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2016年8月 9日 (火)

続々・奥の細道擬紀行(その19) 倶利伽羅峠(後編)

源平ラインは尾根伝いに続くようです。
 
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源平古合戦場猿ケ馬場」の石柱がありました。平家の総大将平維盛(これもり)が本陣を布(し)いた場所です。
 
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猿ヶ馬場にある芭蕉塚です。元禄2年にこの地を通過した芭蕉の句、『義仲の 寝覚(ねざ)めの山か 月かなし』 がありました。朝日将軍と謳(うた)われた義仲の末路を涙して詠(よ)んだ句であると説明されています。ちなみに、義経(よしつね)ファンであったことが知られる芭蕉は、義仲にも強い思いがあったようです。参考として、芭蕉が奥州平泉で詠んだ句を2つ紹介します。『夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡』 『五月雨(さみだれ)の 降り残してや 光堂(ひかりどう、金色堂のこと)』
 
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風化が激しくて読みづらいのですが、上段に「芭蕉翁」、下段に芭蕉の句 『義仲の 寝覚めの山か 月かなし』が刻まれています。
 
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後白河天皇の第3皇子である以仁王(もちひとおう)が出した平家追討の令旨に応じた信濃国(現長野県)の源義仲は横田河原合戦で越後の平氏軍を破って越後国と北陸道を勢力下に収め、越前国に攻め入りましたが、敗退して、いったん越中国まで後退しました。そして、10万の軍勢を有する両軍が砺波山(となみやま)の倶利伽羅峠で対峙(たいじ)することになります。注、源義仲の軍勢は5万であったとする説もあり

 

木曽義仲は、行軍の疲れを癒すため倶利伽羅峠で休息する平家の軍勢を取り囲む布陣をする一方で、平家軍の後方において北陸道を押さえる優れた作戦を実行したことが、合戦の勝敗を大きく決めることになりました。明智光秀と豊臣秀吉の両軍が正面衝突した「天王山の戦」(山崎の合戦)の参考になったかもしれません。また、「火牛の計」は中国の史実をもとに脚色されたものであるとの説が有力のようです。ちなみに、源義仲の愛妾(あいしょう)であった男勝りの巴御前(ともえごぜん)もこの戦いで活躍したそうです。

 

芭蕉の句、『あかあかと 陽は難面(つれなく)も あきの風』 は越後路から越中・金沢にいたる旅の途中で得た旅情を、金沢で結晶させたものであると解説されています。
 
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源氏ヶ峰への入口(階段)がありましたがスルーすることにしました。ちなみに、平家が布(し)いた陣を源氏方が占領したことが源氏ヶ峰の名の由来だそうです。
 
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塔(とう)の橋」に出ました。平家軍の最前線だったところです。
 
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つまり、平軍の将「平行盛」が陣を布いた場所
 
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馬の背のような険(けわ)しいところで、旧北陸道を旅する人が難儀したそうです。ちなみに、この辺りに北陸道に設けられた「砺波(となみ)の関」があったそうです。
 
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「大池・埴生(はにゅう)口へ」の道標もあります。ちなみに、大池は灌漑(かんがい)用ダム池で、埴生口は小矢部市埴生にある「倶利伽羅源平の郷(さと)」のことのようです。
 
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道標には「源平ライン」「歴史国道」「倶利伽羅古戦場」「埴生大池」の名称が表示されています。
 
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一里塚跡
 
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獅子脅(ししおど)し
 
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矢止めの木(ツゲ科)
 
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旧北陸道から反(そ)れて矢立山の脇を過ぎました。この矢立山は義仲軍の最前線で、幅300mほどの谷を隔てた「塔の橋」から平家軍矢を放ち、多くの矢が立ったことから「矢立」と呼ばれるようになったそうです。矢立山を過ぎた場所にある万葉公園への入口を通過します。
 
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1200年前、大伴家持(やかもち)が越中の国司として在任中に詠んだ植物詠歌(37首)を石に刻んで万葉公園にしたことが書かれています。
 
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源平ラインは一気に高度を下げて終点である県道274号に出ました。ここを右折して北陸自動車道と並行する国道359号に入り、内山峠を越えて石川県に入りました。これが金沢市の中心部へ向かう最短の(かつ交通量が少ない)コースのようです。市街地に入って兼六園下交差点を左折し、県道10号で金沢城と兼六園の間を抜け、香林坊交差点を左折して国道157号に入れば目的地は間近です。午後4時半前、この日の宿泊地であるアパホテル金沢中央にチェックインしました。(続く)

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