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2016年4月

2016年4月30日 (土)

ベトナムの旅(その33) 「水上人形劇」を鑑賞する(前編)

到着が1時間ほど遅れたことで、予定より1時間10分遅い午後6時30分開演のショーを鑑賞することになりました。入場料は1等席が10万ドン(約600円)、2等席は6万ドン(約360円)。もらったパンフレットの表紙には子供の人形を籠(かご)に入れて担(かつ)ぐ大人の人形が大きく描かれていますが、その出(い)で立ちと表情には強いインパクト(奇妙な印象力)があります。
 
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「水上人形劇」(ムアゾイヌオック)は1000年前からベトナムに伝わるもので、もともとは北部の紅河(こうが)デルタにあるタイビン省の農民達が収穫の祭りのときなどに屋外の水辺を使って演じていたそうです。ちなみに、最初の劇場は1956年にホーチミン主席が子供達のために建てた劇場で、何度も修繕、改築がなされ、1990年ころに現在の施設になったそうです。

 

「伝統的な人形劇(パペットリー)」の演目は、開幕の説明に続いて「伝統的な楽器共同演奏」、それから「水上人形劇」が14幕(各々数分)が上演されることが日本語のパンフレット(裏側)に説明されています。日本語の表現には気になる点が見受けられますが、意味は十分通じますから、ご愛嬌(あいきょう)でしょう。
 
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劇場内で撮影する場合は撮影券(スチルカメラ:2万ドン、約120円)を購入する必要がありました。ちなみに、ビデオカメラは5万ドンだったと思います。
 
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階段を上がって2階にある劇場内に入ると、水を張った舞台とその背景となる建物(水面まで簾が下りている)が正面にあり、
 
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それと正対する形で、シネコンと同様、客席が階段状に並んでいます。舞台に近い1等席は欧米人客が多いようです。私と同行者の席は3列目の右手が指定されていました。
 
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舞台の左手にはベトナムの伝統楽器を持つ楽団員が着席したあと、開演時間になると司会者が登場してベトナム語と英語で人形劇についての説明をはじめました。
 
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最初の演目は「伝統的な楽器共同演奏」です。最前列の楽器「ダンバウ」は右手で弦を弾(はじ)く位置を変える(弦の固有周波数に対して整数倍の周波数をもった音、つまり整数倍音を出す)とともに左手では長いレバーを操作して音階あるいは音程を調整する単弦玄のツィター(一弦琴)で、2列目(右)の楽器は中国の二胡(にこ)に似た弦楽器の板胡(ばんこ)のようです。後者は名前の通り音箱が蛇の皮ではなく、薄い板でできているそうです。同じく(左)は「ダン・チャイン」と呼ばれる横置きの17弦の楽器で、中国から伝来した日本の箏(そう、通常は琴と呼ばれる)のように弦を弾(はじ)く楽器です。また、3列目(右)は大太鼓と小太鼓の「チョン・チャウ」でしょう。
 
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水上(舞台)に体長40cmほどの人形が現れ、ベトナム語で劇の説明をはじめました。おそらく、プログラムに書かれたことを話しているのでしょう。なお、舞台照明の照度が低く、かつ人形の動きが素早いため、私のデジカメではピントの甘い写真になったことをご容赦(ようしゃ)ください。
 
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まず、「タンロン祭りの太鼓」
 
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爆発音とともに白煙が上がると、
 
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3匹の龍が現れて「龍踊」を披露しました。
 
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ここで司会者から再び説明があり、横長の「ギーナン太鼓」が前列に加わりました。司会者の脇には木魚が大の上に置かれていますが、これはベトナムで「モー」と呼ばれるれっき(歴)とした打楽器です。
 
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水牛に乗った「牧童」が笛を吹きます。
 
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「農村の生活風景」
 
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(続く)

2016年4月29日 (金)

ベトナムの旅(その32) 世界遺産「チャンアンの景観複合体」(最終回)

左手に古都ホアルーからバスで移動する時に通過したトンネルが見えました。
 
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川は大きく左にカーブします。
 
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再乗船して約20分後、見覚えのある旗が山の上に見えました。
 
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右手の岸辺には国旗が掲(かか)げられた警備所があります。そして、その右手の岸に立てられた看板には、まず“KHU DU LICH SINH THAI TRANG AN”(チャンアン生態観光地区)、その下に“NGHIEM CAM”(厳禁する)、続いて“SAN BA CHIMTHU”(鳥獣の捕獲)、”CHAT”(切断する)、”PHA”(破壊する)、”BUNG”(爆発する)、”LAT CAT CANG”(籠で漁をする)などの言葉が表示されています。
 
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高い山の頂上には携帯電話の基地局が確認できました。
 
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少し低い山にも同様の施設があります。ちなみに、ベトナムには携帯電話会社が5-6社あって、加入者数は約1.2億(人口9250万に対する普及率は約140%)とのこと。日本の加入者数約1.5億(普及率約140%)と比べても見劣りはしません。
 
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往路(おうろ)には山頂の旗を見ながら、その左側を通過した場所ですから、すぐ先で往(ゆ)きに通ったコースに合流して逆方向(乗船場方面)へ進むようです。
 
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同じ川であっても逆方向に見る景色は往きとは違った印象を受けます。
 
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右手(西方)の山の上に見える太陽が薄い雲に覆(おお)われ始めました。
 
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ゴールが近づくとクルーズの乗船場付近から音楽が聞こえました。すると、それまでゆっくり進んでいたクルーズ船が、入り乱れながら、速度を上げ始めました。乗客がパドルを手にして漕(こ)ぎはめたのです。さながら、ボートレースのように。横を見ると、何ということでしょう、同行者も必死の形相(ぎょうそう)をしてパドルで漕(こ)いでいるのです。いやはや!
 
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混戦は10分近く続き、出発地の右奥にある船着場(復路ですから下船場)に多数のクルーズ船がなだれ込みました。
 
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接岸したクルーズ船から上陸した同行者は近くにあるベンチにへたり込んでしまいました。他のメンバーを待つ間、しばし「手が痛い!」と悲鳴を上げています。
 
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約2時間のボートクルーズは楽しくかつエキサイティングで、同行者は大いに満足したようです。同じグループのメンバー全員がそろった15分後、すっかり元気を回復した同行者は先頭をきって駐車場へ向かいました。
 
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見上げると、まだ青空が続いています。「チャンアン」の小舟によるクルーズは、雄大な断崖絶壁・奇岩・奇峰を眺(なが)めながらゆったり進み、53か所あるという洞窟(鍾乳洞)のうち8か所の洞内を潜(くぐ)り抜け、途中上陸して寺院に参拝し、大きく一周するコースでは渓谷の多彩な景観が楽しめました。
 
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午後4時前にチャンアンを出発、国道1A号線でハノイへ移動開始。ハノイ市内に入るまで渋滞がなかったことで所要時間は約2時間で、午後6時ころにはハノイの中心部に入りました。遠くに見える高層ビルは旧市街にある「ベトナム開発投資銀行」(BIDV)の本社ビル。ちなみに、同銀行はベトナムにおける最大手銀行のひとつです。
 
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ホアンキエム湖に面したリータイトー・フラワー・ガーデンにある李太祖像がライトアップされています。
 
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1000年の歴史があるという「タンロン(昇龍)水上人形劇場」に到着しました。前日、シクロに乗車する時にホアンキエム湖の畔で見かけた建物(1990年ころ開設)です。
 
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次回から最後の見どころである「水上人形劇」(ウオーター・パペットリー)を紹介します。(続く)

2016年4月28日 (木)

ベトナムの旅(その31) 世界遺産「チャンアンの景観複合体」⑤

突然、クルーズ船が階段状の桟橋(さんばし)に接岸しました。船頭さんが舳先(へさき)に取り付けられた鎖を引っ張って船体を安定な状態に保ってくれます。
 
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クルーズ船から上陸して階段を上りました。ここにあるのもやはり寺院のようで、通用門から観光客が中へ入って行きます。2つの扁額(へんがく)には“QUY CHINH PHAP”(クイ・チイン・ファップ、フランスから正義に立ち戻る)、”DINH CRIEU CLET SY AM”(シャム・クレ朝館)とあります。私のベトナム語力では不確かですが、漢字ではなくベトナム語固有のアルファベット(クオック・グー)で表記されていますから、フランスから独立した時に創建されたタイ仏教寺院と思われます。
 
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珍しいことに、お堂の外壁には色彩が施してありません。大香炉を挟んで亀に乗る鳳凰のような鳥が向かい合っています。
 
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内部には「天福寺」「慈仁廣大」の扁額(寺額)が架けられていました。
 
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そして、黄金色に輝く仏像が祀られています。”DUC ONG”(ドゥック・オング、高貴なお祖父さん)のパネルがあり、左手の柱に「扶丁朝萬世東土降生青○○」と書かれていますから、丁朝(ディン・チョウ)を興(おこ)した皇帝「ディン・ティエン・ホアン(丁先皇)」、つまり丁部領(ディン・ボ・リン)を祀(まつ)っているのでしょう。
 
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隣りにある印を結ぶ仏像は“DUC THANH HIEN”(高貴な聖人献上)と表示されていますから、寺院の名称と照らし合わせて、ベトナムの高僧トゥー・ダオ・ハイン(Tu Dao Hanh、徐道行)かもしれません。ちなみに、李朝時代の高僧であった徐道行はハノイ近郊(南西約25km)に位置する「タイ一寺」(天福寺などを含む)で修業したとされるそうです。もしそうであれば、南伝仏教である上座部仏教(以前は小乗仏教と呼ばれた)の寺院だと思われます。ちなみに、ベトナムでは中国の影響が強かったため、大乗仏教(禅宗)の寺院が圧倒的に多いそうです。
 
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「光燭三千」の額の前に様々な黄金の仏像が祀られています。
 
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船着き場に戻りました。
 
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重量感を与える岩肌
 
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キングコングが出没しそうな岩山へ向かってクルーズ船は進みます。
 
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次の洞窟は“HANG TRAN250M”(トラン洞窟)です。「トラン」は「この世」「天井」または「むき出し」を意味しますが・・・。
 
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内部が大きく右へカーブしていました。
 
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ティエンクン洞」で見たような巨大な鍾乳石
 
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広い空間の先(左手)に出口があるようです。
 
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両側から崖が迫った細い水路に出ました。
 
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幅の広い川へ合流します。
 
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と思ったのもつかの間、左手の洞窟へ入って行きます。
 
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“HANG QUY HAU100M”(クイハウ洞窟)です。
 
 
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こんどこそ広い川へ出るようです。
 
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(続く)

2016年4月27日 (水)

新たな「下流青年」が生まれているのか?

下流老人」の記事を書きながら、下流に陥(おちい)るのはなにも老人だけではなく、若い世代も下流になるリスクがさらに高まったことに思いが至りました。失われた20年間を振り返ると、前途洋々であるはずの若い世代(青年)も様々なリスクが待ち受けていました。つい最近までは、例え大学を出ていても就職難(氷河期)で非正規社員やアルバイトの道しか選べなかった人が多数いました。ちなみに、厚生労働省が昨年11月に発表した「就業形態の多様化に関する総合実態調査」で4割以上の就業者が非正規社員であることが明らかになっています。つまり、1990年にはその比率が20%でしたが、35年後には比率が倍増したのです。

 

その主要因は2013年に施行された「改正高年齢者雇用安定法」です。厚生年金の受給開始年齢が同年に引き上げられたことに対応し、定年後に給料がなくなっても年金を受け取れない人が増えることを防ぐ目的で作られた法律です。これにより定年退職者の再雇用者の割合は確実に増加し、労働者にとって自発的な「非正規」雇用が増加している可能性があります。それに加えて、新卒時の就職活動で氷河期にぶつかってしまった世代が非正規として固定化されたままになっており、2015年の労働者派遣法の改正で企業が賃金(労務費)を節約する目的で非正規社員の雇用を増やす傾向がさらに強まりました。

 

しかし、今年に入って来年の新卒者は売り手市場であるとの報道が目立つようになりました。企業が正社員を確保しようとする意欲が高まっているそうです。なかでも、相対的に優秀な女子学生を採用しようとする企業が増えているといわれます。この背景には団塊(だんかい)世代の大半が退職したことで人手不足が顕在化し、つまり世代交代が進む気運がやっと出はじめて、20年以上続いた就職氷河期が春を迎え始めたと思われます。具体的には、全日空、スターバックス・コーヒー、ユニクロ、一部の企業は非正規社員を正規社員として登用すると発表しました。人手不足の解消あるいは企業の競争力強化がその目的とされます。

 

とは言っても、手放しで喜べない問題が出現しています。それはアメリカで、過去のサブプライムローン(返済困難者への押し込み貸付)と同様、深刻な社会問題になっていた「奨学金貧乏」が日本でも顕在化したのです。つまり、学生時代に借りた奨学金を就職後に返済できなくなる人が急増しているのです。その原因の一つは大学における入学金と授業料の高騰です。平成25年に文部科学省が行った調査によると、私立大文系の初年度納付金は約115万円、同じく理系は約150万円、私大医歯系は467万円と高額です。

 

在学中に必要な納付金はといえば、国立大が215万円、公立大が216万円、私立大文系が361万円、私立大理系が493万円、私立大医歯系(6年間)が2177万円と天文学的ともいえるほどの高額です。昭和50年(1975年)には私立大/国立大は5.1倍であったものが、昭和51年(1976年)に2.3倍と差が半減して現在に至っています。その背景は、国による運営費交付金が大幅に減らされたことがあり、しかもこの傾向(国公立大学の納付金上昇)は今後も続くとみられます。ちなみに、アメリカの大学を出た娘の事例からみて、この水準は10年前のアメリカの大学における納付金の水準(州立大学では州内出身者は約半額)です。全寮制が一般的なアメリカではこの他に寮費と食費が年間100万円ほど必要でした。

 

親世代の収入が増えない(あるいは減少する)ことでアルバイトに精をだす学生が増えるとともに、奨学金の受給を希望する学生が増えているそうです。日本学生支援機構(JASSO)は希望者に貸与型奨学金を提供しています。ちなみに、その前身である日本育英会は成績が優秀で、かつ両親の収入が少ない学生にだけに奨学金を支給していました。特に成績が優秀な学生には一部が給付(返済不要)となる特別奨学金制度も設けていましたが、いつの間にかその制度は廃止されました。現在は、成績優秀で経済的に困窮している学生向けの第1種(無利息、月額3-.4万円)と経済的に困窮している学生向けの第2種(最大3%の有利息、3-12万円、医歯系は+4万円が可)があり、一見充実しているように見えます。しかし、比較的容易(経済的理由が主な条件)に受給できる第2種に問題があると思われます。

 

例えば、月10万円の奨学金を受給したとすると、4年間で480万円を借りることになり、卒業すると直ちに利息が付くようになります。もし、利息が上限の3%であれば、毎年14.4万円の利息が積み上がります。10年計画で返済する場合には元本の返済が月額4万円(年額48万円)、それに利息も返済しなければなりません。正確な計算は省略しますが、最初のうちは元本と利息を合計した62.4万円を返却する必要があります。もし、元本分(年に48万円)だけを返済していると、元本は33.7万円しか減少しないため、返済期間は10年よりかなり長くなります。

 

日本学生支援機構のhpに掲載されている試算では、月10万円(4年間で480万円)の貸与を受けると、20年間で返済する場合は毎月26,914円(総額約総額646万円)を返済することになるようです。万一、正当な理由なしに返済が滞ると、金融事故情報に登録されて新たなローンが組めなくなる可能性があるようですから、返済計画に十分留意する必要があります。

 

私の時代(半世紀前)には、高校生の特別貸与奨学金が月額3000円(授業料は月額750円)、大学生の場合は月額5000円(授業料は月額1000円、入学金は1万円)でした。(注、一般貸与奨学金は高校生が月額1500円、大学生が月額3000円) 受給金額は高校時代に10.8万円、大学で24万円の計34.8万円でしたが、給付(特別貸与奨学金と一般貸与奨学金の差)の割合が40-50%程度あるため返済する元本は約20万円で、利息もなかったと思います。そして、企業に就職して返済(月額約1700円)を開始した時の初任給は3万円程度と低額でしたが、その後は徐々に昇給したことで、10年間でなんとか無事に完済することができました。

 

ちなみに、当時は大学への進学率が20%強でしたが、現在は50%を上回っているようです。進学率が上昇したことで学生時代に十分な学力をつけないまま社会へ出る人が増えているようです。学力の低い大学生は、就職時だけでなく、就職後も様々な困難に遭遇(そうぐう)するのではないかと懸念されます。ですから、この問題を改善するには返済が楽になる仕組み(給付率の増大、利息の減免)と大学教育を受ける水準にある学生だけに第2種の対象者を絞ることと、専門学校などを充実させて総合的な教育システムに組み込む必要があると考えます。余談ですが、アメリカの研究者によると、大学教育を受けた人と受けなかった人の生涯収入は一部の企業(あるいは一部の職種)を除くとほとんど差がないそうです。主な理由は高卒者は就労期間が長いためであり、その結果として大学教育を受けた人は大学教育の費用を回収することができるだけだというのです。もちろん、生涯収入は学歴だけではなく、個人差(おもに仕事をする能力)によって大きく左右されるのですが・・。

2016年4月26日 (火)

ベトナムの旅(その30) 世界遺産「チャンアンの景観複合体」④

クルーズ船は一列になって水音を立てずに進みます。
 
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“HANG SEO
:100M(セオ洞窟)に入ります。
 
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洞窟巡りに慣れたようであっという間に通過したように感じました。
 
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2億5千万年前に
海底で出来た地層は、隆起した時の影響なのか、斜めに断層ができています。
 
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後続のクルーズ船は乗船客の全員がパドルを持って漕(こ)いでいます
 
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次の洞窟に入ります。
 
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電気照明の明かりを頼りに進みます。
 
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遠近法の効果で写真にはスピード感が感じられますが、クルーズ船はゆっくり進んでいるのです。
 
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2つ目の電気照明を通過します。
 
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またスピード感のある写真になりました。
 
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洞窟を出ると川の流れはまっすぐ伸びています。しかし、私の勘ピューター(方向感覚)によれば大きく右廻りするコースを辿(たど)っているようです。
 
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遠方に寺院の屋根のようなものが確認できます。
 
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この寺院に立ち寄るようです。
 
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と思ったのですが、橋の下を通過して洞窟に入るコースへそれました。
 
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“HANG KHONG:70M(ホン洞窟)に入ります。”KHONG”は「いいえ(否定)」を表す言葉ですが、この場合は「空」を意味するのかもしれません。
 
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橋の上に吊るされている鐘は先ほどの寺のものでしょうか。
 
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ふたたび川に出ました。
 
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「チャンアン」のボートクルーズが終盤に差し掛かったところで投稿を小休止します。(続く)

2016年4月25日 (月)

ベトナムの旅(その29) 世界遺産「チャンアンの景観複合体」③

「トイ洞窟」を出ます。
 
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川幅はかなり狭くなりました。
 
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振り返ると洞窟の狭さが確認できます。出口には警備員と思われる人が控えていて、何かを記帳しているようです。

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岩山もより急峻(きゅうしゅん)になったようです。
 
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見取れているうちに次の洞窟が迫りました。”HANG SANG:10M(サング洞窟:10m)は極端に短いため「明るい洞窟」の名があるのでしょう。
 
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とはいっても中は暗いため電気照明がありました。
 
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出口付近は折れ曲がっています。
 
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川幅はさらに狭くなったようです。
 
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屏風(びょうぶ)のように続く岩山の手前にあるS字カーブに差し掛かると“DEN TRAN”(警備所)の看板が立てられていました。
 
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同行者が指さす方を見ると鴨のような水鳥が・・。
 
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舟に乗った警備員がノートに何か記帳しています。
 
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洞窟巡りに夢中になっている間に青空が広がっていました。
 
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丈(たけ)の高い草が生い茂っていて水辺の自然環境がよく保護されているようです。
 
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反対側の岸には岩肌が露出しています。
 
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この先の洞窟はこれまでのものより高さがないようです。まるでリンボーダンスをしているのかと思わせます。洞窟の中から漏れる照明だけが頼り(あるいは目印)でしょう。
 
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洞窟の中に入りました。天井の石が今にも落ちて来そうで、スリリングです。
 
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前を行くクルーズ船の船頭さんはノンラー(菅笠)を被(かぶ)っていません。洞窟内では一時的に脱(ぬ)ぐのでしょうか。前方が明るくなりましたから、出口が近いようです。
 
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出口に差し掛かりました。
 
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(続く)

2016年4月24日 (日)

ベトナムの旅(その28) 世界遺産「チャンアンの景観複合体」②

乗船場から少し離れると、50人ほどの船頭さんたちが待機していることが分かりました。水はかなりの透明度があり、しかも川の流れは穏やかでさざ波が立っていないため、鏡のように辺りの景色を逆さまに写し出しています。エンジン船を使わない理由は水質汚染を防ぎ、静寂を確保するためであるとのこと。
 
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流れはほとんど感じませんが、乗船客もパドルで漕(こ)いでいるためか、定員オーバーのクルーズ船が追い抜いて行きます。
 
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前方の岩山が近づきました。
 
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岩山の頂に旗が掲(かか)げられていることに気づきました。
 
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戻ってくるクルーズ船とすれ違います。
 
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船頭さんの了承を得て撮影させていただきました。身分証と思われるカードと一緒に「○○興道大王」と漢字で書かれたお守りがホルダーに入っています。注、プライバシーのため顔は軽く画像処理
 
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ネット検索で調べると、「興道大王」はモンゴル(元)によってベトナムが攻められた13世紀後半の元寇(げんこう)時にベトナム(大越国)軍の総司令官として元の軍を3度も撃退したベトナムの英雄でした。皇族でもあった彼はその功績により陳朝の皇帝仁宗からフン・ダオ・ダイ・ヴゥォン(興道大王)の称号を授けられ、死後は「救国の神」、あるいは不妊や難産などで女性を苦しめる悪霊を退治する神としても今も信仰されているそうです。

 

船頭さんから手渡されたパドルを使って漕(こ)いでみました。手作り感満載のパドルは使うのが難しく、かえって船頭さんの邪魔(じゃま)になりそうですから、助っ人役をすぐ諦(あきら)めることに。
 
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「長安突府」の扁額(へんがく)がある寺院が現れました。昔の高官が立てたという寺院の屋根の飾りは「レ・ダイ・ハン祠」のそれとよく似ていて、その前には大きな魚の像などが見えます。人影がありますから上陸できるはずですが・・。
 

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寺院の右手に洞窟がありますが、ここへ入るクルーズ船はいないようです。
 
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寺院を過ぎると周囲の雰囲気が変わりました。まるで太古の世界に迷い込んだようです。来年公開されるという「キングコングの映画」が撮影されたのはこんな場所だったのかもしれません。
 
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岩山の中腹に仙人が住む地のような雰囲気を感じさせる寺院が現れました。船着き場はありますが、とても寺院まで辿(たど)りつけそうにもありません。
 
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削り取られたような岩肌が露出しています。
 
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川の侵食で岩山の下にできた洞窟の中へクルーズ船に乗ったまま入りますが、大丈夫でしょうか・・。
 
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同行者が入口に吊り下げられている小さなプレートに気づきました。”HANG TOI:320M” “TOI CAVE:320M“とベトナム語と英語が併記されています。「トイ洞窟」の長さは320mと分かります。
 
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洞窟に入るとこんな光景に変わりました。両側から岩肌が迫ると船頭さんが「チュー・イー」(chu y)と声をあげました。ガイドさんから事前に日本語の「注意」とよく似た発音であると教えられていましたから落ち着いて対処できました。漢語(表記と発音)が日本とベトナムの両国に伝わった言葉ですから似ているのは当然です。
 

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ネット検索で調べると、ベトナム語の約60%が漢語由来とのこと。日本語はどうかと調べました。1956年に国立国語研究所が行った調査によると、日本語では日本古来の和語が40%弱、漢語は約50%、中国以外の外来語などが約10%でしたが、1994年には和語が26%、漢語が約35%と減少する一方、中国以外の外来語などが約40%と急増しているようです。

 

洞窟は折れ曲がりながら続きます。
   
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ほんのりと薄暗く曲がりくねった洞穴の中を、船頭さんの見事なオールさばきで上手にすり抜けていきます。
 
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頭上や船幅のすれすれまで洞穴の壁が迫る場所もあり、スリル満点の船旅へと一変しました。
 

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少し広い場所に出たところで後ろを振り返ってみました。
 
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(続く)

2016年4月23日 (土)

ベトナムの旅(その27) 世界遺産「チャンアンの景観複合体」①

バスはもと来た道を3km(5分)ほど引き返しました。12時半ごろに到着したチャンアン(Trang An)渓谷は「チャンアン生態観光地区(Khu du lich sinh thai Trag An)」であり、2014年には「チャンアンの景観複合体」として世界遺産(複合遺産)に登録されました。ホアルー遺跡やバイディン寺(ホアルー遺跡の西方約5km)などの文化遺産と生物多様性などの自然遺産の両基準を満たし、ベトナムで初めての世界複合遺産です。ニンビン市から7km離れた1万2000ヘクタールの広さ(生態観光区は2168ヘクタール)があります。周囲を石灰岩の大地が造りだした山と湖に囲まれ、奇岩と洞窟などの自然遺産にも恵まれており、その景色は「陸のハロン湾」と呼ばれているそうです。 

観光客は小船に乗って青い川をゆっくりと進みながら石灰岩が作る美しい景観を眺めることが出来るそうです。湖・池が31か所あるほか、トイ洞窟(Hang Toi)、サン洞窟(Hang Sang)、ナウルオウ洞窟(Hang Nau Ruou)、バーゾット洞窟(Hang Ba Giot)などの鍾乳洞もあり、入口から出口まで船に乗って進むことがきる洞窟もあるようです。ただし、新しい観光地であるため、約5km南にある渓谷タムコック(同じく陸のハロンと呼ばれれ上記の自然遺産に含まれる)ほどは外国人には知られていませんが、私は事前に資料を調べてチャンアンの方を選びました。ちなみに、ガイドさんによると、アメリカの映画会社がチャンアン渓谷で映画「キングコング」の撮影を行ったそうで、公開は来年に予定されているとのこと。

 

三角形をした広いi駐車場から道路を横断して橋を渡るようです。
 
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橋の先には島に建つ大きな建物が見えます。
 
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並行して架かる橋の先に多数のボートが漕ぎ出して行くのが確認できます。隣りの橋の先に乗船場があるようです。もちろん、私たちも約2時間のボートクルーズを楽しむ予定です。
 
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しかし、その前にベトナム料理の昼食です。大きな建物内にあるレストラン“BEN TRANG AN”(チャンアン船着き場)は“DAI NHA HANG”(家庭料理店)です。中国語(大餐と韓国語(레스토랑でレストランを意味する言葉が表示されていますから、両国からの観光客が多いのでしょう。
 
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階段の手前にある人口の池
 
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テーブルに着くとまずグラスとモンキーバナナが置かれました。ベトナムの箸(はし)は長めで、金属製の蓮華(れんげ)が添えてあります。
 
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そして、さっぱり味と味噌味のタレが並べられました。
 
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私はハノイ・ビールを注文
 
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まず、野菜スープ
 
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次いで、豚肉です。タレはこちらにしました。
 
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揚げ春巻き
 
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鶏肉と野菜の炒め物
 
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庶民派向きといわれる山羊(やぎ)の肉
 
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空芯菜(くうしんさい)とご飯・みそ汁
 
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フォーとオムレツは出ませんでしたが、モンキーバナナがあり、揚げ春巻きと山羊の肉など、いずれもおいしく食べました。
 
レストランを出ると乗船場にクルーズ船(5人乗り)が多数待機していました。スタッフの指示に従ってクルーズ船に乗り込みました。グループ分けの関係で初対面の先客2人と相乗りです。ちなみに、チャンアンには小型のクルーズ船が総数2000艘もあるそうです。
 
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午後1時半になるころ女性の船頭さんが、先行するクルーズ船に従うように、オールを漕(こ)ぎ始めて約2時間のクルーズがスタートしました。左手には乗船客を待つクルーズ船とノンラー(菅笠、ノンともいう)を被(かぶ)った船頭さんたちが写っています。
 
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乗船場を振り返ると後続の人たちが乗船するところでした。
 
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黒い服を着た人たちはいったい何をしているのでしょうか。橋の上にいる人たちが下を覗(のぞ)いています。
 
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右手後方を見ると後続のクルーズ船が続いていました。乗船客と同じ方向を向く船頭さんはオール(櫂)を押すことで推進力を得ている(公園のボートとは逆)ことが奇妙な方法だと思われます。
 
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雲間から太陽が覗(のぞ)き始めました。ベトナムを訪れて4日目にして初めてのことです。
 
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(続く)

2016年4月22日 (金)

ベトナムの旅(その26) 古都ホアルーの「ディン・ティエン・ホアン祠」と「レ・ダイ・ハン祠」(後編)

広場から見た東方向の岩山です。右手奥には駐車場の脇に並ぶ土産物店が確認できます。
 
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反対側(西方向)の田園風景と岩山
 
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広場の脇に補修用と思われる屋根瓦が置かれていました。日本の屋根瓦と違って、少しずつずらしながら水平に積み重ねられるようです。
 
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「レ・ダイ・ハン祠」も「ディン・ティエン・ホアン祠」と同様、東向きに配置されています。前方に見える廟門には龍と狛犬が飾られています。
 
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廟門を潜ると面白い形の二の門が現れました。
 
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ここでも前庭に奇岩が置かれています。
 
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三の門を抜けます。
 
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奇岩と大木
      
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参拝所の祭壇とお堂は「ディン・ティエン・ホアン祠」とよく似ています。もちろん、屋根の上にある装飾は皇帝の象徴である竜ですが、頭・前足・炎に包まれた玉を強調する意匠になっています。ただし、前足の指(爪)は4本であることが確認できました。5本指の龍は中国の皇帝のみに許されたことへの配慮でしょう。
 
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皇帝用のお興(こし)
 
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お堂の中へ入りました。祭壇をはじめさまざまなものに龍のレリーフが施されています。
 
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鳴り物
 
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奥への入口も「ディン・ティエン・ホアン祠」と同様
 
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前黎(ゼンレ)朝(980-1009年)を興した黎桓(レ・ホアン)の別称はレー・ダイ・ハン(Le Da
i Hanh、黎大行)の冠には「王」の文字があります。
   
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黎桓(レ・ホアン)は丁朝の建国者である丁部領(ディン・ボ・リン)に将軍として仕えていましたが、丁部領と丁璉(ディン・リエン)皇子が侍衛(じえい、護衛)によって暗殺されたあと丁部領の子「Dinh Toan(ディン・トアン、丁璿)」が6歳で皇帝に即位したため、その摂政(せっしょう)として政治を司(つかさど)ることになりました。これを知った中国(宋)は北部ベトナムへの出兵を決めたため、丁朝の将兵は黎桓を新たな君主に推(お)したことで黎桓は980年に王位に就き、前黎朝を興(おこ)すとともに宋軍を打ち破りました。ちなみに、丁璿は退位して元の衛王(えいおう、皇族)に戻されました。ちなみに、「前」がつくのは15世紀の黎朝(後黎朝)と区別するためです。

 

左側は黎朝第三代皇帝のレ・ロン・ディン(Le Long Dinh、黎龍鋌)です。第二代皇帝となった異母兄を3日後に殺して帝位を奪ったとされます。
 
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右手は楊(ズォン)皇后(Duong Van Nga)。丁部領の妻(皇后)でしたが、自分の子(丁璿)を守るために黎桓と再婚したそうです。
 
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暴君であったレ・ロン・ディン(黎龍鋌)がわずか4年後に死ぬと兄弟間で後継争いが起こりました。それにともない、禁軍(近衛軍)の将軍として仕(つか)えていたリー・コン・ウアン(Ly Cong Uan、李公蘊)を新皇帝に推す声が高まり、李公蘊は1009年に20年間続いた前黎朝を倒し、李朝を興(おこ)すとともに翌年(1010年)には44年間この地にあった都をタンロン(昇龍、現ハノイ)に移しました。遷都の理由はホアルーが手狭であることと中国の影響力がタンロンでも弱まったことによるとガイドさんから聞きました。

 

「レ・ダイ・ハン廟」の裏手には発掘された宮殿の土台跡を保存する博物館があるそうですが、立ち寄りませんでした。

 

東門を出たところにある狛犬
 
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サオへー川に架かる橋を渡って駐車場へ向かいました。
 
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(続く)

2016年4月21日 (木)

ベトナムの旅(その25) 古都ホアルーの「ディン・ティエン・ホアン祠」と「レ・ダイ・ハン祠」(中編)

お堂前の「龍の庭」にある参拝所の色鮮やかな祭壇(さいだん)には菊の花が飾られ、前香炉(まえこうろ)には中国風の長い線香が供えられています。
 
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その後ろには皇帝を載せる御輿(みこし)が置かれ、その先には龍の彫像とレリーフがありました。
 
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お堂の屋根の装飾は2体の龍が炎に包まれた玉(如意宝珠)を守っている意匠(いしょう)になっています。
 
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色とりどりの旗の意味をガイドさんから聞きましたが失念してしまいました。
 
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皇帝の衛兵が使う薙刀(なぎなた、中国名は大刀)
 
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お堂の中に入りました。「BAN THO(祭壇) CONG DONG(一般公開)」と表示された祭壇(さいだん)にはバナナが供(そな)えられています。
 
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跨(また)ぐのが大変なほど高い敷居を越えて奥に入ります。
 
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香が立ち込める霊廟内には皇帝「ディン・ティエン・ホアン(丁先皇)」の座像が安置されていました。ちなみに、「ディン・ティエン・ホアン」は尊称で、実名は「丁部領(ディン・ボ・リン)」。
 
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NAM(息子)VUONG(王子)、DINH LIEN(ディン・リエン)」と表示されている右手の像は長男の「ディン・リエン(丁璉)皇子」
 
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左手に控えるのは高官か? ちなみに、「ディン・ティエン・ホアン」と「ディンリエン」は共に暗殺されました。(詳しくは次回記事に記述)
 
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薙刀(なぎなた、大刀)と鳴り物類
 
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お堂を出て一の門へ向かう途中に見かけた龍の装飾と奇岩
 
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三の門と珍しい形の屋根瓦
 
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「ディン・ティエン・ホアン祠」を出て「レ・ダイ・ハン祠」へ向かいます。通路脇には寝そべる水牛(左手)とカメラを持った現地の女性たち(右手)が観光客を待ち構えています。声を掛けられないように道の中央を足早に歩きました。
 
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池に咲く蓮の花
 
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案内地図には「ディン・ティエン・ホアン祠」と「レ・ダイ・ハン祠」の他に寺院・パゴダ・宮殿・鍾乳洞、ホアンロン江、サオへー川が表示されています。
 
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(続く)

2016年4月20日 (水)

ベトナムの旅(その24) 古都ホアルーの「ディン・ティエン・ホアン祠」と「レ・ダイ・ハン祠」(前編)

30分の休憩後、ドライブインを出発。ネットで確認して知りましたが一般道と思ったこの道路が国道1号線でした。ICを出ないで直進するとDuong Cao Toc Cau Gie-Ninh Binh(カウゼー-ニンビン高速道路)に入ってニンビンの市街地の近くで国道1A号線に繋(つな)がっています。つまり、国道1A号線のバイパス道路なのです。 

国道1A号線沿いにアヒル(家鴨)の養殖場が多数点在しています。
 
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国道1A号線を右折して最近建設されたと思われる道路(航空写真には写っているいますがネット地図に表示されていない)に入り、3kmほど先で右折しました。埃(ほこり)っぽいためか道を歩く人は布で口元を覆(おお)っています。ちなみに、広い道路の後方にはセメント工場のようなものが見えます。
 
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国道491号線の右手には水田と岩山が続きます。その陰には工場の煙突が見えます。
 
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スアンタィン通り(Duong Xuan Thanhへ右折して水量の多い大きな川を渡ります。
 
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道路は田園地帯の奥へ入って行きます。
 
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道路脇の水田に岩山が迫ります。
 
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ドライブインを出発して約1時間後、途中工事渋滞があったため予定より遅れてニンビン省のホアルーの町外れ(約5km西方)に到着しました。ハノイがある紅河デルタ最南端に位置するニンビン省の省都ニンビンの少し手前(北方)にある現在のホアルーは、青銅器文化であるドンソン(東山)文化が栄えた紅河デルタ(ハノイなどベトナム北部)において、紀元前6世紀ころに伝説の支配者「雄王(フンヴォン)」が建国した「バンラン(Van Lang、文郎国)」の時代から存在したという、ベトナムで最も歴史の長い地域です。
 

また、10世紀には中国(南漢)が弱体化したためその影響下で呉朝(939-968年)が成立しましたが、間もなく群雄割拠の時代(十二使君時代)に移行し、呉朝の将軍の子である丁部領(ディン・ボ・リン)が国土を再統一して中国の支配を1000年ぶりに脱して966年に丁朝(ディンチョウ)を興(おこ)し、ホアルー(華閭)に都を置きました。国号(国の名称)の大瞿越(ダイコヴィェト、だいくえつ)は「偉大な越」の意味します。次いで丁朝の将軍が前黎(レ)朝(980-1009年)興(おこ)して同じホアルーを都としました。その主な理由はホアルーがホアンロン江とW字型に連なる岩山に囲まれた天然の要害(ようがい)であったこととされるそうです。

 

ハノイの約100Km南にあるホアルーはベトナム政府により「特別歴史遺産」に指定されているそうです。ホアルーの見所は、その遺跡・遺構はほとんど残されていませんが、ここで王朝を築いた2人の皇帝を祀(まつ)る「ディン・ティエン・ホアン(Dinh Tien Hoang、丁先皇)祠」と「レ・ダイ・ハン(Le Dai Hanh、黎大行)祠を中心に、王宮や城壁跡、ニャッチュー(一柱)寺をはじめとする数々の寺院のようです。これらは「古都ホアルー」として世界遺産「チャンアンの景観複合体」(後述)に含まれています。参考情報ですが、航空写真を見るとこの一帯の様子(広大なカルスト地形と入り組んだ川の流れ)が良くわかります。

 

薄い雲を通して日差しが感じられ始め、気温が上昇したようです。3日前、ハノイに着いてから太陽光の恵みを感じるのはこれが初めてなのです。

 

バスが停まった広い駐車場の脇には土産物屋が並んでいます。
 
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駐車場を出て道路を横断すると、幅の広い橋の前方に最近造られたと思われる東門が見えました。ここは約1000年前に王城の外城(庶民が住む区域)があった場所で、後世(17世紀)になって2人の皇帝を祀る祠(廟)が再建されています。ちなみに、内城(皇帝と役人が居住)は少し西方のホアンロン江寄りにあったそうです。
 
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ガイドさんに従って歩きます。
 
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橋の左手に続くサオへー川
 
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左手に聳(そび)える岩山にはディン・ティエン・ホアンの墓があるそうです。
 
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門を潜(くぐ)ると大きな広場に出ました。そこには派手な衣装を着た観光用の水牛に乗る牛使いの男性がいました。観光客を乗せる水牛にのようです。
 
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通路を直進し行き当った左手にある第一の(廟門)を通り抜けます。「門稍鑰(ひもんしょうやく)」と書かれています。」は儀礼に使う生贄(いけにえ)を載せる大きめの木の杓子(しゃくし)で「批」とも表記、「稍」は分量や程度がわずかであることで日本語では「やや」と読み、「鑰」は鍵を意味しますが、私の知識ではそ全体のの意味を理解できません。
 
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一の門を抜けて半月池の畔(ほとり)で右に折れると細い通路が続きました。
   
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両脇に池が現れました。前方に二の門が見えます。
 
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東門を潜る時に見た岩山を振り返ってみました。
 
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三の門も通り抜けました。長い通路と二本の門柱の先に「ディン・ティエン・ホアン(丁先皇)祠」のお堂があるようです。
 
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(続く)

2016年4月19日 (火)

ベトナムの旅(その23) ハノイ南方のニンビン省へ

「ベトナムの旅」は中盤から終盤に入りました。この日も午前5時半に起床。外は相変わらずの曇天のようです。ハノイの春先はすっきりしない天気が多く、秋から冬にかけて晴れる日が多いそうです。
 
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午前6時を過ぎましたから朝食会場へ向かうことにしました。ホテル(建物)の壁面がカーブしていて廊下もこんな風になっています。
 
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1階のロビーから見たエントランス
 
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午前6時にオープンするホテル1階のカフェテリア「カフェ・プロムナード」(Cafe Promenade)では客席がすでに半分以上が埋まっていました。これは同居者が選んだ朝食です。
 
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私は2日前と同様、まず気に入った「フォー」と「オムレツ」を、
 
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次いでサラダとフルーツなどを追加。朝食には紅茶が欠かせません。控えめにしたつもりでも、やはり量が多かったようです。
 
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自室に戻ってふたたび窓の外を見ると、
 
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信号待ちをする自動車とバイクの大群が目に入りました。
 
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信号が変わるとバイクの行列が双方向に絶えません。道路の手前、ホテルの敷地に並ぶ国旗群にも注目しました。左から、ベトナム、スイス、アメリカ、韓国、日本、オランダ、中国、シンガポール、マレーシア、ロシア、ラオス、インドネシア、ミャンマー(旧ビルマ)、ブルネイ、フィリピン、カンボジア、デーウー(社旗)の順ですが、並べ方にホテル側の配慮を感じます。
 
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午前8時に前日までとは異なる大型バスに乗車してホテルを出発
 
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高速鉄道の工事現場付近を通過し、通勤客で混雑する道旧市街の道路を通って何か所ものホテルに立ち寄ってツアー参加者をピックアップしました。
 
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国道1A号(高速道路)に入り、一路南下、ハノイ市街を出ると、高層マンションが立ち並んでいました。
 
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ハノイの市街地から国道1A号線を走って1時間20分後、Xa Dai Xuyen((サー・ダイ・スイエン)ICで一般道に出て、あるドライブイン」で休憩です。それほど広くない駐車場には観光バスが多数停まっています。
 
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入口には「身体障害者の作業場」と表示されています。
 

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入口脇にはこんなものが展示されていました。
 
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店内は中国語が飛び交う喧騒状態。陳列棚に並ぶのは、被っている帽子と着ている服からみて、ベトナムの人形のようです。
 
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熱心に刺繍絵を製作するスタッフ
 
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ベトナムらしさを強調した刺繍絵が山のように積んで売られています。
 
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(続く)

2016年4月18日 (月)

「下流老人」を考える

高齢者の9割が貧困化しつつあることが問題になっているようです。 いわゆる「下流老人」が増加するリスクが増大しているのです。昨年発刊された「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」(藤田孝典著、朝日新書」で登場した造語で、『普通に暮らすことができず下流の生活を強いられる老人』という意味であり、社会福祉士の著者は『年収が400万円の人でも、将来、生活保護レベルの生活になる恐れがある」と指摘します。同書は「下流老人」に 陥る5つのパターンとして、

1)本人の病気や事故により高額な医療費がかかる

2)高齢者介護施設に入居できない

3)子どもがワーキングプアや引きこもりで親に寄りかかる

4)熟年離婚

5)認知症でも周りに頼れる家族がいない

があるといいます。その背景を分かりやすくまとめると、「収入が著しく少ない」「十分な貯蓄がない」「頼れる人間がいない」の3つになります。

 

本人の問題だけでなく家族の介護問題や息子の大学時代の奨学金を年金から返し続けなければならない問題を併せて抱える老人も少なくないといいます。これらの問題が切っかけとなり、労働・家族・住居を失い、金銭を失い、ついには野宿という究極の貧困状態に陥るリスクを抱える人が増加しているのです。落ちるときは一段、また一段と落ちるのですが、いったん最下段まで落ちると、その状況から簡単には上に上がれないのです。たとえば、住所がないとハローワークで職を得にくく、生活保護を受けるのに時間がかかることもあるようです。また、経済的に困った状況にあっても、過去の生活から生まれた自尊心(プライド)や他人に迷惑を掛けたくないとの思いから生活保護の申請をしないか、申請しても追い返されて野宿になる高齢者もいるそうです。

 

つまり、失われた20年と2008年のリーマン・ショックを経た日本は、一度転落するとやり直しのきかない「滑り台社会」になったと言われ、ごくふつうの暮らしをしていた会社員が、突然「下流」に滑り落ちることが十分あると同書は警鐘を鳴らしています。高齢者の8割は「年金」しか収入がなく、老後の暮らしを年金に頼るしかないのです。しかし、年金の支給額も徐々に下がっていますし、介護保険の負担が増加していますから、中高年の人は年金問題を注意深く考える必要があるというのです。

 

そして、余裕がある間に預貯金や持ち家などの資産リスクを分散することを勧めています。給与以外の収入を確保したり、定年後も仕事を続けたりして、リスク低減策を取っておくことが、貧困を回避するのに役立つと著者はいいます。いざ危機が迫ったときには頼れる社会保障制度を知っておくようにと著者はアドバイスします。また、社会にとっても、貧困予備軍を放置すると、いずれ貧困層が厚くなり、税金と社会コストが上がり、貧困状態が長く続けば健康にも影響するので、医療費も増えると指摘します。この状況に陥ることを少しでも避けるためには、将来生活保護を支給するのか、65歳になったら最低保障年金を支給するのか、少なくとも基礎年金部分には100%税を入れるべきだと著者は提言します。

 

                          ☆

 

本書を補足するためシニア世代の収入について考察してみました。厚生労働省が発表した平成27年度の年金額をまず紹介します。国民年金から支給される老齢基礎年金は、20歳から60歳まで40年間にわたって保険料を支払った人で、1人1か月6万5008円。また、厚生年金から夫婦2人分の老齢基礎年金を含む標準的な年金額として22万1507円とのこと。

 

この標準的なモデル家族(夫婦)は、夫が平均的収入(賞与含む平均標準報酬の月額換算)は42.8万円)で40年間就業し、妻がその期間すべて専業主婦であった世帯が平成27年度に年金を受け取り始める場合の給付水準です。つまり、年収が約500万円だった世帯をモデルとして試算されているのです。

 

その結果、国民年金のみの人は年収が78万円、厚生年金の人は266万円です。前者は生活保護者に支給される月額13.5万円(東京都在住の50歳代単身者、無税・医療費免除)の半分にしかなりませんから、文化的な生活を送るには不十分な金額であることは明らかです。

 

また、後者は前者に比べて3倍強で恵まれているようですが、現役時代の収入から半減するのです。そして、生活保護者に支給される金額の約1.7倍の水準と言えますが、著者が指摘するような諸問題が一つでも発生すれば生活水準は一気に低下します。したがって、大半の年金受給者は「下流老人」になるリスクがあることは否定できません。

 

ところが『「下流老人」の「1億総下流」は嘘』 という記事が月間誌"Wedge"JR東海グループの出版社が発行、政財界のリーダー層・企業の経営者層・富裕層が主な読者)の最近号に掲載されました。電子版で読むと、その主旨は次のようです。『日本にはリッチな人が多いことを、年収ではなく、資産額に着目して論じます。金融資産(2013年の調査)で1億円を超える富裕層が約100万世帯、5000万円以上(1億円以下)が約315万世帯であるのに対し、生活保護世帯数(2015年の調査)は約163万と半分にしか過ぎないと言うのです。そして、「あたかも日本人全員が下流になる」と言うのは暴言である』 と「下流老人」における指摘を切り捨てています。

 

どちらの意見に共感できるかの判断は皆さんにお任せしますが、私は「下流老人」がすなわち「生活保護者」と決めつける"Wedge"の記事の方が暴論である(論点をすり替えている)と考えます。上記したような異論はありますが、本書は現在の日本社会における最大の問題ともいえる、「少子高齢化による社会保障制度の危機」を考えさせる良書だと思いました。

 

最後に、アメリカで5年間にわたって生活を通して得た経験と知識に基づく私見です。競争社会(弱肉強食が原則)といわれるアメリカにおける年金制度と経済的困窮者への援助は、日本の現状よりもはるかに整備されている(手厚い)と感じます。加えてキリスト教会と言うセイフティネットもあるのです。さまざまな見直しが継続的に行われてきたことがその背景にあるようです。一方、世界一ともいえる少子高齢化社会になった日本は、改革と改善が遅きに失した感がありますが、手を拱(こまね)いていては事態が悪化するばかりでしょう。近いうちに関連する内容で記事を書きたい思います。

 

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2016_04170006冬の寒さに耐えたサフィニア・マックスがわが家で多数の紫(パープル)色の花を咲かせています。

サフィニアは南アメリカ原産のペチュニア(ナス科ツクバネアサガオ属)を改良してサントリーが1989年に生みだしたペチュニアの新種(多年草)です。花びらが薄く雨と寒さに弱いというペチュニアの弱点を克服し、枝分かれを多くして多くの花が咲くよう改良されました。このため手軽に育てることができます。

 

また、サフィニアは垂れ下がる性質があるため、ハンギングバスケットやベランダの手すりなどを飾るのにはもってこいです。ちなみに、サフィニア(Surfinia)は、枝が波打つように広がる様子から、英語のサーフィン(Surfing)とペチュニア(Petunia)の合成語とのこと。

 

花の色は赤・紫・黄・白・ピンクの5種類があり、花言葉は「咲きたての笑顔」ですが、わが家のサフィニア・マックスはサフィニアの中でも最も草丈が高く、ボリュームのある株に特徴があります。順調に育てれば4月から10月まで半年間にわたって花を楽しむことができます。

 

そのために注意する点(神経質になる必要はありません)は、日当たりの良い場所を選ぶこと、緩効性化成肥料を混ぜた用土に植えて毎週液体肥料を追肥すること、朝夕の水やりを欠かさないこと、花に水をかけないこと、摘心(てきしん)と花がら摘(つ)みを行うこと、伸びた茎を切り戻すこと、ナス科の植物の後に植えない(連作しない)ことです。

2016年4月17日 (日)

勝ち組企業の凋落とお家騒動

時代はしばしば勝ち組と呼ばれる企業を生み出します。現在はといえば、トヨタ自動車(品質改善とコスト削減を徹底)、NTT グループ(圧倒的なシェア)、キャノン(国内製造を重視)など毎年大きな利益を生み出している大手企業が勝ち組として思い浮かびます。これらの企業には長い歴史があり、規模の大きさで際立っていますから安定感も抜群であり、その地位が揺らぐことは当面考えられません。一方、新興企業の場合は、そのユニークな経営によって急速に業績を伸ばしてその時代の勝ち組として注目されたものの、いつしか業績が悪化してしまう企業が目につきます。

 

最近の事例では、ユニクロ、スターバックス、日本マクドナルド、ワタミ、すき家、餃子(ぎょうざ)の王将(王将フード)など枚挙に暇いとま)がありません。業績を悪化させる最大の要因は顧客離れです。その原因はさまざまですが、共通するポイントはその企業の魅力が薄れる(あるいは消滅)することでしょう。内向きの経営方針あるいはガバナンスの不在による度重なる不祥事、商品あるいはサービスの価格と品質のバランスを軽視する利益重視の経営戦略(値上げと経費削減)、現場の状況を無視した本社の独善的な経営判断と一方的かつ理不尽な指示、過去の成功体験に浸った経営者が経営環境の変化へ適応できない、などにより顧客離れが発生して経営不振への道に迷いこむケースが見受けられます。(関連記事」:「デフレの象徴とされた商品が次々と・・」「ジレンマを考察する」「歴史に学ぶ大手企業の盛衰」)

 

スターバックスコーヒーは今も業績は良好ですが、業界トップであった顧客満足度が低下したことが注目されています。高級なイメージがあって休憩時間の短いサラリーマンや店内でパソコンを操作する営業マン(あるいは事務所外で仕事をするノマドワーカー)などには便利ですが、年配者などが落ち着いて店内に滞在できる雰囲気がないのです。最近の顧客満足度調査(サービス産業生産性協議会が行った2015年度日本版顧客満足度指数)では低価格を売りにするライバルのドトールコーヒーショップに追い抜かれ、コメダ珈琲店に追い上げられていると評価されています。

 

同じく、顧客満足度が高かった東京ディズニーリゾートも、利益を優先するために行ったキャスト(サービス要員)削減がサービスの質を低下させ、新しいアトラクションが不在であるにもかかわらず度重なる値上げを行い、集客に熱心であるあまりゲスト(入場者)が増えすぎたりゲストの質が下がったりしたことなどから、最近は全業種における顧客満足度順位が大幅に低下(2014年の2位から2015年には10位前後へ)しているようです。一方、同業のユニバーサルスタジオジャパンUSJ)ハウステンボスが、東京ディズニーリゾートと同様入場料を値上げしているにもかかわらず、来場者数を大幅に伸ばしながら顧客満足度も上げています。

 

東京ディズニーリゾートは別の調査においても、『失望する人の率が高まったことで入場者数が頭打ち(微減)』 になっています。この状況は日本マクドナルドが値上げと失望感の相乗効果で業績悪化を招(まね)いたことの経緯を連想させます。つまり、サービスの場の雰囲気(価値の一つ)は、魅力的なビジネスモデルと優秀なスタッフ店員)だけではなく、顧客も参加して創(つく)り上げるのです。ちなみに、日本マクドナルドもノマドワーカーが席を占領することで家族連れに敬遠された要因であると指摘されたことがあります。

 

一方、ファストフードではモスバーガーと吉野家HDの健闘が目立ちます。上記した日本マクドナルドと他の牛丼チェーン店が値上げすることで収益の改善を目指したのに対して、『客単価を向上するために既存商品の質をさらに高める』 という戦略を通じて成功を勝ち得た(吉野家HDは道半ばで今年度が勝負)ようです。ファストフードではこれが最大のポイントであり、ワタミと日本マクドナルドはこの対応ができなかった(不十分だった)のです。

 

最後に異業種ですが、資源開発(海外のガス田や金属鉱山の権益取得)への過大投資で赤字を計上した三菱商事と三井物産は、原子力発電分野にのめり込んだ東芝と液晶に拘(こだわ)りすぎたシャープと同様、経営判断のミスが原因であることは明白です。

 

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ここからは4月に入って勃発(ぼっぱつ)した一流企業におけるお家騒動について私見を交(まじ)えて説明します。顧客満足度が業界1位で勝ち組と位置付けられるセブンイレブン・ジャパンの親会社であるセブンアイHDで驚くべきことが起きました。絶対的権力者である鈴木会長兼CEOが子会社であるセブンイレブン・ジャパンの社長兼COO を更迭する提案を、セブンアイHDの創業者と米投資会社(ともに大株主)による賛同を得られなかっただけではなく、指名・報酬委員会の承認を得られないにもかかわらず取締役会に提案しました。

 

ところが思わぬことに取締役会でも過半数の賛成票が得られず否決されてしまいました。なぜそこまで子会社の社長を更迭したかったのか(米投資会社は世襲人事が背景にあると憶測)明らかにされていません。その結果、鈴木会長兼CEOは混乱の責任を取るとして、会長兼CEOを退く意向であることを同日夜に開かれた記者会見で発表したのです。

 

自らが指名した子会社の社長兼COOが就任以来最高益を継続しているにもかかわらず、自分の期待に応えていないと糾弾(きゅうだん)。しかも、当人との会話内容まで引用して非難したのです。まさに唯我独尊! 比類なき名経営者として高く評価されてきた人物(経営手法がブラックだとの非難が一部にある)が、晩節を汚すような行動をとり、それが受け入れられないと分かると部下を口汚く罵ののし)ったことは、サラリーマンとして半生を過ごした私には大きな衝撃でした。

 

しかも、もう一つの中核企業であるイトーヨーカ堂の社長兼COO(鈴木会長兼CEOが指名)がヶ月ほど前に業績悪化の責任をとって辞任し、前社長が復帰していたのです。以前放送されたテレビ番組のインタビューでは自らの経営哲学と経営手法を自信たっぷりに話していた名経営者がただの頑固な老人になってしまったように思われたのです。歴史上の人物である豊臣秀吉の晩年にも重なります。養子姉の子)の英次(ひでつぐ)を後継者に指名朝廷から関白に任命)しておきながら、いわれなき謀反を理由(英次に乱行があったとする説もある)に流罪・切腹を命じたことです。

 

さらに、私は超一流デパート「三越」で天皇とまで呼ばれて絶大な権力者であった岡田元社長が1982年に取締役会で突然社長を解任され、「なぜだ?」と言ったとされる有名なできごとを思い出しました。ライバルを次々に排除して自らの権力を強化し、会社の経営面でも不明朗な行為(利益供与など)を行って私物化したことが理由でした。この時も社外取締役が責任を取って社長を辞任するよう事前に助言したそうですが、本人がが拒否したため、クーデターという事態に至ったとされます。

 

上記したセブンアイHDの取締役会の一週間後(15日)に指名・報酬委員会がセブンイレブンの社長をセブンアイHDの社長に昇格させる人事案を承認しました。このメンバーでもあるセブンアイHDの社長兼COO(先の委員会では更迭に賛成、その後自ら辞意を表明)もこの人事案に賛成したと伝えられます。つまり、この社長候補以外には社長を務められる人材がいないことをセブン&アイHDが認めた形です。これにともない数日後には取締役会で、ヶ月後には株主総会でこの人事案が承認される見通しになりました。

 

鈴木会長兼CEOによって多くの人材を失ったセブンアイHD(セブンイレブン、イトーヨーカ堂、そごう・西武百貨店)の経営に悪影響が出ないことと、これまでの巨大な鈴木商店から脱皮して今後とも流通業界をリードする企業として発展することを期待したと思います。まったく異なる業種ですが、お手本になる企業があるように思います。それはスティーブ・ジョブズ氏が亡くなって年半が経過した米アップル社です。スティーブ・ジョブズ氏に指名されてその後任を務めるティム・クックCEOの堅実な経営力が光ります。当初は同社製品の魅力と企業活力を失わせるのではないかとの懸念もありましたが、それは杞憂(きゆう)だったようです。いかなる優良企業もいつかはトップ経営者が交代する(せざるを得ない)状況がくることは必然なのです。

 

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2016_04170003今年もわが家でクンシラン(君子蘭)が咲きました。この鉢植えも同居者が知人から譲(ゆず)り受けたものです。名前から中国原産の東洋蘭と思われがちですが、南アフリカ原産のヒガンバナ科ユリ科に分類されることもある)の常緑多年草"Clivia(クリヴィア)"に付けられた和名なのです。3月から5月にかけて豪華な花を咲かせ、その後に結実します。花の色は赤が一般的ですが、黄色や赤と黄色のツートーンカラー、斑点(はんてん)が入ったものなどがあるようです。また、艶(つ)のある濃緑色の葉が美しいことで観葉植物としても楽しめます。わが家をの君子蘭は葉の幅が広く立つように長くのび、かつ花茎も長いことから見て高性広葉系でしょう。他にはダルマ型と呼ばれる丈の低い品種、葉に斑(まだら)が入った品種もあるそうです。

2016年4月16日 (土)

ベトナムの旅(その22) 一柱寺と広東料理店「桃李」

「ホー・チ・ミン廟」から徒歩で向かったのは近くにある「一柱寺(いっちゅうじ)」。李朝第二代皇帝李太宗(在位:1028年-1054年)が1049年に建立した延祐寺(チュア・ジエン・ヒウ、Chua Dien Huu)」の楼閣です。その由来は李朝初代皇帝の李太宗(リー・タイ・トン)が蓮の上に座して子供を抱く観音様の夢をみて、その後まもなく子供を授かったことから、この寺を建立したのだそうです。1105年には周囲に霊沼池(リンチエウ、Linh Chieu)が掘られて回廊ができましたが、フランスとのインドシナ戦争(1946-1954年)の終結時にフランス軍によって破壊されたため、1955年に修復されたそうです。現在の柱(高さが4m、直径が1.2m)はコンクリート製でした。
 
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観光客が一時的に捌(は)けると「一柱寺」の全体を見ることができました。階段が目立たない後姿を見るとたしかに池に浮かぶ蓮の花をイメージさせます。
 
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正面にある祭壇には花と私が好きなモンキーバナナが供(そな)えてありました。ちなみに、手前の赤い箱は賽銭(さいせん)箱です。
 
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狛犬(こまいぬ)が守る門を抜け、蓮が飾られた幅の狭い階段を10段ほど昇ると、お堂の前に出ることができます。
 
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「蓮花台」と書かれた扁額(へんがく)が架けられ、その下には黄金色をした千手観音像が安置されています。ガイドさんによればベトナムでは子宝を授(さず)けて欲しいと祈る人が多いそうです。
 
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すぐ横に延祐寺(本堂)がありました。ここを訪れる観光客はほとんどいないようで人影はありません。
 
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「重三帝命家稱神女国」と難しい漢文が書かれています。「重三」は三月三日、「(白偏に反)、キ」はかえす/かえる、「帝命」は天命、「家稱(称)」は屋号、「神」はもちろん神、「女國(国)」はチベットにあったとされる女王国」の意味だと思われるのですが・・。半世紀前の大学入試で国語の選択科目として漢文を選択した私にとっても漢語そのものが難しく、この漢文の意味は理解不能です。三月三日の上巳節(じょうしせつ、日本では桃の節句)に関連した厄災祓(やくさいばら)いのことが書かれているのかもしれません。
 
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「一柱寺」と「延祐寺」の参拝を終えて「ホー・チ・ミン廟」方面へ戻ると、巨木の脇に小さな交番のような衛兵所がありました。
 
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ふたたびバスに乗車してディエンビエンフー通り(Dien Bien Phu)とレズアン通り(Le Duan)を通ってハノイ駅方面へ向かう途中に鉄道の踏切を通過しました。ハノイ駅から北へ向う3路線が共用する線路(狭軌)です。ちなみに、ディエンビエンフー通りはインドシナ戦争末期の1954年にフランス軍を打ち破ったラオス国境近くの地名「Dien Bien Phu、奠邊(典辺)府」に因(ちな)んで命名されたようです。
 
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ハノイ駅GA HA NOI)の正面口前を通過。ちなみに、ハノイ駅は先ほど通過した北へ向かう3つの路線と南のホーチミンまで1726km続く(日本の新幹線では福島駅-鹿児島中央駅間1736kmに相当する距離)南北鉄道(別名:統一鉄道)の始発駅です。
 
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ここで現在のハノイの概要を紹介します。ガイドさんから聞いた情報によると、ハノイ市の人口は約700万人であるのに対して、車の登録台数が500万台、うちバイクは400万台と多く、ほとんどの成人がバイクを所有していることになるそうです。

 

ハノイ駅のすぐ南にあるホテル日航ハノイ(5つ星)に到着しました。ハノイ唯一の日系ホテルです。
 
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夕食会場は2階にある広東料理店「桃李」(Tao Lee/Li、タオリ)です。ちなみに、同じフロアには日本料理店「弁慶」もあるようです。
 
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この日のメニューは和風セットメニューで、その内容は、フルーツとミニどら焼、サラダ、豚肉の生姜焼き、味噌汁、茶碗蒸、前菜、白飯、白身魚の蒸し物が提供されると説明されています。
 
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夕食を終えた後、宿泊するホテルへ向かいました。この日も初日と同じDAEWOO(デーウー、大宇)です。2度目のチェックインであるため、パスポートの提示は不要でした。しかし、この日の部屋は前回の17階から9階に下がりました。建物の曲面部にある客室であるため、部屋の形はやや扇状で、室内設備のグレードが下がったのではないかと同行者は言いますが、広さはほぼ同じで、私にはまったく不満はありません。確認すると、17階だけはResidential SuiteとRoyal Suiteですが、それ以外のフロアは一般客室でした。窓の向きが45度ほど右になったことで、見える景色が変わったことには気づきましたが。
 
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唐突ですがベトナムの歴史を概観します。北部ベトナムは隣国である中国に支配される時代が漢によって広州を首都とする南越国が漢に滅ぼされてから約1000年も続きました。一方、南部ベトナムはクメール人(カンボジア人)による国が2世紀ころに起こり、中部ではチャム族によるチャンバ王国が192年に建国されました。その後、1009年に北部ベトナムで建国された李朝は平和外交によって中国・北宋から1016年に南平王に封じられたことで安定した内政を行うことができ、216年間にわたって存続した。12255年に陳朝(175年間)、1407年には中国・明が支配する後陳朝が興(おこ)り、1428年には黎朝、1527年に建国された莫(マク/バク)朝は150年間続きました。 

 

1802年に始まった阮(グエン/ゲン)朝は南部を含めた国内統一を行い、1804年に中国・清から越南国を国名にすることを許されたことでしばらくは安定していました。ただし、インドシナに勢力を伸ばしたフランスとの戦争(仏越戦争)に敗れて1883年にフランスの保護国(植民地)となり、日本の進入をうけながらも、1945年までの143年間にわたって阮(グエン/ゲン)朝は続きました。 

 

このようにベトナムでは1009年からの約900年間に多くの王朝(短命の王朝は言及を省略)が興亡しましたが、中国による支配期を除けば、歴史が教えるように、王朝の交代は有能な王の不在(後継者に逸材が続かなかったこと)と王朝内(重臣・役人)の腐敗が滅びた主原因でした。 

 

そして、1945年にベトナム民主共和国として独立し、フランスとのインドシナ戦争(1946-1954年)終結後、ベトナム戦争(1960-1975年)に勝利したことで1976年に南北ベトナムが統一され、ベトナム社会主義共和国が誕生しました。その後、中越戦争で孤立する時代が訪れましたが、市場経済を取り入れるドイモイ(刷新)政策が1986年に採用されたことで、急速に経済が発展して現在に至っています。このような中国との長い歴史があるため、科挙(かきょ)などの行政制度、文廟(孔子廟)の存在や漢字(現在はほとんど使われていないが)による中国(漢文)文化、そしてこの日に見学したばかりのタンロン王城などの歴史遺産があるのです。 

 

ここで「ベトナムの旅」の投稿を小休止して次回は箸休めの記事を投稿します。(続く)

2016年4月15日 (金)

ベトナムの旅(その21) ホー・チ・ミン廟

バスが次に到着したのはベトナムの国民的英雄であるホー・チ・ミンが眠る「ホー・チ・ミン廟」です。タンロン遺跡からは北西方向に約1kmの距離にあります。道路には”KHU VUC BAO VE”(ガード区画)、”CAM DO XE”(駐車禁止)と表示されたバリケードがあって車は進入することができませんから、この先は歩くことになりました。
 
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官公庁の建物(黄色く塗られている)が立ち並ぶこのエリアで見かけた花木(名称不明)はエドヒガン桜に似ています。
 
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世界最大の果実と呼ばれるジャックフルーツ(jack fruit、ハラミツ/波羅蜜)の若い実
 
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行き当った広い道路を右手に進みました。前方に荘厳な印象を与える「ホー・チ・ミン廟
が見えました。横長の看板に書かれた"NUOC CONG HOA XA HOI CHU NGHIA VIET NAM MUON NAM  ! " は「ベトナム社会主義共和国万歳」を意味します。
   
 
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その反対側のバーディン広場(Quang Truong Ba Dinh)に面して立つ国旗掲揚塔に翻(ひるがえ)る
赤地の中央に黄色の五芒星(ごぼうせい)を配したベトナム国旗で金星紅旗と呼ばれるそうです。ちなみに、バーディン広場は1945年にホー・チ・ミン主席がベトナムの独立を宣言した場所といわれます。
 
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その先にある現代的な建物は2015年に完成したばかりの国会議事堂です。当初の予定地であったタンロン遺跡の隣接地で遺跡が見つかったため、急遽この場所に建てられたようです。ちなみに、その向こう側に「ホー・チ・ミン博物館」があるようです。
 
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その少し右寄りにはモニュメントのようなものが確認できました。調べるとタンロン遺跡に面して1992年に建立された「戦没兵士慰霊塔Tuong Dai Liet Si)」でした。
 
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「ホー・チ・ミン廟」の前を南北に伸びる広い道の先にも黄色く塗られた建物があります。ガイドさんに何であるかを教えてもらいましたが、他ごとを考えていたようで、迂闊(うかつ)にも失念しました。後で調べると、ベトナム共産党中央本部(フランス統治時代の1919年に学校として建てられた)でした。
 
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"Chu Tich HO-CHI-MINH"(ホー・チ・ミン/胡志明主席)と表示された建物内にある冷房した部屋にはガラスケースに入れられたホー・チ・ミンの遺体(50年近く前に亡くなった際にソ連に送られて保存用の処理がなされた)が厳重に守られているそうです。しかし、午前中しか見学できませんので、外観だけを撮影しました。(内部は撮影禁止) それまで思い思いに散策していた観光客が「ホー・チ・ミン廟」の前に集まり始めました。毎時行われる衛兵の交代式は始まる時刻のようです。
 
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左手から純白の制服をまとい銃剣を持った衛兵が現れました。
 
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廟の入口で警護する2人の衛兵のところへ3人の衛兵が向かいます。人数が合わないようですが、台北の「忠烈祠」でも衛兵の交代式を見ていますから、同じだなと思いながら進行を見守りました。
 
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3人目は2人の衛兵を指導・監督する先輩格(介添え役)の衛兵なのです。ちなみに、花輪のようなものに斜めに貼りつけられた帯に小さな文字で書かれた“DOI DOI NHO ON CHU TICH HO CHI MINH YI DAI”は「○○偉大なホー・チ・ミン主席を思い出す」を意味するようです。
 
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ガイドさんによれば衛兵は優秀な兵士の中から身長が高くハンサムな男性が選ばれるそうです。この選定基準は台北の「忠烈祠」とまったく同じです。そして、白い制服も良く似ていますが、帽子の形が大きく異なります。
 
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交代式を終えた衛兵は退場して行きます。後方に見える大きな盆栽の鉢には国花である蓮の花が装飾されています。
 
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隣にある「一柱寺」へ向かう途中、「ホー・チ・ミン廟」が真横から見えました。先ほど交代を終えたばかりの衛兵たちが寛(くつろ)いでいるのが遠くに見えます。「ホー・チ・ミン廟」の敷地が広大であることをあらためて実感しました。
 
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(続く)

2016年4月14日 (木)

ベトナムの旅(その20) 世界遺産「タンロン遺跡」(後編)

考古学工芸品展示所に入りました。まず、玉をくわえた龍の屋根飾りが登場しました。
 
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そして、破損した龍の像
 
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龍の頭と屋根瓦
 
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これは屋根の四隅に取り付けられる龍の鬼瓦でしょう。
   
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発掘風景の写真パネル
 
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拡声器(メガホン)
 
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-67”と呼ばれる建物へ向かい、その地下室へ続く階段を下ります。入口には”Military Operation bunker – General Command Headquarter”(総司令部作戦所)と表示されています。
 
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防水・防爆機能が施された自動ドアは二重に設置されています。

 
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鉄製の分厚いドアの先にある地下室にはベトナム戦争の時にはベトナム人民軍の総司令部(大本営)置かれ、抗米戦争の戦略に関する決定を含む重要な会議が開催された会議室と備品を保管する部屋がありました。左上の薄型テレビはビデオ説明用で、もちろん当時のものではありません。
 
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テーブルの上にはベトナム人民軍総司令官ヴォー・グエン・ザップ(武元甲)将軍らのネームプレートとハノイ周辺の地図が置かれ、壁には戦略を立てるための地図がたくさん貼られていました。
 
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電話機、時計、作図用テンプレート、磁気コンパス(方位磁針)、書類カバンも展示されています。
 
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軍事用無線通信機はソ連(ロシア)製と思われます。
 
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黒板に書かれた文字はホーチミン主席の直筆だそうです。"Ngay"(日付)1972年12月18日と書かれていますから、ベトナム戦争で米軍による北爆が激化する中、ハノイ市郊外(西方)のメ・トリ(Me Tri)にあった短波送信所が破壊された日に書かれたものです。
 
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“D67”の建物を出て北へ歩きました。敬天殿と呼ばれる皇帝の宮殿があった場所に残る階段には4体の龍の装飾が施してありました。後黎朝時で最も栄えたとされるレー・タイントン皇帝の統治時代に造られたとされるそうです。ちなみに、敬天殿跡に建っている建物はフランスが植民地時代に建てた軍の司令部だそうです。
 
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その先には皇帝の臣下が居たという後楼と北門などがあるようですが、時間の制約で今回はパスすることにして、見学者用の出口である西門がへ向かいます。
 
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西門の外には大砲が置かれています。道路の向かい側ある国会議事堂の建設予定地でも大規模な発掘作業が行われていました。
 
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我われを向けに来てくれたバスに乗って次の目的地へ移動します。(続く)

2016年4月13日 (水)

ベトナムの旅(その19) 世界遺産「タンロン遺跡」(中編)

端門の2階テラス(南側)から盆栽が並べられた芝生広場とフラッグ・タワーを展望しました。
 
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手前の石畳の広場ではに知二が描かれています。「D16 」は大学生たちのクラス名(略称)かもしれません。
 
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反対側の階段で端門のテラスから下り、考古学工芸品展示場方面へ歩くと古民家がありました。
 
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古民家の前には日本の古民家でも良く見かける道具類が展示されていました。水瓶(左手前)、天秤棒を使って振り分けで担ぐ笊(ざる)は旧市街で行商人が使っているのを見かけました、そして、その奥にあるのは精米機(玄米を白米にする道具)です。支点の反対側に体重を掛けて杵(きね)を持ち上げて使います。
 
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この舟のような形をしたものは初めて見るものです。
 
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古民家の中には茶の間が再現されています。
 
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その奥にあるには煮炊きをする竈(かまど、別名くど)と簡単なベッド
 
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右側は脱穀したモミ(殻のついた米)の選別機である唐箕(とうみ)、左側はコメを保管する竹製の大きな籠(かご、容器)です。日本では上に投入口、下に取り出し口がついた金属(ブリキ)製の容器が一般的だったと思います。
 
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これは食事を一時的に保管する蠅帳(はいちょう)でしょう。
 
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次の建物に入ると、昔の風習を写した写真パネルが掛けられていました。
 
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仏具のようです。
 
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版画
 
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画家
 
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カラフルな仏壇(ぶつだん)
 
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広場には大きな鐘、赤い太鼓、亀の像が置かれています。ブルーサフィア製の大きな亀の前に貼られた銘板には”DANG TANG DAI LE 1000 NAM”(1000周年儀式贈答品の意味か?)とあります。ちなみに、ベトナムでは龍、ユニコーン(一角獣)、亀、不死鳥の4つが聖なる動物とされるようです。
 
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皮の中央に太極図(陰陽魚)のようなものを描いた大太鼓にも「2010」と表示されていますから、同じく遷都1000年周年を記念したもののようです。
 
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(続く)

2016年4月12日 (火)

ベトナムの旅(その18) 世界遺産「タンロン遺跡」(前編)

教会を見たあとに向かったのは、旧市街西方約1km(Hoang Dieu/ホアンジウ通りとDien Bien Phu/ディエンフー通りの交差する場所)にある「タンロン遺跡」(Di tich Hoang Thanh Thang Long、遺跡皇城昇龍/旧ハノイ城跡)です。ちなみに、タンロン(昇龍)は先の記事にも書きましたようにハノイの旧名。1000年をこえるハノイの歴史(李朝がハノイに遷都した1010年から阮(グエン)朝が成立してフエに首都がおかれた1804年までに存在した諸王朝の遺構)を残すことを評価されて2010年に世界遺産(文化遺産)に登録されました。その遺構の下から遣唐使から唐の高級官僚になった安倍仲麻呂が赴任した安南都護府と思われる「大羅(ダイラー)城」の跡が見つかったそうです。

 

途中、道路脇にミグ21戦闘機が展示されているのを見かけました。ベトナム軍事歴史博物館のようです。
 
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国旗がはためくフラッグタワー(国旗掲揚塔)は王朝時代に皇城昇龍の監視塔として建てられたものだそうです。
 
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タンロン遺跡」の入場施設には世界遺産のマーク(エンブレム)とともにベトナム語で”KHU TRUNG TAM HOANG THANH LONG – HA NOI”(ハノイ - 昇龍王城遺跡中心地区) 、英語で”THE CENTRAL SECTOR OF THE IMPERIAL CITADEL OF THANG LONG –HANOI”と誇らしげに表示してあります。”RECEPTION“(受付)の上に書かれたベトナム語が長いことが気になって調べてみました。逐語訳をすると「話す・迎える・接待・客・見学する」ですから、「見学客受付案内所」を意味するのでしょう。
 
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建物内にはチケット売り場があり、その前のスペースに歴史を説明するパネルが掛けられ、往時の建物(模型)が置かれていました。天井灯の写り込みがあって見にくいことをご容赦ください。ちなみに、入場料は3万ドン(約180円)。
 
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こちらはタンロン遺跡内にあった建物の模型
 
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現存する建物(右上の赤い屋根、中央上の白い屋根)に囲まれた真四角の建物はベトナムにとってもっとも重要な場所だそうです。(後述)
 
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カード型の入場券を入場ゲートに挿入するとバーが開きましたが残念なことにカードは返却されません。入場ゲートを抜けて敷地内に入ると、漢文で書かれた巨大な石碑がありました。漢文で書かれた李太祖の「遷都銘」のようです。
 
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大きな盆栽が脇に並べられた通路の先に端門(たんもん、皇帝が住んだ宮城の入り口)が見えます。私の先を行く女性たちはベトナムの民族衣装であるアオザイを着ています。
 
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これらの大型盆栽は売り物でした。
 
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端門前の広場では卒業する大学生たちの記念撮影が行われていました。欧米流の卒業礼服です。
 
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Di tich Doan Mon”(遺跡端門)の説明看板には1010年に始まる「タンロン遺跡」の歴史が書かれています。『1010年の遷都とともに皇帝の住居となったこの皇城は二重の高い城壁(外側は帝都を囲む)に囲まれ、正門である端門(南門)と裏門の北門がある。端門は現存するもっとも重要な建物(幅46.5m、奥行き26.5m、高さ6m)で、5つある出入り口のうち中央のものは皇帝専用)がある。2階にある欄干が設けられたテラスの上にはガゼボ・スタイルのパビリオンが野との時代に増設された』 と書かれています。
 
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上記のパネルには当時の地図も描かれていて、西湖(Ho Tay、タイ湖)などの湖とホン川(Song Hong)など多数の川に囲まれた天然の要害(ようがい、要衝)であったことが分かります。余談ですが、写真のように女子学生は白いアオザイを着ることが多いそうです。

 

振り返ると、芝生広場には思い思いにくつろぐ人々と、入場口がある建物(写真右)、とフラッグタワー(写真中央)が見えます。
 
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左側の門から入るようです。
 
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端門の左脇にある階段で2階のテラスに上がります。
 
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世界遺産に登録されるわずか8年前の2002年に発見された「タンロン遺跡」は現在も発掘調査が続けられています。
 
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フランスによる統治時代に建てられたと思われる建物は考古学工芸品展示場になっているようです。その右手でも発掘作業が行われているのが確認できました。
 
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真下を見ると、発掘された李王朝時代の煉瓦道が保護用のガラスの覆われており、その様子を間近で見ることができます。
 
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この煉瓦道は端門から皇帝の住居である敬天殿まで続いているようです。(続く)

2016年4月11日 (月)

ベトナムの旅(その17) ハノイの旧市街散策

午後、最初に訪れたのは「ホアンキエム湖」。町の中心にある湖で、亀の塔、玉山祠(玉山島の上に建つ神社)があり、近くにオペラハウス(大劇場)・歴史博物館・革命博物館・ホアロー収容所(フランスによって造られた監獄)跡などがあります。写真に写る橋はテーフック(The Huc、旭棲)橋です。
 
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南北に細長い「ホアキム湖」は古くから伝わる亀にまつわる還剣伝説があります。『15世紀のベトナム王朝である黎朝(れいちょう)を築いたレ・ロイは湖の神から授かった剣で中国(明軍)からベトナムを守った人物ですが、「ホアキム湖」を偶然訪れた時に、湖の底から亀が現れ、その剣をくわえて湖に消えたった』というものです。そのため、この湖はホアンキエム(還剣)と呼ばれるようになったとされます。事実、つい最近まで体重がやく200kgの巨大な亀がこの湖に住んでいたとガイドさんから聞きました。

 

写真は1969年にオープンした「タンロン水上人形劇場」
 
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翌日、ここで人形劇を鑑賞する予定です。ちなみに、「タンロン」(Thang Long、昇龍)はハノイの旧名。
 
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自転車にベトナムの菅笠「ノンラー」(またはノン)を積んで行商をする人
 
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「タンロン水上人形劇場」の近くで、「シクロ(Xich lo)」(自転車の前に客用の座席をつけた三輪車、人力車を改良した日本の輪タクと同じもの)に乗車して「ホアンキエム湖」の北側にある旧市街をまず観光しました。11世紀の皇帝リー・タイトー(李太祖)によって築かれた李朝の城下町です。ちなみに、インドネシアではベチャ、マレーシア・シンガポール・ビルマ(現ミャンマー)ではトライショーと呼ばれ、交通渋滞の原因になるとして現在は観光客向けだけに利用が限定されているようです。
 
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ハノイは約1000年の歴史を持つ首都で、中国とフランスによる支配を受けました。フランスによる植民地であった時に旧市街地(36通り)の南に新しい市街地(碁盤の目状の道に斜めの道を通した街路、コロニアル様式建築)が整備されたことで、フランス風の街並みとランドマークとなる歴史博物館、オペラハウス(パリのオペラ座を模して建てられた大劇場)、ハノイ大教会などが現在もこのエリアに残っています。
 
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店先に野菜などを並べて売る女性たち
 
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こちらは肉屋さん
 
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屋台のような喫茶店です。
 
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ベトナムらしい行商人たちを撮影させてもらいました。
 
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昭和の時代には日本でもリヤカー・自転車・天秤棒で荷物を運ぶ行商人をよく目にしました。行商用自転車の荷台に商売道具を載せた豆腐屋・包丁研ぎ屋・街頭紙芝居屋・富山の置き薬(配置薬)屋、天秤棒(てんびんぼう)は金魚売を連想しますが、江戸時代には蕎麦屋も屋台を天秤棒で担いで移動していたそうです。担ぐという漢字から連想するのが担担麺(たんたんめん)です。実は足の中国では天秤棒で中華蕎麦を担いで売り歩いていたことから担担麺と呼ばれたことが名前の由来のようです。

 

旧市街から「ホアンキエム湖」の西岸に出て、「ハノイ大教会(セント・ジョセフ教会)」に到着。ここでシクロを降りました。
 
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フランス統治時代に建てられたネオゴシック様式の教会で、ステンドグラスが見事であることで知られるようです。横幅20.5m、奥行き64.5m、鐘塔の高さ31.5m。手前に聖母マリア像が立っています。
 
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コブがいっぱいできた街路樹を見かけました。土壌細菌による細胞の異常増殖がその原因かもしれません。
 
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通用門を抜けて敷地内に入りましたが、この時間帯は残念ながら中には入れませんでした。
 
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そこで、ステンドグラスがはめられた窓を外から撮影 注、内部は撮影禁止
 
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ベトナムの大型盆栽が置かれていました。
 
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再び大型バスに乗車して次の目的地へ向かいます。(続く)

2016年4月10日 (日)

ベトナムの旅(その16) ハロン湾からハノイへ(後編)

フランスによる統治時代に石炭を積み出すためにフランスによって施設されたという列車の線路(支線)を横断します。
 
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ここで、ガイドさんから教えてもらったベトナム語による挨拶を紹介しましょう。
  注、母音の補助記号(5種類の声調記号)は省略

「はい」⇒「ヴァン」(Vang)あるいはより丁寧な「ヤァ」(Da

「いいえ」⇒「コン」(Khong

 

「おはよう/今日は/こんばんは」⇒いずれも「シン チャオ」(Xin chao) 

  注)シン(Xin)は丁寧語、チャオ(chao)は「やあ」

 

「ありがとう」⇒「カム オン」(Cam on) 注、"Cam on"は「感恩」

 

「さよなら」⇒「シン タン ビエッ」(Xin tam biet) 注、"tam biet"は「暫別」、すなわち暫(しば)しの別れ

 

 

ついでに後で知った挨拶の言葉も列挙します。

 

「私は元気です」⇒「トイ コエ」(Toi khoe) 注、"Toi"は「私」、"khoe"は「元気」を意味する

 

「私も元気です」⇒「トイ クン コエ」(Toi cung khoe) 注、クン(cung)は「~も」

 

「どういたしまして」⇒「コン コー ジー」(Khong co gi) 

  注、"Khong"は「~でない」、"co"は「ある」、"gi"は「何」、つまり「何もない」

        面白いことに英語の”Not at all”と同じ

 

「すみません/ごめんなさい」⇒「シン ローイ」(Xin loi) 注、ローイ(loi)は「エラー/過ち」

 

 

話題が横道にそれますが、にわか勉強で知ったベトナム語の表記方法(文字)についても簡単に説明します。中国の支配により強く影響を受けたベトナムは日本や韓国(朝鮮)と同様に漢字(漢文)を使ってそれぞれの言語を書き表していましたが、現在はそれぞれの表記方法を採用しています。日本語は漢字(表意文字)と平仮名・片仮名(いずれも漢字をもとに作りだされた表音文字)をミックスして使用しています。また漢字についても、中国から漢字とその発音を取り入れた漢語(音読み)と日本語に固有である言葉の意味に相当する漢字を充てた漢字(訓読み)が存在します。 

 

一方、韓国とベトナムでは独自の文字(表音文字)を採用しました。韓国語はハングル(韓の文字あるいは偉大な文字を意味する)が中国の陰陽五行説に基づいて15世紀ころ(李王朝初期)に創作されました。母音(10種類)と子音(19種類)からなる字母を組合せて音節を構成する仕組み(日本語のローマ字表記に近い)です。ベトナム語はフランスによる植民地時代に考案されたアルファベット表記が1945年の独立を契機として正式に採用されました。中国語の四声に似た声調を表記するために母音に補助記号(フランス語やドイツ語のアクセント記号に似ている)をつけています。ちなみに、母音は22種類、子音は37種類とさらに多いのです。
   

水牛が草を食(は)んでいました。
 
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時間後、ハイドゥン(Hai Duong)省チリン(Chi Linh)地区にある民芸店「VIET TIEN SON」(ヴィェト・ティエン・ソン)で休憩。
 
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リラックス効果や安眠効果のあるハス茶とベトナム・コーヒーを甘いハスの実などを摘みながら試飲。
 
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ちなみに、原料となるのは海抜1000m以上の高地で採取し、2-3年熟成させた茶葉と、タイ湖に咲くハスの花で、ハノイでしか手に入れられないといわれる貴重なお茶だとか。口に含むと、適度な渋味となんとも言えないいい香りが広がりました。
 

人形、カバン、アオザイ、刺繍(ししゅう)画、サンダル、菓子類などが並んでいるなか、「インスタント春巻き」が売られていました。同行者はベトナム・コーヒーと螺鈿細工(らでんさいく)のサンダルを買ったようです。
 
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30分あまり休憩したあと出発。国道18号線から国道1号線に入ってドゥオン川Song Duong)を渡ります。
 
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国道1号線が国道5号線と交差する大きなジャンクションを通過
 
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池の周りに群れをなすのはアヒルのようです。
 
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1時間後にハノイ近郊の町に入りました。
 
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ホン川を渡ります。
 
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出発して1時間40分のレストラン”Old Hanoi”に到着。何と、前々日と同じレストランでした。その記事でも紹介したように、門の脇に掲げられた写真は2010年にオープンした時、「オールド・ハノイ」を紹介した世界的なシェフである英国人のゴードン・ラムゼイ(Gordon Ramsay)でした。
 
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昼食は「チャーカー」などのハノイ名物料理です。ちなみに、「チャーカー」は白身の淡水魚(雷魚など)のぶつ切りをカレー粉で炒めて香草とブン(ライスヌードル)とともに食べる料理です。
 
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私はまず白ワインを注文
 
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「鶏肉・野菜・バナナの花の炒め物」
 
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「牛肉のフォー」と取り分けた炒め物
 
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茄子(なす)と豚肉」に続いてメインの「チャーカー」
 
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「空芯菜(くうしんさい)のニンニク炒(いた)め」は前々日と同じ
 
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季節のフルーツも前々日と同じスイカでした。2日前の夕食メニューと3種類が重複しましたが、まずまずのランチでした。(続く)

2016年4月 9日 (土)

ベトナムの旅(その15) ハロン湾からハノイへ(前編)

午前5時半過ぎに起床すると窓の外は朝靄(もや)に包まれていました。
 
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午前6時半ころに2階にある朝食会場へ向かいました。
 
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同行者がお皿に取った朝食です。
 
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私は「フォー」と「ターン・オーバー(目玉焼きの両面焼き)」でスタートしました。「オムレツ」がなかったのは残念です。ちなみに、サニーサイド・アップは名前の通りに黄身が上になった片面焼き。
 
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食べ過ぎないようにしたつもりでしたが、チャーハン、野菜炒め、中華饅頭(まんじゅう)、フルーツなどで満腹になってしまいました。
 
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17階の自室に戻っても、朝靄(あさもや)が立ち込めたままで、港付近はほとんど見ることができません。夜半に雨が降ったようで、路面が濡れているのが確認できます。天気が回復することを願いました。軟体側の部屋から見る景色(マウンテン・ビュー)がどうなっているのかが気になって、廊下の端にある階段から眺めてみました。
 
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午前8時ころ、大型バスがホテルに到着
 
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午前8時15分にホテルを出発、小雨が降り始めた中、前日と同じバスに乗車してハロン湾からハノイ市内へ向けて移動しました。
 
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バイチャイ橋を渡り始めるポイントで見たクアルク海峡を航行する貨物船(その先はクアルック湾)
 
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ムオン・タン・クアン・ニン・ホテル(Muong Thanh Quang Ninh Hotel、5つ星)の脇からハロン通りに入り、国道18号線でハノイへ向かいます。雨はほどなく止んだことで一安心。
 
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国道18号線は鉄道(ハロン線)と並走します。
 
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植栽(しょくさい)文字で何か書かれています。
 
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石炭火力発電所のようです。
 
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小さな町を通過する時にベトナムの菅笠(すげがさ)を被(かぶ)った男性が自転車に乗っていました。「ノンラー」または省略して「ノン」と呼ばれるそうです。ちなみに、「ノン」(Non)は笠、「ラー」(La)は薄いものまたは葉を意味しますから「葉笠」を意味しますが、通常は藁(わら)で作られているとのこと。
 
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田植えが終わって間もない田園地帯を通過
 
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(続く)

2016年4月 8日 (金)

目黒天空庭園と目黒川の桜(後編)

中目黒駅が近くなったためか、目黒川沿いの道はさらに混雑し始めました。
 
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二人が見つけたのは屋台の”JERK CHICKEN”(炭火焼ジャークチキン、600円)と「自家製レモネード」(500円)。ジャマイカ料理「ジャークチキン」のスパイシーな辛(から)さと「レモネード」のマイルドな甘さが印象的です。ちなみに、ジャーク(JERK)はスパイス(香辛料)で味付けして干した肉を意味し、アメリカではビーフジャーキーに人気があります。
 
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今度はチョコレートの店”Green bean to bar chocolate(フランス人のパティシエ、昨年11月オープン)が気になった一行はぞろぞろと店内に入って行きました。チョコレートを店内のアトリエで手作りし、ショップで販売するこだわりの店なのです。ちなみに、店名の”bean to bar”はカカオ豆を使ってチョコレート・バーを作ることを意味しているようです。
 
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同行者は並べられた、ボンボンショコラ、チョコレートタルト、カカオを使ったベーカリー、チョコレート・スイーツなどから、「チョコレート・バー ブラジル65%」(1620円)、マカデミアンナッツやアーモンドなどをチョコレートにトッピングした「マンディアン(Mandian)」(777円x4)と砂糖漬されたオレンジピール(乾燥させたオレンジの皮)にチョコレートをコーティングした「オランジェット(Orangette)」(540円x2)を選びました。そして、「ホット・チョコレート ココナツ・フレーバー」(500円)も。小学生である二人には大人向けの味が分からないかもしれません。
 
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満開の桜は弱い風に吹かれて花びらが散り始めていました。
 
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二人は沖縄FOODの「チリチーズ カーリーポテト」(500円)にも興味を示しました。
 
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肉がたっぷり入ったコニーソースのスパイシーな味が食欲を刺激します。
 
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中目黒までの中間地点を少し過ぎた千歳(ちとせ)橋を渡って目黒川の右岸に沿って戻ることにしました。
 
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竹林がある特別養護老人ホーム「青葉台さくら苑」
 

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その向かい側には金魚が泳ぐ池も
 
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山手通りまで戻ると、団体客を下した観光バスが橋の上に停車中
 
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大橋JCTの偉容
 
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もうひとつの高層マンション「プリズムタワー」を背景に一枚
 
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常盤(ときわ)橋から見た上流方向
 
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暗渠(あんきょ)部の出口です。目黒川の暗渠部はここから約500m上流まで続いており、それに沿って目黒川緑道が整備されています。ちなみに、その上流は烏山川と北沢川に分かれて続いています。
 
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往路と同じ国道246号の歩道を歩いて池尻大橋駅(東口)に向かいました。
 

<同行者のコメント> 目黒天空庭園と目黒川の散策は2度目ですから子供たちを安心して案内することができました。今回は目黒川沿いのお店や屋台を食べ歩くこともでき、とても楽しい一日になりました。

2016年4月 7日 (木)

目黒天空庭園と目黒川の桜(中編)

氷川橋の上から見た上流方向
 
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そして下流方向
 
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川沿いの店が「目黒川桜まつり」に協賛しています。
 
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OSTERIA ITALIANA(イタリア郷土料理店)“BELLA FIGLIA”(ベラフィリア)の店先でハーブと香辛料を効かせたラム肉の「サルシッチャ(salsiccia)」(ラム肉を豚の腸に詰めたもの)を見つけました。フランクフルト・ソーセージなど一般のソーセージとの違いは腸詰した粗挽き肉を加熱調理して固めていないことで、生のままで食べる(勇気が要りますが)こともあることだそうです。味が気に入った同行者はお土産用にもう一本!
 
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山手通りを横断して下流方向を眺めました。
 
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前回立ち寄った蕎麦屋「土山人(どさんじん)」の前に出ました。私に似て麺類が好きな二人はランチに蕎麦を食べたいと言いだしたことから同行者は半地下にある入口の脇で記帳しています。
 
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二人のお母さんは1階にあるカバンとランドセルの店「童具店(どうぐてん)」の店先に置かれたパンフレットに興味をもったようです。春休み限定の手作り(工作)ができることを見つけたのです。次回の開始は30分後と中途半端な時間がありますが、とりあえず予約を入れました。ちなみに、工作の所要時間は30分とのこと。
 
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しかし、工作を終えてからのランチでは遅くなりますから、まず「土山人」に入ることにしました。おチビちゃんは蒸篭(せいろ)のメニューから「海老天せいろ」(1950円)、コチビちゃんは「細打ちせいろ」(920円)、お母さんは「荒挽き田舎」(1050円)、同行者は「とろろ」(1300円)、そして私はコチビちゃんと同じ(店のお勧めである)「細打ちせいろ」を選びました。
 
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食べ始めて5分あまりで工作の時間になりましたので、二人とお母さんは中座。二人は20分ほどで戻ってきました。革製の洒落たキーホルダーを得意げに持っています。
 
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「土山人」を出て、目黒川を下流に向かってさらに歩きました。「中の橋」は絶好の撮影ポイントです。
 
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川面(かわも)に花筏(はないかだ)ができはじめています。
   
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古木の生命力を表しているようです。
 
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(続く)

2016年4月 6日 (水)

目黒天空庭園と目黒川の桜(前編)

春休みを利用して大阪から遊びに来てくれたおチビちゃんとこチビちゃんを誘って目黒区へ出かけました。田園都市線の池尻大橋駅で下車、その東口を出て、国道246号の歩道を大橋方面へ歩きました。
 
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目黒川が国道下までの暗渠(あんきょ)から開渠(かいきょ)に変わる場所を通過
 
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最初の目的地は首都高大橋JCTの屋上に造られた「目黒天空庭園」です。3年前に完成した直後に訪れたことがあり、二人にも見せたかったのです。
 
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前回(3年前)は隣接する高層マンション「クロスエアタワー」の9階にある目黒図書館側から入りましたが、今回は国道246号に面した階段からクロスエアタワーの2階に入るりスーパー・ライフの前を通過して「目黒天空庭園」の一番低い場所である「奥の庭」と「アプローチ空間」に入り、目黒天空庭園の最上部へ向かうルートを選びました。
 
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もてなしの庭
 
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元気な二人は「西口広場」と「コミュニティスペース」を抜けてどんどん歩いて行きました。
 
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潤(うるお)いの森」になだらかなスロープが続きます。
 
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くつろぎの広場
 
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あそびの広場」を抜けると「四季の庭」です。「東口広場」(展望スペース)のベンチで休憩しながら、軽い腹ごしらえにと、行きがけに神戸屋で買ったパンをいくつも平らげでしまいました。この日はあいにくの曇天で丹沢山塊や富士山は残念なことに見ることができません。
 
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大橋JCTの最高部である換気所の上に目黒川周辺の原風景を再現した「おおはし里の杜」の小川と水田はまだ冬の景観です。このためか、この日はまだ公開されていません。
 
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遅いブランチの後、目黒図書館前のホールからエレベーターで1階に下りて、大橋JCTの周りを半周して目黒川に向けて歩きます。
 
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目黒川沿いの道に出ると大変な人出でした。前日、東京で桜の満開宣言が出され、絶好の花見ができるタイミングです。写真を撮る人たちで橋の上は人が鈴なりになっています。写真は人通りが一瞬途絶えたタイミングに先ほど通過した国道246号方面を写したものです。
 
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(続く)

2016年4月 5日 (火)

ベトナムの旅(その14) ハロン湾の海鮮料理店「キンドアムトゥック」

1時間後、夕食のためホテルを出発。道路脇にはハノイ市内で見かけたような壁絵(ここではタイル絵ではなくペインティング)があります。
   
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ここの交通信号もカウントダウン方式
 
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ホンガイの町を出てバイチャイ橋を渡りバイチャイの町に入りました。レストランに予約された時間になるまで、近くのナイトマーケットに立ち寄ることになりました。看板には刺繍製品、真珠宝石、文化アトラクション、乾燥食品(エビ・魚・イカ・キノコ)などの言葉が表示されています。
 
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多数の店舗が入るこのマーケットは、バイチャイ地区にオーシャンパーク(2019年完成予定、水族館・遊園地・ビーチ)を建設する会社が移転を余儀なくされた多数の観光客向露店(夜店)に対して新しく建物内に場所を提供したのだそうです。売られている商品はどこにでもある雑貨で、購入意欲が湧かないだけではなく、風情をまったく感じられません。ガイドさんによれば地元住民が買い物に訪れることはないそうです。
 
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また、2階にある食堂街(フードコート)もほとんど閉まっていました。ハロン湾観光には無用のスポットだと思います。
 
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そこから5分ほどの距離、目抜き通りのハロン通りにある海鮮料理の店”Kinh do am thuc restaurant”(キンドアムトゥック、直訳すると首都満足飲食店)に到着。
 
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内部は円形をしており、2階まで吹き抜けになっています。
 
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各テーブルには海鮮鍋料理の準備がされています。事前にセットメニューが注文されているようです。
 
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ホーチミン・ビール(8万ドン、約490円)を飲んでいるとシーフード・スープが配膳されました。蟹肉・野菜・シイタケなどの具材と溶き玉子がうまくマッチしたスープです。
 
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キュウリ、トマト、ニンジン、パイナップルなどが入ったサラダ
 
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太い水管が長い二枚貝はミル貝(海松貝)の仲間のようです。メニューには"Ngac Song、Fresh Clam"とありますから、アサリあるいはハマグリのはずですが・・。 ひょっとするとベトナムで「象の鼻」(c vòi voi、オックボイボイ)と呼ばれている貝かもしれません。
 
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いよいよ鍋が載るガスコンロに火がつけられました。エビ、イカ、ニンジンが鍋の中へ。海鮮チャーハンに続いて、鍋で煮た、エビ、イカ、ニンジンなどを取り分けてもらいました。
 
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鍋の中は追加された葉物野菜だけに
 
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そして、スタッフが油で揚げた縮れ麺を投入しました。
 
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スタッフが取り分けてくれた状態です。海鮮出汁(だし)のスープはとても美味しいと思いました。
 
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鍋の中には追加された麺が大量に残っています。折角の海鮮料理のスープは麺が混ざると奇妙な味になってしまいました!
 
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お茶とともにデザートとして揚げた団子状のものが・・
 
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揚げ団子の中はタロイモでした。台湾でも見かけたものです。
 
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この日は朝が早く長い1日になりましたから、バイチャイ橋を渡ってホテルに戻ったあとは自室から夜景を眺めただけで、早めに就寝することにしました。
 
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ハノイとその周辺の旅はまだ続きますが、次回は最近のトピックスを投稿します。(続く)

2016年4月 4日 (月)

ベトナムの旅(その13) ハロン湾クルーズ⑤

展望台からは長い波止場に停泊するクルーズ船の群れが間近に見えます。その右手にあるのはもう一つの展望台のようです。
 
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階段を下りるとダウゴー(Dau Go)洞へ向かう石段の前に出ました。
 
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ダウゴー洞はティエンクン洞よりもかなり古くから知られていた鍾乳洞で、しかも規模がずっと大きいようですが、現在は閉鎖されていました。
 
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ダウゴー洞へ向かう急な石段
 
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海岸沿いまで降りるとハロン湾の巨大な写真パネルが立っています。
 
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ベトナム語で書かれた説明の意味を確認したくなりました。越和辞典を引くと、CHAO MUNG(歓迎)、KY NIEM(記念)、20 NAM(20年)、NGAY(正確に)、TANH LAP(成立)、BAN(時間)、QUAN LY(管理する)、VINH HA LONG(ハロン湾)、(09/12/1995-09/12/2015)。これらの単語群から推測すると『1995年にハロン湾が世界自然遺産に登録されて20周年記念』と書かれているようです。

 

クルーズ船の乗船券にはティエンクン(天空)洞・ダウゴー洞・スンソット(度肝を抜く)洞・ティトップビーチ(友好国であったソ連の宇宙飛行士の名が付けられた浜辺)・メークン洞・ソイシム島(トレッキングができる)のどれか一か所に立ち寄るとベトナム語・英語で書かれています。
 
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見覚えのある建物が見えて来ました。クルーズ船に乗り込んだ場所です。
 
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スタッフが手を差し伸べてサポートしてくれます。ハロン湾では最短のクルーズ・プラン(3時間)を利用しましたが、水・奇岩・洞窟などを十二分に楽しむことができました。
 
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リゾートホテルやマンションが多数建設されている「トゥアン・チャウ島」を一周したあと、土手道のトゥアン・チャゥ通りを戻り、国道18号線をさらに進んだところで海岸線沿いの道DUONG Haong Quoc Vietに入りました。このエリア(バイチャイの町)にあるホテルに滞在するバスツアー参加者のために立ち寄ったのです。折れ曲がった急な坂道を上りきって悪路を通過すると国道18号線に出ました。
 

その国道18号線をしばらく走行すると、クアルク海峡に架かる吊り橋が見えて来ました。クルーズ船とダウゴー島の「ティンクエン洞」の出口から見えたバイチャイ橋は日本のODA(特別円借款)で建設(2006年完成)された、バイチャイとホンガイの町を結ぶ全長903m(中央支間435m、主塔高90m、航路限界高50m)の巨大な吊り橋です。写真の右端に日本とベトナムの国旗が描かれています。
 
2016_03150299
 
 

「1面吊りPC斜張橋」と呼ばれる珍しい形式のこの橋は、橋桁(はしげた)を吊るロープが橋の中央部にあるため、視界が良いことが大きな特徴です。つまり、両岸に主塔が一本ずつしかなく、土木業界では吊り橋と区別して斜張橋と呼ばれるそうです。注、写真は手前の主塔脇を通過するタイミングで撮影
 
2016_03150300
 
 

橋の上から右手を見るとハロン湾が一望できます。近くにはクルーズ船や貨物船が行き交い、遠くには3000とも言われる大小さまざまな島や岩礁の一部を確認できました。
 
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バイチャイ地区と対岸のホンガイ地区を結ぶロープウェイの支柱(建設中)

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バスはこの吊橋を渡って対岸のホンガイの町に入りました。
 
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食料品、雑貨、料理などを提供するマーケットのようです。
 
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ホンガイの町にあるホテル「ハロン・ディーシー(HALONG DC)ホテル」(21階建、四つ星)に午後4時半ころに到着。
 
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簡素なチェックインカウンター
   
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ロビーにはジャンク船(中国の木造帆船)の絵が掛けてハロン湾のホテルであることを演出しています。
 
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チェックインをして17階のやや広めの自室で夕食までしばしの休憩です。
 
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オーシャンビューの部屋からはホンガイの街並みとハロン湾の港を見下ろすことができました。
 
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(続く)

2016年4月 3日 (日)

ベトナムの旅(その12) ハロン湾クルーズ④

「ティエンクン洞」内に続く通路の前方にも巨大な鍾乳石がライトアップされています。
 
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別のグループのガイドさんがレーザー・ポインターを使って説明しているようです。
 
   
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よじ登るトラのように見えます。
 
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この辺りに横たわる象(Voi Phuc)がいるはずですが・・。
 

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滑らかな壁面
 
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天井近くに空いた横穴は天然のもので「天国の門」(Cong troi)と呼ばれているそうです。1993年に時化(しけ)で遭難した地元漁師が偶然この穴を覗(のぞ)いたことでこの「ティンクエン洞」が発見されたのだそうです。また、この穴から差し込む陽光から「ティエンクン(天空)洞」と名付けられたとのこと。
 
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これはマーライオンとのこと
 
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何層にも積み重なって塔のような形をした見事な鍾乳石です。
 
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溶けたソフトクリームのようなものも
 
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これはクラゲの大群!?
 
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これは間違いなくオッパイ
 
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「妖精の湖」(Ho Tien)は人工的な噴水が設置されています。
 
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触ると幸運が訪れるという鍾乳石は滑らかになった表面が光っています。
 
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下から立ち上がった石筍(せきじゅん)は微妙な形をしています。
 
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S字型に大きく折れ曲がった鍾乳洞(長さ約130m)「ティエンクン洞」の出口(外から撮影)です。ガイドさんによればハロン湾が世界遺産(自然遺産)に登録される決め手になったのは、登録直前にこの「ティエンクン洞」が発見されたことだったそうです。甚(いた)く納得(なっとく)!
 
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出口の前にある展望台からハロン湾を一望できます。遠くにクルーズ船から見た吊り橋が確認できました。
 
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(続く)

2016年4月 2日 (土)

ベトナムの旅(その11) ハロン湾クルーズ③

前方に大型のクルーズ船が現れました。
 
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大小さまざまなクルーズ船はほぼ同じ方向を目指しているようですが、まちまちのコースを辿(たど)っています。
   
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ゴリラ岩は右側だけではなく、左側にも顔があるようにも見えます。別の資料では親指岩と呼ばれているようですが・・。
 
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ハロン湾のシンボルである「闘鶏岩」(ホン・カップ・ガー)です。注、左が:雄鶏、右:雌鳥
 
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約3000もあるといわれる大小の島々を抜けたところからバイチャイ(左)とホンガイを結ぶ吊り橋を遠望することができました。
 
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ダウゴー(Dau Go)島に到着、波止場で下船しました。この島にティエンクン洞(THIEN CUNG DONG)という巨大な鍾乳洞があるそうです。
 
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入江には多数のクルーズ船が停泊しています。
 
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国旗がはためく正面の小高い場所に“DONG THIEN CUNG”の表示が確認できます。ここが洞窟の入口なのでしょう。
 
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波止場から橋を渡って島へ入ります。
 
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「ティエンクン(天空)洞の案内図」には波止場(写真左上)から洞窟内を巡り、ダウゴー(Dau Go)洞への入口付近を通って、別の波止場に至るルートが表示されています。
 
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入場券(5万ドン、約300円)の確認を受けて通過
 
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急な階段を何度も折り返しながら上がります。
 
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見晴らし台にもなっている入口付近から入江と停泊するクルーズ船を眺(なが)めました。左端に下船したクルーズ船が見えます。よく見ると、波止場の岸壁は傾斜していて、クルーズ船の全部が軽く乗り上げる形で接岸していることが分かりました。
 
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「ティエンクン洞」の狭い入口を入ります。ガイドさんから聞いたことですが、この入口は観光客用に人工的に開けられたものだそうです。
 
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最初に飛び込んできた光景です。色彩鮮やかな照明が神秘さを演出しています。洞窟は下り坂になっているようです。
 
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石段を下りたところで入口方面を振り返りました。
 
2016_03150268 
 
その右手には象の頭と長い鼻を連想させる鍾乳石が


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天井から垂(た)れ下がった巨大な鍾乳石(しょうにゅうせき、氷柱石)
 
2016_03150266 
   
 

(続く)

2016年4月 1日 (金)

ベトナムの旅(その10) ハロン湾クルーズ②

次いで出されたのはズワイガニの甲羅揚(こうらあ)げです。甲羅(こうら)がついたままですから、どのように食べればよいのかが分かりません。
 
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心配は無用でした。ひっくり返すと料理された蟹のペースト焼きには切れ目が入っています。
 
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奇岩に接近しました。
 
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写真の中央には犬岩が
 
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香草が入ったアサリのスープが続きます。
 
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揚げ春巻きと酢の物
 
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奇岩の間を抜けます。中央に見えるのは「香炉岩」です。

   
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水上生活者の集落近くを通過します。テレビの旅番組で観たことがある風景です。
 
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確か、国旗を掲げた中央の建物が学校だったと思います。
 

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世界遺産に指定されたハロン湾では違法な養殖による水質汚染を避けるため、水上生活者を移住させる方針が出されていますが、居住し続けたり、移住先から戻って観光客相手の観光ビジネスを行う人たちが多いそうです。このため、クルーズ船の立ち寄りが禁止(あるいは制限)されているそうです。
 
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「香炉岩」が近づきました。
 
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船首にある階段でリクライニングチェアが並ぶ上部甲板に上がってみました。写真は後部方向で、 操舵室上の看板に表示された“Bai Cho JUNK 27”は船名と思われます。
 
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イカと野菜の炒め物が続きました。
 
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さらに奇岩の間を抜けて行きます。 
 
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メイン料理は「黒鯛(切り身)の焼き物」
 
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大きな遊覧船と客船が前方に現れました。
 
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野菜の煮物
 
2016_03150249
 
 

(続く) 

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