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2015年12月15日 (火)

和田竜著「村上海賊の娘」を読む(中編)

第三章>

 

景(きょう)が天王寺砦に入った翌日、2kmしか離れていない大坂本願寺の木津砦(きづとりで)とその北方1kmほどにある三津寺砦(みつでらとりで)への織田方による攻撃が始まった。三千八百の軍勢の先陣を担う泉州(せんしゅう)侍、三好(みよし)勢、根来(ねごろ)衆の最前線に立つのが武勇を誇(ほこ)る泉州侍、その先鋒(せんぽう)は触頭(ふれがしら)である沼間義清(ぬまよしはる)である。次いでもう一つの触頭である松浦安太夫、三番が眞鍋七五三兵衛(しめのひょうえ)である。馬上の沼間義清はなぜか上町(うえまち)台地を大坂本願寺へ向かって駆(か)け続けている。大坂本願寺を襲(おそ)うと見せかけて木津砦の兵(ほとんどが百姓)をたちを油断させる作戦であった。

 

頃合いを計った義清は突然左手に進路を変えて木津砦の正面(東側)に出た。これに驚いた木津砦の百姓たちは戦意を失いかけるが、木津砦を預かる坊官の下間頼龍(しもつまらいりゅう)は鍛(きた)え抜かれた舌三寸で門徒たちを動揺から立ち直らせた。義清が逆茂木(さかもぎ)に達し、両軍から矢が放たれた。木津砦の兵力二千は砦で防戦するには十分の兵力である。砦から放たれた矢の数は予想外の多さであるが、勢いが足りないため沼間家の軍勢にほとんど届かない。

 

逆茂木を抜き終わった義清(よしはる)は砦目指して駆けた。砦に迫る敵を見下ろした頼龍は距離を見定めて門徒たちに二の矢を命じた。義清の読み違いであった。一向宗門徒たちの性根(しょうね)を甘くみたのだ。さらに義清を驚かしたのは葦原(あしはら)の先にある大きな水堀だ。幅は十間(約18m)、深さは三間(約5.4m)もあり、底はぬかるんでいる。南側の三好勢は堀越しに、北側の根来衆は木津川の支流越しに矢と鉄砲を射かけるだけで一向に土塁(どるい)にとり付かない。

 

膠着(こうちゃく)状態に業を煮やした義清は馬を降りて水堀に入った。一番馳(は)せである。だが、義清に続くものは誰一人としていない。義清は大音声(だいおんじょう)に名乗りを上げた。これを見た七五三兵衛は槍のような一間半(約2.77m)もある長い銛(もり)を掴(つか)むと最前線まで駆(か)けた。カジキを仕留める銛(もり)を砦に向けて渾身(こんしん)の力を込めて投げた。義清に銃口を向けて狙う門徒たちに放てと命じようとした頼龍をかすめて銛が後方の壁に突き刺さった。銛は5人の体を貫(つらぬ)いている。義清は砦の中で何が起こったのかは分からないが、七五三兵衛の姿を見てそれを察した。義清が上げた大声に従って沼間家の軍勢五百が堀へ飛び降りた。

 

これを見た大坂本願寺からは雑賀党(さいかとう)が突出してきた。雑賀党の鈴木孫市は上町台地際の一団(約一千の兵)に照準を合わせた。木津砦を攻めるために難波砂堆(なにわさたい)へ下った軍勢の後方に敵の総大将がいるはずだと考えたのだ。しかし、部下には天王寺砦に向け駆け続けるように命じた。一方の原田長政も雑賀党の来襲に気づいて、自ら雑賀党を殲滅(せんめつ)しようと考えた。6年前の信長がその射撃の術にさんざん苦しめられたことを知っているからだ。

 

先陣として木津砦を攻めるように直政から命じられた七五三兵衛は、直政の意図に気づいて、直政を守るために崖(がけ)の上を目指して馬を駆(か)った。しかし、七五三兵衛が五町(約550m)の距離まで追いついた時に直政の軍は雑賀党軍とすでに一町(約110m)に迫ろうとした。直政が三百人の鉄砲衆に射撃を命じた。最前列が百人、その後ろに二百人が二列になって控える信長の考案した三段撃ちであった。雑賀党はどういうわけか無言のまま整然と寄せて続けている。

 

直政にはそれが一年前の長篠(ながしのの)合戦で敵対した武田の騎馬武者たちのように見えた。その時、直政は三段撃ちを成功させた体験があるのだ。直政は勝利を確信して采(さい)を振った(采;指揮すること)。孫市はわずかに左手を動かすと、軍勢はたちまち陣形を変えた。そして、雑賀党の一千の銃口は轟然(ごうぜん)と火を吹いた。これに合わせて直政方の百の鉄砲も撃発(げきはつ)。凄(すさ)まじい白煙が薄れる中、直政が見たものは自らの鉄砲隊が全滅している光景であった。雑賀党はといえば、見慣れぬ三段構え(腹射、折敷、立射)での一斉射撃を終えて、次なる射撃に備えていた。しかも、直政の軍勢(最前列になった槍衆)をじっと見据(みす)えつつ、槊杖(さくじょう)で弾を銃口に押し込んでいるのだ。

 

直政は裏崩(うらくずれ、後方部隊の混乱)した自軍を押しとどめようとするが、騎馬武者までもが敗走する状況は止まらない。討ち死にを覚悟(かくご)している直政は采(さい)を振り続けたことが仇(あだ)になった。雑賀党軍から密かに離脱した孫市は、敵の軍勢から一町(約110m)ほど離れた草むらに身を伏(ふ)せて、采を振る敵の総大将に照準を合わせた。七五三兵衛が直正の姿を見出すと同時に銃声がして直政が馬上から吹っ飛んだ。七五三兵衛が飛びついたのだ。七五三兵衛はその特徴から狙撃手が孫市であると確信する。すぐさま直政の安否を確かめると、直政は見開いた目と目の間を撃ち抜かれていた。

 

七五三兵衛は総崩(そうくず)れにつながる退却(たいきゃく)をするのではなく、迫り来る雑賀衆へと駆け向かって行くとその兵も続いた。隊伍(たいご)を組んでひと塊(かたまり)になった雑賀衆軍に対して鶴翼(かくよく)の陣のように両側に広がった。七五三兵衛が軍旗を上げさせると驚いたのは孫市であった。眞鍋海賊は漁民が多い雑賀衆にとって恐ろしい相手である。臆病風(おくびょうかぜ)に吹かれた雑賀衆は勝手に鉄砲を撃ち始めた。距離を詰めた七五三兵衛は得意の銛(もり)を敵兵目掛けて投げると、銛は多くの兵を串刺(くしざ)しにしたまま孫市の足元までたどり着いた。

 

七五三兵衛が兵とともに切り込むと、狙撃(そげき)を主たる戦術とする雑賀衆はその弱みを露呈(ろてい)し、なす術(すべ)もない。孫市は遁走(とんそう)する兵とともに大坂本願寺に向けて奔(はし)りながら陣貝(じんがい)を吹かせた。七五三兵衛はこれを強がりと誤解して、大坂本願寺へ突入する勢いで追ったが、本願寺の土塁の裾(すそ)がゆっくりと動くと眞鍋の軍勢を目指して押し寄せた。本願寺内の一万二千といわれた軍勢がすべて突出(とっしゅつ)したのである。

 

雑賀衆軍を取り込んだ一万三千の大軍が「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)の名号(みょうごう)を唱えながら怒涛(どとう)の反撃に出たのだ。七五三兵衛はわずか三百の兵で挑むことを即断した。これを見た義清は一番馳(いちばんはせ)を諦(あきら)めて、七五三兵衛の軍を救援に行くことにしたのだ。門徒たちは呆(あき)れるほど弱いことで七五三兵衛は侮(あなど)ってしまったが、死への恐怖心を持たない門徒たちの怖(こわ)さにやっと気づいた七五三兵衛は我知らず退(しりぞ)いていた。しかし、七五三兵衛は勇気を堅持し続けている。

 

そこへ義清の軍が参戦してきた。孫市は自軍の門徒衆に囲まれているため鉄砲が使えない。一方、触頭(ふれがしら)の義清に退却を強く求められたことと、他家を巻き添えにすることを避けたいと考えた七五三兵衛は止むを得ず退却することにした。自軍の兵が退却するのを確認した七五三兵衛は踵(きびす)を返し、義清も馬首を天王寺砦に向けた。孫市は織田方の軍を追う。あわよくば天王寺砦を落とそうと考えたのだ。七五三兵衛と義清の軍は敵の大軍から抜け出て脱兎(だっと)のごとく天王寺砦へと逃げた。

 

義清は上町台地上に埋伏(ふくまい、隠れること)させておいた二百の兵と退却する三百の兵を使い、交互に敵軍を矢と鉄砲で銃撃する「繰り引き」(注;二つに分けた軍団を順繰りに退却させること)を繰(く)り返した。これが奏功(そうこう)して、義清と七五三兵衛の両軍と木津砦を攻めていた軍のすべては本願寺軍が押し寄せる直前に天王寺砦に入ることができた。

 

七五三兵衛は義清が触頭に相応(ふさわ)しい人物だと思った。また、義清も七五三兵衛の泉州侍らしい大度(たいど、心の広いこと)に比べて自らの器(うつわ)の小ささを省(かえり)みて、泉州の触頭に相応しいかもしれないと思った。それは父の任世(ときよ)が危惧(きぐ)したことである。

 

孫市は一気に天王寺砦を落とせなかったことで深刻になった。一万余の大軍でも抑(おさ)えの人数を含めて天王寺砦にいる五千の兵を対抗するのは不足であったからだ。そして早晩織田信長がここに来襲することは確かである。信長と戦って一度は勝利を収めた孫市だが、その時は敵の背後を脅(おびや)かす味方がいた。今は本願寺だけが戦っている状態である。兵をまとめて本願寺と木津砦に戻って毛利家からの兵糧入れを待つしかないと考えた孫市は包囲を解いて撤退することを決断した。しかし、頼龍は猛反対する。

 

頼龍は秘策として「進まば往生極楽、退かば無限地獄」と書かれた軍旗をあちこちで揚(あ)げさせた。孫市はもはやどうすることもできない。土塁の上にいる景は頼龍の秘策に怒り、木津砦まで連れてきた門徒たちを連れ帰ろうと決意する。一方、京から駆けつけた信長は三千の兵を集めると天王寺砦へ向かった。二日後に轟音(ごうおん)が天王寺砦の中まで聞こえた。天王寺砦の東にあった若江城を出た信長は南下して砦の南西一里(約4km)にある住吉口から難波砂堆を北上したのだ。上町台地の坂を駆け上がって砦の南門を攻める門徒たちの背後からどっと襲い掛かった。

 

総大将の信長自身が先方の足軽たちとともに攻め込んだため、門徒たちは本願寺がある北を目指して逃げ出した。あと数日は来ないと考えていた頼龍は戦意を喪失。信長は踏み止まっている門徒の中軍へと突入しようとしていた。大将の着る陣羽織を身にまとった騎馬武者が発する猛気は砦にいる泉州侍にも分かった。土塁の上で見守る景は戦慄(せんりつ)している。信長はやおら腕を上げて北を指差した。指の先には大坂本願寺がある。孫市は頼龍をその兵たちに木津砦へ運ばせるとともに、中軍の門徒たちを大坂本願寺へ送り届けるため、雑賀党が殿軍しんがり)を務めることにした。大坂本願寺の城戸口まで退いて、敵に乾坤一擲けんこんいってき)の痛打を与えようとしたのだ。(続く)

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