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2016年2月

2016年2月29日 (月)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その12) 寸又峡の夢の吊り橋(前編)

翌朝も午前6時半から利用できる温泉を楽しんだ後は朝食です。前夜と同じテーブルに用意されたのはサニーサイドアップ/ベーコン/野菜サラダ、シリアル、トーストが並ぶアメリカン・ブレックファースト。
 
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窓の外は明るいのですが・・。
 
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午前8時過ぎにチェックアウト。これが内部から見た玄関です。
 
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英文の観光案内が貼られていますから、海外からの観光客も宿泊するのでしょう。
 
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ペンション寸又峡」の外観
 
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同行者は昨夜、前を通り過ぎた時にこの表示を見たようです。「南アルプス ユネスコエコパーク」の幟(のぼり)が立てられています。ちなみに、「ユネスコエコパーク」(生物圏保存地域)は「生態系の保存」と「持続可能な利活用の調和」を図るユネスコ・自然科学部門の事業で、日本は「南アルプス」「志賀高原」「白山」「屋久島」などを含む7地域が登録されているそうです。
 
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奥の駐車場(写真左手)と路線バスの折り返し所(写真右手)まで車で移動しました。前夜は「ペンション寸又峡」の場所を見つけられず、Uターンした場所です。
   
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ニホンカモシカの像が出迎えてくれました。
 
 
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寸又峡の総合案内看板です。よく見ると、周辺地図(左側)・寸又峡の地図(中央)とともに描かれた温泉街の拡大地図(右側)に「ペンション寸又峡」の場所も表示されていました。迂闊(うかつ)というよりも粗忽(そこつ)!? ここに来た目的は軽いハイキングをするためです。空を覆(おお)う雲の様子は気になりますが・・。
 
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カジカ沢に架かる橋を渡りながら左手を眺(なが)めると、山から続く急な川は山間であることを実感させます。
 
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「林鉄大間駅」の看板が掲げられたこの建物は昔存在した「千頭森林鉄道」(全長41km)の旧大間駅舎です。ちなみに、「千頭森林鉄道」は大井川鉄道井川線の沢間駅付近から大間駅を経由して寸又川上流の栃沢まで軌道が施設され、その先は8km余り離れた柴沢まで牛馬道となっていたようです。
 
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ここで「寸又峡プロムナードコース」に入ります。右手の「グリーンシャワーロード」に進めば猿並橋(さるなみばし)と朝日岳登山口へ至るようです。「寸又峡プロムナード」(1周約90分)は、一般車が通行できませんから、安心して歩くことができるハイキングコースのようで、見所は大間ダム、飛龍橋(ひりゅうきょう)、夢の吊橋の3つです。
 
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なだらかな道が続いています。
 
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これは千住森林鉄道の跡地に造られた道路のようですが、路肩にはケーブル保護管と思われる黒いチューブが続いています。
 
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「寸又峡の歴史」と「猿並橋(さんなみばし」(長さ96m、高さ11mの吊り橋)の説明がありました。「寸又峡プロムナードコース」の入り口にあった道標には"Sarunami Suspennsion Bridge"とありましたが、こちらの方が正しい読み方のようです。
 
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岩壁に貼りついた木の根は生命力の強さを感じさせます。
 
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これが「猿並橋」のようです。
 
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同行者はこの先に別の吊り橋があると知ってどんどん歩いています。
 
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「天子(てんし)トンネル」(長さ210m)と「鬼の風(龍神の風)」の説明
 
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「天子(てんし)のトンネル」が見えました。ケーブル保護管もトンネル内(天井下)を通過します。
 
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(続く)

2016年2月28日 (日)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その11) 千頭(せんず)駅から新金谷駅経由で寸又峡温泉へ

金谷駅行きの切符を購入
 
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午後2時35分発金谷駅行きの電車(21000系)が4番線に入線しています。この時間帯は「千頭駅」を出発する電車はもちろん、「SLかわね路」も2時間近くないのです。そして、「千頭駅」の駅員さんからバス便もないことを教えられました。ちなみに、観光客の多い季節には「SLかわね路12号」と「SLかわね路14号」が走りますから、「千頭駅」で長時間待たないで、新金谷駅-千頭駅間を「SL列車」で往復することができるようです。ちなみに、大井川鉄道のhpによると、この電車は昭和33年(1958年)に南海高野線の急行・特急用として製造され、高野山への急勾配(きゅうこうばい)を登り、河内(かわち)平野を110km/hで走行するという高性能を誇(ほこ)ったそうです。
 
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ワンマン電車のドア脇に貼られた説明
 
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社内はやや古びた外観から想像できないほど現代風(モダン)です。
 
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午後2時53分発の「SLかわね路2号」が3番線で待機しています。
 
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復路もこの「SLかわね路」に乗車したいところですが、「新金谷駅」の到着時間が30分近く遅くなるため、一番早く戻れる普通電車にしました。復路は写真撮影を一時休止することにしました。普通電車は各駅停車ですから、特急である「SLかわね路」が停車しなかった駅の様子を見ることができ、同じ路線なのに汽笛の音や煙がないため車窓から見る景色も何か違っているように感じられました。

 

「新金谷駅」には定刻の午後42分に到着
 
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同行者は「新金谷駅」舎内の売店で「うなぎアイスクリーム」を求めました。「SLかわね路1号」に乗車する時に見つけていたのです。
 
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お裾分(すそわ)けをしてもらうと、かすかに鰻風(うなぎふう)の味がしました。好みに応じて山椒(さんしょう)を振りかけて食べるようです。
 
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「新金谷駅」の駐車場を出発したのは午後3時50分ころになってしまいましたので、次の目的地である「寸又峡温泉」まで国道473号と国道362号をひた走り、本川根町千頭から入った県道77号で「千頭駅」の前を通過しました。写真を撮影する時間も惜(お)しみ、到着予定時間を宿泊先に電話連絡し、そしていくつもの山を越えて午後5時20分ころに「寸又峡温泉」に到着。宿泊先を探しながら温泉街を徐行しましたが見つけられません。そこで、温泉街の入口にある大きな駐車場まで戻って、宿泊先である「ペンション寸又峡」に電話をかけ、道順を確認してなんとか到着。温泉街を「8の字」に結ぶ道が交差するポイントの近くでした。夕闇(ゆうやみ)が迫(せま)っており、「ペンション寸又峡」の表示をなんとか確認しました。

 

到着してから同行者は『最初に通った時に「ペンション寸又峡」の建物を見かけたわ』、と言うのです。そして、宿泊施設を探しながら私が「ペンション寸又峡」と呟(つぶや)いたのを建物に書かれた名前を読んだと勘違いしたそうです。思わず私の口を衝(つ)いて、『それさぁ、早く言ってよぉ~』(テレビCMのフレーズ)が出ました。よく考えると、例によって宿泊先など旅行の詳しいことを同行者に話していなかったのですが・・。

 

フロントで受付を済ませて2階の客室へ向かいました。客室廊下を挟んで両側に10室ほどが並んでします。共同トイレは1階にありますから、バストイレ付きの広めの部屋を選んだのは正解だったようです。廊下の突き当たりに洗面台が見えます。
 
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予約した「トリプルルーム」にはベッドが3つありました。写真には写っていませんが、手前にもう1つ置かれています。
 
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夕食は午後6時からとのことですから、その前に1階にある貸切風呂(家族で利用可)に入ることにしました。2つある貸切風呂の脱衣所と浴室は大きめの家庭風呂といったところですが、正真正銘の掛け流しの温泉です。源泉で加温されているため、湯温の調節は冷水を加える方法であり、適温になるまで辛抱(しんぼう)強くかき混ぜました。

 

湯は思った以上でした。お湯はわずかににごりがあるがほぼ透明と言ってもよく、ほんのりやわらかい硫黄の香りがたちこめています。アルカリ泉の湯は肌に纏わり付いて、ツルツルスベスベで、身体に良い効果がありそうです。気に入りました。ちなみに、源泉は寸又峡2号及び3号混合泉、泉質は単純硫黄泉源泉の温度42.8度、PH9.1。お湯にゆっくり浸かっていると疲れが癒(いや)されました。

 

寸又峡温泉は19682月に猟銃を持った人物が「ふじみや旅館」(現在は廃業)に立て篭った寸又峡事件(あるいは金嬉老事件)の舞台となった場所で、同じ年の12月に発生した三億円事件とともにインパクトの強い事件として記憶に残っています。

 

午後6時になるとフロントから連絡があり、1階の食堂へ向かくことにしました。1階のフロントへ続く廊下には「手筒花火」「和紙を使った置物」などが並べられています。
 
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「手筒花火」は愛知県・東三河の吉田神社が発祥の地として知られますが、静岡県や岐阜県などにも広がっていることをネット検索で知りました。「手筒花火」ではありませんが、「設楽原(しだらがはら)歴史資料館」で雰囲気が似る「火おんどり」の展示を見たことがあります。
 
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食堂の様子
 
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窓際のテーブルにはシクラメンとベゴニアの鉢植えが
 
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この日の夕食は「鹿鍋(しかなべ)」「山女魚の自家製甘露煮」「汁物」「野菜と肉の煮物」などが並びました。
 
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鹿肉はシャブシャブで味噌だれをつけて食べます。
 
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野菜をたっぷり入れました。
 
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ジビエ料理である「鹿肉」にはほとんど癖(くせ)がなく、「山女魚の甘露煮」はとても魅力的な味と食感があり、そして旅先であるためかご飯も美味しく感じられました。ただ、「季節のフルーツ」はなんと「みかん」でした?!
 
『なぜこのペンションを選んだの? 珍しいわね』という同行者に対しては、『単なる気まぐれだよ』と答えましたが、このペンションの建物が寸又峡の雰囲気にマッチしていると思ったことが本当の理由です。それに、オープンして約40年の建物はロッジ風であり、しかも朝夕食付の料金が1人7000円と格安であることも魅力でした。 

 

「寸又峡温泉」には多くの旅館がありますが、山登り客などが気楽に利用できる施設としては、この「ペンション寸又峡」の他に、町営露天風呂「美女つくりの湯」のすぐ隣にある朝日山荘(素泊まり4000円~、2食付き 6000円~)も候補に挙げられるでしょう。(続く)

2016年2月27日 (土)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その10) 「千頭駅」とその周辺(後編)

蒸気機関車が後退するのが見えました。が、ちょっと不思議な気持ちになりました。というのは蒸気機関車の後ろに接続されていた客車の横(向こう側)の線路を走行しているからです。大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その8)の最後から3枚目の写真を見て気が付きました。ポイントを切り替えて線路を移った上で後退してきたのです。
 
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白煙を噴き上げながらさらに後退しています。
 
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木立の陰でスイッチバックしたようで、前進する形で徐行しながら転車台へ向かいます。
 
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蒸気機関車が転車台の上に載って止まりました。
 
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すると、黄色く塗られたアーム(棒)を4人の作業員が掴(つか)んで転車台を回転させ始めました。サンフランシスコのケーブルカーも同じ方法で方向転換していたことを思い出します。ちなみに、C56型蒸気機関車(含炭水車)の重量は65.5トンと超弩級(ちょうどきゅう)です。
 
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慣性モーメントの大きさのため、わずかですが回転し過ぎたようで、逆回転させて微調整します。
 
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作業員が転車台と線路の位置を確認した上で、蒸気機関車は前進して転車台から離れ始めました。
 
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蒸気機関車はスイッチバックして後退する形で戻ってきました。
 
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今度は停車中の客車と同じ線路を走行しています。
 
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無事に連結されたようです。蒸気機関車はそれまで目立たなかった蒸気をその下部から大量に吐(は)き出しています。
 
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蒸気機関車のほぼ横まで移動してもう一枚撮影
 
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ホームの反対側には赤い電車が停まっています。「千頭-節岨峡温泉」と看板があることと、赤い塗色から見て井川線の小型客車「スフロ300」のはずですが、左端の車両にはなぜかパンタグラフが付いています。そして、その向こう側には「ED95」と思われる電気機関車の姿も見えます。
 
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井川線のホーム(写真左)を駅舎方向へ戻ると、大井川本線の3/4番線ホームの間にブルーシートで覆(おお)われた蒸気機関車が2台置かれていることに気づきました。
 
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井川線のホームの手前にある待合室へ戻りました。
 
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その隅(写真左)に急こう配を上ることができる電車の模型が展示されていました。そして、「ヴァンゲルンアルプ鉄道の電車」とのタイトルでスイスのアプト式電車の解説が書かれています。『インターラーケンの町から北壁で有名なアイガーの麓クライネシャイデックを経て、ユングフラウの山頂(4158m)近く、3454mのユングフラウヨッホまでは、3つの歯車(ラック)式鉄道を乗り継いで登ることができる。この模型電車は、その真ん中を受け持つ「ヴァンゲルンアルプ鉄道の電車です。歯車方式は井川線のアプト式とは異なり「リッゲンバッハ式といい、梯子状(はしごじょう)のレールに歯車をかみ合わせます。」とありました。
 
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この解説を読んで、スイスを旅行した6年前にラウターブルネンからこのヴァンゲルンアルプ鉄道とその上に続くユングフラウ鉄道を利用して冠雪したユングフラウ山の山頂まで上がったことを思い出しました。
 
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大井川本線の3/4番線ホームから見た井川線のホームと列車です。いつの間か到着した井川線の客車の先頭には気動車(ジーゼル機関車)「DD20」と小型客車「スフロ300」が接続されています。
 
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(続く)

2016年2月26日 (金)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その9) 「千頭駅」とその周辺(前編)

駅前を右手に歩いて大井川沿いに出ました。上流に見えるのは県道77号の川根大橋です。
 
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大井川沿いの歩道から見た「千頭駅」のプラットフォーム
 
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プラットフォームの先端まで歩くと、線路の奥に「転車台」を見つけました。
 
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その先にはこれというものがなさそうなので駅前に戻ると、「寸又峡(すまたきょう)温泉」へ行くバスの乗り場がありました。
 
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かわね本庁の総合案内看板には「レインボーブリッジ」「長島ダム」「音戯の郷」「桜トンネル」「お茶の郷」が紹介されています。
 
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SL資料館」は休館でした。千頭駅に付属した大井川鐵道の資料館で、SL模型や鉄道ジオラマのほか、部品類を展示しているそうでちょっと期待していたのですが・・。ちなみに、入館料は小学生以上が100円。
 
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隣の建物にある「南アルプス アプトセンター」はアプトラインである井川線の事務所のようです。ちなみに、井川線は大井川鉄道が運営していますが、ダム建設用に施設された経緯から現在も中部電力が所有しているそうです。
 
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大井川鉄道井川線の踏切を渡りました。右手方向が「千頭駅」で、左手は終点の井川駅方向です。
 
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その先には道の駅「音戯(おとぎ)の郷(さと)」(入館料:大人500円)がありました。温泉ではなく音と戯(たわむ)れることをテーマとした体験ミュージアムのようです。
 
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時刻表で確認すると井川線の電車が発車する時間が近いようですので、踏切脇に待機することに。
 
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井川線の列車が発車しました。井川線(南アルプスあぷとライン)には日本で唯一のアプト式区間が「アプトいちしろ駅」から「長島ダム駅」まであり、その区間は電化されていて専用の電気機関車が接続されるそうです。したがって、「千頭駅」を出発したのは小型の気動車(ジーゼル車)の「クハ600」です。
 
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電車の後部には「すまた」号の名称があります。
 
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駅舎にはこんなポスターが貼られています。写り込みがあって見にくいのですが、私が心待ちにしていた新東名高速道路の豊田東JCT-浜松いなさJCT間が2月13日に開通するという告知でした。
 
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駅舎内の待ち合わせ所で休憩していると、「転車台」の見学ができるとのアナウンスがありましたので、入場券を購入して井川線のホームに入りました。
 
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すぐ近くから見る「転車台」
 
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イギリスのRansomes & Rapier社製「転車台」の詳細についてと国の有形文化財に指定されていることが説明されています。
 
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(続く)

2016年2月25日 (木)

「グルメブーム」を考える

現在の日本は何度目かの「グルメブーム」と呼んでも良い状況にあります。テレビ番組(バラエティ番組や「孤独のグルメ」などの食べ歩き番組)・グルメ漫画の「美味しんぼ」・グルメ雑誌・グルメバスツアーなど、グルメ情報で溢(あふ)れています。そして、ラーメン店スイーツ(甘味)の店、食べ放題ランチ、海外発のファストフード店などにできた行列がニュースの対象になっています。

 

ところで、「グルメ」とはなんでしょうか。まず、その意味から考えてみたいと思います。「グルメ」とは料理に詳しい人(食通)を、時にはワインに詳しい人(ソムリエ)を意味するフランス語です。世界の三大料理(フランス・トルコ・中国)の一つであるフランス料理とフランス産ワインを生んだフランスがその発祥(はっしょう)の地と言っても良いでしょう。さらに同じ欧州のスペインとオランダ、アメリカ(ニューヨーク)、中国(北京・上海など)などもグルメで知られています。ちなみに、食通と似ている美食家は料理の値段や味に価値を見出す人であってグルメとは呼びませんが、ここでは一般的な理解(用法)にしたがって食通と美食家をまとめて「グルメ」と呼ぶことにします。

 

日本における食通あるいは食道楽(美食家)は、江戸期(社会が成熟した元禄時代)から戦後まで存在しましたが、それは庶民の楽しみではなく一部の富裕層(上級武士、大店の店主、一流作家、芸能人など)のものとしてだけ存在しました。珍しい食材を食べる人も多かったようで、河豚(ふぐ)の毒にあたって亡くなった歌舞伎俳優(8代目坂東三津五郎)や寄生虫に感染した芸術家(北大路魯山人、ろさんじん)などがよく知られています。また、現代においてグルメ好きが高じて高カロリーな料理を食べすぎると、メタボだけではなく高尿酸値症、ひいては痛風(つうふう)になるリスクが高くなるでしょう。

 

そんな日本でグルメが庶民層にまで広がったのは、1970年代初頭に大阪万博が開催され、マクドナルドとファミレスなどのファストフード店が相次いでオープンしたことで、外食を楽しむ習慣が広まったことによるそうです。さらに、バブル期の1980年代にはより贅沢(ぜいたく)な料理を求めるグルメブームが始まったといわれます。 そして、権威付けが好きな日本における最近のグルメブームは「ミシュラン・ガイド」や「食べログ」なども一役買っているようです。

 

その対象はと言えば、本格的な日本料理(懐石料理・海鮮魚介料理・寿司・天ぷら・うな丼/うな重・トンカツ・お好み焼き・焼き鳥など)はもちろんのこと、世界各地のさまざまな料理、そして外国から日本に伝えられて日本風に生まれ変わったうどん・そば・ラーメン・カレーライス・豆腐(とうふ)料理・コロッケ・オムレツなどもあります。ただし厳密に言えば、10年前に投稿した「食べ物についての薀蓄」の記事に書きましたように、寿司は南アジアから日本へ伝わったとされますから、3番目のグループ(日本風料理)に入れるべきかもしれませんが・・。

 

これらの日本料理に加えて、日本の食材を洋風あるいは中華風に調理したもの、郷土料理や家庭料理を外食にふさわしい形に洗練させてもの、町興(まちおこ)しで考案された創作料理(B級グルメ)など、多種多様です。

 

最近は、海外発の新しい料理が次々と紹介され、それを提供する店も日本に出店しています。その例を思いつくままに挙(あ)げると、熟成肉(じゅくせいにく)、シュラスコ(ブラジル)、パンケーキ、フレンチトースト、かき氷、高級ポップコーン、タコベル(メキシコ料理)、カメハメハ・ベーカリー(ハワイ)、サムギョプサル(韓国)、シェイクシャックのグルメバーガーなど、枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がありません。

 

グルメから少し逸(そ)れますが、2013年にユネスコの世界文化遺産として登録された「和食」とは「日本人の伝統的な食文化」であって、具体的な日本料理のメニューが指定されているわけではありません。「和食」に一歩先んじて2010年に「フランスの美食術」「地中海料理(スペイン・イタリア・ギリシャ・モロッコ)」「メキシコの伝統料理」が登録され、2011年には「ケシケシの伝統(麦で作るトルコの粥)」が追加されました。いずれも「危機に瀕(ひん)している文化」を保護しようというのが選定の条件のようです。ということは、「和食」が「危機に瀕している」とユネスコに認められたのです。

 

この場合の「和食」とは、一般家庭の食事・郷土料理・正月や催事の料理などを指し、それらの基本となるのは主食である「ご飯」と副食である「(味噌)汁」「菜」「漬け物」を合わせた4点です。そして、料理を「箸(はし)」と「椀(わん)」を使って(手に持って)主食と副食を交互に食べることも伝統的な食文化です。さらに、身の周りにある食材(米・野菜・魚介・昆布など)を食べるということも伝統的な食文化なのです。

 

そして、味付けは伝統的な発酵食品である味噌・醤油と昆布あるいは鰹節(かつおぶし)で作られる出汁(だし)の存在が不可欠であり、食べる行為は家族または地縁者との間のコミュニケーションの場でもあったのです。しかし、急速な都市化・過疎化・単身者の増加でその場が失われつつあると懸念されるのです。世界文化遺産に登録されたことで日本は「和食」(伝統的な食文化)を保存する方策と、その成果をユネスコに報告する義務があるのです。ちなみに、世界文化遺産に指定されている「富士山」も同様なのです。

 

世界文化遺産に登録される前から「日本料理」が世界的なブームとなっています。その背景には「日本料理」がヘルシーである(身体に良い)と考えられていることがあります。つまり、青魚・穀類・野菜などを中心とする「日本食/和食」は欧米の料理のように動物性脂質をほとんど含まないことが最大の理由です。それに世界一の長寿国であることも「日本料理」にプラスのイメージを与えていると考えられます。しかし、「日本食/和食ブーム」を手放しで喜ぶだけではなく、日本人は伝統的な食文化である「和食」を再認識して、日々実践(じっせん)する努力を重ねる必要があると思います。

 

ところで、グルメ好きのあなたは食通と美食家のどちらを選びますか?

 

                       ☆ 

 

余談です。2月18日付毎日新聞の国際面に興味深い記事を見つけました。その主旨(しゅし)は、『世界で生産される食料のうち約三分の一が廃棄(はいき)されているが、その現状を変えようとする動きがフランスで高まり、全土にある大型スーパーが売れ残りの食品を廃棄することを禁じ・慈善団体に寄付することを義務付ける法律が成立した。1人当たりの年間食料廃棄量(はいきりょう)は先進国(欧州・北米・豪州・日中韓)で多いが、その主な原因は消費段階での廃棄が多いためであり、生産から小売までの段階では大きな差はない。もちろん、日本も廃棄量が多いグループに含まれており、その総量はフランスとほぼ同じである(筆者注、人口は日本がフランスの約2倍)ですから、一人当たりの廃棄量は約半分)』というものです。

 

                       ☆

2016_02250001今回紹介する花は「ガーデン・シクラメン」です。赤・白・ピンク・紫・ワインレッド・赤目の6色があるそうですが、わが家では赤・白・ピンクの3種類を育てています。
 

シクラメンは冬に咲く花のなかでも人気があるサクラソウ科シクラメン属に属する多年草(開花期は11~4月)です。シクラメンの名前の由来は野生種の茎が螺旋状(らせんじょう)に回ることからギリシャ語で螺旋を意味する「キクロス」(kyklos)と呼ばれ、それが転じてシクラメン(cyclamen、ひと回りする者)になったようです。原産地は地中海沿岸であり、原種(15~20種類存在する)は「シクラメン・ペルシカム」(Cyclamen persicum)と呼ばれます。2年前、クロアチアを旅行した時にプリトヴィッツェ湖群国立公園内でシクラメンの原種を見かけました。これらの原種がヨーロッパ各国で交配され、大きくて美しい色の花を咲かせる園芸品種として世界各国に広がったのだそうです。ちなみに、日本には明治に入ってから伝えられたようです、和名は花の形から「篝火花」(かがりびばな)、あるいは球根の形が丸いことで「豚の饅頭」(まんじゅう)と呼ばれます。 

 

シクラメンには、高温・多湿を嫌い、涼しい場所を好むという性質があり、夏は葉を落として休眠します。以前は高価な花で「冬の女王」と呼ばれましたが、現在は花鉢に植えられたシクラメンを室内で気楽に楽しむことができます。一方、今回紹介する「ガーデン・シクラメン」は耐寒性のある原種のシクラメンを元に育成された小型のシクラメンで、耐寒性が弱い一般的なシクラメンと栽培方法が異なり、名前の通り冬の屋外でも楽しむことができます。 

 

ちなみに、「ガーデン・シクラメン」の花言葉は、赤い花が「はにかみ」、白い花が「嫉妬、思いやり」、と普通のシクラメンとほぼ同じです。 

 

なお、「ガーデン・シクラメン」と見た目が似ている「ミニ・シクラメン」(草丈15~20cm)は普通のシクラメンを小型化したものであり、霜に当たると枯れますから、屋外で育てる目的には向きません。

2016年2月24日 (水)

漢字表現を愉(たの)しむ

難読(なんどく)漢字と四文字熟語(じゅくご)などを覚えて「漢字検定一級」の取得を目指すのも楽しいと思いますが、簡単な漢字であってもその意味と使い方を吟味(ぎんみ)すると深いものがあるようです。

 

本題に入る前に、漢字の特徴を考えてみましょう。漢字とはその名前のとおり、昔の中国で作り出された文字で、古代の象形文字(絵文字)が洗練(簡略化)され、さらに複数組み合わされて現在の漢字(繁体字と簡体字)が完成しました。その最大の特徴は漢字一文字が意味を持つ最小単位であることで、表音文字である西洋の文字(アルファベットなど)とは大きく異なる点です。つまり、漢字は一文字ごとにその意味が定義される表意文字(注、表音文字でもあることから厳密には表語文字と言うべき)であり、一方のアルファベットは一文字から数文字で意味を持つ単語の音を表すもので、文字自身はまったく意味を持ちません。

 

余談ですが、中国では外来語を表記するときには表音文字でもある漢字の特徴を利用します。
 

例えば、マクドナルドは「麦当Màidāngláo、マァィダァンラァォ)、パリは「巴黎」(Ba Li、パァーリィー)、「ボーイング」は「波音」(Bo yin、ブゥオイーン) 

)カッコ内は中国語の発音記号であるピンインとカタカナ表記した発音

 

                          ☆

 

本題に入ります。日本語は漢字を表意文字として導入しましたが、その発音も合わせて取り入れました。遣隋使(けんずいし)が中国(当時は隋)の長安から持ち帰った呉音(ごおん)と遣唐使(けんとうし)などが持ち帰った漢音(かんおん)は、一部で使われた宋音(そうおん)と唐音(とうおん、とういん)を含め、現在の日本では「音読(おんよ)み」と呼ばれ、旧来の日本語の発音を漢字に当てはめた「訓読(くんよ)み」の2種類の読み方が併存するのは、この歴史的な背景があるからです。「音読み」は音を聞くだけでは意味が分かりませんが、一方の「訓読み」はそのまま意味を理解することができることで、両者を識別することができます。

例、山(さん/やま)、海(かい/うみ)、足(そく/あし)

 

ちなみに、仏教の経典(お経)はもちろん漢音で読まれますし、複数の漢字を組み合わせた熟語の読み方も漢音を使うのが一般的です。一方、訓読みの場合は送り仮名を付けることが多いのです。

 

それでは日本語における漢字の面白い表現方法をいくつかの切り口で解説しましょう。

 

1.多彩な意味を持つ「前」

 

「前」が接尾語としてつく言葉(熟語)は数え切れないほど多くあります。「男前」(男らしい顔つきや態度)、「江戸前」(江戸湾つまり東京湾でとれる新鮮な魚類)、「手前」(自分のこと、私)、「一人前」(料理の一人分、成人であること)、「腕前」(巧みに物事をなしうる能力や技術)、「板前」(まな板の前で調理する人、つまり和食の料理人)、「当たり前」(当然の当て字が転じた言葉、あるいは共同作業の分け前)、「御前」(貴人の目の前の人、それが転じたお前は相手を蔑む言い方、貴様と同様)、「出前」(料理を配送すること)、「名前」(物や人物に与えられた言葉)、「点前(てまえ)」(お茶を点てること)など。

 

これらの用法から分かるように「前」の意味は、「順序として早く現れるほうを指す」、「空間的に前の方」、「書き物をする机や脇息(きょうそく)・食器を載せる膳である懸盤(かけばん)を数えるのに用いる」、「人を尊敬する言葉(""と読む)、例: 御前(ごぜん、みさき)」など多岐(たき)に亘(わた)ります。

 

ちなみに、「後」を接尾語とする熟語はそれほど多くはありません。「午後」「雨後」や「屋後」(おくご、家屋の背面)はともかく、「牛後」(ぎゅうご、牛の尻)は「鶏頭となるもの牛後となるなかれ」あるいは「鶏口牛後」の諺(ことわざ)があるように、悪いことの例えにも使われます。これは「後」が、「人の背中の向いている方向」、「ある地点からのち」、「連続するものの中で次にくるもの」、「物事が終わってから残ったもの」を意味する(マイナスのイメージがある)漢字だからでしょう。

 

2.これって正真正銘(しょうしんしょうめい)の漢字?

 

「躾」(しつけ) :   身だしなみの美しさを教えること

「峠」(とうげ) :    山道を上って下りにかかるところ

「颪」(おろし) :   冬季に山などから吹き下ろす風、用例「六甲颪」

「写す」(うつす) :  中国の繁体字「冩」を日本風に簡略化したもの

               注)中国の簡体字では横棒が右に突き出ない

「匂い」(におい) : 中国語の 匀(キン、一様あるいはバランスが良いこと)の「二」を

              「にほひ」の「ヒ」と入れ替えたもの

             ちなみに「匀」は均等や均一の「均」と同じ意味

「畑」 :         「火」+「田」、つまり焼き畑

「辻」(つじ) :     「道」+「十」、つまり十字路

「笹」(ささ) :     旧来の表記は篠(ささ)

「椿」(つばき) :   春に咲く花木  注)中国にない植物や動物のために作られた漢字

「鱈」(たら) :     雪の季節が旬である魚  注)同上

「鰯」(いわし) :    弱い魚であるため  注)同上

「榊」(さかき) :    神に供(そな)える木  注)中国にない信仰思想を表現する漢字

「働」 :          人が動く  注)中国語では人偏のない「動」と表記

「裃」(かみしも) :  上下を同じで布で作った衣

「凧」(たこ) :      「風」+「巾()」(ぬの)

「麿」(まろ) :      麻()と呂()を組み合わせた漢字

  注)男性を示す接尾辞あるいは公家(くげ)が使った一人称

「粁」 : キロメートル 

「瓩」 : キログラム

「竏」 : キロリットル

 

 <> いずれも日本で作られた漢字(和製漢字、国字)です。日本人は改善工夫が得意で
    
あることがよく分かりますが、センスの良さ・悪さはマチマチです。

 

3.正しい表記はどちら?

 

「あえて」 と 「敢えて」

「あたって」 と 「当たって」

「あまり」 と 「余り」

「あらかじめ」 と 「予め」

「あらためて」 と 「改めて」

「ある」 と 「有る、在る」

「あわせて」 と 「併せて」

「いう」 と 「言う」

「いかに」 と 「如何に」

「いくつ」 と 「幾つ」

「いずれ」 と 「何れ」

「いただく」 と 「頂く、戴く」

「いる」 と 「居る、要る」

「こと」 と 「事」

「ころ」 と 「頃」

「さまざま」 と 「様々」

「すぐに」 と 「直ぐに」

「できる」 と 「出来る」

「ともない」 と 「伴い」

「ない」 と 「無い」

「なお」 と 「尚」

「ほか」 と 「他」

「もの」 と 「物、者」

「ゆえ」 と 「故」

「よって」 と 「依って、因って、縁って」

「わかる」 と 「分かる」

「わけ」 と 「訳」

「わずか」 と 「僅か」

 

 <> 「漢字表記」と「ひらがな表記」は両方とも使われていますが、出版物や公文書などでは

    「ひらが表記」が圧倒的に多いようです。

    私の推測ですが、いずれも「訓読み」(あるいは当て字)であるため、あえて漢字を使わ

    なくても良い(意味が通じる)からでしょう。つまり、意味を混同する恐れがない場合は、

    あえて「漢字表記」を使わないで、「ひらがな表記」で良いのです。
   
いや、『よいのです。』でした!

 

4.尊敬または丁寧語を表す接頭語である「お」と「ご」の使い分け

 

 ◎「お」をつける言葉

 

名前・金(かね)・手紙・話・住まい・許(ゆる)い・魚・手洗い・茶・召()し物・着物・手前・

車・家・後・色・祝いなど

 

  <判断基準> 訓読みの言葉

 

 ◎「ご」をつける言葉

 

住所・連絡・依頼・計画・足労(そくろう)・意見・利用・説明・飯(はん)・覧(らん)結婚・

列席・自身など

 

 <判断基準> 音読みの言葉

 

 ◎例外的に「お」をつける音読みの言葉

 

     玄関・茶碗・時間・電話・名刺・返事・天気・正月・転婆(てんば)・食事・膳(ぜん)・

     愛想(あいそう、あいそ)など

 

 ◎「お」も「ご」もつけない言葉

 

     外来語(コーヒー、カー、クリスマスなど)・公共物(駅、役所など)・動植物・自然現象

     および「あ」や「お」で始まる言葉の一部(飴、雨、朝、夫、踊など)

 

 ◎「御」を重ねた珍しい言葉(番外)

 

     御御足(おみあし)、御御髪(おみぐし)、御御御付け(おみおつけ)

       注)いずれも女房詞(にょうぼうことば)

 

   <蛇足コメント> 目上の人に対する自分の行動に御(/)をつけると謙譲語(けんじょ

   うご、へりくだった表現)なりますが、聞く人によっては行動者自身への尊敬と捉え

   不快に思う人がいる可能性がありますから、十分注意する必要があります。

   例えば、テレビショッピングでは「◯◯をご用意しました」が常套句(じょうとうく)として

   使われますが、「◯◯を用意させていただきました」とするほうが無難だと思います。

 

                          ☆

 

漢字のさまざまな使いかたを楽しんでいただけましたたでしょうか?
 

本稿を読んで漢字表現に興味を持たれた方は、「漢字のスマートな使い方」を工夫(くふう)されると、文章を書く愉(たの)しみがさらに広がると思います。 

2016_01230013漢字についての御託(ごたく)を読んで疲れたという方の気分転換として私がこの20年ほど育てている「セントポーリア」を紹介します。日本でも愛好家の多い「セントポーリア」は、ケニア南部とタンザニア北部の山地に生息する非耐寒性の多年草で、属名は発見者であるドイツ人ヴァルター・フォン・セントポール=イレールに献名されたようです。

 

別名:  アフリカスミレ(阿弗利加菫)、アフリカン・バイオレット、セントポーリア・イオナンタ 

 

花言葉: 小さな愛、細やかな愛、小さな心、親しみ深い、深窓の美女

2016年2月22日 (月)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その8) 「SL列車」の車窓風景(後編)

山間をぬってゆったり流れる「大井川」
 
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河川敷には四国・四万十川吉野川の沈下橋(潜水橋)のようなものが見えます。
 
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川床の浚渫(しゅんせつ)と砂利取りのためのダンプカーが通行する鉄製の仮設橋でした。
 
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車窓風景が続きましたので、客車内についても少し紹介します。4号車内には外側と同じ「オハフ3 469」の表示があります。
 
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ボックス席の窓側に昔懐かしい「センヌキ(栓抜き)」を見つけました。今は無用の長物になってしまいましたが、昔は重宝して使ったものでした。
 
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天井の扇風機には「日本国有鉄道」と「JNR」の2種類の表示があることを車内アナウンスで知りました。
 
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下泉(しもいずみ)駅」(12番目の駅)にも短時間でしたが停車
 
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駅舎の改札口脇には「名瀑(めいばく) 不動の滝」の案内看板が見えます。ネットで確認すると、下泉駅から約1kmの「不動の滝自然広場内」にある落差約45mの滝で、滝付近が落石の危険があるため通行止になっているとも説明されていました。ちょっと残念です。
 
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通過駅の「田野口(たのくち)駅」(13番目の駅)の手前にコンクリート製のスマートな橋が見えます。確認すると、町道上長尾田野口停車場線の「中徳橋(ちゅうとくばし)」(昭和50年完成、橋長234.3m、福音4.5m)でした。
 
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「青部駅」(15番目の駅)を通過する時、対岸に大井川発電所と送水管を見てとれました。中部電力のダム水路式(有効落差112.7m)の水力発電所で、28.8MWの常時出力があるそうです。
 
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発電所から続く送電線も見えます。
 
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大井川鉄道の第三橋梁と並行して大井川に架かるコンクリート製の「柳崎(やなぎさき)大橋
 
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大井川の右岸に崖崩れ跡を発見
 
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大井川本線の終点、「千頭(せんず)駅」(17番目の駅)の3番線に到着しました。定刻の午後1時9分より1分ほど早かったようです。
 
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左端のドームは蒸気ドーム、中央は汽笛(右側から伸びるパイプを通して蒸気が送られる仕組み)、そして右端の2つは安全弁(蒸気圧の調整用)です。ちなみに、汽笛の鳴らし方には意味があり、モールス信号(長点と短点の組み合わせ)のように汽笛も長中短の3種類の信号音を組合せて、出発やトンネルを通過する予告(長点)・合図(短点を2回)、警告と危険(短点の連打+長点)などを表現するそうです。
 
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3番線に停車する「SL列車 かわね路1号」と2番線と電気機関車
 
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改札口を出ました。写真はアーチ型のデザインが特徴的な「千頭駅」のファサードです。
 
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駅前の商店街
 
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「千頭駅」に到着したところで小休止を入れます。(続く)

2016年2月21日 (日)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その7) 「SL列車」の車窓風景(前編)

SL列車」が街並みを抜けて山間に入ると景色は一変しました。ここは「家山(いえやま)の桜トンネル」と呼ばれる場所で、国道473号の両側に約280本の染井吉野(桜の木)が植えられているそうです。
 
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最初の停車駅は「新金谷駅」から7つ目の「家山(いえやま)駅」、所用時間は28分でした。ちなみに、家山地区は島田市と合併する前に川根町の中心地だったそうです。
 
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SL列車」は黒煙を上げて5分後に出発しました。左前方に家山駅の駅舎が見ます。
 
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大勢の見送り客がいますが、そのほとんどはこの駅で下車した団体客のようです。
 
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右手には大井川が迫りました。その後方は川根町の身成(みなり)集落と藤枝市との境界に続く山並みです。
 
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左手には川根町の抜里(ぬくり)集落と茶畑が広がります。
 
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通過駅である「抜里駅」(8番目の駅)でも写真撮影をする人と見送ってくれる人たちがいました。
 
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茶畑の中に伸びる農道から写真撮影する人がひとり
 
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右手に目を転じると、大井川の対岸に大きな建物が見えました。
 
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車内アナウンスがあり、この建物が温泉施設「川根温泉」であることが説明されました。「新金谷駅」の“PLAZA LOCO”に設置されたビデオで紹介されていた露天風呂から「SL列車」が見える島田市の市営施設(民間業者が運営管理)です。たしかに、ベランダや屋外で人が鈴なりになっています。
 
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SL列車」は「川根温泉」の前にある大井川第一橋梁(鉄橋)を渡って大井川の左岸に出ました。こちら側にも茶畑が山裾(やますそ)まで続いています。
 
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「川根温泉笹間渡駅」(9番目の駅))を通過したところを流れる大井川の支流には吊橋(つりばし)が架かっているのが確認できました。
 

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かなり高度を上げてトンネルを抜けた「SL列車」から左手での「大井川」が大きく蛇行(だこう)しているのが見えます。
 
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次のトンネルを抜けて島田市から隣の川根本町に入ると「大井川」は川幅を広げました。
 
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「知名(じな)駅」(10番目の駅)を通過すると、前方にダムあるいは堰堤(えんてい)のようなものが見えます。
 
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ズームアップするとその手前に吊り橋(つりばし)が確認できました。
 
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「塩郷(しおごう)駅」(11番目の駅)を通過したところにあるのは「塩郷の吊橋」と呼ばれる「久野脇橋」(愛称:恋金橋)」。ちなみに、大井川に架けられた吊り橋のなかでは一番長い(全長220m・高さ11m)そうです。
 
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SL列車」は吊橋の下を通過
 
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「塩郷ダム(堰堤)」のダム湖はカナディアン・ロッキーの湖のような美しいエメラルド・グリーンに輝(かがや)いています。
 
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プチ薀蓄(うんちく)です。水や空気のような微粒子が不規則に散在する浮遊物が極端に少ない物質内で光が散乱される時、入射光に対して傾いた方向から眺めると青色が強く水面に戻ってくる現象は「チンダル現象」と呼ばれます。きれいな水だけではなく、青空もこの現象によるそうです。(続く)

2016年2月20日 (土)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その6) 「SL列車」が新金谷駅を出発

4号車に乗り込みます。ドアのガラスに書かれた「三等車」の名称は、半世紀前に横長の大きなリュックサックを担(かつ)いで(カニ族として)北海道の周遊旅をしたことを思い出させました。その時は「一等車」が廃止されて「三等車」が「二等車」に名称変更されたあとでしたが・・。そして、当時(全線が電化される前)の東北本線には蒸気機関車(SL、C61)が仙台以北で走っており、トンネルに入ると窓の隙間から黒い煙が入り込んできたきたことを思い出しました。
 
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「乗車券・SL特急券」に指定された座席に着座、さっそく駅弁を取り出しました。
   
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いずれも昔ながらの駅弁でした。同行者は何と「新金谷駅内の喫茶店で売られていたサンドイッチにすれれば良かったわ』と興(きょう)ざめなことを言います。それにつられた私も2年前に仙台駅で買った食べた米沢牛を使った「牛肉どまん中」に感激したことを思い出しましたが、やはり「SL列車」には新金谷駅で買った「幕の内弁当」が似合っていると思い直しました。
 
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同行者が選んだ「大井川ふるさと弁当」の蓋(ふた)には「静岡方言集」が印刷されています。「そうずら」「しぞーか」「わきゃーない」などの言葉は古いテレビドラマ「細うで繁盛記」(1971-1974年、伊豆・熱川温泉が舞台)でいじめ役の義妹を演じた富士眞奈美さんが台詞(せりふ)の中で使っていたことを今もよく覚えています。「ちょっくら(ちょっと)」「おみゃー(お前)」「~ずら(でしょう)」「~にゃーで(ないから)」は特にインパクトがありました。
 
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そしてSL列車の絵葉書も入っていました。
 
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蒸気機関車に固有の震動とともに「SL列車」が発車しました。手を振って見送る駅員さんが持つパネルには「さあ行こう! SLレトロ旅」と書かれています。写真の右端には客車の車輪を使ったベンチが見えますが、そこには「SL列車」を見送る人影はありません。
 
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と思いきや、改札口付近ではこの人たちが見送ってくれました。
 
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「いってらっしゃ」「HAVE A NICE TRIP!(良い旅を!/ボン・ボヤージ!)」「旅途愉快(旅路は楽しい)」と書かれたパネルを掲げている駅員さんもいます。
 
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旧東海道と交差する踏切を通過します。旧東海道を巡る旅の途中、この踏切でSL列車を見たことを思い出しました。
 
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蒸気機関車が吐き出す煙が窓ガラス越しに見えます。車内アナウンスで海外から輸入した無煙炭(炭化が進んで煤煙を出さずに燃焼する石炭)が使われているとの説明がありました。
 
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天井には扇風機が設置してあります。蛍光灯は近年になって取り付けられたもので、カバーで覆(おお)われた丸いものは旧来の照明と思われます。
 
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フェンスと国道473号の向こう側に見えるの金谷消防署のようです。
 
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新東名高速道路の高架が現れました。SL列車の反対側座席からは島田金谷ICが見えるはずです。
 
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茶畑が車窓に広がりました。大井川沿いの地域(特に川根)は茶所なのです。
 
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車内販売のサービスがありました。SLをモチーフにした腕時計やSLまんじゅうなどが販売されているようです。
 
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同行者はさっそく「SL動輪焼(3個入)」を購入
 
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「ミニSL」のデモ
 
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木製の床から蒸気が立ち上りました。暖房用の蒸気が漏れているのです。
 
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(続く)

2016年2月19日 (金)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その5) 「SL列車」がプラットフォームに入線

新金谷駅の駅舎へ向かうと、乗降客用の大きなガラス・ドア(写真左端)の左手に事務所用と思われるレトロなドアが目に入りました。その両脇には社名の看板と「創立90周年」のエンブレムが誇らしげに掲げられています。
 
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ホームに停車していた先発の電車が発車すると、それと入れ替わるように「SL列車」がホームに入ってきました。デジカメを望遠モードにして待ち構えたため機関車が画面からはみ出ています。
 
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運転席の横に「C5644」と「三菱重工神戸造船所製造」の表示が確認できます。調べると、1941-42年にかけて製造された「C56型」の多くは戦前にタイ・ビルマへ送られて両国間を結ぶ泰緬(たいめん)鉄道で戦時中に使われ、戦後も運行可能なものはタイの国鉄に引き継がれて使用されたそうです。なかでも、「C5644」は現地で製造された第1号機関車であり、昭和54年(1979年)に日本へ返還されました。それをもとの形に復元し、「SL特急」として使われ、現在は動態保存されていることを知りました。
 
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2番線に入線しました。
 
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停車したことを確認してホームへ向かうことにしました。同行者は買った駅弁を大事そうに持っています。
 
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蒸気機関車を近くで見ると迫力があります。
 
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運転台の入口には日本ボイラー協会の検査証が貼られています。天窓があることも発見しました。
 
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運転台には多数のレバーやハンドル、そして計器類が配置されています。
 
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機関車後部の炭水車(石炭と水を積載する車両)と客車をつなぐ連結器とバルブ付のパイプが二本確認できます。
 
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4号車が客車の先頭として連結されています。
 
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「かわね路」はSL列車の名称です。ちなみに、かわね(川根)は地名(島田市川根町)。また、「オハフ33形」は鋼製三等緩急車(かんきゅうしゃ、車掌室と手ブレーキ・車掌弁がある車両)であることを指します。
 
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客車内はボックスシートが並んでいます。
 
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洗面所もありました。
 
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4号車の脇から見た客車列
 
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4号車の次に接続された「お座敷車」は2号車と表示されていますが3号車(先頭から2番目の客車)の誤りと思われます。
 
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この後、「おでん」が入った四角い鍋がプラットフォームから運び込まれるのを見ましたから、この車両では「おでんパーティ」が開かれることになっているのでしょう。

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残りの2両(2号車と1号車)が続きます。
 
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最後尾にはE10型電気機関車(E101)」(三菱重工製)が接続されています。ちなみに、前面ドアの中央にあるのは大井川鉄道の社章です。
 
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下り(千頭行)の普通電車が1番線に到着しました。
 
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(続く)

2016年2月18日 (木)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その4) 新金谷駅と“PLAZA LOCO”(後編)

発車時刻にはまだ時間がありますから、“PLAZA LOCO”へ戻りました。まずは駅弁を購入することに。大井川鉄道のhpには多彩なメニューが紹介されていますが、オフシーズンのためか、「大井川ふるさと弁当」(1080円)・「きかんしゃトーマス弁当」(950円)・「幕の内弁当」(550円)・「焼きそば」の4種類に限られています。同行者は「大井川ふるさと弁当」を、私は消去法で「幕の内弁当」を選びました。
 
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天井から下がる横長のパネルは大井川鉄道大井川本線と井川線の路線図
 
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大井川本線は大井川に沿って静岡県榛原郡を南北に伸びる路線で、蒸気機関車のC11227(昭和17年製造)の他、「C108」「C11190」「C5644」が現役として走行しているそうです。
 

朝鮮通信使李朝/李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団)も旧東海道で金谷を通過したことが説明されています。
 
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展示コーナーも見て回ることに
 
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蒸気機関車「いずも」は大正時代に島根県の一畑軽便(いちばたけいびん)鉄道で活躍したドイツ製
 
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井川線専用の小型客車「Cスロフ1型(1・2)」(定員16名)
 
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日本ステンレス直江津工場の専用線で活躍していたドイツ製の蒸気機関車です。
 
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大井川鉄道の福用駅(旧駅舎)
 
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ジオラマ
 
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大井川鉄道(大井川本線と井川線)および沿線を紹介するビデオに使われた写真を数枚紹介します。まず、大井川本線を疾走(しっそう)する「SL列車」です。
 
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ついで、井川線の電気機関車と客車
 
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SL列車」の発車時刻が近付きましたので駅舎へ向かうと、「SL列車」と電車の観客のために用意されたと思われる客車の車輪を使った面白いベンチが並んでいるのを見つけました。
 
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その先にあるホームにはカラフルな電車が停車しています。
 
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(続く)

2016年2月17日 (水)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その3) 新金谷駅と“PLAZA LOCO”(前編)

午前10時ころに藤枝バイパスの向谷(むくや)ICを出て、大井川橋を渡り、島田市金谷の市街地に入りました。 「新金谷駅」の案内標識にしたがって左折し、さらに右折すると踏切に差し掛かりました。

   
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踏切の先を左に折れると「新金谷駅」の駐車場があるようです。
 
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午前10時30分ころに「新金谷駅」に到着しました。この駅を訪れた理由はもちろん「SL列車」に乗るためです。
 
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静岡県の観光案内
   
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「新金谷駅」の有料駐車場(200台、1日800円)に駐車します。一番乗りだったようで、駐車スペース「1」を指定されました。注)写真に写るのは大型車両用、小型車はその右手前にあります。
 
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駅前の“PLAZA LOCO”内に発見所がありました。
 
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大井川鉄道の「SL列車」は昔の宿場町金谷から終着駅千頭(せんず)間を一日一往復、1時間10分で結びます。全席指定で乗車券の予約は3ヶ月前より前日の12時まで電話(0547-45-4112)または前々日の0時までにメールで申し込むことができます。当日席も購入可能のようですが、私は念のため前者を大井川鉄道のhpにある「SLのメール手続き」で予約しました。ちなみに、片道料金は2520円(運賃1720円+SL料金800円)です。ちなみに、切符にプリントされた利用者の名前は読めないように処理しています。
 
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オフシーズンであるこの日は新金谷駅発(下り)午前11時52分の「SLかわね路1号」と千頭(せんず)駅発午後2時53分発「SLかわね路2号」だけが運行しています。
 
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切符を受け取ったあとは駐車場の先にある「SL広場」へ向かいました。
 
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「トーマス号」は夏季限定で走るようです。
 
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転車台(てんしゃだい)に蒸気機関車が載っています。
 
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案内看板には「C12型タンク式蒸気機関車」が開設されていました。
 
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奥の方には蒸気を噴き上げる機関車が見えます。こちががこの日に走る蒸気機関車のようです。
 
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その先にも別の蒸気機関車が
 
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石炭置場
 
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客車もありました。
 
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(続く)

2016年2月16日 (火)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その2) 国道1号線のバイパスを巡るドライブ(後編)

東名高速道路の清水IC前を通過
 
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左手に静岡市の市街地が見晴らせる高架区間を通過
 
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賤機山(しずはたやま)トンネル
 
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丸子藁科(わらしな)トンネル
 
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鞠子(まりこ、丸子とも表記)宿跡を通過した丸子ICから先は岡部バイパス(延長7.2km)に変わりました。緩(ゆる)やかな坂道を上ったところが宇津ノ谷峠(旧国道1号)への入口で、左手に道の駅「宇津ノ谷峠」があります。ちなみに、「丸子宿」と宇津ノ谷集落にある「明治のトンネル」は7年前に立ち寄ったことがあります。
 
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平成宇津ノ谷トンネルを抜けます。
 
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トンネルの先にある藤枝市岡部町の横添ICを通過するころには雲の間から青空がのぞき始めました。
 
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岡部トンネル
 
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藤枝市岡部町の内谷ICで藤枝(ふじえだ)バイパス(延長9.8km)に変わりました。藤枝バイパスは静清バイパス・岡部バイパスとともに地域高規格道路(自動車専用道路またはそれに準ずる規格の道路)「静岡東西道路」に指定されています。まず、潮(うしお)トンネルに入ります。
 
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次いで、時ヶ谷トンネル
 
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原トンネル
 
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切通しを抜けます。
 
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谷稲葉(やいなば)出口
 
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谷稲葉トンネル
 
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波田(はだ)トンネル
 
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自動車専用道路の藤枝バイパスは野田IC(下の写真)まで続き、その先は島田金谷バイパス(延長10.6km、現在は国道1号の本線)になります。
 
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旗指(はっさし)IC
 
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向谷(むくや)ICで一般道に出ます。
 
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県道381号に入って大井川橋を渡ります。
 
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(続く)

2016年2月15日 (月)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その1) 国道1号線のバイパスを巡るドライブ(前編)

今回は静岡県の中部(長野県・山梨県との県境から駿河湾まで)を南北に流れる大井川(中流・下流)とその周辺地域をドライブします。静岡県といえば、東西に長く伸びているだけではなく山地が海岸線近くまで迫っている地形のため、海岸線に沿って伸びる鉄道(東海道新幹線・東海道本線)と道路(東名高速道路・新東名高速道路・国道1号線)を利用することが多く、旅好きを自認する私もこれまで内陸部まで分け入ることはほとんどありませんでした。実は、何年も前から一度訪れてみたいと思っていたエリアがこの大井川とその周辺地域だったのです。
 
一月最終日、いつもよりかなり遅い午前7時過ぎに自宅を出発しました。東名高速道路を西へ走り、朝食のため海老名SAに立ち寄りました。いつもは混雑を避けて通過するこの大型のSAの建物内は、店舗が大幅に入れ替わっていて、雰囲気がすっかり変わっています。
 
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午前8時前の「海鮮三崎港」の店内はまだ空(す)いていました。私は「麦とろ健康朝食(自然薯健康定食)」(850円)を、同行者は「まぐろ・納豆定食(朝定鮪納豆定食)」(700円)を注文しました。軽めでちょうど良いボリュームです。
 
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厚木ICを過ぎたところで前方に丹沢山塊の大山(おおやま、標高1252m)が正面に見えました。
 
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大井松田ICの先では箱根連山と丹沢山塊にはさまれる足柄の山並みが望めました。左から特徴ある形をした矢倉岳(標高870m)、変わった名前の山・鷹落場(たかおちば、写真中央、標高819.2m)、押立山(おしたてやま、標高777m)、そして右奥の鳥手山(標高665m)でしょう。
 
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今回も走り馴れた右ルートを選びました。「雨 走行注意」の表示が気になります。
 
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静岡県(小山町)に入ると右手に冠雪した富士山が見え始めました。
 
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御殿場JCTで新東名高速道路へ
 
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ここでも「雨 走行注意」の表示が・・。確かに雲が厚くなってきたようです。
 
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目的地に近い島田金谷ICまで走っても良かったのですが、時間調整を兼ねて一般道のドライブを楽しむことにしました。新東名高速道路の駿河沼津ICを出て一般道へ向かいます。
 
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県道405号で東名高速道路の沼津ICの周辺を半周し、県道22号を経て東熊堂交差点から沼津バイパス(国道1号)へ入りました。沼津バイパス(延長18.5km)は富士山からの湧水が柿田川となる柿田川公園の近くにある八幡交差点(駿東郡清水町)から富士市今井までを結ぶ国道1号の通称です。現在は国道1号の本線になっているため、正確にはバイパスではなく、大部分が平面交差ですが走りやすい道路です。右手に愛鷹山塊(あしたかさんかい)の位牌岳(いはいだけ、標高1457m)と左手前の愛鷹山(標高1187m)が見えました。最高峰の越前岳(標高1504m)は雲に隠れて見えません。
 
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一直線に伸びる沼津バイパス
 
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富士市に入ると前方に白煙が立ち上るのが見えます。富士東ICの先は富士由比バイパス(延長21.4km)に名前が変わります。
 
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富士市の市街地を通過
 
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富士川を渡って静岡市清水区蒲原(かんばら)に入ると富士由比バイパスは海岸沿いに出ました。
 
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4年前に立ち寄った由比(ゆい)漁港の脇を通過
 
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興津川(おきつがわ)を渡って清水区興津に入りました。ここからは静清(せいしん)バイパス(延長24.2km)です。
 
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前方に見えてきたのは清水港です。三保の松原を訪れた4年前、従来の国道1号で清水港のすぐ脇を通過しています。
 
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清水港方面の出口(清見寺IC)を通過します。ちなみに、清見寺(せいけんじ)は奈良時代に清見関(きよみがせき)跡に創建されたと伝えられる古刹(こさつ)です。
 
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新幹線の高架下を通過します。錆(さび)が浮いた高架橋は年代(50年強が経過)を感じさせました。
 
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(続く)

2016年2月13日 (土)

日銀による「異次元規模の量的緩和」と「マイナス金利」の功罪を考える

日銀が2013年に始めた「量的緩和」とは、デフレ経済から脱却して緩やかなインフレ状況である消費者物価の前年比上昇率2%をできるだけ早期に実現するため量的緩和である「マネタリーベース(日本銀行が世の中に直接的に供給するお金)」の拡大および質的緩和と呼ばれる「長期国債・ETFJ-REIT」の購入・保有額を拡大するというものでした。いずれも実質的な金利を引き下げる効果を狙ったもので、それが民間需要を刺激することを期待したのです。事実、これにより2015年の半ばまで為替相場で円安と株価では株高という日本経済にとって望ましい状況が生まれました。しかし、この株高はアベノミクスに期待した海外投資機関が主導したもので、実体経済の改善以上にかさ上げされており、外的要因に左右されやすいものでした。

 

その環境下、中国経済の失速が顕在化した上、原油価格の長期低落傾向が顕著になりました。これにより産油国を含む海外投資機関が昨年後半に入ると日本の株式市場から資金を引き揚げ始めたのです。加えて、米国の連邦準備制度理事会(FRB)による金利引き上げが年末に発表されたことと、欧州の金融機関がマイナス金利の影響を受けて収益が悪化しました。特に、優等生と言われていたドイツでは大手銀行(ドイツ銀行)の債務超過懸念が年明けから噂され始めたのです。ドイツ政府によるマイナス金利政策と経営難に遭遇(そうぐう)したフォルクスワーゲン社へ1兆円を超える融資をしたことがその主な原因であると見られています。これにより経営を不安視された欧州の金融機関は大幅な株安に見舞われ、それが米国に波及し、日本の株式市場も先行きへの弱気が支配的になり、2月12日の終値はついに1万5000円の大台を割り込み、1万4952.61円まで急落しました。私の素人予測を時期と株価の両面で超える(弱気観測を上回る)ハイペースでした。

 

日銀は銀行が日銀に預ける当座預金(超過準備預金)に「0.1%のマイナス金利」を2月16日から適用することを1月29日に発表しました。この適用日以前に預けられた当座預金(準備預金と超過準備預金)には適用されませんが、日本では「マイナス金利」は実施されることはないとの見方が支配的であり、大きなサプライズ(劇薬)と受け止められて株価の上昇と円安への動きが出ましたが、わずか2営業日で発表前の状態に戻っただけではなく、株価の急落と円高の傾向に歯止めが掛からなくなりました。日銀総裁は必要と認めれば「さらなるマイナス金利」もありうると説明しました。欧州で「マイナス金利」が市場の安定化と改善にほとんど効果がない状況にあることは分かっていたはずですが、なぜ「マイナス金利」を採用したのでしょうか。

 

その理由の一つが「量的緩和」の手詰まり感(限界が見えてきた)ことがあるようです。これを市場に見透(みす)かされたくない心理が働いたのかもしれません。あるいは欧州と日本の環境が異なるから、「マイナス金利」の良い効果が日本では期待できると考えたのでしょうか。それとも膨(ふく)れ上がった国債の利払いをゼロあるいはマイナスにする深慮遠謀(しんりょえんぼう)でしょうか。利払いから解放されれば、国債をいくら発行しても怖(こわ)くないのです。つまり、無利息で借金ができるという都合の良い状況が生まれるのです。

 

ところが、意外なことに銀行をはじめとする金融機関は一斉に国債を買い始めたのです。満期まで持っていると損失が出ると分かっている国債を金融機関はなぜ買うのでしょうか。考えられるのは他に適当な(安全な)投資先・融資先がないため、安全性が保障されている国債を買っておけば、当面は安心できるのです。それに加えて、日銀はその方針としていつでも国債を銀行から買ってくれますから、国債が利益を確保できる価格になればその時に日銀へ売却すれば良いのです。この展開を日銀が事前に読みきっていたかどうかは不明ですが、為替と株価は今のところ日銀が期待する方向とは逆方向へ進んでいます。数ヶ月単位あるいは年単位で見れば日銀の狙いが実現するかもしれませんが、恐らく日銀の政策だけでは世界の金融市場を動かすことは困難でしょう。さらに、米国のFRB議長は再利上げに慎重な考えを今月の議会証言で明らかにしました。欧州や中国だけではなく約7年間も好調が続いた米国経済も伸び悩みを見せ始める可能性を示唆(しさ)したのです。この証言はドル安・円高基調が続く可能性を高めることになりました。

 

先の記事で紹介しましたように、政府機関が金融機関を通して株式、実際は指数連動型上場投資信託受益権(ETF)と不動産投資法人投資口(J-REIT)を購入して株価を上げることは限界に近く、今年に入って含み損が積み上がっていますから、有効な株価維持策にはなりえないでしょう。円高の解消には政府が為替介入する方法もありますが、各国が通貨安競争をしている状況にあっては、露骨(ろこつ)な介入をすると他国から批判される恐れがあります。原油安で日本の国際収支が黒字化していることも円高要因です。日銀はさらなるマイナス金利へと突き進むのでしょうか。日銀の金融政策に疑心暗鬼になっている市場関係者と対話しながらの舵(かじ)取りは極めて難しい状況にあると思います。強気の発言だけではなく、米国のFRB議長のように丁寧(ていねい)な説明が求められるでしょう。金融政策は一旦始めると、(何かと同じで)それを止めること(出口戦略とタイミング)は極めて難しいようです。

 

これからは一本足打法に陥っているアベノミクス(第一次)は日銀による「大胆な金融政策」とそれに対する市場の反応(つまりマネーゲム)だけではなく、これまで有言不実行(空約束)であった政府による他の二本足である「機動的な財政政策」(消費の足かせとなっている消費税再増税の実施を凍結することを含む)と「民間投資を喚起する成長戦略」についても初心を忘れずに(看板を掛けかえるのではなく)施策(しさく)を迅速(じんそく)かつ積極的に打ち出す必要があると考えます。いずれにせよ、これからの経済政策と経済動向からは目が離せません。

2016年2月12日 (金)

自己愛症候群を考える

2016年に入って早くも1ヶ月余りが経過しました。三が日明けに始まった株価急落(「2016年の日本経済と株価の動向を考える」の記事で説明)に続くように、7日に週刊誌が報じたタレントと歌手の不倫疑惑、15日のスキー旅行バス事故、21日に週刊誌で伝えられた政治家の金銭疑惑(収賄事件の可能性がある)、2月2日は有名な元スポーツ選手が覚醒剤(かくせいざい)所持で逮捕されたなど、例を見ないほどのゴシップ情報がマスコミ界で飛び交っています。ここで、その一つひとつについて説明やコメントしませんが、これらの出来事を「自己愛」の視点から考えてみたいと思います。

 

度が過ぎた自惚(うぬぼ)れと自己中心性のある性格を「自己愛」(ナルシシズムあるいはナルシズム)と呼びますが、それと名称は似ていながらまったく異なる精神障害があります。精神医学の分野ではそれを「自己愛性(じこあいせい)人格障害」と呼ぶそうです。それは、ありのままの自分を愛することができず(つまりナルシストとは逆)、自分は優(すぐ)れていて特別で偉大な存在であるという意識(誇大自己、つまり肥大した自己意識)を持つことを特徴とする人格障害で、この障害を持つ人は健全な人間関係を築けないことが多いそうです。

 

2か月前の記事「どうして自分だけは?」で触れましたが、人は誰でも幼い時には「自己愛」に加えて「幼児期万能感」を持っていますが、成長するにしたがって次第に客観的(第三者的)な見方ができるようになり、「他者愛」も生まれます。しかし、不幸にして親が過保護(親子関係が未熟、特に母親の溺愛や過度な叱責)であったり、逆に冷たすぎたりする(特に父親の影が薄い)と「自己愛性人格障害」に陥(おちい)ることがあるそうです。その環境下で育った子供は、生きるすべを見出せなくなると自分が優れていると自らに言い聞かせ続けるため、現実が見えなくなったまま成長し、強固な自己愛(自己防衛力)ができるそうです。つまり、外見は普通の人間に見えても心の中は未成熟(幼いまま)で現実と妄想(もうそう)の区別ができない歪(いびつ)な人格が形成されるのです。

 

今の日本にはこの「自己愛性人格障害」に似た「自己愛症候群」(私の造語)が蔓延(まんえん)しているように思われます。「自己愛性人格障害」のような精神疾患(しっかん、病気)とは言えないまでも、「自己主張が得意である一方、他者の異なる意見や非難を一切受け付けない人たち」のことです。テレビ番組やネット記事を通して様々な人たちの「一方的な自己主張」と「他者への攻撃的な反論」を聞くと、発言者が「自己愛症候群」の人たちであることがよく分かります。本人は自覚していないのでしょうが、第三者には容易に判別できるのです。一方、その仲間である人たちは当事者に同情的な気持ちから、あるは「自己愛症候群」の人によって強く影響(マインドコントロール)されているため、擁護(ようご)するコメントをすることが多いようです。

 

しかし、冒頭に列挙したような問題を起こした人の関係者(あるいは知人)がその人物を擁護する発言をすると、発言者自身が意識しているか否かに関わらず、擁護した人も当事者と同じ困難な状況に陥(おちい)るリスクがあります。つまり、良かれと思ってした行動が、自らの問題へ拡大してしまうのです。「身内意識」は「自己愛」が変形したもので、第三者にはまったく理解されないことを、発言者は意識していないためです。嫌われたくないとの意識が背景にあるのでしょうが、もし当事者のことを真に思うのであれば、あえて厳しい意見を述べた上で、自分ができる範囲のサポートをしたいと言うのが無難のようです。

 

つまり、辛口(からくち)の意見を言ってくれる人を周(まわ)りに持たない人や、言われても聞く耳を持たない人は、思いがけなく悲惨(ひさん)な状況に陥るリスクがあるのです。なまじ順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の人生を送った人は、苦言を聞くチャンスがない、あるいはあえてそのチャンスを持とうとしないため、自己を徐々に見失ってしまう恐れがあります。そして、気付いた時にはもう手遅れになっているのです。後悔しても遅いのです。ここまで書いて思い出しました。この3年あまり安定政権を維持する首相の国会答弁や破綻(はたん)に瀕(ひん)した一流企業のトップ、そして、いわゆるモラハラ・DV(夫婦間の精神的・肉体的暴力)を行ったとされる人たちの記者会見です。そこには「自己愛症候群」の特徴がよく見て取れます。繰り返しになりますが、残念なことに現在の日本は「自己愛症候群」に陥(おちい)った人たちで溢(あふ)れているのです。

 

さて、「自己愛性人格障害」および「自己愛症候群」の人の目的を考えてみます。それは「思いやり」を装う巧言(こうげん)を駆使して人を自分の妄想の中に引き入れることです。誇大(こだい)すぎる自己像に賛同してくれる人が欲しいのです。そして、どんなことをしても仲間内で一番上になろうとするのです。しかし、そのために自分の妄想(もうそう)を打ち破ろうとしたり、現実を見ようとしたりせず、人を自分より下げることで一番になろうとします。思い通りにならない人や役に立たなくなった人物は容赦(ようしゃ)なく切り捨てるのです。したがって、その対象(餌食、えじき)になる人たちは極めて危険な状況に晒(さら)される恐れがあります。ですから、「自己愛性人格障害」の人はもちろんのこと、「自己愛症候群」の人にもできるだけ近づかないようにするか、あるいは相手を説得しようとして(あるいは反論して)相手の術中にはまって攻撃対象にされないように注意をする必要があります。

 

ここまで、「自己愛症候群」について悲観的な考えを述べましたが、育った環境によって身に付けてしまった(正しくは付けさせられた)「自己愛症候群」を自ら克服(治癒、ちゆ)することはできるのでしょうか? 医者ではない私には判断できませんが、関連の解説書を読むと「自己愛症候群」は「自己愛性人格障害」に似ていることから、同様に慢性化の経過をたどることが多く、精神治療や薬物療法によっても難しいようです。つまり、「自己愛症候群」にも確かな治療法はないと推測されます。ですから、上述しましたように、「自己愛症候群」の人には近づかないことが最善の対処法なのです。

 

ここまで一般論を書いてきましたが、かく言う私も、両親に褒(ほ)めて育てられたためか、やや「自己愛症候群」の傾向があるようです。以前から同居者に「自分大好き人間、つまりナルシスト」だと指摘されていましたが、「自己愛症候群」の傾向も併せ持っていることに気付いたのは退職して2-3年後の2009年に四国八十八札所を遍路(へんろ)した時だったと思います。多くの寺でひたすら真言(しんごん)を唱えて祈るうちに心が少し静まったように思われました。それ以来、機会があれば神社仏閣に参拝して自らの煩悩(ぼんのう)を少しでも無くそうと努力をしていますが、そのご利益はまだ実感できていません。やはり、私はまだまだ修練を積む必要があるようです。

 

                          ☆

 

余談です。覚醒剤(かくせいざい)などの違法薬物も「自己愛症候群」と同様、あるいはそれ以上に人の人格と社会性を損なう恐ろしい存在だと思います。覚醒剤は脳神経に作用して心身の働きを一時的に活性化させる精神刺激(覚醒)薬で、その快感を数度体験すると強烈な習慣性(中毒性)から、自分の意思だけでは薬物から逃れられなくなるそうです。冒頭の事例だけではなく、多くのスポーツ選手や芸能人が覚醒剤の虜(とりこ)になって人生の階段を踏み外した事例は枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がありません。興味本位で薬物に近づくのは絶対避けるべきです。

 

覚醒剤ではありませんが、私が20歳代の中頃に腹膜炎の緊急手術を受けた時、耐え難(がた)い痛みを抑えるために医療用モルヒネ(狭義の麻薬)の注射を2-3度受けたことがあります。ケシから生成されるモルヒネの鎮痛(ちんつう)・鎮静(ちんせい)作用は絶大でした。投与されると心身とも別世界にワープ(瞬間移動)したような爽快感(そうかいかん)と浮遊感(ふゆうかん)に包まれたのです。ただし、担当医師からは依存性が生じることを避けるため、少なくても4時間以上の間隔を空ける必要があると説明されました。幸いなことに、翌日には傷みが我慢できる程度までに弱まったことで、それ以上はモルヒネを必要としなくなりました。

 

モルヒネは末期癌(がん)患者の疼痛(とうつう)を緩和する目的で現在も一般的に使用されているようです。神経の痛みを感じる受容器で発生した興奮を遮断して中枢(ちゅうすう)鎮痛作用を示しますが、多用すると依存性のほかに血圧低下・眠気・便秘など多くの副作用が発生する可能性が高いそうです。

 

ちなみに、麻薬の代名詞として使われたアヘンはケシの実から抽出した生アヘンを乾燥したもので、これから生成されるのがモルヒネであり、さらにモルヒネを精製して作られるのがヘロインです。いずれも、用法を間違えると危険な麻薬です。なかでも、ヘロインは体内に摂取(せっしゅ)されると強烈な快感が得られ、しかも精神的・肉体的な依存性が極めて高く、禁断症状も激痛や激しい不快感などがあり、最悪の麻薬と言われています。

 

いずれにしても、精神的あるいは肉体的な苦痛を回避するため覚醒剤や麻薬などの違法薬物(広義の麻薬)を利用することは極めて危険であることを私は痛感しています。

 
なお、薬物依存から連想(アナロジー)される日銀による「異次元の金融政策」(異次元規模の量的緩和とマイナス金利)については賛否両論があるようですが、論点が本稿のテーマから飛躍し過ぎますから、別の機会に私見を披露させていただきたいと思います。

2016年2月 9日 (火)

洛西のドライブ旅 西山大原野の古刹「金蔵寺」(後編)

権現堂と登山口の標識がありました。
 
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さらに石段を上がった開山堂には開祖の隆豊禅師および歴代の僧師が祀られています。
 
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愛宕大権現御本殿(愛宕権現堂)です。1870年に愛宕神社より遷されたそうです。
 
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小塩山山頂と淳和天皇陵への登山口
 
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桂昌院廟を経由して本堂へ向かいます。
 
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小塩山が京都府歴史的自然環境保全地域であることの説明
 
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桂昌院御廟所は意外なほど小さいものです。3年前に参拝した吉峯寺の桂昌院廟は立派だったことを覚えています。
 
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葉山神社は1990年建立。富士浅間大社より勧請(かんじょう)された本殿の木花咲弥大神、右殿の当山の全自然心霊、左殿は桂昌院を祀っているそうです。
 
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庫裏(くり)
 
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仁王門へ下りる参道の石段
 
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夕闇(ゆうやみ)が迫ってきましたから宿泊地に戻ることに。府道733号を戻る途中、「業平(なりひら) 十綸寺」の案内看板を見かけました。2年ほど前に「善峯寺」とともに参拝した西山三山のひとつです。
 
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黄昏(たそがれ)に染まる小塩山から南の釈迦岳(しゃかだけ、標高631m)へと続く西山の山並みを振り返りました。
 
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今回の京都旅行はいつもより長期間であったため、前回(昨年9月下旬からから10月上旬)は訪れる時間がなかった京都市内の東山と西山に加えて南丹波地域の古社名刹を9か所と古墳・古民家・城址を各1か所ずつ訪れることができました。帰路は関西を夕方に出発して渋滞の可能性が低い夜間に走行することにしていますが、今回は翌日に予定が入っているため午前中に出発することにしました。例によって東名阪自動車道の四日市IC付近で軽い渋滞がありましたが、概(おおむ)ね順調に走行して新東名高速道路の浜松SAで軽く昼食(浜松餃子麺類を摂(と)りました。

 

余談ですが、新東名高速道路は浜松いなさJCTと豊田東JCTの区間(約55km)が2月13日に開通することが発表されました。新東名高速道路を次回走る機会にはぜひ延長される区間も走行したいと思います。ちなみに、工事中の様子を「東三河の魅力探訪の旅」の記事で紹介しています。

 

旅行記を締め括(しめくく)るために、往路でも紹介した富士山の写真を復路(新東名高速道路の清水PAと新富士ICの間)を走行した時に撮影した写真を紹介します。最初は清水PAの直前(新東名高速道路の100km地点付近)から見た富士山です。
 
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富士川トンネルの手前
 
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富士川トンネルを出た緩(ゆる)やかな下り坂
 
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<同行者のコメント> 南丹波へのドライブには同行しましたが、ほかに用事があったため、東山と西山は留守番をしていました。それにしても、ずいぶんたくさんのお寺にお参りしたのですね。しかも山の奥にあるお寺ばかりのようです。旦那様は関西を往復する高速道路の運転もずいぶん楽しんでいました。本当にお疲れ様!

2016年2月 8日 (月)

洛西のドライブ旅 西山大原野の古刹「金蔵寺」(前編)

「勝持寺(花の寺)」を後にして「東海自然歩道」のルートを辿(たど)ることにしました。府道141号と府道140号を引き返し、大野原小学校の近くを経由し、府道733号(東海自然歩道)を西進して京都縦貫自動車道の高架下を通過しました。
 
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府道733号は山間に入り、谷川沿いを小塩山(おしおやま、標高642m)の山麓を上がりました。
 
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案内標識にしたがって府道733号から山道へそれました。幅が狭くて曲がりくねった急坂が続きますから、運転に自信のない方は進入しない方が良いでしょう。
 
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幅が狭く急坂を上がって金蔵寺(こんぞうじ)の仁王門に到着しました。
   
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仁王像
 
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入山料・拝観料は200円
 
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養老2年(718年)、女帝・元正(げんしょう)天皇の勅(ちょく)で創建され、聖武天皇が勅願(ちょくがん)を贈った天台宗の古刹(こさつ)です。応仁の乱により焼失、現在の建物は江戸時代徳川綱吉の母・桂昌院の再建。山の斜面、石垣と石段の間に堂宇が立ち並ぶ。高さ約12mの産(さん)の滝、烏帽子岩、影向松などがあり、眺めもすばらしい。京都洛西観音霊場第2番札所です。(京都観光Navi

 

参道の長い石段が続いています。
 
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石段を上がりきった場所に「本堂と小塩山の登山口」の案内標識がありました。境内は小塩山中腹の急な傾斜地に広がっているようです。
 
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護摩堂
 
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鐘楼と庫裡(くり)
 
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手水舎
 
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麗仙池
 
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手水舎の脇から続く長い石段を上がったところにある本堂には本尊の十一面千手観音像を安置されているそうです。
 
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「勝運の佛」の説明
 
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(続く)

2016年2月 7日 (日)

洛西のドライブ旅 西山大原野の古刹「願徳寺」と「勝持寺」

正法寺を退出したあとは大原野道を戻り、府道140号と府道141号を走って京都縦貫道の北春日トンネルの上を通過し、案内標識にしたがって左手に入り、200メートルくらい進むと、「宝菩提院願徳寺(ほうぼだいいんがんとくじ)」に到着しました。楕円形のルートを左回りで四分の三周(約2kmの距離)したようです。徒歩の場合は逆回りをすれば500mほどの近さです。石段の手前に駐車場に車を停めました。立て看板には「白鳳8年(679年)地頭天皇創建」とあり、左手には「国宝 凛(りん)とした観音様・他 仏像拝観 400円」と表示されています。
 
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「仏華林山 宝菩提院 願徳寺」は、京都一小さな拝観寺院といわれる天台宗の寺院で、「京都洛西観音霊場第33番札所」ですが、三門は普通のお寺のようです。国宝「如意輪観音(にょいりんかんのん)」の張り紙が目に入りました。受け付けは左手の通用口の先にあるようです。
 
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通用口にも張り紙が
 
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受付で拝観料500円を納めました。ご住職からは、庭はなく国宝「如意輪観音」を見るだけの寺であることと、鉄の扉が重いこと、照明のスイッチを自分で付けること、および建物内の撮影は禁止されているとの説明を受けました。
 
 

寺伝によると持統天皇が夢で啓示を受け、薬師如来を本尊として679年に現在の京都府向日市寺戸に創建された古刹(こさつ)でしたが、何度となく衰退と復興を繰り返し、昭和39年(1964年)に現在の大野原に再建され、現在の願徳寺の本堂や庫裏は昭和四十八年(1973)に現在地に再建されたもので、本尊如意輪観音などの仏像は平成8年(1996年)に勝持寺より願徳寺に返却されて現在の形になったそうです。

 

鉄筋コンクリート造りの本堂です。
 
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鍵がかかっているかと思うほど重い鉄製の扉を開けて中に入りました。外光を頼りに本堂内を探すと、右前方の床の上に電源スイッチが置かれていました。スイッチを押すと暗闇(くらやみ)から厨子の中にある仏像が浮かび上がりました。

 

国宝「木造如意輪観音菩薩半跏像(にょいりんかんのんはんかしいぞう)」は1200年ほど前に一本の榧(かや)から彫り出された像の高さは88.2cmとのこと。端正な顔立ちと衣文(えもん、衣紋)の襞(ひだ)の流れるような表現にインドの雰囲気が感じられ、神秘的な美しさが印象的です。ちなみに、「如意輪観音」とは観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つですが、「如意」とは意のままに智慧や財宝、福徳もたらす如意宝珠という宝の珠のことで、「輪」は煩悩を打ち砕く法輪を指しています。

 

また、「半跏像」とは中宮寺(奈良県斑鳩町)や広隆寺(京都市)にある有名な「弥勒菩薩像(みろくぼさつそう)」のように台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿をした仏像の一形式です。ただし、願徳寺の「如意輪観音菩薩半跏像」は左腕を折り曲げて掌(てのひら)を前方に向け、右腕は右膝(ひざ)の上に置く如意輪観世音菩薩の印相(左右逆)ですが、下半身は右脚の膝に左足の裏を添えている(弥勒菩薩とは逆である)ことに特徴があります。

 

写真の撮影はできませんでしたので、ネット上に写真をアップしているサイト(「京都観光Navi 宝菩提院願徳寺」あるいは「同仏像の絵葉書」を参照してください。

 

重要文化財の「木造薬師瑠璃光如来立像」は優しい姿の平安前期の名作で、京都府文化財「青不動明王像」は江戸時代の作のようです。これらの仏像も魅力的でしばし眺めていたいところですが、退出することにしました。

 

ご住職から徒歩で1-2分と教えられた「勝持寺(しょうじじ)」へ向かいます。
 
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「東海自然歩道」の案内地図にあるように徒歩の場合は大原野道を西進すれば最短コース(約500m)で移動できます。
 
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細い石畳の道を歩きます。
 
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小塩山大原院 勝持寺」の山門前に出ました。「花の寺」と「西国薬師第42番霊場」の看板があります。
 
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書院にある受付で拝観料400円を納め、書院と琉璃光殿(るりこうでん)の前を抜けて、阿弥陀堂(あみだどう)へ向かいます。
 
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京の西山連峰の麓(ふもと)にあり、小塩山(おしおさん)大原院勝持寺と呼ばれる天台宗の古刹(こさつ)です。白鳳8年(西暦679年)天武天皇の勅によって神変大菩薩役の行者が創建したのが始まりで、延暦10年(西暦791年)に伝教大師が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽羅を再建され、薬師瑠璃光如来を一刀三礼で刻まれて本尊とされました。(勝持寺のhp

 

仁王像は、鎌倉後期(1285年)の銘があり、作者は慶秀と湛幸とされ、像高約3mのヒノキの寄木造で、目は黒石をはめこんでいるそうです。

 

勝持寺のhpによると、瑠璃光殿にはいずれも常用文化財に指定されている本尊の薬師瑠璃光如来像、その胎内仏という小像の薬師如来像、そして金剛力士像(仁王像)が安置されているそうです。他に、日光菩薩像・月光菩薩像・十二神将・西行法師像も安置されているそうです。
 
 

本尊の薬師如来像は寄木造・玉眼の鎌倉時代の作(像高85.1cmの寄木造坐像)で全体に漆箔(しっぱく、うるしはく)してあり玉眼がはいっており、重要文化財 薬師如来像(胎内仏)は本尊の胎内より発見された仏像で、像高9.1cm、檀木を用いて全体に細微な刻技を施し、光背には七仏薬師と十二神将を配して素地仕上げをされている。(勝持寺のhp)

 

阿弥陀堂(本堂)
 
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阿弥陀堂の中にも仏像が多数安置されていました。
 
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不動堂は弘法大師が刻んだ岩不動明王が岩窟中に安置されているそうです。石段の左下に歌人として知られる西行法師(さいぎょうほうし)が姿見をしたという「瀬和井の泉」と剃髪(ていはつ)するために鏡として用いたという「鏡石」がありました。旧東海道を巡るドライブ旅をした時、静岡県掛川市の「小夜(さよ)の中山」で西行の歌碑を見たことを思い出しました。
 
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「西行桜」
 
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近くにある「花の寺と西行桜」と題した説明看板には、『平安末期、鳥羽院の北面の武士であった佐藤兵衛義清はこの寺で出家して西行法師となる。西行はここに草庵を結び一株の桜を植えて吟愛していたことで、世人はその桜を「西行桜」と称し、寺を「花の寺」と呼ぶようになり、古来より有名な花の名所として知られるようになった。(以下略)』、と書かれていました。

 

鐘楼堂
 
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石塔
 
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冴え野の沼(さえののぬま)
 
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境内で見かけた冬の花木
 
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山門を出ました。右手の石段を下りると「勝持寺」の最古の建造物である「仁王門」を経て「東海自然歩道」で「大原野神社」や「正法寺」へ行くことができることが案内標識に表示されています。
 
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いよいよ、「洛西のドライブ旅」は最終目的地を残すだけになりました。

2016年2月 6日 (土)

洛西のドライブ旅 西山大原野の古刹「正法寺」

「大原野神社」の南側に古刹(こさつ)「法寿山正法寺(しょうほうじ)」の参道が伸びていました。
 
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案内看板には『真言宗東寺派の寺(別格本山)で、奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建した鑑真和上(がんじんわじょう)の高弟で、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)6年(754年)に鑑真和上とともに唐から来朝した智威(ちい)大徳がこの地で修練を行ったことに始まる。古くは春日禅坊(かすがぜんぼう)と呼ばれたが、延暦年間(782-806年)に、伝教大師(最澄)が智威の威光を世に示すため、大原寺(おおはらじ)という寺を創建した。(中略)元禄年間(1688-1703年)には徳川五代将軍綱吉の母・桂昌院(けいしょういん)の帰依を受け、代々徳川家の祈祷所となった。(以下略』と説明されています。

 

極楽橋を渡った場所にある駐車場に車を停めました。その脇には多宝塔があります。春になると周囲の桜が美しく咲くそうです。
 
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本堂へ向かいました。その手前にあるのは「春日不動尊堂」です。
 
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正法寺の通用門を入ります。拝観料300円。
 
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左手にある庭
 
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西国四十九薬師霊場の第41番「正法寺」の本堂です。京都大黒御利益めぐり第3番でもあります。
 
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石庭
 
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本堂へ上がらせていただきました。密教立(みつきようだて)の法要を行う時、導師(どうし)が修法に用いる正方形大型の壇である「大檀(だいだん)」の奥に本尊の「三面千手観世音菩薩」が祀られていました。左右の顔は過去も未来にも目を配ろうという意味があるそうです。
 
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中央には本尊の「三面千手観世音菩薩」、右手前には平安時代初期(弘仁年間)の弘法大師作と伝えられる「聖観世音菩薩」(厄難消除の仏)、左奥には西方浄土の教主である「阿弥陀如来(あみだにょらい)」などが祀られています。
 
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左手に移動しました。密教法具(みっきょうほうぐ)の「チンチュー」(鈴)や持鈴(じれい)などの先には火舎香炉(ひしゃこうろ)と六器(ろっき)などの仏器(ぶっき)が並ぶ大壇が見えます。
 
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大日如来像
 
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阿弥陀聖衆来迎図(あみだしょうじゅらいごうず)
 
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畳の間の床の間には弘法大師像と御宝号(ごほうごう、真言宗で唱える一番短い経)である「南無大師返上金剛」の掛軸(かけじく)が掛けられています。ちなみに、「南無」はインド・サンスクリット語の「挨拶する」が転じて「帰依する」を意味し、「大師」は偉大な師、つまり「弘法大師」のことであり、「返上金剛」は弘法大師が真言密教の師・恵果(けいか)から授けられた法名です。その意味するところは、『仏さまの慈悲の光はすべてのものに及び、すべてのものに幸せを及ぼそうという智慧(ちえ)の働きは、ダイヤモンド(金剛石)のように堅固で輝きを失わない』、というものだそうです。
 
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不動明王堂の祭壇
 
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不動明王「春日不動」は、衆生を教化し、悪を罰するだけではなく、修行者を加護し修行を達成させる慈悲の存在でもあり、修験道においても崇拝されているそうです。
 
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大日如来を描いたと思われる掛軸(かけじく)
 
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不動堂の前にあるのは「水琴窟(すいきんくつ)」のようです。脇には『地中から宇宙へ発するシンフォニー「水琴窟・法寿泉」地中深く奏でられる妙なる音色に耳を傾けて下さい』、と書かれた立て看板がありました。
 
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庭のお地蔵像
 
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宝生殿の前にある見事な石庭「鳥獣の石庭」は広大な借景と一体化しています。
 
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通称を「石の寺」というのは、境内全体で200トンに及ぶ巨岩が全国各地から集められていることに由来します。幾つも有る庭園のうちで著名なのは「宝生苑」で、彼方に東山連峰を望む借景式山水庭園ですが、お堂の畳に座って眺めると、庭石の形が何となく鳥やペンギン、兎など、15種類もの動物の形に似ているため、「鳥獣の石庭」と呼ばれています。(正法寺のhp

 

小高い場所にある正法寺からは東山連峰を望むことができます。その手前は京都市西京区大原野の丘陵からから日向市と京都市伏見区へ続く市街地のようです。
 
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西山からの景色をいつまでも眺(なが)めていたいところですが、陽が傾き始めましたから先を急ぐことにします。

2016年2月 5日 (金)

洛西のドライブ旅 西山大原野の古社「大原野神社」

国道9号(山陰道)を西進して国道沓掛口交差点を左折して府道10号、さらに洛西高校前を右折と府道140号と府道141号を走って田舎道に入ると案内看板と「参陵道(さんりょうみち)」と刻まれた石の道標がありました。
 
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左手に進むと、最初の目的地である「大原野神社」に到着しました。石造りの「一の鳥居」が重々しいことが印象的です。
 
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「源氏物語ゆかりの地」とのキャッチフレーズがある古社(こしゃ)「大原野神社」の案内看板には、『桓武天皇は延暦3年(784年)の長岡京遷都に際し、藤原氏出身の皇后のために、大和の春日大社の分霊(ぶんれい)を、この地に勧請(かんじょう)したことに始まり、平安時代に入って文徳天皇が外祖父、藤原冬嗣(ふゆつぐ)の念願(ねんがん)をうけて神殿を建立、地名にちなみ大原野神社とした。(中略)「源氏物語」の二十九帖「行幸(みゆき)」では、冷泉帝(れいぜいてい)が大原野行幸を行い、京の人々が見物に訪れるなか、玉蔓(たまかづら)や六条院の人々も車を寄せて行幸を見物している。物忌(ものいみ)で同行しなかった光源氏は、帝からの歌に応えて「小塩山(こしおやま)みゆきつもれる松原に、きょうばかりなる跡やなからむ」と寿(ことほ)いだ』、とあります。
 
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ちなみに、小塩山は西山山地に位置する山で、今回訪れる「大原野神社」と「勝持寺」などの他、2年前に参拝した十輪寺(じゅうりんじ)善峯寺(よしみねでら)があります。

 

「大原野神社」の近くにある「正法寺(しょうほうじ)」と「勝持寺(しょうじじ)」の位置が分かりやすく表示されています。
 
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神社前の大原野道は「東海自然歩道」の一部になっています。
 
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左手にある駐車場に車を停めて参道の石段を上がりました。
 
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石造りの「二の鳥居」の先に長い参道が直線的に続いています。神域は8万3千平方メートルあって、うち6万6千平方メートルは緑の林になっているそうです。
 
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文徳天皇が奈良の猿沢池を模して造営したという「鯉沢の池」は名泉瀬和井と推計を一つにして杜若(かきつばた)や水連(すいれん)を割かせて親しまれていると説明されています。
 
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瀬和井(せがい)の説明看板には和歌が4首書かれています。
 
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左手に「手水舎」があり、朱に塗られた「三の鳥居」の先に朱色が鮮やかな「中門」が見えます。
 
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立ち寄った「手水舎」では神使の鹿が加える巻物から水が流れ落ちています。
 
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拝殿を兼ねた「中門」と「東西廊」の全景
 
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「大原野神社」の本殿は、『奈良の春日大社同様に、同規模・同形式の四棟の一間社春日造(いっけんしゃかすがづくり)社殿であり、各社殿間は板塀で連結されている。現在の社殿は文政5年(1822年)ころ再建されたか、かなり大規模な改修を受けたと考えられる。中門は簡素な形式の薬医門(やくいもん)である。中門の両脇に建つ東廊と西廊は、いずれも正面を柱間五間として連子窓(れんじまど)をはめ、背面を柱間三間の吹放ちとする。中門・東西廊は、いずれも切妻造、檜皮葺(ひわぶき)の建物で、本殿と同時期の建設とみられる』、と説明されています。
 
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拝殿前の階段脇には鹿の狛犬(こまいぬ)である「狛鹿」があります、左側が雌鹿(めじか)で、
 
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右側が雄鹿(おじか)です。
 
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中門越しには、4棟ある本殿のうち、中央の2棟だけを見ることができます。
 
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大原野神社のhpによると、『大原野神社の御本殿の第一殿には建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、第二殿には伊波比主命(いわいぬしのみこと)、第三殿には天之子八根命(あめのこやねのみこと)、第四殿には比賣(ひめ)大神が祀られ、摂社若宮社には天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀っています。古くから政治・方除・知恵の神として、また良縁を授けて下さる女の守護神としての信仰が篤いのです』

 

『清和天皇の皇后藤原高子が、まだ皇太子の御息所であった時、当社へ参詣になり、供奉(ぐぶ)の在原業平(ありわらのなりひら)が、「大原や小塩の山もけふこそは 神代のことも思い出づらめ」との和歌を詠じて奉ったことは有名です』

 

『源氏物語の作者紫式部は大原野神社を氏神と崇め、この大原野の地をこよなく愛していました。源氏物語二十九帖「行幸(みゆき)」の巻には、大原野へと向かう冷泉帝の華やかで美しい行列の様子が描かれ、紫式部のこの地への思いの一端を伺い知ることができます。 また、紫式部が生前に自ら撰んだとされる家集「紫式部集」に次の歌が詠まれています』、とありました。

 

本殿の左手にある末社の「八坂社」「稲荷社」「八幡社」「祓戸社(はらいどしゃ)」
 
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参道を戻る時に、冬季のため参道脇の春日乃茶屋は閉まっていることに気づきました。

2016年2月 2日 (火)

歯の治療は楽しい!

この数年、歯の定期検診で歯の磨き方に合格点をもらっている私ですが、3年ほど前から上顎(じょうがく、うわあご)の犬歯(けんし)の内部で虫歯化が徐々に進行し、昨春になってついにその歯にピンホールができたことを担当歯科医から指摘されました。

 

ちなみに、虫歯とは口のなかに存在しているミュータンス菌(いわゆる虫歯菌)により歯質が軟らかくなり、崩壊していく厄介(やっかい)な病気です。具体的には、食事によって歯茎周辺や歯間に付着した食べ滓(かす)にミュータンス菌や歯周病菌などの口内菌が取りついて増殖し、8時間ほどで歯垢(しこう、プラーク)を作り出します。細菌の塊(かたまり)ともいえる歯垢は柔らかいので歯ブラシを使ってしっかり磨くことで落とすことができますが、放置すると2-3日で石灰化し始め、やがて硬化して歯石となります。この歯石は歯磨きでは取り除くことができませんから、歯科医院で取り除いてもらう必要があります。

 

歯垢で増殖したミュータンス菌は、歯垢に含まれる糖分を取り込んで酸を作り出し、歯の表面を覆(おお)うエナメル質を溶かす脱灰(だっかい)現象を引き起こします。もし、歯磨きによって早めに歯垢を取り除けば、唾液(だえき)の力が溶けた歯を再石灰化して回復させようとします。しかし、このバランスが崩(くず)れると虫歯化が進行します。そして、糖分の多い食物に含まれるラクトバチラス菌はミュータンス菌によってできた虫歯に取りついて症状を進行させるようです。

 

本題に戻ります。半年余りの経過観察を経た昨年末の定期健診で、担当歯科医師から虫歯治療を勧められました。物はついでと、これまでの定期健診で指摘された小さな不具合がある歯と私自身が気になる歯をまとめて治療してもらうことにしました。

 

最初に治療を受けたのは上顎の犬歯にできた小さな虫歯です。その手順は、虫歯化した(虫歯菌に侵された)部位を削り、エッチングで洗浄し、接着剤で最初のレイヤーを塗り、白い複合プラスチック(コンポジットレジン)を充填(じゅうてん)、硬化ライトから発した青色光線で硬化させ、表面を整えるというもので、わずか数分の処置でした。ちなみに、小さな部位の簡便な治療に用いられるコンポジットレジンの寿命は5年から10年程度とのこと。

 

その次に治療対象となったのは知覚過敏などの自覚症状がない3本の歯です。奥歯の噛(か)み合わせによるストレスが掛原因で歯茎付近に窪(くぼみ)みが出来た(表面が欠けた)歯が2本、そして口を大きく開いた時に見える銀インレーで詰め物をした歯が1本です。いずれも上記した犬歯と同様、コンポジットレジンを充填(じゅうてん)する処置でした。

 

歯医者オタクの(清掃を受けるのが好きな)私ですが、犬歯の虫歯化した部位と銀インレーを取り除くプロセスはやはり気持ちの良いものではありません。しかし、それを除けばあっけないほど簡単な治療で、歯科技術が近年大きく進歩したことを実感させます。治療に要した合計時間は約30分、治療費の自己負担額も予想したよりはるかに低額であることも嬉(うれ)しいことです。

 

今回、もう一つの課題を担当歯科医師から指摘されました。反対側の犬歯でも同様の虫歯化が進行しているというのです。これも、歯磨き方法の指導を受けるより以前の癖によって生じた歯間の磨き残しの影響が8年後の今になって顕在化(けんざいか)したようです。最後に、担当歯科医師から 『歯磨きがきちんとできていて、歯と歯茎の状態は良いですね!』、と褒(ほ)めてもらいました。年齢を重ねても褒められると気分が良いものです。

 

今回指摘された課題については、6か月後の次回定期健診の結果を見てから、他の不具合(もしあれば)と一緒に治療を受けようと思います。歯を削る治療はできるだけしない方が歯のために良いのですが、虫歯化が進行するようであれば止むを得ません。「一病息災」(いちびょうそくさい)の言葉通り、小さな課題があることは歯のケアを怠((おこた)らないためには良いことかもしれません。私の歯医者通いはこれからもさらに続くことは確かです。

 

余談です。歯周病についてはまったく問題ない私ですが、数年前の定期健診時に歯科衛生士の女性から、『舌の表面が白くなっていますから、舌磨きをして舌苔(ぜったい)を取り除くと良いですよ』、とのアドバイスをもらいました。それ以来、専用の舌ブラシを使っています。最初のうちは舌ブラシを軽く当てるだけでも嘔吐(おうと)反射がありましたが、慣れると違和感はなって気持ち良く感じられるようになりました。ちなみに、舌苔とは舌の細胞の角質に食べかすや口内菌などが溜(た)まって白く見える症状のことで、消化器系の疾患(しっかん)が原因でなければ、一日一回だけ舌磨きをすれば良いそうです。舌の表面を傷めることがあるため、歯磨きと同様、磨き過ぎ(回数・強さ)に注意する必要があるようです。

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