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2016年2月12日 (金)

自己愛症候群を考える

2016年に入って早くも1ヶ月余りが経過しました。三が日明けに始まった株価急落(「2016年の日本経済と株価の動向を考える」の記事で説明)に続くように、7日に週刊誌が報じたタレントと歌手の不倫疑惑、15日のスキー旅行バス事故、21日に週刊誌で伝えられた政治家の金銭疑惑(収賄事件の可能性がある)、2月2日は有名な元スポーツ選手が覚醒剤(かくせいざい)所持で逮捕されたなど、例を見ないほどのゴシップ情報がマスコミ界で飛び交っています。ここで、その一つひとつについて説明やコメントしませんが、これらの出来事を「自己愛」の視点から考えてみたいと思います。

 

度が過ぎた自惚(うぬぼ)れと自己中心性のある性格を「自己愛」(ナルシシズムあるいはナルシズム)と呼びますが、それと名称は似ていながらまったく異なる精神障害があります。精神医学の分野ではそれを「自己愛性(じこあいせい)人格障害」と呼ぶそうです。それは、ありのままの自分を愛することができず(つまりナルシストとは逆)、自分は優(すぐ)れていて特別で偉大な存在であるという意識(誇大自己、つまり肥大した自己意識)を持つことを特徴とする人格障害で、この障害を持つ人は健全な人間関係を築けないことが多いそうです。

 

2か月前の記事「どうして自分だけは?」で触れましたが、人は誰でも幼い時には「自己愛」に加えて「幼児期万能感」を持っていますが、成長するにしたがって次第に客観的(第三者的)な見方ができるようになり、「他者愛」も生まれます。しかし、不幸にして親が過保護(親子関係が未熟、特に母親の溺愛や過度な叱責)であったり、逆に冷たすぎたりする(特に父親の影が薄い)と「自己愛性人格障害」に陥(おちい)ることがあるそうです。その環境下で育った子供は、生きるすべを見出せなくなると自分が優れていると自らに言い聞かせ続けるため、現実が見えなくなったまま成長し、強固な自己愛(自己防衛力)ができるそうです。つまり、外見は普通の人間に見えても心の中は未成熟(幼いまま)で現実と妄想(もうそう)の区別ができない歪(いびつ)な人格が形成されるのです。

 

今の日本にはこの「自己愛性人格障害」に似た「自己愛症候群」(私の造語)が蔓延(まんえん)しているように思われます。「自己愛性人格障害」のような精神疾患(しっかん、病気)とは言えないまでも、「自己主張が得意である一方、他者の異なる意見や非難を一切受け付けない人たち」のことです。テレビ番組やネット記事を通して様々な人たちの「一方的な自己主張」と「他者への攻撃的な反論」を聞くと、発言者が「自己愛症候群」の人たちであることがよく分かります。本人は自覚していないのでしょうが、第三者には容易に判別できるのです。一方、その仲間である人たちは当事者に同情的な気持ちから、あるは「自己愛症候群」の人によって強く影響(マインドコントロール)されているため、擁護(ようご)するコメントをすることが多いようです。

 

しかし、冒頭に列挙したような問題を起こした人の関係者(あるいは知人)がその人物を擁護する発言をすると、発言者自身が意識しているか否かに関わらず、擁護した人も当事者と同じ困難な状況に陥(おちい)るリスクがあります。つまり、良かれと思ってした行動が、自らの問題へ拡大してしまうのです。「身内意識」は「自己愛」が変形したもので、第三者にはまったく理解されないことを、発言者は意識していないためです。嫌われたくないとの意識が背景にあるのでしょうが、もし当事者のことを真に思うのであれば、あえて厳しい意見を述べた上で、自分ができる範囲のサポートをしたいと言うのが無難のようです。

 

つまり、辛口(からくち)の意見を言ってくれる人を周(まわ)りに持たない人や、言われても聞く耳を持たない人は、思いがけなく悲惨(ひさん)な状況に陥るリスクがあるのです。なまじ順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の人生を送った人は、苦言を聞くチャンスがない、あるいはあえてそのチャンスを持とうとしないため、自己を徐々に見失ってしまう恐れがあります。そして、気付いた時にはもう手遅れになっているのです。後悔しても遅いのです。ここまで書いて思い出しました。この3年あまり安定政権を維持する首相の国会答弁や破綻(はたん)に瀕(ひん)した一流企業のトップ、そして、いわゆるモラハラ・DV(夫婦間の精神的・肉体的暴力)を行ったとされる人たちの記者会見です。そこには「自己愛症候群」の特徴がよく見て取れます。繰り返しになりますが、残念なことに現在の日本は「自己愛症候群」に陥(おちい)った人たちで溢(あふ)れているのです。

 

さて、「自己愛性人格障害」および「自己愛症候群」の人の目的を考えてみます。それは「思いやり」を装う巧言(こうげん)を駆使して人を自分の妄想の中に引き入れることです。誇大(こだい)すぎる自己像に賛同してくれる人が欲しいのです。そして、どんなことをしても仲間内で一番上になろうとするのです。しかし、そのために自分の妄想(もうそう)を打ち破ろうとしたり、現実を見ようとしたりせず、人を自分より下げることで一番になろうとします。思い通りにならない人や役に立たなくなった人物は容赦(ようしゃ)なく切り捨てるのです。したがって、その対象(餌食、えじき)になる人たちは極めて危険な状況に晒(さら)される恐れがあります。ですから、「自己愛性人格障害」の人はもちろんのこと、「自己愛症候群」の人にもできるだけ近づかないようにするか、あるいは相手を説得しようとして(あるいは反論して)相手の術中にはまって攻撃対象にされないように注意をする必要があります。

 

ここまで、「自己愛症候群」について悲観的な考えを述べましたが、育った環境によって身に付けてしまった(正しくは付けさせられた)「自己愛症候群」を自ら克服(治癒、ちゆ)することはできるのでしょうか? 医者ではない私には判断できませんが、関連の解説書を読むと「自己愛症候群」は「自己愛性人格障害」に似ていることから、同様に慢性化の経過をたどることが多く、精神治療や薬物療法によっても難しいようです。つまり、「自己愛症候群」にも確かな治療法はないと推測されます。ですから、上述しましたように、「自己愛症候群」の人には近づかないことが最善の対処法なのです。

 

ここまで一般論を書いてきましたが、かく言う私も、両親に褒(ほ)めて育てられたためか、やや「自己愛症候群」の傾向があるようです。以前から同居者に「自分大好き人間、つまりナルシスト」だと指摘されていましたが、「自己愛症候群」の傾向も併せ持っていることに気付いたのは退職して2-3年後の2009年に四国八十八札所を遍路(へんろ)した時だったと思います。多くの寺でひたすら真言(しんごん)を唱えて祈るうちに心が少し静まったように思われました。それ以来、機会があれば神社仏閣に参拝して自らの煩悩(ぼんのう)を少しでも無くそうと努力をしていますが、そのご利益はまだ実感できていません。やはり、私はまだまだ修練を積む必要があるようです。

 

                          ☆

 

余談です。覚醒剤(かくせいざい)などの違法薬物も「自己愛症候群」と同様、あるいはそれ以上に人の人格と社会性を損なう恐ろしい存在だと思います。覚醒剤は脳神経に作用して心身の働きを一時的に活性化させる精神刺激(覚醒)薬で、その快感を数度体験すると強烈な習慣性(中毒性)から、自分の意思だけでは薬物から逃れられなくなるそうです。冒頭の事例だけではなく、多くのスポーツ選手や芸能人が覚醒剤の虜(とりこ)になって人生の階段を踏み外した事例は枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がありません。興味本位で薬物に近づくのは絶対避けるべきです。

 

覚醒剤ではありませんが、私が20歳代の中頃に腹膜炎の緊急手術を受けた時、耐え難(がた)い痛みを抑えるために医療用モルヒネ(狭義の麻薬)の注射を2-3度受けたことがあります。ケシから生成されるモルヒネの鎮痛(ちんつう)・鎮静(ちんせい)作用は絶大でした。投与されると心身とも別世界にワープ(瞬間移動)したような爽快感(そうかいかん)と浮遊感(ふゆうかん)に包まれたのです。ただし、担当医師からは依存性が生じることを避けるため、少なくても4時間以上の間隔を空ける必要があると説明されました。幸いなことに、翌日には傷みが我慢できる程度までに弱まったことで、それ以上はモルヒネを必要としなくなりました。

 

モルヒネは末期癌(がん)患者の疼痛(とうつう)を緩和する目的で現在も一般的に使用されているようです。神経の痛みを感じる受容器で発生した興奮を遮断して中枢(ちゅうすう)鎮痛作用を示しますが、多用すると依存性のほかに血圧低下・眠気・便秘など多くの副作用が発生する可能性が高いそうです。

 

ちなみに、麻薬の代名詞として使われたアヘンはケシの実から抽出した生アヘンを乾燥したもので、これから生成されるのがモルヒネであり、さらにモルヒネを精製して作られるのがヘロインです。いずれも、用法を間違えると危険な麻薬です。なかでも、ヘロインは体内に摂取(せっしゅ)されると強烈な快感が得られ、しかも精神的・肉体的な依存性が極めて高く、禁断症状も激痛や激しい不快感などがあり、最悪の麻薬と言われています。

 

いずれにしても、精神的あるいは肉体的な苦痛を回避するため覚醒剤や麻薬などの違法薬物(広義の麻薬)を利用することは極めて危険であることを私は痛感しています。

 
なお、薬物依存から連想(アナロジー)される日銀による「異次元の金融政策」(異次元規模の量的緩和とマイナス金利)については賛否両論があるようですが、論点が本稿のテーマから飛躍し過ぎますから、別の機会に私見を披露させていただきたいと思います。

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