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2016年4月16日 (土)

ベトナムの旅(その22) 一柱寺と広東料理店「桃李」

「ホー・チ・ミン廟」から徒歩で向かったのは近くにある「一柱寺(いっちゅうじ)」。李朝第二代皇帝李太宗(在位:1028年-1054年)が1049年に建立した延祐寺(チュア・ジエン・ヒウ、Chua Dien Huu)」の楼閣です。その由来は李朝初代皇帝の李太宗(リー・タイ・トン)が蓮の上に座して子供を抱く観音様の夢をみて、その後まもなく子供を授かったことから、この寺を建立したのだそうです。1105年には周囲に霊沼池(リンチエウ、Linh Chieu)が掘られて回廊ができましたが、フランスとのインドシナ戦争(1946-1954年)の終結時にフランス軍によって破壊されたため、1955年に修復されたそうです。現在の柱(高さが4m、直径が1.2m)はコンクリート製でした。
 
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観光客が一時的に捌(は)けると「一柱寺」の全体を見ることができました。階段が目立たない後姿を見るとたしかに池に浮かぶ蓮の花をイメージさせます。
 
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正面にある祭壇には花と私が好きなモンキーバナナが供(そな)えてありました。ちなみに、手前の赤い箱は賽銭(さいせん)箱です。
 
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狛犬(こまいぬ)が守る門を抜け、蓮が飾られた幅の狭い階段を10段ほど昇ると、お堂の前に出ることができます。
 
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「蓮花台」と書かれた扁額(へんがく)が架けられ、その下には黄金色をした千手観音像が安置されています。ガイドさんによればベトナムでは子宝を授(さず)けて欲しいと祈る人が多いそうです。
 
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すぐ横に延祐寺(本堂)がありました。ここを訪れる観光客はほとんどいないようで人影はありません。
 
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「重三帝命家稱神女国」と難しい漢文が書かれています。「重三」は三月三日、「(白偏に反)、キ」はかえす/かえる、「帝命」は天命、「家稱(称)」は屋号、「神」はもちろん神、「女國(国)」はチベットにあったとされる女王国」の意味だと思われるのですが・・。半世紀前の大学入試で国語の選択科目として漢文を選択した私にとっても漢語そのものが難しく、この漢文の意味は理解不能です。三月三日の上巳節(じょうしせつ、日本では桃の節句)に関連した厄災祓(やくさいばら)いのことが書かれているのかもしれません。
 
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「一柱寺」と「延祐寺」の参拝を終えて「ホー・チ・ミン廟」方面へ戻ると、巨木の脇に小さな交番のような衛兵所がありました。
 
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ふたたびバスに乗車してディエンビエンフー通り(Dien Bien Phu)とレズアン通り(Le Duan)を通ってハノイ駅方面へ向かう途中に鉄道の踏切を通過しました。ハノイ駅から北へ向う3路線が共用する線路(狭軌)です。ちなみに、ディエンビエンフー通りはインドシナ戦争末期の1954年にフランス軍を打ち破ったラオス国境近くの地名「Dien Bien Phu、奠邊(典辺)府」に因(ちな)んで命名されたようです。
 
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ハノイ駅GA HA NOI)の正面口前を通過。ちなみに、ハノイ駅は先ほど通過した北へ向かう3つの路線と南のホーチミンまで1726km続く(日本の新幹線では福島駅-鹿児島中央駅間1736kmに相当する距離)南北鉄道(別名:統一鉄道)の始発駅です。
 
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ここで現在のハノイの概要を紹介します。ガイドさんから聞いた情報によると、ハノイ市の人口は約700万人であるのに対して、車の登録台数が500万台、うちバイクは400万台と多く、ほとんどの成人がバイクを所有していることになるそうです。

 

ハノイ駅のすぐ南にあるホテル日航ハノイ(5つ星)に到着しました。ハノイ唯一の日系ホテルです。
 
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夕食会場は2階にある広東料理店「桃李」(Tao Lee/Li、タオリ)です。ちなみに、同じフロアには日本料理店「弁慶」もあるようです。
 
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この日のメニューは和風セットメニューで、その内容は、フルーツとミニどら焼、サラダ、豚肉の生姜焼き、味噌汁、茶碗蒸、前菜、白飯、白身魚の蒸し物が提供されると説明されています。
 
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夕食を終えた後、宿泊するホテルへ向かいました。この日も初日と同じDAEWOO(デーウー、大宇)です。2度目のチェックインであるため、パスポートの提示は不要でした。しかし、この日の部屋は前回の17階から9階に下がりました。建物の曲面部にある客室であるため、部屋の形はやや扇状で、室内設備のグレードが下がったのではないかと同行者は言いますが、広さはほぼ同じで、私にはまったく不満はありません。確認すると、17階だけはResidential SuiteとRoyal Suiteですが、それ以外のフロアは一般客室でした。窓の向きが45度ほど右になったことで、見える景色が変わったことには気づきましたが。
 
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唐突ですがベトナムの歴史を概観します。北部ベトナムは隣国である中国に支配される時代が漢によって広州を首都とする南越国が漢に滅ぼされてから約1000年も続きました。一方、南部ベトナムはクメール人(カンボジア人)による国が2世紀ころに起こり、中部ではチャム族によるチャンバ王国が192年に建国されました。その後、1009年に北部ベトナムで建国された李朝は平和外交によって中国・北宋から1016年に南平王に封じられたことで安定した内政を行うことができ、216年間にわたって存続した。12255年に陳朝(175年間)、1407年には中国・明が支配する後陳朝が興(おこ)り、1428年には黎朝、1527年に建国された莫(マク/バク)朝は150年間続きました。 

 

1802年に始まった阮(グエン/ゲン)朝は南部を含めた国内統一を行い、1804年に中国・清から越南国を国名にすることを許されたことでしばらくは安定していました。ただし、インドシナに勢力を伸ばしたフランスとの戦争(仏越戦争)に敗れて1883年にフランスの保護国(植民地)となり、日本の進入をうけながらも、1945年までの143年間にわたって阮(グエン/ゲン)朝は続きました。 

 

このようにベトナムでは1009年からの約900年間に多くの王朝(短命の王朝は言及を省略)が興亡しましたが、中国による支配期を除けば、歴史が教えるように、王朝の交代は有能な王の不在(後継者に逸材が続かなかったこと)と王朝内(重臣・役人)の腐敗が滅びた主原因でした。 

 

そして、1945年にベトナム民主共和国として独立し、フランスとのインドシナ戦争(1946-1954年)終結後、ベトナム戦争(1960-1975年)に勝利したことで1976年に南北ベトナムが統一され、ベトナム社会主義共和国が誕生しました。その後、中越戦争で孤立する時代が訪れましたが、市場経済を取り入れるドイモイ(刷新)政策が1986年に採用されたことで、急速に経済が発展して現在に至っています。このような中国との長い歴史があるため、科挙(かきょ)などの行政制度、文廟(孔子廟)の存在や漢字(現在はほとんど使われていないが)による中国(漢文)文化、そしてこの日に見学したばかりのタンロン王城などの歴史遺産があるのです。 

 

ここで「ベトナムの旅」の投稿を小休止して次回は箸休めの記事を投稿します。(続く)

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