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2016年7月10日 (日)

続々・奥の細道擬紀行(その1) 上越市直江津の「日本海ヒスイライン」

足を痛めていた同居者が4週間の治療とリハビリ(電気治療とマッサージ)を経てほぼ快復しました。距骨(きょこつ)にヒビが入ったため、最初のうちは簡易ギプス(ギプスシーネとギプス包帯)で足関節(そくかんせつ)を固定した状態で松葉杖を利用して歩く状況でしたが、2週間後にギブスを外してリハビリに移行しました。そして、3週間を過ぎたころにはなんとか歩けるようになり、4週間が経過するとほとんど違和感なくなったようです。

 

そこで、リハビリを継続中である5週間後、当初のスケジュールから4週間遅れになりましたが、当初プラン通りのドライブ旅に出かけることにしました。ちなみに、関東甲信地方では6月5日ころ(北陸では6月13日ころ)に梅雨入りしていましたので、気休めにしかなりませんが、旅行中の好天をひたすら祈りながらの出発です。

 

                          ☆

 

続・奥の細道擬行」の記事を投稿してから約3年が経過しました。江戸(千住)を出立して奥州(東北地方)を巡ったあと、越国(こしのくに、新潟・富山・石川・福井)を通過した芭蕉が選んだ終着地は美濃国(岐阜県)の大垣でした。「続・奥の細道擬行」のゴールにした上越市(直江津)の先は、前半の松島や山寺、中盤の象潟(きさかた)のようなスポットがないため、芭蕉の句会などが中心になって、物語としては面白味に欠けます。

 

そのため、「続続・奥の細道擬行」に出かける決断しかねていました。また、ブログを「温泉大好き、ドライブも!」から「旅行大好き、飛行機も!」に模様替えしたことで旅行先の選択基準に変化が生じたようです。

 

しかし、何事も完結しないと気がすまない性格である私は上越市以降についても芭蕉の足跡を辿(たど)ることにしました。ただし、米原から大垣までは中山道の旅で訪れていますから、今回は上越市から米原市まで北陸道を巡ります。

 

                          ☆

 

夜明け前の午前4時少し前に関越自動車道に入り、空が白み始めたころには上越自動車道にそれました。時々霧雨が降るあいにくの天気ですが、走行には何の支障もありません。午前4時45分に早い朝食をかねた休憩のため横川SAに立ち寄ることにしました。
 
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フードコートの入口付近には名物の「峠に釜めし」の立て看板がありますが、弁当の売店(萩野屋)はまだオープンしていません。
 
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軽い朝食として選んだのは「炙りチャーシューラーメン口福軒」の「あぶり麦豚ラーメンミニとろろ丼セット(950円)です。
 
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もちろん、同行者とシェアするとちょうど良いと考えました。ちぢれ麺が入った醤油ラーメンはやや醤油味が強いように感じました。そして、ミニとろろ丼はご飯が暖かいともっと美味しいと思うのですが・・。
 
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同行者は土産物がならぶショップで「スイートコッペ」(168円/個)に興味を持ったようで、味見をするために一個だけ購入しました。「群馬産こんにゃく入りスイートポテト」と説明されているように、アンパンの餡(あん)として「ジャガイモ」と「こんにゃく玉」が入っており、不思議な食感が印象に残りました。
 
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上り坂に進んだ碓井(うすい)軽井沢IC付近では霧が立ち込めていました。
 
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上田菅平ICに差し掛かるころには霧は晴れ、
 
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長野ICまで進むと霧は晴れて雲間から薄日が漏れ始めました。
 
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休憩のために午前6時40分に立ち寄った黒姫野尻湖PAにはナウマンゾウの像が飾られています。このPAの北西約3kmの野尻湖西岸から3万5千年~4万5千年前の氷河時代に棲息していたナウマンゾウの化石や旧石器人類(野尻湖人)の作った石器などが数多く発見されたことが説明されています。ちなみに、ブロンズ像は実物の5分の1の復元像だそうです。
 
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雲間から太陽光が漏れてきましたので予定になかった妙高高原PAにも立ち寄りました。
 
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4車線化工事の説明看板に説明されていた通り、現在片側1車線(対面通行)の区間(妙高高原IC~上越JCT)ではところどころで工事が行われていました。
 
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強い雨が降り始めるなか、上越JCTで北陸自動車道に入ってすぐの上越ICから午前7時半過ぎに国道18号に出ました。関越自動車道の練馬ICから287.3km、所要時間は約3時間30分です。ちなみに、このICは前回の旅「続・奥の細道擬紀行」を終えた場所です。国道18号の下源入交差点で国道8号(日本海ヒスイライン)に入って西進しました。関川を渡った石橋交差点で県道123号へと右折しました。一刻も早く日本海を見たかったのです。天下無敵の「晴れ男」である私の願いが通じたようで、幸運にも雨が小降りになりました。

 

高架橋で信越本線の上を通過するとT字路に行き当たりました。左手にあるのは市立水族博物館館でした。
 
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その前には日本海が広がっていました。
 
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この日は天候が優(すぐ)れないのにもかかわらず、海が凪(な)いでいます。
 
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海岸沿いに進むと、左手に石柱を見つけました。「親鸞聖人御上陸居多(こた)ヶ浜記念堂地」と刻まれています。
 
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もう一つの石柱には「親鸞聖人御上陸之地 居多ヶ濱」とあります。
 
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ちなみに、比叡山や興福寺など既存の仏教集団が法然の率いる新興教団を訴えたことにより、後鳥羽上皇が建永2年(1207年)に法然に土佐国への流罪、その弟子である親鸞などは越後(えちご)国の地に流罪を命じました。「承元の法難」と呼ばれる事件です。親鸞は琵琶湖(船旅)と越前(福井県)・越中(富山県)の陸路を経て、木浦(現在の糸魚川市能生)から船に乗ってこの地に上陸したと伝えられます。聖人の木像が安置される八角形の見真堂が石柱の後方(崖の上)にあるそうです。

 

斜めに続く坂道を上がると前回の旅で立ち寄った「五智国分寺」へ行けるようです。
 
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海岸では海の家の看板の横で工事が行われているようです。
 
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ちなみに、「奥の細道紀行」での芭蕉は「続・奥の細道擬紀行」で紹介した直江津高田に数日滞在したあと、五智国分寺とその近くの居多(こた)神社に立ち寄り、名立へと出立したそうです。(続く)

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