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2016年1月18日 (月)

南丹のドライブ旅 亀岡市の亀山城址

国道27号を戻って京丹波町役場がある蒲生(こも)交差点で国道9号(山陰道)に入りました。2kmほど先に京都縦貫道の丹波ICがありますが、そのまま国道9号を南下することにしました。次の目的地である亀岡市中心部にある亀岡ICまで京都縦貫道を約20km走っても良いのですが、急ぐ旅ではないことと南丹の亀岡盆地(片側だけに断層ができた断層角盆地)に続く南丹市園部地区・八木地区と亀岡市)を桂川沿いに通る変化に富んだこの道路は何度走っても楽しい道路であることが理由です。

 

ちなみに、桂川は南丹市八木地区から下流は大堰川(おおいがわ)、亀岡市から下流は保津川と呼ばれています。

 

亀岡市余部町(あまるべちょう)の加塚(かづか)交差点を左折し、府道403号を直進して市の中心部に入りました。道路の左手に見覚えのあるスーパー西友とイオンの建物が見えてきましたから、目的地はすぐ先にあるはずです。確かに、右手に堀のようなものが確認できましたので、城趾(じょうし)と思われるエリアの周囲を回りながら入り口を探すことにしました。学校などの公共施設が立ち並んでいますから城趾であることは間違いなさそうです。

 

しかし、入り口らしきものや案内看板は見つけられないまま、一周してイオンの前まで戻ってしました。堀と思われる池の脇に小さな公園を見つけた私は通行の邪魔にならない場所に車を停めて公園に向かうことに。南郷町公園の表示とともに南郷池と亀山城(別名;亀岡城)の説明看板が立っていますから間違いありません。ちなみに、南郷池は亀岡市を横切って桂川に注ぐ雑水川(ぞうすいがわ)の一部となっているようです。
 
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亀山城址の石柱には明智光秀の名前があります。光秀は信長の命で丹波国を抑えるための拠点として築城したこの城から軍勢を引き連れて信長を討つために京都の本能寺へ向かったのです。ちなみに、亀山は亀岡の古い(明治時代以前の)地名で、三重県の亀山と混同されるのを避けるため明治元年に現在の地名・亀岡へ変更されたそうです。しかし、亀山城とともに亀岡城の名も使われるため紛(まぎ)らわしく、三重県の亀山城址と混同する人が今もいるかもしれません。
 
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亀山城の防御施設が説明された看板には、『南側には内堀・外堀・惣堀(そうぼり)の三重の堀と御土居がめぐり、堅牢な構えを呈している。一方、南郷公園の立地する北側の搦手(からめて)は、外堀が一重にめぐらされているだけとなっている。これは、有事の際には、保津川の流れを塞(せ)き止めると、北側の水田は一気に大きな掘となるように考案されているため』、とありました。
 
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亀山城の鯱瓦(しゃちほこがわら)像
 
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亀山城が廃城された時に京都市の住民に払い下げられ、後に京都府立医科大学の講堂棟瓦として使われた鯱瓦の複製ブロンズ像が亀岡の歴史のモニュメントとしてこの地に置かれたことが説明されています。
 
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台座にある銅板レリーフに描かれた亀岡城天守の図を見ると、唐破風のない五層の層塔型天守だったようです。明智光秀が建てた三層の天守ではありませんから、江戸期に入って建て直された天守を描いたものでしょう。
 
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しかし、南郷池の対岸には城址らしき気配はまったく感じられません。
 
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南郷池の東方向
 
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南郷池の西方向
 
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近くの商店に入って亀山城趾への入口がどこにあるのかを尋ねると、親切に教えてくださいました。先ほど通過した宗教法人「大本」(おおもと)の本部入口が亀岡城趾の入口でもあるとのこと。低い石垣が塀のように続いています。
 
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駐車場に車を停めさせていただき、敷地内を歩いてみました。「大本本部 神苑 天恩郷(てんおんきょう)」の案内図を見ると南郷池の中の島に近い天守・本丸跡には万祥殿の左手にある門を通過して行けるようです。
 
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正面には左から「安生館」「みろく会館」と「神教殿」があり、右手へ向かうと、万祥池(ばんしょういけ)の先に石垣が続いています。
 
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万祥池の先にある「万祥殿」
 
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万祥殿へ向かう万祥橋
 
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万祥橋近くの広場には「手水舎」がありました。
 
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大本の聖地「天恩郷」と亀山城址の説明看板には大将8年(1919年)に荒れ果てていた廃城を大本の教祖が入手して整備した経緯と宗教法人「大本」についての説明が書かれています。ちなみに、「大本」の信者が「成長の家」や「世界救世教(きゅうせいきょう)」などの新宗教を昭和初期に設立したようです。
 
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万祥池の脇に戻って西へ続く遊歩道を歩きました。
 
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万祥池の先に続く空堀は元々内堀だった場所のようです。
 
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璃祥門(りしょうもん)には「関係者以外 これより先の立ち入りはご遠慮ください」の立札がありますから重要なエリアのようです。
 
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敷地の西端にある西口付近にも「丹波亀山城跡と大本・天恩郷(てんおんきょう)」の説明があり、昭和10年(1935年)の大本弾圧事件(第二次)についても簡単に触れています。この事件は、昭和7年(1932年)に起きた軍部による反乱「5・15事件」の3年後、共産主義運動を壊滅させる目的をもって施行された治安維持法を革命的と見做(みな)された宗教団体「大本」に適用された弾圧事件です。その時に、大本の本部があった亀山城址も徹底的に破壊されたそうです。
 
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天守跡を是非見たいのですが、万祥殿でお祓いを受ける必要があり、しかも天守台は禁足地で上がれないようですから、立ち寄りを断念して次の目的地へ向かうことにしました。それに、同行者は例によって駐車場に停めた車で待ちかねているかもしれません。

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