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2016年3月

2016年3月31日 (木)

ベトナムの旅(その9) ハロン湾クルーズ①

その後は、国道10号線を経由して国道18号線に入り、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されているハロン(下龍)湾へ直行しました。その地名の由来は、『昔中国がベトナムに攻め入った時(あるいは海賊が村を襲撃した時)に、龍の親子が降りてきてそれを打ち破った』 という伝承(降龍伝説)によるそうです。
 
ゴツゴツした山が道路の脇に出現しました。看板に”TRAM THU PHI” ”DAI YEN”と表示されています。ちなみに、ベトナム語で"TRAM"(チャム)は「駅または所」、"THU"(トゥー)は「徴収する、返す」、"PHI"(フィー)が「費用」ですから、
「ダイイエン料金所」でしょう。長いバス旅の目的地であるクアンニン省の省都ハロン市(ダイイエン地区)に入ったと思われます。
 
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余談です。ベトナム語(キン語あるいは安南語とも呼ばれる)は中国語の四声(しせい)に似た六声(ろくせい)という声調(せいちょう、音の高低パターン)を持っているため、それを表す記号がローマ字の上下に小さな記号が付いています。ちなみに六声は、記号なし(平板)、“`”(低い音から下がる)、“´”(急上昇する)、“̉”(下がって上がる)、“˜”(急に上がってからさらに上がる)、“̣”(下がる)です。写真の案内標識では、”A”に“̣”(下がる)、"i"に“´”(急上昇する)が付いています。”E”の上に付いている記号は六声ではなく、12種類ある母音のうち異なる「ア」の表記法であって複雑です。
 

そのダイイエン料金所を通過します。
 
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国道18号線は鉄道の線路に沿って伸びています。メーターゲージ(狭軌)がほとんどであるベトナムでは珍しい標準軌のハロン線はハノイの北東にあるラオカイ線(ハノイと中国を結ぶ国際路線)のケップ駅-ハロン駅間105kmを結んでいます。
 
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海が近付いたようです。そして、のこぎりの歯のようにでこぼこした岩山が遠くに見えました。
 
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バスは国道18号線からそれ、観光地らしい雰囲気を演出したトゥアン・チャゥ通り(コーズウェイ/土手道)を通過して、対岸の「トゥアン・チャウ島」へ向かいます。
 
 
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橋の脇にはエビや魚介類を養殖する筏(いかだ)が見られました。
 
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休憩地点から一時間余り、12時半過ぎに到着した「トゥアン・チャウ島」の乗船所には次々と観光客が入って行きます。
 
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入口脇には立派な布袋(ほてい)像が立っていました。ベトナムでは、仏教徒が約80%、キリスト教徒(ほとんどがカトリック)が9パーセント、その他がイスラム教徒・ヒンズー教徒・新興宗教の信者ですから、仏教国といっても差し支えないでしょう。最大勢力を占める仏教については、南部にある少数の東南アジア(カンボジア)系の上座部仏教(旧名: 小乗仏教)徒を除いて、中国系の大乗仏教徒(主に禅宗)とのこと。
 
   
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乗船所の館内は人で溢(あふ)れていて、はたして乗船できるのかと心配になりましたが、それはまったくの杞憂(きゆう)でした。ガイドさんはグループ全員の乗船券(一人17万ドン、約1000円)を購入したあと、数え切れないほどの木造のクルーズ船が係留(けいりゅう)されている岸壁に出て、予約されていたと思われる一隻のクルーズ船へと迷わず向かいました。
 
 
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左右の岸壁に面してリゾートマンション(あるいはホテル)が立ち並んでいます。(写真は右手の岸壁)
   
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1994年に世界遺産(自然遺産)に登録されたハロン湾をクルーズする船に乗船します。
 
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定員が20数名の船内での様子です。後部にはトイレとキッチンがあるようです。

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クルーズ船が一斉に岸壁から出航しました。
 
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小舟がわれわれのクルーズ船と並走したかと思うと、船首付近に横付けになりました。前甲板に魚介類を持ち込んで、それに興味を示した乗船客に売る(押しかけ出前的な)商法です。
 
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ガイドさんの指示にしたがって最前部のテーブルに着席。クルーズ船が出港して数分が経ったころ、シーフード・ランチのサービスが始まりました。
      
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まず、茹(ゆ)でたハロン湾産の海老(えび)を大皿でテーブルの中央に配膳(はいぜん)されました。中華料理のように各自が小皿に取り分ける必要があるようです。
 
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私は白ワインを注文。ビール、ワイン、コーヒーなどの飲み物は乗船料金に含まれていませんから、各自が清算する必要があります。
 
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ランチを楽しんでいるうちに、クルーズ船は奇岩に沿って左手へ旋回しました。
 
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タワー・カルスト(塔状カルスト)と呼ばれる奇岩が近づくたびに船首へ出て写真撮影をすることになりました。
 
  
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(続く)

2016年3月29日 (火)

カジュアルダイニング”Bills二子玉川”

ベトナム旅行に出かける数日前のことです。チビスケくんの行事が2件重なったため、その両親が分担して対応することになり、チビエちゃんが朝からわが家へ遊びに来ることになりました。この日はわが家の同居者も所用があり不在。チビエちゃんと2人で楽しい時間を過ごしていると、先に用事を済ませたお父さんが午前11時過ぎに我が家に到着。チビスケくんとお母さんが戻るのは昼過ぎになるので、昼食はチビエちゃんを連れて二子玉川へ行くというのです。一緒にどうかと誘われた私も出かけることにしました。

 

行き先は玉川高島屋SCの別館「マロニエコート」の3階にある”Bills二子玉川”(昨年9月オープン)で、お母さんがママ友たちと訪れたことがあるそうです。高島屋の駐車場に車を停めて国道246号の旧道を横断しました。「マロニエコート」にはGAPFlying tiger、無印良品が入居していますが、店舗間はつながっていないため、各店専用のエレベーターを利用する必要がありました。

 

Bills”は1993年にオーストラリア・シドニーに1号店をオープンし、現在日本、ロンドン、ハワイ、ソウルとグローバルに展開するオールデイカジュアルダイニングです。「世界一の朝食の店」を標榜(ひょうぼう)し、自宅とオフィスの間を意味するサードスペースをコンセプトにしているようです、二子玉川店は昨年9月に日本国内5店舗目(鎌倉・七里ヶ浜、台場、神宮前、横浜・赤レンガ倉庫に続く)としてオープンしました。二子玉川店は「リラックスして穏やかな素敵な街」を表現しているそうです。

 

専用エレベーターと直結するファミレスのような広めの店内には3列のテーブル席とカウンター席があり、右手奥にあるテラスにもテーブル席が並んでいました。女性客が大半(小さな子供を連れた人も)で、少数の男性客は若者ばかり、私には場違いのよう?!(写真はiPhone5で撮影)
 
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まだ午前11時半前というのに週末のためか、買物客などで満席であり、テラス席に案内されました。中央に移動式ストーブ(点火されていないと思われる)が置かれています。
   
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3月上旬はまだ風が冷たいのですが、壁画上部に取り付けられた遠赤外線ストーブ(写真下部に写る黒い物体)と陽光が風の冷たさ和らげてくれます。
 
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テラス席の先にあるのは無印良品のカフェテリア”Café MUJI“のようです。
 
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初めて見るカタカナばかりで書かれたメニュー(正午までは朝食用、写真や説明はない)は理解できないため、私は店のスタッフが勧めてくれたメニュー”bills classics”から「オーガニックスクランブルエッグ w/トーストオムレツ」(1300円+税)を注文しました。コチビちゃんはこの店を代表する「リコッタパンケーキw/フレッシュバナナ、 ハニーコーム」(1400円+税)と「オレンジジュース」(680円+税)、チビエちゃんのお父さんは「マンチェゴチーズとオニオンの ホットサンドイッチ」(1200円+税)を選びました。
 
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「ホットサンド」が最初に配膳され、注文時に確認されたように調理に時間がかかる「パンケーキ」は一番最後(注文後約20分)の順でした。ですから、チビエちゃんは「オレンジジュース」を飲みながら、お父さんの「ホットサンドイッチ」をつまんでいました。
 
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私が食べた「スクランブル・エッグ」は、「世界一の朝食」であるかどうかはさて置き、
スタッフの言葉通りにふわふわの食感があり、しかもチーズが入っていながらも私好みのプレーンな味(薄味)です。濃い目の味が好きな方は、スタッフが私に勧めたように、味を添えるアボカド/チーズ/トマト/ベーコンなどの「サイドメニュー」を追加すると良いでしょう。また、全粒粉(ぜんりゅうふん)パンを使うトーストは、そのまま食べても、バターを塗っても、いずれも香ばしさと食感が楽しめました 
 
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洒落(しゃれ)た店内と洗練されたメニューは好感が持てましたが、テーブル席で会計をする時になって、単品としての物足りなさと割高感(プレートとドリンクを注文すると2000円を軽く超えるレベル)が生まれました。そして、欧米では一般的なテーブル会計は、レジに並ばなくても良い利点はありますが、日本では店のスタッフと客の双方が不慣れであるため一長一短だと私は思います。以上、”Bills二子玉川”のサービスはすべてにおいてそつがない(逆に印象が薄い)といえますが、私がこの店のリピーターになることはなさそうです。

2016年3月26日 (土)

ベトナムの旅(その8) 陶器の里「バッチャン」(後編)

元来た路地を戻り、さらに先へ歩くと、先ほど見学した工場とは異なるタイプの製品が展示されています。
 
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ガイドさんはその100mほど先にある陶器店「ツイトアン・セラミック」(THUY TOAN'S CERAMICS)へ我々を案内しました。日本語表記の看板が掛けられ、大型バスを停められる駐車場がありますから、日本人団体客を受け入れている店のようです。
 
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まず、お茶のサービスを受けました。
 
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思ったよりも広い店内にはさまざまな陶器類が並んでいます。
 
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同行者が店内を見て回る間、私は水槽内をゆっくり泳ぐ魚を鑑賞することにしました。ハワイの水族館で見た「アジアアロワナ」に似ていますが、体表の色と鰭(ひれ)の形が違います。おそらく、「アジアアロワナ」より値段が安い「シルバーアロワナ」でしょう。
 
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同行者は店内を隈(くま)なく見て回って何点かを選びました。コーヒーマグ、箸置(はしお)き、鍋敷(なべし)きなどです。土産用も含まれているため数量が多く、結構な金額になったようです。それでも同行者は、少し値切った上、オマケの商品(小物)を貰(もら)って満足そう。

 

バッチャンに約1時間の滞在したあとバスが出発しました。車窓から村の様子を見ていると、露店でベトナム名物のライペーパー(BANH DA、バインダー)が売られていました。水で戻して生春巻きの皮として利用する、あるいは焼肉を野菜と一緒に包んで食べるためにも使われるそうです。
 
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元来た道を戻って国道1号線に入ると、見渡す限り果樹畑が広がっていました。中南米原産で南国で人気のあるドラゴンフルーツの木が密集栽培されているのが確認できます。稲作よりも収入が多いため、稲作からの転作が進んでいるそうです。日本でも健康食品として最近人気が出ているようです。
 
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水田では田植え作業が行われていました。ここは日本かと錯覚(さっかく)するほどよく似た光景です。
 
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国道1号線をさらに北方へ進むと100kmほどで中国との国境に至りますが、途中で国道5号線にそれて東方へ向かいました。
 
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右手に鉄道用と思われる鉄橋が見えましたすが、何かが変なのです。
 
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何ということか、橋の両端が途切れているのです。この鉄橋の工事を請け負っていた日本(東北地方)の土木会社が東日本大震災の影響で倒産したため、ハノイとハロン湾を結ぶ鉄道に必要なこの鉄橋は工事が中断したままになっているとガイドさんが説明してくれました。この路線は予算不足のため、全体で工事がストップしているとの噂があるようですから、真偽のほどは分かりません。

 

田植えが終わった水田が広がっています。ハノイを含むこの地域は紅河(ホンハ)デルタ地帯と呼ばれ、南部のメコンデルタに次ぐ米作地帯(二期作)で、野菜・果実・畜産物(豚など)の生産および養殖水産業が盛んなのだそうです。
 
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1時間半走行した後の休憩場所はハイズオン省のハイズオン(Hai Durong)市にある「ABC STOPOVER(途中下車、つまりドライブイン)」でした。海外からの観光客を対象としており、店員の語学力を考慮して、言語別に、中国人、韓国人、日本人+その他の3つに分けられているそうです。
 
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ドライブインといっても、休憩所付きの巨大な土産物売り場といった店舗(てんぽ)です。
 
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店内では縫製作業が行われています。この店はベトナム戦争で米軍が散布した枯葉剤などが原因となった身体障害者などが多数働いていると聞きました。
   
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同行者は広い店内を見て回っている私を探しながら一番奥のエリア(バスの降車場が敷地の奥にあるため、実際は道路側)まで脇目も振らないで来たと、少し不満顏をしています。それには気づかないふりをして、菓子売り場に並ぶクッキーやチョコレートなどの中から、「ロータス(蓮)風味」「蓮の実入り」「蓮根入り」など蓮尽(はすづ)くしの商品を勧めました。もちろん、『ロータスがベトナムの国花であること』 がその理由でしたが、『珍しさもある』 と付け加えることも忘れません。その結果は一石二鳥でした。
 
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ここで投稿を小休止します。
(続く)

 

2016年3月25日 (金)

ベトナムの旅(その7) 陶器の里「バッチャン」(前編)

ハロン湾へ向かうバスは川幅の広いホン川に架かるヴィントゥイー(Vinh Tuy)橋を渡ります。その下流には国道1号線のタイ・チー(Thanh Tri)橋が見えます。
 
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最初のICを出て、国道1号線を横切り、ホン川に沿って続くよく整備された「ハノイ-ハイフォン高速道路」を南下しました。  名前の通り港町のハイフォンまで続いているそうです。
 
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しかし、4-5km走ったところで突然、脇道へそれました。
 
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大型バスは村の中の折れ曲がった路地を巧みに抜けて行きます。
 
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ハノイ市街地から車で約40分の距離にあり、陶器の里と呼ばれる「バッチャン(Bat Trang)村」に到着し、大型バスはこれ以上進入できないと思われる場所に停車。バスを下りて工場が並ぶ狭い路地を100mほど歩いたところに、我われが見学する陶器工場がありました。
 
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ガイドさんの説明によると、地名のバッチャン(Bat Trang)は「陶器がたくさんある」という意味で、住民(約2000人)のほとんどが陶器の製造または販売に従事しており、いずれも自宅に小さな工場を持っているそうです。陶器の原料となる白い土は近くで大きく右にカーブして流れるホー川の左岸にある畑の地中に存在する土を掘り返し出しているとのこと。浅い地層は赤土で、その下に白い土が堆積(たいせき)しているそうです。ちなみに、赤土はレンガ用に使われるそうで

 

陶器を作る技術は600年ほど前にバチャン村の住民が中国へ出かけて学んだ技術を持ち帰り、それが代々子孫に伝えられ、現在に至っているそうです。各家には得意とする製品(皿・壺・花瓶など)があり、製品の裏面にバッチャン村と製造者の名が彫られているそうです。
 
製造方法は主に轆轤(ろくろ)ですが、一輪挿しなど一部の製品は型に水で溶いた白い土(陶土)を流し入れて、型に近い側から固まる性質を利用し、時間を見計らって中味を流すと均一な厚さが出来上がるとのこと。素晴らしいアイディアだと思います。そして、陶器を焼く窯は電気あるいは石炭で加熱しているそうです。
 
後で調べて知ったことですが、日本では室町時代末期から江戸時代にかけてベトナムの陶器が「安南焼き」(日本人の命名)として茶人などによって珍重されたそうです。

 

工場に入ると、最初の部屋の右手で絵付け作業が行われていました。ちなみに。絵付けは天然の色素(植物から採取された赤黄青の3種類、中国で考案された絵付け材料)を使っているそうです。
 
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ベトナムでは縁起が良いとされる蜻蛉(とんぼ)が描かれています。昔の日本でも言われたことですが、『トンボが低く飛ぶと、雨が降る。高く飛ぶと、晴れる』 という諺(ことわざ)があるように、ベトナムの農民たちはトンボが飛ぶ様子を見て、天気を判断したそうです。
 
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焼いたあと竹細工と組み合わせた鍋敷きの完成品です。ちなみに、描かれている菊の花は国花の蓮(はす)の花と並んで縁起が良い花とされるそうです。
 
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手前の筒状のものは一輪挿しを造るための型枠(かたわく)だと説明されました。
 
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これが絵付けした(焼く前の)一輪挿し
 
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花瓶(かびん)の絵付作業
 
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大きな花瓶は小刀で表面を彫って(削って)模様を描く技法も使われていました。
 
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花瓶としてだけではなく、ランプとしても楽しめる趣向(しゅこう)でした。
 
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入口に近いエリアでは機械を使って何やら鉢状のものを量産しています。
 
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積まれているのはビニール袋に入った陶土です。触ってみると肌理(きめ)が細かく、湿っていることが感じ取れました。まるで、パン生地あるいは搗(つ)きたての餅(もち)のようです。
 
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奥の部屋では多数の一輪挿し用型枠が並べられていました。乾燥させるプロセスなのでしょうか。
 
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工場の見学を終えて外へ出ました。赤い土を使った焼いた煉瓦は工場内の壁だけではなく、建物の外壁にも使われています。換気用の窓が付けられていました。
 
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(続く)

2016年3月24日 (木)

ベトナムの旅(その6) 世界遺産の「ハロン湾」へ向けて出発

午前6時にオープンするホテルのカフェテリア「カフェ・プロムナード」で朝食です。
 
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私がまず選んだのは好物であるフォーとオムレツです。
 
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次いで、サラダとフルーツを取りました。
 
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前日にチェックインしたばかりですが、デウー・ホテルを一旦チェックアウト。
 
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午前7時に大型バスに乗車してハノイから東へ約180km(約3時間半)の距離にあるハロン湾へ向けて出発しました。ガイド役は前日世話になった現地係員さんです。
 
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しかしその前に、市街地にあるいくつかのホテルでハロン湾ツアー参加者が合流しました。
 
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ハノイの交通信号は台湾と同様、切り替わるまでの時間がカウントダウンされる仕組みになっています。昔、中国へ出張した時に見て驚いた機能です。その後、個人的に旅行したニュージーランド、ハワイ、台湾、インドネシアでも見かけましたから、各国で普及し始めているのでしょう。調べると、日本でも一部で導入され始めたようです。カウントダウンの表示によって赤信号が変わるまでの時間が分かるため、待つ間に苛々(いらいら)しなくて済みますが、信号グランプリを誘発する恐れがあって、功罪半ばだと思います。
 
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高架橋の橋脚が並んでいます。道路用かと思いましたが、現在建設中の高速鉄道用(ハノイ駅-西方郊外のNhon駅間約12.5km)だとガイドさんが説明してくれました。
 
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旧市街を通過します。
 
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ハノイにおける最重要施設であるホーチミン廟の前を通過する時、見学者の長い行列が確認できました。
 
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レーニン公園にあるレーニン像はベトナムが社会主義国であることを象徴しています。
 
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ベトナム軍の施設前を通過
 
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その近くで見かけたのはその名もARMY HOTEL”。軍が経営するホテルだそうです。
 
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旧市街の雑踏が続きます。
 
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バイクが縦横に走る光景はまるで「スクランブル交差点」のようです。
 
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ホン川(紅河)沿いに伸びる幹線道路(“Au Co “ “Nghi Tam “ “Yen Phu” ” Tran Nhat Duat” ” Tran Quang Khai” ”Tran Khanh Du”と名を変える)の脇にはカラータイルで描かれた多数のモザイク壁画が続いていました。数kmの長さがあるというこのモザイク壁画はギネスブックに登録されているそうです。
 
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拡幅した道路が建設されるようで、更地が長く伸びています。
 
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高速道路と思われる高架道路に入りました。
 
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(続く)

2016年3月23日 (水)

ベトナムの旅(その5) ハノイ滞在初日(後編)

店の男性スタッフが2階の客室へ案内してくれました。
 
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私と同行者はともにハノイ料理をあれこれ楽しめるセットメニュー(1人45万ドン、約2700円)を選びました。そして、ドリンクとして私はハノイビール(6万ドン、約370円)、同行者はジャスミン茶とロータス茶(いずれも3万ドン、約180円)で迷ったうえ、珍しいからと後者を選びました。
   
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ハノイビールはマイルドで味のバランスが良く期待以上でした。同行者に訊(き)くと、ロータス茶はやや癖(くせ)があるものの、飲みやすいお茶だそうです。
 
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まず1品目の「ブンチャー」はベトナムのサラダ麺で、鶏肉が入った米麺スープに各種野菜をトッピングして食べます。スープの酸味が食欲をそそりました。男性スタッフが、『お好みでチリソースを入れても美味しいですよ』 と片言の英語で説明して、小鉢に入れたチリソースとカボスをテーブルに置いてくれました。
 
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2品目は「ベトナム南部風のお好み焼き」です。淡白な味付け(ほとんど味が感じられない)ですから甘辛味のスープをかけて食べました。
 
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3品目は「ジンジャー風味焼き鳥」。塩とカボスを付けて食べるようです。見た目とは違う柔らかな鶏肉は上品な味付けで、意外においしいと思いました。
 
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4品目は「ナスの豚ミンチはさみ、土鍋蒸し」。和食に近い味付の食べやすい料理です。
 
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5品目は蒸した「ごはん」。そして、6品目は「貝のカインチュア(貝の酸っぱいスープ)」で「ごはん」にかけて食べるよう男性スタッフから説明を受けました。見た目においしそうでしたが、カットしたパイナップルとパクチーが入っているため、私には微妙な味でした。同行者も、『パクチーが入っていなければね』 と同意見。そして、それらに続いた「空芯菜(くうしんさい)のニンニク炒め」はサービスのようです。
 
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「季節のフルーツ」はカットした「スイカ」
 
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多彩な料理に十分満足できました。品数が多いため結構なボリュームであり、「ごはん」とサービスで出された「野菜炒め」などを残してしまうことに・・。英語が得意な女性スタッフにタクシーを呼んでもらい、その到着をテラス席で待ちました。
 
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オートバイで大渋滞する大通りを何とかぬけ、15分ほどでホテルへ戻りました。レストランのスタッフが事前に確認してくれたように、料金は8万ドン(約490円)でした。
 
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ホテルの車寄せの脇にある噴水がライトアップされています。ホテルの利用者が多いようで、多数の車が駐車場から溢(あふ)れ出ていました。
 
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(続く)

2016年3月22日 (火)

ベトナムの旅(その4) ハノイ滞在初日(前編)

エントランス左手にある広いロビーでデウー・ホテルにチェックイン。待つ間に確認するとWiFiが利用できました。写真はロビーから一段低くなったパーム・コート・ロビー・ラウンジ(PALM COURT Lobby Lounge)で、屋外プールを望みながら寛(くつろ)ぐことができるスペースになっています。
 
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自室がある16階のエレベーターホールから見た屋外プールとトゥーレイ(Thu Le)湖
 
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最上階の2階下にある16階の自室は、35平米の広さがあり、落ち着いた内装が気に入りました。当然かもしれませんが、自室でも自由にWiFiを利用できることは便利です。
 
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窓から眺望(ちょうぼう)は新旧の街並みが混在していました。注、ガラスがUVカット処理されているようで赤色が遮断されて青みがかっています。廊下の反対側にあるレイクビュー(グランドデラックス)ルームであればさらに美しい景色が楽しめることと思いましたが・・。ちなみに、最上階の18階はスカイラウンジ&バー”LAKE VIEW”、17階はスイートルーム(Royal Suite / Presidential Suiteなど)になっているようです。
 
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夕食までの2時間あまりを自室で休憩するつもりでしたが、同行者はその時間を利用してベトナムの民族衣装であるアオザイを見たいと言い出しました。そこで、現地係員に電話して、お奨(すす)めの店を訊(き)いて出かけることにしました。安全・安心を考えて、ホテルの敷地内に待機していたタクシーを利用することに。車とオートバイが道路にあふれる繁華街(ハノイ駅のすぐ西のエリア)、文廟(孔子廟とも呼ばれる)の向かい側(道路を挟んだ東側)にその店舗はありました。ベトナムのガイドブックにも出ていた”Coco Silk”です。ちなみに、タクシーの料金は5万5千ドン(約340円)。
 
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1階に展示されるはシルク生地(きじ)のモード系製品や装飾品などが中心で、アオザイは螺旋(らせん)階段を上がった2階にあるそうです。そこにはアオザイの既製服とアオザイ用の生地が多数展示されていました。
 
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店員は、『試着して身体に合うように修整することはもちろん、採寸して仕立てることができます』、と言います。『1階奥に工房があり、サイズの調整は短時間でできます』、とも。既製品のアオザイは色目と刺繍(ししゅう)が多彩で目移りしますが、同行者はあれこれ試着して何とか気にいったアオザイを見つけたようです。ちなみに、3階にはバッグ売り場があるとのこと。(写真は1階にある工房)
 
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『胴廻りが緩(ゆる)いようですから、背中側に2か所ある縫い目で各々1-1.5cmずつ詰(つ)め、裄(ゆき)を刺繍にかからない長さだけ短くすればぴったりですよ。今日中にホテルへ届けられます』、という店員さんに向かって同行者は何と、『自分で直します』、と言ったことは店員さんをかなり驚かせたようです。帰り際に1階のショーウインドーを見るとよく似た色調のアオザイが飾られていることに気づきました。余談ですが、まとまった買物をする時には市中で流通しているベトナムのドンあるいは米ドルを使用した方が有利です。ただし、日本人観光客が立ち寄る店であれば円も適正なレートが適用されるようですが、念のためレートに注意する必要があります。
 
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次いで向かった夕食の場所は、デウー・ホテルからそれほど離れていない同じバーディン(Ba Dinh)区の東端、ハノイ駅の北(デンマーク大使館の東)にある「オールド・ハノイ」(Old Hanoi Restaurant)です。ここも現地係員の推薦でした。キムマー(Kim Ma)通りとグエンタイホック(Nguyen Thai Hoc)通りを東へ3kmほど進んだ場所で、タクシーを利用すると料金は7-8万ドン(約430-490円)が相場のようです。好都合なことにアオザイの店”Coco Silk”はそのレストランに近く、タクシーでは1.5万ドン(約90円)の距離でした。チャンフー(Tran Phu)通りから路地に入った「オールド・ハノイ」はその名の通り、ハノイの伝統の味が楽しめるレストランで、トリップアドバイザー(米国の評価サイト)ではハノイのレストラン344軒中16位と高く評価されています。
 
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門の脇に掲げられた写真は、2010年に「オールド・ハノイ」がオープンした時、これを紹介した世界的なシェフである(ミシュランの星を3つのレストランで計7つ持つ)英国人(スコットランド出身)のゴードン・ラムゼイ(Gordon Ramsay)氏でした。
 
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入口に掲げられた看板には”The Art of Vietnamese Cuisine”とあります。
 
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(続く)

2016年3月21日 (月)

ベトナムの旅(その3) ハノイ到着

全日空(ANA)のNH857便は徐々に巡行高度を下げながらベトナムと歴史的な関係が深い(因縁がある)南寧(なんねい)を高度3万4千フィート(1万363m)、真大気速度577マイル/h(900km/h)、対地速度437マイル/h(707km/h)で通過すれば、巡行高度を27500フィート(8229m)に下げてしばらく飛行した後、徐々に高度を下げながら約15分(約180kmの飛行)後には曇天のハノイ・ノイバイ(河内・内拝)国際空港へ向かいます。
 
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着陸するまでの時間を利用して、ベトナムという国を理解するため、その歴史を概観することにします。まず、ベトナムと中国には2000年以上にわたって支配と独立を繰り返した歴史があることを特筆すべきでしょう。紀元前3世紀ころの北部ベトナムにあった独立王国は中国全土を統一した秦(しん)の侵入を許してその支配下に入りましたが、紀元前206年に秦が滅亡すると、紀元前203年には中国・広州市に首都を置き現在の広東省および福建省・湖南省・貴州省・雲南省などの一部(いわゆる嶺南エリア)とともに北部ベトナムを支配する南越国(なんえつこく)が興(おこ)りました。しかし、その南越国は紀元前111年に中国の漢によって滅ぼされてしまいます。

 

それ以来、北部ベトナムは中国の隋王朝と唐王朝に支配されることになりましたが、唐が滅亡すると938年に漢の侵入を排して現在の古螺(ころあ、現在のハノイの北方)にベトナム人の呉朝が興(おこ)ってベトナム北部を支配し、1009年には李朝が中国の北宋から独立を果たし、昇龍(しょうりゅう、現在のハノイ)に首都を置きました。しかし、国の安定を維持するため1177年に南宋の属国となりました。1224年には李氏の外戚が開いた陳朝(ちん)は1400年まで続きました。その後、中国の明に支配されましたが、1428年には後黎朝(こうれいちょう)が興(おこ)り1788年まで続きました。そして、弱体王朝が続いたあとの1802年に最後の王朝である阮朝(げんちょう、首都はベトナム中部にある現在のフエ)が興って1945年まで(1887年以降は58年間フランスの支配下にあった)約140年間も続きました。
 

ちなみに、阮朝の国王が中国の清朝(しんちょう)から「越南国王」の称号を授(さず)けられたことで、それ以降の正式な国名は越南(ベトナム語でベトナムと発音)国となりました。一方、南部ベトナムは強国であったカンボジアの緒王国(扶南国、チャンラ王国、クメール王朝、カンボジア王国)によって1世紀から17世紀まで支配されていましたが、カンボジア王国がシャム(タイ)からの圧迫で弱体化するとベトナム人がこの地域に移動し、実効的に支配するようになり、徐々にベトナム化が進行し、阮朝の支配地は現在のベトナムの領土とほぼ同じになりました。1945年に日本が降伏するとホーチミンが北部ベトナムでベトナム民主共和国(後にベトナム社会主義共和国)の独立を宣言しました。南部ベトナムはフランスの傀儡(かいらい)政権が1955年まで続き、その後はベトナム共和国(通称: 南ベトナム)となりました。このように、ベトナム(特に北部)は中国による支配と中国文化(寺院・漢字など)の影響を強く受けてきた国なのです。

 

ただし、フランスによる植民地化で普及したローマ字表記(クオックグウ)が採用されてから一世紀以上が経過し、独立後にベトナム語の正式な表記法となり、漢字の使用は廃止されたため、現在は中国語あるいは中国文化の研究者以外には使われていないそうです。 

 

着陸する直前、突然視界が開けました。
 

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滑走路にタッチダウンするとフラップを上げて急減速し、
 
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速度が下がるとフラップは戻りました。
 
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右前方に20ほどの掩体壕(えんたいごう、戦闘機用格納庫)が確認できました。ノイバイ国際空港は軍民共用空港なのです。ちなみに、ハノイに司令部を置くベトナム空軍が保有する戦闘機はいずれもロシア(旧ソ連)製で、Su-27(米空軍のF15相当)、Su-30MK2V(ベトナム向け仕様)、Mig-21(旧ソ連の旧型機)など130機あまりのようです。ちなみに、Mig-21は1960年代から1970年代末にかけてのベトナム戦争や中越戦争で活躍したことでも知られる戦闘機です。
 
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全日空NH857便が向かう第2ターミナルには、アシアナ航空機、ベトジェットエアー(ベトナムの格安航空会社)機、マレーシア航空機が駐機しています。日本の円借款(えんしゃっかん)で建設されたこの第2ターミナルは2014年末に国際線専用として運用を開始し、現在約30の航空会社が乗り入れているそうです。ちなみに、第1空港ターミナルビルは国内線専用となっているとのこと。
 
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第2ターミナルの41番ゲートに到着。満員の乗客が少なくなるまで待って機外へ出ました。ちなみに、約3690kmのフライト中は離陸時と着陸時の短時間を除いて偏西風の影響をあまり受けず、シートベルトサインが出ることもなく(終始安定しており)、予定された時間よりも15分早い12時55分(正味飛行時間は5時間40分)でした。
 
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搭乗橋(ボーディング・ブリッジ)を渡ります。
 
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そこから見た第2ターミナルの外観
 
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イミグレーション(
入国審査)は順調でしたが、預けた荷物の2つ目が「待てど暮らせど」出てこないのです。回転台(baggage carousel)に荷物が無くなったことで、空港のスタッフに尋(たず)ねると、機内持ち込みができる私たちの小さいスーツケースが検査対象になったと言うのです。お土産を持ち帰るために携行したスーツケースには、羽田空港まで着ていたコートなどの衣類が数点と折りたたみ傘が2本入っているだけで、あまりにも軽いことで怪(あや)しまれたのかもしれません。1つ目のスーツケースが出てから10分ほど待たされることになりました。
 
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出迎えてくれた現地係員の案内でタクシー乗り場を通過し、ノイバイ国際空港の第2ターミナル東端にあるバス乗り場に移動しました。
 
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ゴルフカートのようなこの乗合タクシーでハノイ市内へ移動するのかと心配しましたが、他の旅客とともにマイクロバスに乗れることになりました。
 
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国道2号を南下して国道5号とのジャンクションを通過
 
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ハノイの象徴的な存在(河内の由来)であるホン川(別名: 紅河/ホンハ/こうが、ソンコイ)を渡ります。
 
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地名の「城舖河内」(中央直轄市ハノイ)はホン川(中国名: 紅河)とトーリック川(同じく蘇瀝江)とに囲まれていたことに由来し、現在のホアンキエム・バーディン・ドンダー・ハイバーチュンの4区にほぼ相当します。ちなみに、11世紀初めに中国から独立を果たした時の首都名である昇龍(タンロン)の名で呼ばれることもあるそうです。 

 

このホン川は、中国南部の雲南省大理(ターリー)付近に源を発し、ベトナム北部を南東方向に流れ、ハノイを経てハロン湾に近いバクボ(北部、旧名は東京/トンキン)湾に注いでいますが、日本より少し早い紀元前4世紀頃から紀元1世紀頃にかけて、この流域に東南アジア初期の金属器(青銅器)文化であるドンソン(東山)文化が繁栄したそうです。ちなみに、トンキン湾はベトナム戦争初期にトンキン(東京)湾事件が勃発(ぼっぱつ)した場所で、米軍による捏造(ねつぞう)であったことが後日判明しました。
 

ハノイの市街地が近付くと建設中の高層マンションが目立ちます。
 
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市街地に入ったようです。
 
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交差点で信号待ちをするバイクの群れを見て22年前に訪れたホーチミン市(城舗胡志明)の様子を思い出しました。当時のハノイは、自動車はもちろん、バイクも数えることができるほど少なかったのですが・・。ちなみに、ハノイにおける現在の人口は約700万人とのこと。
  
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キムマー(Kim Ma)通りとグエンチタン(Nguyen Chi Thanh)通りの交差点角に超高層ビルがありました。”LOTTE CENTER HANOI”と表示されていますから、最近話題になっている韓国のロッテグループが所有するビルのようです。
 
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マイクロバスはその向かい側にある建物へ向かいました。
 
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ホテル「DAEWOO(デウー)」に到着。空港から約40分の距離でした。午後2時半過ぎにチェックイン。このホテルはヒルトン・ハノイ・オペラ、JWマリオット、ニッコー・ハノイなどと並ぶ5つ星で、旧市街(ホアンキエム区)、あるいはその西にあるハノイ駅やホーチミン廟のさらに西方であるバーディン区の中心部、トゥーレイ湖畔に位置しています。利点としてはハノイの北方にあるノイバイ国際空港からのアクセスが良いことが挙げられます。ホテル内にはハノイ最大の屋外プール/フィットネスジム/日本料理店「江戸」があります。ちなみに、名前から分かるように韓国資本(大宇グループ)のホテルです。
 
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余談になりますが、22年前にハノイを訪れた時、1990年ころから韓国資本がベトナムへ積極的に経済進出している状況を把握(はあく)したことを思い出しました。ちなみに、ベトナムへの投資額では現在も韓国が1位(シェアは25%強)、ついでシンガポール(20%強)、中国、日本、ロシアの順のようです。(続く)

 

2016年3月20日 (日)

ベトナムの旅(その2) ハノイへ向けて出発

午前8時30分に搭乗が始まりました。
 
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乗客でほぼ満席となった全日空(ANA)のNH857便は定刻の午前8時55分に国際線ターミナルを離れ、小雨が降り始めた2-3分後にエプロンから誘導路へ向かいました。この日の早朝、テレビのニュースで中継された羽田空港はあいにく小雨が降っていましたが、空港に到着した時には、雨はいったん上がっていたのですが。ちなみに、機体はボーイング787-8型機(全長56.7m、全幅60.1m、全高16.9m、航続距離4890km、座席数335)。
 
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エアカーゴターミナルにはOCS(ANAグループの航空貨物運送会社)のロゴが描かれた全日空の貨物専用機(ANA Cargo) とタイ航空の貨物専用
機が駐機しています。
   
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前方にA滑走路が見えて来ました。
 
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全日空機がA滑走路へ着陸します。
 
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橋の先にD滑走路が現れました。
 
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その15分後にはわずかな待ち時間でD滑走路(長さ3120m、埋め立て地+桟橋で構成)から離陸しました。九州旅行をした時と同じ滑走路です。主滑走路に入る前に撮影した写真に写る対岸は東京湾アクアラインの入口(浮島換気塔)です。
 
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小雨が降る悪天候のため上昇する時は機体が少し揺れましたが、低い雨雲の上に出ると青空が広がっていました。
 
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機体の揺れも収まり、スムーズに巡行高度まで上昇。このまま、6時間強のフライトが穏やかであることを願いました。離陸後30分が経過して名古屋上空に差し掛かっても、約45分後に大阪の上空を通過する時も眼下に雲海は続いていました。
 
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そして、離陸1時間後、高度4万フィート(1万2192m)、機首方位251度、向い風124マイル/h(190km/h)、真大気速度568マイル/h(913km/h)、対地速度444マイル/h(707km/h)、外気温-50度で瀬戸内海に差し掛かるころになって雲海に切れ間が現れ、まだら模様になりはじめました。そして、九州北部の上空では地上が確認できるようになりました。
 
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1時間半後には昼食がサービスされました。私は「タンドリーチキン」と「白ワイン」を、同行者は「釜飯」を選びました。同行者はさっそくサラダを完食。いずれもしっかりした味付けでおいしく食べましたが、朝食からわずかしか時間が経過していませんから、少し残してしまいました。ごめんなさい。
 
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2時間半後には中国・上海(しゃんはい)と杭州(こうしゅう)付近、そして4時間15分後に成長した雲海の上部をかすめながら広州(こうしゅう)の上空を通過。地平線がわずかに湾曲(わんきょく)して見えます。
 
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(続く)

2016年3月19日 (土)

ベトナムの旅(その1) 東京国際空港(羽田空港)

最近、何かと注目され、話題になることが多いベトナムへ出かけることにしました。22年前(1994年)に商用でハノイとホーチミンシティを訪れて以来です。今回は駆け足旅行が嫌いな同行者の希望を入れてハノイとその周辺に留めることにしました。

 

ベトナムの名前を聞いたのは小学生(低学年)のころでした。昭和30年(1955年)前後に民放ラジオで子供向けに放送されたラジオ劇「風雲黒潮丸」の主題歌で歌われた、♪♪黒潮騒ぐ海越えて、風にはためく三角帆、目指すは遠い夢の国、呂宋(るそん)、安南(あんなん)、柬埔寨(かんぼじあ)、はるか和蘭陀(おらんだ)、伊斯巴尼亜(いすぱにあ)、面舵(おもかじ)いっぱい、オオオ オ オオ~♪♪に登場する「安南」が今のベトナムだったのです。その名前は唐代の安南都護府に由来し、遣唐使で唐の高官に登用された阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)が地方長官である安南節度使を務めた場所なのです。もちろん、これは何年もあとになって知ったことでしたが・・。ちなみに、「呂宋」は現在のフィリピン、「伊斯巴尼亜」はスペインです。

 

ラジオ劇の題名と主題歌だけを覚えていた私は「風雲黒潮丸」のことを知りたくなってネットで調べると、60年以上も前のラジオ劇の概要が分かりました。『関が原の合戦に惜敗した豊臣方のキリシタン大名(武将)小西行長の一子・夢若丸が、仲間とともに徳川方の迫害を逃れて軍船黒潮丸を建造、世界の海に雄飛しようとする姿を描いたもの』で、1953年(昭和28年)に民放ラジオで放送され、1956年(昭和31年)に映画化、ついで1961年(昭和36年)にはテレビドラマ化されていることを知りました。当時の私は民放のラジオ劇「赤胴鈴之助」をはじめ、NHK第一放送の新諸国物語シリーズ「笛吹童子」「紅孔雀」「オテナの塔」などのラジオ劇に夢中だったことを今も覚えています。

 

その後は、高校・大学時代から社会人になっても続いたベトナム戦争(1960-1975年)、1990年ころにニューヨークのブロードウェイで家族と観たミュージカル「ミス・サイゴン」、そして1994年に商用でハノイとホーチミンシティ(旧サイゴン)を訪れたことで強く印象に残る国なのです。前置きはここまでにして本題に入ります。

 

                           ☆

 

3月11日(金)の早朝、空港バスで東京国際空港(羽田空港)の国際線ターミナル(1階)に到着しました。ベトナム行きのフライトが出発する2時間15分前で、エスカレーターを利用して3階にある全日空のカウンター(E:ビジネスクラス、D:エコノミークラス)へ向かい、直ちにチェックインしました。事前に座席予約をしていたことにより、パスポートを提示するだけで、預け入れ荷物の受け入れとボーディングパスの発券をしてくれました。ちなみに、預け入れ荷物(2つ)の合計重量は22kgと軽量。
 
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ショップで電源プラグアダプター(CタイプとSEタイプの組み合わせ、831円)を購入しました。ベトナムは多くのヨーロッパ諸国と同じCタイプであり、クロアチアやインドネシアを旅行した時に使ったものがあるはずですが、なぜか旅行用品のなかに見つからなかったのです。

 

イミグレグレーション(出国手続き)カウンターを抜けて144番ゲートへ向かいました。
 
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 エプロンに駐機しているのは全日空機、韓国のアシアナ航空機、日本航空機です。
 
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その途中、113番ゲート付近にあったみずほ銀行の窓口で両替をしようとしましたが、ベトナムのドンは扱っていないとのこと。教えられたSBJ銀行(韓国資本)がある112番ゲート付近まで戻ることになりました。ちなみに、ドン/円の為替レートは0.0061(つまり1円=164ドン)でした。
 
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114番ゲート付近で同行者が「ALL DAY AIR DINING TOKYO SKY KITCHEN」を見つけました。そこの”BAR RAGE(バー・レイジ)で購入した「スモークサーモンの和風シーザーサンド」(734円)”TRUE SOUP(トゥルースープ)の「シーフードビスク(エビやカニを裏ごししたスープ)」(750円)を二人でシェア。いずれもおいしく、軽い朝食にぴったりでした。ちなみに、カップに表示された”Chowder’s”は同店の旧名のようです。
 
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8:55発全日空NH857便の搭乗ゲートは144番で間違いなさそうです。この表示盤でハノイ(HANOI)は中国語で河内と表記することを知りました。
 
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長い通路が行き当たりT字型に左右に通路が続いています。
 
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T字路を曲がった場所から見た国際線ターミナルの外観
 
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T字の先端部に駐機している広州行き中国東方航空、ロンドン行き英国航空、ソウル行き日本航空機を眺めて歩きました。
 
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144番ゲートがある階下(2階)へ下ります。
 
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全日空NH857便は荷物の積み込み作業中
 
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(続く)

2016年3月17日 (木)

携帯電話産業は斜陽産業化するのか?

日常生活に欠かせないもの、つまりコモディティー化した携帯電話は曲がり角に差し掛かっているようです。契約件数は1億5000万を超えて1人当たりの携帯電話が1台から2台へと増加する状況が進展しています。まさに順風満帆(じゅんぷうまんぱん)に見える状況ですが、携帯電話業界(キャリアである携帯電話会社と携帯電話端末のメーカー)は厳しい環境に包まれつつあるようです。どういうことでしょうか? 携帯電話は日常生活に必要不可欠な存在ですが、過去のように黙っていても客が殺到する特別な存在(産業)ではなくなっているのです。

 

携帯電話会社(キャリア)の動向を見ると経営の多角化が目立ちます。電力の自由化に対応したセット販売、物品の通販、保険・住宅ローンの取り扱いなどによる顧客の囲い込み戦略が目立ち始めたのです。厳しい市場環境にある家電量販店の動きに追従するようにも見えます。なぜでしょう。それは明らかです。携帯電話サービスに付加価値が増えなくなったことで、消費者は携帯電話の料金に厳しくなりつつあり、慎重な姿勢に転じつつあるのです。

 

さらに、政府は携帯電話会社が実施している新規端末の実質無料化が「不公正な料金体制の元凶(げんきょう)である」として携帯電話各社に見直しを指導しました。電波免許を通じて絶大な影響力を持つ政府(総務省)の意向に逆らうのは得策ではないと考えた携帯電話各社は横並びで新しい料金体系、つまり利用量(特にデータ)が少ない利用者向けに安い料金メニューを順次実施すると発表しました。一見望ましい動き(朗報)と思われますが、データ通信(つまりインターネット)を利用することが少ない加入者は比較的少数であり(この恩恵を受ける加入者は限られ)、新しい料金メニューに移行する加入者は限定的と思われます。

 

一方、機種変更に積極的であった加入者が新しい端末に切り替えることに慎重になったことで、携帯電話産業(特に携帯電話端末を製造するメーカー)に大きな打撃を与え始めたのです。そして、携帯電話会社は政府の指導を逆手に取る戦略、つまり新規端末の実質無料化のために携帯電話販売店に支払っていた販売奨励金(しょうれいきん)を減らすことで収益(つまり増益)を確保することを考えたのです。これにより、携帯電話会社には利益を増大させるチャンスとなるのに対して、大多数の加入者にはさしたる恩恵がないどころか、新規端末に切り替える(機種変更する)上でのハードルが高くなったのです。

 

所有する端末が寿命を迎えるまで利用し続けることはエコの観点からは確かに望ましいのですが、携帯電話業界・関連業界と利用者にとって望ましいことかどうかは疑問です。経済成長が必要な日本にとっても同様です。この影響は携帯電話端末を製造・販売する企業にとっては死活問題です。ちなみに、日本における新規端末の販売台数は買い替えサイクルの長期化により、この数年減り続けており(2015年は約3500万台、スマホの比率は約77%)、シェアはアップル社が40%強と突出し、複数の国内メーカーの合計が50%強、その他海外メーカーは1%以下(皆無に近い)なのです。特に携帯電話会社によって優遇(端末価格が高額であるため高額な販売奨励金を提供)されているアップル社製品に圧倒された国内メーカーには恵みの雨(実際は焼け石に水)かもしれません。

 

参考までに、キャリア別のシェア(2015年6月現在)を紹介します。トップのNTTドコモが約43%(前年比1ポイント増)、2位のau(KDDI)は28.8%(前年比0.5ポイント増)、3位のソフトバンクは約28%(前年比1.3ポイント減)、MVNO(仮想移動体通信事業者)は約7%(1.2ポイント増)とシェア争いは一段落しています。

 

2016年のポイントは低料金メニューからいわゆる「2年縛(しば)り」へと移ると思われます。解約がしやすくなることから、昨年始まったSIMロックフリー(携帯電話会社を問わない端末)の義務化とともに、携帯電話会社間を移動することが容易になります。携帯電話端末を携帯電話会社が販売する日本独自の携帯事情から、携帯電話端末と携帯電話サービスの分業へと抜本的な転換が生まれるかどうかが注目されます。ただし、国内の携帯電話会社に依存して成長した(ガラパゴス携帯電話端末を作り上げた)日本の携帯電話端末メーカーには国内市場しか残されておらず、不調が伝えられる韓国のサムスンに先行する形で、その斜陽化はもはや避けられない状況にあるのです。

 

このままの状況が続くと、携帯電話会社の寡占化(かせんか)は維持され(つまり電力会社と同様に高コスト体質になり)、一方携帯電話端末についてはわが家の固定電話と同様に、日本メーカーのブランドでありながら中国製(Made in China )になることも考えられます。政府が電波と通信サービスを監督するからといっても、ビジネス感覚のない政府が主導する産業政策や政府が民間による通信サービスの料金に干渉することは、良い結果が得られることにつながるはと思われません。政府はあくまでも企業間の質的な競争を促進することが求められていると考えます。

 

事実、2012年から2015年にかけて買い替えサイクルの長期化によって18%強も減少してきた携帯電話端末の出荷台数(フィーチャーフォンはほぼ半減、スマホは10%弱の減少)の傾向に今回の「新規端末の実質無料化見直し」による買い替え需要の減少が加わり、今年に入って携帯電話端末の販売量が顕著に減少し始めています。携帯電話サービスはサービスが多様化することでこれからも加入者数が増加し続けると考えられますが、携帯電話の普及と人口減少によって加入者数が減少している固定電話(その内訳は従来タイプがピーク時の半分近くに減少し、残りの半分弱がIP電話)と同様に、将来は人口減少の速度が速まれば携帯電話会社(キャリア)も衰退産業になる可能性は否定できません。

 

                          ☆

 

以下は本題からそれますが、他の業界についても概観してみます。保護政策が主導された農業と救済型の企業再編が行われた半導体製造業は国際競争力を低下させ、タクシー業界のように需要を無視した誤った量的規制緩和(タクシーの台数が急増)が業界を疲弊(ひへい)させることになったことはすでに実証済みのことです。一方、土木、建設、運送、資材、内装・電気工事など政府が衰退産業に指定していた内需型産業の多くが、公共事業による需要が急増したことで、逆に需要を消化しきれないほどの好調さを呈(てい)しています。

 

また、原子力発電がなければ日本経済は成り立たないと喧伝(けんでん)する人たち(主に電力業界と御用学者)が多く、政府も休止している原子力発電所の再稼働に積極的ですが、この数年間にわたって電力需要のピークに問題なく対応できており、原油価格も当面安値水準が続くと見られます。事実、日本の総発電量(総電力需要)はエネルギー利用の効率化と節電意識の高まりで2007年をピークに年々減少しているのです。日本の電力会社が原子力発電に拘(こだわ)っているのは、既存の原子力発電所(米仏に次いで世界3位の数を誇る)による直接的な発電コストが他の発電方法に比べて安い(経済産業省の試算)からであり、事故や災害が発生した場合には政府が対応してくれる(自己負担は少ない)との期待もあるからなのです。

 

日本のこの考えに対して、米国のシンクタンクは2014年に「原子力発電コストは世界平均において1キロワット時当たり平均14セント(約15円)」で、太陽光発電とほぼ同レベルであり、陸上風力発電や高効率天然ガス発電の8.3セント(約9円)よりもかなり高コスト」であるとの試算を出しています。また、米国のエネルギー省もほぼ同様の試算を発表しています。事実、海外(特に欧州)では原子力による発電量を風力発電が凌駕(りょうが)し、原子力発電に拘(こだわ)っている国は原子力発電所の輸出に積極的なフランス・ロシア・、韓国、および電力需要が急増する中国、そして、すでに保有する大量の老朽(ろうきゅう)化した原子力発電所の運転期間延長(60年またはそれ以上へ)を進めるアメリカに限られるようです。 

 

原子力発電の比率が80%弱と突出して世界一高いフランス(日本は25%弱、ただし現在は大半が休止中で0%に近い)は、日本と同様にエネルギー資源が乏しいことで原子力発電に依存してきましたが、EUの方針にしたがって太陽光・風力などの再生可能エネルギーによる発電を増やし、原子力発電の比率を50%まで下げる方針を2010年に打ち出しました。他国に先行して原子力発電を全廃する方針を打ち出したドイツに対して、『フランスの原子力発電所で発電された電力を購入している』、と非難する意見がありましたが、これは電力の安定供給を維持するため欧州諸国が相互に電力を供給し合っているからなのです。実は、ドイツがフランスへ供給している電力量はフランスがドイツに供給している電力量よりも圧倒的に多いのです。ですから、上記の指摘は原子力発電を擁護(ようご)したい人の恣意的(しいてき)なものと思われます。

 

つまり、業界の立場に副(そ)った政府の産業政策が長中期的な国内需要の変化に対応できていないこと、いまだには蔓延(はびこ)る官製談合の存在、さらには労働力のミスマッチによる人手不足が、日本経済の供給能力を落ち込ませたことなどの事実に留意する必要があります。

 

                           ☆ 

2016_03180002今回紹介する草花はサクラソウ科サクラソウ属の園芸植物(一年草)「プリムラ・ジュリアンアリー」です。「プリムラ・ジュリアン」とは、ヨーロッパ原産で大輪の「プリムラ・ポリアンサ」とコーカサス原産の矮性種「プリムラ・ジュリエ」を交配させた小形プリムラです。花色も豊富で、黄・赤・赤紫・ピンク・橙・青・白・黄・複色などがあるそうですから、丸形のプランターなどに色彩を工夫(カラーコーディネーション)して寄せ植えすると楽しいと思います。
 
「プリムラ・ジュリアンアリー」は晩秋(11月)から春先(3月)までビビッドカラー(鮮やかな原色)の花が元気に咲きます。ちなみに、花言葉は永続する愛情・青春の喜びと悲しみ・若き日の躍動と輝き・運命を開く・快活。

2016年3月15日 (火)

人はなぜ「美しいもの」に惹(ひ)かれるのか?

古くから論議されたテーマです。ということは、今も決定的な答えがない問いであることの証左(しょうさ)かもしれません。これまであれこれ論議されたことを私なりにまとめてみたいと思います。

 

まず、「美しい」とはどういうことを指すのでしょうか? 辞書を引くと最初に出てくる説明は、『色・形・音などの調和がとれていて快く感じられるさま』、ついで、『人の心や態度の好ましく理想的であるさま』、『りっぱである。見事だ』、と続きます。『好ましく理想的』や『立派(りっぱ)である。見事(みごと)だ』は抽象的な説明ですから、まず一番目の説明にそって考えてみましょう。

 

「調和がとれている」とは要するに「バランスがよい」「まとまっている」ことであり、「際(きわ)だった特徴がない」ことでもあります。「快(こころよ)く」は、「気持ちよく」「病気の辛(つら)さがない」、つまり「不愉快(ふゆかい)さを感じない」ことのようです。

 

「好ましい」は「感覚的に好き」「感じがいい」「そうあってほしい」を、「理想的」は「人が心に描き求める性質を持った」を意味します。さらに、「立派(りっぱ)」と「見事(みごと)」は「見た目や内容が優(すぐ)れている」ことです。

 

「美しい」とはこのように幅広い意味があるのです。長々と説明したのは、言葉遊びが目的ではなく、人が「美しい」と感じる要素・理由を再確認するためでした。

 

それでは「美しい」とされる対象を考えてみましょう。まず思い浮かぶのは絵画や彫刻などの「美術品」ですが、「音楽や文学」「自然が生み出した景観」「草花・花木」「宝石」など。そして、「人間」(特に異性)を忘れてはいけないでしょう。また、人によっては「建造物」あるいは自動車・アイフォーンなど「工業製品のデザイン」も「美しいもの」の対象になるかもしれません。

 

ここでは、これらの中で一番漠然(ばくぜん)としていて捉(とら)えどころのない「人間(異性)」について、「美しさ」をさらに掘り下げたいと思います。ところで、人はどんな異性を美しいと思うのでしょうか。誰しもが「美人(美女)あるいは美男(ハンサム、イケメン)」だと認める人がいる一方で、人によって異なる判断基準があるようにも思われます。多くの人が「美しい」と感じる人物は俳優や女優・ファッションモデル・テレビタレントなどに多いようです。というよりも、多くの人に「美しい」(魅力的)と見られる人が芸能人として選ばれているのです。

 

「美しさ」で一番注目されるのは容姿(特に顔立ち)です。人は外部情報の80%を視覚によって得ていると言われるように、まず見た目で相手が好ましいかどうかを判断するのです。つまり、顔立ちが整っていれば(目鼻や口のバランスがよく左右対称であれば)、美しいと判断するようです。そして、表情や仕草(しぐさ)・言葉遣(づか)いも顔立ちから得た印象を裏打ち、あるいは軽減(好印象を減らす)こともありそうです。しかし、これらは本人が生来(せいらい)持っているものばかりではなく、後天的に(時には訓練によって)身につけたもの(演技)がありますから、その人物をそのまま表しているとは限りませんが・・。

 

芸能人は、客の関心(かんしん)を盛り上げるための演出が施された商品展示と同様、本人の実力以上に魅力を発揮することが求められる職業であり、夢を売るために魅力を最大化された存在と言えます。近松門左衛門の「虚実皮膜論(きょじつひまくろん)」(芸における真実は芸術的虚構と事実との間の微妙なところにある)にも通じる手法(演出)と言っても差し支えないでしょう。100年単位で過去を振り返ってみると分かりますが、美男と美女は時代とともにすこしずつ変わってきました。そして、時代とともに変化する美男・美女の基準がその時の人々に影響してその判断基準を後天的に作り上げるのです。

 

それでは、一般の人の場合はどうでしょうか。人間の特性として視覚情報が第一印象として支配的になることは上記した芸能人と同様です。しかも、第一印象は数秒から2分ほどで決まって、そのあとはほとんど変わらないそうです。「容姿が美しい人は内面も美しいだろう」との短絡的な思考様式が人にあるため、容姿は第一印象において重要な役割を果たしますが、それ以上に大きく影響するのが表情(目・口の動き)と話し方で、さらには服装なども無視できない要因になるそうです。

 

美男・美女の判断は、上述したようにその時代の基準が支配的ですが、各人が成人になるまでに「好印象を持った人」や「自分に優しくしてくれた人」(両親などを含む)などの容姿(特徴)を「美しい」と感じることもあると思います。また、逆のことも同様でしょう。これにより、各人に固有な「好み」が生まれて、美しさの判断において極端な偏(かたよ)りが生じることはなく、社会に混乱を起こさないための安全装置が働いて、つまり社会のバランスが保たれるのです。

 

ただし、異性に対する第一印象は男性と女性では少し異なるとも言われます。男性の場合は「まず容姿の美しさ(健康な身体と優しい性格を含む)に注目しますが、潜在意識では「健康な子供を産んでくれるかどうかを判断」し、女性は「遺伝子レベルでの相性を直感的に感じ取る」とする説があるそうです。いずれも、論理的な判断と言うよりも、直感的な判断と言えます。

 

第一印象の良否にかかわらず、相手についての判断(評価)は時間とともに変わることもあります。それは、容姿の重要さが徐々に低下する一方、性格・考え方など精神的な側面の比重が大きくなるからです。そして、「美しさ」の判断基準もこれに応じて容姿から「好ましい」「立派である」「信頼できる」ことへと移って行くのです。もしも、この移行がスムーズでないとその人にジレンマが生じます。「容姿の美しさを選ぶのか」「精神的な相性の良さを選ぶのか」、言いかえれば「頭で判断する」か「心で感じる」かの二者択一を迫られるのです。ちなみに、前者の考えには「美しい恋人」をもつことで自尊心を満たしたいとの意識が含まれているのかもしれません。

 

このようなジレンマを持つ傾向のある人は、不幸なことですが、何度も同じ苦しみに遭遇(そうぐう)する可能性が高いと考えられます。それは、どちらを選んでも充足感(じゅうそくかん)が得られないため、繰り返し同じジレンマに陥ることになるからなのです。つまり、自己防衛本能が正常に機能していない人であるといえるのです。

 

以上の考察から導き出したやや唐突な結論で本稿を締めくくります。人が「美しい」異性に惹(ひ)かれるのは人が持つ「自己防衛本能」と「子孫を残そうとする本能」によるものであり、さらには「信頼できる相手を求める気持ち」が働くからであると私は考えています。つまり、「美しさに惹かれる」ことは健全な精神反射(条件反射)であると思うのです。

 
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今回紹介する花は東洋蘭(らん)の一種です。これは同居者が知人から譲(ゆず)り受けた草花のひとつで、株分けによって何鉢にも増えています。ちなみに、その名前は不明です。
 

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美しい花を咲かせる蘭は世界中で人気がありますが、大きく分けて洋ランと東洋ランがあるそうです。熱帯などで自生する蘭が西洋で交配によって品種改良されたものが洋ランで、中国や日本など東洋の国々で偶然見つかった変種を栽培したものが東洋ランと呼ばれます。日本では洋ランと東洋ランのほかに、日本で品種改良された新品種も生まれているようです。ちなみに、蘭(らん)は中国語の漢字と発音がそのまま日本でも使われています。また、英語では“orchid”(オーキッド)です。その語源はギリシャ語の”orchis”(睾丸、こうがん)、茎自身が肥大化して球状になった球茎(きゅうけい)の形に由来するそうです。

 

洋ランの女王は中央・南アメリカに自生する(木の幹や岩肌に張り付いて育つ)着生ランの「カトレア」であり、東洋ランの女王はなんといっても地生(地中に根を伸ばす)ランの「胡蝶蘭(こちょうらん)」でしょう。いずれも、美しく豪華(ゴージャス)です。また、洋ランでは南アジアをはじめ世界中で自生する着生ランである「デンドロビウム」も人気があるようです。

2016年3月12日 (土)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(最終回) 「SL列車かわね路2号」

「SLかわね路2号」の到着待ちました。時刻表によれば午後3時31分に川根温泉笹間渡駅を出ますから、10分ほど前までは湯冷(ゆざ)めしないように駐車場に停めた車で待機しました。デジカメで撮影するイメージが出来上がったころ、「川根温泉 ふれあいコテージ」の方から汽笛が聞こえ、まもなく煙が立ち上るのが見えました。
 
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蒸気機関車が「大井川第一橋梁」(鉄道橋)に差し掛かりました。
 
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次いで、接続された客車も姿を現しました。
 
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大井川の河原から見上げるアングルの方が迫力ある写真になりそうですが、先ずは確実に撮影できるアングルに止(とど)めました。
 
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午前中から時折降っていた雨もすっかり止(や)んでくれました。
 
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先を急ぐため、家山駅付近で国道473号に入り、新東名高速道路の島田金谷ICを通過した大代ICで国道1号(島田掛川バイパス)に入りました。そして、新大井川橋を渡ります。
 
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前日の往路で利用した向谷(むくや)ICを通過
 
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切通し区間に差し掛かります。
 
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藤枝市と静岡市の中心部を順調に通過して、薄暮になる午後5時ころには静岡市清水区蒲原と富士市の工場地帯を通過しました。
 
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往路と同じルートを逆に辿(ど)たって長泉沼津ICから新東名に入り、午後7時ころに東名高速道路の海老名SAに到着。2階にある「エクスパーサ海老名」(フードコート)で夕食です。私はなぜか急に食べたくなった「箱根山の暁そば」の「カレーうどん」(730円)を選びました。しかし、カレーの味が私が期待した「いわゆる蕎麦屋のもの」ではないように感じられて、同じ店ならば「海老天ざるせいろ蕎麦」(980円)にすれば良かったと・・。
 
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他の店を見て歩いていた同行者は長い行列ができていた「らーめん たいざん」の「えびしおらーめん」(880円)をうれしそうにトレーに載せて運んできました。味見をさせてもらうと、海老の風味が効(き)いていなが、さっぱりした塩ラーメンでした。今回のメニュー選びは私の完敗です。
 
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1階に降りた同行者はButter POPCORN”(バターポップコーン)」の店を見つけました。昨年秋、東京・赤坂の「スイーツデザインラボ」が高速道路では初めてオープンした店です。『油を使わず空気だけでエアポップしたポップコーンに高級発酵バターを贅沢(ぜいたく)に使用している』ことがこの店の売りとのこと。
 
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午後8時ころに帰宅できました。ちなみに、走行距離は507.6km、平均燃費は23.6kmです。高速道路、一般国道・県道、山道を組み合わせたコースを往復した割にはまずまずの燃費でした。山道でパワーモードを適宜(てきぎ)使用したことが良かったようです。急な上り坂でにおいては、エコノミーモードではアクセルを深く踏み込む必要がありますが、パワーモードに切り替えるとアクセルを軽く踏むだけで良いのです。後者の利点はアクセル操作が簡単であることであり、私のハイブリッド車ではパワートレイン(動力伝達装置)の構造上、両モード間に燃費の差はほとんどないそうです。

 

<同行者のコメント> 高速道路を途中で出て普通の道を走ったかと思えば、新金谷駅と千頭駅の間を列車と車で計2往復するなど、いつものように何を考えているのかさっぱり分からない旦那様です。でも、それはそれで楽しいものでしたが・・。そして、寸又峡温泉のペンションは雰囲気が良く快適でした。期待した「夢の吊り橋」は楽しく渡れましたが、雨が降る中、何もダムに寄らなくても・・。(終)

2016年3月11日 (金)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その21) 「川根温泉 ふれあいの泉」

県道77号をさらに南下して「塩郷の吊り橋」の下を通過
 
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すぐ先に「塩郷の吊橋」用の駐車場があります。同行者に、『この吊橋も渡りたい? それとも、この先の温泉へ行く?』、と訊(きく)くと、『温泉!』という返事が即座に戻ってきました。雨を気にしたのかもしれません。
 
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5kmほど先にある「川根温泉」を目指すことにしました。地名(じな)トンネルを抜けたところで、県道63号に入り2kmほど走り、川根温泉笹間渡駅のすぐ先にある「川根温泉 ふれあいの泉」へ午後1時少し前に到着。広い駐車場(無料)に車を停めました。ちなみに、左手の建物は「道の駅 川根温泉」です。
 
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予定より到着時間が遅れたため、温泉(入湯料大人510円)を楽しむ前に昼食を摂(と)ることにしました。ちなみに、温泉の他にプール(利用料710円、温泉との共通利用1020円)です。
 
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広間と食道を兼ねた「萌(もえぎ)」
 
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私は「ミニかつ丼」(400円)と「川根いなり」(180円)を、同行者は海鮮丼に山芋とオクラの入った「祭り丼」(780円)を選びました。実は、山歩きで冷えた身体を暖めるために欲しかった暖かい「おでん五種盛り」(370円)は残念なことに売り切れでした。
 

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広間を出ると長く伸びたロビーの外に石庭がありました。
 
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温泉の浴場へ向かいます。
 
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暖簾(のれん)の手前にある休憩所「楓・桜」
 
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くの字型に折れ曲がった長い廊下の壁面には大井川と棚田(茶畑)などの写真パネルが掛けられていました。
 
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「川根温泉施設案内図」には「ふれあいの泉」と「ふれあいコテージ」(宿泊施設)から「SLかわね路号」を見られることが図解されています。
 
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長い廊下の先にある浴場の入口
 
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「ふれあいの泉」は天然温泉で、『泉質はナトリウム-塩化物温泉、塩化物泉(pH7.8)、泉温は48.7度、完全永されています。放流式、加水なし、加温あり、1日に1回新湯と入れ替え』、と説明されています。
 
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「川根温泉の成り立ち」には温泉母岩(地層)の形成される過程、および古海水と地下深部からの熱水が混ざり合って割れ目から湧き出すのが温泉となっていると説明されています。大井川は糸魚川静岡構造線(フォッサマグナの西辺)の安部川流域に近いためでしょう。
 
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脱衣所と浴場は建物の外観から想像したよりも小さめでしたが、露天風呂は岩風呂が3つ、檜(ひのき)風呂と瓢箪(ひょうたん)形の陶器風呂が各1つありました。一段高くなった岩風呂は湯温が45-46度で我慢(がまん)大会に使える熱さです。その他は41-42度と長湯ができるようにやや温(ぬる)めでした。ちなみに、寸又峡温泉の湯とは異なる泉質の温泉でしたが、湯船に長めに浸(つか)かったことで身体は十分温まりました。浴場の写真は「川根温泉 ふれあいの泉」のhpを参照してください。

湯上りには広間に戻ってしばしの休憩です。ソフトクリームを見つけた同行者はさっそく抹茶とバニラのミックスを選びました。私のデジカメではうまくピントが合わず、「後ピン」になってしまいましたが・・。
 
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(続く)

2016年3月10日 (木)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その20) 井川線のアプト式列車と長島ダム(後編)

左手にある展望広場から見た「長島ダム」の「導流部(どうりゅうぶ)」と「減勢池(げんせいち)」
   
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「四季彩公園」にある「色彩の鐘」と東屋(あずまや)
 
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「四季彩公園」越しに県道338号の市代(いちしろ)橋と井川線のコンクリート橋が見えますが、「アプトいちしろ駅」は左手の山の向こう側にあるため確認することができません。そして、「飛龍橋の記事」で触れた「市代吊り橋」はその「アプトいちしろ駅」の近く大井川ダムのダム湖の上)にが架かっており、貴重な鉄道吊り橋の構造を今に伝えるものとして産業遺産に指定されているそうです。
 
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左手に目を転じると、長島ダム防災施設「ふれあい館」と最初に立ち寄った駐車場が見えます。
 
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車の通行を制限する表示はどこにも見当たらない(実質的に一方通行としていると思われる)ため、そのまま駐車場脇を通過して県道338号(接岨峡線)に入り、市代(いちしろ)トンネルと谷栗(やくり)トンネルを通過しました。左カーブを下りながらトンネルに入るため減速を促す黄色いバーが路面に塗られています。
 
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井川線奥泉駅の手前で県道77号に入って大井川に架かる渡谷(とや)橋を通過します。1車線分の曲弦プラットトラス(トラス上部の梁が近似曲線である)橋が上り/下り車線用に2本並んでいるのは珍しいことだと思います。上り用と下り用で橋の幅が違いますから、最初は上り/下り兼用であったものが、後になって2本目(上り専用)が追加されたのでしょう。
 
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橋を渡りきった場所に開口部の小さな井川線の「第九号トンネル」がありました。
 
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「1981年1月 中部地方建設局 延長440m、幅3.016m、高さ3.640m」と書かれた銘板が取り付けられているように、1935年に電源開発用に施設された井川線(千頭駅-市代駅間)のトンネルではなく、その後になって掘削(くっさく)された新トンネルです。
 
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桑野山トンネル(長さ958.9m、1988年竣工)に入ります。内部で工事でも行われているのでしょうか、一旦停止を指示されました。
 
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前方に3本の巨大な送水管(三連水管)が現れました。外観からみて手前の1本だけが古いのでしょうか。
 
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県道77号の左下を見ると送水管が建物の下へと続いています。前日、千頭駅へ向かう「SLかわね路1号」の車中から見た大井川発電所の発電建屋(1936年/昭和11年運用開始、現在は無人稼働)でした。発電用水車を回した水は右手の出口から大井川へ排出されているようです。しかし、調べると、導水路に導かれて大井川線塩郷駅に近い久野脇発電所(常時出力12MW)でも再度利用されたあと、大井川に放水されているそうです。
 
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大井川発電所から送電線が南西と西方向へ伸びており、右手にはマイクロ波の用パラボラアンテナが設置された電波塔があります。
 
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電波塔の先(吊り橋で結ばれた対岸)にも変電所のような設備が確認できました。よく見ると電波塔の脇(向こう側)にも送電線が横切っていることが分かりました。
 
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県道77号を50mほど先へ移動すると、確かに送電線用の鉄塔がありました。
 
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県道77号から県道263号に反れて大井川を渡りました。前日、「SLかわね路1号」で千頭駅へ向かう途中、下泉駅付近に「SLかわね路号」を撮影できるスポットを見つけておいたのです。それは大井川の支流に架かる鉄道橋(鉄道線路用橋梁)で、時間的にも「SLかわね路1号」が通過するタイミングなのです。ほどなく、下泉駅とは反対方向から蒸気機関車の気笛(きてき)が聞こえ、蒸気機関車がトンネルから現れ、鉄道橋を渡り始めた。
 
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客車も現れました。

 

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対岸へ渡り終えた蒸気機関車は煙を吐き出しながら汽笛を鳴らしています。
 
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「SLかわね路1号」は下泉駅に到着496
 
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(続く)

2016年3月 9日 (水)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その19) 「長島ダム」と「アプト式列車」(中編)

県道338号から[長島ダム」へ向かう脇道に入りました。「長島ダム駅」の駅舎とプラットフォームは県道338号を挟(はさ)んだ反対側のかなり高い位置にあり、県道338号を跨(また)いでプラットフォームに上がる歩道橋が左端に見えます。
 
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無人駅ですからプラットフォームへ入ってみました。
 
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右手は井川駅方面(注、土砂崩れのため3つ先の接阻峡温泉駅から井川駅の間は現在運休中)
 
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そしてこちらが千頭駅方面です。この先(赤い屋根の建物付近)にアプト式電気機関車の留置線があるようです。
 
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プラットフォームを退出する時に歩道橋の上から見た駅舎・県道388号・大日トンネル(この先には接阻峡温泉がる)
 
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同じく、「長島ダム」方面。ちなみに、左下に停まる車は私の愛車です。
 
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「長島ダム」へ向かう道路脇に立つ「ウォーキングマップ」
 
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「大型車は侵入禁止」の警告標識はありましたが、乗用車は大丈夫のようですから、そのまま進んで長島ダム管理所の前に出ました。
 
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前方は「長島ダム」の上に続く天端(てんば)道路ですが、この道も通行できるようです。ちなみに、左手には管理所があり、右手が展望広場になっています。
   
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「接岨湖(せっそこ)」は「長島ダム」のダム湖で、急峻(きゅうしょん)な山肌が迫る大井川の渓谷「接阻峡」に由来する名前のようです。ちなみに、「岨」は「山の崖(がけ)、絶壁」を意味します。
 
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多目的ダムである「長島ダム」の説明には、「洪水を調整する治水(ちすい)」と「自然や動植物のどを維持保全し、農業用水・水道用水・工業用水を供給する利水(りすい)」が主な目的であると書かれています。ちなみに、高さ109m、長さ308m、堤体積861,000mとのこと。
 
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長島ダムは、一級河川大井川水系大井川の中流域、静岡県榛原郡川根本町に建設された多目的ダムで、平成14年(2002年)に完成しました。総貯水容量7,800立法米の重力式コンクリートダムです。

 

展望広場から見た「四季彩公園」(写真の左手)と「大樽広場」(写真中央)を結ぶ吊り橋の「しぶき(飛沫)橋」(長さ114m、高さ22m)
 
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「長島ダム」の先に「四季彩公園」が見えます。手前に流れ落ちる水はダム施設管理用電力の発電に使われているそうです。
 
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「四季彩公園」の案内図にはダム施設とともに周辺の観光スポットが説明されています。ダムの下に続く散策路には「旧井川線ミステリートンネル」が表示されています。「長島ダム」ができる前の井川線は大井川沿いの低い場所を通過していたようです。
 
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ダム上に続く道路脇にある展望テラス
 
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展望テラスの左手と前方に下を見下ろせるようにした設備があります。
 
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上流から流入する水が多くなった場合の放水設備「洪水吐(こうずいばき)」には堤体を流れ落ちる導流部(どうりゅうぶ)と水のエネルギーを弱める減勢工(げんせいこう)の減勢池(げんせいち)が採用されています。先に説明しましたが、ダム管理用電力の発電が左端の小さな建物で行われているそうです。また、その建物の右手壁面が濡れていますが、ここで利水(下流で利用する水)の放出口があるようです。そして、減勢池の右側にも同様の小さな建物があります。
 
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昇降階段はダムの保守用と思われますが、先ほどの案内図には散策ルートに入っていますから、見学者も自由に利用することができるようです。
 
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ダム湖(接岨湖)の噴水は曝気(ばっき)設備で、プランクトンによる異臭や景観障害などを防ぐためにダム湖の水をかき回して、きれいにしする目的で設置されています。そして、遠方の水上で横へ伸びるものは上流から流れ込む木材やゴミを止めるための施設です。
 
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この日は噴水が作動していません。
 
  
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(続く)

2016年3月 8日 (火)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その18) 「長島ダム」と「アプト式列車」(前編)

市代(いちしろ)トンネルを抜けると「長島ダム」の案内標識がありますので、それに従いましたが、なんと「関係者以外は通行を遠慮願います」の表示が立っています。
 
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そこで左手にある公園の駐車場のような場所に入りました。「四季彩(しきさい)公園」と表示されています。
 
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「四季彩公園」(正面手前)の全景と「長島ダム」(写真右端)
 
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大井川の対岸には「長島ダム駅」に停車する井川線の列車が確認できました。ズームアップすると、DD20型気動車(ディーゼル機関車)の前にED90形アプト式電気機関車が接続されています。
 
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電気機関車に牽引された列車は電化区間を隣の「アプトいちしろ駅」(千頭駅方面)に向けてゆっくり出発しました。
 
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短いトンネルを抜けるころには線路が急な下り勾配(こうばい)になっています。
 
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アプト式電気機関車が先頭に接続されていることは当然のように思われますが、実は、「アプト市代駅」からこの「長島ダム駅」までの上り坂を走行する時は最後尾に接続されるそうです。万一、連結器が故障した時でも列車の暴走を抑えることができるからなのです。
 
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徐行しながらさらに下って行きます。
 
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県道388号に戻って「長島ダム駅」へ向かうことにしました。大井川に架かる市代(いちしろ)橋を渡ります。
 
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「四季彩公園」の対岸にある排水路から水が流れ落ちているのが見えます。
 
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大井川の下流方向に架かる井川線のコンクリート橋
 
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大井川の左岸にはキャンプ場があるようです。調べると、県道388号に入るY字路に名前が表示されていたアプトいちしろキャンプ場」でした。
 
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市代橋の先から見た「長島ダム』の正面

 
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「長島ダム」の右側の斜面に表示された「水が生む夢と緑と自然の美」はキャッチフレーズのようです。
 
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「長島ダム駅」が近付きました。
 
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「大樽沢(おおたるさわ)橋」の上から井川線の高架下に「大樽沢滝」(落差約40m)が確認できました。
 
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(続く) 

2016年3月 7日 (月)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その17) 接阻峡(せっそきょう)へ

そこで、「ペンション寸又峡」で教えられた温泉街の入口に近い「翠紅苑(すいこうえん)」へ向かいました。
 
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昼頃からと聞いたように午前1130分からの営業で、1時間近く待つのは・・・。
 
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先を急ぐことにしました。県道77号の道路情報には「通行注意 凍結 川根本町奥泉」の警報が出ています。
 
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県道77号の脇に大きな広場がありますので、立ち寄ってみました。多数植わっているのは桜の木のようです。
 
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広場には防災用のヘリポートが設備されていました。
 
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寸又川に架かる「寸又峡橋」を渡ります。雨が降ったようで路面が光っています。
 
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トンネルを抜けて狭い山道に入りました。右前方に何かの施設が見えます。
 
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大間ダムから取水するダム水路式(有効落差83.7m)の大間発電所でした。
 
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県道77号から県道388号(接阻峡方面)へ分岐するY字路に差し掛かりました。前日は千頭駅から県道77号を直進して寸又峡温泉へ向かう時に通過した場所です。
 
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ここには「通行注意 凍結 川根本町大間」の警報
 
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泉大橋を渡ります。橋を渡った先には谷栗(やくり)トンネル(長さ343m)が見えています。
 
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トンネルを抜けたところから奥泉発電所の送水管が見えました。奥泉ダムから取水するダム水路式発電所(有効落差168.7m、常時出力45.6MW)です。
 
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市代(いちしろ)トンネル(長さ302m)を通過します。(続く)

2016年3月 6日 (日)

救缶鳥がふたたびわが家に飛来しました

変わった名前の「救缶鳥(きゅうかんちょう)」の趣旨(しゅし)に賛同して2年前に申し込みましたが、早いものでその期限がやってきました。今年も確定申告の準備をしているタイミング(1月下旬)に追加購入の申し込み葉書が送られてきました。
 
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2年前に送られてきた救缶鳥の缶詰セット(15個入り)は来年2月まで消費期限(賞味期限は今年2月)が保管してありますが、試食とお裾分(すそわ)けで現在は10個に減っています。
 
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さっそく、追加購入の申込書を送ると、配達を希望した数日後に前回と同じ段ボール箱に詰められた「救缶鳥」の15個セットが宅配便で届きました。
 
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消費期限は3年後の2019.01と刻印されています。
 
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宅配業者に料金11,500円を支払い、未使用の「救缶鳥」が入った段ボール箱を手渡せば手続きは完了です。返品した「救缶鳥」の缶詰は1個95円で下取りしてくれました。これらはすべて、「日本国際機が対策機構」を経由して、世界の飢餓(きが)に苦しむ人々に食料として贈られる仕組みになっています。
 
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この2年間に食糧に困る事態が発生しなかったことに感謝するとともに、今から2年後に新しい「救缶鳥」セットが届くまで、今回届いた「救缶鳥」を大切に保管することにしました。天災がわが家をいつ襲(おそ)うかは「神のみぞ知ること」ですから、「救缶鳥」だけでなく防災リュックと防災用品は何年も前から準備し、ペットボトル入りの新鮮な水も定期的に交換しています。とはいっても、この程度の備えではまだ気休めかもしれませんので、これからも防災グッズをさらに充実していきたいと思います。

2016年3月 4日 (金)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その16) 寸又峡温泉街へ

「千頭国有林」を解説する立て看板には、『静岡県の南アルプスの南側、寸又峡から上流部に位置する典型的な奥地山岳林で、面積は約2万6千ヘクタールあり、面積の7割が中部日本有数のツガ、モミ、ブナなどの針広混合林(標高が約1400m以下ではヒノキとスギが植えられている)で、樹齢200年を超えるものがある』、と説明されています。
 
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大間川の対岸には展望台から歩いた寸又右岸林道(写真の上部)とともに、廃道(左下)が確認できます。
 
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「大間ダムのダム湖」と「夢の吊り橋」
 
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ここにも落石防止ネットが
   
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大間ダムの施設近くに戻った時、対岸の崖崩(がけくず)れ跡あることを見つけました。
 
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今は珍しいピンク電話(特殊簡易公衆電話)が設置してあります。確認はしませんでしたが携帯電話が通じないエリアなのかもしれません。
 
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山肌から水蒸気が立ち上っています。
 
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寸又川の浚渫(しゅんせつ)作業
 
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「寸又峡プロムナードコース」の入口近くへ戻りました。写真は「グリーンシャワーロード」沿いにある「草履石(ぞうりいし)公園」(親水公園)です。
 
 
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「サワグルミ」の木
 
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ケーブル保護管の設置工事が行われていました。コンクリートブロックに取り付けられた金属製管台(ブラケット)の上に金属製のベルトで固定されるようです。分岐継手(あるいは水抜き栓)のようなもの(写真左)も設置されています。ちなみに、ケーブル保護管は電鉄会社の軌道(線路)脇でも良く見かける施設です。
 
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上流側から工事が行われているのでしょうか。
 
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「飛龍橋自然観察教育林」の説明
 
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プロムナードコースの入り口に戻りました。時間に余裕があれば、森林浴に適したグリーンシャワーロード(3km、約1時間)、あるいは外森山ハイキングコース(1時間)も歩きたいところですが、雨足が少し強くなったため断念しました。

 

プロムナードコースを歩いた後に寸又峡温泉・町営露天風呂「美女つくりの湯」(料金400円)を利用したあと、郵便局の近くにある食事処「山の茶屋」で昼食を摂(と)る予定でしたが、「ペンション寸又峡」のフロントでチェックアウトする時に、「美女つくりの湯」が冬季は土日しか営業していないことと、同ペンションが経営する「山の茶屋」もオフシーズンは営業していないことを教えてもらいました。

 

しかし、未練(みれん)がましい私は、「美女つくりの湯」の様子を見るため、山側の脇道へ入りました。
 
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その途中に「朝日山荘」がありました。
 
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美女づくりの湯」に到着。「本日は入浴できます」の看板が立っていますから、ひょっとしたら入浴できるのでしょうか?
 
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しかし、入口は閉まっています。
 
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「ペンション寸又峡」で聞いた通り2月は土日だけの営業でした。ちなみに、この日は2月1日です。残念!!
 
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かすかな期待がはずれたところで、投稿を小休止します。(続く)

2016年3月 3日 (木)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その15) 寸又峡の「尾崎坂展望台」と「飛龍橋」

寸又右岸林道に出ました。
 
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尾崎坂展望台」に到着。
 
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晴れていれば標高560mの展望台からは寸又三山である朝日岳(標高1826m)、前黒法師岳(同1943m)、沢口山(同1425m)を展望できるのではないかと期待していたのですが、思ったほどの高さではなく、しかも生憎(あいにく)の曇天で・・。
 
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紅葉になれば美しい景色が楽しめると思われます。
 
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森林鉄道の機関車が展示されていました。
 
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電源開発のために施設された資材運搬用の軌道が木材運搬用の森林鉄道に引き継がれたことと、天子のトンネル・飛龍橋・いちしろ(市代)吊橋がその軌道跡であることが説明されています。(注、飛龍橋と市代吊橋については後述)
 
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寸又右岸林道を戻ると「慰霊碑」がありました。電源開発や千頭森林鉄道の建設工事で亡くなった方を弔(とむら)うためでしょう。
 
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寸又右岸林道をさらに歩きます。落石防止ネットも続きます。
 
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前方に「飛龍橋」が見えました。「夢の吊り橋」の上流に架かる飛龍橋(全長72m、高さ69m)は上路スパンドレルブレーストアーチ橋です。ちなみに、「上路」はアーチの上に別途路面を設けること、「スパンドレル・ブレーストアーチ」はアーチとその上に支えられる橋床を含む面全体がトラス(三角形を基本形とする集合構造体)で組まれたものを指します。
 
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前黒法師岳(標高1943m)の登山口への道標
 
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落石防止ネットは奥寸又観光施設整備によって平成4年(1992年)10月に完成したことが小さなプレート(写真右端)に表示されています。
 
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「飛龍橋」に差し掛かりました。「昭和45年3月竣工/改修平成14年3月竣工」と表示されています。
 
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橋上からの寸又渓谷(大間川)の眺(なが)めはまさに絶景です。
 
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紅葉シーズンの美しさを想像し楽しみました。
 
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大規模な崖崩(がけくず)れの跡を見つけました。寸又峡の地形は壮年(そうねん)期特有の侵食(しんしょく)作用が激しいため、急峻(きゅうしゅん)な地形が多く、しかも、日本のもっとも大きい地塊(ちかい)変動線に囲まれているため複雑な地層となっているそうです。
 
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林道は大間ダムの方へ続いています。こちらの方向(南南西)には沢口山(標高1425m)があるはずで、左手に見える山はそこへ続く尾根かも知れません。
 
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大間川の深谷を跨(また)ぐ飛龍橋で川の右岸へ渡ると、橋の袂(たもと)に立派な「飛龍橋」の銘板と解説がありました。『昭和3年に竣工した千頭森林鉄道のこの橋は、トロッコが通り、寸又峡の歴史を物語るシンボルである』、と説明されています。
 
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(続く)

2016年3月 2日 (水)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その14) 寸又峡の夢の釣り橋(後編)

「夢の吊り橋」の中央部から見た大間ダムとダム湖
 
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ダム湖を見下ろしました。幅の狭い板が夜露に濡れていているため細心の注意を払って進むことにします。
 
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先行する同行者は「夢の吊り橋」を渡り終えます。
 
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振り返って見た「夢の吊り橋」
 
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「夢の吊り橋」の解説
 
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「夢の吊り橋」の先に続く急な階段を上ります。
 
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急斜面にも吊り橋「木こり橋」が架けられています。
 
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304段もあるようです。四国・金刀比羅宮(ことひらぐう、こんぴらさん)の御本宮にいたる石段785段ほどではありませんが・・。
 
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石段と階段をかなり上がりました。大間ダムのダム湖が眼前に広がりました。
 
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「夢の吊り橋」もかなり下方に見えます。
 
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岩場が出現!
 
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「栂(つが)」の木
 
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その名も「くろう坂」
 
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休憩所
 
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「やれやれどころ」と名付けられていますから展望台はもうすぐでしょう。
 
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と思いきや、「えっちら階段」が・・
 
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(続く)

2016年3月 1日 (火)

大井川鉄道SL列車と寸又峡温泉の旅(その13) 寸又峡の夢の吊り橋(中編)

「天子(てんし)のトンネル」を通り抜けます。
 
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「夢の吊り橋」は右下へ続く道の先にあるようです。
 
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ダムの放流についての警告
 
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大間ダムの施設」越しに見るダム湖と「夢の吊り橋」
 
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中部電力が大間発電所のため寸又川に造った大間ダムダムは土木学会の「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2000選 」に選定されている。「一段高くなったゲートピア上の通路と昇降用の階段が特徴/高欄まわりのデザインが見どころ」と。堤高40.1m、堤頂長107m、流域面積201.6平方キロメートル。ちなみに、ダムカードは徒歩30分ほど離れた場所で1-3月は土日のみに配布しているようです。

 

つづら折れの道
 
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「ダムの解説」には水力発電の方式(構造物)として「水路式」「ダム式」「ダム水路式」があり、ダムの種類には「重力ダム」「アーチダム」「ロックフィルダム」「アースダム」があることが説明されています。
 
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「水力発電の解説」には「ダム水路式発電所の例」と「Q&A」とともに、「水車の種類」として「ペルトン水車」「フランシス水車(反動水車)」「プロペラ水車」があることが説明されています。
 
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急な階段が続きます。
 
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大間ダム」が見えてきました。その手前にはケーブル保護管が通っていますから、大間マダムの施設に繋(つな)がっているのでしょう。
 
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細い道が続きます。
 
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「大間ダム」でせき止められたエメラルド・グリーンの湖面(チンダル現象で青く見えるダム湖、カナダのロッキー山脈の湖が有名)には山の影が映っています。
 
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夢の吊橋」は、静岡県奥大井地方の寸又峡(すまたきょう)にある長さ90m、高さ約8mの大吊り橋です。カナダ・バンクーバー近郊のキャピラノ渓谷にかかる吊り橋(長さ137m、高さ70m)ほどではありませんが、寸又峡を代表する吊り橋です。ちなみに、世界一長い吊り橋は「明石海峡大橋」(最大支間長1991m)であり、日本の歩道吊り橋(トップ3)は「箱根西麓・三島大吊橋」(主径間の長さ400m、2015年完成)、「九重夢大吊橋」(同390m)、「竜神大吊橋」(同375m)です。吊り橋が好きな私は昨年完成したばかりの「箱根西麓・三島大吊橋」以外はすべて渡ったことがあります。
 
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「寸又峡プロムナードコース」の説明図には周遊コースが分かりやすく示されています。ちなみに、大間川と寸又川がこのダム湖で合流しています。
 
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ジェットコースターが好きな同行者は迷わずに渡り始めました。他に観光客はいませんから定員を気にする必要はありません。
 
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右前方に見えるのは寸又川です。
   
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同行者は「夢の吊り橋」の中央部に到達
 
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私も同行者に続きました.ダム湖が眼下に広がり、歩く部分には簡単な板を渡しただけで、進むにつれ少し揺れるのでスリル満点です。
 
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(続く)

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