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2015年10月

2015年10月31日 (土)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 東山の「ゑびす神社」と岡崎のそば処「権太呂」

鴨川沿いの川端通りを北上し、松原通へと右折、さらに大和大路通りへと左折して100mほど進むと「ゑびす神社」(恵比須神社)に到着。境内に車2台分の駐車スペースがありました。建仁寺の南西にある塔頭寺院とは大和大路通りで隔(へだ)てられているだけの近さです。建仁寺(けんにんじ)に参拝した後に立ち寄るつもりでしたが、所要の時間が迫ったため、日を改めて参拝することにしたのです。
 
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ゑびす神社は鎌倉時代に栄西禅師が建仁寺の建立にあたってその鎮守として建仁2年(1202年)に建仁寺の境内に創建されますが、応仁の乱後、建仁寺の再建にあたって現在地に移したと伝えられるそうです。七福神のひとつ「ゑびす神」(八代言代主大神、やえことしろぬしのおおかみ)を祀っており、商売繁盛、家運隆盛で大衆の信仰を集めているそうです。西宮神社・大阪今宮神社と並んで「日本三大ゑびす」とされ、「京のえべっさん」と呼ばれているようです。

 

「恵比須神社」の額がある一の鳥居と波に浮かぶ3枚の柏葉の社紋 「三つ柏」が飾られた木製の二の鳥居を潜(くぐ)った右手に恵比寿像がありました。
 
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その奥にある「財布塚」と「名刺塚」は珍しい塚だと思います。「財布塚」の脇には松下幸之助の名前が見えます。そして、9月第4日曜日に開催される「名刺感謝祭」では出世して不用になった自分の名刺やいただいて不用になった相手の名刺を庭火で焚きあげていただけるのだそうです。
 
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三の鳥居にはゑびす様の福箕(ふくみ)がかかげられており、賽銭(さいせん)を投げてその中に入ると願いがかなうとされるそうです。正面に見えるのが「拝殿」です。
 
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拝殿の天井から吊り下げられた飾り物
 
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『拝殿の正面でお参りしてから、次に拝殿の左側にまわって、そこにある板を軽く叩いてお参りすると願いが叶(かな)う』といわれています。
 
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右手奥にある境内社の「小松天満宮」、なぜか天神様も祀られているのです。
 
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その左隣にある境内社の「白太夫社」(しらだゆう しゃ)は子宝祈願の信仰があるそうです。北野天満宮にも摂社である「白太夫社」があったと思います。調べると、『祭神は菅原道真公の守役を務めた「渡会春彦(わたらい はるひこ)翁」で、渡会春彦は若い頃より白髪であったため、人々から「白太夫」と呼ばれていたことに由来する』とのこと。菅原道真を祀る「小松天満宮」と菅原道真に縁がある人物を祀る「白太夫社」が並んでいることが印象に残りました。
 
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写真は左から順に「八幡神社」、「岩本稲荷大明神」、「猿田彦神社」です。ちなみに、「八幡神社」は宇佐神宮石清水八幡宮と同様に武運の神「八幡神」を祭神とする神社。「岩本稲荷大明神」は「稲荷神」を祀っており、その総本社は「伏見稲荷大社」(元々は渡来人秦氏の氏神)で、明治時代のはじめに松原通り沿いの地から現在の場所に移されたそうです。そして、「猿田彦神社」は天照大海の神の命令を受けて天孫降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の先導役を務めた猿田彦大神を祀っています。
 
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川端通りをさらに北上して川端二条交差点を右折、二条通りに入りました。二条通りを東進すると左手の岡崎公園の中を通る神宮道の奥に平安神宮の大鳥居が見えました。右手は京都市美術館です。

 

岡崎通りを越えると左手にそば處(処の異体字)権太呂」(ごんたろ)の看板が確認できました。店舗の東隣にある専用駐車場(12台のスペース)に車を停めました。門の入口脇に「京風うどんすき権太呂鍋」の垂れ幕がかかっています。
 
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反対側には写真入りのメニュー(お品書き)が
 
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明治43年創業(創業100年)という「権太呂」(岡崎店)の入口付近です。ちなみに、本店は四条(阪急河原町駅近く)にあるようです。
 
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自慢の「だし」を活かした麺料理を提供する「権太呂」の一階はテーブル席が中心ですが、我われは小上がりを選びました。老舗のお蕎麦屋の雰囲気が感じられます。正午を少し回っていましたが、それほど混雑していません。一階にはテラス席、2階には座敷があるようで総席数は104席と意外に多い。
 
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着席するとお茶とお絞りが出ました。私は「鴨(かも)南蛮そば」にも惹かれましたが、定番人気の「天ぷらそば御膳(温)」(1900円)を注文しました。海老天には、メキシコ産の天然ブラウン海老を使用しているそうです。天ぷら・出汁・そば・かやくご飯・胡麻豆腐(小鉢)はいずれもやや高めの価格に見合った上質なものでした。
 
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同行者は天ざるそば御膳(冷)(1950円)に満足したようです。
 
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いずれの御膳にもついている混ぜご飯(右)
 
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同行者は私が好きな「にしん(鰊)棒」(600円)を店先(店頭)で見つけて早速購入しました。
 
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次回は東山の南禅寺です。(続く)

2015年10月29日 (木)

iPhone 6sがわが家にやって来た日

秋の恒例行事として定着したiPhoneのバージョン・アップですが、今年はiPhone 6siPhone 6s plusが9月9日(アメリカ時間)に発表され、9月12日から予約受付、同じく25日に販売が開始されることになりました。大方の予想通りにこれまでの最新バージョンiPhone 6(4.7インチディスプレイ)とiPhone 6 plus(5.5インチディスプレイ)のマイナーチェンジです。アップル社によると、そのポイントはOSiOS9にバージョンアップされて画面分割のマルチタスクが可能になったことと、電源管理能力が向上し、ハードウェアが1200万画素の背面カメラ、プロセッサーの強化、3GBRAM(メモリー)、感圧式スクリーン、と本体の曲げ強度向上で強化され、全体として商品としての完成度がアップしたとのこと。

 

そして、ついにわが家にiPhone 6sがやって来ました。iPhone 4s(3.5インチディスプレイ)を使っている同居者が「画面が小さくて見難い」と口癖のように言うため、iPhone 6sへ機種変更することしました。私自身はiPhone 5(4インチディスプレイ)に十分満足しています。予約したiPhone 6sの色はもちろん新しく登場したローズゴールドで、記憶容量はiPhone 4sと同じ最小の16G。10月初旬に予約すると10日ほどで入荷したとの連絡が販売店(携帯電話会社のショップ)からありました。ショップを訪れる日を予約して受け取りに行くと、あれこれ説明と確認があり、40分ほど掛かって手続きが完了しました。商品販売における説明責任が重視されることに対応しているようです。

 

本体価格が10万円近くと高いことは承知していましたが、説明を聞いて驚いたのはiPhone 6sの基本料金がかなりアップすることです。超高速通信サービス(4G LTE)に対応していないiPhone 4sは旧来の3G(基本料金が安い)での契約だったことがその理由です。ちなみに、もう一台のiPhone 5はすでに4G LTEで契約しています。4G LTEでは、インターネットのデータはもちろん、音声通話も従来の3G品質より高音質な通話(VOLTEVoice over LTE)が対応する機種間で利用可能になります。つまり、音声品質では、高音域が3-4kHzから8kHzへと拡大して明瞭な音声になるようです。選んだ機種の仕様は購入価格を考えて最低レベルですが、大型ディスプレイに配慮してディスプレイ部にガラス製の保護フィルムを貼り付けてもらいました。破損対策になるとともに、指先のタッチが通常の保護フィルムよりもスムーズになったようです。

 

販売店ではSIMカードに電話番号など基本的な情報を入れてくれるだけです。したがって、通話は出来ますが、連絡先や各種アプリ、写真などはパソコンにバックアップしておいた情報をITunes経由でダウンロードする必要がありました。その操作は簡単で、それほど時間はかからず、無事に終了。面倒なのは、これまで使用していたiPhone 4Sからデータとアプリを消去する作業です。その理由はすこしでも月額料金を下げるためiPhone 4sを下取りに出すことにしたからなのです。写真とアプリの削除は根気のいる作業であり、あちこちのAppで使われている設定を解除するため、Apple IDとパスワードを何度も入力するのは結構面倒でした。最後に、デフォルトでインストールされているアプリのIDを「設定」「一般」「リセット」で消去すれば、すべての操作が完了しました。都合2時間近くかかったと思います。

 

以下は私の感想です。iPhone 4sと比べた一番の特徴はiPhone 6sのディスプレイの大きさと美しさです。やや丸みを帯びた外観のスマートさと、手に持った感触は男性の手にちょうどよく、女性にも負担にはならないようです。右手の親指で操作するには画面は少し大きすぎますがそれほど不便は感じません。外部からは見えませんが、CPUA9になって一層パワフルになったようです。また、筐体(きょうたい)がアルミ合金に変わったことでアルミ製のiPhone 5/5sのように角が傷つくこともなさそうです。ここまでチューニングすれば十分でしょう。最後に、ディスプレイを拡大表示モードに設定すれば完了。

 

完動状態になったiPhone 6sを使用する同居者に手渡すことにしました。3D Touchとカメラ用フラッシュライト(ディスプレイを使用)、4K動画などは試していませんが、私が一番気に入ったのはディスプレイ部に貼られたガラス製の保護フィルムの感触です。
 
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裏面はローズゴールドに白いストライプがアクセントになっています。“s”の文字が表示されたのはiPhone 6sが初めてでしょう。
 
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手元に揃(そろ)った3種類のアイフォーン(左からiPhone 4s・iPhone 5・iPhone 6s)です。本体と画面サイズの変遷が分かります。
 
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同上(裏面)
 
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iPhone 4sからデータとアプリの移動を完了したiPhone 6s
 
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使用状態のままのiPhone 4sと同上のiPhone 6s
 
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文字はiPhone 4sと同様、拡大表示に設定しました。
 
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同居者はiPhone 6sのスマートな外観と使いやすさ(約1.8倍に拡大したディスプレイ)に十分満足してくれたようです。唯一、同居者が間誤付(まごつ)いたというのが、スリープ/スリープ解除ボタンです。iPhone 4s(iPhone 5/5s)は右上にありましたが、iPhone 6/6sでは右横へ移動したため、押す場所を間違えてしまうと言うのです。上部にあると指が届かないことが理由とされるようですが、「カスタマー・エキスペリエンス」(顧客体験)の観点から場所を変更するのは感心できません。

 

最後に余談です。これらのiPhoneではいずれもパソコン用の電子メールを利用できるように設定していますが、実質的には受信目的専用で、メッセージの送受信には携帯電話番号を宛先とするSMSShort Message Service)とiMessageを利用しています。ちなみに、電子メールのアドレスを使うMMSは利用していません。いずれもデフォルトで設定される専用アプリ「メッセージ」を供用しますが、前者は携帯電話会社が提供するサービスで、後者はアップル社のサービスであることがまず異なる点です。

 

吹き出し式の送受信メッセージは使いやすく、しかも同じ携帯電話会社の利用者同士であれば料金がかからないのも大きなメリットです。大きな違いは75字の制限(SMS:有、iMessage:無)と、iMessageは携帯電話番号を設定していないiPadでもメッセージのやり取りができること、SMSはメッセージだけで写真などを添付できることだと思います。どちらで送信したかは、吹き出しの地の色で判別可能であり、緑がSMSで青がiMessageです。

 

iMessageには携帯電話番号や電子メールのアドレスを事前に設定しておき必要に応じてチェックマークを付ければ(利用可能に設定)、SMSと同様、簡単に利用することができます。同じ携帯電話会社に2回線契約している私は、同一のApple IDを使うことで、2台のiPhoneと1台のiPadのいずれでもiMessageを受信できるように設定しています。しかし、2台のiPhoneのうち1台は同居者が常用していますから、混乱を避ける(発信者を区別する)ために、発信元の携帯電話番号は1つだけに制限しています。

 

iPhone 3Gを始めて利用した6年半前から毎月の料金はバージョンアップするたびに着実に上昇してきました。無駄なオプション契約や無意味なWebブラウジングと動画受信は極力控えるようにしています。また「歩きスマホ」も危険ですから厳禁としています。『携帯電話の料金は高い』との総理大臣のひとことで杓子定規(しゃくしじょうぎ)な論議が始まっています。携帯電話料金がより合理的になることは歓迎ですが、大手携帯電話会社の料金体系が画一的になることは望ましくありません。利用者に多様な選択肢を提供してくれることがより大事な(望ましい)サービスだと考えるからです。携帯電話料金について物申すのであれば、携帯電話以上に選択肢が少なく(実質的には選択肢がない)、負担感を感じる電力料金(燃料コストがこの2年間ドルベースで半減、円ベースで約40%減)やNHKの受信料(3400億円の新社屋建設に使われる!?)になどについても同様の指示があってもいいと私は思います。しかし、それではどこかの国と同じ統制経済になってしまいますが・・・。

2015年10月27日 (火)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 京都最古の禅寺「建仁寺」(後編)

小書院にある型染作家・鳥羽美花(みか)氏の襖絵(ふすまえ))「凪」(なぎ)
 
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同じく「舟出」
 
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中庭にある潮音庭(ちょうおんてい)は大書院と小書院に挟まれており、四方から眺められる枯山水の庭です。季節や天候により多種多様な表情を見せてくれるそうです。
 
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国宝「風人雷神図屏風(びょうぶ)」(俵屋宗達筆)の2つの目レプリカです。「風人雷神図屏風」は2曲1双(各154.5x169.8cm)・紙本金地着色の屏風で、建仁寺の所蔵ですが、現在は東京国立博物館に寄託してあるそうです。
 
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開山堂楼門(宝陀閣、ほうだかく)「陶製十六羅漢像」です。江戸時代中期以降、京都の製陶の中心は粟田口から建仁寺の寺域に隣接する清水・五条坂地域へと移り、製品ンも古清水的な色絵陶器から磁器焼へと変化していき、この地域の陶工たちが宗祖700年遠忌を迎えるにあたって寄進されたものであると説明されています。明治44年から大正11年までの間に一体ずつ16名の陶工たちによって制作されているとのこと。
 
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重要文化財の「方丈」へ移りました。慶長4年(1599年)恵瓊(えけい)が安芸の安国寺から室町時代の建物を移建したもので、優美な銅板葺の屋根が印象的な禅宗方丈建築です。最初の写真は重要文化財「花鳥図襖」(かちょうずふすま)(安土桃山時代、海北友松筆、高精細複製品)
 
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白砂に縁苔と巨岩を配した「大雄苑」と称される枯山水の前庭は大らかな味わいがあります。正面に法堂(はっとう)の大屋根を望むことができます。
 
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本尊の「十一面観音菩薩坐像」(約400年前)
 
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「竹林七賢図」
 
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迂闊(うかつ)にも「雲龍図」を撮影するのを失念してしまいました。

 

渡り廊下にあるゲートを抜けて「法堂」(はっとう)へ向かいました。明和2年(1765年)に上棟した仏殿兼用の「拈華堂」(ねんげどう)で、五間四間・一重・裳階付の堂々とした禅宗様仏殿建築です。仏殿(本尊を安置する堂)と法堂(はっとう、講堂にあたる)を兼ねており、正面須弥壇には本尊釈迦如来坐像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀(まつ)られています。
 
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また、その天井には、平成十四年(2002)創建800年を記念して「小泉淳作画伯」筆の双龍が描かれました。天井画の「双龍図」は平成14年(2002年)に建仁寺創設800年を記念して、小泉淳作画伯の筆によって2年の歳月をかけて描かれた畳108畳にも及ぶ大作です。
 
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「双龍図」がある「法堂」の外観
 
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参道をさらに南へ歩いた場所にある「三門」は空門・無相門・無作門の三解脱門で、「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」(ぼうけつろう)と名づけられました。楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られているそうです。
 
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石橋越しに見た重要文化財の「勅使門」は建仁寺の南側正面、八坂通りに面しています。銅板葺切妻造の四脚門で鎌倉時代後期の遺構を今に伝えており、柱や扉に戦乱の矢の痕(あと)があることから「矢の根門」または「矢立門」と呼ばれています。また、平清盛の六波羅邸の門、あるいは平教盛の館門を移建したものとも言われています。
 
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長い参道を本坊方面へ戻ります。
 
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建仁寺には多数の塔頭寺院がありますが、通常非公開になっているようです。

 

北門から花見小路通りに戻って駐車場へ向かう途中と、和服を着た2人連れの観光客とまたすれ違いました。先ほどとは別に人たちです。京都には和服の貸衣装屋さんが多数あるそうですから、それを利用したのでしょうか。
 
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例によって、ここで「秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ」の投稿を小休止します。(続く)

2015年10月26日 (月)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 京都最古の禅寺「建仁寺」(前編)

東大路通り(府道143号)を北上して祇園(ぎおん)方面に向かいました。東山通りとも呼ばれるこの幹線道路は明治以降に造られた道路で平安京の東端であった東京極大路(ひがしきょうごくおおじ、現在の寺町通りと梨木町通り)よりかなり東に位置しています。つまり、京都御所(里内裏の一つであった土御門東洞院殿)の東端を南北に伸びる東京極大路より東にある鴨川(鴨川)や東山地区は平安京の外だったのです。興味を持たれた方は関連記事「消えた六条大路」を参照してください。

 

き乃ゑ旅館の角を左折した路地を西方へ走りましたが、道路工事のため迂回を余儀なくされ、観光客で溢(あふ)れる花見小路通りを南進することになりました。目的地の手前に建仁寺(けんにんじ)の駐車場(有料)を見つけました。
 
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この日は出発が遅くなったため、到着したのは正午を30分以上も過ぎていました。さっそく昼食を摂る店を探すことにしました。「花見小路通り」を散策する観光客には着物を着た若い女性も散見されます。
 
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祇園甲部歌舞練場で「都をどり」を披露する「温習会」が明日(10月1日)から開催されるようで準備がほぼ終わっているようです。写真中央のゲートを入った正面奥の建物(唐破風が特徴の玄関車寄がある)がその祇園甲部歌舞練場で、左手のビルはギオンコーナーがある弥生会館(いずれも国指定・登録重要文化財)。今から半世紀近く前(私が学生だったころ)、京都市内で偶然知り合ったアメリカ人男性を観光案内するうちに「都踊り」に興味をもったようでしたから、祇園甲部歌舞練場に案内して一緒に鑑賞したことを懐かしく思い出しました。建物は当時とあまり変わっていないようですが、観覧券は1500-2000円と高かったように記憶しています。調べると現在の観覧券は2000-4500円でした。
 
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グルメ情報を事前に調べておかなかったことで、あてもなく花見小路通りを歩いているうちに、四条通りに出てしまい四條通りを渡ることになりました。左前方にある建物は油とり紙の老舗「よーじや」(白い建物)で、右後方は祇園のなかでも最も由緒がある「お茶屋一力亭」(赤壁と黒塗柱の建物)、そして遠くに見えるのは四条通が行き当たる八坂神社です。
 
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交差点の角にある雑居ビル「ヤサカ祇園ビル」に入って、5階にある中国料理「青冥(ちんみん)祇園店」へ向かいま、した。大阪市堂島に本店があり、大阪市内に4店舗、京都に1店舗展開しているようです。ちなみに、私が気に入った店名「青冥」は『あおあおと広がる大空、ブルーヘブン(青冥)の名前の由来で、作家の井上靖先生に命名していただきました』と店の紹介に書かれていました。

 

本格的な中華料理(昼3000円~、夜4000円~)を提供する店ですが、同行者はランチメニューから「九条葱(ねぎ)のあっさり汁そば」(1200円)を、
 
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私は「五目丼(スープ付)」(850円)を注文しました。
 
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京都に来て中華料理でもないかもしれませんが、いずれも本格的な中華料理の味で、2人とも軽い(経済的な)ランチを美味しく食べました。
 
 

花見小路通りを戻って建仁寺へ向かうことにします。花見小路の入口に「温習会」(10月1日-10月6日)の看板が掲げられています。
 
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同行者は「勝手知ったる」花見小路通りを足どりも軽く歩きます。
 
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「建仁寺」の北門に到着
 
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建仁寺のhpによると、『建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました』と来歴が説明されています。

 

北門を抜けるとL字に折れ曲がった道が本坊、方丈、法堂へ至る参道へと続いていました。写真は臨済宗建仁寺派大本山の「建仁寺」(左)と臨済宗建仁寺派の「高台寺」(右)が並ぶように描かれていますが、実際は500mほど東西に離れています。
 
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参道が交差する場所には「双龍図」と「雲龍」の立て看板がありました。後方は方丈(右)と法堂(はっとう)へ向かう渡り廊下です。
 
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右手(北方向)にある本坊は右手の本坊の入口にある。拝観料(大人500円)を払って玄関先を上がりました。
 
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中央の間に「風人雷神図」(陶板複製)が出迎えてくれました。
 
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次いで金沢翔子書「風人雷神」
 
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国宝「風人雷神図屏風(びょうぶ)」(俵屋宗達筆)のレプリカ
 
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「○△□乃庭」
   
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「○△□の掛軸」が掛けてありました。ちなみに、禅宗の四大思想(地水火風)を○(水)、△(火)、□(地)で象徴しているようです。
 
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北側にある霊照堂(れいしょうどう)は納骨堂のようです。
 
   
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(続く)

2015年10月25日 (日)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 洛北のビュースポット「船岡山公園」と右京区御室大内の「仁和寺」(後編)

参道に戻って勅使門の正面を通過
 
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参道脇にある行幸行啓記念樹
 
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観音堂・御影堂は保存工事中(平成25年4月~平成30年3月)で、観音堂への参拝はできない(御影堂は参拝可)との告知がありました。
 
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「名勝 観音堂」と刻まれた石柱の先に工事用ネットで覆(おお)われた観音堂が見えます。
 
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こちらは「重要文化財 観音堂」の説明パネル
 
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「名勝 御室桜」(おむろざくら)の説明パネルもありました。御室桜は背が低く、つつじのように根元から枝を張って花が咲くことから「お多福桜」と愛称されているそうです。
 
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中門」(ちゅうもん)を潜(くぐ)って伽藍(がらん)の中心部に入りました。
 
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すると右手奥に「五重塔」が聳(そび)えていました。この塔は寛永21年(1644年)の建立で、塔身32.7m、総高36.18mとのこと。5層ある屋根のサイズがほぼ同じであるのは東寺の五重塔と共通します。初重西側には大日如来(だいにちにょらい)を示す梵字(ぼんじ)の額が懸けられています。
 
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正面にある建物は仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する国宝の「金堂」(本堂のこと)です。ブロンズ製の灯篭(とうろう)の手前と奥から撮影しました。
 
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『慶長年間造営の御所・内裏紫宸殿を寛永年間(1624~1643)に移築した御堂で、現存する最古の紫宸殿(ししんでん)であり、当時の宮殿建築を伝える建築物として国宝に指定されている。堂内は四天王像や梵天像も安置され、壁面には浄土図や観音図などが極彩色で描かれているそうです。』と説明されています。
 
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重要文化財の「鐘楼」は入母屋造、本瓦葺です。 ちなみに、「楼」は二階建ての建物を指します。階上は朱塗で高欄(こうらん、手すり)を周囲に廻らせ、下部は袴腰式(もこししき)と呼ばれる袴(はかま)のような板張りの覆(おお)いが特徴的です。また、この鐘は周囲を板で覆われているため外から見ることが出来ません。手前の参道を左手に入ると「水掛不動」があり、少し西方には重要文化財の「御影堂」(みえどう)があるようです。
 
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東方向へ戻ると金堂の先に重要文化財の「経蔵」(きょうぞう)がありました。
 
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寛永〜正保年間の建立。建物は禅宗様(宝形造、本瓦葺、正面に両開きの板唐戸、左右に花頭窓を付け)で統一される。内部は釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩など六躯(く)を安置し、壁面には八大菩薩や十六羅漢が描かれている。内部中央には八面体の回転式書架(輪蔵)を設け、各面に96箱、総計768の経箱が備えられており、その中には天台宗の学匠であった天海版による「一切経」が収められている』と説明されています。
 
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経蔵から五重塔方面へ歩くと、左手に特徴的な建物があることに気づきました。重要文化財の「九所明神」(くしょみょうじん)でした。
 
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『仁和寺の伽藍を守る社。社殿は本殿・左殿・右殿の三棟あり、八幡三神を本殿に、東側の左殿には賀茂上下・日吉・武答・稲荷を、西側の右殿には松尾・平野・小日吉・木野嶋の計九座の明神を祀ります。九所明神の最古の記録は『御室相承記』に、建暦2年(1212年)に境内南にあったものを東に遷宮した事が書かれています。現在の建物は寛永年間に建立されたものです』(仁和寺のhpより)
 
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五重塔の脇に出ました。『塔内部には大日如来、その周りに無量寿如来など四方仏が安置されます。中央に心柱、心柱を囲むように四本の天柱が塔を支え、その柱や壁面には真言八祖や仏をはじめ、菊花文様などが細部にまで描かれています』(仁和寺のhpより)
 
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五重塔の南に霊宝館に向かう通用門が見えました。東門の拝観受付で「この日は通用門が空いているので駐車場へ戻る近道だ」と教えられていました。ちなみに、霊宝館は仁和寺の創建当時の本尊阿弥陀三尊像などの国宝や重要文化財など多数を展示して、10月1日から11月23日まで「秋季名宝展」として一般公開されるようですが、数日早く訪れたのは残念なことでした。
   
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後先になりましたが仁和寺のhpによると、『仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝(こうこう)天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御(ほうぎょ)されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺(にんなじ)となりました。宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となってから、皇室出身者が仁和寺の代々門跡(住職)を務め、平安~鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。しかし応仁元年(1467年)に始まった「応仁の乱」(おうにんのらん)で、仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失するという悲運に見舞われました。そんな中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物や聖教(仏教の経典)などは仁和寺の院家であった真光院に移され、法燈とともに伝えられていきました。応仁の乱から約160年後の寛永11年(1634年)、ようやく再興の機会が訪れます。「仁和寺御伝」によれば、同年7月24日、仁和寺第21世 覚深法親王(かくしんほっしんのう)は、上洛していた徳川幕府3代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾されるのです。さらには慶長度の御所造替とも重なり、御所から紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建造物が下賜され、正保3年(1646年)に伽藍(がらん)の再建が完了。ようやく創建時の姿に戻ることが出来たのです』と仁和寺の歴史が紹介されています。

 

次回は日を改めて訪れた東山の建仁寺(けんにんじ)を紹介します。(続く)

2015年10月24日 (土)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 洛北のビュースポット「船岡山公園」と右京区御室大内の「仁和寺」(中編)

「仁和寺」(にんなじ)の説明看板には真言宗御室派の総本山であることと、世界文化遺産に登録されていること、創建時からの経緯が簡略に書かれています。
 
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本坊表門を入って登録有形文化財である御殿(旧御室御所)へ向かいます。
 
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石畳の先に見えるのは御殿入口(大玄関)で、右手には参道に面した勅使門から入る南庭があります。
 
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これは通用門ですが、閉まっています。
 
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本坊表門を振り返ると、その先に二王門が聳えているのが見えました。
 
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御殿入口で脱いだ靴は他の寺院と同様、下足箱に入れるか、備え付けのビニール袋に収容して携行する仕組みになっています。仁和寺が家元である「御室流」(おむろりゅう)の生け花と「華蔵界会」(けぞうかいえ、蓮華蔵世界つまり阿弥陀仏の浄土における法会)の額が出迎えてくれた御殿入口を上がった右手で拝観券を見せました。
 
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渡り廊下(御殿回廊)で白書院(旧宸殿)に入ると、正面広縁から白砂を敷き詰めた南庭越しに勅使門が見えました。檜皮葺屋根の四脚唐門で、前後を唐破風、左右の屋根を入母屋造として大正2年(1913年)に竣工したそうです。白書院は表と裏に三室ずつ配る六室構成でした。
 
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座敷には床と棚が設(しつら)えてあります。
 
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「南庭」には右近の橘と左近の桜が配されています。その後方は白書院の開放廊下(御殿回廊)です。
 
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宸殿(しんでん)へ移ると池泉式庭園「北庭」が広がりました。その池と築山越しに入母屋造・茅葺の屋根で覆われた茶室「飛濤亭」(ひとてい)、中門と五重塔を望むことができました。いずれも重要文化財に指定されています。ちなみに、宸殿は儀式や式典に使用される御殿の中心建物です。
 
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石橋を渡って行ける大きな築山が北庭に立体感を演出しています。左端に少し見える建物は霊明殿(れいめいでん)です。
 
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渡り廊下で宸殿および黒書院とつながる霊明殿は仁和寺の院家であった喜多(北)院の本尊「薬師如来坐像」を安置する為に明治44年(1911年)に建立された比較的新しい建物です。
 
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霊明殿から見た北庭の池と宸殿
 
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霊明殿西側に立地する遼廓亭(りょうかくてい)は仁和寺門前堅町より移築された建物で、内部は二畳半台目の茶室、四畳半の水屋と広間、控えの間・勝手の間で構成され、葺下(ふきおろ)し屋根の下に袖壁(そでかべ、建物から外部へ突出させる幅の狭い壁)を付け、その中に躙口(にじりぐち、茶室に使われる入口の形式)を開きます。ちなみに、葺き下しとは母屋の屋根を延長して付属する建物の屋根にすることを意味します。(仁和寺のhpから引用)
 
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霊明殿と黒書院をつなぐ渡り廊下(御殿回廊)
 
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黒書院前の庭を写した写真はピンボケに・・
 
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白書院を抜けて御殿入口(出口)から御殿を退出しました。(続く)

2015年10月23日 (金)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 洛北のビュースポット「船岡山公園」と右京区御室大内の「仁和寺」(前編)

北野天満宮の駐車場を出て千本今出川交差点まで戻り、千本通りを北上しました。そして、千本北大路交差点を右折すると最初の新号を右手に入り、北区にある史跡「船岡山(ふなおかやま)公園」の入口に到着。
 
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建勲神社に隣接する船岡山の西北部一帯が広い公園になっており、標高112m(比高45m)の頂上付近から市街地を望むことができると知り、「仁和寺」(にんなじ)へ向かう方向からかなり北にそれて、立ち寄ったのです。山の地形が船に似ていることから「船岡」と呼ばれるようになったとのこと。公園が史跡になっているのはさすが京都だと言いたいところですが、応仁の乱の時に西軍によって築城された船岡山城の遺構があることが理由でしょう。ちなみに、「西陣」(上京区から北区にかけての地域)の地名は西軍の陣地が船岡山城にあったことに由来するそうです。駐車場を探してみ右手の坂道を上がりました。

 

もう一つの入口がありましたが、駐車場はなさそうですので、同行者に車を預けて私一人が徒歩で公園に入りました。
 
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公園の広場にはフリスビーを使って遊ぶ若者たちがいました。奥に見えるのは旧ラジオ塔と野外演奏場です。ラジオ塔は昭和初期に建てられたもので、ラジオを共同で聴くための施設だそうです。街頭テレビのラジオ版といえるでしょう。
 
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長い石段はまだ続きますが、前方は明るくなってきましたので、そろそろ視界が開けそうです。
 
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「船岡山公園」で一番高い場所に出たようです。一帯は平らに整地されています。
 
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約1200年前、桓武天皇によって京都に都(平安京)が遷都される時、中国の「陰陽五行思想」と「風水思想」に基づいて、北にある船岡山が龍気みなぎる地形であり、大地の気がほとばしり、溢れ出る玄武の小山であると卜(ぼく)せられ、船岡山の真南に大極殿と朱雀大路が造られたそうです。

 

展望台かと思いましたが、調べるとサイレン塔でした。戦中は空襲、戦後には時間告知用として使われていたそうですが、現在はごみ焼却炉と見間違うほどの廃墟になっていました。
 
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三等三角点「船岡山」と表示されています。三等三角点は測量票の一種で、約4km間隔で全国に約3万2000か所も設置されているとのこと。
 
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石仏が4体
 
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「船岡公園」の展望所から見た京都の中心部(南西方向)です。立木が視界の下部を遮っていることと、建物が密集しているため、碁盤目になっている道筋をはっきり見取ることはできません。それでも、中央のビルの手前から左上に向かう千本通り(旧朱雀大路、府道31号))と、左手のビル群の先に京都タワーを何とか確認できました。ちなみに、京都タワーのさらに先には数日前に登った伏見の稲荷山(標高233m)を南端とする東山三十六峰が続いています。右手は北野天満宮(木立)の先に西山と呼ばれる嵐山(標高382m)と烏ケ岳(標高398m)などが続いているようです。
   
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右手(北西方向)には金閣寺大北山(大文字山、標高231m)の「左大文字」が間近に見えます。
 
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北大路通りを西進し、西大路通りに入って金閣寺前交差点を右折、木辻通りで衣笠山の麓を通過、龍安寺脇を通過、仁和寺(にんなじ)の駐車場に到着。駐車料金は普通車が一回500円です。
 
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仁和寺は大内山の南麓にある旧御室御所で、世界遺産に登録されています。東門を入ったところに拝観受付がありました。ちなみに、仁和寺の参拝は無料ですが、御殿の拝観料は大人500円です。
 
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受付で聞いた拝観の順路に従うことにしました。
 
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「仁和寺全景図」の右下に描かれた東門から伸びる砂利道を西方へ進み、幅の広い参道を左に折れて二王門(全景図の中央下)へ向かいました。仁和寺では仁王門を二王門と表記しています。
 
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参道を右手に進めば中門へ至ります。
 
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一旦、境内から出て重要文化財の二王門の全景を撮影しました。重層の入母屋造り、本瓦武器の二王門は高さが18.7mもあり、知恩院の「三門」、南禅寺の「山門」と共に京都の三大門と呼ばれている和様建造物で、徳川家光の寄進により寛永14年(1637年)から正保元年(1644年)にかけて建てられたそうです。
 
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二王門の左右に金剛力士像が安置されています。左は口を結んだ吽形(うんぎょう)像です。
 
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右は口を開けた阿形(あぎょう)像
 
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二王門の後面には唐獅子像が2体安置されていました。
   
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(続く)

2015年10月22日 (木)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 北野天満宮と平野神社(後編)

天神川の上流方面です。御土居(おいど)はもう少し下流(北野天満宮境内の西側)にあるようです。
 
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北野天満宮の北門から西へ約200m歩くと、北区平野宮本町にある平野神社に到着しました。
 
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明神式鳥居の扁額(へんがく)には平野神社の四柱の祭神を総称する「平野皇大神」(ひらのすめおおかみ)と表記されています。
 
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境内に咲いていた花
 
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平唐門造りの東神門の両側に吊るされた提灯には神文の桜が描かれています。平野神社の境内には、桜の珍種が多く、現在は50種約400本の桜が植えられているそうです。ちなみに、左手は最も早く咲くといわれる早咲きの枝垂(しだ)れ桜「魁(サキガケ)」。
 
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ご神木の樟(くすのき)は樹齢400年、幹周り4.85m
 
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「すえひろがね」は日本最大級の餅鉄(べいてつ)で、重さ約200kg、厚さ約27cm、高さyカウ80cm、鉄分約70%であると説明されています。
 
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磁石が岩に吸い付きました。
 
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拝殿(京都府指定文化財)
 
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社殿の奥にある本殿はいずれも「平野造」と称される独特の形式の4殿2棟からなり、国の重要文化財に指定されている。平安時代末期に建てられた社殿は寛永年間(16244-1644年)の再建時に現在の形式になったようです。
 
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祭神は、北側(右手)から順に、第一殿は主神の「今木皇大神」(いまきのすめおおかみ)、第二殿「久度大神」(くどのおおかみ)、第三殿「古開大神」(ふるあきのおおかみ)、第四殿「比売大神」(ひめのおおかみ)とのこと。奈良時代の延暦13年(794年)に平城京で創建され、平安京遷都に伴い平城京へ遷座・勧請されたといわれます。社格は高く、二十二社の上七社(伊勢神宮・石清水八幡宮・賀茂大社・伏見稲荷大社などに次ぐ)に列せられているそうです。ちなみに、「今木皇大神」は生きる力を与えてくださる神ですが、今木(今来)の名前の由来は、百済(くだら)からの渡来人を神格化した神様だとされているようです。そして、平野は現在地の地名。不思議な神社だと思いました。

 

北野天満宮の北門へ戻りました。
 
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宝物殿と牛車
 
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東門脇を出ると目の前に湯豆腐の「桜井屋」がありました。午前11時半になっていましたので入ることにしました。
 
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細長い通路を入った客室があり、
 
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さらに奥には庭が見えます。
 
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同行者は「生麩揚げだし膳」(1500円+税)を選びました。生麩揚げだし、胡麻豆腐、野菜の天ぷら、付きだし、汁物が並びました。
 
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私は「湯豆腐」(1600円+税)にしようかと考えた末、夏季限定の{長なす田楽膳}(1500円+税)。赤みそと白みその2種類のみそで楽しめました。
 
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生麩料理に満足した同行者はデザートに「本わらびもち」(600円)も注文してご機嫌です。
 
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次に参拝するのは右京区の仁和寺(にんなじ)です。(続く)

2015年10月21日 (水)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 北野天満宮と平野神社(前編)

東寺の駐車場を出て、大宮通りを北へ向かいました。阪急大宮駅がある四条大宮交差点を左斜め前方へ進んで後院通りに入りました。
 
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そして千本三条交差点で千本通りに合流します。千本通りは平安京のメインストリートであった朱雀大路(すざくおおじ)で、当時は道幅が75mもあったそうですが、現在は普通の道幅の府道112号になっています。JR山陰本線二条駅近くを通過。
 
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2km弱先にある千本今出川交差点を左折して、今出川通り(府道101号)を西へ向かいました。
 
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600mほどで北野天満宮前交差点に差し掛かりました。写真中央に写るのは一の鳥居です。右折すると専用駐車場(有料)がありました。
 
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上京区御前通今出川上る馬喰町にある北野天満宮は、無実の罪で大宰府に流された菅原道真(すがわらみちざね)が2年後に亡くなると、都で落雷などの災害が相次いだため、道真の祟(たた)りだとする噂が広まった。そこで、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位(後に正一位・右大臣・太政大臣となる)を贈るとともに、北野の地に道真を祀る社殿が造営されました。朝廷はよほど道真の祟りを恐れたようですが、後世になっても、藤原氏・足利幕府や豊臣秀吉などの崇敬を受けたそうです。
 
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菅原道真と言えば、京都府長岡京市の長岡天満宮、同じく木津川市の恭仁神社、文京区本郷の桜木神社世田谷区の羽根木公園湯島天神亀戸天神の各記事で紹介しているように、私が崇拝する歴史上の人物のひとりです。両親が大宰府天満宮で私のための合格祈願をしてくれましたが、残念なことに私自身はまだ参拝(お礼参り)したことがありません。

 

駐車場から参道に入って三の鳥居を潜(くぐ)ります。
 
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一段高い場所に楼門(ろうもん)が聳(そび)えていました。桃山時代の様式の巨大な門で、両側には随神(ずいしん)の像が置かれ、正面には菅原道真(すがわらみちざね)を称(たた)える「文道太祖 風月本主」(ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)」の額が掲げられています。
 
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楼門を入った場所には、『導山(みちびきやま)には古来より末社である猿田彦(さるたひこ)神社の御祭神・猿田彦大神が載り遷り儒運行すると伝えられる。猿田彦大神は天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を先導した国津神であり、現在では交通安全や方除の神として信仰される』と説明されています。
 
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『松鉾(まつぼこ)は一般的にいう剣鉾の一種であり、錺(かざり)には松、額には「天満大神」とある』
 
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左手にある絵馬所(京都市指定有形文化財)の案内看板には、『北野天満宮の本殿を始めとする主要な社殿は、慶長12年(1607年)に再建されたもので。その後。元禄13年(1700年)から翌年にかけて大修理が行われている。現在の絵馬所は、元禄の大修理の際に建てられたものである。(中略)この絵馬所は、規模が大きく、京都に現存する絵馬堂の中で最も古いものであり、江戸時代中期の絵馬堂の遺構としてとして貴重である』とありました。写真は三十六歌仙の額絵です。
 
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絵馬所の中は絵馬を書く場所と休憩所になっており、天満宮の神紋(梅紋)が入った馬車が展示されて
 
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「史跡 御土居(おどい)のもみじ苑」の美しい写真看板がありました。御土居とは豊臣秀吉が政庁兼邸宅である聚楽第(じゅらくだい、第は邸を意味する)造営の頃に、洛中の警護などの便宜のために、洛中をぐるりと取り囲むかたちで高々と盛り上げられた総延長22.55kmにおよぶ土塁(どるい、土などを突き固めた人口の防壁)で、御土居に囲まれた聚楽第は実質的に平城であった考えられます。ちなみに、土台の幅は20mもあったそうですが、建造後10年足らずで取り壊されたため、現在はほとんど残っていないようです。
 
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中門(三光門)は国指定重要文化財
 
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菅原道真に縁が深い牛は北野天満宮では神使(祭神の使者)とされ、境内に臥牛が多数ありますが、これはそのひとつである「なで牛」です。天満宮ですから頭(顔)の部分が特に光っているのは納得できます。
 
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入母屋造の拝殿の屋根はすべて檜皮葺(ひわだぶ)き
 
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同じく入母屋造の本殿(右)・楽殿(左)と拝殿とつなぐ石の間は拝殿と一体の建物として国宝に指定されています。
 
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本殿を囲む塀の装飾
 
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文子(あやこ)天満宮は道真の乳母(うば)・多治比文子(たじひのあやこ)が菅原道真を祀ったとされる下京区天神町にある神社で、北野天満宮の発祥とされますが、天歴元年(947年)に天満宮は現在地に移されたことと、明治時代に入って文子天満宮も北野の地に遷座(せんざ)したことが説明されています。
 
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北門を抜けて境内から出ることにします。
   
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(続く)

2015年10月19日 (月)

O家具の個人株主向け事業説明会

JR山手線新宿駅の南口から甲州街道(国道20号線)に出ました。東南口でも良いのですが、混雑する構内を横切るのは気が進みません。写真はサザンテラスへ向かう横断歩道橋の上から東方向を撮影したものです。
 
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道路の反対側で高層ビル「JR新宿ミライナタワー」が建設中でした。地上32階、地下2階、建物の高さ168.16mの超高層ビルで、地下1~2階が駐車場、1~4階が商業施設、5~32階が賃貸オフィスになるそうです。
 
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同タワーに隣接して線路上に建設中の建物がありますが、そのうち5~7階に設けられる文化施設等も「JR新宿ミライナタワー」に含まれるそうで、オフィスと商業施設は2016年3月、文化施設等は2016年4月に開業する予定とのこと。ちなみに、右後方の建物はJR東日本本社ビルです。
 
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甲州街道を東へ歩きました。この日(10月9日)に開催される「O家具の個人株主向け事業説明会」に参加するのが目的です。案内状に返信(参加を希望)したところ、幸運にも招待状が届いたのです。緩(ゆる)やかな坂道を下りた明治通りとの交差点の左手前に”IDC OTSUKA”の表示があるビルが確認できました。O家具(以下O社と表記)の新宿ショールームです。クラッシクな外観ですが、竣工したのは1991年と比較的新しい建物で、1999年までは三越新宿南館として使われたそうです。
 
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入口にはショールームの名称があります。しかし、展示だけではなく販売を主目的とする店舗なのです。ガラス製のドアには「ベッドフェア」が開催されているとの告知がありました。
 
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このビルの8階に会場が設定されていました。ちなみに、IDCInternational Design Centerの頭文字をとったものとのこと。
 
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受付が開始される午後1時30分にはまだ10分ほどあるタイミングで到着してしまいました。招待状には「会場内は写真撮影禁止」と書かれていましたが、無粋(ぶすい)な看板などは会場にありませんでした。
 
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時間を潰(つぶ)すため会場手前にある展示スペースを覗(のぞ)くことにしました。O社では桐たんすの削り直しも行っているようです。
 
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所在無げに眺めていると、スタッフの計らいで受付け開始時間の5-6分前に会場内へ案内されました。私は80名ほどが収容できる会場の前方に着席して午後1時の開会を待ちました。ちなみに、O家具の本社がある有明ショールームには何度か訪れていますが、新宿ショールームは初めての訪問です。

 

事業説明会へ参加する目的は、今春の株主総会で支持した現社長の経営方針を本人から直接聞くことです。昨年度に経営が急速に悪化した主要因は同社のビジネスモデル(会員制による高級家具のまとめ買い)が市場の変化に対応できなくなっていることは、市場環境(結婚・住宅購入など)が変化し始めた2001年を境にO社(当時の売上高700億円強)を追い抜いて成長が著しい新興家具販売企業のNを引き合いに出すまでもなく明らかで、売上高が550億円前後で停滞する経営状況にあるO社は大きな事業転換を求められていると私は考えます。ちなみに、N社の売上高は2001年に700億円強とO社とほぼ同水準でしたが、2014年度4000億円強へと急伸し、これにともない売上高営業利益率と総資産経常利益率も大きく差をつけてしまいました。

 

2009年に社長に就任した現社長は、顧客の足を遠のかせている密着した接客を控える営業手法に転換して減少を続けていた入店者数を増加させるなど一定の成果を上げましたが、業績不振を理由に昨年7月に解任されました。しかし、元社長が従来路線へ後戻りさせたことで業績はさらに悪化したため、今年1月に現社長が復帰して現在に至っています。2015年度第2四半期に入って最終利益が黒字化(約11億円)したことで昨年度下期(7-12月)と今年度第1四半期(1-3月)の赤字経営体質からは脱したようです。しかし、高い配当率を株主に約束していますから、それに見合った業績を挙げられるかどうかが最大のボイントです。

 

株式を保有する会社の株主総会(あるいは事業説明会)にはできるだけ出席するようにしています。マスコミを通しても情報を入手することはできますが、やはり経営トップの肉声を直接聞くことは大いに意味があることだと考えています。というのは、私には苦い経験があるからなのです。5年前、某電力会社の株主総会に出席した時、経営陣の業績説明と株主からの質問に対する経営陣の回答に誠意が感じられませんでした。安定した経営に保証された定期預金よりも有利な配当利回りは魅力でしたが、早急に同社の株を売却することにしました。

 

しかし、株価が緩(ゆる)やかな下落基調(10%ほどの含み損)があったため(注;配当を考慮すれば含み益あり)、株価が回復するのを見計らっていたところに、「あの3.11」が訪れました。何と、株価は1日で数分の一にまで下落。当面回復することは考えられませんので、止む無く損切りをすることにしました。その他にも、某電力会社ほどではありませんが、株主として応援していた某居酒屋チェーンは、創業者が政界に進出するために経営者の立場から退くと、経営環境の変化に適応できなくなり(急速に経営が悪化して)、今月初めには虎の子であった介護事業を売却すると発表しました。株価は20%ほど下げた後は一進一退を続けていますので、今は同社の動静を注視しています。思い切った打開策による改善が見られないようであれば見切る必要があるかもしれません。

 

定刻の午後2時に説明会が始まりました。社長から中期経営計画の説明がありました。そのサマリーは『企業価値を向上させることで、2017年度に売上高594億円、営業利益19億円を達成する』というものです。ちなみに、2012年度の営業利益(実績)は11.8億円、2013年度は8.4億円、2014年度は▲4億円と悪化傾向にあります。経営悪化の主要因は前述したように同社のビジネスモデルが市場の変化に対応できなくなっていることは成長著しい同業のI社(外資系,2014年8月期売上高771億円)と新興企業ながら今や勝ち組と呼ばれるN社を引き合いに出すまでもなく明らかです。つまり、国内屈指の家具小売りチェーンであるO家具は、大きな事業転換を求められていると私は考えます。

 

企業価値向上は、「中・高価格帯の単品買いの取り戻しとホテル・高齢者住宅・企業など法人需要の取り込みを軸とするビジネスモデルへの変革による成長と収益性向上」を基本とするが、3年後までの短期的な対応として「DOE(株主資本配当率)重視による資本政策(2017年度4.5%)」を重視し、引き続き「コーポレートガバナンスを強化する」の三本柱。また、「新生・大塚家具のビジョン」は、『日本の「住」は成長市場となる、その成長市場で「住まうこと」に必要な全てを提供する企業を目指す』とありました。

 

競合他社として挙げた低価格帯商品が中心のI社(外資系)・N社(新興企業)へ中価格帯志向の顧客が流れたと分析し、今後は中価格帯のメインプレイヤーとして再認識されることでミドルクラスの顧客を中価格帯へ回帰させるたいと説明。そして、安定した需要のある高価格帯を堅持する両面作戦(単品買い重視)、加えインバウンド需要(訪日観光客を受け入れるホテル向け需要)などBtoB事業への取組みを強化することで売上の曜日変動と季節変動を平準化(人材基盤の活用)をして営業効率を向上させたいと付け加えました。また、従来の水平展開ビジネスモデル(豊富な商品展開)に加えて、N社に先行された垂直統合ビジネスモデル(製造・企画開発・在庫・販売のすべてを提供)も強化したい社長は強調。ちなみに、同社は家具の製造販売会社として創業されました。

 

これらの戦略を早急に実施することで業績の本格的な回復に繋げて欲しいものです。事実、若い世代である私の子供たちはいずれもI社の店舗で家具を買っていますし、わが家も簡単なものであればI社の店舗へ出かけて捜すことが多いのです。社長が後半に述べた「生活に合わせたインテリアの重要性」と、最後に説明した「取組みが始まったばかりのリユース事業(買い替え・補修・修理・卸売り)への取り組み」に私は興味を持ちました。『インテリアを変えることで、人生がより豊かになるという価値観をお客様に体験していただく』のが目的であると社長が補足したことも印象に残りました。

 

そのあと、質疑応答に移りました。株主からは積極的な質問や助言、あるいは激励する意見が多数出されました。インバウンド客へ対応と高級家具の買い替え・修理サービスに関するものが多かったと思われます。そして、もっと質疑応答の時間を確保してほしいとの要望も出されました。

 

最後に、商品紹介のコーナーがあり、社長自らが自社のベッドと他社製品を比較しながら、その良さを解説した。一見良さそうな機能を組み合わせた商品がその良さを長期間にわたって十分発揮できるかどうかを見極めてもらいたいと強調しました。ジャパネットタカタ元社長の絶叫型とは対照的なクールなプレゼンデーションを興味深く聞いていると、事業説明会は予定された午後3時30分に終了。

 

再び、新宿の雑踏を歩いて家路につきました。当面は大塚家具の株式を保有し続けることに決めました。もちろん、中期事業計画の進捗状況を確認することは怠らないようにしますが・・。
 
                             ☆
 
 

余談です。今月に入って企業の不祥事が続いています。先の記事でも触れたTゴム工業が3度目になる検査データの不正改ざんが発覚しました。8年前の断熱パネルの耐火性能偽装に続き、今年3月に明らかになった2度目の不祥事(免震ゴムの性能データ改ざん)発覚後の全社総点検で他に問題はないと安全前言を8月10日に出した10日後に、再び内部通報で防振ゴムの不正を経営トップが知るところになったとのこと。「何をか言わんや」です。

 

もう一つは2007年に完成した 横浜市の大型マンションで基礎工事データの不正改ざんが明らかになりました。何とマンションの建物が傾いて『隣の建物と約2cmの段差が出来た』との住民の通報(昨年11月)に対して、販売したM不動産レジデンシャルは東日本大震災の影響ではないかと答えたそうです。

 

しかし、住民側が何度も申し入れた結果、今年2月からM不動産レジデンシャルと施工主のM建設が共同でボーリング調査を行い不適切な杭打ちが多数ある(1棟約50本のうち8本が強固な地盤に届いていないこと、その後コンクリートの不足を含めると3棟で計70本の杭に不正が拡大)を見つけて、今月になって住民側に伝えたとのこと。

 

施工主のM建設の下請けとして基礎の杭打ち工事を担当したA化成の子会社がデータを改ざん(複製)していたことを認めて不正の概要は判明したようです。1年前にも大手建設会社K組が同じ横浜市のマンション(2003年完成)でも同様の不祥事を起こしていたのです。このように日本の大手企業のコーポレートガバナンス(企業統治)とコンプライアンス(法令遵守)は残念なことに中国企業並みの低水準になってしまったのかもしれません。不祥事が多発する背景には何があるのでしょうか。

2015年10月16日 (金)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 観智院

伏見稲荷駅脇を通過して国道24号に出て、竹田街道十条交差点を左折して十条通り(鳥羽通り)を西進し、国道十条交差点で入った国道1号(京阪国道)を北上しました。国道1号のルートにしたがい京阪国道口交差点を右折して九条通りに入ると、世界遺産に登録されている東寺(とうじ)の前に出ました。手前の建物は国の重要文化財である南大門(みなみだいもん)。次いで訪れるのは南区八条大宮西入ル九条町にある観智院(かんちいん)です。
 
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東寺の塀に沿ってすぐ先の九条大宮交差点を左折し慶賀門(重要文化財)のすぐ先から入った東寺の駐車場に車を停めました。ちなみに、駐車料金は2時間までが600円です。7年前にも訪れた場所で、国宝の五重塔が正面に見えます。
 
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食堂(じきどう)の北側にある北大門を出て櫛笥小路(くしげこうじ)を「北総門の方向へ歩きました。平安時代のままの幅で残っている京都市内ただ一つの小路だそうです。右前方に観智院の案内看板が立っていました。観智院は東寺の塔頭(たっちゅう)の中でも最も格式の高い寺院で、桃山時代書院造の客殿(国宝)は慶長10年(1605年)に再建されたそうです。ちなみに、塔頭とは、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、 大寺・名刹(めいさつ)に寄り添って建てた塔(多くは祖師や高僧の墓塔)や庵などの小院を指すそうです。
 
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さらに進んだところで、北大門方面を振り返って、櫛笥小路を撮影しました。右手の建物は洛南高校です。
 
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観智院と表示された大きな木戸には「弘法さんの虚空蔵菩薩十三参り」を期間限定で受け付けていることが表示され、木戸のすぐ奥にある門吊り提灯に観智院の文字が見えます。
 
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東寺のhpにある「東寺塔頭-観智院」(別格本山)の説明文を引用します。『客殿は桃山時代の慶弔10年(1605年)に入母屋造り・銅版葺きで作られ、客殿内部にある上段の間には宮本武蔵筆と伝えられる水墨画「鷲の図」と「竹林の図」が描かれている。客殿の南側には枯山水の庭「五大の庭」がある。拝観できるのは春(3月20日~5月25日)と、秋(9月20日~11月25日)のみ。客殿の東側には、観智院の本堂があり、本尊は五大虚空蔵菩薩(ごだいこくうぞうぼさつ)である。五尊はいずれも蓮の花弁で象(かたど)られた蓮台(れんだい)に結跏趺坐(けっかふざ、瞑想する際の座法)し、獅子、象、馬、孔雀、迦楼羅(かるら)という鳥獣の上に鎮座している。観智院は真言宗の勧学院、つまり僧侶の教育機関および大学の研究室(学問の研究所)のようなところである』
 
『東寺の三宝(さんぽう)といわれる頼寶(らいほう)と杲宝(ごうほう)と賢宝(けんぽう)のうち、南北朝時代の延文4年(1359年)ころに杲宝は観智院を創建し、杲宝の弟子・賢宝は本尊の五大虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を本尊として安置した。杲宝や賢宝はこの観智院にて東寺に伝わる数多くの文書類(1万5000件以上)を編纂(へんさん)し、我が国における貴重な文化遺産となっている。また、杲宝は東寺の歴史を記した「東宝記(とうほうき)」を編纂した人物でもあり、それは賢宝(けんぽう)によって完成され、東寺の歴史を紐解(ひもと)く貴重な史料として今では国宝に指定されている。現在の客殿は慶長伏見地震で倒壊したものを1605年に北政所(ねね)の支援を受け再建されものである』

 

しかし、到着した観智院の西門は固く閉じられていました。しかも、西門の左奥にある庫裡(くり)の屋根は見えますが、右手にあるはずの客殿(国宝)の大屋根は大きな工事用のネットで覆(おお)われているのです。
 
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そこで、東寺のhpにある「東寺塔頭-観智院の項をよく確認する
と、現在は屋根の葺き替え工事のため特別公開を休止しており、拝観の再開は修復後の2016年3月20日ころを予定していると説明されていました。
 

今回は事前確認を十分行わなかったことで残念な結果になってしました。客殿と南大門の間にある「五大の庭」にあるという枝垂(しだ)れ桜が開花する来春に再び訪れたいと思います。例によって、ここで本記事「秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ」の投稿を小休止します。

2015年10月15日 (木)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 「伏見稲荷大社」と稲荷山ハイキング(終)

ここで振り返って撮影しました。鳥居だけではなく、「○○大神」と表示された神蹟(しんせき)が多数ありました。神蹟は神様を祀った祠があった場所に造られた塚であり、明治時代に稲荷大社によって「七神蹟」(一ノ峰、二ノ峰、間ノ峰、三ノ峰、御劔社、御膳谷、荒神峰)が定められて以後、急速に増えて、現在は1万を下らないそうです。
 
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下る時は鳥居を奉納した企業名を見ることになります。
 
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ルートは一時的ですが下り坂から上り坂に変わりました。
 
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平坦な道になりましたから「奥社奉拝所」が近くなったようです。
 
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千本鳥居の入口付近にある常夜灯
 
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同行者は拝殿近くの土産物屋で土産物を見繕った上で「生八ツ橋」を買い求めました。
 
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土産物や付近から見た拝殿と本殿
 
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右手にカーブしながら続く参道商店街(裏参道)へそれました。
 
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なぜか「大分からあげ」の露店を見かけましたので振り返って一枚撮影。「大分からあげ」ではありませんが、九重大吊り橋(大分県)の食事処「山もみじ」で食べた「鳥天」を思い出しました。
 
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参道商店街には食事処とともに神具店が何軒も見かけます。調べると、伏見稲荷大社境内に6軒ほどあるようです。
   
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午前11時になりましたので、表参道の先)にある「祢()ざめ家」へ向かいました。本町通り(府道201号)との交差点角にある目当ての「祢(ね)ざめ家」はなぜか閉まっています。
 
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そこで、参道を少し戻った「日野家」に入りました。
 
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店頭では伏見稲荷名物の「雀(すずめ)」と「鶉(うずら)」を焼いています。
 
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稲穂を食べる雀を捕まえて焼き鳥にしたのが始まりだそうですが、雀が減少したため現在は鶉が使われているようです。ちなみに、「すずめの焼き鳥」が700円、「うずらの焼き鳥」が750円です。
 
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時間が早いのか、左手の小上がりの席は埋まっていましたが、メインであるテーブル席の方は半分ほど空いていました。店の奥に小さな庭がガラス戸越しに見えます。私は大好物の「いなり」(780円)と「にしんそば(鰊蕎麦)」(940円)のどちらにするか迷った末に「にしんそば」を、同行者は「鯖(さば)寿司」(1400円)を注文しました。「にしんそば」と「鯖寿司」はまずまずの美味しさ。
 
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何を思ったのか同行者は「うずらの焼鳥」(750円)を追加しました。雉(きじ)の仲間である鶉(うずら)の玉子は、茹(ゆ)でたり、生卵のままで「蕎麦汁に入れる」あるいは「卵かけご飯(TKG)」にして食べますが、鶉の焼き鳥は初めての食体験です。店先のポップ高校に「骨ごとバキバキ」と書いてありましたが、ぶつ切りにされた「鶉の焼き鳥」は思った以上に太めの骨が多く、甘辛い味付けは良いのですが、私には食べにくい焼き鳥でした。店によっては骨抜きもあるようです。
 
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同行者は残った「うずらの焼き鳥」をドギーバックにしてもらうとともに、気に入ったのか「鯖寿司」を土産に買いました。その場で作るようで、数分待つように言われています。

 

今回、伏見稲荷大社に参拝したことで、これまでに参拝した「豊川稲荷」(および豊川稲荷東京別院)と岐阜県海津市にある「千代保(ちょぼ)稲荷神社」とともに、日本三大稲荷に参拝し終えたことになりました。実は、私は隠れ稲荷信者なのです。ちなみに、日本三大○○はこちらの記事で紹介しています。観智院へ続く)

2015年10月14日 (水)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 「伏見稲荷大社」と稲荷山ハイキング(その5)

「三ノ峯の下ノ社」(下社神蹟)は白菊大神と崇(あが)められています。
 
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四ッ辻」が2つの登山道の分岐点です。看板には「お山巡り」登山コースの休み処(茶店)が表示され、右端に見える古い石柱には「お山左廻り道」と「お山右廻り道」と刻まれています。
 
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京都の市街地が一望できるため、景色を見ながら休憩する人たちがいます。西方に京都市南区と西京区が一望でき、北西方向には東寺(扇形の屋根がある府民交流センターの奥)が確認できました。京都タワー東福寺はもう少し右方向ですから、写っていません。また北方向は東山区で、手前で左右に伸びる阪神高速8号京都線の鴨川西出入口(中央鉄柱の陰)・鴨川東出入口(阪神高速道路が地下に入る場所、2つの塔がある阪神高速道路の建物脇)とその間に昨年竣工した任天堂本社開発棟(高速道路奥の白い建物)も見えます。
 
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「田中社 権太夫大神」も稲荷山の七神蹟のひとつです。
 
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「三徳大神」は、三つの願い事が成就する、あるいは衣食住に関するご利益があるとして、信仰されるようになったそうです。珍しいことに、龍の手水ありました。
 
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「四ッ辻」と「三ッ辻」の間には休み処「にしむら亭」「三徳亭」「瓢亭(ひょうてい)」「京屋」「三玉亭(みたまてい)が並んでいますが、いずれも外観の撮影は遠慮しました。
 
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「大松大神」はお酒の神様で、良縁のご利益もあるそうです。
 
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「春繁稲荷(春繁大神)」には出雲大社愛知教会の文字が読み取れます。
 
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「三ッ辻」で「お山巡り」登山コース(下山コース)は二手に分かれます。
 
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鳥居が続く左手のコースを進むことにします。
 
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ここがルートの分岐点で、同行者は左ルートへ向かいます。
 
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同行者は下り階段を軽やかに下りて行きます。
 
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熊鷹社の脇に出ました。左手には新池が広がっています。
 
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新池は谺ケ池(こだまがいけ)との別称があり、行方不明になった人を探す時、池に向かって手を打ち、こだまが返ってきた方向に手がかりがあると言い伝えられているそうです。池に突き出た石積みに拝所が設けられていました。立ち止まって熊鷹社を撮影する人で混雑しているため、撮影を諦(あきら)めて通過することに。
 
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「お山巡り」登山コースはまだまだ続きます。
 
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「白幡大明神」の脇を通過
 
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雨上がりですから大量の水が側溝を流れ落ちています。
 
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(続く)

2015年10月13日 (火)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 「伏見稲荷大社」と稲荷山ハイキング(その4)

「深草トレイル」を分かりやすく説明した地図がありました。鳥居が山頂まで続く伏見稲荷大社のルートとは反対側から稲荷山山頂へ登れるようです。ここで発見しました。「こうぼ○」は地図に表示された「弘法の滝」のことだったのです。
 
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「稲荷山山頂 about 10min.」と手書きされた真新しい標識がありますから、山頂へ登ることができることは間違いありません。
 
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しかし、急な上り階段が待ち受けていました。前方を軽い足取りで上がる年配者はおそらく地元の方でしょう。私は息が切れてきました。
 
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振り返るとこんなに急峻な登山道なのです。
 
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鳥居が見えて来ましたから、山頂が近づいたようです。
 
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ループ状になっている「お山巡り」登山コースに出ました。もちろん、稲荷山山頂の「一峯」がある「一ノ峯・二ノ峯・三ノ峯へ」向かいます。
 
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石段と鳥居が続いています。ここの狐(左)は巻物をくわえています。
 
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稲荷山山頂(標高133m)にある「上ノ社」と「一ノ峯」に到着したようです。
 
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稲荷山にある七神蹟のひとつ「末広大神(上之社)」です。伏見稲荷大社のhpによると、『神蹟(しんせき)は神様を祀った祠(ほこら)があった場所に造られた塚であり、明治時代に稲荷大社によって「七神蹟」(一ノ峯、二ノ峯、間ノ峯、三ノ峯、御劔社、御膳谷、荒神峯)が定められて以後、急速に増えて、現在は1万を下らない』と説明されています。
 
 
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下山ルートには当初稲荷山に登る予定していたルートを選びました。
 
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二ノ峯」(中社神蹟)は青木大神と(中之社)崇められています。
 
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急な石段が下方へと続いています。
 
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間ノ峯」には荷田
社(かだしゃ)がありました。伊勢大神とも言われていているそうです。神域入り口に建つ石鳥居は、明神鳥居を変形した奴祢鳥居(ぬねとりい)で、額束(中央の短い柱状部)の両側に合掌状の破風扠首束(はふさすつか)をはめた特異な形をしています。
 
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三ノ峯の「下ノ社」(下社神蹟)は白菊大神と崇められています。
 
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(続く)

2015年10月12日 (月)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 「伏見稲荷大社」と稲荷山ハイキング(その3)

境内に「文学散歩 竹乃下道」の説明がありました。「竹乃下道」は大亀谷(深草の地名)方面への道で、大和へもつながる道だったと説明されています。
 
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神宝神社に参拝したあとは当然伏見稲荷大社の参拝コースへ戻るべきでしたが、臍(へそ)曲りの私はそれでは物足りません。しかも、右手には中央に石畳みが細く設けられた遊歩道が続いているのが見えました。
 
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どこへ続いているのかは分かりませんが、『どこへも行けない道はない』と信じる私は迷わず「竹の下道」へと足を踏み出しました。ちなみに、これは私が好きな松本清張氏の長編小説「波の塔 」のなかでヒロインが呟(つぶや)いた言葉、『どこへも行けない道ってあるのね。道があるからどこかいけるかと思ったけど』を意識した言葉です。
 
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周囲には美しい竹林が広がりました。「竹取物語」の舞台だとする説にも頷(うなづ)けそうです。ちなみに、孟宗竹(もうそうちく)で有名な京都府日向市/長岡市・筒城宮(つつきのみや)があったとされる京田辺市・藤原京に近い奈良県広陵町などとする諸説があるようです。
 
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「竹乃下道」をさらに歩くと、「京都一周トレイル」の案内標識を見つけました。「竹乃下道」は全長約70kmあるという「京都一周トレイル」の一部になっているのでしょう。「山頂まで40分」と手書きされていますから、このまま進んでも稲荷山へ登れそうです。
 
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「金光大神」や「葛の葉姫大神」と表示された鳥居群を見つけました。手前の鳥居の額束(がくづか、額柱)に「弘法」の額が架かっています。調べてみると、「金光きょうの教祖」と陰陽師(おんみょうじ)・安部晴明(あべのせいめい)の出生にまつわる白狐伝説「葛の葉姫」に由来するようです。
 
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「稲荷大社」と刻まれた石柱がありましから、この深草トレイルは伏見稲荷大社の外周にもなっているようです。
 
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青木ヶ瀧(たき)」と刻まれた石柱と「青木大神」の鳥居がありました。「青木大神」は古事記と日本書紀に登場する猿田彦(さるたひこ)を祀(まつ)っているようです。
 
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近くには「青木ヶ瀧道」の石柱が
 
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農道のような広い道に出たところに「白菊ノ滝」の案内標識がありました。
   
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すぐ先にももう一つの標識
   

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「七面大天女の滝」があります。ちなみに、七面大天女には法華経の守護神である七面天女様が祀られています。
  
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白菊ノ滝
 
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そして、こちらは「御釼ノ瀧(みつるぎのたき)」。ちなみに、紹介したいくつもの滝はいずれも滝行場となっている(なっていた)ようです。
 
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(続く)

2015年10月11日 (日)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 「伏見稲荷大社」と稲荷山ハイキング(その2)

古い鳥居に交じって真新しい鳥居が並んでいて、密集する鳥居が創り出す朱色のグラデーションが不思議な雰囲気を醸(かも)し出しています。
 
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鳥居に取り付けられた吊り行灯(つりあんどん)にはお稲荷さんの神紋である「抱き稲の紋(だいいねのもん)」が描かれています。
 
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千本鳥居は二手に分かれます。中央の石柱にはいずれのルートでも「奥之院へ1丁(約108m)」と表示されています。
 
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左手のルート
 
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千本鳥居の出口
 
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奥社奉拝所は本殿の東方、千本鳥居を抜けた命婦谷(みょうぶだに)にあり、一般には「奥社」の名で知られているそうで。この奥社奉拝所はお山を遥拝(ゆうはい)するところで、稲荷山三ケ峰はちょうどこの社殿の背後に位置しています。

 

 

ちなみに、稲荷山は、いわゆる「東山三十六峰」の最南端に位置する霊峰(海抜233m)で、古くから三ケ峰と呼ばれてきたように三つの峰が西から東へと段々高く連なる神々が宿る地にふさわしい山容をそなえています。
 
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その奥にある稲荷大神
 
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同行者は右手奥にある「おもかる石」を持ち上げて大満足の様子。
 
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奥社奉拝所の脇から左手へ続く千本鳥居を潜って「お山めぐり」登山コースに入りました。
 
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「鳥居奉納のご案内」
 
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トンネルのように続く千本鳥居に入って修学旅行者と国内外の観光客の人波に押されるように歩きました。熊鷹社と新池を通って三ツ辻まで続いているようです。
 
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鳥居が途切れた場所(奥社から50m)に「竹林の静宮 神宝神社」(徒歩2分)の案内看板を見つけました。千本鳥居をそのまま進んでも良いのですが、すぐ近くにあるようですから「神宝神社」へ向かう坂道に入りました。「深草トレイル」の文字も見えます。
 
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ハイキングコースのような細い遊歩道が続いていますが、この神社を目指す人はまばらというのもはばかられるほど少ないのです。石柱に刻まれた「是(これ)ヨリ上へ四丁 こうほ○」の最後の文字が私には読めません。
 
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この付近で見ることができる鳥の説明看板がありました。「深草トレイル」と書かれていますから、北方へ向かうハイキングコースにもなっているようです。
 
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周囲は竹林に変わりました。
 
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坂道を上りきった場所に古さを感じさせる神宝(かんだから)神社(正式名称;伏見神寶神社、伏見稲荷大社とは別の神社)がありました。伏見稲荷大社の本殿や拝殿の鮮やかに朱色とは対照的な無地の木肌が深い木立と一体化しています。鳥居の奥、拝殿の前に神使である「駒龍」(右:天龍、左:地龍)が見えました。カタツムリに似た姿をしていました。
 
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調べると、伏見稲荷大社とは別の神社で、天照大御神を主祭として稲荷大神を配祠しているそうです。「我が国最古至尊の神器十種神宝(とくさのかんだから)の御守を授け給いて~」とありますした。ちなみに、十種神宝とは、沖津鏡、辺津鏡 、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼、をいうとのこと。創祀 は平安期にさかのぼり、かつては稲荷山上に奉拝所だったようですが、その後は廃)すた)れ、1957年(昭和32年)になって再建されたそうです。

 

大伴家持(おおとものやかもち)の歌碑には「丈夫(ますらを)は 名をし立つべし 後乃(の)世尓(代に) 聞きつ(継)ぐ人も 語りつ(継)ぐがね」と「鶉(うづら)鳴く 古(ふ)り尓(に)し里(さと)より 思へども 何(なに)ぞも妹(いも)に逢(あ)ふよし(縁)も奈記(なき)」とありました。ちなみに、その意味はそれぞれ、「一人前の男子たるものは、まさに名を立てるべきである。後の代にその名を聞く人が、またその名を語り伝えるように、そうありたいものだ」と「鶉の鳴く古びた里にいた頃から想い続けていたのに、どうしてあなたに逢う機会もないのであろうか」(鶉鳴くは古るの枕詞で、古りにし里は旧都の奈良を指し、妹(いも)は恋人のこと)です。
 
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拝殿の左奥にある竹製の鳥居は摂社「龍頭社(りゅうずしゃ)」のようです。左手の木陰には「かぐや姫」を祀った石碑がありました。
 
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(続く)

2015年10月10日 (土)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 「伏見稲荷大社」と稲荷山ハイキング(その1)

久しぶりに新東名高速道と新名神高速道路を走って関西へ出向くことにしました。走り馴れたルートですが、通過するたびに期待するのが富士山です。御殿場SAの手前では山間から富士山を望むことができますが、東名高速道路の御殿場JCTから入った新東名高速道路の駿河沼津SAから富士宮IC方面へ向かう途中に富士山のビューポイントがあります。東名高速道路の富士川SAにあるビューポイントも良く知られていますが、新東名高速道路が開通してからは立ち寄ることがなくなりました。
 
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新富士ICを過ぎた富士川トンネル付近では霧が出ていました。
 
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新東名高速道路から連結道路を利用して三ヶ日JCTで東名高速道路に入りました。今年度内には新東名高速道路が伊勢湾岸道路(正確には伊勢湾岸道路と直結する東海自動車環状道路)の豊田東JCTまで延伸されると、混雑する東名高速道路を利用する必要がなくなります。ちなみに、新東名高速道路の延伸工事の様子は「東三河の魅力探訪」の記事で紹介しています。

 

また、新名神高速道路(近畿自動車道名古屋神戸線)についても平成28年度末(平成29年3月)完成の予定で大津JCTから先(神戸寄り)で用地取得が行われています。そのうち、京奈自動車道路と第二京阪自動車道路を結ぶ城陽JCT~八幡JCTの区間は一歩先行し、平成35年度末(平成36年3月)完成の予定で工事が佳境(かきょう)を迎えているようです。
 

                            ☆

 

今回の目的地は10か月ぶりに訪れる京都です。まだ紅葉の季節には早いのですが、京都市内が観光客で混雑し始める前のタイミングを選びました。そして、参拝する神社仏閣の候補はこれまで当ブログで紹介したことがない場所を選びました。最初に訪れるのは伏見稲荷大社。日本人は勿論(もちろん)のこと、外人に人気がある伏見稲荷大社は京都観光の定番スポットですが、伏見区深草藪之内町にあるこの伏見稲荷大社(全国に約3万社ある稲荷神社の総本宮)にはまだ参拝したことがなかったのです。そして、不思議なことに世界文化遺産である「古都京都の文化財」(17か所)に含まれていません。

 

所要を済ませた数日後に伏見区へ向かいました。国道24号(烏丸通り、河原町通り)の竹田久保町交差点で東(府道201号)へ折れ、さらに800mほど進んだ交差点で府道201号にしたがって左折して北進しました。遠回りをするコースですが、一方通行が伏見稲荷付近の府道201号が一方通行になっていますから止むを得ません。400mほど先にあるJR奈良線稲荷駅の反対側(東側)に伏見稲荷の駐車場(入口)を見つけました。普通車を200台収容できる無料駐車場です。

 

駐車場から一番鳥居がある表参道の入口に出ました。表参道の右手で塀に囲まれている場所が駐車場です。ちなみに、駐車場からは一番鳥居と二番鳥居の中間地点にアクセスすることができます。一番鳥居から、楼門、外拝殿(舞殿)、内拝殿、本殿が一直線に並び、本殿の背後には斎場と千本鳥居から続く稲荷山の神蹟群があるようですから、その順に巡ることにしました。
 
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表参道をしばらく歩いた場所から振り返って見た一番鳥居です。表参道の両側に立てられた幟(のぼり)には「外国人に人気の観光スポット2015 日本国内二年連続第一位」と染め抜かれていました。ちなみに、伏見稲荷大社は京都の山城に勢力を持ち稲荷(農耕神)を信仰していた渡来人の秦氏が和銅4年(711年、女帝元明天皇の時代)にこの地に奉鎮した(祀った)とされます。元々は農耕神でしたが、現在は五穀豊穣・商売繁盛・殖産興業・交通安全など幅広い御利益があるとされ、年間約1000万人が、初詣の三日間だけでも約270万人が参拝すると言われます。ちなみに、人出では、1位明治神宮の約316万人、2位川崎大師約302万人、3位成田山新勝寺約300満人、4位浅草寺約283万人に次ぐ5位ですが、人気度では堂々1位にランキングされているようです。
 
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二番鳥居の奥には楼門(ろうもん)が見えてきました。
 
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表参道の石段を上がった所には朱色が鮮やかな楼門(重要文化財)が聳(そび)えています。朱色は魔力・邪気に対抗する色・権威の象徴を意味し、稲荷大神の力と神徳を表す色とされているそうです。この楼門は天正16年(1588年)豊臣秀吉が母の病気平癒(へいゆ)を祈願して寄贈した祈祷料((きときとうりょう)1万石で建立されたそうです。
 
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普通の神社に付もの(守り神)である狛犬(こまいぬ)の代わりに駒狐が出迎えてくれます。白狐は稲荷大神の使いと伏見稲荷大社で狐が加えているのは玉(宝珠)・鍵・稲穂・巻物の4種類とのことですが、左手狐は稲荷大神のみたま(玉=霊徳)を身につけようとする願望の象徴あるいは「穀物の倉庫」とされている玉(宝珠)を、右手の狐は稲荷大神の霊徳の象徴あるいは「倉庫の鍵」とされる鍵(かぎ)をくわえています。
 
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外拝殿(重要文化財)は天正17年(1589年)には四間四方の拝殿として建てられましたが、天保11年(1840年)に稲荷祭礼の五基の神輿(みこし)を並べるために間口五間奥行産県に改築されたと説明されています。
 
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外拝殿の近くにある境内案内図
 
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外拝殿の奥には、内拝殿と本殿(重要文化財)が並んでいました。
 
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内拝殿の右手前にある神楽殿
 
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内拝殿の左手から見た「打越流造(うちこしながれづくり)」と呼ばれる本殿(重要文化財)です。側面から見た時の雄壮な屋根の曲線美は見事です。応仁の乱で応仁2年(1468年)に一度は消失しましたが、明応8年(1499年)に復興・遷宮となったとのこと。
 
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権殿(ごんでん、重要文化財)は寛永12年(1635年)に五間社流造・檜皮葺(ひかわぶき)で再興されたもので、昭和34年(1959年)に東北川に移築されたと説明されています。ちなみに、権殿は社殿を造営・修理する間、神体を仮に奉安する場所、つまり仮殿(かりどの)です。
 
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内拝殿に参拝したあとは境内を巡る一般的なルートである千本鳥居(2ルートがある)を抜けて「奥社奉拝所」へ向かうことにしました。権殿左手の鳥居を守る狐(左側)は巻物をくわえています。右手の狐は何も・・。
 
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鳥居を潜った左手に祀られる末社群です。左から、左:長者社(祭神:秦氏)、荷田社(祭神:荷田氏)、五社相殿社(左から蛭子社・猛尾社・若王子社・日吉社・八幡宮社)、両宮社(祭神:天照皇大神・豊受皇大神)。ちなみに、末社とは神社に付属する小さな神社(本社の祭神と縁故が深い神を祀った摂社に次ぐ格式をもつ)です。
 
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正面には同じく末社の玉山稲荷社(祭神:玉山稲荷大神)
 
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千本鳥居が近づきました。右手の石段を上るようです。ちなみに、左手奥には奉納された馬神が祀ってありました。
 
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その石段を上がりました。
 
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いよいよ千本鳥居を潜(くぐ)ります。
 
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崇敬者が祈りと感謝の念を奥社参道に鳥居を奉納することで表そうとする信仰は江戸時代に興(おこ)り、現在の「千本鳥居」を形作ったのだそうです

 
   
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(続く)

2015年10月 6日 (火)

「ワイドFM」の試験放送が始まった

昨日(10月5日)、関西から自宅に戻るとワイドFMの試験放送が首都圏で始まっていました。半年前の当ブログで紹介した新しいラジオサービスです。まだ弱い出力(最終的には7kW)のようですが、わが家のクラッシック型ラジオ・ラジカセ・ステレオレシーバー(いずれもアメリカで購入したアメリカ仕様製品))で高音質かつクリアに受信することができます。試験放送ですから、限られた時間帯に音楽を流して、時折局名をアナウンスするだけです。それでも、半世紀前にはじめてFM放送を聴いた時の感動を思い起こさせました。

 

                           ☆

 

前回の記事と重複しますが、「ワイドFM]の概要をもう一度説明しますと、AM放送と同じ内容をFM放送でも送信する「ワイドFM(FM補完放送、サイマル放送)は、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送のAM3局が東京スカイツリーに設置した送信機と共同送信アンテナ(送信所の名称は墨田放送局)を使い、12月に予定される本放送に備える送信試験が始まったのです。

 

関東地方ではこの3局に先駆ける形で今年8月から茨城放送がFM補完中継局(水戸FM局、愛称"i-fm"(あいえふえむ)の本放送を開始しました。また、関東地方以外 では、昨年12月から富山県(KNBラジオ)と愛媛県(南海放送ラジオ)今年1月から鹿児島県(MCCラジオ)、今年3月から秋田県(ABSラジオ)、計7局の民放局がすでに本放送を開始しており、10月1日には名古屋の民放局が加わりました。

 

「ワイドFM」は地アナ放送に使われていた電波の一部(CH1-CH390-95MHz)を使用しますから、従来のFMラジオやFMチューナーでは受信できません。しかし、地アナのCH1-CH3あるいは欧米のFM放送帯域である88-108MHzをカバーする「FMワイドバンド対応」ラジオ(あるいはラジカセ)では、「ワイドFM」の周波数に合わせるだけでこの放送受信することができます。

 

東京のAM局であるTBS・文化・ニッポンはそれぞれ90.5MHz91.6MHz93.0MHzが割り当てられており、その出力は既存FM局の電波の強さを超えない7kWです。また、神奈川県のRFラジオ日本は92.4MHz。 通常のFM放送と同様にクリアで雑音および混信が少ない安定した高音質の放送(ステレオあるいはモノラル)を楽しむことが期待できます。サービス範囲は出力が小さいためAM放送よりもやや狭いようです。

 

AM中波放送の帯域幅は電波法で100Hz-7.5kHzVHFFM放送は60Hz-15kHzと定められています。しかし、現在のAM中波放は周波数配置が9kHz間隔であるため、隣接する放送局との混信を避けるためのフィルターを使うと、その半分の4.5kHz位までの音しか再生できません。つまり、高音(4.5-7.5kHz)がカットされて、バランスが悪いこもった音になります。ちなみに、人の耳は低音と高音のバランスに敏感であり、高音部だけをカットすると不自然な音であると感じられるのです。また、AM放送が原理的にFM放送より音質が悪いわけではありません。

 

余談です。中波AM放送はIP(Internet Protocol)サイマルラジオの「ラジコ」(ステレオ番組あり)でもある程度は高音質で受信することができますが、原理的に遅延が発生するだけではなく、インターネットを利用しているため災害時にインターネットが使えなくなると、ラジコは利用できなくなることがあります。

 

                           ☆

 

「ワイドFM」について長々と説明しましたが、「ワイドFM」について2度目の記事を書いた目的はわが家にあるステレオレシーバー(チューナー付きアンプ)、ラジカセ、クラッシクスタイルのラジオはいずれも20年以上前にアメリカで購入したもので、日本では地アナ・テレビ放送の音声は受信できましたが、FM放送をまったく受信できませんでした。しかし、「ワイドFM」の登場で有用なものに変身してくれたのです。

 

FM受信モードに切り替えると、いずれの機器でもあっけないほど簡単に受信できました。もちろん、高音質で十分満足のできるものです。ラジコのように時間的な遅延がありませんし、インターネットの状態に影響されて音が途切れることもありません。ラジカセとクラッシクスタイル・ラジオのチーナーはアナログ式のため放送局を切り替える(周波数に合わせ直す)のはやや面倒です。一方、スレレオレシーバーはデジタル式ですから、周波数をプリセットしておけば、簡単に切り替えることができます。

 

残るのはカーラジオです。FM受信部は76-90MHzしかカバーしていません。首都圏や地方都市などAM放送が良好に受信できるエリアでは「ワイドFM」が受信できなくても不都合はありませんが、山間部などをドライブする時には「ラジコ」に切り替えるしかなさそうです。しかし、携帯の電波が入らない場所はカーステレオのHDDに録音した音楽を聴くか、無音(BGM無し)でドライブに専念することにしましょう。

 

本題からそれますが、「ワイドFM」をエアチェックしていて、89.7MHzでの放送を開始した音楽専門局「InterFM897」を偶然に見つけました。今年6月26日からにこの周波数でInterFMの名称で試験放送を開始していましたが、10月1日から「InterFM897」に放送局名を変更したようです。ちなみに、放送エリアは東京都23区および横浜市・川崎市・千葉市・さいたま市を含む首都圏エリアで、他局との混信があった旧周波数(76.1MHz)での放送は10月31日に運用を終了するそうです。

 

さらに、米国仕様の周波数レンジ(88-108Mhz)の下限に近い88.3Mhzでもう一局を見つけました。東京FM (旧FM東海/エフエム東京)に次いで2番目に古いJ-WAVE(81.3Mhzで東京スカイツリーにある送信所から放送)が9月下旬に始めた試験局でした。日本仕様の周波数レンジ(76-90MHz)の上限に近いこの周波数で流されているのは同局の本社がある六本木ヒルズに送信所がある都市型難視聴対策として港区に設置される「港中継局」の試験放送(予備免許による)であることを知りました。こちらも音楽を流しながら、時々ステーションコール(局名告知)「港FM」が挿入されるだけです。成熟した放送業界において日々新しい発見があることは60年来のラジオファンである私に小さな楽しみがまた増えたようです。

2015年10月 4日 (日)

京都の神社仏閣巡り

所用で連休中の9月20日から長期間滞在(2週間余り)することになった京都で、久しぶりに寺社仏閣巡りをすることにしました。これまで当ブログ(温泉大好き/旅行大好き)で数多くの神社仏閣を紹介してきましたが、順不同で列挙すると以下の通りです。

京都観光の定番スポットである金閣寺(鹿苑寺)・銀閣寺・清水寺・平安神宮、弘法大師縁(ゆかり)の東寺・神護寺・大覚寺(旧嵯峨御所)、東山では秀吉  と側室寧々(ねね)が祀られでいる高台寺・真言宗智山派総本山の智積院・八坂神社、紅葉で知れる西山の光明寺(こうみょうじ)・十輪寺(じゅうりんじ)・善峯寺(よしみねでら)、桜の名所である醍醐寺、三尾の槙ノ尾西明寺(まきのおさいみょうじ、神護寺の別院)・栂ノ尾高山寺(とがのおこうざんじ)、洛北では大原の三千院・寂光院・上賀茂神社・下鴨神社(洛中)・貴船神社、洛南の紅葉の名所である東福寺・泉涌寺(せんにゅうじ)・今熊野観音寺・来迎院(らいごういん)、一休禅師が復興した大徳寺、東本願寺・西本願寺、嵐山の天龍寺・野呂神社、花園御所を寺とした臨済宗妙心寺派大本山の妙心寺、長岡京市の長岡天満宮・乙訓寺(おとくにじ)、石清水(いわしみず)八幡宮、宇治の平等院など。

今回は当ブログでまだ紹介していない神社仏閣(順不同)だけを選びました。洛南の伏見稲荷大社・城南宮・観智院(東寺の塔頭)、洛中の北野天満宮(梅と紅葉で知られる)・平野神社(桜の名所)、東山の南禅寺・建仁寺(けんにんじ、京都五山の一つ)・恵比寿神社(えべっさん)、洛西の仁和寺(にんなじ)、宇治の宇治上(うじがみ)神社の10か所です。

京都滞在中の空き時間を利用して、これら10か所の神社仏閣を何回かに分けてすべてを廻り終えることができ、当初の所用をほぼ予定通りに完了しましたので、明日帰宅することにしました。そして、自宅のPCを使って写真と原稿を整理した上でブログ記事を順次投稿したいと思います。

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