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2016年8月20日 (土)

続々・奥の細道擬紀行(その28) 山中温泉の「芭蕉の館」

奥の細道の旅の道中、芭蕉は山中温泉で八泊九日間の長逗留(とうりゅう)をし、多くの句を詠みました。温泉が好きではないと伝わる芭蕉はこの地がよほど気に入ったのでしょう。また、山中温泉は芭蕉と体調を崩した曽良との別れ(出発して4か月)の地であり、『今日よりや 書き付消さん 笠の露』 の句を詠み、曽良への餞別(せんべつ)として巻かれた『山中三両吟』の歌仙が知られています。
 

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芭蕉と伊勢・長島へ向かう曽良の別れのシーンを再現した像
 
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アプローチから玄関(写真左手)を入ったところに受付(同中央)があり、入館料(大人200円)を支払いました。
 
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右手の吹き抜け土間には「奥の細道」に縁(ゆかり)の資料が展示してあります。最初に目に付いたのは何と手動電話交換台でした。交換手が所定の方法で電話線のジャックを「ひも回線」と呼ばれるケーブルで接続する構造で、一人の交換手が操作する座式。電話サービスが開始された明治中期(1890年)から戦後の昭和20年代まで使われた歴史的な設備です。「芭蕉の館」になぜ手洞電話交換台があるのでしょうか。
 
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余談になりますが、日本で電話サービスが東京と横浜で始まったのは上述したように1890年(明治23年)で、36年後の1926年(大正15年/昭和元年)には3年前に発生した関東大震災の復旧策の一環で最初の自動交換機が東京・京橋電話局に導入されました。学生時代に通信工学の教授から聞いた話ですが、自動交換機を考案したのはアメリカの葬儀屋だったそうです。電気通信に縁のない葬儀屋のストロージャーは仕事の量が急減したことを不思議に思って調べると、交換手が他の葬儀社へ優先的に葬儀の電話を接続していたことが判明。これで発奮した葬儀屋のストロージャーは1880年代末にストロージャー式自動交換機を発明しました。

 

「山中温泉 俳諧句碑めぐり」
 
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靴を脱いであがると、「人間元国宝 河北良造作品展示室」(山中漆器)と濡れ縁が二面を囲む「広間」「茶室」交流室」が並んでいました。
 
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与謝野蕪村筆 複製「奥の細道図屏風」(重要文化財)
 
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八木芹舎筆「芭蕉翁像」には、私には読めませんが、深川の芭蕉庵で詠んだと思われる、『花の雲 かねハ上野か 浅草か』、『木かくれて 茶摘みもおくや 時鳥(ほととぎす)』、『名月や 池をめぐりて 夜もすがら』、『いさゝらハ 雪見にころふ 所まで』、『朝よさを 誰まつしまそ 片こころ』(松島に恋い焦がれる心)、と書かれているそうです。
 
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掛軸の下にある芭蕉像
 
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展示廻廊を抜けて階段を上がった2階には「奥の細道 芭蕉 展示室」と「古俳書展示室」がありました。写真は2階から見た庭です。
 
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芭蕉が書き残した『やまなかや 菊は手折らじ 湯(ゆ)のにほひ』の真蹟(しんせき)掛軸のほかに、「おくのほそ道」の「枡型(ますがた)寛政版A」(左)と「素龍(そりゅう)清書本(西村本)」(複製)も
 
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「山中温泉」のあとに参拝した「那谷寺(なたでら)」で芭蕉は 『石山の 石より白し 秋の風』 の句を詠みました。「石山」は、「那谷寺」のものであるとともに、近江の「石山寺」も指すそうです。ちなみに、「那谷寺」は小松市那谷町にある高野山真言宗別格本山。
 
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前日宿泊した曽良に続いて「全昌寺」(加賀市大聖寺神明町)に泊まった芭蕉は、『終宵(よもすがら) 秋風聞くや 裏の山』 と『庭掃きて 出でばや寺に 散(ちる)柳』 の句を詠んでいます。
 
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芭蕉自画賛 『あかあかと 日はつれなくも 秋の風』(複製)は金沢で詠んだ句が書かれています。右側は「加賀の国千代女」の句、『朝顔に つるべとられて もらひ水』です。推敲(すいこう)前は、『朝顔や つるべとられて もらひ水』 だったと伝えられます。
 
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「滞在中の行動」が「曽良旅日記」からリストアップされています。
 
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「奥の細道」全ルート図
 
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「小松から山中温泉・大聖寺」の地図には芭蕉の足跡が描かれています。ここにも「安宅の関」に立ち寄ったとは示されていません。
 
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山中温泉にはほかに 『山中や 菊はたをらぬ 湯の匂』 の句を詠んでいます。また、共同浴場の「菊の湯」と呼ばれる共同浴場があるようですが、ここは我慢(がまん)することにしました。
 

芭蕉に倣(なら)って、次は山城温泉へ向かいます。(続く)

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