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2016年8月 2日 (火)

続々・奥の細道擬紀行(その17) 高岡市の「瑞龍寺」

県道247号に入り、県道58号で「あいの風とやま線」(旧北陸本線の一部)を陸橋で越え、高岡駅の南(約500mの距離)で東西に伸びる「八丁道」に入りました。名前からみて900m近い長さがあるのでしょう。
 
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「八丁道」を西へ進むと、「瑞龍寺」の少し手前に「前田利長公之像」がありました。
 
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加賀前田家の第2代(藩祖前田利家の嫡男)で加賀藩初代藩主です。父利家とともに織田信長に仕え、次いで豊臣秀吉の五大老となり、関ヶ原の戦いでは東軍(徳川方)に参加したことにより北陸三ヶ国(加賀・越中・能登)を支配する120万石の加賀藩を成立させた人物です。利長は、子に男子がいなかったことで、異母弟の利常を養嗣子(ようしし)として加賀前田家を継(つ)がせました。利長の死後、その利常が「瑞龍寺」を菩提寺として現在に至っています。

 

振り返ってみた「八丁道」
 
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瑞龍寺」に到着しました。立看板にある「一つやいと」は毎年6月と7月の1日にお灸(きゅう)をすえて無病息災を祈願するという行事だそうです。
 
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地図を見ると、八丁道は「瑞龍寺」と「前田利長募所」を結んでいることが分かります。
 
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総門の手前で小学生のグループが説明を聞いています。重要文化財の「総門」は正面三間の薬医門形式で正保年間の建立とされます。
 
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瑞龍寺」の伽藍(がらん)配置図には人体を使った説明がありました。中世中国の寺院建築を模しているそうです。
 
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拝観料(大人500円)を納めて「総門」をくぐりました。

 

巨大な「山門」は国宝に指定されています。
 
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「山門」は正保2年(1645年)に建立され、延享3年(1746年)に火災で消失、現在の建物は文政3年(1820年)に竣工したそうです。
 
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同じく国宝の「仏殿」が正面にあり、四周が回廊(重文)で結ばれています。棟札によって万治2年(1659年)に建立されたことが明らかであり、他に例を見ない貴重な建築であるそうです。
 
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その内部に祀られる仏像は300有余年前中国から渡来しれたもので、釈迦・文殊・普賢のいわゆる三尊が安置されています。天蓋(てんがい)も当時の作品であり、ハスの繊維と絹をもって織られたものと伝えられるそうです。
 
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左手にあるのは重要文化財の「禅堂」(座禅修行を行う建物)で、向かい側(右手)には大庫裏(おおくり、調理配膳・寺務運営を行う建物)があります。
 
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国宝の「法堂」は明暦年門(1655~1657年)の竣工で、境内第一の大建築であり、仏殿と異る総檜(ひのき)造りとなっています。
 
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「法堂」の上がり廊下
 
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「法堂」の構造は方丈の形式に書院造りを加味したものとのこと。
   
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本堂の裏手へ回ると石廟がありました。
 
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「富山県指定文化財 瑞龍寺 石廟(せきびょう)」の説明看板には、『前田利長公は、本能寺の変後、織田信長公津市の分骨を迎えてその例を慰めたと伝えられる。利長公の菩提寺「瑞龍寺」を造営した時、開山広山恕陽禅師が利長公節も加えて同じ形式の五基を建造したのがこの石廟の由来である。石廟は向かって右から前田利長公、前田利家公、織田信長公(利長夫人玉泉院の父)、,織田信長公側室、織田信忠公(信長公の子息)のものである』 と説明されています。
 
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山門まで戻ると、小学生のグループが到着していました。
 
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受付けの脇で見つけた「法堂の鬼瓦」
 
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同行者が「瑞龍寺」に近い(八丁道沿い)「まちの駅たかおか」で見つけたソフトクリームは暑さのためあっと言う間に溶け始めました。
 
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ここで投稿を小休止します。(続く)

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