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2016年1月

2016年1月30日 (土)

洛西のドライブ旅 西山の名刹「松尾大社」(後編)

旧神跡である「磐座(いわくら)遥拝所(ようはいじょ)」の参道と「紫陽花苑(あじさいえん)」です。
 
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すぐ先に「磐座登拝口」がありました。「磐座(いわくら)」(神の御座所、自然の巨石)へ登るためには、社務所で登拝届け(納入金1000円)を出してした上、危険防止のため二人連れであることが必要とのこと。ちなみに、写真撮影や飲食は禁止されているようです。
 
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「神像館」(左)と「葵殿」(右)の裏手に続く遊歩道
 
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山城地方開拓の功労神・農業殖産の守護神を祀る「三宮社」。立て看板には他に四季折々神々をまつる「四大神社(しのおおかみのやしろ)」と水神・万物の生成発育を司る神を祀る「滝御前(たきごぜん)」があることが表示されています。
 
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「滝御前」の入口にある大きな写真パネルには「天狗岩」の場所が説明されています。
 
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「滝御前」の鳥居です。注連縄(しめなわ)に付けられた左端の紙垂(しで)のすぐ下に天狗岩らしきものが見えます。
 
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これがズームアップして撮影した「天狗岩」です。写真中央に大きな鼻と口、その上に2つの目も確認できました。
 
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その奥にある「霊亀(れいき)の滝」
 
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木が伐採(ばっさい)された山肌
 
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振り返ると本殿の屋根が見えました。
 
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「神泉」は松尾山から流れる霊水で、延命長寿・蘇(よみがえ)りの水と言われています。酒造家はこの水をいただいて仕込み水の一部に混ぜる習慣があり、茶道家や書道家ももの水を利用するとのこと。
 
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句碑にある「うま酒は 神の韻(いん)ある 初泉」は昭和の俳人である桂樟蹊子(かつらしょうけいし)の作でした。
 
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裏手から見た本殿の「松尾造り屋根」(妻側)
 
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楼門を出たところにある参拝休憩所である甘味処「団ぷ鈴」
 
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その左手にある「蓬莱の庭」の入口
 
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松風苑三庭のもう一つ「蓬莱(ほうらい)の庭」(回遊庭園)に入りました。
 
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松尾大社を後にしました。府道29号と府道67号を南下して西芳寺(苔寺)桂離宮の間を通過しました。いずれも拝観には事前予約が必要ですから、気ままな旅が好きな私にはいつになっても訪れる機会がありません。これから向かう場所は今回のドライブ旅で最後となる西山地域ですが、その前に小休止と箸休め記事を挿入します。

2016年1月29日 (金)

洛西のドライブ旅 西山の名刹「松尾大社」(中編)

本殿の左手にある縁結びの「相性の松」は樹齢約360年の二股の大木で、2つの木の枝が結合した「連理の木」と同様に「恋愛成就」「良縁」「夫婦和合」のご利益があるそうです。
 
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「カギカズラ野生地」の説明
 
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上半分を細く裂いた竹が奇妙な形に組み立てられています。
 
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おみくじを結ぶためのハート形の「恋みくじ」でした。
 
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神輿庫の前に積まれた約100個の奉納酒樽(さかだる)は壮観
 
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「椋(むく)の霊樹(れいじゅ)」です。樹齢800年の銘木は「蓬莱の庭」入口にありましたが、平成5年(1993年)の大雨で枯れたため、その幹を現在の場所に移されたことが説明されています。左手には本殿参拝・拝観参入路の案内看板もあります。ちなみに、後方に写るのは南末社で、右端には本殿脇の塀が続いています。
 
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本殿脇に続く塀の奥には参拝口と思われるドアがありました。
 
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南末社には向かって左から松尾所縁(ゆかり)の功績者を祀(まつ)る「祖霊社(それいしゃ)」、商売繁盛・交通安全の守護神「金刀比羅社(ことひらしゃ)」、困難に出会っても祈れば一挙に解決するという「一挙社(いっきょしゃ)」、農耕および諸産業の守護神「羽山戸神(はやまとのかみ)」を祀る「衣手社(ころもでしゃ)」が並んでいました。
 
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その先にある「伊勢神宮遥拝所」
 
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本殿の右手にある神像館と松風苑の入口は本殿(左)と社務所(右)を結ぶ渡り廊下の下にありました。
 
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「松風苑(しょうふうえん)」の説明には「曲水の庭」「上古の庭」「蓬莱の庭」の三庭があると書かれています。
 
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拝観料は大人500円。順路にしたがって右手へ向かいました。社務所と葵殿の間にあるもうひとつの渡り廊下の下に「曲水(きょくすい)の庭」へ至る通路が続いています。 
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古代の神の依り代である磐座(いわくら)を再現した池泉様式の「曲水(きょくすい)の庭」
 
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曲水の庭から見た「葵殿」(左)と「神像館」(右)
 
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松風苑の庭から「神像館」へ向かいます。
 
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「神像館」へ向かう渡り廊下
 
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「神像館」の左手前にある「即興之庭」
   
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写真撮影が禁止され「神像館」の内部には国内最古(平安時代作)である御神像三体「木造神像女神(じょしん)坐像」(重要文化財)や木造神像男神坐像(2体)など21体の神像が祀られていました。

 

「神像館」の右手にある「上古(じょうこ)の庭」
 
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(続く)

2016年1月28日 (木)

洛西のドライブ旅 西山の名刹「松尾大社」(前編)

国道9号から府道123号に入り、さらに府道29号(物集女街道、山陰街道と西国街道を結ぶ街道)を北上して「松尾大社」に到着ました。ちなみに、市の中心部からは四条通(府道29号)を西進しても行けます。石畳の参道脇に参拝者用駐車場(無料)を見つけました。
 
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松尾大社のhpにある御由緒を引用します。『当社の御祭神「大山咋神」は、当社社殿建立の飛鳥時代の頃に、始めてこの場所に祀られたものではなく、それ以前の太古の昔よりこの地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に祀って、生活の守護神として尊崇したのが始まりと伝えられております』

 

『五・六世紀の頃、秦の始皇帝の子孫と称する(近年の歴史研究では朝鮮新羅の豪族とされている)秦(はた)氏の大集団が、朝廷の招きによってこの地方に来住すると、その首長は松尾山の神を同族の総氏神として仰ぎつつ、新しい文化をもってこの地方の開拓に従事したと伝えられております』

 

『秦氏は保津峡を開削し、桂川に堤防を築き、今の「渡月橋」のやや少し上流には大きな堰(せき=大堰→大井と言う起源)を作り、その下流にも所々に水を堰き止めて、そこから水路を走らせ、桂川両岸の荒野を農耕地へと開発して行ったと伝えられております。その水路を一ノ井・二ノ井などと称し、今現在も当社境内地内を通っております』

 

余談ですが、松尾大社は松本清張氏の長編推理小説「Dの複合」に登場することも記憶に残っています。奇妙なタイトルが小説の伏線(緯度と経度)を見事に表現しているのは松本清張氏ならではのことでしょう。私は緯度と経度にそって地球を輪切りにした時に地球の中心を通る直線と形作る半円がDであろうと思いましたが、実は緯度と経度に含まれるDであることを後になって知りました。8年半前の記事「丹後半島のドライブ旅と城崎温泉」にこの小説のポイントを書きましたが、改めて粗筋(あらすじ)を紹介します。

 

売れない作家である主人公は雑誌社から依頼を受けた伝説を訪ねる旅で東経135度線上の網野町(京都府京丹後市)や明石市(兵庫県)、北緯35度線上の三保の松原(静岡県)・寝覚の床(長野県)、そして松尾大社(小説では旧名の松尾神社)などを旅することになります。そして、主人公はその旅先で奇妙な出来事に次々と遭遇しますが、それらは周到に計画された復讐劇であることが次第に明らかになるというストーリー展開です。余談はここまでとして本題へ戻りましょう。

 

参道の先に一の鳥居(大鳥居)が見えます。扁額(へんがく)にある「松尾大神(おおかみ)」は松尾大社の祭神である「大山昨神」(おぽやまくいのかみ、おほやまくひのかみ)と海上守護の神「中津島姫命(別名:市杵島姫命)」(なかつしまひめのみこと)の二柱の総称です。「大山昨神」は山の地主神かつ農耕(治水)を司る神で、「中津島姫命」は筑前地方の海人豪族である宗像氏が信仰した航海の守護神「宗像三女神」の一柱のようです。同じ鳥居の注連縄(しめなわ)には脇勧請(わきかんじょう)と呼ばれる12本の枯れた榊(さかき)の束が吊(つ)るされています。年始に瑞々(みずみず)しい榊の枝を束ねて吊るし、その枯れ具合で農作物の出来不出来(完全に枯れると豊作)を占うものだそうです。また、鳥居の先に見えるのは楼門と思われます。
 
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「松尾大社全景」です。12万坪の境内に含まれる松尾山の大杉谷にある磐座の神霊を渡来人の秦氏が勧請(かんじょう)して現在地に社殿を構えたのがこの社の創建とされているそうです。
 
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鳥居を潜った参道の左手に舟が置かれているのが見えました。
 
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神幸祭の神輿(みこし)と駕輿丁舟(かよちょうぶね)の説明。4月下旬から5月中旬に、神幸祭(おいで)・還幸祭(おかえり)と呼ばれるお祭りをやっています。
 
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その隣には「お酒の資料館」があります。酒造についても秦一族の特技とされ、室町時代末期以降、松尾大社は「日本第一酒造神」と仰がれ、酒造関係者の信仰を集めているそうです。境内の亀の井の名水が酒に変わったという逸話は有名である。
 
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「お酒の資料館」の内部
 
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日本酒のラベル
 
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楼門(ろうもん)
 
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左右にある随神は弓矢を持っています。
 
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楼門を入って一ノ井川を渡ると拝殿の前に出ました。
 
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石段の右脇にある「撫で亀」は撫(な)でると幸運が訪れるそうです。ちなみに、亀は鯉とともに松尾大神の神使とのこと。
 
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右手にある手水所では亀の口から水が流れ落ちています。
 
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本殿(国の重要文化財)の前には仮設の賽銭箱(さいせんばこ)が設置されていて、本殿がよく見えないことが残念でした。松尾大社のhpに掲載された本殿の写真を参照してください。ちなみに、本殿は室町時代・応永4年(1397年)に建造されました。両流造りですが切妻造りに似た建築で「松尾造り」と呼ばれるそうです。申し出れば神職が案内してくれるようです。ちなみに、料金は1000円とのこと。
 
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拝殿の裏手では正月(初詣)の準備が進められています。
 
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(続く)

2016年1月24日 (日)

日本人のメンタリティーとハイブリッド車人気

2016年は騒ぐ申年(さるどし)であるためか、国内で様々な出来事(事故・事件・などの不祥事)が続出しています。主なものを挙げれば、多数の死者が出たスキーバス事故、食品廃棄物の転売、人気音楽グループの独立騒動などです。

 

ここでは個々の問題には深入りせず、それに対する日本人の反応について私見を述べたいと思います。日本人のメンタリティーを考える上でに参考に、平成時代における若年層の特徴を調べると、識者たちによって以下のことが共通項として指摘されていることが分かりました。

 

○自己表現や自己主張が苦手(自分の気持ちが分からないため言葉で表すことができない)

○孤立した行動をとることが多い(バーチャルな世界での交遊が多いため団体行動が不得意)

○周りの目を気にする(今も昔も不変)

○相手の気持ちを理解できない(リアル世界での経験不足)

○恋愛に消極的あるいは受け身である(精神的に未成熟、あるいは低収入による経済的な不安)

 

つまり、今の若年層は消極的・内向き志向・孤立傾向という思考・行動状態に陥(おちい)っているといわれるのです。確かに、時々若い社会人に向けて話す機会がある私も上記項目のいくつかの性向を感じ取っていました。
 

そのような若年層が生まれた背景には何があるのでしょうか? 20年以上も続いたデフレ不況によって将来に期待が持てないこと、この10年ほどで顕著になった交友関係の変化(SNS*などバーチャル空間での繋がりが中心)、そして名指しできない理由(その主なものは官民組織における指導層の高齢化による保守化)による閉塞感(へいそくかん)が挙げられるでしょう。関連記事は「人生の目的」を参照してください。
  *注)主なSNSとして、2004年にスタートしたG-mailmixiGREE、2006年のTwitterFacebook、2010年のInstagram、そして2011年にはLINEGoogle+などがあります。そして、SNSによる情報漏洩(ろうえい)のリスクについては「SNSの功罪とリスク対策」の記事で触れていますので、興味がある方は参照してください。

私がここで強調したいことは若年層がネガティブ指向に陥ったとするステレオタイプの若者論ではありません。むしろ、高齢者が支配する日本社会の現状なのです。高齢者による支配ですぐ思い浮かぶのが日本を代表する巨大総合電機メーカーのT社です。歴代トップが後継者に社長の座を譲ったあとも、相談役として居座り、企業経営を歪めた(経営の硬直化だけではなく不正会計を主導した)ことで、企業存続の瀬戸際までT社を追い込んでしまったのです。これは決して同社の若手社員にやる気がなかった訳でもなく、不正に目を瞑(つむ)っていたわけでもないでしょう。 

昭和30年代初めから40年代末にかけての高度経済成長期に大手企業は、毎年定期的に新卒社員を採用して社内教育を通じて仕事に必要なスキル(技能)を身につけさせるとともに、江戸時代の武士のように企業への忠誠心(愛社精神)を植え付けたのです。その見返りとして社員は安定な雇用とともに昇進の可能性を期待できたのです。現在の経営トップはその時代に就職(実は就社)した人たちなのです。企業のためなら滅私奉公を厭(いと)わず、時には社会正義に反すると思いながらも業務命令を拒否することはなかったのです。例外的でしたが、拒否した社員は組織に無視・阻害(そがい)・排除されたのです。そして、不正は有耶無耶(うやむや)にされてしまうことが常態化していたようです。

 

現在、企業はコンプライアンンス(法令遵守)を重視することが求められるため、表面的には法律や社会正義に反する行為は監視され、排除されるはずでした。しかし、その先進企業として尊敬されたT社はリーマンショックが発生した2008年頃から昨年まで不正会計(実は粉飾決算)を続けていたことは、この超優良企業がコンプライアンスという形式を採用しながら、その裏で不正行為がトップ主導で行われていた事実を白日のもとに晒(さら)しました。まさに、『仏作って魂を入れず』です。コンプライアンスより広義なコーポレート・ガバナンス(企業統治)も同様であることが懸念されます。ちなみに、企業統治の一環である「人事制度の評価主義」については関連記事「ジレンマを考察する」を参照してください。

 

もうひとつは日本が謝罪を強要する社会であることです。このT社を始め、冒頭に挙げた不祥事や事故(犯罪の疑いがあるとして捜査中)を起こした企業の経営者が謝罪するのはまだしもですが、人気音楽グループの独立騒動でそのメンバー全員がテレビの冠(かんむり)番組に生出演して謝罪したそうです。ニュース番組でそのシーンを観た私は違和感を覚えました。もし、謝罪するのであれば記者会見を開いて行えば良いのであり、公共の電波を使って一般の視聴者(ファンが多いとはいえ)に謝罪するのは公私混同ともいえます。

 

しかも、本件の発端となったのは企業(芸能プロダクション会社)における役員間の確執である(報道が事実とすればですが)にも拘(かかわ)らず、関係する役員は一切表に出ていないのです。一般の企業であれば最高責任者が事情を説明するのが当然でしょう。この企業は未だに古い体質(組織運営と労使関係)を残しており、ことを収めるためにメンバーに謝罪させた(ペナルティを科した)のではないかと勘ぐってしまいます。そういえば、つい最近のことですが、隣国・韓国でもタレント(韓国グループの台湾人メンバー)がネット映像を通して謝罪させられたことに国の内外から批判が集中したようです。しかし、同じく隣国である中国では、欧米と同様、トップが謝罪することはほとんど見かけません。これは、発祥の地・中国では忘れ去られた儒教(じゅきょう)の考えが日本と韓国では現存していることの証左と考えられます。

 

日露戦争の直後に始まり現在に至る「日本異質論」(日本の台頭にある種の警戒感をもって日本社会と文化の特殊性を強調する考え方)の当否は置くとして、このようなニュースは日本人と日本社会を投影したものと言えるでしょう。「日本人のメンタリティー」についての考察はここまでにして、もう一つのテーマ「ハイブリッド車人気」に移ります。

 

20世紀から21世紀に移行する直前の1997年(平成9年)年に発売された国内初の量産型ハイブリッド車「プリウス」は18年間で累計販売台数が800万台を超えたことが2015年8月21日に発表されました。内訳では、一番多いのが日本で(半数近い約390万台)、次いで北米の約280万台、欧州は100万台弱とのことです。そして、昨年12月に発売された四代目のプリウスは最初の1か月で年間の販売計画を上回る18万台を受注する絶好調ぶりです。(注;トヨタの他ハイブリッド車や他社のハイブリッド車については省略)

 

この違いの主要因は日本の道路事情にあります。信号が多く、渋滞も頻発するため、どうしてもストップ&ゴーが多くなる環境では、ハイブリッド車が有利なことは確かです。また、諸外国と比べてガソリン価格が高い(ガソリン税が高い)ことも消費者心理に影響しています。先の記事にも書きましたが、ガソリン価格が高いからといってハイブリッド車が経済的であるかについては現時点で否定的です。購入価格の差(40万円前後)は購入時の税制優遇(数万円)を考慮しても、ガソリン消費の少なさ(年間1万km走行時に1万円程度)でカバーするには無理があるのです。

 

一方、渋滞が日本ほどではなく、しかも高速で長距離ドライブをする人が多い欧米ではハイブリッド車の特徴を活かす機会が少ないのです。特に、欧州では高速道路が発達しているため燃費と高速走行性能に優れたクリーンディーゼル車のシェアが50%前後と高いとのこと。

 

しかし、アメリカのCAFE基準(2016年を最終目標達成年とする企業平均燃費)や欧州でのCO2排出量規制強化(2021年までにCO2排出量を半減)など環境性能を取り巻く状況は厳しくなっています。両市場で主役を務めているクリーンディーゼル車や通常のガソリン車ではこれらの規制への対応が困難と思われ、また次世代の有力候補である電気自動車や燃料電池車の普及は時期尚早であるため、欧米でもハイブリッド車(特にプラグインハイブリッド車)が再評価されるかもしれません。
 

当ブログの記事「温泉大好き、ドライブも!」と「旅行大好き、飛行機も!」で繰り返しているように、車の運転が好きな私は長年乗り継いできた通常のガソリン車に十分満足していましたが、現在利用している代表的なハイブリッド車の三代目プリウスにも大いに満足しています。
 
話がそれますが、私は新しい魅力を持つ高価なアイフォーンも数代にわたって購入し続けています。驚くべきことですが、日本は世界一のアイフォーン大国(シェアが約50%)なのです。ちなみに、全世界では約15%、米国約30%、中国20%強、韓国10数%)。つまり、日本人は”me too”(私も!という付和雷同)指向があり、心の中に常在する「そうは言っても」「(あれこれ考えても)やっぱり」「だって~」などの言葉(考え)が論理を越えて支配力を持つ(つまり、コストに甘い)ことがハイブリッド車人気の背景と言えそうです。

2016年1月21日 (木)

南丹のドライブ旅 亀岡市の穴太寺(後編)

納経所で拝観料を納めました。ちなみに、拝観料は300円。後で知ったことですが、拝観の受付案内立札にあった書院「円応院」で拝観を申し出ると、庭園と本堂を拝観することができたようです。右手に釣瓶(つるべ)井戸が写っています。
 
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張り紙があった引き戸から本堂内へ入りました。拝観料を納めた時にもらったパンフレットによると、3つの厨子の中央に本尊の薬師如来、左側に札所本尊の聖観世音菩薩立像、右側に御前立札所本尊聖観世音菩薩立像が安置されているそうです。薬師如来は完全秘仏であるため開帳されたことがなく、聖観世音菩薩立像は秘仏のため33年に一度しか公開されませんから、拝観できるのは前立札所本尊の聖観世音菩薩立像と張り紙に書かれていたのです。そして、安寿と厨子王丸の悲話の伝説に語られる「厨子王丸肌守御本尊」も祀られていまが、特別拝観の時のみに拝観できるそうです。
 
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釈迦如来大涅槃像(市の文化財)は鎌倉時代の作で、諸病悉除(しょびょうしつじょ)の釈迦大涅槃像(しゃかだいねはんぞう)
として、自分の病と同じ尊像の部分を撫(な)で、自分の体をさすリ返すと、お釈迦様のご利益があるとされます。同行者は急ぐように前へ進み出ました。
 
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「大涅槃像由来」には明治29年(1896年)に本堂屋根裏で発見されたことが説明されています。
 
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同行者は賽銭を置いたあと、お釈迦様の頭と顔を撫でました。
 
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逆流性食道炎を患う私は布団をめくってお釈迦様の胸元を撫でさせていただきました。
 
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涅槃像とは反対側にある仏像
 
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本堂を退出し、境内の東側を巡りました。まず、納経所の隣にある寄棟造りの念仏堂(江戸時代建立、府登録文化財)です。
 
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次いで、万体地蔵が安置されている地蔵堂
 
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宝暦9年(1759年)の建立と言われ鐘楼(しょうろう)も京都府登録文化財
 
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東門の先には茅葺(かやぶき)屋根の民家
 
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参道の西側に目を転じました。もらったパンフレットによると、本堂左手の書院「円応院」(方丈・庫裏、京都府登録文化財)の南面(多宝塔の裏手)にある穴太寺庭園(江戸時代中期作庭、府指定名勝)は多宝塔を借景にして取り入れ、これに合わせて築山を設け、石組を配して庭園美を引き立てている、丹波の名園だそうです。ちなみに、拝観料は500円です。
 
多宝塔の南側、仁王門脇にある鎮守堂(京都府登録文化財)には天満宮と稲荷社が並んでいます。
 
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陽が傾いてきましたので駐車場へ戻りことにしました。
 
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駐車場を出て狭い田舎道を抜けた京都縦貫道の亀岡ICに出ました。上り方向と下り方向の出入り口が離れた変則的なICです。
 
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「明智光秀のまち亀岡」を後にして京都市内へ向かいました。
 
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次の目的地は再び京都市内ですが、その前に小休止(箸休め記事)を入れます。(終)

2016年1月20日 (水)

南丹のドライブ旅 亀岡市の穴太寺(前編)

国道372号で西進して京都縦貫道の高架を潜(くぐ)り、府道406号に入りました。亀山運動公園に近い穴太寺(あなおうじ、あのうじ)は、飛鳥時代末期(奈良時代直前)の慶雲2年(705年)、文武(もんむ)天皇の勅願により奈良時代の官人・大伴古磨(古麻呂)によって創立されたと伝えられる丹波でも屈指の古刹(こさつ)です。山号を菩提山(ぼだいさん)とする天台宗の寺院で、西国三十三所第21番札所となっています。

 

参道にある穴太寺の駐車場に車を停めました。料金は1回500円。ちなみに、参道に並ぶ土産物屋にも同金額で駐車することができます。仁王門の奥に本堂の屋根が見えます。
 
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江戸時代中期に再建された仁王門(三間一戸、八脚門、入母屋造、本瓦葺)は京都府登録文化財です。右手に「西国二十一番穴太い寺」の石柱があります。
 
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穴太寺の前を通るのは「丹波散策の道」(詳細は京都府hpの関連Webを参照してください)
 
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仁王門で寺を守る金剛力士像です。こちらは阿形(あぎょう)、
 
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そして、吽形(うんぎょう)も。
 
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本堂(観音堂)は享保20年(1735年)に再建されたもので、京都府の文化財に指定されています。参道の右側には手水舎があります。
 
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「西国二十一番穴太寺」の説明看板
 
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京丹波町の大福光寺と同様、1804年に再建された多宝塔(京都府指定文化財)が左手にあります。
 
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その隣に並ぶ平和塔
 
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三十三所観音堂には西国札所の砂が納められているので、堂に参るとすべての札所を参拝したことになるそうです。
 
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本堂内陣参拝と書院庭園拝観の受付案内立札
 
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本堂とその左手にある書院は渡り廊下で結ばれています。
 
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高い位置には穴太寺と書かれた寺号額が架けられています。
 
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中段右手には懸仏の観音菩薩像(円形)も見ることができます。
 
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お釈迦様の弟子で十六羅漢の1人であった賓頭盧(びんづる)尊者は日本で「おびんづる様」と呼ばれています。長野の善光寺、山形の山寺、徳島の大日寺でもお参りしています。
 
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四国八十八ヶ所霊場の遍路をして以来、すっかり信心深くなった同行者は先にお参りを始めています。
 
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本堂で本尊の聖観世音菩薩と釈迦涅槃像(なで佛)を拝観できることと、内陣の拝観料は念仏堂脇の納経所で納めるようにとの張り紙があります。
 
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(続く)

2016年1月18日 (月)

南丹のドライブ旅 亀岡市の亀山城址

国道27号を戻って京丹波町役場がある蒲生(こも)交差点で国道9号(山陰道)に入りました。2kmほど先に京都縦貫道の丹波ICがありますが、そのまま国道9号を南下することにしました。次の目的地である亀岡市中心部にある亀岡ICまで京都縦貫道を約20km走っても良いのですが、急ぐ旅ではないことと南丹の亀岡盆地(片側だけに断層ができた断層角盆地)に続く南丹市園部地区・八木地区と亀岡市)を桂川沿いに通る変化に富んだこの道路は何度走っても楽しい道路であることが理由です。

 

ちなみに、桂川は南丹市八木地区から下流は大堰川(おおいがわ)、亀岡市から下流は保津川と呼ばれています。

 

亀岡市余部町(あまるべちょう)の加塚(かづか)交差点を左折し、府道403号を直進して市の中心部に入りました。道路の左手に見覚えのあるスーパー西友とイオンの建物が見えてきましたから、目的地はすぐ先にあるはずです。確かに、右手に堀のようなものが確認できましたので、城趾(じょうし)と思われるエリアの周囲を回りながら入り口を探すことにしました。学校などの公共施設が立ち並んでいますから城趾であることは間違いなさそうです。

 

しかし、入り口らしきものや案内看板は見つけられないまま、一周してイオンの前まで戻ってしました。堀と思われる池の脇に小さな公園を見つけた私は通行の邪魔にならない場所に車を停めて公園に向かうことに。南郷町公園の表示とともに南郷池と亀山城(別名;亀岡城)の説明看板が立っていますから間違いありません。ちなみに、南郷池は亀岡市を横切って桂川に注ぐ雑水川(ぞうすいがわ)の一部となっているようです。
 
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亀山城址の石柱には明智光秀の名前があります。光秀は信長の命で丹波国を抑えるための拠点として築城したこの城から軍勢を引き連れて信長を討つために京都の本能寺へ向かったのです。ちなみに、亀山は亀岡の古い(明治時代以前の)地名で、三重県の亀山と混同されるのを避けるため明治元年に現在の地名・亀岡へ変更されたそうです。しかし、亀山城とともに亀岡城の名も使われるため紛(まぎ)らわしく、三重県の亀山城址と混同する人が今もいるかもしれません。
 
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亀山城の防御施設が説明された看板には、『南側には内堀・外堀・惣堀(そうぼり)の三重の堀と御土居がめぐり、堅牢な構えを呈している。一方、南郷公園の立地する北側の搦手(からめて)は、外堀が一重にめぐらされているだけとなっている。これは、有事の際には、保津川の流れを塞(せ)き止めると、北側の水田は一気に大きな掘となるように考案されているため』、とありました。
 
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亀山城の鯱瓦(しゃちほこがわら)像
 
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亀山城が廃城された時に京都市の住民に払い下げられ、後に京都府立医科大学の講堂棟瓦として使われた鯱瓦の複製ブロンズ像が亀岡の歴史のモニュメントとしてこの地に置かれたことが説明されています。
 
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台座にある銅板レリーフに描かれた亀岡城天守の図を見ると、唐破風のない五層の層塔型天守だったようです。明智光秀が建てた三層の天守ではありませんから、江戸期に入って建て直された天守を描いたものでしょう。
 
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しかし、南郷池の対岸には城址らしき気配はまったく感じられません。
 
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南郷池の東方向
 
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南郷池の西方向
 
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近くの商店に入って亀山城趾への入口がどこにあるのかを尋ねると、親切に教えてくださいました。先ほど通過した宗教法人「大本」(おおもと)の本部入口が亀岡城趾の入口でもあるとのこと。低い石垣が塀のように続いています。
 
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駐車場に車を停めさせていただき、敷地内を歩いてみました。「大本本部 神苑 天恩郷(てんおんきょう)」の案内図を見ると南郷池の中の島に近い天守・本丸跡には万祥殿の左手にある門を通過して行けるようです。
 
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正面には左から「安生館」「みろく会館」と「神教殿」があり、右手へ向かうと、万祥池(ばんしょういけ)の先に石垣が続いています。
 
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万祥池の先にある「万祥殿」
 
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万祥殿へ向かう万祥橋
 
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万祥橋近くの広場には「手水舎」がありました。
 
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大本の聖地「天恩郷」と亀山城址の説明看板には大将8年(1919年)に荒れ果てていた廃城を大本の教祖が入手して整備した経緯と宗教法人「大本」についての説明が書かれています。ちなみに、「大本」の信者が「成長の家」や「世界救世教(きゅうせいきょう)」などの新宗教を昭和初期に設立したようです。
 
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万祥池の脇に戻って西へ続く遊歩道を歩きました。
 
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万祥池の先に続く空堀は元々内堀だった場所のようです。
 
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璃祥門(りしょうもん)には「関係者以外 これより先の立ち入りはご遠慮ください」の立札がありますから重要なエリアのようです。
 
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敷地の西端にある西口付近にも「丹波亀山城跡と大本・天恩郷(てんおんきょう)」の説明があり、昭和10年(1935年)の大本弾圧事件(第二次)についても簡単に触れています。この事件は、昭和7年(1932年)に起きた軍部による反乱「5・15事件」の3年後、共産主義運動を壊滅させる目的をもって施行された治安維持法を革命的と見做(みな)された宗教団体「大本」に適用された弾圧事件です。その時に、大本の本部があった亀山城址も徹底的に破壊されたそうです。
 
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天守跡を是非見たいのですが、万祥殿でお祓いを受ける必要があり、しかも天守台は禁足地で上がれないようですから、立ち寄りを断念して次の目的地へ向かうことにしました。それに、同行者は例によって駐車場に停めた車で待ちかねているかもしれません。

2016年1月16日 (土)

南丹のドライブ旅 京丹波町の「畑川ダム」

国道27号に出て京都市方面へ戻って次の目的地へ向かうことにしました。しかし、私の習性として、「大福光寺」へ向かう途中に見かけて気になった「畑川ダム」に立ち寄ります。
 
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案内看板があります。洪水調節と水道水の確保が主な目的である重力式コンクリートダムであると説明されています。洪水調節用のゲートをお田内自然調節ダムであることと、平成24年度(2012年度)に完成したことも。地図を見ると、JR山陰本線からもダム湖が見えそうです。
 
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ダムサイトの脇にある管理事務所
 
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見学したことを証明するダムカードは近くの「大野ダム」で貰うことができるようです。ちなみに、大福光寺の脇で起点を見かけた丹波広域基幹林道はこの大野ダムの近くを通過しているようです。
 
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ダム湖は「下山四季彩湖」と美しい名称が付けられたようです。
 
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ダム湖の向こう側に林道木ノ谷(このたに)線の橋が架かっています。
 
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ダムの放水路を見下ろしました。魚道は設けられていないようです。
 
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放水路の先には先ほど通過した国道27号のコンクリート橋が見えます。
 
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ダムの左手にある展望スペースから見た畑川ダムです。一番上に通路が設けられ、その下には5つに仕切られた区間があり、幅が狭い中央部だけが一段低くなっているようです。高さの差を利用して貯水量をほぼ一手に調節しているようです。
 
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ここでプチ薀蓄(うんちく)を披露(ひろう)します。ダムの目的は多岐にわたりますが、主なものとしては治水と利水に分けられます。治水には洪水調節と不特定利水があり、利水には灌漑用水・上水道用水・工業用水・消流雪用水の供給・水力発電・レクリエーションなどがあります。また、ダムの種類には、重力式やアーチ式などがあるコンクリートダム、そして土砂や岩石などを積んで造ったフィルダムなどが一般的です。

 
隠れダムファンである私は20歳代に黒部ダム(長野県)や御母衣(みぼろ)ダム(岐阜県)を見て以来、旅先でダムを見つけると立ち寄るようにしてきました。10年前に始めた当ブログで紹介したダムは、秩父・中津川の二瀬ダム(埼玉県)、酒匂川の三保ダム(神奈川県)、相模川水系の宮ケ瀬ダム(神奈川県)、入間川の有間ダム(埼玉県)、吾妻峡の八ッ場(やんば)ダム(群馬県、工事中)、福井川の福井ダム(徳島県)、宇治川の天ヶ瀬ダム、荒川水系(宮川渓谷)の寺山ダム(栃木県)、四万川の中之条ダムと四万ダム(群馬県)、名張川の高山ダム(京都府)、利根川水系の丸沼ダム(群馬県)、箕面川ダム(大阪府)、早川の西山ダム(山梨県)、下北の川内ダム(青森県)、国東市の行入ダム(大分県)などです。

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余談ですが、ダムの技術が利用された溜(ため)池についても触れます。溜池とは農業(灌漑)用水を確保するための人工池であり、谷の下流側に堤を作って川を堰(せ)き止めて作られた「谷池」と堤で周りを囲んで底を掘り下げて作られた「皿池」の2種類に分類することができます。ここでは溜池の詳細説明は省略して、これまで当ブログで紹介してきた主な溜池を順不同で列挙しましょう。 

 

昆陽池こやいけ): 731年(天平3年)に高僧行基の指導により農業用に作られた伊丹市にある溜池で、池の中ほどに日本列島を模した人工島があることが特徴です。ちなみに、兵庫県は全国で飛び抜けて溜池が多い県で、あの香川県は広島県に次ぐ3位とのこと。 

 

御射鹿池(みしゃかいけ): 長野県茅野市豊平にあり、日本画の東山魁夷(かいい)の作品「緑響く」のモチーフとして有名です。 

 

朝日池と鵜(う)ノ池: 新潟県上越市大潟区内雁子にある溜池。朝日池は1646年(正保3年)高田藩の大潟地区の新田の開墾にともない造成されました。また、隣の鵜ノ池との間には新潟県立大潟水と森公園が整備されています。 

 

大沢の池(おおさわのいけ): 京都市右京区嵯峨野・大覚寺の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉(林や泉水などのある庭園)。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、唐(中国)の洞庭湖を模して造られたところから、庭湖とも呼ばれる。(大覚寺のhpより) 

 

箸中(はしなか)大池: 奈良県桜井市箸中にある箸墓古墳(はしはかこふん)の周濠(しゅうごう)の一部 

 

満濃池(まんのういけ): 香川県仲多度郡まんのう町にある日本最大の灌漑用溜池(周囲約20km)で、空海が決壊した堤防を改修したことでも知られます。

2016年1月14日 (木)

2016年の日本経済と株価の動向を考える

「南丹のドライブ旅」はまだ続きますが、箸(はし)休めの記事を一件だけ投稿します。
   
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社会の動向、なかでも経済の動きを反映する指標としてまず挙げられるものは、5カ月前の記事「世界経済の動向予測と資産防衛術」で書きましたように、資源価格・為替とともに株価でしょう。この数年、東京市場では売買の6割以上を海外投資家が占めるようになっています。2015年は海外投資家が7年ぶりに売り越しに転じました。売り越し額は2,509億円と僅(わず)かですから売り買いが拮抗(きっこう)した年だったというべきでしょう。このため、日経平均株価(終値)は1月5日の17,408円から急上昇と下落を経て12月30日の19,033円へと約9.3%上昇する結果になりました。
 
安倍晋三内閣(第二次)がアベノミクスを始めた2013年には海外投資家が15兆1,196億円も買い越しました。それは主要国の金融緩和による世界的な金余り状態とアベノミクスで日本が変わるのではないかという期待感がマッチしたことが主な理由でした。
続く2014年も海外投資家によるアベノミクスへの期待は続きましたが、買い越し額は8,826億円にとどまり、日経平均株価は1万4,000円から1万6,000円(年末には1万8,000円)のレンジで緩やかな上昇傾向で推移しました。そして、2015年は世界的な株高傾向も手伝い海外投資家の日本株に対する見方は良好で海外投資家の買い越し額は2兆6,583億円となり、日経平均株価は6月に昨年の高値2万952円を付けましたが、その直後に上海株が急落したため日本株にも売りが一気に広がりました。

 

これを埋めるように年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)など日本政府系金融機関が日本株を大量に購入(2014年の2兆7,848億円に続いて、2015年も2兆75億円買い越)したことで1万8,000円から2万円のレンジを上下し、上記したように年間では約9.3%の上昇に貢献した(昨年後半には含み損を出し始めた)のです。しかし、昨秋には購入枠をほぼ使い切ったため、その後は2万円前後を上下する展開になりました。これをもって日本政府は『日本経済は堅調でデフレを脱却しつつある』と喧伝(けんでん)していますが、郵政関連の新株発行(盛り上がりに欠ける結果となった)を除けばほとんど個人投資家の動きに繋(つな)がっていないようです。
 

そして、2016年は波乱の幕開けとなりました。日経平均株価が初日の1月4日から6営業日連続して大幅に下落(1万8,900円から1万7,200円、約9%の下落)。1月13日には500円(2.9%)近く反発しましたが、取引終了後に米国のNYダウ平均株価が2.2%急落したことで、14日は500円以上の大幅安で始まりました。このような株価急落の背景には多くの悪材料(資金の流出要因)が堆積(たいせき)したことがあると考えられます。思いつくままに列挙しますと、昨秋発覚した東芝の不正会計処理問題(株式市場の信用問題)、価格が低落し続ける原油(30ドル割れ)や鉱物などの天然資源、12月には米国による利上げ開始、中東情勢のさらなる泥沼化(年初にイランとサウジアラビアの対立が激化)、中国経済のさらなる悪化(貿易総額が前年比で8%減少)、そして円の急騰(対ドルで年末の124円から117円へ)などです。

 

いずれの要因も短期的に改善(好転)する見込みはありません。政府はアベノミクス第2弾でGDPを現在の500兆円レベルから2020年度までに600兆円へ拡大させる目標(期待)を掲げていますが、それを実現する(経済の成長力を強化する)現実的な施策を策定することと早急かつ愚直な取り組みが不可欠だと思います。笛を吹く(リップサービスをする)だけでは個人や企業は踊らない(金を使わない)のです。騒(さわ)ぐ年(干支)と言われる申年(さるどし)ですから、恣意的(しいてき)に発せられる強気な言葉に惑(まど)わされず、じっくり様子を見る必要がある一年になりそうです。また、そうするのが賢明だと考えます。しかし、残念なことに、昨年9月の関連記事「日経平均株価の動向(フォローアップ)」で触れた日経平均株価の底値予想16,000円~16,500円(あるいは私の底値予想である15,000円から16,000円)は今春にも現実のものとなるかもしれません。

 

最後に余談です。昨年前半には低価格商品に加えて高価格帯の商品も売れ始めているとの報道が見られましたが、最近は飲食業を中心に低価格商品を強化して売り上げを伸ばすデフレ型企業が再び目立ち始めました。この背景には、2014年4月に行われた消費税増税の影響がまだ尾を引いていることと、アベノミクスによる円安で輸入物価上昇と実質賃金(所得)の減少、コストアップ商品を値上げした人気企業(ファストフードMC、居酒屋WT、カジュアル衣料UQなど)の経営悪化、つまり消費行動が弱まっている状況があります。すなわち、日本経済はデフレから脱却して経済成長が始まる前の踊り場にあると考えるのが妥当のようです。
 
昨年から続くこの踊り場を脱して、一般消費者の購買意欲と企業の設備投資が復活するのはいつのことでしょうか? かろうじて名目GDPで世界第3位の地位(注1;人口の多さに助けられて4位のドイツには差がある)を保っている日本経済(注2;国民一人当たりの名目GDPでは、1980年代後半から1990年代は3位をほぼキープしていたものが、現在は20数位にまで急降下)が、1990年以降の横這(よこば)い状況となった名目GDPを維持できず、長期的な衰退(縮小)過程へ移行する初年度にならないことを切に願っています。

2016年1月12日 (火)

南丹のドライブ旅 京丹波町の国重要文化財「渡邉家」

国道27号から大福光寺へ入る時に見かけた案内表示板に「大福光寺」と並んで「渡邉家」と表示されていたことを思い出しました。ネットで検索すると、国の重要文化財に指定された茅葺(かやぶき)の古民家であることが分かり、「大福光寺」の近くのようですから立ち寄ることにしました。

 

探すまでもなく、50mほど国道寄りに戻った場所に「渡邉家」がありました。石垣で嵩上(かさあ)げされた場所です。左手は後年に建てられた住居で、右手の建物は隣家のようです。
 
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昭和50年に国の重要文化財に指定されたことと、昭和52年度に全面解体修理が行われたことが説明されています。
 
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管理人による注意書きが貼られていました。
 
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家人にはどのように声を掛けたら良いかを思案しながら辺りを見回すと、古民家の障子を張り替えている奥さんと思われる方が目に入りました。さっそく、見学したい旨を申し出ると、「今は忙しいから、おじいさんを呼びます」との返事が返ってきました。
 
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南丹市美山町北にある「美山かやぶきの里」(重要伝統的建造物群保存地区)の古民家と同じ入母屋造(いりもやづくり)の茅葺屋根は三層で葺(ふ)かれていることが確認できます。一番上の層が太い萱(かや)で、その下の二層は麦わらと藁(わら)のようです。ちなみに、茅(萱)はススキやヨシの別名です。また、傘つきの裸電球が昭和の時代を感じさせます。
 
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ちなみに、世界遺産の白川郷・合掌造(がっしょうづくり)は切妻造(きりづまづくり、二面だけに屋根面を持つ)に分類され、福島県の大内宿(重要伝統的建造物群保存地区)の茅葺古民家は四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)です。

 

国重要文化財「渡邉家」の表札には文化教育書道連盟理事長の早川高峰(こうほう)氏の銘(めい)があります。ちなみに、「邉」は「辺」の旧字体である「邊」の俗字。
 
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渡邉家の御主人が古民家の説明をして下さることになりました。私の質問に答える形で、『茅は昔のように茅場で収穫するのではなく、減反で稲作を行わなくなった田圃(たんぼ)で栽培しているため、入手は容易である』と教えて下さいました。茅葺屋根を葺きなおすには多額の費用が掛かることと、国の重要文化財でも所有者が一部を自己負担しなければならないことも。

 

玄関を入った土間(敲き)で見上げると、木を組み合わせて棟(むね)を覆う置千木(おきちぎ)構造で、木材の豊富な山間部に見られるものです。置千木には荒縄で結わえられた細い竹(女子竹、おなごだけ)の上に藁(わら)が積まれています。
 
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左手には牛小屋があります。農耕用に使われた牛が人と同じ屋根の下で暮らした名残(なごり)です。昔の農機具や農耕方法について私のなけなしの知識にも丁寧に頷いて下さいました。私の田舎は京都からそれほど遠く離れている訳ではありませんから、共通することが多かったと思います。
 
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その上は物置用スペースと思われます。薪(たきぎ)などが置かれていたのでしょう。
 
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解体修理が行われた際、造り直されたという土間の奥に竈(かまど)がありました。大小二つの焚口(たきぐち)がついています。左側の小さい方にはご飯を炊く羽釜(はがま)が置かれています。一回り大きい右側は大鍋を載せるために使われるのでしょう。取っ手(把手)がついた木製の蓋(ふた)が置かれています。ご主人に確認しませんでしたが、おそらく土を固めて造られたもののようです。ちなみに、茅葺屋根を煙で燻(いぶ)して長持ちさせるため、煙突は設置されていませんが、国重要文化財に指定されてからは火を焚いていないそうです。
 
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瓶(かめ)と樽(たる)が置かれているのは「流し台」(シンク)と思われます。
 
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その左手は食器などを保管する場所かもしれません。
 
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竈(かまど)の右手には囲炉裏(いろり)がある居間と寝室があります。
 
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居間に上がらせていただくと、家の中が見渡せました。居間の隣(玄関に近い側)は客間で、その奥は座敷になっています。
 
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客間の様子
 
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客間に架けられた欄間額「至宝千載」(しほうせんざい、この上なく大切な宝は長い年月続くの意か?)には「重要文化財指定記念 墨涯」とありますから、書家の西田墨涯氏の先品なのかも知れません。客間の奥は座敷のようです。
 
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「渡邉家」の写真が2枚、茅葺屋根を葺(ふ)き直す前と後を比較しているようです。石垣が積み直されたことも確認できます。
 
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国から重要文化財に認定された証書もあります。下世話な質問でしたが、見学料を徴収しない理由を尋ねると、収入と見做されて面倒だからとの返事が御主人からありました。重要文化財に指定されることは所有者にとっては大きな負担になるようです。
 
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座敷には風情のある板に書かれた書が並んでいます。ちなみに、「一隅(いちぐう)を照らす」は天台宗開祖・最澄の言葉ですが、正しくは「これ則(すなわ)ち国宝なり」が続きます。「それぞれの立場で精一杯努力する人はみんな大事な国の宝だ」という意味です。仁徳(じんとく)は「他をいつくしみ愛する徳」を意味する言葉です。その隣には「感謝の心」と「壽山萬大高」の書が並び、いずれも高峰の銘があります。「壽山」といえば台湾・高雄の景勝地を連想し、萬大は台北の地名にありますが、この書の意味するところは不明です。右手には航空写真と思われるものが置かれています。
 
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「渡邉家」を退出した時、向かい側にも茅葺住宅があることに気づきました。こちらは茅葺の寿命を長くするため、屋根全体がトタンで覆(おお)われています。その利点のために現在はこうする住宅が多いそうです。
 
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(終)
 

2016年1月10日 (日)

南丹のドライブ旅 京丹波町の「大福光寺」

オチビちゃん・コチビちゃんたちと分かれて次の目的地へ向かいました。国道9号に戻ってさらに綾部市方面に走りました。京丹波町の役場前で国道27号にそれ、下山バイパスに入って山陰本線をくぐり、畑川ダムの近くを過ぎた上大道交差点を右折して、山麓の道を上がります。右手の案内看板に「大福光寺 多宝塔」「大福光寺 本堂」「渡邉家」の表示がありました。
 
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丁字路の左角に古い寺を見つけました。雲晴山大福光寺(うんせいざんだいふくこうじ)です。
 
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平安時代初期の延暦年間(782-806)に京都・鞍馬寺の僧、釈峰延(しゃくのほうえん) によって創建され、鎌倉時代末期(南北朝時代)には足利尊氏が足利家の祈祷所として戦勝の加護を願ったとされる由緒ある寺なのです。その後、尊氏はこの寺の御利益に感謝して、嘉暦2年(1327年)に深山(みやま、空山)の中腹にあった寺を麓の現在の地に移して建立したと伝えられます。
 
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天正年間の兵火で多くの建物は焼失しましたが、境内には今も優美な姿の多宝塔と本堂(毘沙門堂)が当時のまま現存し、これらの建築物は紙本墨書方丈記(日本最古の写本)と玉篇(第二十四断簡、中国の古い辞書)の書跡典箱(古い書き物と本、典箱は典籍の誤りでは?)とともに国の重要文化財に指定されています。ちなみに、多宝塔は亀山市の穴太寺(あなおうじ、西国21番札所)にもあるようです。
 
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本堂は方五間単層入母屋造桧皮葺(ひわだぶき)で、菱欄間(ひしらんま)、格子戸等、鎌倉時代の様式を残しています。本尊に毘沙門天(びしゃもんてん)を祀(まつ)るところから「蕨(わらび)の毘沙門さん」とも呼ばれるようです。
 
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国の重要文化財である本堂には立ち入ることができませんので、その周囲を回ってみることにしました。
 
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大福光寺多宝塔(塔婆)は方三間二層桧皮葺で、外側に蛙股(かえるまた、梁や桁の上に置かれる輪郭が山形をした部材)12枚(内4枚は江戸時代の後補)がはめこまれ、鎌倉・室町時代の様式を伝える。足利尊氏(あしかがたかうじ)公により暦応2年(1339年)に建立と伝えられます。
 
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見るアングルを変えると違った雰囲気になります。
 
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寺宝には、鴨長明(かものちょうめい)の「方丈記」の日本最古の写本「紙本墨書方丈記 一巻」は国重要文化財に指定されています。また、狩野元信(かのうもとのぶ)筆の絵馬「玉篇(巻第廿四断簡)」などがありましたが、いずれも現在は京都や奈良の美術館に保管されているそうです。
 
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その他にも、京都府指定文化財である木造羅生門天立像(本尊1躯)、制札(1枚)、板絵著色竹虎図(1面)、京都府登録文化財・町指定文化財である懸仏附懸仏残欠(15面8個)、町指定文化財の仁王像があるそうです。ちなみに、懸仏は鏡に仏像の鋳造(ちゅうぞう)をつけたり、その形を線刻したもので、寺社にかけて拝んだものです。
 

本堂の右手前に丹波広域基幹林道着工記念樹の石碑があります。
 
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境内の右手から伸びる道路が丹波広域基幹林道でした。丹波美山林道1号線(延長約16km)の起点だと表示されています。Yahoo!の地図にこの林道は表示されていませんが、終点は南丹市の美山町(みやまちょう)だと思われます。確認すると、終点は美山町大野でした。他に4つの路線がある丹波広域基幹林道は京丹波町下山(大福光寺脇)から京都市左京区花脊大布施町(はなせおおふせちょう)の花背中学校に近い国道477号まで約32km続いていることも知りました。ちなみに、7年前に古民家が多数保存されている「美山かやぶき民家の里」を訪れています。
 
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本堂と多宝塔脇の道を進んだ先に位牌堂が見えます。道の脇にある側溝には山間の土地らしく清水が流れています。貴重な水ですから農業用水としても使われるのかもしれません。
 
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位牌堂(いはいどう)の山門
 
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山門を入ったところにある位牌堂(いはいどう)はまだ新しい建物で、平成になってから建て替えられたそうです。
 
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ここで振り返ると、木立の中に本堂と多宝塔が見えました。
 
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位牌堂に参拝させていただきました。内部は真言宗御室派(総本山:仁和寺)の末寺らしく、煌(きら)びやかな仏具が中央の祭壇を飾り、その周囲三方には大日如来立像、弘法大師、不動明王などとともに多数の位牌が祀(まつ)られていました。
 
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(終)

2016年1月 8日 (金)

南丹のドライブ旅 京丹波町の「塩谷古墳群」(後編)

5号墳と4号墳の間にタイムカプセルを見つけました。
 
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2号墳の脇から5号墳の方向を振り返って見ました。
 
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塩谷古墳公園内の遊歩道を一番奥まで歩くと駐車場とつながる階段がありました。
 
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そこでUターンした遊歩道の先には11号墳と7号墳・8号墳があります。
 
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遊歩道を一周した後は道の駅「京丹波 味夢(.あじむ)の里」の駐車場に戻りました。遊歩道脇にあった「塩谷古墳公園の説明看板」には発掘された2体の巫女型埴輪は京都府埋蔵文化財調査研究センター保管されていると書かれています。調べると、向日市にあるこのセンターは依然立ち寄ったことがある向日市文化資料館の隣にあるようです。
 
 

発掘された2体の巫女型埴輪に興味を持った私は京丹波町のhpにこの埴輪の解説文を掲載している同町の教育委員会に問い合わせました。すると、担当者の方は京丹波町役場の近くにある中央公民館(2F)にレプリカが1体、残りの1体は「塩谷古墳公園」の入口に置かれていると説明してくれました。

 

何としても巫女型埴輪を見たくなった私は日を改めて「塩谷古墳公園」を再訪することにしました。休日でしたから、オチビちゃんとコチビちゃんを誘って一緒に出掛けました。今回は道の駅「京丹波 味夢(.あじむ)の里」の駐車場ではなく、「塩谷古墳公園」の駐車場(写真右手)に車を停めました。
 
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駐車場から前方に見える「塩谷古墳公園」の古墳群(上の写真中央)へ向かいました。
 
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「塩谷古墳公園」と表示された石碑後方にある植込みの中に襲(おすい、古代の上着)を羽織(はお)る巫女型埴輪のレプリカを発見
 
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「塩谷古墳群」の説明看板
 
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丘の斜面に埴輪を模(かたど)ったと思われるモザイク画が設置されています。
 
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前回訪れた時に上から眺めた階段です。コチビちゃんと同行者は元気よく上って行きました。
 
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古墳群は丘の上のコブのように見えます。手前から2号墳、3号墳、4号墳、5号墳です。
 
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遊歩道を一周した後は道の駅「京丹波 味夢(.あじむ)の里」へ向かいます。今回は近道である階段を利用しました。
 
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道の駅「京丹波 味夢(.あじむ)の里」総合案内図は「塩谷古墳公園」と「丹波PAの駐車場」の関係を分かりやすく説明しています。
 
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前回は気が付きませんでしたが、本線側のトイレ前のアーケードは屋根(天井)として光透過型太陽電池パネルが設置だれています。
   
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下から見上げると、丹波をイメージさせる栗(オウグリ)、魚(アユ)、小鳥(ウグイス)が描かれていました。
 
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本線側の駐車場の先には京都縦貫道の本線が見えます。
 
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ショップで土産物を買う時にオチビちゃんが選んだのは黒豆と栗が入った天然よもぎの「丹波 一休(ひとやすみ)まんじゅう」、両手で持つほどの大きさでした。同行者は丹波の名産品をあれこれ買ったようです。
 
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道の駅「京丹波 味夢(.あじむ)の里」の反対側にある芝生広場からは霧がかかる京丹波町の山並みが望めました。
 
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山並みに囲まれる数多くの盆地で構成される丹波地区は深い霧である「丹波霧」がしばしば発生することでも知られます。
 
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(終)

2016年1月 7日 (木)

南丹のドライブ旅 京丹波町の「塩谷古墳群」(前編)

京都の名所を訪ねる旅の一環として丹波へ足を伸ばすことにしました。京都府は南部の山科地方(旧山科国)、中部の丹波地区(旧丹波国の東半分、西半分である西丹は兵庫県丹波市と篠山市)、北部の丹後地区(旧丹後国、旧丹波国から分かれたため北丹とも呼ばれた)で構成されていますが、その丹波地区の南部が南丹(南丹波)と呼ばれるエリアです。ちなみに、南丹には亀岡市、南丹市、船井郡京丹波町が含まれ、丹波地区北部の中丹は綾部市と福知山市を指しましたが、現在は旧丹後国の舞鶴市を含む3市を指すようです。地理の薀蓄はここまでにして、今回は3か月前に訪れた園部市(園部城址)以外の京丹波町と亀岡市を巡ることにします。
 
 
京都府の山科地区・丹波地区・丹後地区を御手洗(みたらし)団子の串のように串刺しする京都縦貫道を南丹の京丹波町にある丹波ICまで走りました。国道9号(山陰道)に出て綾部市方面(北方向)へ向かい、最初の須知(しゅうち)交差点を左折し、曽根地区にある目的地を目指します。京都府船井郡京丹波町字(あざ)曽根(そね)小字(こあざ)塩谷(しおたに)の丘陵(きゅうりょう)にある塩谷(しおたに)古墳公園です。専用の駐車場(30台)があり、京都縦貫道の京丹波PAのすぐ北側に位置しています。

 

ちょうど昼時になりましたので、京都縦貫道の丹波PAにある道の駅「京丹波 味夢(.あじむ)の里」(2015年7月オープン)に立ち寄ることにしました。古墳公園の駐車場脇を通過して坂道を上がったところにある道の駅「京丹波 味夢(.あじむ)の里」の駐車場別の駐車場に車を停めました。来し方を見下ろすと、左右に伸びる府道444号(桧山須知線)から伸びるアプローチ道と京丹波町の風景を見渡せました。手前に見えるのは遊水地のようです。
 
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テントの大屋根(上屋、柱と屋根だけの建物)が印象的なイベント会場「京丹波プラザ」が目立ちます。
 
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道の駅「京丹波 味夢(.あじむ)の里」では「京都・西の観光魅力PR展」が開催されているようです。
 
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通り抜けるができる中央のスペースを挟んで地元の名産品を売る大型ショップとレストランとフードコートが配置されていました。丹波里山レストランは昼食ビュッフェだけのようですから、フードコートに入りました。私は自家製麺の「瑞穂(みずほ)そば」(580円)、ご飯ものを控えている同行者には珍しく数量限定の京丹波町産「自然薯の麦とろ定食」(880円)を券売機で選びました。いずれもさっぱりした味で完食しました。
 
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京都縦貫道本線側に出るとユルキャラが並んでいました。手前から、「味夢(あじむ)」、「なんたんし さくらちゃん」(ゆるキャラグランプリ2014年のご当地部門で最下位となり現在人気上昇中)、「お玉ちゃん」(長岡京ガラシャ祭のマスコットキャラクター)、「しろ玉ちゃん」(お玉ちゃんの親衛隊長)です。
 
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道の駅「味夢(.あじむ)の里」(京都縦貫道本線側の外観)
 
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京丹波町の観光案内図
 
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イベント会場「京丹波プラザ」に隣接する芝生広場(交流広場)に二宮金次郎像がありました。
 
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案内看板に従って塩谷古墳公園へ向かうことにしました。緩(ゆる)やかに下る遊歩道があります。
 
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左にカーブする遊歩道を少し歩くと塩谷古墳公園の全景が見えて来ました。
 
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塩谷古墳公園は小高い丘の上に築かれた直径8mから最大15.55mの12基の古墳群を整備した公園です。平成元年(1989年)、この古墳群の一番大きな5号墳から5-6世紀前半のものとされる全国でも珍しい襲(おすい、古代の上着)を羽織(はお)る2体の巫女(みこ)型埴輪(はにわ、高さ約75cm)が出土し、京都府の文化財に指定されているそうです。このような珍しい出土遺物を伴った古墳群を残すため、平成3年に「京都府ふるさと環境整備事業」によって、塩谷古墳公園が整備されたことを事前の下調べで知りました。ちなみに、丘の中腹に見える円墳は左から10号墳、9号墳、12号墳で、丘の上にも6号墳と5号墳が少し覗(のぞ)いています。また。手前の大きな円形は手入れが行われている花壇です。
 
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綺麗に整備された遊歩道に従って高みに見上がりました。
 
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駅「京丹波 味夢(.あじむ)の里」の大型テントと緩やかに下る遊歩道を望むことができます。テントの脇から階段を利用しても塩谷古墳公園へ下りることができるようです。
 
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遊歩道の左手にある「塩谷古墳公園」の案内看板
 
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前方に5号古墳がが見えます。
 
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5号墳に上がってみました。
 
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その先の古墳群が見渡せます。手前から4号墳、3号墳、2号墳、右下にあるのが7号墳(右端)と11号墳です。
 
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道の駅「京丹波 味夢(.あじむ)の里」が一望できます。
 
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(続く)

2016年1月 4日 (月)

わが家の年末年始あれこれ

わが家では毎年さまざまな出来事がありますが、年末年始の有り様はほとんど変わることはありません。年末には小掃除と川崎大師への参拝、そして大晦日はテレビ東京の「ジルベスターコンサート」を、新年のカウントダウンを挟んで、午前1時まで観ました。

2016_01020002元旦は新年を祝う雑煮を食べることから始まり、午前7時半からTBSテレビでニューイヤー駅伝「第60回全日本実業団対抗駅伝競争大会」を昼過ぎまで観ました。元日の夜はNHK Eテレで「ウイーンフィルニューイヤーコンサート」、そして、2日と3日は「大学対抗箱根駅伝大会」と毎年判で捺したような日々が今回も続きました。一言で表現すれば、行動様式が保守的なのです。そしてもう一つ、3が日は和服を着て自宅で過ごすことも私が習慣にしていることです。上記のそれぞれについてのポイントを書き出してみました。

 

1.小掃除

 

この数年、私の作業部屋で物が増えると、それ以上に「断捨離」するようにしていますから大掃除の必要はありません。「断捨離」で心掛けていることは、近いうちに始めようと考えている終活の準備として、残すべきものを徐々に絞り込むプロセスです。とは言いながら、もっとも場所を占拠しているのはCDとDVDです。音楽・映画ビデオ・写真・家族のビデオなど500枚をゆうに超えています。このストックに映画を録画したブルーレイディスクが徐々に増えています。家族の写真とビデオ以外は即日廃棄できますが、悩ましいのはオーディオ装置と多数あるアマチュア無線機の類(たぐい)です。これらを廃棄する決断をするにはもうしばらく掛かりそうです。

 

2.川崎大師参拝

2016_01020003これまでわが家を護(まも)ってくれた護摩札をお返しして新しい護摩札をいただいたあとは、山門前の「はやま」さんで家族が揃って蕎麦またはうどんを食べることです。面白いことに、私はもちろんのこと、家族全員も毎年同じメニューを選ぶようです。私は「鴨南蛮そば」、大人は「天ざるそば」など、そして子供たちは「力そば」。ちょっと残念だったことは、今回はオおチビちゃんとコチビちゃんの姿がないことです。3か月前に二人に妹が生まれたため、いつものように大阪から来ることができなかったのです。次回は兄弟三人がそろって参拝してくれることを願っています。

 

3.ジルベスターコンサート

2016_01020022第21回を迎えた「東急ジルベスターコンサート2015/2016」(第2部)は例年どおりBunkamuraオーチャードホールからテレビ東京によって生中継されました。ちなみに、ジルベスターとはドイツ語で大晦日(おおみそか)を意味する言葉です。今回のハイライトは世紀のバレリーナといわれるシルヴィ・ギエムが彼女のラストステージ(2015年で引退予定)としてラヴェル作曲の「ボレロ」を踊ることと、その曲で新年のカウントダウンが行われることでした。彼女のバレイに見とれているうちに、カウントダウン曲として今回で5回目となる「ボレロ」は機械仕掛けのように、時計が0時を指した瞬間に終わりました。数年前には数秒の誤差が出たことがありましたが、このところ完璧なカウントダウンが続いています。


2016_01020021ちなみに、主な出演者は次の通りです。指揮:大友直人、バレエ:シルヴィ・ギエム、ソプラノ:小川里美、バリトン:与那城敬、ヴァイオリン:成田達輝、山根一仁、管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団、バレエ:東京バレエ団
、司会:宮本亜門、松丸 友紀(テレビ東京アナウンサー)(敬称略)   

 

4.お雑煮とお節料理

2016_01020037故郷のお雑煮を頑(かたく)なに守る一方、お節料理は毎年同居者が全国各地の名品を選んでくれています。正月早々うっかりして、ただでさえシンプル(質素)なお雑煮に削り節を掛けないで撮影してしまいました。正しい食べ方はこちらの記事を参照してください。今年のお節料理は京風(2-3人の小家族向け)です。見た目が美しい上に内容も多彩、薄目の味付けが私好みでした。下の写真は少し手を付けた状態です。来年のお節料理はどの地方のものになるのか今から楽しみにしています。

2016_01020039元旦の夕方になって近所に住むチビスケくんとチビエちゃんがわが家に泊まることになりました。もちろん大歓迎です。二人の両親は今大人気の映画を観に行くとのこと。躾(しつけ)が厳しいため二人はおとなしくお泊りをしてくれました。そして、翌2日に二人の両親が年始の挨拶にわが家を訪れて、大人数で夕方まで楽しいひと時を過ごしました。 

 

5.ニューイヤー駅伝
 

午前8時30分から中継放送された「ニューイヤー駅伝2016」は群馬県らしく強風が影響するレース展開になりました。第1区で14位(1位と9秒差)とやや出遅れたトヨタ自動車が、第2区以降で順次順位を上げ、第6区で首位に立って本大会で連覇しました。総合力を遺憾なく発揮したことが印象に残りました。コニカミノルタは悔しいことに前年同様2位に留まり、第4区で首位に躍り出て健闘したホンダはトヨタ自動車とコニカミノルタに抜かれたものの3位を確保しました。有力チームが予想通りに実力を発揮する大会でした。ただ、私が応援していたチームが振るわなかったことは残念でした。

 

6.ウイーンフィル・ニューイヤーコンサート
 

今年で75回を迎えた「ウイーンフィル・ニューイヤーコンサート2016」は、ラトヴィア出身のマリス・ヤンソンスが2006年、2012年、に次いで3回目の指揮棒をとりました。ウイーンフィル(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)との相性が良いのか安定感のある指揮ぶりは好感が持てました。

 

2016_01020019演奏された曲目は定番の「ワルツ“美しく青きドナウ”」(ヨハン・シュトラウス作曲)と「ラデツキー行進曲」(ヨハン・シュトラウス 父作曲)の他に、国連行進曲(ロベルト シュトルツ)、宝のワルツ作品418とフランス風ポルカ「ヴィオレッタ」作品404(いずれもヨハン シュトラウス2世)、ワルツ「ウィーン娘」作品388(カール・ミヒャエル・ ツィーラー)、ポルカ「速達郵便で」作品259(エドゥアルト シュトラウス)、ワルツ「天体の音楽」作品235(ヨーゼフ シュトラウス)、ワルツ「スペイン」作品236(エミーレ ヴァルトトイフェル)、ワルツ「舞踏会の情景」(ヨーゼフ ヘルメスベルガー シニア)、「ため息ギャロップ」作品9(ヨハン シュトラウス1世)などの作品が選ばれました。ニューイヤー・コンサートに初登場した作品が8曲もあることが今回の特徴でした。

 

2016_01020020また、このコンサートの見所であるバレーシーンは宮殿内だけではなく屋外が多かったことも新しい演出だと思いました。「美しく青きドナウ」でバレーシーンがなかったのは・・!? このバレーシーンの演出はやや疑問です。マリス・ヤンソンスの指揮は評価(好み)が分かれるようですが、私は同氏の個性的でゆったりした指揮ぶりが好きなのです。現地から生中継された鮮明な映像と音声により、溢れるほどの花で美しく彩られたウィーン・ムジークフェラインの黄金のホールにおけるコンサートは今回も例年通りの感動を私に与えてくれました。

ちなみに、NHK側のゲストは音楽評論家の小宮正安さんと歌手兼俳優の田代万里生さん。
 

7.箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競争)

 

2日の朝は好天でした。午前7時に日本テレビの中継放送が始まり、第92回箱根駅伝は午前8時にスタートの号砲が鳴りました。大手町をスタートした21チームは一団となって日比谷通りから第一京浜(国道15号)に入りました。区間記録に近いハイペースにもかかわらず品川の新八ツ山橋付近で中央大学のスパートしたことでやや縦長の集団に変わり、先頭集団について行けないチームが増え始めました。そして、神奈川県に入る多摩川の六郷橋の手前で青山学院大学がリードする形で先頭集団がばらけた形になり、大差をつけて青山学院大学が1位(区間賞)でタスキを渡しました。2位は明治大学、3位は中央大学。

 

3人の留学生ランナーが参加する第2区では、山梨学院大学と東洋大学が2位グループに躍り出て、第1区で13位と大きく出遅れた駒澤大学が追い上げて5位に順位を上げました。第3区ではその駒澤大学がさらに追い上げて4位に躍り出ました。そして、第4区の順位も上位グループではほとんど変化がありませんが、6位以下では大幅な入れ替えがありました。(以下略)

 

往路は2区と5区以外で区間賞を獲得した青山学院大学が完全優勝、2位東洋大学(第2区で区間賞)、3位駒澤大学、4位山梨学院大学、5位早稲田大学の順でした。特筆できるのは第5区で9人抜きを行い 6位となった日本大学と5人抜きを達成して8位(区間賞)となった東海大学です。
 
翌3日の復路も、第6区で日本体育大学が区間新記録を出したこと以外は大きな波乱がありません。そして、青山学院大学は安定したレース展開(7区と8区で区間賞)を維持して一度も1位のポジションを譲ることなく復路も完全優勝を成し遂げ、前年の王者らしく堂々と総合優勝のニ連覇を達成しました。2位東洋大学と3位駒澤大学は往路と同じ順位、4位は早稲田大学、 5位には8区と9区で5つ順位を上げた東海大学が入りました。

 

3が日の締めくくりは年末にできなかった両親の墓参りになりました。

今年も当ブログで様々なテーマで記事を投稿したいと思います。

2016年1月 2日 (土)

東山ドライブウェイと将軍塚(最終回)

「西の展望台」を降りて庭園に入りました。
 
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庭園から見た「将軍塚」
 
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同じく、「将軍塚」と「西の展望台」
 
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元内閣総理大臣で早稲田大学の創立者である大隅重信など、石柱や石碑が後継の松と共に残されていました。
 
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枯山水庭園
 
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『「イロハモミジ」(いろはかえで)は名前の通りに葉先(裂片)が7つに分かれた京都固有の小さな紅葉で、5つに分かれた通常の紅葉はヤマモミジと呼ばれる』というのは観光タクシーの運転手さんが客に解説していた内容の受け売りです。
 
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疑い深い私が帰宅後に調べると、「イロハモミジ」と「ヤマモミジ」は列片にギザギザが二重にあり(重鋸歯と呼ばれる)、「オオモミジ」はギザギザが一重(単鋸歯)で目立たないようで、裂片の数は「イロハモミジ」が5-7、「ヤマモミジ」が5-9と多様である一方、「ヤマモミジ」は7だけのようです。また、「イロハモミジ」の翼状の実(翼果)は竹とんぼのように水平に開いて、遠くまで飛ぶことができるそうです。京都では多くの「モミジ」の名所(東福寺高雄三尾大原三千院貴船神社哲学の道大覚寺北野天満宮高台寺大徳寺高桐院光明寺三室戸寺など)を訪ねていますが、「モミジ」についてこれまではよく知りませんでした。やはり、日本人が好きな「モミジ」は奥が深いようです。
 
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この「将軍塚」とは何の関係もありませんが、長野県千曲市にある「森将軍塚古墳」を2年前に紹介しています。善光寺平(長野盆地)には「将軍塚」と呼ばれる古墳が11基あるということから、土地の有力者や偉い人を将軍と呼んだことが名前の由来のようです。ちなみに、森は地名です。

 

大日堂(青龍殿)を後にしました。信号のある交差点まで戻り、東山ドライブウェイをさらに北進すると、下り坂が続いて一気に高度を下げます。
 
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S字に続くヘアピンカーブを抜けると陸橋の上に出ました。
 
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陸橋の下を通過するのは三条通り(旧国道1)です。ここ九条山が東山ドライブウェイ(3.5km)の終点である九条山です。
 
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九条山は山科区日ノ岡の南部にある丘陵で、かつては旧東海道(旧国道1号、府道143号四ノ宮・四ツ塚線)が京都市街に入る交通の要衝(ようしょう)でした。前方に見える煉瓦(れんが)製の塀(へいは)は蹴上(けあげ)上水場のようです。
 
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その三条通りを市街地方面に下ると10月に南禅寺の後に立ち寄った地下鉄東西線の蹴上駅です。東山三条交差点を左折して東大路通りに入りました。河原町通り(国道24号)を南下中、塩小路通りとの交差点で信号待ちをした時に 「平成の京町家モデル住宅展示場 KYOMO」の看板を見つけました。京都の木造文化と生活文化を象徴する京町家の伝統と知恵を受け継ぎながら、先端の環境技術を融合させた新しい京都の住宅モデルを普及させるために造られた施設だそうです。「ハウジングセンター」はとの都市にもありますが、京都ならではの「ハウジングセンター」に思わず見入ってしまいました。
 
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(終)

2016年1月 1日 (金)

東山ドライブウェイと将軍塚(その3)

真新しい建物は国宝の「青不動明王」(平安時代中期の11世紀頃の製作)を安置する「奥殿」です。
 
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その前にはガラスでできた茶屋「光庵」はまるでバリのルーブル美術館にあるガラス製ピラミッドのミニチュア版のようで不思議な雰囲気を醸(かもし)し出しています。
 
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大舞台の中ほどで振り返って見た「光庵」と「奥殿」
 
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境内地の最北に作られた大舞台からの眺めは山頂公園の展望台のそれよりも雄大で、正面(北西方向)には御所が見えます。そして、右端には賀茂川と高野川が合流して鴨川となる出町柳付近も確認できます。山麓直下に見えるのは大修理(2012-2019年)のため素屋根が設置された知恩院の御影堂(国宝)でしょう。
 
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ちなみに、清龍殿のhpによると、『将軍塚から比叡山にかけての東山連峰がよく見ることができ、遥かに高く見えるのは比叡山で、大比叡が向かって左に、小比叡が右に、二つの峰になっています。小比叡の下に大文字山の「大」の字が斜に見えます。前には銀閣寺、浄土寺、法然院等があります。鴨川の向こうの大きな緑は御所です。北は北山より以北、南は大阪の方まで見渡せます』とあります。

 

北の方角を望みました。木立に囲まれた寺は金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)と思われます。右手には文殊堂(三重塔)も確認できました。その後方は吉田山でしょう。そして、右端に写るのは南禅寺の三門と東山学園のようです。その左手に見える朱色の建物は平安神宮と思われます。
 
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大舞台の左手へ移動すると、朱色の大鳥居が見えますから、確かに平安神宮でした。その先には下鴨神社の森も見えます。
 
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大舞台を後にする時、清龍殿の裏手に大舞台の説明用模型を見つけました。
 
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青蓮院の飛地境内である将軍塚大日堂の境内には「将軍塚」という直径約20メートル、高さ約2メートルの塚があります。「青龍殿」に入る前に見かけた大きな塚です。
 
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桓武(かんむ)天皇は、(巨大化した奈良仏教の影響力を嫌い)、都を奈良から京都の南方にある長岡に移されましたが、いろいろと事故(天災や身内の不幸など)が続きました。その時、和気清麻呂(わけのきよまろ)は天皇をこの山上にお連れして、眼下に広がる京都盆地が新しい都の場所にふさわしいと進言したところ、桓武天皇はその勧めに従い延暦13年(794年)に平安京の建都に着手されました』(青龍殿のhpより)
 
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『そして、桓武天皇は、都の鎮護(ちんご)のため、高さ2m余りの将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられました。これが、この地を「将軍塚」と呼ぶ由来です。この「将軍塚」は、国家の大事があると鳴動したという伝説が、源平盛衰記や太平記に残されております。また、延元年間(1338年頃)には新田義貞がここに陣を敷いて足利尊氏の軍を破り、また近くは太平洋戦争にここが高射砲の陣地にもなりました。将軍塚は、「強者どもが夢の跡」でもあります』(同上)
 
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日露戦争で知られる乃木大将・黒木大将・東郷元帥、元文部大臣の菊池大麓など、明治の元薫(げんくん)たちのお手植えの松が植えられています。
 
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福島県三春町の枝垂桜「滝桜」(国天然記念物)の子桜である「エドヒガンザクラ」
 
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境内地に大舞台(北展望台)の他に西展望台(高さ10数m)もあり、清龍殿・将軍塚・庭園はもちろん、京都市街を眼下に見下ろすことができます。
 
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(続く)

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