇宙探検コース」を選んだようで、月面と小さな地球が見えます。
 
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次は同行者の番です。まず体重測定から・・。
 
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「A:地球脱出コース」のようです。高度10km近くまで上昇して熱気球と同じ高さに達しました。
 
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ジェット戦闘機がスクリーンの上端に見え始めました。床面には高度から見た地上が映し出されています。
 
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最後はコチビちゃん。準備が整ったようです。
 
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順調に熱気球の高さまで上昇
 
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そして、小型飛行機の高さへ
 
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ジェット旅客機の高さに達したところで終了しました。
 
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隣りの「世界記録への挑戦」コーナーには歴代の飛行機による速度・航続時間・距離・高度などの記録が2つのパネルで説明されていました。
 
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その下にはミニチュア飛行機が並べられていました。最初は音速の壁を破った「ベルX-1」
 
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次いで、「メッサーシュミットMe209」
 
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日本の「航空研究所長距離機」は航続距離の世界記録(11、651km)を達成
 
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イギリスの「ブリストル138A高々度研究機」は1937年6月30日、高度16,440mの世界記録を樹立
 
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イタリアの「マッキ・カストルディMC72」は1933年に高速水上機の世界記録(668.20km/h)を樹立したプロペラ機で、プロペラ機としては現在も速度記録を保持している。
 
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(続く)

2015年8月15日 (土)

所沢航空記念公園で飛行機の展示を楽しむ(その3)

カラフルに彩られたこの飛行機は航空自衛隊の中等練習機「富士 T-1 B」(愛称:初鷹)です。戦後で国産初のジェット機となった初鷹の主要仕様は、全幅10.5m、全長12.1m、総重量4,990kg、発動機IJ3-IHI-7Bの推力1、800kg×1、最大速度968km/h/6,700m。ちなみに、最初の国産ジェット機はドイツが世界に先駆けて開発した実用ジェット戦闘機「メッサーシュミット Me262」を参考にして開発され、終戦間際(1945年8月7日)に木更津基地で飛行した「橘花(きっか)」です。
 
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「富士 T-1 B」に搭載された石川島播磨重工業製「J3-IHI-7B」は軸流式ターボジェット・エンジンで、その使用は外径85.2cm、全長2m33cm、乾燥重量405kg、離昇推力1,400kg/12,740rpm(回転/分)。
 
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YS-11に搭載された「イギリスのロールスロイス社製ダート Mk。543-10エンジン」は遠心式ターボプロップ・エンジンで、その仕様は直径96.3cm、乾燥重量624.6kg、タービン3段、離陸出力3,060eshp(等価軸馬力)/15,000rpm(回転/分)。
 
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「コンチネンタル O-470-11EE-1」はアメリカのコンチネンタル・モータース・カンパニー制空冷式水平対向6気筒レシプロ・エンジンで、全幅85.2cm、全長91.5cm、全高70.5cm、乾燥重量183kg、離陸出力213馬力/2,600rpm(回転/分)の仕様と性能を有し、戦後ベストセラーとなったそうです。展示エンジンは陸上自衛隊が1954年(昭和29年)から1980年まで129機使用したセスナ L-19A/E連絡来に搭載されていたものであるとのこと。
 
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「格納庫」エリアへ移動したオチビちゃんはフライトシミュレーターを見つけました。
 
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コチビちゃんも負けじと・・。
 
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ライト自転車会社のコーナー
 
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ライト兄弟の風洞実験装置(1901~1902年)のレプリカ
 
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飛行実験を表現したミニチュアの説明書きには、
『1903年12月17日、ノースカロライナ州キティ―ホーク。地元の5人の男たちに手伝われ、動力機「フライヤー」を格納庫から引出、レールの上に載せるライト兄弟。数分後の午前10時35分、弟オービルの操縦によって人類初の動力飛行が行われた』とあります。
 
 
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「ライト兄弟による飛行実験」についてのビデオが定期的に放映されていました。
 
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飛行した距離は意外に短いことが分かりました。1回目36.5m、2回目53.3m、3回目60.9m、4回目259.6mとのこと。
 
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飛行の再現シーン
 
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隣りに“THE BARN-STORMING DAYS”
のコーナーがありました。“BARN-STORMING”とは曲芸飛行あるいは飛行機からのダイビングを意味する言葉です。
 
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反対側にはプロペラの展示と、
 
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国際日付変更線の横断証明書(1936)が展示されていました。
 
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(続く)

2015年8月14日 (金)

所沢航空記念公園で飛行機の展示を楽しむ(その2)

「バートル V-44」はアメリカのパイアセッキ社(のちのバートル社)が輸送用ヘリコプターとして1945年に開発し、1959年(昭和34年)に陸上自衛隊が研究用として購入した大型輸送ヘリコプターで、日本最初の大型ヘリコプターとして航空救難活動で活躍しているそうです。
 
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そのコクピット(操縦席)
 
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そして、キャビン(客室)
   
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「バートル V-44」に搭載されている「ライトR-1820-103」は『アメリカ・カーチス・ライト・コーポレーション製の空冷式星型(ラジアル)9気筒レシプロエンジンで、気筒容積29,874ccのギア駆動2速過給機(スーパーチャージャー)付、離陸出力1,425馬力/2,700rpm(回転/分)、連続最大出力1,100馬力/2,600rpm/高度4,880m、直径1m41.5cm、全長1m27.2cm、乾燥重量659kg』と説明されています。
   
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コチビちゃんは記念スタンプ・コーナーに立ち寄っています。
   
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「工場」エリアでは分解した「セスナT310Q」を使って、前輪の構造と働き」が説明されていました。それによると、『着陸装置には主翼と機種に車輪の付いた前輪式と垂直尾翼の下に車輪がついた尾輪式がある。「セスナ310」は前輪式で、地上を滑走している時も機体を水平に保つため滑走路の視界がよい。各々の脚には着陸時の衝撃を和らげるため、オイルの入った緩衝(かんしょう)装置が組み込まれている。また、前輪は地上走行時に左右に曲がるための操舵(そうだ)装置が取り付けられ自動車のように舵(かじ)をとることができる』とのこと。
 
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カットされた主翼部です。『「セスナT310Q」は1945年に生産がスタートしたアメリカのセスナ・エアクラフト・カンパニーの双発機。デザイン、性能とも当時の水準を上回るもので発売早々双発機のベストセラーとなり、1979年までに4,500機が生産された。展示されている「セスナTG310Q」は従来機よりもパワーアップされたターボ過給機付きの1970年型で、ホンダ航空で使用されたいたものである』と説明されています。
 
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セスナT310Q用エンジンの「コンチネンタルTSIO-520-BB」はアメリカのコンチネンタル・モータース・カンパニーの高齢式水平対向6気筒のレシプロエンジンで、気筒容積8521cc(ターボ過給機付・燃料直接噴射式)、離陸出力285馬力/2,700rpm(回転/分)、全幅85.2cm、全長95,1cm、全高50.2cm、乾燥質量213.6kgです。
 
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「滑走路」エリアで吊り下げ展示されている飛行機は「ニューポール81E2 J-TECH」のレプリカです。「ニューポール81E2」は大正時代に陸軍がフランスから輸入した練習機で、「甲式一型練習機」と呼ばれたそうです。
 
 
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「岩田正夫とニューポール81E2」と題して、『ここに展示されている「ニューポール81E2」は埼玉県出身の民間飛行家・岩田正夫が1926年(大正15年)に郷土訪問飛行を行った時のものである。ただし、機体は腐食のためエンジンと操縦室周辺、着陸装置などをのこすのみとなってため、往年の姿が残された設計図などを参考にレプリカとして再現された』と説明されています。
 
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重要航空遺産と近代化産業遺産に選定された「丸一式戦闘機」は、中島飛行機で5,700機以上生産され、旧日本軍の戦闘機としては海軍の零式艦上戦闘機に次いで2番目に多く、陸軍機としては第1位とのこと。
 
 
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「エンジンの種類と構造」と題して、レシプロエンジン(ピストンエンジン)とジェット・エンジンの構造と特徴が比較されています。
 
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「航空機用各種ジェット・エンジンの比較」では。ターボ・ジェット・エンジン、ターボ・ファン・エンジン・ターボ・プロップ・エンジン、ターボ・シャフト・エンジンの違いが開設されています。ちなみに、ジェット(噴出)・エンジンとは空気と燃料を混合して燃焼させてジェット噴射するエンジンです。
 
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「陸上自衛隊 L-21 JG-2032」は、アメリカで1930年から改良を重ねながら生産されていた実用軽飛行機の傑作「スーパーカブ」を軍用化して誕生した連絡機で、1951年に初飛行。1953年に日本に保安隊航空が創設されると同時に、アメリカから62機供与され、おもにパイロット養成のための基本操縦訓練機あるいは連絡機として使用されたそうです。
 
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HU-1B(ベル204B)中型ヘリコプター」はアメリカのベル・エアクラフト社が開発したもので、1959年よりアメリカ陸軍で採用され、陸上自衛隊では現在も使用されているようです。
 
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「陸上自衛隊 KAL-2 JG-0001」は、大航空機メーカー「川崎航空機」の岐阜工場で組み立てられた戦後初の本格的国産機「KAL-Ⅰ」を改良した連絡機で、1954年11月に初飛行しましたが実用的には未完成であったため、2機が試作されただけで量産はされなかったそうです。
 
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「火星エンジン」については、『三菱重工業の代表的な大型強力発動機で20種類ほどの派生型がある。本エンジンは神奈川県厚木基地の土中より発掘されたもので、一式陸上攻撃機に搭載されていた二―型と推定される』と説明されています。
 
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イギリスの「ロールス・ロイスRB.41 ニーン」は遠心式ターボジェット・エンジンで、1044年(昭和19年)10月に開発が始められた初期のジェット・エンジン(離陸水力2,200kg~2,359kg)とのこと。
 
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(続く)

2015年8月13日 (木)

所沢航空記念公園で飛行機の展示を楽しむ(その1)

埼玉県所沢市にある県立の「所沢航空記念公園」へ出かけました。「所沢航空記念公園」は西武新宿線の航空公園駅(所沢駅の北隣)近くにあり、車では関越自動車道の所沢ICから国道463号で約6kmと至便ですが、あえて一般道だけを利用しました。

 

夏休みを利用して大阪から遊びに来てくれたオチビちゃんとコチビちゃんと出掛ける場所としては、最近人気急上昇中の千葉県船橋市にある「ふなばしアンデルセン公園」を第一候補に考えていました。この公園は1987年に開演したに旧ワンパク王国に隣接して1996年に「メルヘンの丘」などが完成したことで現在の名称変わったようです。大手旅行案内サイトのトリップアドバイザーが選んだ「日本の人気テーマパーク」では、前年の10位から今年は3位に躍進しています。ちなみに、1位と2位は東京ディズニーランドと東京ディズニーシー、4位はUSJとのこと。

 

しかし、前々日に放送されたテレビ東京の人気番組「もやもやサマーズ2」(午後6時30分~)のなかで取り上げられた「所沢航空記念公園」をオチビちゃんが気に入ったようなので、当初の計画を急遽(きゅうきょ)変更しました。実は、私自身もこの公園にある展示館「所沢航空発祥記念館」に興味を持ったのです。

 

2人は夏休みの日課として学校の宿題と塾のドリルを欠かさないため、自宅を出発したのは午前11時近くになってしまいました。このため、所沢市内の狭い道を抜け現地へ到着したのは正午過ぎになり、とりあえず「所沢航空記念公園」に近いレストランで昼食を済ませることに。そして、公園の北側にある記念館駐車場へ入るつもりで公園の外周に沿って進み、国土交通省東京航空交通管制部を過ぎた場所にある駐車場に車を乗り入れました。
 
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入ってから気付いたことですが、それは記念館駐車場の手前にある北駐車場だったのです。
 
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駐車場の脇にあるモニュメントの「未来飛行」
 
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そして公園の案内図
 
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500mほど先にある「所沢航空発祥記念館」へ向かって木立の中の州歩道を歩き始めました。
 
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約200m先にある十字路を右折すると前方に開けた空間がありました。
 
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そして、格納庫あるいはジェットエンジンを連想させるかまぼこ型の建物が近づきました。
 
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左手にある飛行機が気になり近づいてみました。
 
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案内看板には、『C-46中型輸送機(天馬)はアメリカのカーチス・ライト社が1940年3月から総数3180機を製造し、当時は軍用輸送機として使用されましたが、戦後は数多くが民間旅客機として使用されました。日本では昭和30年1月航空自衛隊の輸送機としてC-46D型機を初装備し、昭和34年12月にはC-46A型機を輸入して総数47機を保有していました。全長32.9m、全高6.6m、自重13.6トンで、エンジンはプラット・アンド・ホイットニー社製空冷18気筒型2000hpx2基です。最大速度は433km/h、上昇限界は8,400m、航続距離は2,200km、乗員5名、輸送人員は50名です』と説明されていました。
 
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「航空発祥の地」の案内看板には、『明治44年(1911年)4月、所沢に日本初の飛行場が開設されました。開設当初の所沢飛行場は、敷地面積は約76.3ha。飛行機格納庫、気象観測所、軽油庫、東西方向に幅約50m、長さ約400mの滑走路を持っていました。この県営所沢航空記念公園は所沢飛行場の跡地に造られた都市公園です』と説明されています。
 
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その先には滑走路のように長い遊歩道と30周年を記念して2008年に整備された「沈床茶園」がありました。
 
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「所沢航空記念公園」のhpには、『所沢航空記念公園の前身である所沢飛行機場は、明治44年4月、日本初の飛行機場として76.3haが整備され、以来、第二次世界大戦終了時までの間、わが国の航空界に多大な足跡を残しました。大戦後はアメリカ軍の基地としてその機能を果たす中で、昭和30年代後半から熱心な返還運動が展開され、昭和46年、その努力が実って60%が返還されました。現在は70%が返還され、国・県・市の各種施設が整備されていますが、このうち所沢航空記念公園部分は昭和47年に跡地利用計画の中で決定したもので、広さ50.2haに及ぶ県内最大級のこの都市公園は、「やすらぎの場」としての役割を果たすため埼玉県が整備した公園です』と説明されています。

 

他のメンバーを追って「所沢航空発祥記念館」へ向かいました。
 
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夏季の催し物として大型映像番組「キングペンギン」が上映され、特別展「星に導かれて~天文航法の歴史~」も開催されているようです。
 
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コチビちゃんは大型映像上映のなかでも「名探偵コナン」に興味を示しましたが、上映が始まって1時間近くが経過していますから、残念ですが諦(あきら)めるしかありません。カウンターで入館券を購入。展示館料は大人510円、小・中学生100円でした。ちなみに、大型映像館は620円と260円ですが、展示館との共通割引券を購入すると820円と310円と大きく割引されます。

 

全員で展示館へ入りました。そこは「滑走路・工場」エリアでした。右手にある「銀翼のファム」(中部日本放送が制作)は未来社会を描いたテレビアニメのようです。主人公のファムが操縦するヴェスパは3人乗りの小型のヴァンシップ(飛行機械)だと説明されています。
 
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ノースアメリカンT-6Gは1934年(昭和9年)にアメリカのノースアメリカン社によって設計され、世界33ヶ国で15,117機も使用された2名乗りの中間練習機のベストセラー。
 
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アメリカのシコルスキーH19は、世界ではじめてシングルロータリーヘリコプターの飛行を成功させた「ヘリコプターの父」、イゴール・シコルスキー氏が制作した中型実用ヘリコプターです。プラット&ホイット二ー社製R-1340-57(600馬力)のエンジンを搭載し、乗員2名と乗客8~10名が登場可能で、最大速度163km/h、航続距離652km、実用上昇限度3,218mの能力があるそうです。
 

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アメリカのジェネラル・エレクトリック社製CT58-IHI-110-1は軸流式ターボシャフト・エンジンで、1,250shp(軸馬力)/19,500rpm(回転/分)の性能があるとのこと。
 
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(続く)

2015年8月 7日 (金)

盆踊りを楽しむ

盆踊(ぼんおど)りのシーズンがやって来ました。わが家へ遊びに来てくれたチビスケ君とチビエちゃんと一緒に町内会や幼稚園で開催された盆踊りに参加したことで、盆踊りについて詳しく知りたくなりました。盆踊りの由来から始め、全国の有名な盆踊りの違い調べ、そして盆踊りの多様な楽しみ方を考えてみました。 

 

Ⅰ 由来と歴史

もともとは平安時代後期に宗教行事の一環として始まったそうです。つまり、盆の時期に死者を供養する盂蘭盆(うらぼん、うらんぼん)のなかで踊られた念仏踊りでしたが、時代を経(へ)るとともに宗教的な性格は弱くなり、農村や庶民の娯楽として楽しまれるようになったようです。鎌倉時代に入ると一気に全国へ広まり、江戸時代)に入ると都市部でも町内会や親睦行事として行なわれるようになったようです。

2015_07100021ちなみに、「日本三大盆踊り」と呼ばれるのは、江戸時代に始まった徳島県の「阿波踊り」と岐阜県の「郡上おどり」、および発祥がさらに古い(鎌倉時代)とされる秋田県の「西馬音内の盆踊(にしもないのぼんおどり)です。その他にも、沖縄と奄美大島の「エイサー」などのショー的な催し物が登場し、1990年代前半に北海道で始まった「よさこいソーラン節」が若い世代を中心に人気を集めています。名前から想像できるように、高知県の「よさこい祭り」と北海道の「ソーラン節」を合体して誕生したコンテストだそうです。


現在、関東地方では「東京音頭」、「炭坑節」、「八木節」、「チャンチキおけさ」、「きよしのズンドコ節」、「アンパンマン音頭」、「ドラえもん音頭」、「ええじゃないか音頭」、そして市町村あるいは町内会で作られたローカル音頭などがよく流されるようです。その他にも「ソーラン節」、「オバQ音頭」、「河内音頭」、「アラレちゃん音頭」、「ちびまるこ音頭」、「東京五輪音頭」、「花笠音頭」、「ドンパン節」なども。


2015_07100016ちなみに、「節(ぶし)」は漢字の構成から分かるように竹の途中で膨らんでいる「ふし」から転じて音や音楽の切れ目、旋律(メロディ)、文章の構成要素、季節の変わり目などを意味する言葉です。一方、「音頭」は民謡を演奏する時や建築現場で全体の動きをリードする人またはその人の歌声や掛け声を指す言葉で、「音頭を取る」の用法が一般的です。

 

実際の盆踊り会場には大変な人出がありますが、櫓(やぐら)を囲んで踊る人は意外なほど少数で、大多数の人たちはその周囲にある夜店に列をなして、かき氷・ラムネ・綿菓子・焼きそば・焼き鳥などの飲食物、金魚すくい、ヨーヨー釣り、射的などを楽しんでいるのです。これでは夏祭りと呼んだ方はよさそうです!?

2015_07100019都心の代表的な盆踊り大会を3つあげてみましょう。まず「築地本願寺納涼盆踊り大会」(2015年7月29日(水)~8月1日(土)、築地本願寺)、次いで「日比谷公園丸の内音頭盆踊り大会(ひびやこうえん まるのうちおんど だいぼんおどりたいかい)」(2015年8月28日~8月29日、日比谷公園噴水広場と第二花壇芝生広場)と「中央区大江戸まつり盆おどり大会」(2015年8月21日・22日、浜町公園)です。

 

海外でも日系人が多いハワイ、カリフォルニア、ブラジルおよびそれらの周辺国(地域)の日系人コミュニティー、そして日本企業の海外駐在員が多い国と地域では日本人会を中心に盆踊りが行われているそうです。私たち家族が住んでいたアメリカの都市では日本人会が夏祭りを毎年開催していましたが、会員数がそれほど多くなかったこともあり、盆踊りの方は残念なことににありませんでした。

 

Ⅱ 主な盆踊りとその特徴

 

代表的な盆踊りである「日本三大盆踊り」の特徴を知るのが早道と考えて、「日本全国三大祭ガイド」などの資料を参照しました。

2015_07250008まず、一番有名な「阿波おどり」は徳島県(旧阿波国)を発祥(はっしょう)とする盆踊りで、夏季になると徳島県内各地の市町村で開催されますが、中でも徳島市の阿波おどりは国内最大規模であり、かつ最も有名な盆踊りです。最大の特徴は男性と女性の踊り方が大きく異なることです。「男踊り」は半天を着て踊る半天踊りと、男物の浴衣を尻絡(しりから)げに着て踊る阿波おどりの2種類があり、うちわや手ぬぐいなどを使っていることが多いようです。一方、「女踊りは女物の浴衣を着て編笠を深く被り、草履(ぞうり)ではなく下駄を履(は)くのが特徴で、艶(つや)っぽく上品に踊るところが魅力とされます。期間中は全国から約10万人の踊り手が集まり、街中に阿波おどりのお囃子(はやし)が響(ひび)き渡るそうです。

 

2つ目の「郡上踊り」は盂蘭盆会(徹夜おどり)の中で開催される岐阜県郡上市八幡町の伝統的な盆踊りです。毎年7月中旬から9月上旬まで述べ32夜連続で開催されるようです。中でも8月13日から16日は午後時に始まり明け方まで夜通し踊り続ける「徹夜踊り」は毎年大変盛り上がるようです。この4日間の徹夜踊りに参加する踊り客はおよそ25万人にも達するといわれます。

2015_07250026そして、3つ目の「西馬音内盆踊り」は秋田県雄勝郡羽後町で行われる盆踊りで、約700年の歴史を持つとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。毎年8月16日から18日まで西馬音内本町通りにおいて開催されるこの盆踊りは、亡者を思わせる彦三頭巾(ひこさずきん)に浴衣姿の人びとや、深くかぶった編み笠(半月形よりも両端が貼り出した形が特徴的)と色とりどりの美しい端縫(はしむ)い衣裳を身にまとった女性たちが、300mにわたる細長い通りを埋め尽くして、賑(にぎ)やかで勇ましい野生的なお囃子(はやし)に乗って優雅で流れるような美しい踊りを披露。この不思議な雰囲気がこの盆踊りの特徴とされるようです。

 

Ⅲ 盆踊りの楽しみ方
 
私が考える楽しみ方を思いつくまま列挙して各々のポイントを簡単に説明します。
 

(1)踊りを楽しむ

 
2015_07250022_2「阿波踊り」や「郡上おどり」のように大勢の参加者が決められた仕草で一斉に踊ることを楽しむ本格派。技量を上げることが楽しさを倍増させるのでしょう。

 

(2) コンテストの順位を楽しむ 

 
「阿波おどりコンテスト」や 「よさこいソーラン祭り」のようにグループ間で踊りの技量を競って優勝を目指すマニア派。競技会を勝ち抜くための事前練習と作戦(演出)が決め手となるのは他の競技と共通するようです。
 

(3)見物して楽しむ
 
上記、1や2で上手な踊りあるいは迫力がある踊りを見て楽しむ観光派。

 
(4)浴衣を着て楽しむ

2015_07250032_2盆踊りは花火大会とともに浴衣を着る絶好の機会です。女性はもちろんのこと、男性も浴衣を着ると季節感を満喫(まんきつ)できます。同居者も盆踊りにはたいてい浴衣を着て出かけますが、時には写真のようにコスプレを楽しんでいます。ちなみに、この日に着ているのは南アジアの某航空会社(SA)の女性キャビンアテンダント(CA)が着るユニフォームです。
 

(5)雰囲気を楽しむ

 
流れる音楽と太鼓の音、満艦飾(まんかんしょく)のように飾られた提灯(ちょうちん)、夜店の呼び込みなど、気分を高揚(こうよう)させるものがいっぱいありますから、夏祭りとしても十分楽しめます。主催者としてはひとりでも多く踊りの輪に入って欲しいのでしょうが、踊る人だけではなく見物人(ギャラリー)も盆踊りを盛り上げるために重要な存在でしょう。

 

このように多彩な楽しみ方がある盆踊りはこれからもさまざまなスタイルへ発展しながら末長く愛される存在であり続けると思います。

2015年8月 3日 (月)

世界経済の動向予測と資産防衛術

グローバル化した世界経済は予想外の動きを見せ始めています。主要国の経済(景気)動向は従来通り重要な要因ですが、それ以外にも地政学的あるいは外交上の駆け引きによって複雑化しており、遠い将来はもちろんのこと、近い将来を予測することもこれまでより困難になっているのです。

 

このため、経済状況の主要指標である株価と為替、および原油価格などのボラティリティー(変動性)が大きくなっています。つまり、入手できる最新情報の質と量が金融投資の成否を大きく左右する状況となっているため、情報弱者である個人投資家には高いリスクが存在することを意味します。

 

直近の事例として、中国・上海市場の株価は政府がなり振り構わず梃子(てこ)入れをしたにも拘(かかわ)らず下げ止まらないことを受け、世界の主要株式市場の株価が急落しています。また、数字に表れ始めた中国の景気後退傾向は、株価の急落だけではなく、中国の外貨準備高を急速に減少させているようです。この減少はこれまで公表された外貨準備高が水増しされていたのではないか、あるいは公表がはばかられる目的に使われたのかもしれないとの憶測もありますが、恐らくはそれまで大量に流入していた外国の投資資金が一気に流出したものと考えられます。このように景気の冷え込みが顕著になった中国だけでなく、これまで世界経済を牽引してきたアメリカ経済にも陰(かげ)りが見え始めました。

 

国際的な原油価格が低水準を維持していることは、産油国以外には良い環境と言えますが、アメリカにとっては痛し痒(かゆ)しなのです。というのは、シェールガスを積極的に開発しているアメリカは原油を輸入しなくても良いエネルギー大国になりましたが、原油価格の低落でシェールガス産業が打撃を受けていることがアメリカ経済にはマイナス要因となっています。加えて、原油安は、インフレの恐れを後退させるため追加緩和思惑で日欧などドル以外の通貨が下落する(つまりドル高になる)ことが背景となって生じる「原油価格とドルの逆相関関係」があることもアメリカ経済にはマイナスに作用することが多いのです。

 

この動きに先行する形でミニバブル化したのが不動産市場です。中国ではノンバンクの資金を使った大規模な住宅開発が国内各地で行われ、その案件の多くが行き詰まったと言われています。一部では不動産バブルが弾け始めたとの声も出始めました。日本でも東京オリンピックを5年後に控えた東京都心の土地とマンションの市場価格が高騰し続けています。楽観的な専門家は東京オリンピックが終わるまでは現状のミニバブルが続くとしていますが、2004年のアテネ・オリンピック後に不動産バブルが弾けたギリシャを他山の石とすべきでしょう。

 

話を中国に戻します。不動産に向かっていた大量の資金がより安全と見られた株式市場へ流れ込んだことで、前述の株価高騰を招いたことも理解しておく必要があります。これから容易に想像できることは、中国のバブル経済か近い将来崩壊すると、中国人を含む外国人投資家の資金が日本市場から一斉に引き上げられ、東京における不動産ミニバブルの崩壊が意外と早い時期になるかもしれません。国内の状況だけをみていてはいけないのです。老婆心ながら、不動産投資に興味を持っている方はこの外的要因による危うさに十分留意されることをお勧めします。

 

さて、それではこれから世界経済はどのような状況になって行くのでしょうか。残念ながら、それを予測することは不可能に近いのです。といっては身も蓋(ふた)もないのですが、経済の先行きを予測することは過去の経験(いわゆる経済アナリストの予測は当たらないこと)から見てほとんど不可能と言えるでしょう。占いと同じで「当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦」と考えるべきです。しかし、ヒントがひとつだけあります。景気動向は、一本調子で良くなったり悪くなったりする単調な変化を見せることは極めて少ないという事実です。株の世界では「まだはもう、もうはまだ」の格言があるのはこのことを指しているのです。

 

むしろ、景気はダイナミックに変動するのが常で、しかもある種の波動をともなって変化することが経験則から学び取れます。景気の波動(景気循環)は、長い周期(10-60年)と短い周期(40か月前後)が組み合わさっていることが多いため、一見すると複雑な変化に見えるのです。つまり、「景気循環」あるいは「景気変動」と呼ばれる経済の本質的な性質です。しかし、人は微(かす)かな兆(きざ)しには鈍感(無頓着)で、経済が大幅に悪化あるは改善したことが明らかになってから、やっと行動を起こそうと思うようです。しかし、そのタイミングで行動してももはや遅すぎるのです。

 

サーフィンに例えると分かりやすいかもしれません。大きな波が近づいて来るのを確認したら、早めに波に乗る体勢に入り、波が立ち上がり始めたところで滑走を始め、波のピーク手前にできる傾斜部で体勢を維持し、波とともに前進するのです。欲張りすぎて波のピークに乗ってしまうと、波の後方へと押しやられてしまいます。サーフィンの例えが理解できない人は、ブランコを思い浮かべると良いかもしれません。サーフィンとブランコ、いずれの場合にもやや早めのタイミングをつかむことが運動エネルギーを効率的に利用する秘訣なのです。

 

個人投資家が株式や為替の取引で失敗するケースとして次のシーンが考えられます。「乗り遅れまいと大きく上昇した株や外貨を慌てて購入する」、「株価あるいは為替レートがピークをつけたタイミングで売ろうと考える」、「逆に購入した株式や外貨が期待とは裏腹に下り続けるとそのまま持ち続ける(いわゆる塩漬けにする)」、ことなどが挙げられます。下がった株や外貨を塩漬けにすると傷口を大きくすることが多いので、直ちに売却(いわゆる損切り)して損失を最小限に留めるのが賢明でしょう。

 

売買のタイミングをつかむためには、まず小額の株式あるいは外貨を購入して、十分長い期間に亘(わた)って株価や為替レートの変動を注意深く観察すると良いでしょう。変動には周期性があることが理解できると思います。これを十分理解できるまでは、デイトレーディングのように頻繁(ひんぱん)に売買を繰り返すことは避けるべきです。一般論として、株価の上昇は物価あるいは賃金の上昇率よりも高い傾向にあり、為替レートも中長期的にはインフレへのヘッジ(保険をかけること)になりますから、余剰資金を株あるいは外貨への投資に回すことは理にかなっています。

 

株式投資の場合は、小さな株価変動には注目せず、まず配当金によるリターンを得ることを考えて銘柄を選び、中長期的には株価上昇を期待するのが良いと思います。しかし、そうして選んだ企業の株価が中長期的に上昇するとは限りません。見込みがない場合は見切る(損切りをする)必要が生じることを理解すべきでしょう。100発百中を狙うのではなく、あくまでも損得を確率で考える(投資先全体から得られる収益性で判断する)のが良いと思います。先行きが期待できる株式銘柄は買い増し、見込みのない株式を売却しながら、ポートフォリオ(金融資産の一覧表)の中身を充実させることを考えるのが成功のポイントだと私は考えています。  

 

ちなみに、デイトレーディングは「労多くして益少なし」だと考えています。機関投資家が行う高性能コンピュータを使った100分の1秒単位の超高速自動売買にパソコンやタブレット(あるいはスマホ)を利用する個人投資家は敵(かなう)うわけがありません。

 

一方、為替取引はゼロサムゲーム(損をする人と得をする人が半分ずついる)ですから、株式投資と違って、長期保有しても利益が得られる保証はまったくありません。中期的なタイムスケール(1ヶ月~1年)を考えた投資に徹することです。日々あるいは時々刻々の変動を利用して利益を得るデイトレーディングは株式と同様に専門家に任せるべきです。ましてや、株式の信用取引と同様に、FX(外国為替証拠金取引)に手を出さないことが身のためでしょう。

 

繰り返し述べたように、世界経済の先行きを読むことは困難です。したがって、自らの「生活の質」(Quality of Life)を大きく左右する自己資産を守るには、経済動向を見ながら各人が理解できると範囲で上記した対応を実践する必要があると私は考えます。これを負担と感じる人にも手立てはあります。それは銀行預金あるいは郵便貯金です。現状の利率は限りなく低い(0.02-0.05%/年)のですが、1000万円までは元本が保証(現行のルールでは)されますから、タンス預金をするよりも明らかに安全かつ有利です。ただ、リスクを減らすためにいくつかの金融機関に分散して預けるのが良いでしょう。

 

少しでも有利に(稼ぎたい)とお考えの方は、いざという時に必要な金額を普通預金(普通貯金)に入れ、残金を金融機関のキャンペーン利率を活用した定期預金(定期貯金)に預けるのが良いでしょう。また、国が発行する国債は、これまで元本と利子(10年もので0.4%/年)が保証されることから安全な投資先で、デフレ経済下では有利な投資先とされてきましたが、現在はデフレからの脱却を目指す政策が実行されているため、やや不透明な環境(金利が上昇して利払いが出来なくなって破綻する可能性が懸念される)に移行しつつあります。購入に当たっては慎重な検討が必要であると思われます。

 

思いつくままに世界の経済動向とその変化に備える手立てについて私見を書き連(つら)ねましたが、最近のギリシャにおける経済危機のようなことが日本で起こった場合には、自らの資産を事前に海外へ移転させて保全しない限り、悪影響を回避する妙案はないと考えた方が良いでしょう。たとえ、外貨預金や外国債券・海外株式へ投資したとしてもリスクを軽減することはできません。残念なことですが、個人投資家は『政府が適切な経済政策を的確なタイミング実行してくれること』をひたすら祈るしかないのです。

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