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2016年7月17日 (日)

続々・奥の細道擬紀行(その8) 朝日町の「境鉱泉」と「宮崎ヒスイ海岸」

旧道沿いにある境関跡から国道8号に戻り、境交差点を通過すると、左手に「境鉱泉」の大きな看板がありました。国道沿いにあるこの看板だけが目印ですから、旅行者の多くは「境鉱泉」の存在に気づかず通過してしまうことでしょう。
 
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その看板を目印に左折して50mほど進むと正面に建物がありました。その前には自動車が数台並んでいますが、駐車スペースは意外に広く、20台以上は十分駐車できそうです。建物の右手奥に煙突を確認することができます。
 
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まだ新しいと思われる建物の入口には看板などがいっさいありません。旅館あるいは料理屋といった方がふさわしい佇(たたず)まいです。
 
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上り框(かまち)の左手に小さな受付窓口がありました。入浴料は大人500円と表示されています。旅行カバンからタオルを出し忘れたため、フロント係の男性に『タオルを借用したい』 と申し出ると、意外にも無料(レンタル料金は不要)でした。私のようにタオルを忘れた利用者のために準備しているようです。
 
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受付けの右手(廊下の先)にある脱衣所の入口はシンプルです。その左手(手前)に貴重品用コインロッカー(100円返還式)が設置されていました。
 
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脱衣所はシンプルで清潔感があります。
 
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浴室の入口は床が茶系統のタイル、壁には白色のタイルが貼られており、奥の浴室も同じ配色になっているようです。
 
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それほど広くない浴室にあるL字型の内湯浴槽(写真に写るL字の短辺は浅くなっており、半身浴に向いている)には赤茶色をした湯が張られていました。「境鉱泉」の名前があるように、天然温泉ではなく、低温の鉱泉(重炭酸鉄泉)を加温していました。赤茶色の湯は柔らかい感触で、しかも炭酸を含むため、しだいに体がポッカポカになりました。右手にある洗い場にはシャンプーやボディーソープなどは置かれておらず、温泉地によくある共同浴場の風情(ふぜい)です。ちなみに、「境鉱泉」は90年もの長い歴史があるようです。
 
男湯には2名の先客がありましたが、会話の様子から地元の人と思われました。半身浴と全身浴の両方を交互に楽しみました。この結果、鉱泉の強い効能を感じましたから、長湯することを避け、脱衣所の入口脇にある休憩所(和室)へ移動しました。後で知りましたが、以前は旅館(湯治場)を営業していたそうです。廊下を反対方向へ進んだところに現在も営業している食事処や以前客室として使われていた部屋があるのでしょう。

 

ちなみに、「境鉱泉」の少し手前には「たから温泉」(泉質:ナトリウム・カルシウム-塩化物泉、昨年末休業)があったようです。

 

国道8号をさらに西へ1kmほど走りました。えちごトキめき鉄道(日本海ひすいライン)「越中宮崎駅」の先にあるY字路の交差点を右の脇道に入り、踏切を渡りました。

 

富山県下新川郡朝日町にある「宮崎ヒスイ海岸」(別名:朝日ヒスイ海岸)は険(けわ)しい山々が間近に迫る美しい海岸です。ちなみに、宮崎の地名は神社のある突き出た土地(崎)かと思いましたが、藤原氏の流れを汲む昔の豪族の名前が由来のようです。また、朝日町の名称も戦後の町村合併にともなって付けられた新しいものでした。
 
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東西約4kmも続く玉砂利が美しい海岸で、ヒスイが拾えることとサンセット(日の入り)が美しいビーチとしても知られるようです。注、下の写真はヒスイ海岸(東方向)と同じく(西端)
 
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「北陸東海自然歩道」の案内看板には越中宮崎駅と「ひすい海岸」を通過し、宮崎鼻灯台(灯高108m)を経て城山へ向かうコースが描かれています。
 
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『枯山を 揺るがす海鳴り 親不知』 の句碑
 
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この句は芭蕉研究科である松倉悟童氏がこの地から眺める天険親不知を詠んだ句であり、書家で文化功労者の大平山濤(さんとう)氏の揮毫(きごう)であることが説明されています。
 
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左前方には宮崎漁港(地元の漁船用である第一種漁港)があるようです。航空写真で確認すると、砂の漂着を避けるために海岸線と並行する長い防波堤がある、珍しい形ををした(横に細長い)漁港です。
 
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「天下無敵の晴れ男」の神通力なのか雨の気配はすっかりなくなり、海鳥が港の上空を旋回するのが見えます。
 
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黒部川の四十八ヶ瀬大橋(長さ590m)を渡って黒部市に入りました。黒部川の上流(黒部渓谷)には有名な黒部ダムがあり、その下流は黒部川扇状地を形成しています。時間に余裕があれば、内陸部の宇奈月温泉(湖畔の湯「とちの湯」やその少し下流にある愛本橋付近から黒部市から旭町まで広がる黒部川扇状地の海岸線近くにある湧水群(昭和の名水百選、入善町の「杉沢の沢スギ」・黒部市の「清水(しょうず)の里」・同じく「生地(いくじ)の共同洗い場」)などに立ち寄りたいと考えていましたが、午後5時が近づきましたので先を急ぐことにしました。
 
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黒部市の市域は内陸方向に長くて国道8号付近では6kmほどの幅しかありませんので、あっという間に(10分ほどで)通過し、この日の宿泊地である魚津市の「あいの風とやま鉄道線魚津駅前」へほぼ予定通り(午後5時10分)に到着しました。私の「勘ナビ」は、前回の記事(その7)にも書きましたように、意外に正確なのです。
 
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例によって、 一区切りとなるここで投稿を小休止を入れます。(続く)

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