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2016年3月21日 (月)

ベトナムの旅(その3) ハノイ到着

全日空(ANA)のNH857便は徐々に巡行高度を下げながらベトナムと歴史的な関係が深い(因縁がある)南寧(なんねい)を高度3万4千フィート(1万363m)、真大気速度577マイル/h(900km/h)、対地速度437マイル/h(707km/h)で通過すれば、巡行高度を27500フィート(8229m)に下げてしばらく飛行した後、徐々に高度を下げながら約15分(約180kmの飛行)後には曇天のハノイ・ノイバイ(河内・内拝)国際空港へ向かいます。
 
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着陸するまでの時間を利用して、ベトナムという国を理解するため、その歴史を概観することにします。まず、ベトナムと中国には2000年以上にわたって支配と独立を繰り返した歴史があることを特筆すべきでしょう。紀元前3世紀ころの北部ベトナムにあった独立王国は中国全土を統一した秦(しん)の侵入を許してその支配下に入りましたが、紀元前206年に秦が滅亡すると、紀元前203年には中国・広州市に首都を置き現在の広東省および福建省・湖南省・貴州省・雲南省などの一部(いわゆる嶺南エリア)とともに北部ベトナムを支配する南越国(なんえつこく)が興(おこ)りました。しかし、その南越国は紀元前111年に中国の漢によって滅ぼされてしまいます。

 

それ以来、北部ベトナムは中国の隋王朝と唐王朝に支配されることになりましたが、唐が滅亡すると938年に漢の侵入を排して現在の古螺(ころあ、現在のハノイの北方)にベトナム人の呉朝が興(おこ)ってベトナム北部を支配し、1009年には李朝が中国の北宋から独立を果たし、昇龍(しょうりゅう、現在のハノイ)に首都を置きました。しかし、国の安定を維持するため1177年に南宋の属国となりました。1224年には李氏の外戚が開いた陳朝(ちん)は1400年まで続きました。その後、中国の明に支配されましたが、1428年には後黎朝(こうれいちょう)が興(おこ)り1788年まで続きました。そして、弱体王朝が続いたあとの1802年に最後の王朝である阮朝(げんちょう、首都はベトナム中部にある現在のフエ)が興って1945年まで(1887年以降は58年間フランスの支配下にあった)約140年間も続きました。
 

ちなみに、阮朝の国王が中国の清朝(しんちょう)から「越南国王」の称号を授(さず)けられたことで、それ以降の正式な国名は越南(ベトナム語でベトナムと発音)国となりました。一方、南部ベトナムは強国であったカンボジアの緒王国(扶南国、チャンラ王国、クメール王朝、カンボジア王国)によって1世紀から17世紀まで支配されていましたが、カンボジア王国がシャム(タイ)からの圧迫で弱体化するとベトナム人がこの地域に移動し、実効的に支配するようになり、徐々にベトナム化が進行し、阮朝の支配地は現在のベトナムの領土とほぼ同じになりました。1945年に日本が降伏するとホーチミンが北部ベトナムでベトナム民主共和国(後にベトナム社会主義共和国)の独立を宣言しました。南部ベトナムはフランスの傀儡(かいらい)政権が1955年まで続き、その後はベトナム共和国(通称: 南ベトナム)となりました。このように、ベトナム(特に北部)は中国による支配と中国文化(寺院・漢字など)の影響を強く受けてきた国なのです。

 

ただし、フランスによる植民地化で普及したローマ字表記(クオックグウ)が採用されてから一世紀以上が経過し、独立後にベトナム語の正式な表記法となり、漢字の使用は廃止されたため、現在は中国語あるいは中国文化の研究者以外には使われていないそうです。 

 

着陸する直前、突然視界が開けました。
 

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滑走路にタッチダウンするとフラップを上げて急減速し、
 
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速度が下がるとフラップは戻りました。
 
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右前方に20ほどの掩体壕(えんたいごう、戦闘機用格納庫)が確認できました。ノイバイ国際空港は軍民共用空港なのです。ちなみに、ハノイに司令部を置くベトナム空軍が保有する戦闘機はいずれもロシア(旧ソ連)製で、Su-27(米空軍のF15相当)、Su-30MK2V(ベトナム向け仕様)、Mig-21(旧ソ連の旧型機)など130機あまりのようです。ちなみに、Mig-21は1960年代から1970年代末にかけてのベトナム戦争や中越戦争で活躍したことでも知られる戦闘機です。
 
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全日空NH857便が向かう第2ターミナルには、アシアナ航空機、ベトジェットエアー(ベトナムの格安航空会社)機、マレーシア航空機が駐機しています。日本の円借款(えんしゃっかん)で建設されたこの第2ターミナルは2014年末に国際線専用として運用を開始し、現在約30の航空会社が乗り入れているそうです。ちなみに、第1空港ターミナルビルは国内線専用となっているとのこと。
 
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第2ターミナルの41番ゲートに到着。満員の乗客が少なくなるまで待って機外へ出ました。ちなみに、約3690kmのフライト中は離陸時と着陸時の短時間を除いて偏西風の影響をあまり受けず、シートベルトサインが出ることもなく(終始安定しており)、予定された時間よりも15分早い12時55分(正味飛行時間は5時間40分)でした。
 
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搭乗橋(ボーディング・ブリッジ)を渡ります。
 
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そこから見た第2ターミナルの外観
 
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イミグレーション(
入国審査)は順調でしたが、預けた荷物の2つ目が「待てど暮らせど」出てこないのです。回転台(baggage carousel)に荷物が無くなったことで、空港のスタッフに尋(たず)ねると、機内持ち込みができる私たちの小さいスーツケースが検査対象になったと言うのです。お土産を持ち帰るために携行したスーツケースには、羽田空港まで着ていたコートなどの衣類が数点と折りたたみ傘が2本入っているだけで、あまりにも軽いことで怪(あや)しまれたのかもしれません。1つ目のスーツケースが出てから10分ほど待たされることになりました。
 
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出迎えてくれた現地係員の案内でタクシー乗り場を通過し、ノイバイ国際空港の第2ターミナル東端にあるバス乗り場に移動しました。
 
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ゴルフカートのようなこの乗合タクシーでハノイ市内へ移動するのかと心配しましたが、他の旅客とともにマイクロバスに乗れることになりました。
 
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国道2号を南下して国道5号とのジャンクションを通過
 
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ハノイの象徴的な存在(河内の由来)であるホン川(別名: 紅河/ホンハ/こうが、ソンコイ)を渡ります。
 
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地名の「城舖河内」(中央直轄市ハノイ)はホン川(中国名: 紅河)とトーリック川(同じく蘇瀝江)とに囲まれていたことに由来し、現在のホアンキエム・バーディン・ドンダー・ハイバーチュンの4区にほぼ相当します。ちなみに、11世紀初めに中国から独立を果たした時の首都名である昇龍(タンロン)の名で呼ばれることもあるそうです。 

 

このホン川は、中国南部の雲南省大理(ターリー)付近に源を発し、ベトナム北部を南東方向に流れ、ハノイを経てハロン湾に近いバクボ(北部、旧名は東京/トンキン)湾に注いでいますが、日本より少し早い紀元前4世紀頃から紀元1世紀頃にかけて、この流域に東南アジア初期の金属器(青銅器)文化であるドンソン(東山)文化が繁栄したそうです。ちなみに、トンキン湾はベトナム戦争初期にトンキン(東京)湾事件が勃発(ぼっぱつ)した場所で、米軍による捏造(ねつぞう)であったことが後日判明しました。
 

ハノイの市街地が近付くと建設中の高層マンションが目立ちます。
 
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市街地に入ったようです。
 
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交差点で信号待ちをするバイクの群れを見て22年前に訪れたホーチミン市(城舗胡志明)の様子を思い出しました。当時のハノイは、自動車はもちろん、バイクも数えることができるほど少なかったのですが・・。ちなみに、ハノイにおける現在の人口は約700万人とのこと。
  
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キムマー(Kim Ma)通りとグエンチタン(Nguyen Chi Thanh)通りの交差点角に超高層ビルがありました。”LOTTE CENTER HANOI”と表示されていますから、最近話題になっている韓国のロッテグループが所有するビルのようです。
 
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マイクロバスはその向かい側にある建物へ向かいました。
 
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ホテル「DAEWOO(デウー)」に到着。空港から約40分の距離でした。午後2時半過ぎにチェックイン。このホテルはヒルトン・ハノイ・オペラ、JWマリオット、ニッコー・ハノイなどと並ぶ5つ星で、旧市街(ホアンキエム区)、あるいはその西にあるハノイ駅やホーチミン廟のさらに西方であるバーディン区の中心部、トゥーレイ湖畔に位置しています。利点としてはハノイの北方にあるノイバイ国際空港からのアクセスが良いことが挙げられます。ホテル内にはハノイ最大の屋外プール/フィットネスジム/日本料理店「江戸」があります。ちなみに、名前から分かるように韓国資本(大宇グループ)のホテルです。
 
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余談になりますが、22年前にハノイを訪れた時、1990年ころから韓国資本がベトナムへ積極的に経済進出している状況を把握(はあく)したことを思い出しました。ちなみに、ベトナムへの投資額では現在も韓国が1位(シェアは25%強)、ついでシンガポール(20%強)、中国、日本、ロシアの順のようです。(続く)

 

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