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2015年11月 1日 (日)

秋の京都で神社仏閣巡りを楽しむ 東山の南禅寺「南禅寺」

二条通りを東に進んで、行き当った白河通りを南下し南禅寺前交差点を左折すると約300m先、中門の左手前(勅使門の前)にある南禅寺の第一駐車場に到着。ちなみに、駐車料金は2時間まで1000円(以降1時間毎500円)とやや高めです。
 
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正応4年(1291年)に創建された臨済宗南禅寺派大本山の「南禅寺」は天龍寺・相国寺(しょうこくじ、金閣寺・銀閣寺は同寺の境外塔頭)・建仁寺(けんにんじ)・東福寺万寿寺(東福寺の塔頭、拝観不可)とともに「京都五山」と呼ばれます。「五山制度」は印度の五精舎にならい、中国南宗末期に禅宗の保護と統制のため格式高い五つの寺を定めたことに由来するそうです。北条氏が導入した「鎌倉五山」(五大官寺)に次いで室町時代初期には京都にも「京都五山」が定められましたが、3代将軍の足利義満により五山の上に南禅寺が置かれたこと(京都五山の上)により日本の禅寺のなかで最高位の格式を持ちます。また、亀山法皇が開基(創立者)である日本最初の勅願禅寺でもあります。正式名称には瑞龍山太平興国南禅禅寺(ずいりゅうさんたいへいこうこくなんぜんぜんじ)、本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ、釈迦如来)です。

 

中門を潜(くぐ)って緩(ゆる)やかな上り勾配(こうばい)の参道を東へ歩きました。右脇の水路には清らかな水が流れています。
 
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「大本山 南禅寺全景」には東山の山麓に造られた広大な伽藍(がらん)が分かりやすく描かれています。中門(中央下)、その左上の一際大きな建物は「三門」、その奥の「法堂」(はっとう)、一番奥は「方丈」「本坊」「清涼殿」、法堂の右手(南側)は「琵琶湖疏水の水路閣」が横切る「南禅院」(南禅寺の別院)です。そして、周囲を取り囲むのは塔頭(たっちゅう)群です。
 
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圧倒的な迫力で迫る「三門」は五間三戸二階二重門、つまり太い柱によって5つに間仕切りされ、中央の3か所にはそれぞれ板戸があり、それが入り口になっている。山門楼上内陣に釈迦如来坐像と十六羅漢僕などが安置されているそうです。開創当時のものは永仁3年(1295年)に創立されましたが、文安4年の火災で焼失したものを寛永5年(1628年)に再建されたそうです。入母屋造、本瓦葺、高さは約22メートルで、両側に桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺の山廊があり、明治32年(1899年)に国指定重要文化財となりました。
 
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南禅寺このの「三門」は、知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、京都三大門の一つに数えられています。ちなみに、「三門」は仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表す、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称だそうです。山門を抜けると石畳の参道が延びていました。南禅寺は社会見学のメッカのようで、ガイドさんが小学生の団体に向ってあれこれ説明していました。

 

「法堂」(はっとう)は法式行事や公式の法要が行われる場所で南禅寺の中心となる建物です。慶長11年(1606年)に完成しましたが、明治28年(1895年)に焼失した後、明治42年(1909年)に再建されたものだそうです。内部の須弥壇上中央に本尊釈迦如来、右側に獅子に騎る文殊菩薩、左側に象に騎る普賢菩薩の三尊像を安置し、床は一面の敷瓦となっているともこと。
 
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「法堂」の右手を抜けてさらに奥へ進むと「本坊」が現れました。黒々とした用材が白壁を鮮やかに区切るデザインとすっきりとした屋根の美しい稜線が印象的な建物です。「本坊」に入った窓口で国宝「方丈」を拝観するための志納治金(大人500円)を納めました。
 
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本坊の左手には唐破風(からはふ)の大玄関がありますが、特別な行事の時にのみ使用されるものであるため入ることはできません。大玄関の左手には書院が配されて方丈へと続いているようです。

 

『本坊の左手に続く「方丈」は大方丈とその背後に接続した小方丈で構成されています。大方丈は内陣、御昼の間、鳴滝の間、麝香の間、鶴の間、西の間、柳の間、六畳、狭屋の間、広縁より成る入母屋造、杮(こけら)葺です。また小方丈は虎の間、三室(九畳、六畳、二十畳)広縁よりなり、背面切妻造、前面大方丈に接続、杮葺となっており、昭和28年国宝に指定されました。『仏間を除く各室に桃山時代、狩野派の障壁画があり、計124面(附指定4面を含む)が重要文化財に指定されている。これらは旧御所の障壁画を引き継いだものであるが、建物の移築に際して襖の配置構成が大幅に変更されており、本来ひと続きの画面であった襖が別々の部屋に配置されているものも多い』(出典;南禅寺のhp) 小方丈「虎の間」の襖に描かれた狩野探霊の「水呑みの虎」や「群虎図」などの傑作絵画(壁画・襖絵など)については南禅寺のhp朝日新聞のサイトを参照してください。
 
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枯山水庭園である「方丈庭園」は名勝に指定されています。
 
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国宝「清涼殿」の木札があるのは、この方丈が御所の建物「清涼殿」を下賜されたものであるとされていることによります。
 
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「小方丈庭園」の「如心庭」
 
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書院北の庭園
 
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苔(こけ)を活かした「六道庭」は道輪廻の戒めの庭。六道輪廻とは、天上・人間・修羅(しゅら)・畜生(ちくしょう)・餓鬼(がき)・地獄の六つの世界を我々は生まれ変わり続けるという仏教の世界観のことです。写真の右下に鬼瓦が庭に置かれています。「餓鬼」を暗示しているのかもしれません。
 
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涵(豢)龍池(かんりゅういけ、龍を飼う池)と龍吟庭(りゅうぎんてい)、奥に見えるのは茶室の「不識庵」(ふしきあん)です。
 
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回廊(かいろう)
 
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華厳庭と南禅寺垣
 
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還源庭
 
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方丈の入口である本坊まで戻りました。写真は「東山三十六峰」のリストと法堂の天井画「幡龍」(ばんりゅう)の写真(左上)など。「東山三十六峰」として北端の比叡山から南端の稲荷山までが順に表示されています。
 
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本坊を出て南側へ伸びる散策路を歩きました。南禅院へ至る石段の手前にあるレンガ造りの「水路閣」(市指定遺跡、国の史跡)は全長93.17mで、現在も琵琶湖疏水の疎水橋(そすいきょう)として利用されているようです。
 
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南禅寺のhpによると、『疏水は琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路である。滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通り京都市東山区蹴上迄の区間である。疏水の工事は1885年に始まり、1890年に竣工した。疏水の目的は大阪湾と琵琶湖間の通船や水車動力による紡績業,潅漑用水,防火用水などであった。ところが水力発電の有利性が注目されるようになり、1889年に蹴上に発電所が建設され、1991年には送電を開始した。また水力発電の増強と水道用水確保のため、1908年に第2疎水の工事が、始まり、1912年に完成している。同時期に蹴上浄水場が建設され、現在は上水道の水源として利用されている』、と説明されています。

 

反対側(山側)は「水路閣」を通った「疏水分線」がトンネル区間へと移る場所のようです。
 
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同行者に教えられてトンネルのようにも見える橋脚の間を撮影しました。
 
 
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余談です。「琵琶湖疏水」については、8年前に当ブログで触れたことがありますが、ここでその概略を説明したいとおもいます。京都市内で必要とする上水道・発電・水運・灌漑(かんがい)・防火などを目的として明治時代に第一疏水と第二疏水が相次いで建設されました。滋賀県大津市で取水された2つの疏水は京都市東山区蹴上(けあげ)発電所で合流し、インクライン(傾斜鉄道、終戦直後に運転停止)の下に設置された導水管で琵琶湖疏水記念館がある南禅寺船溜へと下りて行きます。夷川ダム(水力発電所)を経たあと一部は鴨川に流入しますが、大半は鴨川運河として南下して伏見城の外堀に入り三栖閘門を経て宇治川に注(そそ)いでいます。
 

これが「琵琶湖疏水」の本流ですが、実は蹴上から分水され東山の麓にある南禅寺と・禅林寺を経て北上する「疏水分線」があるのです。先の記事で紹介したように、熊野若王子神社横から銀閣寺(正式名;慈照寺、じしょうじ)付近の白川通今出川交差点の間には疏水分線に沿って「哲学の道」が伸びています。南禅寺にある疏水閣はこの「疏水分線」のために建設された水道橋で、南禅寺境内の東側は景観に配慮してトンネル区間になっているのです。「疏水分線」は「哲学の散歩道」の先で白川と交差すると向きを西に変え、高野川・泉川・鴨川と次々に交差して堀川まで続いているようです。
 

駐車場に戻る途中、「三門」に上がる階段が見えました。調べると、料金は大人500円。中門を出ようとした時、白人女性に声を掛けられ、蹴上(けあげ)駅への行き方を聞かれました。彼女が持つ地図上でルートを説明しましたが、物はついでとばかりに彼女とそのご主人を車で送ることに。その途中の雑談で、彼らは京都に9日間滞在したあと、高野山へ行く予定だと教えてくれました。あっという間に地下鉄蹴上駅の入口前に到着。『高野山はとても美しいところですよ。旅を楽しんでください』との餞(はなむけ)言葉を車から降りた2人に投げました。『旅は道連れ、世は情け』です。 

 

これまで、洛南・洛中・洛北・東山の順位に廻ってきましたので、次回は再び洛南へと足を伸ばします。(続く)

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