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2015年12月 8日 (火)

「どうして自分だけは?」

昨日(12月7日)、12時55分からワイドFMの本放送が始まりました。試験放送の最終曲として流れたクラッシク音楽(AM放送では社長の挨拶とカウントダウン)に続いて、本放送の冒頭を飾ったのは在京民放ラジオ局(3局)が協力した同時生番組「FMでもキキマス!ゴールデンたまむずび」(13:00-15:30)でした。もちろん、AM放送とのサイマル(同時)放送。
 
2015_12070009先の記事で紹介しましたように、試験放送が始まってからしばらくは時間限定で音楽とステーションコールだけが流されていましたが、11月下旬から古いスペシャル番組の再放送に変わりました。
 
そして、本放送ではAM放送とまったく同じ番組がサイマル放送として流され始めています。ちなみに、ワイドFMはアナログ技術を利用していますから、インターネット経由で配信される「ラジコ」のように遅延(時間的な遅れ)はありません。しかも、FM放送と同等レベルの高音質(雑音がなく低音から高音まで忠実に再現するHiFi、かつ番組によってはステレオ)で楽しむことができるのはうれしいことです。そして、ラジコとは違い、時報も流れるのです。

2015_12070010
前回は触れませんでしたが、わが家に地デジ放送を配信しているケーブル会社は他のFM放送のように「ワイドFM」を再送信していません。やむを得ず自作の簡易アンテナを窓際に設置してFM電波を直接受信しています。見栄えはともかく(一応、レースのカーテンで目立たないようにしてある)、強電界エリアですから簡易アンテナであっても受信電波の強度は十分のようです。ちなみに、私が自作した簡易アンテナは75オームの同軸ケーブルの一端にF型コネクターを接続し、他の端には長さ90cmのコード(2本)を中心導体および外部導体のそれぞれに半田付けしてT字型(竹とんぼのよう)に広げただけのものです。
2015_12070011 
私の作業部屋の窓は「ワイドFM」の送信所がある東京スカイツリー方向とは少しずれていますが、簡易アンテナの緩やかな指向性がカバーしてくれそうです。右側の三枚の写真は上からTBSラジオ(90.5MHz)、文化放送(91.6MHz)、ニッポン放送(93.0MHz)の受信状況で、いずれもステレオ・モード(周波数表示の左隣にある赤い表示)になっています。ちなみに、スピーカー出力は疑似サラウンドに設定してあります。


これからはAM放送をTPOに合わせて「クラッシク型ラジオ受信機」「オーディオセット」「カーラジオ」そして「ラジコ」のいずれかで楽しみたいと思います。
 
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「ワイドFM」の受信体制整備が一段落したところで、年末の恒例である私の仕事場の大掃除(おおそうじ)と毎日使用してゴミが溜(た)まったパソコンについてもファイルを整理することにしました。そして、数年前のメモ書きを見つけました。さしたる意味はありませんが、箸休(はしやす)めの記事としてそのメモの抜粋(ばっすい)を投稿することにしました。唐突(とうとつ)なテーマですが、最近投稿した「人生の目的を考える」で書いた記事と重なる点がある内容です。そちらの記事も併せてお読みください。

 

                            ☆

 

人は折に触れて思うようです。「どうして自分だけが上手く行かないのか?」と。

何故(なぜ)でしょう。上手く行く方法を知ることはそれほど難しくはないのですが、逆に上手く行かない理由は案外分かりにくいと思います。それはあなた自身がその主にとなっていることが多いからです。あなた自身が自分のやりたいことを実現させる邪魔(じゃま)をしているのです。

 

「運が悪かった」あるいは「誰かが邪魔をした」などの理由付けはいくらでもできます。

しかし、そんな理由づけをしても何の役にも立ちません。

あなたは本当に上手く行かせたいのですか?

上手く行かないことが腹立たしいのですか?

上手く行かない理由をどこまで突き詰めて考えましたか?

 

ほとんどの場合は、あなたの考え方そのものが上手く行くことを妨(さまた)げているのです。

『そんな馬鹿(ばか)なことは!』と思う人が多いでしょう。

自分は全力を傾けて努力しているに。

あらゆる可能性を考えているのに。

 

しかし、実際のあなたは自分自身のことをほとんど考えていないのかも知れません。

それでは自分のことを考えないとはどういうことでしょうか。

人は自分に都合の悪いことは考えないようにしている、あるいは考えたくないと思っているのです。

(注)2-3か月前に投稿した「人生の目的」を考える記事で触れた「幼児期万能感」もあるのかもしれません。

 

もっと自分と対話してみましょう。

もっと自分にとって不利益なことを思い描いてみて下さい。

これは決して悲観主義ではありません。

むしろ積極的な考え方なのです。

そうすれば、自分のことがこれまでよりも理解できるようになるでしょう。

 

                            ☆
 

抽象的(ちゅうしょうてきな)な説明では理解できないという方があるでしょう。そこで、私の考え方を少しでも理解していただくため、その背景となった私の半生をあえて披露します。これまでの記事では断片的にしか紹介してこなかったことです。
 
今になって思うと、私はずいぶん「我侭(わがまま)な人生」を送って来たと思います。しかし、それと同時に自分を客観的に、あるいは第三者の視点から、眺(なが)めていたと思います。これは、少年時代に音楽や演劇に打ち込んでいたことが影響しているかもしれません。つまり、私にとっての「我侭」とは自分との徹底的な対話によって自分の「心」と論争することで方向を見出すことだったと思うのです。
 

 

自分の欲求を実現したいとの想いだけでは真の「我侭」(他人に迷惑を与えることを気にしないこと)とはいえません。それは単なる「気まま」(他人に気兼ねしない自由な振る舞いのこと)でしかありません。そして「我侭」を通すに値することは人生において滅多にないのです。多くても数年に1回くらい、たぶん人生の重要な決断をする機会(2-3度)だけでしょう。人生には進学、就職、結婚、仕事上のキャリア選択などいくつものターニングポイントがあります。 

 

その時にどのように考えるかが大事だったと思います。進学と就職では不思議なくらいに私の希望が叶(かな)いました。高校と大学は自らの学力レベルに応じた学校だけを受験して順当に(幸運なことに?)一発合格、しかも7年間にわたって奨学金の支給を受けることができました。受験においては設定した目標水準に向けて必要・十分な努力をしただけですから、あえて「我侭」というには当らないと思います。

 

就職では私の我侭(わがまま)が前面に出ました。それは、教授から推薦された関西で最大の家電メーカーではなく、会社見学で訪れて興味を持った関東の情報通信機器メーカーを選んだことです。当時としては、掟破(おきてやぶり)の行為でした。入社した会社では入社前に期待した通りに開発技術者として充実した数年間を過ごしました。しかし、連日深夜におよぶ無茶な勤務態度が祟(たた)ったのか、4年目には内臓疾患(しっかん)で緊急手術を受けることになりました。しかも、再発した5年目に受けた2度目の大手術では不運なことに輸血による血清肝炎に罹(かか)ってしまい、半年近く田舎(いなか)で療養生活を送ることを余儀(よぎ)なくされたのです。

 

順風満帆(まんぱん)と思われた私の社会人生活の序盤(22-27歳)に都合8か月も長期療養休暇をとったことは、同輩たちに1年近い後れをとったことを意味すると思われ、ずいぶん落ち込みました。ただ安静にしているだけの無為(むい)な日々を過ごすことは私にとって初めての挫折(ざせつ)体験でした。しかし、私の体調を心配してくれた上司が私に別の機会を与えてくれたのです。マイペースで仕事ができる社外の研究機関への出向です。当初は落伍(らくご)者としての人生が始まったと曲解(きょっかい)した私でしたが、その研究機関で新しい世界の存在を知ることになったのです。2年間の研究活動はもちろんのこと、他社出身の優秀な人たちと交流することで様々なことを学びながら見聞を広めることができたことは望外(ぼうがい)のことでした。 

 

研究活動の2年目はさらに研究に没頭(ぼっとう)しました。しかも、その年には海外研修も予定されており、私の期待は膨(ふく)らむばかりでした。しかし、「好事魔多し」の諺(ことわざ)通り、前年秋に発生した第1次オイルショックによる経費節減の煽(あお)りを受け、その研究機関が毎年2年目の出向者を対象として行っていた海外研修を突然中止したのです。諦(あきら)めきれない私はなけなしの預金を叩(はた)いて自費で出掛けることにしました。幸いなことに、出向先の研究機関と出向元(所属会社)の人事部門から3週間の長期休暇を取得する許可を得ることができました。それは「不良社員」と紙一重の行動だったと思いますが・・。そして、その欧州旅行は私の視野を世界へと広げるきっかっけになったのです。まさに、『人間(じんかん、にんげん)万事塞翁(ばんじさいおう)が馬』(人生における幸不幸は判断しにくいの意)でした。 

 

復社時の私はふたたび我侭(わがまま)さをいかんなく発揮しました。人事面接の場で私は国内向け開発担当から海外向けのビジネス部門(SE的な仕事)への移籍(異動)を希望したのです。そして、理解と温情に溢(あふ)れた幹部と上司の計(はか)らいでその異動が叶(かな)えられました。私が望んで移った新しい職場では、開発担当とは別の種類の遣り甲斐(やりがい)と充実感がありましたが、同時に数え切れない困難やトラブルに遭遇(そうぐう)し、時には大失敗をしでかしてしました。それらの原因と発生場所はさまざまで、日常茶飯事(さはんじごと)なことは数多くのライバル企業との熾烈(しれつ)な技術競争と情報戦、市場環境の激変によるビジネス構造の変質、予期しない製品開発の遅れや計画変更、また現地でのシステム障害および顧客が所有する既存システムとの不整合など多種多様。 

 

中には違約金として天文学的な(あるいは巨額な)金額を要求された大型プロジェクトが何件もあり、顧客対応策を考えて眠れない夜もしばしばでした。しかし、「その一つひとつに正面から取り組んだこと」「社内の上司・同僚から支援があったこと」「顧客と真摯(しんし)話し合い、協力することで解決策を見出したこと」でいずれも乗りきることができました。それらの具体的な内容をここで明らかにすることはできませんが、池井戸潤氏の「半沢直樹シリーズ」「ルーズベルト・ゲーム」「下町ロケット」などに登場する困難やトラブルにも似たスリリングなものでした。そして、困難な問題の解決を見届けることができたことも幸運であり、充足された30年にわたる海外ビジネス体験だったと思います。
 

今振り返ると、私は多くの人たちから支援・応援されてきたことがよく分かります。深く感謝しています。中には、私が今も気づいていない形で私を支えてくれた人たちがいらしたかもしれません。当ブログで3年前に紹介した百田尚樹氏の時代長編小説「影法師」の主人公名倉彰蔵(なくらしょうぞう)と自分の体験とが多くの点で重なり合うことに驚いたことがありました。
 

そして、私の「我侭(わがまま)」をあえて比喩(ひゆ)で表現すると、『觔斗雲(きんとうん、筋斗雲)で飛び回っても釈迦如来(しゃかにょらい)の手の平から飛び出せなかった孫悟空の慢心(まんしん)』と似た行為だったのかもしれません。

 

教訓めいて恐縮ですが、私が学んだことを順不同で列記します。

 

 自分自身が真に納得できたことであれば相手もいつかはそれを理解してくれる

 

 自分の思い込みや思惑(おもわく)に基づいて言い張ってはいけない

 

 苦し紛(まぎ)れで言い逃(のが)れする策は事態を悪化させる

 

 虚心坦懐(きょしんたんかい*)で相手とトコトン(徹底的に・最後まで)話し合うことが最善策

   *何のわだかまりもないすなおな心

 

 そうすれば、所属部門や企業あるいは国籍(言葉)の違いによる壁を乗り越えられる

 

 実は、あなたが色々考えているように(あるいはそれ以上に)相手も考えていることが多い

 

 その時、相手を言い負かそうとすれば、相手に言い負かされることになる

 

 自分は自らの力だけで生きているのではなく、多くの人たちのお蔭(かげ)によって在(あ)る

 

                            ☆

 

閑話休題(かんわきゅうだい)。私は、ひとつの企業において過ごした40年近い期間に重(かさ)ねた失敗体験を通して多くのことを学ぶことができましたが、その帰結(きけつ)が最初に述べた考え方なのです。そして、私の「我侭(わがまま)な人生」は多くの人たちに生かされてきた時間でもありました。今はとても感謝しています。自分を知ることは「言うは易(やす)く行なうは難(がた)し」ですが、自分の目標を目指して日々努力する間に、本当の自分が徐々に見えてきたことは確かだと思います。
 
しかし、もっと厳(きび)しい目で自分の半生を振り返ると、成功体験を重ねるにつれて「失敗を恐れる気持ち」が徐々に醸成(じょうせい)され、50歳が近づくころには「我侭」(新しいことへのチャレンジ)がなくなっていました。そして、「ガラスの天井」(それ以上には昇進できない障壁)に似たものを自らの中に創(つく)り出してしまったようです。まさに、これは私の限界を生じさせた「成功体験のジレンマ」を如実(にょじつ)に示すものでした。
 
もし、私の考えに興味をお持ちになった方は身近なところから実行してみてください。そうすればその効用を少しずつ実感していただけると思います。万一失敗したとしても、その経験のフィードバックがあなたをより良い方向に導いてくれると私は確信しています。
 

そうはいっても、『そんな曖昧(あいまい)なことは信じられない』 と思った方には何の役に立たないアドバイスだったかも知れません。本稿は、読まなかったことにして、すべてお忘れになってください。

 

                            ☆

 

<コメント> 本稿の大半は長年勤務した会社を定年退職して1-2年後に書いたメモ集から引用したものです。旅行三昧(ざんんまい)で暮らしていた私に別の会社から社員教育の臨時講師の仕事が舞い込んだ時、自分の半生(はんせい)を振り返って、若い世代への餞(はなむけ)の言葉を考えようとした時に書きつけた忘備メモでした。残念なことに、このテーマで新入社員あるいは若手・中堅社員たちに話す機会はありませんでしたが、講義の中や提出されたレポートへのコメントの形でそのポイントだけを適宜(てきぎ)伝えてきました。今になって読み返すと、人生の終盤が近づいたとの認識が生まれ始めたためか、感傷的な考え方と文章表現が目立ちます。

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