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2015年11月27日 (金)

晩秋の都心散策と早めの忘年会 (日本橋編)

11月になると様々な行事が予定されて慌ただしくなりますが、その主なものにひとつが忘年会でしょう。以前は師走(12月)に開かれことが普通でしたが、最近は混雑を避けるため、11月へ前倒しされることが多いようです。私についても今年は3つの忘年会が11月中旬に集中してしまいました。最初の忘年会は勤務していた会社のOBによる集まりですから旧職場近くの会場でしたが、残りの2つは都心の日本橋と銀座が選ばれました。

 

東京メトロ・半蔵門線三越前駅を下車して日本橋三越本店(新館)の前に出ました。2004年にリニューアルオープンした重厚感に溢(あふ)れる建物(地上10階、地下2階)です。
 
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三越は、以前のブログ記事に書きましたように、創業者三井高利(たかとし)の姓と創業時の屋号である越後屋を組み合わせた命名です。また、終戦直後まで存在した三井財閥(現三井グループ)はこの三井越後屋が分かれた三越(現在は三越伊勢丹ホールディングス傘下の株式会社三越伊勢丹)と三井銀行(現三井住友銀行)が源流となった持ち株会社三井合名が支配した企業グループでした。ちなみに、日本橋三越本店と旧三井銀行本店(三井本館)は道路を挟んで隣接し、また日本銀行もこれらの西隣に立地しています。

 

日本橋北詰交差点の横断歩道を渡って日本国道路元標がある日本橋(国指定重要文化財)の袂(たもと)に出ました。
 
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日本橋の親柱には「獅子の像」が飾られており、その獅子(しし)は前足で東京市の紋章(現東京都の紋章)を押さえています。この紋章は太陽を中心に六方に光が放たれている様を表しているそうです。また、獅子像の下にある橋名板には漢字で「日本橋」と書かれていますが、これは最後の将軍であった徳川慶喜の筆によるものだそうです。
 
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日本橋に覆(おお)いかぶさるように存在するのは首都高速道路の高架です。少し前(2005年ころ)には、日本橋の景観を取り戻すため、日本橋近辺の首都高を地下化(あるいは移設)しようとする運動がありましたが、巨額な費用が必要であるため、まだ実現する兆(きざ)しはありません。そのためか、高架下に明るい照明が取り付けられたことで夜の景観はそれなりに美しくなりました。
 
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橋中央部の欄干には、別のブログ「これって何?」と「浜町緑道」で紹介した羽根のある龍の像が何体も飾られています。
 
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日本橋を渡りきったところにも同じ親柱がありますが、こちらの「橋名板」は平仮名で書かれています。これも徳川慶喜が書いたものだそうです。写真では読み取りづらいのですが、「にほんはし」の「は」(慣習で濁らない)が通常の「は」ではなく、変体仮名が使われています。変体仮名の「は」は「者」を崩したもので、現代人が読むことは困難です。
 
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ちなみに、「橋名板」は4つある親柱のうち、道路(街道)の起点側左手に漢字表記があり、道路の終点寄り左手には平仮名表記のものが設置されることがデファクトスタンダード(事実上の標準、具体的には地方自治体が各々定めるルール)ですが、主要道路(五街道)の起点である日本橋は特異点であり興味深いのですが、東海道(国道1号)を優先させたのか、上記の配置になっています。後になって知ったことですが、日本橋の残る2つの親柱の脇(下側)には橋にまつわる来歴を表示した橋歴板が取り付けられているそうです。

 

中央通り(国道1)を南へ歩きます。最初の交差点角(左手)には寝具の老舗「東京西川」(日本橋西川ビル)、右手はニホンバシビルと黒江屋国分ビルが並んでいます。その右隣には榮太郎飴で知られる「榮太郎総本舗」(榮太郎ビルディング)があるはずです。ちなみに、東京西川には同じ源流(1566年に近江商人の西川仁右衛門が創業した西川産業)をもつ京都西川と西川リビング(旧大阪西川)があるようです。
 
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次の日本橋交差点(北東角)にはひと際高く聳(そび)えるコレド日本橋(正式名称:日本橋一丁目三井ビルディング)があります。日本橋で三越と高島屋と並ぶ百貨店であった白木屋本店および白木屋を買収した東急百貨店の日本橋店(1999年閉店)跡地の再開発事業として三井不動産と東急不動産により2004年に竣工した超高層ビルです。
 
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日本橋交差点を通過して日本橋高島屋方面へ歩きました。写真左手の建物が日本橋高島屋です。その手前に巨大なクレーンが見えますから、ビルの建て替え工事が行われているようです。その向かい側(右手)には日本橋南郵便局があるはずです。
 
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中央通りの東側にある東京日本橋タワーは高さ180mの住友不動産が中心になって建てられた超高層の複合ビルで、地上3階から地下1階まで店舗が入店し、地下2階がイベントホール、地上4-5階がコンファレンスセンター、7階がスカイロビー、8-35階がオフィスとなっているようです。
 
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高島屋日本橋店が近づきました。その手前のエリアは再開発のため工事用の塀で囲まれていました。高島屋日本橋店の外壁が東側でむき出しになっているのが見えます。ちなみに、高島屋の屋号は創業者飯田新七の義父が近江国高島郡の出身であったことによります。
 
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調べると、髙島屋日本橋店を核とした「日本橋二丁目地区第一種市街地再開発事業」が昨年末から進められていました。国指定重要文化財の髙島屋日本橋店(地上8階/地下3階)はほぼそのままですが屋上には緑あふれるオープンテラス(約6000平米)が整備され、北隣の高島屋北別館とおよび他ビルの跡地には超高層ビル(高さ180m、地上31階/地下5階)、東隣の高島屋新館の跡地にも超高層ビル(高さ145m、地上26階/地下5階)が建設(竣工;2018年度)され、渡り通路が設置される予定とのこと。

 

高島屋の向かい側には日本橋丸善東急ビルはがあります。2004年に建て替え工事が始まった時、丸善のブックストアは「丸善・丸の内本店」として2004年にオープンしましたが、2006年に工事が完了した後は元の日本橋店(正式な本店)として復活しています。
 
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その手前にある日本橋南郵便局の角を右折しました。郵便局のショーウインドーに珍しいものを見つけました。明治初期(明治4年、1871年)から使われた郵便ポスト「書状集め箱 都市用」です。木箱前面の右上には「毎日八時開函」と表示されています。ちなみに、左下に書かれた駅逓司(えきていし)とは慶応4年(明治元年、1868年)に設置された交通通信担当官司(かんし、官庁のこと)で、後に逓信省(ていしんしょう)の元になった組織です。「逓」は次々と伝え送ることを意味する漢字で、「信」は手紙や通信を意味しますが、戦後(1949年)になって電気通信省(後の日本電信電話公社、現NTTグループ)と郵政省(現総務省の郵政事業庁、後に日本郵政公社)に分割されました。
 
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日本橋南郵便局の大きなビルにもたれ掛るような細長い雑居ビル(日本橋テイトビル)が見つかりました。1階はドトールコーヒー店ですが、目的の店は地下1階にあるカキ酒場「北海道厚岸 日本橋本店」です。厚岸(あっけし)産の牡蠣(かき)を使った料理を堪能(たんのう)できる店です。地下にある店舗は狭いのですが、人気店であるため、予約する必要がありそうです。
 
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忘年会を兼ねた飲み会で食べた料理はブログ「竹輪会」を店内の様子とメニューの詳細は関連のグルメサイトを参照してください。(銀座編へ続く)

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