« 続々・奥の細道擬紀行(その29) 「山城温泉」 | トップページ | 続々・奥の細道擬紀行(その31) 福井市の「北の庄城址」と「柴田神社」 »

2016年8月22日 (月)

続々・奥の細道擬紀行(その30) 「永平寺」

鳴鹿橋(なるかばし)の先で国道416号を横切りました。左折して国道416号を15kmほど東進すれば「恐竜博物館」がある勝山市に至ります。「ヨコハマ2012恐竜展」では福井県で出土した恐竜の骨格モデルを見たことを思い出しました。

国道364号をそのまま走って永平寺(えいへい)の門前町に到着。永平寺の門前にあり、駐車場が提供されることで、そば処「てらぐち」を選びました。お土産処とは別棟になっています。
 
2016_07060680
 
ファサード(建物の正面)と同様、インテリアも真新しく、白と木を組み合わせた和モダンです。テーブル席のほか、小上がりもありました。
 
2016_07060682

 
同行者は「天おろしそば(冷)」(950円)を、
 
2016_07060685
 
 

私は大好物の「にしんそば(温)」(950円)を選びました。
 
2016_07060687
 
 

いよいよ永平寺に参拝することにして、
 
2016_07060688
 
 

参道に入りました。
 
2016_07060689
 
 

参道の入り口にある正門(龍門ともいわれる)には、「汲流千億人」(ながれをくむせんおくにん) と「杓底一残水」(しゃくていのいちざんすい) と刻まれています。調べると、『一杓の水でも元の川へながれることによって多くの人が恩恵にあずかるという禅的表現』 のようです。不思議なことに、芭蕉は永平寺では俳句をまったく詠んでいません。焦(こが)れていた松島を訪れた時と同様、よほど深い感銘を得たのでしょうか。注、芭蕉が松島について詠んだとされる 『松島や ああ松島や 松島や』 は「奥の細道」に記述されておらず、芭蕉の作ではないとの説が有力

 

「永平寺」は鎌倉時代初期の寛元2年(1244年)に道元禅師(どうげんぜんじ)によって開かれた座禅道場で、横浜の総持寺と並ぶ日本曹洞宗の大本山です。道元禅師は京都の公家・久我(こが)家に生まれ、南宋(中国)に渡って曹洞宗禅師の天童如浄より印可(お墨付き)を受けて帰国。旧仏教である比叡山から迫害を受けたため、越前国の波多野氏の招きで越前に移りました。日本における曹洞宗の開祖です。

 

右手に「天地観世音菩薩」が祀られています。
 
2016_07060690
 
 

参道の先には「唐門」(勅使門)がありますが、柵があって入ることができません。一般の参拝者は左手にある「通用門」を抜けます。
 
2016_07060692
 
 

吉祥閣(きちじょうかく)の総受所で拝観料(500円)を納めました。
 
2016_07060709
 
 

隣の「傘松閣(さんしょうかく)」へ進むと、156畳敷の大広間の天井には230枚の天井絵がはめこまれていて見事でした。

 

「東司(とうす)」を抜けて「僧堂」へ向かう廊下(左前方)と東西を結ぶ回廊の角にある「大すりこぎ棒」

2016_07060696 
 
「僧堂」から「大庫院」が見えます。「回廊」を進むことにしました。『大庫院(だいくいん)は昭和5年に改築、地下1階地上4階の木造建築で、主に仏膳と修行僧および雷本の食事を調える場所。施用面井は護法韋駄天などを安置し、上階には雷本の接待室および150畳敷の大広間がある』 と説明されています。

2016_07060699 
2016_07060695
 
「大庫院」から見た「仏殿(ぶつでん)」
 
2016_07060694
 
 

『七堂伽藍の中心にあり、本尊を祀っています。明治35年(1902年)の改築で、覚皇宝殿(かくおうほうでん)ともいいます。須弥壇中央に「釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)」、左右に「阿弥陀仏(あみだぶつ)」と「弥勒仏(みろくぶつ)」を安置します。右奥壇には伽藍の守護神である「大現修理菩薩(だいげんしゅりぼさつ)」と「土地護伽藍神(どじごがらんじん)」、左側にはインドから中国に禅を伝えた 「達磨大師(だるまだいし)」と道元禅師様の師匠である「如浄禅師(にょじょうぜんじ)」が祀られています。欄間には12枚の禅の公案を基にした彫刻が施されています』(禅の里まちづくり実行委員会のhp)
 
2016_07060698
 
 

「仏殿」と「大庫院」を結ぶ回廊から伸びる長い階段廊下を上がります。
 
2016_07060700
 
 

「法堂(はっとう)」は『天保9年(1843年)の改築で間口18間、奥行14間、約420畳敷で、七堂伽藍中最大の建築物である。正面中央には聖観世音菩薩が祀られている。本来は説法の道場であるが、今では、朝課(朝のお勤め)や、各種の法要儀式が行われている』 と説明されています。
 
2016_07060706
 
黄金の天蓋(てんがい)が見事です。
 
2016_07060701
 
 

「承陽殿(じょうようでん)」(道元禅師の御真廟)は、『明治14年の改築で、正面檀上奥には御開山道元禅師(承陽大師)、本山第2世懐(え)じょう禅師の御尊像と御霊骨が奉安され、さらに本山3世、4世、5世、並びに蛍山禅師の御尊像をお祀りしている。(中略)正面上「承陽」の額は、明治天皇より道元禅師へおくられたものである』 と説明されています。
 
2016_07060704
 
 

「承陽殿」と「仏殿」の間にある門
 
2016_07060705
 
 

「僧堂」を経由し、「東司」と「傘松閣」を戻って、「吉祥閣」から参道に出ました。午後3時を回りましたから先を急ぐことにして、福井市を目指しました。(続く)

« 続々・奥の細道擬紀行(その29) 「山城温泉」 | トップページ | 続々・奥の細道擬紀行(その31) 福井市の「北の庄城址」と「柴田神社」 »

グルメ・クッキング」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146335/64076075

この記事へのトラックバック一覧です: 続々・奥の細道擬紀行(その30) 「永平寺」:

« 続々・奥の細道擬紀行(その29) 「山城温泉」 | トップページ | 続々・奥の細道擬紀行(その31) 福井市の「北の庄城址」と「柴田神社」 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ