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2016年2月 7日 (日)

洛西のドライブ旅 西山大原野の古刹「願徳寺」と「勝持寺」

正法寺を退出したあとは大原野道を戻り、府道140号と府道141号を走って京都縦貫道の北春日トンネルの上を通過し、案内標識にしたがって左手に入り、200メートルくらい進むと、「宝菩提院願徳寺(ほうぼだいいんがんとくじ)」に到着しました。楕円形のルートを左回りで四分の三周(約2kmの距離)したようです。徒歩の場合は逆回りをすれば500mほどの近さです。石段の手前に駐車場に車を停めました。立て看板には「白鳳8年(679年)地頭天皇創建」とあり、左手には「国宝 凛(りん)とした観音様・他 仏像拝観 400円」と表示されています。
 
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「仏華林山 宝菩提院 願徳寺」は、京都一小さな拝観寺院といわれる天台宗の寺院で、「京都洛西観音霊場第33番札所」ですが、三門は普通のお寺のようです。国宝「如意輪観音(にょいりんかんのん)」の張り紙が目に入りました。受け付けは左手の通用口の先にあるようです。
 
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通用口にも張り紙が
 
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受付で拝観料500円を納めました。ご住職からは、庭はなく国宝「如意輪観音」を見るだけの寺であることと、鉄の扉が重いこと、照明のスイッチを自分で付けること、および建物内の撮影は禁止されているとの説明を受けました。
 
 

寺伝によると持統天皇が夢で啓示を受け、薬師如来を本尊として679年に現在の京都府向日市寺戸に創建された古刹(こさつ)でしたが、何度となく衰退と復興を繰り返し、昭和39年(1964年)に現在の大野原に再建され、現在の願徳寺の本堂や庫裏は昭和四十八年(1973)に現在地に再建されたもので、本尊如意輪観音などの仏像は平成8年(1996年)に勝持寺より願徳寺に返却されて現在の形になったそうです。

 

鉄筋コンクリート造りの本堂です。
 
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鍵がかかっているかと思うほど重い鉄製の扉を開けて中に入りました。外光を頼りに本堂内を探すと、右前方の床の上に電源スイッチが置かれていました。スイッチを押すと暗闇(くらやみ)から厨子の中にある仏像が浮かび上がりました。

 

国宝「木造如意輪観音菩薩半跏像(にょいりんかんのんはんかしいぞう)」は1200年ほど前に一本の榧(かや)から彫り出された像の高さは88.2cmとのこと。端正な顔立ちと衣文(えもん、衣紋)の襞(ひだ)の流れるような表現にインドの雰囲気が感じられ、神秘的な美しさが印象的です。ちなみに、「如意輪観音」とは観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つですが、「如意」とは意のままに智慧や財宝、福徳もたらす如意宝珠という宝の珠のことで、「輪」は煩悩を打ち砕く法輪を指しています。

 

また、「半跏像」とは中宮寺(奈良県斑鳩町)や広隆寺(京都市)にある有名な「弥勒菩薩像(みろくぼさつそう)」のように台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿をした仏像の一形式です。ただし、願徳寺の「如意輪観音菩薩半跏像」は左腕を折り曲げて掌(てのひら)を前方に向け、右腕は右膝(ひざ)の上に置く如意輪観世音菩薩の印相(左右逆)ですが、下半身は右脚の膝に左足の裏を添えている(弥勒菩薩とは逆である)ことに特徴があります。

 

写真の撮影はできませんでしたので、ネット上に写真をアップしているサイト(「京都観光Navi 宝菩提院願徳寺」あるいは「同仏像の絵葉書」を参照してください。

 

重要文化財の「木造薬師瑠璃光如来立像」は優しい姿の平安前期の名作で、京都府文化財「青不動明王像」は江戸時代の作のようです。これらの仏像も魅力的でしばし眺めていたいところですが、退出することにしました。

 

ご住職から徒歩で1-2分と教えられた「勝持寺(しょうじじ)」へ向かいます。
 
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「東海自然歩道」の案内地図にあるように徒歩の場合は大原野道を西進すれば最短コース(約500m)で移動できます。
 
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細い石畳の道を歩きます。
 
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小塩山大原院 勝持寺」の山門前に出ました。「花の寺」と「西国薬師第42番霊場」の看板があります。
 
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書院にある受付で拝観料400円を納め、書院と琉璃光殿(るりこうでん)の前を抜けて、阿弥陀堂(あみだどう)へ向かいます。
 
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京の西山連峰の麓(ふもと)にあり、小塩山(おしおさん)大原院勝持寺と呼ばれる天台宗の古刹(こさつ)です。白鳳8年(西暦679年)天武天皇の勅によって神変大菩薩役の行者が創建したのが始まりで、延暦10年(西暦791年)に伝教大師が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽羅を再建され、薬師瑠璃光如来を一刀三礼で刻まれて本尊とされました。(勝持寺のhp

 

仁王像は、鎌倉後期(1285年)の銘があり、作者は慶秀と湛幸とされ、像高約3mのヒノキの寄木造で、目は黒石をはめこんでいるそうです。

 

勝持寺のhpによると、瑠璃光殿にはいずれも常用文化財に指定されている本尊の薬師瑠璃光如来像、その胎内仏という小像の薬師如来像、そして金剛力士像(仁王像)が安置されているそうです。他に、日光菩薩像・月光菩薩像・十二神将・西行法師像も安置されているそうです。
 
 

本尊の薬師如来像は寄木造・玉眼の鎌倉時代の作(像高85.1cmの寄木造坐像)で全体に漆箔(しっぱく、うるしはく)してあり玉眼がはいっており、重要文化財 薬師如来像(胎内仏)は本尊の胎内より発見された仏像で、像高9.1cm、檀木を用いて全体に細微な刻技を施し、光背には七仏薬師と十二神将を配して素地仕上げをされている。(勝持寺のhp)

 

阿弥陀堂(本堂)
 
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阿弥陀堂の中にも仏像が多数安置されていました。
 
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不動堂は弘法大師が刻んだ岩不動明王が岩窟中に安置されているそうです。石段の左下に歌人として知られる西行法師(さいぎょうほうし)が姿見をしたという「瀬和井の泉」と剃髪(ていはつ)するために鏡として用いたという「鏡石」がありました。旧東海道を巡るドライブ旅をした時、静岡県掛川市の「小夜(さよ)の中山」で西行の歌碑を見たことを思い出しました。
 
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「西行桜」
 
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近くにある「花の寺と西行桜」と題した説明看板には、『平安末期、鳥羽院の北面の武士であった佐藤兵衛義清はこの寺で出家して西行法師となる。西行はここに草庵を結び一株の桜を植えて吟愛していたことで、世人はその桜を「西行桜」と称し、寺を「花の寺」と呼ぶようになり、古来より有名な花の名所として知られるようになった。(以下略)』、と書かれていました。

 

鐘楼堂
 
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石塔
 
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冴え野の沼(さえののぬま)
 
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境内で見かけた冬の花木
 
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山門を出ました。右手の石段を下りると「勝持寺」の最古の建造物である「仁王門」を経て「東海自然歩道」で「大原野神社」や「正法寺」へ行くことができることが案内標識に表示されています。
 
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いよいよ、「洛西のドライブ旅」は最終目的地を残すだけになりました。

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