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2015年9月

2015年9月29日 (火)

日経平均株価の動向(フォローアップ)

今日(929)、日経平均株価は前日終値から712円急落(前日比▼4%)17000円を割り込んだ16,938.27(今年1月以来の最安値)で引けました。これは、中国の経済不安とアメリカの株安に影響されたと思われます。823日付けの関連記事「株価の先行き」で紹介した経済アナリストの下値予測「18,500円またはそれ以下」を大きく下回る水準です。

先週(924)安部首相が発表したアベノミクス第2弾、強い経済・子育て支援・社会保障の「新三本の矢」はいずれも総花的で具体性に乏しいものでした。しかも、矢(政策・施策)というよりも的(まと、目標・期待)であり、経済の成長戦略が腰折れ状態に陥ったアベノミクス第1弾はなかったことにして、来年の参議院議員選挙を有利に(逆風を回避)する目的で目先を変えただけですから、市場の評価はわずか数日間で「掛け声倒れ」(スローガンに終わりそう)とするものが有力になりつつあるようです。ちなみに、第2弾が発表された24日から日経平均株価が上昇することもなく横ばいで推移し、29日には強い下げ圧力によって株価は一気に押し下げられ、アベノミクス第2弾には株価を下支えする力(市場の期待感)がないことが示されてしまいました。
 

一方、アメリカの中央銀行であるFRB(連邦準備制度)9月のFMOC(連邦公開市場委員会)でアメリカ経済が比較的良好であるにもかかわらず、中国経済の混乱など外的要因を考慮して利率を据え置くこと(引き上げない)を決定すると同時に、イエレン議長は12月の利上げ可能性を示唆しました。
 

しかし、6月に続く今回の慎重な判断は、利上げのタイミングを失うリスクを高めてもいるのです。そして、中国をはじめとする新興国の経済状況が3か月後の12月までに目に見えて改善しなければ、年内に利上げをすることが不可能になるかもしれません。その場合、日本にとってはさらなる円高基調と軟調な株価水準が継続することになります。
 

そのほかにもマイナス要因があります。急に降って湧いたような独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)の排気ガス(NOx)不正対策の影響が日本の自動車メーカーに波及するのではないかとの見方から自動車関連の銘柄も現在売られて日経平均株価を押し下げています。
 

さらに、114日に予定される郵貯関連(日本郵政・ゆうちょ銀行・かんぽ生命保険)の新規株式上場(IPO)も手持ち株式の売却を誘引することになりますから、日経平均株価にはマイナス要因になります。ちなみに、新規上場株に注目している方はバブル期(1987)NTT株上場時の株価乱高下を思い起こす必要があると思います。老婆心ながら!
 

日経平均株価に対する唯一のプラス要因は「円安ドル高」です。上記したようにFRBが利上げを決定するまで日経平均株価は弱含みで推移する可能性が高いのですが、3年前の9000円水準の株価から急上昇して今年8月にピークで21,000円弱の株か(2.3倍に上昇)を記録した振れ幅(12,000)から判断して、半値(50%)戻しの15,00016,000円が当面の底値水準だと考えるのが妥当でしょう。事実、複数の経済アナリストが16,000あるいは16,500円を底値だと予測しています。いずれの予測も「当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦」ですが。
 

注、上記はあくまでも円ベースでの日経平均株価の推移であり、ドルベースに換算すると140ドルから170ドルへと約20%上昇しただけにすぎません。日本の株式市場で約60%の取引シェアを占める海外の投資家(投資会社)から見た日本の株式水準を理解しておく必要があります。

2015年9月23日 (水)

フォルクスワーゲンの不祥事

連休を利用して京都方面へ出かけている間に海外から大事件のニュースが飛び込んできました。『ドイツを代表する自動車メーカーのフォルクスワーゲンは9月22日に排ガス試験の不正問題を認めた。その対象は同社の主力車種であるゴルフ、ビートル、ジェッタ、バサート、および傘下の独アウディA3の5車種に搭載されたディーゼルエンジン「EA 189」。これまで全世界で約1100万台が販売されている』というものです。
 
この問題は米環境保護局(EPA)が9月18日、フォルクスワーゲンのディーゼル車で排ガス試験の時だけ排ガス量を減らす違法なソフトウェアが使われていたと発表して発覚しました。不正対象車が実際に走行した時の窒素酸化物(NOx)の量は基準値の10~40倍であるといわれ、リコール対象車はアメリカ市場で2009~2015年に販売された48万2000台であるといわれています。
 
この数年、欧州市場を中心に廃棄ガス中のNOxを減らすクリーンディーゼル技術が注目され、もともと燃費が良いとして欧州で人気があったディーゼル車は新車販売の比率が50%を超えるシェアを占めているのです。
 
しかし、欧米を中心に世界の主要市場では規制が厳しくなったことから、自動車メーカーはさらなる対応をせまられていました。対応策の一つはハイブリッド・エンジン化で、欧州の主要メーカーは今年から日本市場にハイブリッド・ディーゼル車を投入し始めたばかりでした。
 
欧州連合(EU)の最新の排気ガス「ユーロ6」の対応車種では不正はなかったとフォルクスワーゲンが発表の中で述べていることから推察すると、もっとも厳しい排気ガス規制がある(したがってガソリン車が圧倒的に多い)アメリカ市場でディーゼル車を普及(つまり自社のシェアアップ)させようとしたビジネス戦略が背景にあった可能性が考えられます。
 
ちなみに、フォルクスワーゲンのアメリカ市場におけるシェアは2%代で、14%代のトヨタはおろか、4%代の韓国・ヒュンダイ(現代)自動車よりも低いのです。一方、成長が著しかった中国市場(;環境問題でディーゼル車は規制されていため普及率は極めて低い)からは自社売り上げの約40%を獲得する勝ち組トップでしたが、今年に入って同市場の需要が激減したため逆風の前面に立たされています。これは経営判断を誤った当然の帰結と言えるでしょう。
 
しかし、ガソリンエンジンよりも高圧(高温)で燃料を燃焼させるディーゼルエンジンはNOxを生成しやすいため、燃焼ブロセスにおける複雑な制御だけではNOx削減には不十分で、より高度な後処理技術(つまり排気再循環やNOx還元触媒などの高価な排ガス処理装備)が不可欠です。このため、ガソリンが安価なアメリカでディーゼルエンジン車はコスト面で大きなハンディキャップがあるのです。
 
この不正問題は販売台数のトップのざをトヨタと争うフォルクスワーゲンにとって計り知れません。全世界でのリコール費用(65億ユーロ、約8700億円)を7~9月期に計上することと米国での制裁金(最大180億ドル、約2兆1600億円)が予想されることから財政面の影響が大きいことが判明しました。さらに、アメリカ以外の国(ドイツ、イタリア、韓国など)が調査を開始したことで、世界の主要市場への拡大と長期化が懸念されます。
 
本件の深刻な影響はフォルクスワーゲンだけにとどまらず、ダイムラーやBMWなどのドイツ自動車メーカーおよびプジョーシトロエングループ、ルノーなどフランスの自動車メーカーにも波紋を広げています。具体的には、独仏の自動車株だけではなくアメリカのGMやフォードの株も事件が報道された直後に大幅な下落をみせました。
 
さらには、クリーンディーゼル車だけではなく、フォルクスワーゲンのイメージにダメージを与え、問題が独自動車業界全体への拡大し、長期化する恐れが出てきたといえます。また、欧州におけるクリーンジーゼル車人気に翳(かげ)りが見られかもしれません。当面はこの問題から目が離せません。

2015年9月18日 (金)

「人生の目的」を考える

家族、地域社会、学校における日本の若者の満足度が主要国で最低水準であるとの調査結果が、この数年に行われた各種調査、例えば「第8回世界青年意識調査」(平成21年)、”Satisfaction with Country's Direction 2013”(2013年度 国の方向性に対する満足度、39か国中18番目)、国連の「世界幸福度報告書2013」(45か国中43位)、“ISSP(International Social Survey Programme)”(2005年職業意識調査、32か国中28位)などで明らかにされたことが以前から気に掛かっていました。欧米先進国はもちろん発展途上国に比べても悪い結果なのです。

 

最近の別の調査(内閣府による「平成25年度 我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」と「平成26年版子ども・若者白書」など)では、日本人の若者が海外の若者と比較して価値観が大きく異なることが明らかになっています。比較対象であるアメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・スウェーデンの5か国よりも(最下位の韓国に次いで)日本の若者には、「就職」「仕事」「自分の将来」について不安を覚える意見が多い(多くの悩みを有している)そうです。ちなみに、欧米諸国の中では、意外にもフランスが「政治や社会」の悩みを持つ割合が高いことにより、トータルでは韓国や日本と同様に、高い割合で「不安や悩み」を抱えているとのこと。

 

具体的には、日本の若者は、『「政治や社会」において他国と比べて政策決定に自らが関与することは望まない』と考え、『何をすれば良いのか戸惑っている状態である』そうです。また、「家族」「異性との交際」では、不安を抱いているため、気が付いてみれば孤立と疎外感(そがいかん)を生んでいるようです。つまり、人との関係性において「不安や悩み」を抱えているのです。調査結果の分析によると、日本の若者は他国の若者に比べて、内向的・マイナス思考的な項目で他国と比べて高い値(ポジティブな考え方が苦手な)傾向が出ており、「自分が他人に役立つ存在である」と認識することで、初めて自分の満足・充足感を得る傾向が強いと同調査報告書は分析しています。

 

今回のブログ記事は、その背景に経済情勢と雇用環境の大きな変化があったとの視点に立ち、この20年の日本経済の推移を振り返った上、若者にとっての「人生の目的」について私見を述べたいと思います。

 

                           ☆

 

まず、バブル経済の崩壊後、経済的な停滞(あるいは衰退)が20年以上続きましたが、その間に日本人の考えが変わってしまったように思われます。かなり古い話ですが、明治時代には「末は博士か大臣か」に象徴され、軍国主義が日本を覆(おお)った戦前は「軍人さんになりたい」であり、戦後は高度経済成長政策(1954-1973年)に組み込まれた若者が豊かな生活を求めて集団就職で大都会を目指しました。貧しさから脱出したいとの切実な気持ちがあったと思います。団塊の世代である私もその時代の後期に就職のため上京した一人でした。

 

1980年代には「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」(1979年の社会学者エボラ・ヴォーゲル著作)に象徴される日本の絶頂期でした。若者たちは豊かさに酔いしれ、年配者は戦中戦後の貧しさから豊かさの高みに上った感慨に耽(ふけ)りながら、その好ましい状況が未来永劫(えいごう)続くと考えた(あるいは疑うことはなかった)のです。そして1990年頃に明治時代から信奉(しんぽう)されてきた土地神話が突然崩壊し、土地を所有することが資産価値を増大させるとの考えが幻想であったことを思い知らされたのです。いわゆるバブル景気の崩壊(1991-1993年)です。その引き金となったとされるのが1985年の「プラザ合意」。ドル高による貿易赤字を解消したいアメリカが主要国と協調して為替介入を行いました。このため急な円高が状態になって、それまで1ドル240円前後であった為替レートが1ドル120円近くに急騰したのです。

 

これに対処しようと日本政府は国内需要を喚起する政策を実行したため、株式相場と土地価格が急騰して、金融機関の貸し出しが急増、企業や個人の投資が拍車をかけました。海外の投資家も魅力的な投資先として日本を選び、「地上げ」と言う言葉が流行したのもこの頃です。そして、実態経済に裏付けされないバブル経済は一気に収縮過程に入る「バブル崩壊」が待っていたのです。しかし幻影に惑わされた人々はそれに気づかず「茹(ゆ)でガエル」となって行ったのですが、大手銀行と住専(住宅金融専門会社)の破綻(はたん)で人々も夢から現実に引き戻されました。そして失われた20年以上が経過した今日までその後遺症が続いています。

 

こうして、終戦時の衝撃に近いショックを日本人が受けたのです。貧しい時代を経験した年配者には戸惑いながらも受け入れる力があったと思いますが、若者たちは突然崖から突き落とされたような衝撃を受けただけでなく、価値観の喪失(そうしつ)、自己責任論の浮上、そして就職氷河期と所得格差が追い打ちを掛けました。以上、長々と戦後の日本経済の盛衰を述べましたが、「失われた20年」とそれにともなう「家族の崩壊」や「人と人の絆(きずな)が消失」した社会の変質が若者の考え方に大きな影響を与えたことは、ここでは具体的に説明しませんが、論を待たないでしょう。

 

                           ☆

 

さて大上段に構えたタイトル「人生の目的」の本題に入ります。結論から言えば『人生に目的はない』と私は考えています。と言うと、『タイトルに偽りがある』、あるいは『暴論すぎて話にならない』と思われた読者がいらっしゃるかもしれません。そこで、もう少し分かりやすい言い方に変えると、『人生の最終目的は次の世代にバトンタッチして幸せに死ぬこと』だと私は信じているのです。それ以外のことはその時々に達成したい目標、つまり「街道筋の一里塚」、あるいは「富士山の何合目を示す標識」のようなものだと考えるのです。

 

そうは言っても、どうしても具体的な目的に拘(こだわ)りたい人がいらっしゃるかもしれません。たとえば、多くの家族に囲まれて惜しまれながら死にたいと願う人は、幸福な大家族を築く方法を考えるべきです。有り余るお金に囲まれて死にたい人は、金儲(かねもう)けの方法を考える必要があります。長生きをしたい人は、健康に留意して、定期的に人間ドックを受診し、もし異常が見つかれば早期治療に心掛けるべきでしょう。出世して盛大な社葬を挙げてもらいたい人は、組織内の競争に打ち勝つ(時にはライバルを蹴落とす)テクニックを磨(みが)くと良いでしょう。

 

しかし、20歳前後で社会へ出る若者にとって、寿命を迎えるであろう60年後に向けて「人生の目的」を設定することは、天啓(てんけい)を受けた人を除けば、とても難しいことだと思います。その対極の方法は、『今、自分に何ができるかを絶えず考えて実践しながら、さらにその先のことを考えるやり方』です。とにかく次の一里塚(次の目標)まで歩こうと考えて、そのために必要な努力を積み重ねるのです。

 

「やりたいことが見つけられない」とか、「自分探しをしたい」とか主張する若者を見かけます。「やりたいこと」や「自分を探すこと」は、「青い鳥を探すこと」と同じで、無益なことだと私は思います。「自分へのご褒美(ほうび)に何かを買う」というのも自分に拘(こだ)わりすぎる考え、つまり自己愛に基づく行動と言えそうです。私にはこれらの人が「人生の目的」どころか、「当面の目標」すら持っていないことへの言い訳をしているように聞こえてしまいます。あるいは、自分の能力や適性を考えないで、『何か遣(や)り甲斐(やりがい)のあることが必ずあるはずだ』と高望みしているのかもしれません。

 

少し乱暴ですがこの考え方をゴルファーの心理に置き換えると、ショートホール(パー3)で絶えずホールインワンを狙う、あるいはミドルやロングホールでは他のプレーヤーの飛距離をいつもオーバードライブしようとする勇敢(身の程知らず)なアマチュア・ゴルファーに有り勝ちな考えといえるでしょう。つまり、幼児期全能感(注;どんなことでもできると思う子供の錯覚)から脱皮できないため、自らの現有能力を過大評価し、向上心に欠ける場合が多いと思います。私は「努力するプロセス」と「小さな達成感」の中から次の目標が見えてくると考えています。さらに言えば、『努力することが幸運を呼び込むと信じている』、と表現できるかもしれません。

 

たとえ、その努力がすぐ目に見える成果を生まなくても、いつの日か役立つことが多いものです。出来ることから一つずつ努力してみませんか。それも明日からと言わないで今すぐに。ちなみに、私のモットーは、『あわてる乞食(こじき)はもらいが少ない』や「急(せ)いてはことを仕損じる』ではなく、『善は急げ』と『思い立ったが吉日』なのです。

 

最後に、親鸞(しんらん)聖人の言葉を紹介しましょう。それは、『万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、「よくぞこの世に生まれたものぞ」の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ』です。そして作家の五木寛之氏は『人生の目的は「自分の人生の目的」を探すことである』と語っています。

2015年9月14日 (月)

カセットテープ音源のデジタル化

Dscf5464引き出しの奥から懐かしいカセットテープが3本出てきました。古いものは40年以上、新しいものでも20年近くが経過している骨董品です。わが家ではビデオテープやアナログレコード(EP盤)のデジタル化は完了しているはずでしたが・・・。ちなみに、アナログレコードのLP盤は現在もレコードプレーヤーで再生して聞いて楽しんでいますからデジタル化は無用です。

 

アナログ音源のデジタル化はパソコンを使えば容易に行うことができます。音声入力端子を使えばWindows OSに標準装備されている(アクセサリーファイルに入っている)サウンドレコーダー・ソフトを使えば簡単にできるのです。ただし、簡単なソフトであるため音量の調整は目分量(手さぐり)で行う必要があり、しかも録音後の編集もできませんから、かなり苦労したことを覚えています。ちなみに、パソコンによってはマイクとラインの切り替え設定をする必要がある場合があります。

Dscf5466大量にアナログ/デジタル変換作業をした経験がありますから、3巻のカセットテープくらいは「お茶の子さいさい」です。さっそく、同居者のラジカセ(25年ほど前にアメリカで購入したソニー製)を借りてカセットテープの録音状態を確認しようとしましたが、カセットテープを入れて"PLAY"(再生)ボタンを押しても反応がないのです。テープを入れ替えてもリールが回転しません。カセットテープレコーダー部の駆動系がいつの間にか故障していたようです。ラジカセが駄目ならソニー製カセット・ウオークマン(お気に入りのカセットケースサイズ)とアイワ製小型カセットレテープレコーダーがあるはずでしたが・・。

 

ここでやっと思い出しました。ラジカセがあれば必要ないと判断して、他の電子機器(CDウォークマン、ポータブルMDプレーヤー、古い携帯電話など)と一緒にかなり前に廃却していたのです。

Dscf5468後悔しても始まりませんから対応策を考えることに。今さら普通のカセットテープレコーダーを購入するのも気が進みませんから、USB端子付き(アナログ/デジタル変換機能付き)のカセットテープレコーダーを購入することにしました。価格が一番安いものは3,000円以下ですが、長年愛用している太陽電池付きテスター(PS-8)と同じサンワ製の「カセットテープ MP3変換プレーヤー 400-MEDI002」(3,480円)をAmazonで購入しました。

 

Amazonから送られてきたのは例によって大きなダンボール箱ですが、その中から出てきたのは手のひらに載せることことができる小さなボール紙の箱でした。その中には、本体・USBコード・ソフトウェアが入った小さなディスク、そして簡単な説明書が入っています。まず、説明書に一通り目を通したあと、パソコンに専用ソフトをインストールして必要な設定を行い、本体とパソコンをUSBコード(Type A/Mini-Bコネクター)で接続すれば準備完了です。あとは、カセットテープをセットして本体のプレーボタンを押し、パソコン上の操作画面にある録音ボタンをクリックすれば、カセットテープの再生とアナログ音のデジタル化が始まります。

Dscf5473もう少し詳しく説明します。本体にはオートリバース機能がありますから、カセットテープを裏返す必要がないのは便利です。また、パソコン画面上で事前に行う設定は、言語の選択、録音ファイル形式(mp3/WMA/WAV)の選択、無音レベルの調整、ファイルの記録先(ファイル)の指定、ファイル番号とトラック番号などです。私はWindows PCで使いやすいWAV形式および記録先としてiTunes Mediaを選びました。音量調整を手探りで行わなければならないサウンドレコーダー・ソフトに比べると、本ソフトはカセットテープを再生して、波形の振幅と左右のバランスを確認しながら行えますのでとても便利です。
 
Dscf5477唯一、戸惑ったことは録音/停止/消音/一時休止のボタンを押したあと、どのボタンが押されているかが表示されない(色の変化などがない)ことです。しかし、不親切だと思いながら操作していて気づきました。カーソルを各ボタンの上に移動する、と押した牡丹だけは変化がありませんが、他のボタンは緑色の縁取りが現れた、操作可能であることを示してくれるのです。私は押した牡丹をカラー表示するべきだと思うのですが・・。
 

 

さらに重箱の隅を突くようなコメントをもう一つ。入力がない(無音)時にモーターが発する雑音と思われる周期的なクリック音が出ることも気になりました。しかし、カセットテープのヒスノイズ(磁気テープに固有な雑音)より低レベルですから、実害はないと思います。もう1点、専用ソフトウェアには編集機能は含まれていませんので、他のフリー・ソフトウェアで編集を行いました。

 

Dscf5480不要部分のカット(トリミング)、圧縮(データレートの低減、サンプリングレートの変更))、エフェクト(フェードイン/フェードアウト/最適レベルに正規化/ノイズやヒスを削除/ピッチ変更/ボイスチェンジ/クリーンアップ)など、かなり複雑なことができる優(すぐ)れものです。特に、ノイズ削減は効果絶大で、処理の前後を比較すると、その効果は歴然です。また、編集したあとでも、元に戻す機能があってとても便利なのです。  

 

今回はパソコン内にファイルとして保存する目的のため、WAVデータの圧縮はしていませんので60分当り、400~580Mでした。したがって、60分のファイルはそのままCD一枚に収まりますが、90分のファイルは軽く圧縮すれば同様にCDにコピーすることができます。また、スマートフォンなどの端末に入れるにはmp3形式に変換すればよいでしょう。参考として、3つのファイルの冒頭部分を添付します。(注; ココログの制約条件である最大1MBに収めるためサンプリングレートを大幅に低減してデータを圧縮してあります。 
 
<添付音声ファイル> THE ROYAL WEDDING正信偈(しょうしんげ)結婚式
 

 

注)「正信偈」は親鸞聖人が書かれた教えである「教行信証」をコンパクト(840字)にまとめた念仏で、浄土真宗では阿弥陀如来の徳を讃(たた)える七五調の詩(うた)「和賛(わさん)」とともに最も多く唱えられますが、いずれもほんらい厳密に言えばお経ではありません。ちなみに、浄土真宗の重要なお経ば、阿弥陀仏のことを集中的に説いた浄土三部経である「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)」「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」「阿弥陀経(あみだきょう)」の三つを指すようです。

 

以上の評価結果をまとめると、今回購入した「カセットテープ MP3変換プレーヤー」は安価ですが、期待した通りの実力を備える優(すぐ)れた製品でした。

2015年9月 9日 (水)

湘南散策ドライブ(最終回) 「平塚漁港の食堂」と「須加漁港」

午前11時半近くになりましので、旧吉田邸の駐車場を出て国道1号を平塚市方面へ走りました。大磯駅入口交差点で国道134号に入り、相模川を超えた柳島交差点でUターンし、相模川をもう一度渡った信号のない場所から海寄りの路地へ。次の目的地は、平塚漁港のすぐ近くにある、その名も「平塚漁港の食堂」、昨年(2014年)4月にオープンしたばかりの魚料理専門店です。 平塚漁協が自らの知名度の向上と低利用魚の付加価値を高めるために、地元企業のロコロジの協力を得て、共同で始めた事業とのこと。
 
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店舗の場所を確認したあと、店先の案内図にしたがって駐車場(20台収容可)へ向かうと、正午になる前というのに人の波が店舗へ向かって移動しているのです。かなりの人気店のようで期待できそう。幸運にもスペースが1か所残っていました。
 
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150mほど戻った場所にある店舗内の待合所には大勢の人たちが・・。ファミレスや回転寿司店のように名前と人数を店のスタッフへ申し出て待つシステムでした。この日は団体客が入っているため、待ち時間は30分から1時間だと告げられました。ホームページには「電話で予約できる」と書いてあったことを思いだしました。やはり、予約をするべきでした。ちなみに、スタッフによると電話による予約は当日の午前9時から受け付けているそうです。
 
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店舗は盛り土された国道134号に接するように建てられているため、入口が1階と2階の2か所。1階が客席と厨房で、2階に待合所が配置されているため、待合所から店内を見渡すことができます。店内にはジャスがBGMとして流れて、洒落(しゃれ)た雰囲気。
 
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待つこと約45分、階段を下りた一階の客席へ案内されました。
 
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同行者は心積もりしていた「食べつくし膳」(1680)が団体客の爆食で売り切れていたため、「須賀地魚ひつまぶし膳」(1580)を、私は「刺身膳」(1480)を選びました。「朝どれ生しらす」(400)も魅力ですが、この日の朝は海が時化(しけ)たため、メニューから外されていました。

 

「須賀地魚ひつまぶし膳」(魚の蒲焼と切り身などが入った酢飯・魚のメンチカツ・刺身の小鉢・ナスとシラス・みそ汁・漬物・出汁)と「刺身膳」(刺身・魚のメンチカツ・ナスとシラス・ご飯・みそ汁・漬物)はいずれも期待した通りの美味しさで、この店が人気を集めることに納得。刺身は完食しましたが、メンチカツは持ち帰り(ドギーバッグ)にしてもらいました。退店した午後1時半にも待合所は人でいっぱいでした。
 
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ただひとつ気になったことは、予約客と飛び込み客への対応がスマート(スムーズ)でないことです。人気店であるため絶えず多くの来客があるのですが、飛び込み客はどうチェックインすればよいのか分かりにくく、特に年配者はまごついていていました。それに加えて、1階と2階の2か所に入り口があるにもかかわらず、一人のスタッフが両方の入口で一括して(交互に)受付していることも混乱につながっているようです。

 

すぐ近くにある相模湾に面した2000年にオープンした平塚新港フィシャリーナへ向かいました。しかし、船舶の係留施設と遊漁船桟橋、そして漁港施設があるだけであり、関係者以外の車は進入禁止でした。それではと、国道135号の反対側(相模川沿い)にある須賀(すか)漁港(平塚漁港)と片倉ボートアリーナへ回ってみることに。その頃には青空が覗き始めていました。下の写真は相模川に設置されている片倉ボートアリーナで、遠方に見えるのは東海道本線と国道1号の鉄橋です。
 
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堤防から伸びる歩道橋で見た須賀漁港(平塚漁港)です。ちなみに、「須賀」とは砂浜を意味する言葉で、横須賀などの地名によく見られる名称。
 
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堤防を少し南へ歩いたところにある「相州須加湊の碑」
 
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そして、その先には小さな社(やしろ)と須賀漁港(平塚漁港)の入り口がありました。さらに遠方には先ほど通過した国道134号のトラスコ湘南大橋を望むこともできます。ちなみに、右手は須加漁港(平塚漁港)。
 
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川に面して平塚八景「湘南潮来」の石碑もありました。案内看板には、『相模川の河口は海抜以下で海水が逆流し、満々と水をたたえていて、景観が水郷潮来)いたこに似ているので、湘南潮来と名づけられた』と説明されています。
 
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相模川の対岸に大きな白いアーチを見つけました。ひょっとすると、新国立競技場の基本計画に関する国際デザイン・コンクールで一旦は選ばれた女性建築家、ザハ・ハディド氏が提案したキールアーチ? このアーチに興味を持った私は、その近くで確認するため、さっそく対岸へ向かうことにしました。
 
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県道129号と国道1号、そして県道46号を経由して、すぐ近くまで行くことができました。それは新湘南バイパスの茅ヶ崎海岸IC近くの小出川に架かる橋「湘南ベルブリッジ」を支える梁(はり)の役割をする構造物でした。アーチの上部に取り付けられた4本のケーブルで橋桁(はしげた)が吊り下げられ、アーチの下部も橋桁と繋(つな)がっている不思議な構造(ニール・ローゼ橋の一種)です。ちなみに、新湘南バイパスは藤沢ICと茅ヶ崎海岸を結ぶ有料道路で、国道1号のバイパスとしての機能を持っています。また、藤沢ICと茅ヶ崎JCTの間は圏央道(首都圏中央自動車連絡道)の一部になっています。将来は大磯まで延伸して西湘バイパスと接続する計画があるようです。写真は北側から撮影した「湘南ベルブリッジ」。
 
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南側(茅ヶ崎海岸IC側)から見た「湘南ベルブリッジ」
   
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県道46号を北上して茅ヶ崎市から寒川町を抜けて海老名市で県道51号から国道246号に入りました。寄り道をしたため予定より1時間あまり遅れましたが、午後4時半ごろには帰宅できました。 

 

<同行者のコメント> 秋雨が降るなかを広い公園に出かけるのはいかにも旦那様らしいと思いました。念のため「どうして?」で聞くと、「雨の日は空いているから」との言葉が返ってきましたが、空いているどころか貸切り状態でしたよ! でも、今回は平塚で魚料理を食べると聞いていましたから、そちらを楽しみにしていました。立ち寄った「平塚漁港の食堂」では、混雑のため待たされましたが、美味しい昼食が食べられたことで大満足でした。それに、早めに帰宅できたこともよかったです。ところで、自称「晴れ男」さん、神通力が弱って来たようですね。(終)

2015年9月 8日 (火)

湘南散策ドライブ 大磯城山公園・旧吉田茂邸地区

国道1号に出て二宮町方面へ50mほど戻り、「大磯城山公園・旧吉田茂邸地区」の青い案内標識がある駐車場に車を停めました。「旧三井別邸地区」と国道1号を挟む位置にあります。
 
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今から30年ほど前、子供たちがまだ小さかったころに一度訪れたことがある場所ですが、当時の駐車場はこんなに立派ではなかったと思います。
 
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大磯城山公園のhpには「旧吉田茂邸地区」について、以下の説明が掲載されています。

 

旧吉田茂邸は、明治17年に吉田茂の養父健三が別荘として建てたもので、吉田茂が昭和19年頃から、その生涯を閉じる昭和42年までを過ごした邸宅です。政界引退後も多くの政治家が「大磯参り」を行い、また、元西独首相アデナウアー氏や、当時の皇太子殿下(今上天皇)と同妃殿下などの国内外の要人が招かれました。吉田茂没後には、大平首相とカーター大統領の日米首脳会談が実施されるなど近代政治の表舞台としても利用されました。

 

豪壮数奇屋建築風の総檜造りの本邸は、建築家吉田五十八の設計のもと、京都の宮大工により建設されました。日本庭園は、世界的作庭家中島健が設計したもので、本邸周辺部分は、日本庭園研究家の久恒秀治によって造られました。

 

吉田茂がよく散歩をしていたといわれる庭は、心字池や築山のある日本庭園、松林、バラ園、サンルームがあり、その日本庭園にはあまり用いられないカナリーヤシが植えられるなど、海外赴任生活の長かった吉田茂の嗜好の多様性、様式にとらわれない人間性が色濃く反映された庭園となっています。

 

                           

 

駐車場から左手の階段を上がると、国道1号に面した正門から続く砂利が敷かれたエントランス道へ出ました。
 
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右手にバラ園があります。
 
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砂利道をさらに進むと兜門(かぶともん)がありました。『サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられた門で、別名「講和条約門」とも言われています。軒先に曲線状の切り欠きがあり、兜の形に似ていることから「兜門」とも呼ばれます。京都の裏千家の兜門と同じ製作者を京都から呼び寄せて造られ、昭和29年に完成しました。屋根は「檜皮葺き」という、伝統的技法が用いられており、焼失を免れた内門は貴重な建築物です』(大磯城山公園のhpより)
 
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門を抜けると、芝生の遊歩道が一直線に伸びていました。前方には大磯らしく、南国を感じさせる植栽(しょくさい)が見事です。
 
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『昭和36年頃に完成した日本庭園は、中心となる心字池を邸宅の正面に配置した、池泉回遊式の庭園です。庭園設計者である中島健は、数奇屋建築の本邸との調和や花を愛した吉田茂の嗜好をふまえ、さまざまな草花やツツジ類、ウメなどを多く取り入れ、色彩豊かな庭造りをおこなったと考えられます』(同上)
 
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吉田茂氏が1967年(昭和42年)に生涯を閉じるまで過ごした吉田茂邸は、2009年(平成21年)に消失しましたが、再建工事が現在行われています。
 
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工事用保護フェンスには当時の吉田茂邸の写真がありますが、私の記憶は定かではありません。
 
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工事の様子を別の角度から見るため日本庭園の先に伸びる長い散策路を歩きました。
 
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真新しい材木が使われた建物が一層強く降り始めた雨に濡れています。
 
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散策路はその先で通行止めになっているようですから引き返すことに。その途中、木立の中に見え隠れする建物があります。
 
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そこで、日本庭園の心字池近くを経由して、坂道を上がると正面に七賢堂がありました。
 
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『七賢堂は明治36年に伊藤博文が明治維新の元勲のうちの岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允の4人を祀った四賢堂を自身の邸宅「滄浪閣」に建てたものでした。伊藤博文の死後、婦人により伊藤博文を加えた5人が祀られ、「五賢堂」となりました。昭和35年に吉田茂邸に移設され、昭和37年に吉田茂が西園寺公望を合祀し、吉田茂の死後、昭和43年に佐藤栄作の名によって吉田茂が合祀され、「七賢堂」となりました。兜門やサンルームとともに、焼失を免れ、旧吉田茂邸の歴史を感じさせる貴重な建築物です。正面の扁額「七賢堂」の文字は、佐藤栄作元首相が書いたものです』(同上)
 
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今回は時間の関係で立ち寄りませんでしたが、七賢堂の先に吉田茂の銅像があるようです。大磯城山公園のhpには、『昭和58年に「吉田茂、澤田美喜両先生顕彰建立委員会」によって建立されたもので、日米講和条約締結の地、サンフランシスコと首都ワシントンの方角に顔を向けているといわれています。ちなみに、銅像付近からは眺望が良く、富士山、伊豆半島、相模湾、房総半島などが一望できる』と説明されています。(続く)

2015年9月 7日 (月)

湘南散策ドライブ 大磯城山公園・旧三井別邸地区(後編)

「国府(こう)の橋」は緑に囲まれた園路散策でのビューポイントになっていて、「小淘)綾(こゆるぎ)ノ滝」を見下ろすことができるそうですが、この日は・・。
 
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この場所には「通運橋」が架かっていたそうです。
 
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法雲堂跡
 
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『法雲堂は、主として薬師寺の古材が使用されており、「スイセンほろば」周辺の建物の中では最も遅く完成した建物で、そのまま残された台座の上に四阿が設置され、江の島と三浦半島を眺望する初日の出スポットと親しまれている』と説明されています。
 
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ひかりの広場
 
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「ひかり広場」の奥に正八角形をした東屋(あずまや)風の休憩所が見えました。当時の大圓亭(だいえんてい)の柱は京都今宮神社の鳥居柱を使い、鬼瓦は浅草寺の古材を使用していたとのこと。
 
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法雲堂の右手にある「法雲堂門」をくぐってみると、先は急な石段になっていました。
 
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広場の右手にと「六惑堂」の跡がありました。現在は外周礎石だけが残っています。ちなみに、柱は薬師寺鐘楼、その他は王福寺の古材を使用して、内部敷瓦は敷地内の城山窯で焼かれたとのこと。
 
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ひかり広場の脇を抜ける遊歩道
 
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広い空間にでました。ここにあった大雄殿は薬師寺にあった旧摩利支天堂を移築したものでしたが、昭和45年に解体され、滋賀県大津市にある覚性律庵に移築されたとのこと。
 
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遊歩道は幅がだんだん狭くなりました。
 
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ふれあい広場に出ました。デジカメのレンズが曇ったためか、ソフトフォーカス(実はピンボケ)の写真に・・。
 
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広場と対面する場所に大磯朝郷土資料館があります。
 
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この資料館は大磯周辺地域の歴史、風土、民俗を紹介しているようですが、この日は館内生理日のために休館でした。
 
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横穴古墳群の案内標識に従うことにしました。
 
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水たまりができた遊歩道をしばらく進むと木柵に囲まれた場所がありました。古墳時代後期の横穴古墳群です。横穴が3つ確認できました。
 
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急な傾斜地に木道が設置されていました。
 
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遊歩道を左手に折れると見たことがある場所に出ました。南門を入って最初に見かけた遊歩道の分岐点です。雨天で視界が良くありませんでしたが、迷わず大磯城山公園の旧三井別邸地区を巡ることができました。第一駐車場にある車の数からみて意外なことに、園内を散策する途中に出会った人は公園のスタッフが2人だけでした。他の人たちは、駐車場に車を置いて、どこへ行ってしまったのでしょうか?(続く)

2015年9月 6日 (日)

湘南散策ドライブ 大磯城山公園・旧三井別邸地区(前編)

久しぶりに湘南(しょうなん)へ出かけることにしました。といっても江ノ島や鎌倉ではありません。本来湘南と呼ばれていた相模川以西の大磯と平塚です。つまり、大磯町から平塚市にかけて存在する湘南平から見えるエリアが江戸時代から湘南と呼ばれるエリアだったのです。明治時代に入ると相模川以東の鵠沼などに多くの文化人が別荘を構えたため、湘南と呼ばれるエリアは相模湾沿岸全体へと広がったようです。ちなみに、湘南の地名は中国の景勝地である湖南省の湘江(しょうこう)に似ているとされたことによるそうです。

 

特に、昭和30年代から50年代にかけて加山雄三さんサザンオールスターズが爆発的な人気を集めたため、湘南が茅ヶ崎市(鵠沼)と藤沢市(江ノ島)から鎌倉と葉山へとその範囲を拡大したのです。さらに、1994年(平成6年)に相模ナンバーから分かれて湘南ナンバーが登場したため、湘南は神奈川県の西部(小田原や足柄市など)へも拡大しました。プチ薀蓄はここまでにして本題に入ります。

 

                        ☆

 

早朝の国道246号を西方へ走りました。東名高速道路を利用しても良いのですが、通行料が不要な一般道を走るのが好きなのです。厚木市の愛甲宮前交差点で左折して入った国道271号(小田原厚木道路)の側道(県道63号)を走りました。走り馴れた県道63号を順調に走っていると、急に雨が降り始めましたが、天気予報から小雨が時々降るのは覚悟しています。平塚ICを過ぎると金目川に行き当たった平塚東インター交差点を右折して県道62号へそれ、吾妻橋交差点を左折して再び入った県道63号(相模原大磯線、注;小田原厚木道路沿いの別線とは異なる本線)で大磯を目指しました。

 

国道1号に行当たって国府新宿交差点を左折して不動川を越えると、ほどなく城山(じょうやま)交差点に到着。鋭角に左折すると目の前に目的地がありました。大磯城山公園の旧三井別邸地区です。平日は無料で開放されている正面入口(南門)に近い第一駐車場に車を停めました。国道246号の」あちこちで自然渋滞があったため、予定より20分以上遅れて午前10時少し前になりました。ちなみに、東門付近には第二駐車場、北門には身障者専用駐車場があるようです。
 
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開園時間の午前9時半を30分弱過ぎただけですが、駐車場の三分の一くらいはすでに車が停まっていました。人気がある公園のようです。
 
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園内には多数の横穴古墳があり、山城(小磯城)が築かれていたこともあり、その掘割跡や鎌倉古道などが残されていました。明治31年(1898年)にこの土地に三井財閥当主が別荘を構え、庭園の整備がなされていき、全国の有名な古寺社の古材を用いて建てられた「城山荘」を始めとして、茶人として高名な織田有楽斎が建てた武家の気風を感じさせる国宝の茶室「如庵」や登窯などが点在していました。その後、荒廃した時期もありましたが、多くの人々の声を受け、県立大磯城山公園として、昭和62年(1987年)の部分開園を経て、平成2年(1990年)に全面開園しました。
 
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第一駐車場からで「あいの広場」(海抜14m)を抜け、坂道を登った南門の奥にある管理事務所で公園内の案内図をもらいました。
 
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南門がある場所には奈良の薬師寺と菅原寺、東京の浅草寺などの古材を用いて造られた中門(海合山)があったと説明されています。
 
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左に折れるヘアピンカーブの道を進むとカーブの先に右手に石段が現れてルートは二手に分かれています。右手に進めば「ひかりの広場」「ふれあい広場」「大磯町郷土資料館」の標識があります。
 
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左回りに園内を巡ることにして、「茶室・展望台」の標識がある左手の長い坂道を道なりに上がりました。
 
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再び右にカーブするヘアピンカーブのすぐ先(左手)に門がありました。茶室「城山庵」と表示されています。
 
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せっかく上った道から下りの石段と坂道が続き、ほぼ下りきった西門の近くに「城山庵」がありました。大磯城山公園のhpによると、「城山庵」は旧三井財閥別邸の一部として置かれていた国宝の茶室「如庵」を模して建てられた(平成2年3月落成)」。ちなみに、織田信長の弟の織田有楽斎が建てた茶室で、昭和47年に犬山城下御門先の有楽苑に移築された」そうです。営業中の看板がでていますが、早朝でもあり、抹茶の接待はスルーすることに。雨足が強くなり、写真に写るほどになりました。
 
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さらに先には北門に近い「もみじの広場」があるようですが立ち寄らず、元来た坂道を戻ると、「小淘)綾(こゆるぎ)ノ滝」がありました。雨が降っているというのに残念ながら水は流れ落ちていません。水がなられ落ちてくる高みには橋のようなものが見えます。
 
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気を取り直して坂道を上りました。小さな門まで戻ると、先の丘の上に展望台がありました。本館があった場所のようです。
 
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螺旋(らせん)状の坂道を上がって展望台に到着。展望台の上にあるのは風見鶏ではなく、城山荘本館にならった鶴でした。
 
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この日は小雨が降るあいにくの天気で、相模湾はほとんど見えません。晴れていれば、相模湾、大島、伊豆半島、真鶴半島、大磯町、二宮町、箱根連山、富士山が望めるようです。
 
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この展望台は「関東の富士見百景」に指定されていました。
 
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台の脇に「城山本館」(昭和9年に完成した4層の建物)がありましたが、昭和45年に解体され、京都に保存されていると説明されていました。
 
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「船のモニュメント」のようなものがあります。後方に小さな祠(ほこら)がありますから、補陀落渡海(ふだらくとかい)の渡海船でしょうか。
 
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展望台の反対側へ下りると「北蔵ギャラリー」がありました。「北蔵」は昭和16年に建てられたもので、現在はギャラリーとして一般開放しているようです。
 
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通雲門の脇の「こうの橋」の案内標識があります。
 
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(続く)

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