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2015年8月31日 (月)

ジレンマを考察する

ジレンマ(ディレンマとも表記)はギリシャ哲学に登場する言葉です。広辞苑第二版補訂版(岩波書店、昭和51年12月1日発行)を引くと 『相反する2つの事の板挟みになって、どちらとも決めかねる状態。抜きさしならぬ羽目。進退両難』 と説明されています。つまり、ある問題に対して2つの選択肢が存在し、そのどちらを選んでも何らかの不利益があり、態度を決めかねる状態を意味します。そして、ジレンマを生じる問題とは「近い将来あるべき姿と現状の差」と表現することがもできます。ちなみに、選択肢が3つある場合はトリレンマです。

 

よくあるジレンマの対処法に「妥協」や「歩み寄り」があります。いわゆる足して2で割る安易な方法で、複数の関係者がジレンマを抱えていると、お互いの立場に配慮して妥協が起こりやすいとされます。揉(もめ)め事を嫌う日本人が選択しやすい解決法です。しかし、この方法は、何も解決しないどころか、状況がかえって悪化することが多いのです。

 

ジレンマに対処するもう1つの方法に「二者択一」があります。時間やお金などの限りある資源の取り合いではこの「妥協」が成立しやすいのですが、宗教や思想といった個や組織の根源的な対立がある場合には力で圧倒して(多数決で)決着することになります。

 

では、ジレンマを上手く解消するにはどうすればよいのでしょうか。上記した妥協や勝ち負けではありません。対立する関係者の双方がウィン・ウィンの状態になれば良いのです。つまり、ジレンマを生じさせている異なる目的をいかに共通のものにするかで成否が決まります。目的を共有できればジレンマは自(おの)ずと解消するのです。

 

このブログ記事で2-3度も取り上げた事例ですが、ジレンマを解消させて米沢藩の財政を再建した上杉鷹山(ようざん)の改革が分かりやすいと思います。初代藩主上杉景勝(かげかつ)の意向により、石高が秀吉時代の120万石から家康との対立で30万石、さらには相続問題で15万石まで減らされても藩士をそのまま抱え続けたことで、米沢藩は借財が膨(ふく)らんで藩領を幕府へ返上する瀬戸際(せとぎわ)にありました。注;上杉家の家系(上杉謙信の養子である上杉景勝)は桓武平氏(かんむへいし)の血を引く名門の戦国大名で、豊臣秀吉を後ろ盾(だて)としてピーク時(会津支配時)の石高は120万石と豊臣秀吉と徳川家康に次ぐ大大名となるも、秀吉の死後に家康と対立したため30万石に減封された

 

そのタイミングで米沢藩の9代目藩主となったのが上杉鷹山で、本名は治憲(はるのり)、遠縁の小藩出身で上杉家の養子になった人物です。鷹山は、藩士を減らさない一方、藩の贅沢(ぜいたく)な支出(城の普請・奥女中・幕府への工作資金)を押さえて倹約と産業を奨励するなどの再建策で借財を減らしました。同時に、これに反対する重役たちを罷免(ひめん)し、身分にとらわれず有能な人材を登用し、養嗣子(ようしし)で10代目藩主上杉治広(はるひろ)とその甥(おい)で11代目藩主上杉斉定(なりさだ)の後見人を務め、鷹山の死後でしたが斉定の代で20万両(現在の貨幣価値では150-200億円)の借財を完済したとされます。鷹山が藩と藩士を守ることを目的として、あらゆる施策を大胆に実行したことが成功の背景にあるといえます。
 

昔話を聞いても参考にならないと思った人のために、最近の事例を内外から思いつくままに列挙してみます。かなり長い説明ですから、興味のある部分だけでも拾(ひろ)い読みしてください。

 

                            ☆

 

まずは海外から。最近、中国が直面している様々な問題が報道されています。社会問題では国を支配する漢族と被支配者である少数民族の関係や社会主義国を標榜(ひょうぼう)しながら拡大する貧富の格差(市場原理が機能していない)、金融面では株価を維持するために政府が行っている異常ともいえる株式の買い支えや通貨の実質的な切り下げ、さらには共産党の一党独裁による情報の統制と民主化運動への弾圧など、枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がありません。

 

これらは国の政策が現実の社会や経済と乖離(かいり)または矛盾(むじゅん)していること(『上に政策あれば下に対策あり』と中国社会を表現する言葉がある)と、法治(ほうち)ではなく人治(じんち)による場当たり的(対処療法的)な政策が多い、この2点が原因となって生じている問題であり、ジレンマと規定するには相応(ふさわ)しくありませんし、個別に解説すると長くなりますから、ここでは省略します。

 

興味深いのはアメリカです。フランス革命に倣(なら)って自由・博愛・平等を建国の理念としましたが、皮肉なことにこの理念とは相反する様々な社会問題が広がっています。人種差別(アフリカ系・ヒスパニックなど)・階層間格差・貧弱な社会保障制度・性差別(企業の幹部社員における女性比率の低さなど)・銃社会を背景とする暴力犯罪の蔓延(まんえん)など、中国とは内容が異なりますが、ジレンマの多さでは両国が双璧(そうへき)をなしています。

 

アメリカにおける社会問題の要因は複雑かつ多様ですが、背景にあるものはダブルスタンダード(二重基準、つまり建前と本音の使い分け)です。国内問題よりも分かりやすいのはアメリカの外交政策(他国との関係)でしょう。

 

太平洋戦争で日本に勝利し、日本を親米国家に変えた成功体験から、朝鮮、イラン、ベトナム、カンボジア、ユーゴスラビア、アフガニスタンやイラクなど他国への武力干渉(侵略)を行ったこと、アメリカのNSA(国家安全保障局)がドイツ歴代首相の情報通信を盗聴したことやドイツの諜報機関(BND)を通じてフランス政府やEUの関係者の情報を入手したこと(注;ウィキリークスによって日本政府に対しても同様の諜報活動が行われていることが暴露された)、グローバルスタンダードだとしてアメリカ標準の押し付け(一方的な自国の優位性確保が目的)などには日本人も疑問が湧(わ)くと思います。

 

小学生のころから強く豊かなアメリカに憧(あこが)れて育った私は、社会人になってからもアメリカに関係する仕事を希望し、アメリカでの生活を5年間経験しました。その中でアメリカンドリームと呼べそうな成功体験をすることができました。しかし、それは私が勤務する会社の成功であって、私自身の成功ではなかったのです。私的な関係でも多くのアメリカ人たちが私を受け入れてくれましたが、一部の友人を除けば、それは仕事上の関係の延長に過ぎず、私の思い違いだったのです。

 

                            ☆

 

次は国内関係です。日銀の金融政策の失敗・構造的な供給過剰・円高、その帰結である不景気で生じた賃金の下落と非正規雇用の拡大によって1990年代後半から10数年間デフレ経済が続きました。現政権はこのデフレ経済から脱却する経済政策として「アベノミクス」が有効であると喧伝(けんでん)したのです。第一の矢である金融政策によって株価高と円安が進行しました。続く第二の矢である積極的な財政政策によって経済の好転が期待されましたが、国家財政の借金が1000兆円を超えただでした。しかし、肝心(かんじん)の3本目の矢である成長戦略が「絵に描いた餅(もち)」であるため、経済状況は一向に改善していません。ちなみに、円安にもかかわらず輸出が伸びないため、期待された設備投資に力強さがなく、8月17日に発表された今年4-6月期のGDPはマイナス1.6%と悪化しました。

 

一番大事な経済指標である個人消費は昨年4月の消費税率アップから一年以上が経過した現在も低迷しています。「アベノミクス」の恩恵を受けているのは株式投資をしている資産家と円安で輸出が好調な一部の大手企業、そして賃上げを獲得した一部大手企業に勤務する正規雇用のサラリーマンだけといってもよいでしょう。大企業が経済を牽引(けんいん)し、これが中小企業へ波及、さらに賃金上昇で一般家庭にまで恩恵が及ぶとする政府の説明には気が遠くなってしまいます。「アベノミクス」が始まってもう2年9か月が経過しているのです。この不確実な経済政策をジレンマの事例として取り上げるのは中国の事例と同様に適切ではないでしょう。

 

国内には他に分かりやすい事例がたくさんあります。順不同で列挙してみます。居酒屋チェーンの「ワタミ」は経営が負のスパイラルでじり貧の状態に追い込まれているようです。若い世代を中心とする居酒屋離れが背景にあり、「ブラック企業」の烙印(らくいん)を押された同社が店舗閉鎖という名の戦線縮小に大きくかじを切り、その結果として売り上げの減少と収益の低下が続いています。

 

この10年間、値上げを行ってきたことも客離れを加速したようです。今年3月、就任した清水新社長は大幅な値下げに踏み切りましたが、他社との競争が激化する中、この値下げが客足をさらに遠ざけ、さらなる売り上げ減をもたらしたのは皮肉なことです。値下げで客を集める「体力消耗戦」は過去の戦略であり、牛丼チェーンや回転寿司チェーンと同様、現在は美味しくなければ客は集まらないのです。

 

ユニクロ、すき家、ヤマダ電機など世間から「ブラック企業」の烙印を押された企業は他にもありますが、名指しされた各社は曲がりなりにも汚名を返上するための施策を打ち出しています。しかし、「ワタミ」だけはそれがありません。一代で「ワタミ王国」を築いた渡邉前会長の存在が大きく、ワタミがブラック企業だと呼ばれるのは渡邉美樹前会長の言動のせいでもあることは明らかです。

 

過労による社員の自殺をはじめ、多数のトラブルが発生しているにもかかわらず、テレビ東京の人気番組「カンブリア宮殿」に2年前(2013年)に)出演した渡邉氏は『無理というのは嘘吐きの言葉なんです』と驚くべき自論を述べて司会者の村上龍氏を唖然(あぜん)とさせました。アルバイト出身で子飼いの清水新社長が、その呪縛(じゅばく)から簡単に逃れられるとは思われません。ここに同社の大きなジレンマ、つまりオーナーと現場の軋轢(あつれき)、ひいては顧客離れにつながる構図があります。長年(10年以上)に亘(わた)って、同社を応援してきた私にはいかにも残念な事態です。

 

先の記事「歴史に学ぶ大手企業の盛衰」で触れたファーストフードの大手チェーンM社はメニューの見直しを積極的に打ち出していますが、同記事で指摘した「顧客の満足よりも収益性を優先」の姿勢(具体的な改善策はメニューの見直しと店舗の改装が中心)はほとんど変わっていないため、客足は遠ざかったままで、収益の悪化は一向に改善されていません。その背景は日本人の嗜好(しこう)の変化に疎(うと)いアメリカ本社の意向が働いていることは確かでしょう。抜本的な対策を打つち出せないで3年目を迎えたカナダ出身のカサノバ社長は大きなジレンマを抱えているようです。

 

トラブルが続出する日本だけではなく世界的に同社の収益が悪化しているのはビジネスモデルが陳腐化していることを表しています。日本では、スタッフ(社員とアルバイト)の待遇を改善して信頼を取り戻し、売り上げ減で店舗改装費を捻出(ねんしゅつ)するのが困難なフランチャイジーをどのように支援するか、の2つが喫緊(きっきん)の課題でしょう。同社は競合他社(ハンバーガーチェーン)だけではなく、コンビニ・牛丼チェーン・コーヒーチェーン・ファミリーレストランなどに客(とくに朝の時間帯)を奪われているようですから、信用と業績の回復は一朝一夕ではできそうもありません。

 

                            ☆

 

ここまで書き進んで、ある著作のことを思い出しました。先行する優良企業のジレンマ(優良企業が優れた経営のために失敗を招いて破壊的イノベーションにより滅ぼされること)を分析したクレイトン・クリステンセン教授(ハーバード・ビジネス・スクール)の著作「イノベーションのジレンマ」(2001年和訳版)です。過去に超優良企業と呼ばれた会社が革新技術の登場によって消滅あるいは没落した事例は数えきれません。フィルムのイーストマン・コダック社(米)、インスタントカメラのポラロイド社(米)、携帯電話機メーカーのノキア社(フィンランド)、日本の携帯電話メーカー(P社、N社)が挙げられます。そして、同様の道を進む可能性が出てきたのはソフトウェア業界の巨人マイクロソフト社(米)です。

 

マイクロソフト社は1975年に設立されたソフトウェア会社で、OSの“MS-DOS”とそれを発展させた“Windows”、およびビジネス向けアプリケーション・ソフトウェアの“Office”(Word、Excel、Outlookなど)のソフトウェア製品で大成功を収めました。技術的に優れていたことと、ライバル企業を買収あるいは技術的に圧倒することで、自社の優位性を絶えず強固なものとしてきました。

 

しかし、今年度第2四半期(4~6月)は32億ドルの赤字に陥りました。赤字の原因はマイクロソフトが携帯電話向けに開発したOSの”Windows Phone”を普及させるために買収したフィンランド・ノキア社(かっては世界シェア1位)のリストラ経費(計84億ドル)ですが、会社全体の売り上げも前年同期比で5%減少しています。特に、”Windows””Office”の売り上げが大幅に減少し始めているのです。

 

その背景はパソコン需要がスマートフォンやタブレットに押されて減少したことです。このため、マイクロソフト社はパソコンに加えてあらゆる端末に対応できるOSとして新開発した”Windows10へのシフトを急いでいるのです。失敗作であった前OSの”Windows/8.1に見切りをつけ、圧倒的に多いWindows7ユーザーをWindows10で囲い込むことが目的です。それ以上に重要な目的は、不調に終わった携帯端末用“Windows Phone OS”の代わりに”Windows10“を投入し、モバイル部門を立ち直らせることです。そして、これら2つの目的のためには”Windows10“の無償化(当面1年間、基本機能は無償、ただし高度な機能は有償)が有効であると判断したのです。

 

これまでOSの販売が大黒柱の一本だったことを考えると、方針の大転換ですが、ライバルのアップル社は以前(2年前)からOSを無償でアップグレード提供(モバイル用のiOSは2008年から)していますから、遅きに失したと言えるでしょう。アップル社とグーグル社に席巻されている携帯端末用OSの分野で成長を実現し、もう一つの柱と位置付けるクラウド市場でも勝ち残らないと、マイクロソフト社に明日はないでしょう。マイクロソフト社は“Azure”製品などを市場に投入したクラウド・サービスではトップ企業アマゾン社(AWS:Amazonn Web Service)と並んで1位グループを形成しており、両社に続くIBM社とオラクル社を含む4社での競争が激化しています。つまり、マイクロソフト社はソフトウェアの巨人からソフトウェアの優良企業の位置づけになったのです。

 

似たことが、超優良企業であったあのIBM社にも言えます。ここでは詳細に触れることを控えますが、同社にはトップ企業として存立するビジネス基盤が失われて久しいのです。クラウド市場が同社にとって、唯一の希望であるのかも知れません。見方を変えれば、マイクロソフト社とIBM社は強すぎるブランド力への過信つまり(自己否定の困難さ)が企業としての競争力を徐々に蝕(むしば)んできたとも言えそうです。

 

一方、今やICT業界のトップに立ったグーグルは、マイクロソフト社やIBMの窮状(きゅうじょう)を目の当たりにし、すでに手を打ち始めたようです。これまで主力であった検索事業と今後展開する新規領域事業を別部門とし、その上に統括部門(持ち株会社)として「アルファベット(Alphabet)社」を置く体制へ今月移行しました。「イノベーションのジレンマ」を回避する戦略であることは明らかです。そして意外なことに、同社は従来のようにトップを切って新しいことを始める戦略を変更して、「後出しジャンケン戦略」で先行する他社を追い落とすことを始めているようです。

 

                            ☆

 

ここまではリーダーの考えがジレンマを生み出す事例を中心に解説してきましたが、最後は企業の経営者が良かれと思って導入した社内の仕組み・制度がもたらした問題の例を紹介します。それは日本の大手企業が1990年代から導入した「目標管理制度」(人事制度の成果主義と一体)です。社員の実績を客観的に評価する手法としてアメリカから導入した制度です。「目標管理」とは期初に部門の目標をベースに社員1人ひとりがその期の目標を定量的に設定するのです。作成にあたっては社員自らが作成した目標案をベースに上司と協議して加筆・修正して両者が合意の上で決定します。

 

期末になると目標の項目ごとに達成度が定量的に評価されます。この時も社員自身が下した評価案(自己評価)を上司と項目ごとにレビューして、それらを集計して総合評価とされます。社員とその上司が合意して目標の設定と評価が行われるため、合理的な実績評価になるはずですが・・。ちなみに、「目標管理」はピーター・ドラッカーが提唱したアメリカでは一般的な評価方法で、1980年代末から5年間アメリカの子会社に勤務した私は評価する側の上司として「目標管理制度」の洗礼を受けました。

 

日本へ帰国してからは本社で始まったばかりの「目標管理制度」にはアメリカでのやり方で対応すれば良いはずだったのですが、担当業務の割り当て(ジョブアサインメント)が曖昧(あいまい)な日本ではアメリカとは異なる点が多々ありました。アメリカでは、各社員が担当する業務は明確に規定されており、その評価が容易にできるのです。もちろん、上司と部下の考え方の相違が埋まらないこともありますが、その時は優秀な部下を失うことになりますから、上司といえども真剣にならざるを得ません。

 

日本では納得できなかった社員に不満が残ることになります。社員が考えることはアメリカ人のように転職ではなく、次回の目標設定で達成しやすい低リスクの目標を選ぶ(表面上は難しい目標だとカモフラージュする)ことに力を注(そそ)ぐのです。つまり、「目標管理制度」が徐々に形骸化(けいがいか)することになります。加えて、多くの日本企業では上昇し続ける人件費を抑制する手段として、この「目標管理制度」を利用しようと考えたことで(総人件費が先に決められているため)、「目標管理制度」は絶対評価ではなく相対評価として扱われていることが多いようです。つまり、良い成果を上げても、それが給料や賞与にそのまま反映されるとは限らないのです。

 

アメリカと日本の環境の違いを無視して導入された「目標管理制度」は上記した弊害を軽減するため将来の成果(可能性)やグループとしての成果の要素を取り込むように修正されましたが、企業の効率(生産性)向上と挑戦力の強化にはつながらなかったようです。とはいっても、日本の「目標管理制度」においても各社員が企業と自分が属する部門の目標を理解し、自らの目標を設定し、その評価を行うことは大きな意義があります。問題は短期的な評価に重きをおいたことと、日本人が得意とするグループ活動(協力貢献)を重視しなかったことにあると思います。その背景には経営者が社員を歯車と考えるようになったことがあるようです。

 

アメリカの経営学者ピーター・F・ドラッカーが提唱した「目標管理制度」を日本企業が導入する際、ドラッカーが重視した自らの動機付けを外す一方、目標評価と企業による動機付だけが重視され、しかも評価結果が金銭と連動する人事考課(人事管理)と一体化された成果主義となっため、日本企業の活力を失わせることになったのです。しかし、本来の「目標管理制度」(各自のモチベーションをアップさせて能力をフルに発揮するためのマネジメント手法であって人事考課の手法ではない)が間違っているわけではないのです。

 

私が好きな歴史を紐解(ひもと)くと、部下の功績に十分報いる論功(ろんこう)ができなかった戦国大名は部下の離反・背信で滅びる運命が待っていました。現代の企業においても、社員を使い捨てにしたり、赤字経営にもかかわらず自らの報酬(ほうしゅう)をお手盛りしたりする経営者はいつかその咎(とが)めを受けると思います。しかし、それでは酷使(こくし)されたりリストラされたりした社員が救われません。

 

人事管理と一体となったこの「日本型目標管理制度」が企業を強化するように機能しなかった(逆に企業を弱体化させた)ことは経営者自身の考え方、つまり 『総人件費の削減・生産性向上・国際競争力の強化をこの制度だけで実現しようとした安易さ』 が原因です。ですから、これは企業のジレンマというよりも、経営者が自縄自縛(じじょうじばく)状態に陥(おちい)ったのです。経営者にとってはジレンマと感じられたかもしれませんが、客観的に見れば不適切な選択(都合の良い点だけをつまみ食い)をしたことによる失敗と位置付けるべきで、古い格言にある 『角を矯(た)めて牛を殺す』(小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうたとえ)を経営者は肝(きも)に銘(めい)じるべきでしょう。

 

経済のグローバル化が進展する現在、私は日本企業も「目標管理制度」を上手く活用することは必要不可欠だと考えています。ちなみに、この制度がうまく機能しているとされる3割程度の日本企業は、「目標管理」の結果だけではなく、「プロセス評価」を加味して人事管理制度と柔軟に結び付けているようです。

 

                            ☆

 

今回は個人レベルのジレンマには触れませんでしたが、個人の場合は本人の考え方だけでジレンマを解消する(あるいはジレンマを生じさせない)ことができることは、上述した多くの事例を通してお分かりいただけたのではないかと思います。

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