« 続々・奥の細道擬紀行(その31) 福井市の「北の庄城址」と「柴田神社」 | トップページ | 続々・奥の細道擬紀行(その33) 敦賀市の地魚料理店「まるさん屋」 »

2016年8月24日 (水)

続々・奥の細道擬紀行(その32) 福井市の「福井城址」から敦賀市へ

福井駅前を通過して福井城前に到着。「歴史のみち」(内堀の南東角)から見た「福井城の内堀」(南面)と「御本城橋(ごほんじょうばし)」です。右側の屏風石垣の手前角(南東隅)には巽櫓(たつみやぐら)があったそうです。
 
2016_07060730
 
 

内堀の北側へ移動しました。「福井城下の歴史」によると、『江戸時代有数の年であった福井は多くの人材を輩出している。結城秀康の家老である本多富正(とみまさ)は芝原上水を開き、彼の屋敷周辺は1万石以上の家臣の屋敷が並び「大名町」の名が残る』 とあります。内堀の対岸は県庁舎(左)と天守台跡(右)です。
 
2016_07060732
 
 

福井城の北不明門につながる土塁石垣(写真左)と内堀越しに見る福井県庁舎
 
2016_07060731
 
 

天守台跡と内堀の北西角
 
2016_07060733
 
 

「福井城」は約2km四方の平城で、足羽川とその支流である荒川を外堀として利用したことで三重の水掘りが囲んでいたそうです。本丸には四重五階の望楼型天守(高さは天守台を含んで約37m)が建てられましたが、寛文9年(1669年)に消失し、再建されなかったようです。築城当初は、柴田勝家の「北ノ庄城」の名前を引き継いでいましたが、第3代藩主松平忠昌によって「福井(福居)城」に改名されました。注、天守台の下にある「福の井」と呼ばれる井戸跡が地名の由来とする説もある

 

明治になって廃城されると外堀は埋められたため、現在は内堀とその石垣および天守台だけが残っているようです。天守と同時に消失した御廊下橋(ごろうかばし、西側の内堀に架かる)が平成20年(2008年)に復元されたことに続き、天守閣に至る山里口御門(やまざとぐちごもん)の復元工事が行われているようです。

 

内堀の南西角、福井市役所とJA福井県農業会館本館前へ移動しました。内堀の向こう側には中央公園、ホテルフジタ福井、三津井生命ビル7が見えます。
 
2016_07060735
 
 

「福井城旧景」には「福井城天守閣復元模型図」「本丸西側」「鉄(くろがね)御門」「片町より東望」「下馬御門前」「三の丸御門」「御本城櫓」が解説されています。
 
2016_07060734
 
 

「藩祖結城秀康公と福井城」の案内看板には、『結城秀康は、天正2年(1574年)徳川家康の次男として生まれた。天正12年(1584年)羽柴秀吉の養子となり、秀康を名乗る。これは、秀吉と家康から閣1時をとったものである。天正18年(1590年)結城家の養子となり、下総(しもうさ、現茨城県)結城で10万石余石を相続した。秀康は、慶長5年(1600年)越前68万石を拝領、翌年入国と同時に築城にとりかかり、6年の歳月を要して、慶長11年(1606年)に福井城を完成した。福井城は、広大な平城で本丸を中心にして、二の丸。三の丸、と幾重にも堀に囲まれていた。ことに、東側では旧吉野川を百間掘に改修している。(以下略)』 とあります。
 
2016_07060736
 
 

内堀の外周を巡って「御本城橋(ごほんじょうばし)」の袂(たもと)に出ました。福井県庁が正面に見えます。
 
2016_07060737
 
 

橋を渡った場所は大手門(瓦御門)跡
 
2016_07060738
 
 

福井城をあとにして、国道8号(敦賀街道)に入って敦賀(つるが)を目指しました。メガネフレームの産地である鯖江(さばえ)市とその隣の越前市武生(たけふ)を通過すると北陸道の今庄宿があった南越前町に入りました。芭蕉は敦賀へ向かう途中に国道8号より内陸にある北陸道(国道365号)の今庄で宿泊し、北陸道(国道476号)で木ノ芽峠(南越前町と敦賀市の境界)を越えています。当初の計画では福井市に宿泊することにしていましたが、それを敦賀市に変更したため、福井市と敦賀市の間(約50km)はスルーすることになりました。
 
2016_07060739
 
 

大谷第4トンネル(長さ196m)を通過します。
 
2016_07060744
 
 

切り立った崖下を通過
 
2016_07060745
 
 

敦賀トンネルを抜けて敦賀市の海岸沿いに出ました。洞門をいくつも通過しました。
 
2016_07060746 
2016_07060747
   
 

敦賀バイパスには入らず国道8号の旧道敦賀駅前に到着
 
2016_07060748 
2016_07060749
 

ホテルルートイン敦賀駅前」の無料駐車場(裏手、約90台)に入ります。
 
2016_07060770
 
 

同ホテルの入口付近
 
2016_07060771
 
 

(続く)

« 続々・奥の細道擬紀行(その31) 福井市の「北の庄城址」と「柴田神社」 | トップページ | 続々・奥の細道擬紀行(その33) 敦賀市の地魚料理店「まるさん屋」 »

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146335/64085066

この記事へのトラックバック一覧です: 続々・奥の細道擬紀行(その32) 福井市の「福井城址」から敦賀市へ:

« 続々・奥の細道擬紀行(その31) 福井市の「北の庄城址」と「柴田神社」 | トップページ | 続々・奥の細道擬紀行(その33) 敦賀市の地魚料理店「まるさん屋」 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ