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2015年12月16日 (水)

和田竜著「村上海賊の娘」を読む(後編)

≪下巻≫ 上巻のダイナミックなストーリー展開のあと、村上武吉(たけよし)の娘、景(りょう)の活躍を期待しながら下巻の頁をめくりました。見開きには、『オレならできる。この木津川を通りたいちゅうんやったら、束になって掛かって来んかい。死んでも通さへんど! それぞれに迫られる決断、そして自分はどうありたいか、という問い』とあります。

 

第三章(承前)>

 

門徒の大軍は二手に分かれて、それぞれに大坂本願寺と木津砦にかけ戻ろうとしていた。大坂本願寺へ向かう門徒たちは織田方の兵三千に追いかけられながら逃げ続けた。天王寺砦を突出した七五三兵衛(しめのひょうえ)は馬を激走させていた。雑賀党は城戸口(きどぐち、城門)に近づくと孫市の指図で反転した。そして、種子島を放ったあと各自落ちのびて本願寺の南西30kmに位置する貝塚御坊に集(つど)い、そこで再起を図ると配下の門徒たちに指図(さしず)した。

 

孫市の合図で一千発の弾丸が敵の喉元(のどもと)に襲い掛かった。配下の兵に散れと命じた孫市は敵の側面に向けてかけ続けた。敵の総大将をなんとか見出した孫市は二町(約220m)ほど離れた信長に狙いを定めて引鉄(ひきがね)を引いた。その瞬間、騎馬で疾駆(しっく)してきた何者かが信長に飛び掛って、ともに地に転がった。倒れこんだ信長に声を掛けたのは七五三兵衛であった。仕損じた孫市は戦場から離脱にかかった。

 

自らが連れてきた門徒たちを連れ帰ろうとする景の声は門徒たちに拒絶されてしまったことで、景は大きな衝撃を受け、景親とともに能島に帰ることを決心する。砂堆(さたい)の葦(あし)原を掛ける孫市は同じく葦原を歩く景と景親を見つけて二人を種子島で脅した。関所を抜けるために二人を利用しようと考えたのだ。そこへ孫市を追う七五三兵衛が現れるが、葦の陰から種子島で狙われている二人は孫市のことは知らないと偽(いつわ)る。孫市が懸念(けねん)した通り三人の前に関所が現れた。村上海賊の景だと名乗ると関所の兵は三人の通行を許した。

 

天王寺砦へ戻った七五三兵衛は息子の次郎と父道夢斎とともに信長に御目見得(おめみえ)を許され、主だった泉州侍も同席することになった。信長は道夢斎のことをよく知っていた。御目見得は無事に済んだと思われたが、信長には別の魂胆(こんたん)があったのだ。毛利家より大坂に兵糧入れをする噂があるため、泉州の侍衆は住吉の浜に砦を築き、木津川河口より入ろうとする船をことごとく沈めよと指示した。加えて、泉州侍は海上にて眞鍋七五三兵衛が支配することも言い渡したことで、泉州侍たちは衝撃を受ける。七五三兵衛も同様であった。強大な村上海賊と戦うことになると考えたからである。

 

住吉浜に着いた景と景親は二艘の巨大な安宅と百艘はあろうかという小早を見た。天王寺砦に入る時に七五三兵衛が廻送させたのである。景の顔を覚えていた兵は能島の者がいることを告げた。景に命じられて能島へ帰ろうとしたが、景の身を案じて戻ってきたのだ。景親に言われて景は関船で能島に帰ることを決めた。真鍋の兵を従えた七五三兵衛も住吉浜に姿を現した。兵から景のことを聞いても何の思いもなかった。天王寺砦での景の振る舞いに呆(あき)れた七五三兵衛は軽蔑(けいべつ)の色しかない。

 

七五三兵衛は安宅と小早を展開して木津川の河口を封鎖した。この様子は上町台地の大坂本願寺からも目にすることができ、雑賀の孫市が案じた通りのことが起こったことで、門主の顕如(けんよ)は言葉を失った。景親は難波海が塞(ふさ)がれると景に訴えるが、景は関心なさげに目を逸(そ)らした。安宅の舳先(へさき)では七五三兵衛と道夢斎が屹立(きつりつ)して明石の瀬戸のかなたに消えようとする景の関船と二艘の小早が夕日に呑()まれて姿を消すのを見ている。『おどれら、瀬戸内の海賊どもに泉州海賊の戦ちゅうもん見せちゃらんかい。小舟一艘通したあかんど』と七五三兵衛は叫(さけ)んだ。

 

第四章>

 

住吉浜を出航してから十一日後、景(きょう)と景親(かげちか)は能島の西の浜に戻った。そこで景はおびただしい数の軍船が停泊しているのを見て驚いた。三百艘くらいだろうか。兄元吉の前に出た景は、いつもとは違う神妙な顔で、これまでの至らない振る舞いを詫(わ)びた。肩透(かたす)かしを食らった元吉は景親に軍船のことを問われて、能島村上は毛利家に味方することになったという。そして、就英(なりひで)が景をもらうことを承知したことも告げた。景親は織田家が難波海を封鎖したことを伝える。やはり、戦になることは明らかである。

 

武吉はというと、大三島にある三島神社で戦勝祈願のため連歌の興行を十日も続け、毛利家の指図があるにもかかわらず、軍船を一艘たりとも動かそうとしない。そこへ来島の吉継と因島の吉充がやって来た。二人とも軍船をすべて毛利方乃美宗勝のみむねかつ)の賀儀城かぎじょう)へ移していた。武吉は「上杉謙信立つ」の報()らせを待っているのだ。小早川隆景こばやかわたかかげ)の考えを妥当(だとう)だと思っている。これが吉継には分からない。しかし、吉継が案じた通りの連歌興行は実に二カ月半も続き、七月下旬にようやく終わりを迎えることになる。

 

吉継が武吉を咎(とが)めているところへ能島の家臣が馳(は)せ参じて景姫が帰還したことを報告したことで、武吉は鳥居に向かって歩を進めた。景に会うため能島に戻るのだ。武吉は戦をもう見たくないという景を慰(なぐさ)める。それ以来、景は吹っ切れたように元の明るさを取り戻す。武吉は相変わらず能島と大三島を往復している。景が帰還してひと月近くも経(た)ったころ、武吉の元に越後の上杉謙信が門徒と和議に至り、織田方の分国に攻め入るとの噂(うわさ)があるとの報(し)らせをもたらした。

 

武吉(たけよし)は元吉(もとよし)に、賀儀城へ行き、毛利家と合流せよと命じた。元吉と景親は三百艘の軍船を率いて出航していった。そして、その日のうちには毛利家の船団と合流した。これにより、毛利家の船団は一千艘(そう)に膨(ふく)れあがった。乃美宗勝(のみむねかつ)は本願寺から依頼された兵糧十万石のうち、積み残した分を能島村上家の船に入れさせ、翌日、積み込みが終わると、ただちに岩屋へ向け出航を命じた。

 

先鋒の児玉就英の船団は淡路島北端にある岩屋城の西側に着岸したが、続く村上元吉はあえて東側(難波海側)に向かった。織田方に軍容を見せつける狙(ねら)いがあるのだ。他の村上海賊もこれに倣(なら)ったことで、木津川河口を封鎖する七五三兵衛だけではなく本願寺の門主、顕如(けんにょ)からも大船団が確認できた。しかし、元吉も七五三兵衛の船団三百を前に瞠目(どうもく)していた。毛利方の船団は七百艘が戦力のない兵糧船で、兵船は三百艘と織田方と同数である。また兵船に乗り組む兵は水夫の半数なのだ。

 

同数だという就英(なりひで)に対して吉充(よしみつ)は目算違(もくさんちが)いだという。毛利家と織田家を天秤(てんびん)にかける淡路国を領有する安宅(あたか)家の来襲に備えるとすれば二百艘でしかないのだ。吉継(よしつぐ)もうなずく。気勢が上がらないのに業を煮やした就英は宗勝に意見を求めた。軍議が始まってからずっと機会を窺(うかが)っていた宗勝は頃合いと見て、主人の小早川隆景から託された密命を披露(ひろう)した。

 

それは上杉謙信が出陣するまで岩屋城で待つというものである。期限は本願寺が包囲されてから三か月(残り二週間ほど)とし、その期限が来れば引き返すという。毛利家直臣(じきさん)の就英は反発するが、吉充、元吉、吉継はいずれも宗勝に従うとしたことで、軍議の結論が出た。

 

織田方も軍議を開いていたが、毛利方の実戦力がつかめない。その上、三百艘の兵船のうち百五十艘は伊丹の有岡城に滞陣する荒木村重に信長が命じて用意させたものであり、操船と戦闘を即席で教えたばかりの泉州侍に百五十艘を任せ切るほかなかった。このため、どちらからも攻めかかることはなかった。

 

能島では景が船団の凱旋(がいせん)を待ち焦(こ)がれている。その様子を見て安心した武吉はつい本当のことを景に明かしてしまった。息子たちに決して明かさなかった腹の中を我が知恵を誇るように披露(ひろう)する。武吉の判断は間違いであった。顔色を変えた景は武吉を問い詰めた。そして、自分が待っていたのは門徒たちが助かったとの報らであることを知る。呆気(あっけ)にとられる武吉をあとに、裸になった景は、荒海に飛び込んで化粧を落とすと、そのまま西の浜へと泳いだ。

 

兵の小袖(こそで)を取り上げて着ると、景は関船に向かった。訳を聞く武吉に向かって門徒たちを助ける理由を景は涙ながらに話す。泉州侍との戦いが待っていることと、児玉就英との婚儀の話はなくなることも景は承知している。『景よ、行け』と武吉は励(はげ)ますと、兵どもも我先にと関船へ殺到(さっとう)した。岩屋城では期限を翌日に控えていた。そこへ能島から景きょう)が到着したとの報(しら)せが入った。吉継はたちまち青ざめた。思ったのは「鬼手(きしゅ)」である。

 

宗勝と元吉をはじめとする村上海賊が明日帰ると聞いた景が眞鍋七五三兵衛に掛け合いに行くと言って浜に向かうと、浜の狂乱は一層激しさを増した。続々と小早(こはや)を押し出して、今にも対岸の敵に打ちかからんばかりの勢いである。それを一喝(いっかつ)した景は元吉が止めるのを聞き入れない。すると就英が自分も行くと言い出した。さらに、宗勝までが景に頼りたいので行くのを許してやってほしいと元吉にいう。景は就英を乗せた小早の櫓()を漕()ぎ始めた。

 

先頭の安宅にいた道夢斎の取り次ぎで景と就英は七五三兵衛がいる後陣の安宅へ向かった。泉州侍と就英が見守る中、景と七五三兵衛(しめのしょうえ)の掛け合いが始まった。泉州侍たちの多くは景から毛利方には一千艘の兵船があること聞くと、織田家は兵船の増強に応じないこともあり、毛利方と和議を結び、さらには毛利方につくことまでを期待していることは明らかだ。和議に賛同する泉州侍の声を聞いた景は和議が成ると思った。しかし、七五三兵衛は『負けると分かっていても戦う』と答える。景は嘘(うそ)や「はったり」をもって対した自分を恥(は)じた。

 

岩屋城へ戻った景は毛利方の考えが変わらないことを確かめると、再び小早を一艘目立たない場所へ移動させ、今一度難波海を渡ることにした。そこへ現れた景親は景が愛用する太刀と手甲(てこう)を手渡しながら、『貝塚へ行くつもりじゃな』と景の考えを言い当てた。景はうなずいた。この姉弟しか知らないことだ。一向宗の拠点の一つ、貝塚御坊にいる雑賀(さいが)党の鈴木孫市に加勢を頼むつもりだ。織田方の関所を抜けたとき、『役に立てることがあれば、力を貸そう』と言った孫市の言葉を思い出したのだ。

 

第五章>

 

毛利家の船団は隊列を組んで淡路島を離れて西方へ向かう様子が眞鍋方の船団と大阪本願寺からも確認できた。門主の顕如(けんにょ)は愕然(がくぜん)とし、眞鍋七五三兵衛は何かの軍略かと思った。毛利家の船団が去り始めて程なくすると陽が沈み、月が見え始めた。七五三兵衛は淡路島を睨(にら)み続けている。最後に島の東側からも殿軍(しんがり)である三百艘ほどの船団も明石の瀬戸過ぎて闇(やみ)に掻(か)き消された。

 

七五三兵衛は一杯喰(いっぱいく)わされてと思った。兵たちが溜息(ためいき)を洩(も)らして、ぼやいていると、淡路島の南から明かりを点けた船団が近づいて来るのが見えた。船団は余りにも寡兵(かへい、少数の兵力)で五十艘ほどである。七五三兵衛は兵に陣貝を吹かせた。先頭を七五三兵衛と道夢斎の安宅が二艘並んで、その後に小早が続く「長列の陣」の隊列を組んだ総計百五十艘の船団は南方の敵に向かって直進した。

 

正体不明の敵は、見る間に眞鍋家の船団に迫った。両者の距離が一町(約110m)を切ると、その軍容が明らかになった。五十艘はすべて小早で、しかも通常の半分程度の大きさに過ぎない。先頭を切る小早に視線を落とした七五三兵衛は舳先(へさき)で仁王立ちしている武者を見た。『あいつが、なんでいてんや』とつぶやき、次いで『景姫、よう来た!』と満面に笑みを湛(たた)えて吠(ほ)え上げた。(以下略)

 

終章

 

織田家と毛利家が初めて干戈(かんか、武力)を交えた木津川の合戦は毛利方の勝利で終わった。この合戦に参加した泉州兵の戦死者は一千五百人余りとされる。織田方の兵船が三百艘とすると、合戦に参加した泉州の兵と水夫を合わせた総数の四分の一から五分の一が討ち死にしたことになる。小早川隆景があれほど待ち望んだ上杉謙信は動かなかった。

 

木津川合戦が勃発(ぼっぱつ)したとの報せを居城の安土城で聞いた信長は再び出陣する。また、本願寺攻めの総大将となった佐久間信盛が天王寺砦から木津砦を目指して突出したが、門徒が迎え討ったため天王寺砦に引き返してしまう。海陸ともに敗北したこと、および海戦で毛利方が火薬を詰めた大玉を使い大船を焼き沈めたことを知らされた信長は「鉄の船」が必要だと考える。

 

門主の顕如は村上海賊と毛利の将たちを大阪本願寺に招(まね)き入れ、丁重(ていちょう)に礼を言ったという。景(きょう)と孫市は大阪本願寺へは行かない。景は能島に戻り、孫市は本拠の紀州に退去した。信長は伊勢国の海賊衆、九鬼嘉隆(くきよしたか)に命じて鉄張船(てつばりぶね)を建造、難波海に就航させたことで、難波海の制海権を奪い返した。これにより木津川合戦の四年後、大阪本願寺は織田信長にその地を明け渡す。その他、登場人物たちについての後日談が続くが、景(きょう)については来島の侍に輿入(こしい)れしたことだけが記(しる)された。

 

                             ☆

 

読後感> 和田竜氏らしくダイナミックなストーリーが展開される歴史小説でした。特筆されることは、和田氏の卓越した描写力で、「登場人物の人となり」「泉州弁での会話の面白さ」「戦闘シーン」などにおいて読者の想像力を強烈に刺激します。私同様、読者は映画を観る以上のリアリティを感じることでしょう。また、歴史に興味がある私は、古文書から引用された記述や難解な言葉の解説がスパイスのように働いたことで、1000頁近い長編小説を一気に読破してしまいました。しかし、歴史や歴史小説に興味が薄い方にとって難行苦行かもしれません。□

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