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2016年8月 8日 (月)

続々・奥の細道擬紀行(その18) 倶利伽羅峠(前編)

高岡市を出発したのはすでに午後2時を過ぎていますので、先を急ぐことにして、国道8号で源平合戦の「火牛)かぎゅう)の計」で有名な倶利伽羅(くりから)峠へ向かいました。富山県と石川県の県境にあります。

 

国道8号(小矢部バイパス)の安楽寺西交差点を右折して県道286号(旧北陸道)に反れるつもりでしたが、急な上り坂の先にある小矢部(おやべ)トンネル源平トンネルを抜けたところで右折の態勢に入らず、国道8号(倶利伽羅バイパス)を直進して倶利伽羅トンネルに入ってしまいました。予定外のことでしたが、トンネルの反対側からも倶利伽羅峠へ向かう道があることを事前に調べていましたから、助手席にいる同行者には何食わぬ顔でそのまま進みました。

 

県道286号の急坂を上って(戻る形で)天田峠に到着。写真の前方が富山県(小矢部市)側で、倶利伽羅峠は右手に入るようです。
 
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来し方(石川県津播町方面)を振り返ると、「日本三不動尊 倶利伽羅不動寺」の大きな看板が立っていました。日本三大不動尊といえば、東京の目黒不動尊、千葉の成田不動尊の2つに加えて、さまざまな候補があり、倶利伽羅不動尊もその一つとされているようです。
 
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アップダウンのある尾根沿いの道を進む絵の看板と「倶利伽羅県定公園観光案内図」が立っていました。倶利伽羅不動寺は左手に入るようです。
 
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100mほど先に倶利伽羅不動寺があり、予定外でしたが、参拝することに。整備された駐車場はなく、道路脇の空きスペースに10台ほどの車が停められていました。長い石段を上がります。
 
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『奈良時代初期の養老2年(718 年)に、中国から渡来したインドの高僧、善無畏(ぜんむい)三蔵が北陸路巡錫(じゅんしゃく)した際、砺波山(となみやま)山中に棲(す)み村人や旅人に災いをかける魔物を倶利迦羅竜王を勧請して退治し、その不動明王を祀(まつ)った。このことからこの地を倶利伽羅と呼ぶようになったという』(出典:小矢部市歴史散策マップ)

 

折れ曲がった石段の先に倶利伽羅不動寺の山頂本堂がありました。
 
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弘法大師が奉安したとされる倶利伽羅不動明王、阿弥陀如来、聖観音菩薩、毘沙門天などの仏像が祀られている高野山真言宗の寺です。度重なる火災のため明治以降は本堂と呼べるものはなく、昭和35年(1960年)に境内が現在の形に整備されたそうです。ちなみに、奥之院(おくのいん)には今から約1300年前に、善無畏三蔵法師が敬刻された倶利迦羅不動明王が奉安されているそうです。
 
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本堂の前で振り返って見た小矢部市の景色です。眼下に見えるのは埴生(はにゅう)大池のようです。
 
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本堂の右手にあるのは施無畏堂(せむいどう)です。「畏(おそ)れ無きことを施(な)す」という言葉は、観音経などに出てくる言葉で、仏さまの慈悲(じひ)を表しているとのこと。
 
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竹橋地区にはかつての倶利伽羅不動寺の七堂伽藍と十二ヶ寺の塔頭寺院を復興すする事業の一環として西之坊鳳凰殿が平成10年(1998年)完成したそうです。長い石段を下りました。
 
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500mほど先に展望台がありました。
 
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その脇にある「倶利伽羅合戦」の案内看板
 
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その説明文として、『平安示談末期の寿永2年(1183年)、平家打倒のために挙兵した木曽(源)義仲の軍が平維盛(これもり)を総大将とする平家の軍勢とこの倶利伽羅峠(砺波山)で激突しました。倶利伽羅峠を挟んで両軍は東西に布陣しましたが、木曽義仲は群を7つに分けて、平家軍に夜襲を仕掛けました。義仲軍は鬨(とき)の声をあげ、法螺(ほら)貝を付記、タイコを打ち鳴らして平家に一斉突撃』

 

『この時義仲は角に松明(たいまつ)をつけた4-500頭の牛を平家軍へ向かわせ、平家の将兵が大混乱に陥ったと伝えられます。義仲軍の猛攻により、逃げ場を失った平家軍は深い谷底へと落ちました。これにより、その谷は後に「地獄谷」と呼ばれています。倶利伽羅合戦に勝利した木曽義仲は、平家を都から追いやり、源氏一族の中でいち早く入京し、後白河法皇より「朝日将軍」の称号を賜(たまわ)りました』 とありました。

 

「倶利伽羅県指定公園 展望図」
 
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展望台から見た地獄谷方面と源氏ヶ峰(左手の山)
 
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展望台の右手にある源平供養塔
 
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左手の詩碑には、江戸中期の儒学者で木下順庵の弟子で、加賀藩(金沢藩)ついで新井白石の推薦で江戸幕府に仕えた室鳩巣(むろきゅうそう)の漢詩「暁陟倶利伽羅山」が刻まれています。
 
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駐車場の脇にあった「倶利伽羅山のはなさかじいさん」の案内看板(説明を省略)
 
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源平ライン」に入ると「源平倶利伽羅合戦の地」「火牛の計」の説明看板には両軍はそれぞれ10万の大軍であったことが書かれています。その隣には「火牛」が2頭。
 
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(続く)

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