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2016年8月29日 (月)

続々・奥の細道擬紀行(その35) 敦賀市の「敦賀港」「気比の松原」から美浜町へ

敦賀港の川崎・松栄地区に到着。朱塗りの松栄防砂堤灯台(左手)と防波堤の右手にある外航RORO船岸壁が見えました。写真には写っていませんが、その岸壁の先には多目的国際ターミナル(コンテナ岸壁)があるはずです。
 
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左前方には釣り船はプレジャー・ボートが確認できます。
 
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右手には釣りをする人たちが
 
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海岸沿いの市道を西進して「気比の松原」へ向かいました。
 
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気比の松原」(長さ約1.5km)には平均樹齢200年ほどとされるアカマツやクロマツが約17,000本並んでいました。「万葉集」や「日本書紀」にもその名があるほどの歴史があり、日本の白砂青松100選に選ばれており、静岡県の「三保の松原」、佐賀県の「虹の松原」とならんで「日本三大松原」の一つとしても知られます。芭蕉は敦賀に到着した翌日に「気比松原」で月見をすることを楽しみにしていたところ、あいにくの雨になったため、前回の記事で紹介した句 『名月や 北国日和 定めなき』 を残しています。
 
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右手には敦賀港が見えます。外航RORO船岸壁(右端)の左手には多目的国際ターミナル(コンテナ岸壁)とそこから伸びる防波堤と防波堤灯台が確認できました。そして、さらに後方にフェリー岸壁から伸びる鞠山(まるやま)北地区の防波堤(長さ1330m)も薄っすらと見えます。
 
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左手を見ると、夏期には海水浴場となる砂浜が続いています。海の家らしき建物は、早朝のためか、クローズされているようです。砂浜の先にある山の麓に伸びる道路は県道33号で、景勝の地「色ヶ浜(いろがはま)」へ至る道路です。
 
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陸路が整備されていなかった江戸時代に、芭蕉は敦賀の港から舟に乗って「色ヶ浜(いろがはま)」(奥の細道の本文では種(いろ)ヶ浜と記述)まで出かけ、『寂(さび)しさや 須磨(すま)にかちたる 濱(はま)の秋』(源氏物語の須磨より優れているとの思いを表現)、『波の間や 小貝にまじる 萩の塵(ちり)』、『小萩(こはぎ)ちれ ますほの小貝 小盃(こさかづき)』 、 『衣着て 小貝拾わん いろの月』 の句を残しています。ちなみに、「色ヶ浜」からは今でも砂の小島2つからなる水島(みずしま)を眺(なが)めることができるそうです。

 

古い町並みが残る一方通行の市道を引き返します。雪が多い北国らしく、道路の中央に融雪用設備(消雪パイプ)が埋め込まれていました。
 
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釣り船が多数停泊しています。その先には先ほど通過した港大橋が見えます。
 
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敦賀港の東にある「赤レンガ倉庫」に立ち寄りました。1905年にアメリカの石油会社が建てたもので、国の有形文化財に灯篭くされています。横浜港小樽運河の赤レンガ倉庫よりも小ぶりですが、現在は内部は娯楽施設(午前9:30開館、入館料大人400円)になっており、明治後期から昭和初期までの敦賀の街並みがジオラマで再現されているそうです。
 
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金ケ崎城址の下にあるトンネルを通過して新日本海フェリーの敦賀フェリーターミナルに到着。このターミナルから新潟港と秋田港を経由して北海道の苫小牧(とまこまい)東港まで行くフェリーが出ているようです。
 
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横から見たフェリーターミナルとボーディングブリッジ(搭乗橋)
 
 
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プチ薀蓄(うんちく)です。搭乗橋は船の左側に架けられますが、これは操舵手(そうだしゅ)が左側(左舷、さげん)にいるため、操舵手が見やすい左舷を岸壁に接岸させることが慣習となったからです。これに倣(ならって)って飛行機も胴体の左側にブリッジやタラップを設置するようになったそうです。このため機長は左側の操縦席(そうじゅうせき)に着座しています。
 

フェリー岸壁の近くまで進むと、左手の内貿RORO船岸壁(手前)とバルク岸壁(奥)に貨物船が2隻停泊しているのが確認できました。いずれも「ばら積み貨物船」(バルクキャリア)のようで、積載する石炭などの荷下ろしをしていると思われます。左手の施設(2つの立方体と丘の上の煙突)は北陸電力の敦賀火力発電所です。
 
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火力発電所の脇を戻ります。奇妙な形をしたものは石炭の積み下ろし用の巨大なアームで、石炭はその下にあるベルトコンベアを使って道路の反対(左)側へ運ばれるのでしょう。
 
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国道476号を経由して国道8号(敦賀バイパス)に入りました。国道27号との分岐点の手前で「原子力の科学館 あっとほうむ」の看板が目に入りました。原子力発電の啓蒙と子供と女性向けのアトラクションを兼ねた福井原子力センターの施設です。敦賀半島の北部、「色の浜」の先に日本原子力発電の敦賀原子力発電所があることで、この地に施設が設置されたのでしょう。
 
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ちなみに、敦賀原子力発電所は東海原子力発電所に次いで日本で2番目に古い原子力発電所であり、昨年廃炉が正式に決定されています。

 

「奥の細道」によれば芭蕉は塩津街道(現在の国道8号)で木之本宿(長浜市木之本町)を経て北国往還(国道365号)で春照(すいじょう)宿(米原市春照)へ向かいましたが、出発前に予定を急遽(きゅうきょ)変更して、以前から訪れたいと思っていた美浜と若狭へ寄り道をすることにしていました。国道27号(金山バイパス)に入って直進すると美浜町との境界にある旗護山(はたごやま)トンネルに差し掛かりました。
 
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トンネルを抜けたところに美浜町の案内標識と関西電力の美浜原子力発電所・水晶浜海水浴場の案内標識があります。
 
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美浜東バイパスと名を変えた国道27号を少し先へ進んだ舞鶴若狭自動車道の若狭美浜IC付近で「若狭梅街道」「レインボーライン」「三方五胡」方面(県道225号)へそれました。もう少し先でも良かったのですが・・。
 
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(続く)

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